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特集 第38回総合リハビリテーション研究大会
総合リハビリテーションの深化を求めて
―明日から一歩を踏みだそう―

特別講演Ⅲ
私の子育てと医療・福祉への期待

【講師】
野田聖子(衆議院議員)

【座長】
木村伸也(実行委員長,愛知医科大学リハビリテーション科教授)

要旨

 野田聖子氏(衆議院議員)は,郵政大臣,消費者行政推進担当大臣,宇宙開発担当大臣,自由民主党総務会長などを歴任し,現在,骨髄・さい帯血バンク議員連盟会長,発達障害の支援を考える議員連盟会長代行などを務めている。50歳で卵子提供を受けて授かったご長男の病気と障害のケアに夫と二人三脚で取り組むと同時に,代議士として国会内外で活躍し,障害のある人々の医療や福祉政策に関する著書も多い。このような氏の公私にわたる経験に,総合リハビリテーションの視点から学ぶべきものが多いと考え特別公演をお願いした。母としての我が子への眼差しと代議士としての真摯な問題意識の両面から,総合リハビリテーションに求められるものを提起していただいた。(座長:木村伸也)

はじめに

 私は,26歳に県議会議員,32歳から衆議院議員として,当選8回目を迎えています。私も重鎮と呼ばれる一人になり,若い人たちにバトンを渡す時期です。立法府の一人として,何を次世代に残していくかを真剣に考えています。
 2011年,私は母親となることができ,もうすぐ5年が経ちます。息子との出会いによって私の政策課題も大きく変わりました。県議会議員の当時,松井逸朗先生(元岐阜市議会議員,今は日本身体障害者団体連合会の会長を務めておられます)を通じて地元の身体障害者の皆さんと出会い,毎年運動会や総会に出たりして,身体障害の人たちのことがわかっているつもりでおりました。発達障害者支援法を作るときには,全国のお母さん,専門家の皆さんと出会う機会があり,発達障害についてもそれなりに自分は知見があると思っていました。ところが自分が障害児の母となった途端,障害を持っただけで子どもたちが大きな高い壁に阻まれて前に進めないというジレンマを強く感じ,改めて理解を深めました。今日は息子がいなければご縁ができなかったリハビリテーションに関する研究大会ということで,お役に立てることがあればと思いお話をいたします。

人口減少と障害児・者の増加

 日本の人口は年間20~30万ずつ減っています。第二次世界大戦で320万の人が亡くなりましたが,これから10年で同数が減っていくわけです。減るのは主に若年層であり,アンバランスな国家になることは明らかです。原因の一つは少子化です。子どもが毎年100万人生まれ,もうすぐ100万人を切るとされています。一方,障害児・者の数は年々増えています。一番はやはり医療の高度化に伴うものだと思います。救命救急センターが全国に張りめぐらされ,10年前,20年前であれば生命の維持ができなかった人たちも救われる世の中になってきました。ただ,命を救われる代償に障害を背負うことを,多くの人たちは理解していません。子どももそうです。私の息子も大変な障害を抱えて生まれてきましたが,息子が生きることができた理由はNICUの存在です。息子はNICUに1年半入院しました。そこで多かったのは低出生体重児です。800g位で生まれても医療の進歩により,無事に家に帰ることができるのですが,そこからが親の苦悩の始まりです。病院で看護師さんがやるケアを,夫婦2人,あるいはお母さんが24時間しなければならない。そういうところが報じられていない。人口減少にもかかわらず,高度な医療のおかげで障害児・者が増えている。これからの日本の政治・医療・福祉などを考える上で,ここが今までと違うところではないかと思います。

立法府の一員として私が目指すもの

 私が次の国会で必ず実現したいのが,第1に,議員立法で私自身も起案に加わり10年前にできた発達障害者支援法の改正です。10年前までは発達障害者は,しつけや行儀の悪い子,学級崩壊をさせる悪い子と位置づけられ,発達障害とは認知されていませんから,親も大変な思いで育ててきたわけです。今の発達障害者支援法は発達障害を周知徹底する法律に過ぎません。教育カリキュラムがほとんどなく,導いてくれる人が育っていないのが現状です。ですから,今度は現場で必要とされる人件費を出せる予算がつく法律を作りたいのです。
 第2に民法改正です。女性が一生懸命働くとお母さんになりたいときには,自分の体で子どもが産めなくなっている。卵子提供は倫理委員会にかかった夫婦に行えるようになってきました。ですが民法がついてきていない。卵子提供で生まれた子どもは,一応母親が実親になります。血がつながっていないのになぜ母親かというと,昭和40年頃の判例で一応実親であるということにされます。でも法律上は保障されていないのです。医療で手段があるのに,実親が法律上規定されてないのは危険なことですから,今後法整備をしていきたいと思っています。
 第3に,医療ケア児を新たに制度の対象とすることです。呼吸が弱い子は気管切開をしてカニューレを通して人工呼吸器で生きていますし,胃腸が弱い子は胃ろうとか鼻からの経管栄養をしています。だけどその子たちが障害児なのか病児なのかきちんとしていない。
 一番問題なのは教育です。うちの息子は重症心身障害児になっています。だけど走るし自己主張するし,健常児の8割ぐらい知能はありそうです。大島判定による重症心身障害と息子の実態の間には大きな違いがある気がします。そんな子どもが行く場所がない。子どもたちには教育が必須です。厚生労働省に突っ込みますと,医療ケア児,つまり気管カニューレや胃ろうで帰ってくる子どもの存在が,未だ行政にはないということです。夫に息子を預けている私としては,息子への贈り物として,医療ケア児が,当たり前の教育を受けられるインクルーシブな教育をつくるために奔走しています。そして同時にダイバーシティ,多様性,あらゆる人たちの英智がちゃんと生かされるような新しい日本をつくるために国会議員として頑張っていきたい。国民の生命・財産を守る安全保障の1丁目1番地はここにしかないことを息子から教えてもらって,人のための政治ができるように頑張っているところです。

