特集 第37回総合リハビリテーション研究大会 総合リハビリテーションの深化を求めて-当事者の「社会参加」向上と総合リハビリテーション- シンポジウムⅠ 総合リハビリテーションに求めるもの―被災地からの発信―

シンポジウムⅠ
総合リハビリテーションに求めるもの
―被災地からの発信―

【シンポジスト】
桜井 誠一(総務省地域力創造アドバイザー・元神戸市生活再建本部次長)
鈴木 清隆(宮城県/仙台市復興事業局次長)
半谷 克弘(福島県/双葉郡身体障害者福祉会会長)
元持 幸子(岩手県/NPO法人つどい事務局長)

【座長】
藤井 克徳(日本障害フォーラム幹事会議長)
上遠野 純子((一社)宮城県作業療法士会会長)

要旨

 障害のある人にとって,大規模な自然災害は最も過酷な障壁の一つである。同時に,大規模災害は,その社会における障害のある人への支援水準が試されることにもなる。2011年3月に発生した東日本大震災は,日本の障害分野にさまざまな警鐘と課題を突き付けている。特に問われるのは,復興策にあたって高齢者や障害のある人をどう位置付けるかである。高齢者や障害のある人の実態やニーズを復興策の標準値とすることで,そこに新たな発想と方法が生まれてくるに違いない。東日本大震災と阪神・淡路大震災を重ねながら,障害当事者とリハ専門職と行政関係者がいっしょになりながら,さらには批准された障害者権利条約(以下,権利条約)をベースにしながら,復興策のあり方ならびに新たな大災害の備えについて論じていきたい。

はじめに

 シンポジウム1のねらいは次の3点である。すなわち,①東日本大震災から3年7カ月にあたっての現状評価,②復興政策への提言(リハビリテーションの視点で),③参加者(フロア)とともに今後の復興に向けての課題の深化・共有,を論点としたい。以下,論点ごとにシンポジストの発言を概述する。

1. 東日本大震災から3年7カ月―現状評価

鈴木 仙台市における被災の特徴は,大別して沿岸部の被災と丘陵部の被災の二つから成っていることである。具体的には,沿岸部では若林区と宮城野区に津波被害が集中し,一方,丘陵部では宅地への被害が大きく,被災家屋は五千数百軒に及んでいる。なお,仙台市での震災復興策は5年計画で進めているが,計画全体としては概ね順調である。特に,ハード面はそれなりのペースで進んでいる。問題は個々の生活面である。仮設住宅にはまだ約7,500世帯が居住し,戸別訪問したデータによるとこのうち約5,6%が何らかの障害と関係していることが判明した。これからの大きな課題は,個々の被災者の生活再建となるが,わけても障害関連世帯に対してはさらにきめ細かな対応が必要になってくる。

半谷 私たちは,福島県双葉郡で8カ町村の会が一つになって双葉郡身体障害者福祉会という団体を作っている。最大の問題は,原発事故との関係でいつそれぞれの地域に帰れるかということである。部分的には避難解除になった地域もあるが,全体が元の状態に戻るというのは見通しが立たない。率直に言って,団体活動の再開は事実上難しいのではと思っている。会員の大半は肢体不自由者であり,今般の大震災では幸いにして直接の死亡者はいなかった。ただし,避難の過程でいわゆる関連死に至ったり,健康を害している人は少なくない。被災後の動向をみていると,はっきりとはつかめない面もあるが,全会員が県内外への広域避難状態にある。事態は深刻であるが,具体的な解決策は見つかりにくい。

元持 岩手県全体としては,少しずつながら復興策は進展しているように思う。県の復興施策は,フェイズ1からフェイズ2に移行している。沿岸部の市町村では災害公営住宅への入居が始まるなど,仮設住宅から復興公営住宅へ移り始めている。大きくみれば進展していることは間違いない。ただし,個々の市町村をみると格差が顕在化している。特に規模の小さい自治体の遅れが気になる。加えて深刻なのは若い世代の人口流出で,30代,40代の都市部を中心とした内陸部への移動が増えている。障害のある人の中にも生活のしづらさから同様の傾向がみられる。全体としては,人口の流出に歯止めがかからず,高齢化に拍車がかかっている。私のいる大槌町で言うと,一人戻って二人が出ていくという状態が続いている。とにかく,若い世代が働く場が少ないことが最大の悩み事である。

