特集 第34回総合リハビリテーション研究大会-総合リハビリテーションの新生をめざして(2) 分科会2 子ども「関係機関が連携した地域生活移行に向けた取組み ―肢体不自由の子どもの学齢期から青年期までの連携による事例報告―」

分科会2 子ども「関係機関が連携した地域生活移行に向けた取組み―肢体不自由の子どもの学齢期から青年期までの連携による事例報告―」

【座長】
松矢 勝宏(目白大学客員教授)
吉川 一義(金沢大学人間社会研究域学校教育系教授)

【パネリスト】
小田部 恵(東京都立青峰学園肢体不自由部門高等部主任教諭)
田畑  實(東京都立あきる野学園相談支援センター主幹教諭)
伊藤 泰広((福)鶴風会西多摩療育支援センター上代継診療所理学療法士)
金子 直生((福)同愛会日の出福祉園生活介護事業担当課長)
中村 敏之(青梅市健康福祉部障がい者福祉課認定サービス係ケースワーカー)
石井 洋征((福)同愛会秋川ハイム統括主任)
斉藤 大輝(秋川ハイム(利用者))

要旨

 研究大会は「総合リハビリテーションの新生をめざして」をテーマに,3年間にわたり研究協議を深めることになった。昨年の第2分科会において,子どもの発達と生活を支援する私たちは,子どもを主体にして,関係領域・機関が個別の支援計画の考え方を共有し,協力・連携することによって所与のテーマに接近したいと考え,「個別の支援計画における『共通言語』を探る」の副題の下に協議を行なった。また本年の7月に関連シンポジウムの形で,病気の子どもたちの生活を豊かに創るための「教育と医療の対話的関係」を取り上げ有意義な協議を行なった。今年度の第34回研究大会当日においては,昨年の分科会協議と関連シンポジウムの成果を生かしながら,事例研究の方法で子どもを中心とした個別の支援計画等による関係領域・機関の連携の在り方を深く探りたいと考えた。

(本文共・松矢勝宏)

1. 分科会の準備過程について

 まず今回のパネルディスカッションの実質的なコーディネーターである東京都立青峰学園の小田部氏に相談し,分科会協議にふさわしい事例についての提供をお願いした。その結果,当事者である斉藤氏とこの事例に関わった6人の支援者の協力によるパネルディスカッションを実現することができた。この分科会で全員がはじめて一堂に会することになった。

2. パネルディスカッションの導入として都下西多摩の地域性を考える

 まず,小田部氏の提言内容からまとめる。都立あきるの学園は,1997年4月に都下西多摩地域を学区にして開校した肢体不自由と知的障害部門をもつ併置校である。知的障害部門は都立羽村特別支援学校と学区を分割しているが,肢体不自由部門については,西多摩全域とされていた。2009年4月に通学時間の短縮等の施策から青梅市等を中心とする都立青峰学園(肢体不自由教育部門と知的障害部門高等部職業学科部門を併設)が開設された。あきる野学園の開設時から進路指導担当教諭の小田部氏は青峰学園へ異動したが,地域連携については両校共通の考え方で進めている。
 西多摩地域は5市2町1村からなり,東京都の面積の4分の1を占める。この地域における肢体不自由児の療育については,武蔵村山市にある社会福祉法人鶴風会東京小児療育病院が当たっていたが,同法人による西多摩療育支援センターが2004年に開設(1997年にあきる野学園内に設置された上代継診療所が前身)され,この地域の療育サービスが本格化した。あきる野学園開設当初から地域・福祉資源の開発は大きな課題とされた。あきる野学園相談支援センター主幹教諭(特別支援学校の地域センター機能を担当するコーディネーター)の田畑氏と進路指導担当の小田部氏ら教職員は開校当初から西多摩の地域づくりを任務としてきたのであり,この点が本事例にみる支援連携の重要なファクターである。当時はまだ関係機関の協力連携による個別の教育支援計画の策定と実施が始まっていない時期であったが,東京都知的障害特別支援学校(当時,養護学校)では高等部生徒の個別移行支援計画の作成と実施の検討が進められつつあった。