私と夫の子育て

 では私の仕事の話はここまでにして,鉄母としての日々をお話ししたいと思います。子どもが重度の障害を持ち,家で24時間の看護,介護,育児をしなければならないとわかったときに夫と議論をしました。息子のために私がキャリアを捨てることを夫は望みませんでした。私が働ける環境を作るために夫は自営業を辞めて家にいてくれています。夫は私より7つも年下ですが,障害児とはいえ大きくなりますので担ぐのも容易ではありません。お父さんが育児に積極的に関わってくれることはとても重要です。これからは女性も男性も障害者も働ける者はみんな働く社会をつくっていかないと多様性というのは絵に描いた餅になってしまう。
 私が息子を授かったのは2011年1月6日です。アメリカ・ネバダ州の29歳の女性から卵子を提供していただきました。妊娠17週目の超音波エコーで,息子にはたくさんの障害があることが明らかになりました。ドクターにさりげなく「どうされますか? 次の検診のときまでにご主人とご相談ください」と言われました。今なら堕胎することができると伝えられたのです。私にはそういう気持ちはありませんでした。でも,夫と話し合ったら折り合いがつかないと思い,次の検診まで話題にせずにいて,検診の日に「産みます」と言った。後から「全然俺に相談してくれへん」と夫は言いましたが,夫との仲を保っていくためにも議論はしない方がいいと思っていました。振り返ると,大変な思いをしながら生きている子どもを見て,夫との絆が深まったことも事実です。
 1月20日に帝王切開の予定でしたが,私が飢餓状態になっていることが判明しました。普通は臨月で500ccの羊水が5リットルもたまり,胃をつぶされて食べても戻してしまう状態でした。そこで1月6日に帝王切開となりました。幸い子どもの体重も2,000gを超えているので,生後の手術に耐えられるという判断だったのでしょう。息子は2,452gで誕生しました。帝王切開の時,オギャーオギャーという声がまったく聞こえない。でもニャーって子猫みたいな声が聞こえました。「野田さん,生きてるよ,生きてるからね。」と,ワゴンに乗せられて息子が傍らに来ました。今から食道閉鎖症の手術をするとのことで,息子の姿を見ることができたのは5秒程度でした。2年3ヶ月間,息子は入院し,喉頭裂,食道閉鎖症,ファロー四徴症,臍帯ヘルニアの手術は成功しました。しかし1歳の頃,病室で寂しくて泣いて気管がくっついて呼吸が止まりました。食道閉鎖症に伴う気管軟化症でした。緊急手術で一命を取りとめたのですが,脳梗塞を起こして右半身に重度の麻痺を併発しました。今一番彼にとってやっかいなのは麻痺で,親にとって一番悲しいことです。