桜井 阪神・淡路大震災と東日本大震災とを比較すると,いくつかの点で決定的な違いがある。前者が都市直下型であったのに対して,後者は大地震に加えて大津波や原発事故を伴う複合型の大災害であったことである。また被害の広域性という面でも後者はすさまじく,災害救助法の適用範囲でみると,阪神・淡路大震災が25市町村,東日本大震災では240市町村に及んでいる。こうした被災特性を踏まえての復興政策とすべきである。なお,「災害と障害」という観点で留意しなければならないのは,もともと障害があって被災した人と大震災で新たに障害を受けた人がいるということである。この場合に,共通の支援もあろうが,異なったアプローチが必要になる。問題の深刻さが見えにくくなるのは後者である。病院を転々と回っているうちに地元や故郷を離れ,存在自体がつかめなくなってしまう事例が少なくない。このことは阪神・淡路大震災時の反省でもあった。大災害の時の障害者に対する対応策は,まずは診断書にどう書くかということから始めるべきである。災害公営住宅の課題も大きい。入居条件(優先入居)との関係で,どうしても高齢者と障害者の入居率が高くなる。高齢者と障害者の入居率が全体の50%を越えた時,自治会の機能不全や住宅地全体としての相互支援力の低下は免れない。こうした課題を想定しての住宅復興政策とすべきである。

藤井 いずれの報告も,非常に重要でかつ参考になる報告であった。全体としては,復興策はハード面では比較的順調であるが,個々の生活面を中心としたソフト面ではまだまだ緒に就いたばかりというのが共通であったように思う。また同じ県であっても,沿岸部と内陸部とでは復興に大きな差異があることも報告されていた。一つはっきりしたことは,障害関連のデータが不十分であるということである。このことは阪神・淡路大震災の折にも指摘されていた。来年(2015年)は阪神・淡路大震災から20年になるが,データの課題を含めて,東日本大震災と阪神・淡路大震災を重ねながら,「大災害と障害」を論じる特別の節目とすべきではなかろうか。

2. 復興政策への提言(リハビリテーションの視点で)

上遠野 以上の現状評価を受けながら,本シンポジウムの主柱の一つである復興政策に関する提言をいただきたい。提言にあたっては「リハビリテーションの視点」を意識願えればと思う。

桜井 阪神・淡路大震災の特徴の一つは,行方不明者が少なく,一方で負傷者が44,000人と非常に多かったことである。これに対して東日本大震災は,亡くなった方と行方不明者が多く,相対的にみて負傷者は少ない。復興策はこうした実態を踏まえて展開されるべきで,そういう点では東日本大震災と阪神・淡路大震災とでは共通点もあるが,異なる点も少なくないことを押さえておく必要がある。私の提言は,阪神・淡路大震災の体験を元にするものである。
 大震災当時の私は,行政職にあって生活再建を担当したが,当時は,「復興」という言葉はあっても,まだ「生活再建」という言葉は一般的ではなかった。担当になった私は,「生活再建とは何か」ということを一生懸命考えた。その時思い起したのが,「フェスピック神戸大会」(1989年)を通して出会った障害のあるアスリートであった。
 彼らは障害を負った後,それを受容し,そこからリハビリをして立ち直っていき,自分自身の生活を組み立てていくことになるが,そのプロセスならびにそこで培われるエネルギーこそが生活再建そのものではないかと考えた。つまり,リハビリテーションモデルが生活再建のヒントになったのである。さらに,生活再建を具体的な政策課題との関係で,「健康」「就労」「住まい」と区分けしていくことにした。
 阪神・淡路大震災から5年目に,生活再建と復興との関わりについて調査を行なった。被災した市民に対して「生活を再建したと感じるにはどういう要素が必要か」を尋ねた。多い順で挙げると,住まい,まちづくり,個々の暮らし向きであり,加えて人々とのつながり,心と体の回復,行政とのポジティブな関係の重要性なども重視されていた。印象的だったのは,「自分たちが経験した被災を前向きに捉え,そのことを語り継いでいく気持ちになれれば生活の再建が成ったと言ってもいいのでは」であった。
 さらに,その後の住民とのディスカッションで明らかになってきた生活再建の留意点は,①環境の質を低下させない,②市民の生活の質を低下させない,③立ち直ろうとする気概を持ち続ける,④経済活動を大切にする,⑤子や孫に問題を先送りしない,⑥自分たちでできることは自分たちでやる,の6点である。最後に強調しておきたいのは,仲間づくりとお金の使い方についてである。阪神・淡路大震災時には,復興基金という比較的自由度の高い資金源があった。東日本大震災においても復興基金はあるが,自由度が少ないと聞いている。特に大切になるのが,仲間づくり,人のつながりに十分な資金を回すことである。