3. 本事例の課題と経過について

 田畑氏の提言からまとめる。本事例の斉藤氏は当時小学部2年生で,1997年4月にあきる野学園が開校されると都立村山養護学校(当時)から転校してきた。小学部に在籍しているときにはそれほど目立ってはいなかったが,中学部に入ると身辺のケアが出来ていない,食事もあまり摂れていない,欠席も目立つようになる等の家庭環境の課題が顕在化してきた。学校側としても再三,家庭への働きかけはしていくが,改善が見られない。家庭訪問も試みるが,期待できる成果には繋がらなかった。高等部に入り,ますますネグレクトの状態が深刻になり,児童相談所に通告し,西多摩療育支援センターに一時保護の措置がとられる。保護者支援の続行の結果,措置解除。市の協力も得てホームヘルパーの利用等の家庭支援の充実を図ったが,徐々に元の状況になる。このような中で,本人の意思を確認し,再度,都内の肢体不自由児施設に一時保護の措置。学区外の施設なので学校に行きたくてもいけない,行けないのがつらいという本人の訴えを聞くなかで,最終的に都外の肢体不自由児療護施設への入所が決定された。当時は18歳で,あきる野学園卒業前の本人による決断であった(斉藤氏の提言より)。事例を担当するコーディネーターとして,入所時に確信はなかったが,成人になったら「必ず戻す」と本人と約束。地域にケアホームが開設されるのを契機に,各関係機関の連携による最大限の努力が展開され,本人の地域移行が実現,現在に至る自立への歩みが実現できた。
 一番の悩みは,コーディネーターとして可能とされる家庭(保護者)への介入のあり方,本人の訴える「思い」を実現するための最良な方法の模索等にあった。施設入所後の課題として訪問支援を続けることで,本人の地域に?りたいという意思に変更がないことの確認,当該入所施設の担当職員からも施設が提供するサービスと本人が希望する生活とは異なるようだという意見の聴取を重ね,斉藤氏が成人になる時点で移行が実現するようにケースが運ばれることになった。
 田畑氏は結論として,本ケースが最終的に本人の希望どおりの地域移行が実現できた要因は,連携が単なる継時的なバトンタッチではなく,本人の「思い」を尊重し,最大限の可能な配慮と支援ができるかどうかについて,支援者間の「思い」を重ねる「糊しろ」の部分の広さ・大きさにあった,と提言された。それはマニュアル通りのサービスを越えた支援のあり方に関わるのではないか。この観点は,分科会協議において次第に明確化され,最終的に確認されることになる。

4. 本事例とリハビリテーションの連携

 西多摩療育支援センターの理学療法士である伊藤氏の提言からまとめる。脳性麻痺をもつ生徒であった斉藤氏が最初に緊急一時保護で入院された時は,東京都の施策として医療機関から学校におけるリハビリテーション(自立活動)への外部派遣が始まった頃である。家族と家庭環境の問題を多く抱えるこの事例では,本人が日常生活の遂行で体験不足があり,自信のなさを多く感じ,獲得できるはずの機能も持てない状態であった。リハビリの課題について,すぐに「できない」,「わからない」,「無理」と応答する。身体機能が退行して,固くなっている。車いすの乗り降りも怖いと訴える状態であった。家庭の状況について情報を得ていたので,ADLを大切に一つ一つできるように導き,自信をつけさせたい。家族に頼らずに生活できるための自己管理,家庭内自立を目標に集中的なリハを開始した。学校からの通院リハ,訪問リハや環境調査など様々な形を模索してみた。7ヶ月間,退院したり,入院したりで,どうしたら家庭に?れるか,家庭から通学するためにどうしたらよいか,スクールバスの停留所まで行くにはヘルパーが必要になるだろうと,暗中模索が続いた。家庭への訪問リハビリを提案したが,保護者のOKがとれない。そこで学校から通院リハを試みる。とにかく学校の協力が大きかった。遠地の施設入所後も本人との手紙のやり取りを続け,現在の身体の状況について聴取を続けた。また施設の担当職員とも連絡を取り,メール交換や訓練メニューを送ったりして支援者としての思いを伝えた。こうして本人と施設との関係が継続するよう努めてきた。地域に戻った後,一時的に落ちた機能の回復のための短期集中リハビリを実施し,自力での通院,通所ができるように,またスーパーストアで買い物ができるように,電動車椅子の操作練習などを行なってきた。当事者の思いを支えることを心がけてきたが,斉藤氏本人が努力され今日に至っている。

