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「共生のまち」ガイド

第2章 共生のマナー

1 障害者への理解

(1)普通の市民として

第1章に、「まちづくり」の前提となるバリアとは何かについて、障害者の立場からの意見が寄せられていますが、そこには、心身機能の障害をはじめ、物的環境上の諸問題に対する制度的改善に関する諸事項のほか、ほとんどの人が無理解や認識不足といった意識面のバリアをあげておられます。このことからみても、いかに多くの障害者が社会一般の無理解や認識不足等に基づく人間関係に悩んでおられるかを知ることができます。
 無理解や認識不足が、偏見や差別となって障害者に屈辱的体験を与えている状況のあることは、想像に難しくありません。
 “人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義および平和の基礎である”ことを掲げた「世界人権宣言」(1948年)の系譜にある「障害者の権利宣言」(1975年)は、障害者の人間としての尊厳が尊重されるべきことを明記しています。我が国の「障害者基本法」もまた、第3条に“すべて障害者は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有するものとする”ことを規定しています。これらに表明されている“尊厳”が6“屈辱”の対置語であることはいうまでもありません。人類は、屈辱的状況の改善を図るため、人間の尊厳や権利等の理念を掲げ、互いに同胞の精神をもって行動すべく英知を集めてきたはずでありますが、現在の我が国においても、障害者の生活条件には未解決の問題が少なくないことを、前記の障害者側の意見は提示しています。
 近年、リハビリテーションやノーマライゼーション等の新たな福祉理念とともに、障害者に対する理解が進み、諸施策は着実に拡充改善されつつあることも事実です。さりとて社会一般の障害者に対する認識は、ともすると弱者として、または非生産的なものとして、あるいは哀れみの対象としてみがちになることを否定できないでしょう。しかし、このような障害者観は、人間としての尊厳や権利の回復をめざすリハビリテーションや、可能な限り普通の生活条件を保障しようとするノーマライゼーションの理念に反するものです。リハビリテーションの根底にあるものは、障害者も一人の人間として人格の尊厳をもつ存在であり、その自立は社会全体の発展に寄与するという立場です。また、ノーマライゼーションの思想からは、障害者等のハンディキャップを負う人々が地域で普通に生活できる社会こそが正常な社会であるという考え方と方法が導き出されているのです。
 このような障害者観の変革や障害者施策の進展を促す契機となったものとして、国際障害者年を軸とする国際的動向と社会福祉施策の再編成をめぐる国内的状況があげられます。
 「障害者の権利宣言」の趣旨を受け継いだ国際障害者年(1981年)に当たり、国際連合が示した「国際障害者年行動計画」には、次に掲げるような障害者福祉の基本理念とされるべき事柄が列記されています。
・障害という問題は、ある個人とその環境との関係としてとらえることがより建設的な解決方法であり、多くの場合、障害者の日常生活は社会環境の在り方によって決定されるものであること。
・社会は身体的、精神的機能の備わった者の要求を満たすことを概して行っているが、すべての人々のニーズに適切に最善に対応するためには、今なお学はなければならないこと。
・障害者などを閉め出す社会は弱くもろい社会であり、障害者はその社会の他の者と異なったニーズをもつ集団として考えられるべきでなく、通常のニーズを満たすのに特別の困難をもつ普通の市民と考えられるべきこと。
・障害者のための条件を改善する行動は、社会のすべての一般的な政策および計画の不可欠な部分を形成すべきであること。
・社会は、物理的環境や保健・教育・労働の機会その他文化的・社会的生活全体が障害者にとって利用しやすいよう整える義務を負っており、これは障害者のみならず社会全体にとっても利益となること。
 以上の事柄は、まさしくノーマライゼーションの思想から、普通の市民としての障害者の存在を鮮明にしたものといえましょう。
 リハビリテーションについては、「障害者の権利宣言」においても障害者の基本的権利の一つとされていますが、語源的に“能力の回復”を意味するリハビリテーションが人権思想と強く結びつくようになったのは、弱者保護的な障害者観への反省とあいまって、能力回復のための諸技術が人権尊重の期待に応えるべく進歩したことによると考えられます。これは、リハビリテーションにおける理念と技術の出合いともいわれ、人間尊重の理念に支えられた技術や方法によって、障害者の自立と社会参加をめざす実践が可能となるのです。
 国際障害者年以後、「国連・障害者の十年」(1983~1992年)の決議に併せ採択された「障害者に関する世界行動計画」でも、リハビリテーションおよびノーマライゼーションは、障害者観および障害者施策の在り方に関する二大テーマとして基底をなしていますが、これら国際的潮流の影響下に、我が国では、政府の「障害者対策に関する新長期計画」の策定および「障害者基本法」の改正施行(いずれも1993年)、その他の関係法改正をみました。
 我が国における障害者施策への対応については、高齢化社会に向けての制度改革を主題とする社会福祉施策の再編成とも軌を一にします。そのことは、今後の障害者施策の方向として、「皆が参加する『ぬくもりのある福祉社会』の創造」を厚生省が提案していることに、如実に表れています。