家庭・地域でのケアとリハビリテーション

 2歳3ヶ月,自宅に退院するための手術がありました。気管切開をしてカニューレを入れ,栄養をとるために胃ろうを造りました。人工呼吸器,経管栄養のチューブを伴って息子が帰ってきました。退院後,最初の2ヶ月は本当に地獄絵図でした。ちょうど2ヶ月経つときに,突然,息子の呼吸が止まりました。救急車を呼ぶ余裕なんてありません。どんどん顔色が変わっていきます。とりあえずカニューレを替えてみようということになった。夫婦で震える手でカニューレを替え,バギングと心臓マッサージをやったら奇跡的に蘇生しました。呼吸が止まった原因はこうでした。病院と違い,家では冬場に乾燥します。するとカニューレ内で痰が固まって塞がったのです。以来,冬場はカニューレを毎日替えます。私たちは日本で一番カニューレ交換の上手な夫婦になったのではないかと思います。
 この6月には,喉頭裂の粘膜を縫う手術が大手術となりICUで麻酔による鎮静が2週間続き,7月に家に戻ってきました。1ヶ月以上寝かされていたので歩くことができなくなり,また一から出直しかという不安がありました。でも,体力が戻ると彼なりに歩けるようになり,うれしく思っています。
 今は,週に1回・1時間,リハの先生が来て,いろんなことを教えてくれます。縁があって健常児が行く保育園に9月から入ることができましたが,家では自分でトイレに行かないのに保育園では保母さんに連れられて自分でおしっこやウンコをします。他の人の前では格好つける特質を利用して,他の人に関わってもらうことがいいのかなと思っています。保育園では,仲間たちにぶたれること,押し飛ばされること,そういう危険を学ぶことも含めて子どもとしてのリハをしていると思っています。
 家ではわがままで,リハの先生に聞いたマッサージを親がやっても受け入れてくれません。ただ,親のまねはします。夫と私が晩酌で乾杯する時は息子もコップを持って乾杯します。親のまねで覚えていけばいいと思っています。また息子は人に笑ってもらうことがうれしい。そこでいろんな芸をします。一番初めに教えたのは,古い落語家の「どうもすいません」,最近ではこれも古いんですが「コマネチ」っていう,ビートたけしのギャグをやります。「握手」というと麻痺がある右手を出してくれるようになりました。握手でみんな右手を出すので,彼も右手を出すのが握手だと思うようになってきました。

我が子の成長ぶり

 今日は息子を初めて動画でお見せします。まず息子が歩けなかった2014年の4月です。山登りの子ども用のハーネスを装着して,パパが後ろからマリオネットのように引っ張って立たせて足の裏の感触を教えたいということでやりました。これは私の思いつきです。家で時間があるたびにやってみました。その当時は,尻歩き(註:いざり這い)というのですか,こればかりやっていました。お尻の皮がすれるんじゃないかというくらいお尻で歩くわけです。そして7月,ついに歩きました。このときは本当に一生忘れることができません。我が家にとっての歴史上最大の思い出です。
 さて今年,1ヶ月の入院で歩けなくなった息子ですが,また再びどうにか歩けるようになった近影です。大好きなサザンオールスターズの曲を聞いています。メガホンを振りながら,野球場の応援のおじさんみたいですけど。そしてママが呼んでもあっちへバイバーイと行ってしまいます。

母としての悩み

 今の悩みは子どもの可能性がわからないことです。脳卒中の本を買いあさりましたけど,子どもの脳卒中の本はないわけで,物を持つことを経験していない子どもに右手を動かすことをどう教育したらいいのか,右半身の麻痺もどこまでよくなるのかわからないわけです。右手が使えない前提で育てていくのか,少しは使えるかもしれないという前提で育てていくのかがわからないのです。それから気管カニューレのために声が出せないのですが,気管軟化症が治ればカニューレはとることになっている。それがいつなのか,治るかどうかもわからない。コミュニケーションがとりづらくてストレスがたまっている息子がすぐヒステリーを起こす。手で一生懸命やるけど親には全然わからない。そうすると息子からビンタがくるわけです。かわいそうで仕方がないので,現在はコミュニケーションのために手話やサインを試しています。可能性がどこまでか,そして可能性をどうやって引っ張りだすのかを,教えていただけるとありがたいなと思っています。

「成長戦略」としてのリハビリテーション

 リハのおかげで,息子もここまで人間らしく成長することができました。息子と出会うまでは,リハは福祉の一環というイメージが強かったです。でも今,リハは医療だと実感しています。何のためにあるかというと,命を救うのがこれまでの医療だとすれば,これからは命を支えるのが医療なんじゃないかなと思っています。リハを通じて人として尊厳を取り戻す。そして社会人としての義務を果たす。そういう道筋をつけるものとして取り組んでいただければありがたいと思っています。
 私たちの闘いはまだまだ続くわけで,こういうふうに生まれた子どもたちでも,親亡き後,堂々と生きられる日本を残してあげたいなというのが私の思いです。息子と出会えたことで私は政治家としても幅が広がったし,誰も手を挙げない総裁選もこの子をはじめとするみんなを,子どもたちを守りたいという熱い思いがあればこそ前に進むことができたと思っています。
 どうかみなさま,お体に気をつけて,すばらしい仕事という自負を持ってこれからもご活躍をいただきたいということを,障害児を持つ母の一人として,心を込めて申し上げ,話を閉じさせていただきます。

(文責:原 和子)


主題・副題:リハビリテーション研究 第166号

掲載雑誌名:ノーマライゼーション・障害者の福祉増刊「リハビリテーション研究 第166号」

発行者・出版社:公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会

巻数・頁数:第45巻第4号(通巻166号) 48頁

発行月日:2016年3月1日

文献に関する問い合わせ:
公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
電話:03-5273-0601 FAX:03-5273-1523