5. 地域移行への機関連携

 田畑氏から斉藤氏の地域移行について相談を受け,その具体化を図った関係機関のワーカーによる連携についてまとめる。
 まず地域にある日の出福祉園の生活介護事業の担当責任者である金子氏の提言からまとめる。日の出福祉園は重度知的障害者を対象とする東京都立更生施設であったが,2007年4月より社会福祉法人同愛会に移管された。あきる野学園,青峰学園との関係は,学区域の青梅市管轄の福祉資源が定員満杯の状態にあり,生徒の実習先,卒業生の進路先として日の出福祉園は密接な連携関係にある。本ケースは進路相談で来訪した小田部教諭から帰り際に,実は「これこれしかじか」の話があるが,近いうちにあらためて相談にのってほしい,という形でもたらされた。大変なケースは,往々にしてこのように「小出し」の相談でもたらされる(会場は爆笑)。その後,斉藤氏の代弁者である田畑教諭より詳しい話があり,現地に赴き本人からの主訴を聴取し,住所地である都内に戻り生活したいとの本人の希望を確認した。これにより,措置に至った経緯から移行後の対応策を含め検討し,各関係機関が連携・調整し,措置解除から住み慣れた地域生活への移行を実現しようと試みた。すでに日の出福祉園がケアホームを近隣地に設置予定であるという情報が両教諭との間で共有されていたが,本ケースがホームの入所と利用というニーズに限定されるものでなく,斉藤氏本人がどのような生活を希望しているのか,電動車いすも近い将来に必要になるのではないか,そのためのリハビリをどうするか,等の生活設計に関わる案件となった。斉藤氏の居住地が青梅市になっていたので,田畑教諭は青梅市障がい者福祉課のワーカーである中村氏にもケースの相談を依頼した。
 中村氏の提言からまとめる。2009年9月に田畑教諭より都外施設に入所中の斉藤氏のケースについて相談があった。児童については,市を経由せずに児童相談所の措置決定で施設入所が行われる場合がある。このような事情で斉藤氏のケースは市として初めてのことなので,田畑教諭らを通して必要な情報を得る必要があった。ケアホーム入所に当たっては障害程度区分5以上が必要であること,さらに生活費を支払うためには障害年金の受給が必要であること等の相談を受けた。この時点では斉藤氏は未成年であり,年金申請や施設退所の時期やケアホーム入所のタイミングについても検討を深める必要があった。本人の意思確認が取れたあと,区分認定調査および障害年金申請手続きのために入所されている施設に赴くことにした。こうして斉藤氏が20歳の誕生日を迎えた後の11月に施設訪問をし,区分認定調査および年金申請手続きを行なった。1級の年金支給の決定,入所施設退所の準備が整い,22年4月に秋川ハイムへの移行が無事に実現した。当時はケースワーカーになって2年目であり,まだまだ不慣れな部分もあったが,今回のような入所施設からの地域生活移行というケースを担当できたことは,勉強になった。
 秋川ハイムの受け入れ準備について統括主任の石井氏からの提言からまとめる。秋川ハイムは2010年4月に開設されたが,最初の入居希望者の一人に斉藤氏がいたわけである。秋川ハイムは都内でも数少ない知的障害の重い方を対象にしたケアホームとして開設予定だったので,斉藤氏のように重度であるが身体障害が主の方が入居してうまくマッチングできるのか,一抹の不安を抱きながら受け入れ準備を進めたのを記憶している。また所持金が少ないため,入居時点での生活費や家賃をまかなうにはどうするか。そこで家賃助成がぜひ必要だが,助成期間が3ヶ月1回では赤字になってしまう。助成期間の融通ができないか。こうした課題を福祉行政の理解も得ながらなんとかクリアし,斉藤氏の自立生活が始まった。しかし入居当初は,テレビやゲームばかりで,居室の3階からなかなか降りてこない。入居者との交流がむずかしいのではないかと心配したが,まず女性職員を受け入れるところから,だんだんと自分の居場所を見つけられるようになった。外出もはじめガイドヘルパーの時間数が16時間であったが,積極的に外出するようになり,中村氏にお願いして19時間に延長してもらうほどになった。こうしてケアホームが最終地ではなく,一人暮らしをも展望した自立の課題を明確にしていくような時点に来ていると思う。