鈴木 仙台市では被災者の生活再建推進プログラムを今年3月に作り,被災された方の生活再建に向けて実践的に取り組み始めているところである。さて,震災直後を振り返ってみたい。発災直後に指定避難所に避難した人は最高時で105,000人であった。仙台市の人口が107万人であるので,発災直後は10%の人が避難所に避難したことになる。指定避難所の開設は,288カ所であった。特に駅周辺の避難所は帰宅困難者が利用した。また福祉避難所は,仙台市と協定を結んでいる施設で40カ所,利用者は288人であった。避難所をめぐっては,さまざまな課題が挙げられている。特に障害のある人ならびに家族からは,トイレの使いづらさや騒々しい雰囲気の中で適応できないなどで,結局,環境の不十分な自宅に戻らざるを得なかったなど,深刻な意見が出されている。これらの実態を踏まえて,新たな避難所の開設および運営のマニュアルを住民といっしょに作成していきたい。
 次に,仮設住宅の課題や問題について考えたい。もっとも多かった時期には12,000世帯が居住していたが,現在は約7,500世帯になっている。仙台市の場合は,約80%の世帯が民間アパートを中心に民間物件を仮設住宅の扱いにしている。生活再建との関係では,この民間物件に住んでいる世帯の問題が大きい。仮説住宅がプレハブ団地の場合は,そこに行けば全世帯の状況をつかみやすい。民間住宅の場合は,地域に点在していたり,問題が潜在化しやすいために,表からは実態がつかみにくい。戸別訪問などを通して実態把握に努めてはいるが,特に障害のある人の世帯については実態がつかみづらい。
 今回のような大規模かつ広域な災害にあっては,地域を越えて避難する人が少なくなく,個人の情報が不十分な中で支援をしなければならなくなる。戸別訪問での情報収集には限界がある。情報を共有できる仕組みが構築できればと思う。一つの手掛かりは,災害時要援護者の支援登録制度である。しかし,これについては市町村間で共有できるようにはなっていない。仙台市で被災し,遠くは沖縄県を含めて仙台市外の仮設住宅等に入っている人は280人以上に上るが,個々の情報については十分には提供できていない。自治体を越えた個人情報の共有をどう考えればいいのか,国のレベルでも検討を求めたい。
 なお,仙台市の災害時要援護者の登録制度には,約1万3,000世帯の登録がある。そのうち障害のある人は約3,600世帯である。震災前の障害のある人の登録者数は360人で,約10倍になっている。そして登録されている情報は地域の関係機関,団体で共有している。また,福祉避難所については施設数を100カ所以上に増やし,あらためて障害関連団体と協定を結び直している。いずれにしても,今回の大震災ではっきりしたことは,地域のさまざまな機関や団体,住民がこぞって連携しなければならないということである。

半谷 2013年9月に会員に対して実態調査を行なった。郵送による発送数は約100人であった。事前に確実な名簿を作成したつもりであったが,それでも回答数は79人に留まり,20人分以上が宛先不明で返ってきた。返ってきた人の多くは居住地を転々としているものと推測される。なお,有効回答は73人であった。
 現在の居住地は,県内に89%,県外が11%となっている。現在は県内に居住していても,県外への避難を体験した人は少なくない。避難する時の移動手段は,自家用車が76%と一番多い。運転者は,本人が42%,家族が58%である。震災前には携帯電話を持っていた人はそれほど多くなかったが,震災後は80%が携帯電話を使っている。通信手段,情報手段としては,今後とも有効であるように思う。
 災害発生直後の避難場所については,各市町村が指定したが,原発3号機が爆発した時点で,無秩序状態になってしまった。その時点でどこに行っていいか判らなくなった人が少なくなかった。指定避難所へは24%,あとは県外を含めてさまざまなところに逃れている。現在の居住状況は,避難所の合計が39%で,親類や知人宅が合わせて34%となっている。他は民間住宅が13%であるが,この民間住宅が後の借り上げ住宅として被災者の住居確保に大きな役割を果たすことになる。大半が転居を体験しているが,最も多い人で9回となっている。
 以上の実態調査からいくつかのことをコメントしたい。一つ目は,個人情報保護法と個々の会員への支援についてである。会員の避難状況を市町村に尋ねても個人情報保護法との関連で教えてもらえなかった。今後は,特に広域での避難を想定して,予め自らが属している組織の責任者または事務局に自身の最低情報を伝えておき,いざという時,避難先の組織と連絡を取ってもらうような仕組みを作っておくことが重要であるように思う。
 二つ目は,借り上げ住宅の提供システムの構築である。障害のある人にとって,避難所が住みづらいことはいろいろなデータで明確になっている。また,親類の家での生活も予想以上に大変であることが今回の調査で指摘された。仮設住宅に入居するまでの間の苦労も大変なものである。そこで有効と思われるのが,自力避難の可能な災害弱者にとって,災害発生後の早い段階からの借り上げ住宅への優先入居であり,当人の希望など事例によっては仮設住宅を選択せずにそのまま借り上げ住宅に住み続けることもあってもいいのではと思う。
 三つ目は,広域的かつ長期的な避難生活が想定される中にあって,団体のあり方も根本的に問われるのではということである。残念ながら,元の団体に戻ることは事実上難しい。福島県内の各市町村にある団体に加わっていただくのが現実的かと思う。