(2)福祉の原点として

平成4年版厚生白書は、「国連・障害者の十年」の終了に当たり、この10年間の障害者施策の進展を、障害者を取り巻く環境の変化という視点から振り返り、今後の障害者施策の方向として、障害者の参加、国民の参加及びまちづくり、という三つの視点に立った「皆が参加する『ぬくもりのある福祉社会』の創造」を提案しました。それは、何よりもまず障害者が社会の一員としていきいきと暮らしていける社会であり(「障害者の参加」の視点)、また、お互いにふれあい共感しともに活動する社会であり(「国民参加の視点」)、さらに、一人一人の障害者にとって住みやすい社会、ひいては、障害者のみならず、その地域で暮らす、すべての人々にとって住みやすい社会である(「まちづくり」の視点)として、政府、地方公共団体が力をあわせ、そして国民の幅広い共感と参加、障害者本人の力強い参加の中で、障害者が生活しやすい社会創りを目指していきたい、としています。
 このことは、「国連・障害者の十年」の進行過程で、国連が「万人のための社会に向けて-啓発から行動へ」をテーマとする長期戦略をとりあげたことにも支持される発想ですが、国民参加による万人のための社会の創造は、高齢化社会の進展に伴う諸問題に対処しつつ構築すべき将来の福祉社会へ向けての我が国の新たなテーマでもあるのです。
 周知のとおり、国際障害者年は「完全参加と平等」をテーマとする一大啓発事業でした。「完全参加と平等」の趣旨は、障害者がそれぞれの住む社会において社会生活と社会発展に“完全に参加する”とともに、生活条件が他の市民と対等であり、社会的経済的発展の成果としての生活向上に等しくあずかるという意味での“平等”という目標の実現を推進することにあります。
 このことは、国際障害者年後の「国連・障害者の十年」に際しても、「障害者に関する世界行動計画」の目的とされ、その期限が終了した後も同計画の趣旨が継続されることを1992年の国連総会は決議しています。その過程で「万人のための社会に向けて-啓発から行動へ」の趣旨が加えられたことは前記のとおりですが、国連が「完全参加と平等」の趣旨の継続を改めて決議したことの意義を私たちは考え直しておく必要があると思います。
 社会には障害者が多数存在し、その数は増加しつづけています。国民の生活水準は全体に向上し、さまざまな施策が拡充されるとともに障害者の生活条件は改善されつつあることも否定できませんが、その社会参加を阻む障壁はいまだに少なくありません。障害者の自立と社会参加を可能とするためには、まず障害者個人の能力開発が必要です。それを実現するには、各個人に適した能力開発の機会が用意されなくてはなりません。同時に、各個人をその能力に応じて受け入れることのできるような社会環境を調整することが必要です。環境調整に当たっては、物理的障壁だけでなく偏見や差別意識を打破しなければ、障害者の社会的統合を達成することはできません。さらに、障害者各個人がその個別性に応じ、人間としての尊厳と権利を守られるような生活の手段が平等に保障されなくてはなりません。
 これらの諸条件を満たされることが「完全参加と平等」の意味する内容であるといえましょう。このような「完全参加と平等」を実現するための要件として、自立と社会参加への生活態度を決定していくのは障害者個人の権利であると同時に義務でもあること、また、障害者とその他すべての人間的平等の関係こそともに生きる社会の基礎であることを認識しなければなりません。
 このように理解するとき、「完全参加と平等」は、諸問題解決のための目標であると同時に出発点であることに気づかされますが、その方向が障害者に限らずすべての人にとっての諸状況の改善であるべきことを、「万人のための社会に向けて」の考え方が改めて強調したといえます。
 このことは、障害者の生活条件の改善という枠を超えた人権思想に通うものであることは明らかですが、前項に紹介した“物理的環境や保健・教育・労働の機会その他文化的・社会的生活全体を障害者にとって利用しやすいよう整えることは、障害者のみならず社会全体にとっても利益となる”という提言の真実性に疑いを入れることはできません。このこと自体、障害者の生活条件を改善することが広い意味での福祉の原点であることを示唆していますが、社会福祉の諸活動においても、障害者の諸問題は一つの原点をなしています。
 諸施策の進展とともに、社会福祉は特別の保護を必要とする人のみならず、国民一般を視野に入れた各分野の事業によって構成されるものとなっています。その中にあって障害者の諸問題は、社会福祉の各分野における課題を幅広く包み込んでいます。
 障害者福祉は、その理念や方法において、児童福祉における育成・愛護や、リハビリテーションを基調とする障害者の自立と社会経済活動への参加促進を共有します。また、ノーマライゼーションの原理は北欧で精神薄弱者の処遇方法に端を発し進展したものです。急速な高齢化が進行している我が国の昨今、65歳以上の高齢者人口は総人口の約14%ですが、障害者の場合は高齢者人口が既に約半数に達しています。心身の障害に起因する生活保護受給率は一般水準の約4倍であり、さらに、偏見に基づく社会生活上の差別問題が深刻な問題をもたらすことも少なくありません。
 このように社会福祉各分野のテーマを多く併せもつ障害者とその生活上の諸問題には、福祉の原点というべき特質があります。このことからも、今後の障害者施策の方向として「皆が参加する『ぬくもりのある福祉社会』の創造」の提案は、極めて意義深いものといえます。