6. 本人の思いを支える

 最後に当事者である斉藤氏の提言をまとめる。いま秋川ハイムで生活をしているが,過去を振り返ると,いいことのみでなく,つらいこともあった。今,皆さんのお話を聞いて,いろいろな人に支えられてきたことがわかる。しかし,家庭や学校を離れて転々としたつらい生活を体験したので,今回もいきなり秋川ハイムの生活が始まり,なれない当初はこれからどうなるのか,また転々とするのではないかという心配もあった。1年以上がたち,先月頃からだいぶ生活になれてきた。中学部3年ごろ,伊藤先生から指導を受けていた当時,全然できないことが多く,人とのコミュニケーションをとることも苦手だったが,やってみたらできるようになった。そういうことを思い出す。これからいろいろと体験し,努力していきたい。いまは,東京に?れて本当によかった。今日はまわりの先生や人々の動きがすべてわかって,感謝の気持ちを実感している。現在の生活は,西多摩療育支援センターの就労継続支援で週3回働いている。喫茶のウエーター,レジ,清掃などの仕事を担当している。将来は一人で生活し,外出できるようになりたい。現在はガイドヘルパーと外出し体験を広げている。(19時間の)時間数をもっと増やしてほしい。将来は電動車いすの購入とか,いろいろな希望を持っている。
 パネリストの提言が終わり,40分ほど協議を行なった。その中で斉藤氏への質問と支援者への質問等についての応答をまとめておく。まず,斉藤氏には,東京に?りたいという気持ちを持ち続けることができた理由は何かという質問等に対して,やはり家族と離れることのつらさ,特に弟のことが心配でならなかったことがある。中学部当時までは,先生や支援者,親が言うことだから従うという気持ちが強かった。高等部時代の卒業前のつらい施設入所であったが,このままでは自分だけでなく,家族もだめになってしまうのではないかという,自分の判断に従った。今は家族との関係もうまくいっているし,弟の就職も皆さんの力で実現していただき,うれしい。
 パネリストには,支援のあり方に関する質問が多かった。本人中心,自己決定と主体性を尊重する支援とは,新しい専門家像とはというテーマに関しては,本人からのオーダーメードによる支援の探求,ルーティンワークでやっている。マニュアル化に陥りやすいので,やらないことをやってみるという脱マニュアル化。どこかのコピーでない支援の探求。一人でできないことを協力してつくりだしていく支援。一人一人に向き合う人生支援。「すみません」という気持ちと言葉が関係機関との連携と協力をつくりだす。これらが応答に見る提言であった。


主題・副題:リハビリテーション研究 第150号

掲載雑誌名:ノーマライゼーション・障害者の福祉増刊「リハビリテーション研究 第150号」

発行者・出版社:公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会

巻数・頁数:第41巻第4号(通巻150号) 48頁

発行月日:2012年3月1日

文献に関する問い合わせ:
公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
電話:03-5273-0601 FAX:03-5273-1523

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