元持 私が関わっている「つどい」は,震災後に立ち上げた小さなNPO法人である。「つどい」と名をつけたのは,人々のつながりを大事にしたいという思いを込め,つながりによりしっかりとしたまちづくりを進めていきたいという決意のようなものがあった。高齢でも障害があっても,子どもでも女性でも男性でも,どんな人でも住みやすいまちにしていこうという考えが根底にあった。もちろん簡単ではないが,でも目標に向かって着実に進んでいると言っていいのではなかろうか。
 もともと有効面積が2%足らずの大槌町であり,その少ない有効面積に津波が襲ったのだから大変なダメージであった。住民の多くは高台に仮設住宅を求め,元の町からは病院や学校,商店はすべて消えたままである。率直な思いとしては,この先がどうなるのか不安で仕方がない。
 大槌町は30%以上が高齢者で占められている。障害のある人の相当数が高齢者でもある。どんな状態であっても,私たちの町は存続していかなければならない。とすれば,最も基本的なこととして,まずは住民が集う場,情報が交錯する場,これらを作っていくことがとても大切であるように思う。人というのは集うことでエネルギーが湧いてくるのである。いわゆる「井戸端会議」を重ねることであり,本音が表に出てくるようでなければならない。大震災によって,「小さな声」「声なき声」がますます埋没しているような感じがしてならない。
 現状をみると,大槌町が開催する住民会議には,まだまだ「小さな声」は反映されていない。高齢者や車いす利用者を含むさまざまな障害のある人,赤ちゃんのいるお母さん,病気の人などの声は届いていないように思う。もともと厳しい自然条件にある大槌町,未曾有の地震と津波に見舞われた大槌町,未来に向かって足腰の強靭なまちとしていくために,本当に誰もが住みやすい町としていくために,広く町民すべての声を聴くようなシステムづくりが求められる。
 私は途上国支援の経験があるが,開発の展開にあたっては必ずコミュニティーならびにリハビリテーションというキーワードを根本に据えてきた。このことは,大槌町の復興に際してもそのまま共通の視点としてあてはまるように思う。私たちが立ち上げた「つどい」が,「小さな声」「声なき声」をくまなく拾う探知機として,そして,コミュニティーとリハビリテーションという考え方の発信機として存在感を高めていきたい。あわせて東北沿岸部の高齢分野や障害分野の人権保障や社会参加のあり方に一石を投じたい。

藤井 2つ目の柱について中間的なまとめをしておく。総じて言えば,各被災地ともハード面ではそれなりの進捗がみられる。ただし,障害のある人の立場やニーズからみれば,不十分さは否めない。障害者権利条約は,障害のある人を支援するエネルギーが詰まっているが,一方で角度を変えてみれば,それは社会へのイエローカードでもある。批准された権利条約に照らして復興策の現状をみるならば,標準値をどこに置いているのか疑問だらけである。もう一つ,権利条約の優れた点との関係で指摘しておかなければならないことがある。それは,権利条約が制定される過程でくり返された「私たち抜きに私たちのことを決めないで」の観点がどれくらい押さえられているかである。障害当事者の参加は,復興策の内容にも好影響を及ぼすことになろうが,あわせてできあがった政策への帰属意識という点からもとても重要である。政策というのは何を作るかということも大切であるが,ときに誰が作るかがそれ以上に重要になることも忘れてはならない。残念ながら,復興策への障害当事者の参加は,国,自治体ともに極めて希薄である。

3. 参加者(フロア)とともに課題を共有

上遠野 ここでフロアから意見をもらいたい。

会場A 私たちは,夫婦ともにろう者である。災害のときには情報がなくてとても困った。電気はなくテレビも見ることができず,すべて空白状態に陥ってしまった。ろうあ者は,避難所でもコミュニケーションに多大な苦労を強いられた。掲示板に貼り出されても,いつ貼り出されたのか,またその内容がつかみにくかった人は相当いたはず。手話通訳者が配置されていたらと思う。また壊れかけた家に何日もいた仲間もいる。辛い思いをしたろうあ者がたくさんいたことを共有したく発言した。