(3)障害とは

前項までに、障害者をどのように理解するかについて、近年の福祉理念の動向等から観点のいくつかをあげましたが、援助の在り方を考える前提として、改めて障害とは何かについて認識を深めておきたいと思います。
 障害者はさまざまな社会的障壁のため不利をこうむることが多いのですが、このことは、障害者を一人の人問として認識する前にその“障害”のみを意識しがちであることから偏見や差別を生み出し、また、その“障害”を個人レベルの問題としがちであることから社会的責任が不明確になりやすいことによってもたらされるものです。
 私たちが明確に認識しなければならないことは、障害者がなによりもまず社会の中に存在する一人の市民であって、その属性として心身の機能に障害を負うものであるにすぎず、心身の機能障害が人間の尊厳をおとしめるものではないということです。心身の機能障害がこれらの人々の生活に及ぼす影響の度合いは社会環境に左右される要素が多いのです。つまり、“障害”という問題は、個人の属性として負う心身の機能障害のみならず、個人と社会環境との関係によってもたらされるものなのです。
 その状況は、社会一般の人の生活条件においても同様です。心身の機能に障害がないと思っている人であっても、地域社会で得られるべき生活条件、例えば家庭生活をはじめ住宅や就業の場、保健や教育や所得保障、公共施設の利用や社会参加の機会等を否定される状況があれば、たちまち彼は日常生活の上で不利をこうむる“障害者”となるのです。
 このことは、市民一般が社会の構成員として市民権を有し、諸権利を受益しつつ社会活動において主体的に役割を果たしているのと同様、当然に重度障害者も市民として社会の構成員であり、同等に市民権が保障され社会活動の主体となりうることを示しています。
 心身の機能障害という言葉によって表される概念は、一般的には個人の生理・解剖学的レベルの諸要素を意味して理解されるのが通例です。生理・解剖学的レベルの機能障害は多岐にわたっており、その多様性と個別性を理解することも大切ですが、その限りの理解にとどまれば狭義のものにすぎないことは前記したとおりです。そのことを敷衍して、重度障害ということについて考えてみます。
 重度障害という言葉は慣用的に使われていますが、その概念は必ずしも明確ではありません。重度障害者といえば、それは通常、介護を必要とする人として想定されます。ところで介護とは、日常生活上の基本的動作を一人で行うことの困難な障害者に対し、その低下した機能を補うため日常生活上の世話をすることですが、その前提として、住環境、保健医療、経済的保障等の基礎的条件の整備が必要です。介護を要する人はまさしく重度障害者ですが、その重度障害とは、物的・人的・制度的な支援態勢の不備によってもたらされる社会的状況であるともいえましょう。
 障害者の障害について、“個人の特質である機能障害と、それによって引き起こされる能力低下と、そしてそれをもつことによって生じる社会的不利の間には区別のあることについて認識を促進すべきである”として、障害なるものを三つの側面から理解すべきことを明確に示したのは、「国際障害者年行動計画」でした。これに関連してWHO(国際保健機関)は「国際障害分類試案」(1980年)で、障害の三つの側面を概ね次のように説明しています。