会場B 宮城県女川町で障害者の就労支援事業所をしている。震災に関連して二人の障害のある利用者を失った。事業所はすべて津波に流された。震災から2年経った昨年,やっと事業所を再開することができた。建物が建てば集まることができる,いろんなことが始まるということを実感している。これからは事業所の質を高め,特に利用者の賃金を守っていきたい。国や自治体に一つ要望したいのは,制度の柔軟運用である。私がたまたま震災直前の時点で宮城県に住民登録がなかったことが,事業所の再開に大きなハンディになってしまった。事業所の再開に影響したことは非常に残念だった。

4. まとめにかえて

半谷 「みなし仮設住宅の有効活用」というタイトルで,国の有識者会議の方向性がまとまったという新聞記事を読んだ。これは,私が声を大にして言いたいことだった。今回の資料も,有識者会議の方向性を裏付ける大切な資料として内閣府の防災担当者に送った。ユニバーサルデザイン全国大会や福祉のまちづくり学会でも発表しようと考えたが,こうした提言を誰かが拾い上げて増幅してくれないと施策にはなかなか反映されない。今日は,私の報告をこの研究大会で発表することができ, 有意義な機会をいただいたことに感謝申し上げたい。

桜井 復興策をどういう視点で捉えていくかが大事である。ハードだけの指標で復興を計るのではなく,生活再建という視点から新たな指標づくりが問われよう。たとえばWHOの生活機能分類の視点も参考になる。いずれにしても,人間の生活に視点を当てた新たな復興関連のスケールの開発が求められる。こうしたスケールづくりを復興庁を含めて,都道府県や市町村も参加しながら作りあげていくことが大切である

元持 地域住民の支え合いの内容や個々の暮らしの質などは,なかなか数字には表れてこない。その辺りが出てくると,変化の実感や先々の生活の見通しも見えてくるのではなかろうか。CBRマトリックスは,一つのヒントになるように思う。リハビリテーションに携わる者として非常に興味がある。

鈴木 仙台市では,生活再建を進めるうえで状態像を4つのカテゴリに分けて支援していくことにした。これをベースにしながら,さらに個別の事情を勘案し課題を細分化することにしている。また,支援のスピードやメニューを豊かにするためには,関連する情報を行政だけではなく,NPOや地域団体を含めいかに全体として共有できるかが決定的な意味を持つことになる。このための新たなシステムも構築しなければならない。復興策の経験と教訓を日本中に,そして世界に向かって発信していきたい。

上遠野 所属している団体は,現在も沿岸地域の応急仮設住宅で支援活動を続けている。今日のシンポジウムを通して,被災地域での支援のあり方,被災者との関わり方について,いろいろと教えられたように思う。私個人としても,また所属団体の今後の支援活動にも生かしていきたい。また,学ぶだけではなく,機会があるごとに,被災の実態や支援にあたっての大切な視点を私なりに発信していきたい。

藤井 東日本大震災は,よく言われているように想定外の現象である。一方で,法律や制度というのは大半が想定内を前提に組み立てられている。震災の規模が想定外である以上は,超法律,超制度で対応しなければならないはずである。しかし,震災発生後の対応は至るところで柔軟性に欠け,復興策にあっても同様である。徹底して人間中心で対応すべきであり,リハビリテーションや権利条約の視点を取り入れるべきではなかろうか。
 本日の冒頭でJDF制作の「生命のことづけ」をみてもらった。被災地帯での障害のある人の「死亡率2倍」をどうとらえただろう。大規模自然災害などの極限状況は,その社会の実相を丸裸にするとされている。すなわち,平時における障害のある人への政策水準が問われているのである。本シンポジウムが,「大震災と障害」を,そして日常の障害関連政策がどうあるべきかを考える新たなきっかけになることを願ってやまない。シンポジストのみなさんにお礼を言いたい。ありがとうございました。

(文責:藤井 克徳)


主題・副題:リハビリテーション研究 第162号

掲載雑誌名:ノーマライゼーション・障害者の福祉増刊「リハビリテーション研究 第162号」

発行者・出版社:公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会

巻数・頁数:第44巻第4号(通巻162号) 48頁

発行月日:2015年3月1日

文献に関する問い合わせ:
公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
電話:03-5273-0601 FAX:03-5273-1523

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