  • 機能障害とは、心理的、生理的または解剖学的な構造、または機能のなんらかの喪失または異常である(これには視覚、聴覚、音声言語、肢体、内臓等の機能障害、精神の機能障害、情緒・感情の障害のほか奇形等の形態異常も含むこととされている)。
  • 機能低下とは、ある活動を、人間にとって正常と考えられる方法や範囲において行う能力に、機能障害の結果おこったなんらかの制限または欠如である(これには、見る・聞く・話す等のコミュニケーションの能力、食事・移動・更衣等の動作の能力、思考・行動・交際等の能力の低下がある)。
  • 社会的不利とは、機能障害や能力低下の結果としてその個人に生じた不利益であって、その個人にとって、年齢・性別・社会文化的因子からみて、正常な役割を果たすことを制限あるいは妨げるものである(これには、教育・就業・結婚の機会の制約のほか、文化活動、余暇活動、その他社会参加に際しての機会の制約による社会生活上の不利益が含まれる)。

 このように障害を三つの側面からとらえることの意味は、それぞれの段階における問題の所在を專門技術の立場からまた施策実施の立場から明らかにし、適切な対応に資することができるようにすることにあります。
 以上のような、障害の三つの側面からの階層的理解は客観的事実としての障害に対する見方ですが、障害の心理的影響というもう一つの側面を無視できません。このことを、患者・障害者本人の主観の世界である“体験としての障害”としてとらえ、心理的サポート等の必要性を強調する指摘があります(上田、1983年)。これは、共生について考えるための重要な観点です。心理的反応を伴わない身体障害はなく、また、身体的影響を及ぼさない精神障害もないといわれますが、障害者の理解に心理的見地を欠くことはできません。
 体験としての障害も、その実態は極めて多様です。その多様でかつ個別性に満ちた体験をもたらす要因には、障害者本人の機能障害の種類、先天性・後天性等の受障の時期、障害の程度等が関与しますが、障害の体験は本人のみにとどまらず家族にも及ぼされます。障害の受容と克服は、障害者本人、家族のみならず、社会全体の課題でもあるのです。

(4)共生と支え合い

この本のテーマは「共生」ですが、共生:ともに生きる、とはどんなことなのか。障害者への理解を深めるためにも、この言葉の意味するところを考えておく必要があります。近ごろ比較的容易に使われているこの言葉も、そう簡単に説明できるものではありません。それを承知の上で話を進めるのですが、共生について考える重要な手がかりは、前項で触れた「障害の受容」にあります。
 一般的に身体障害者は、受障した後、その障害を克服すべくさまざまな治療や訓練等によって能力を回復する手段をとることになります。その過程では、身体上の問題だけでなく、心理的な立ち直りが必要となります。リハビリテーションの分野では、これを「障害の受容」として、それには段階のあることを心理学的に説明します。
 障害の発生という衝撃のため茫然自失の状態にある「ショック期」、心理的な防衛反応から障害を否定しようとする「否認期」、障害の現実を否認しきれなくなって起きる「混乱期」、依存から脱却し価値の転換をめざす「解決への努力期」、新しい価値を見いだし障害を自らの個性の一部として受け入れる「受容期」、の諸段階です。
 これは人生の途中において受障した人に典型的に現れる受容の過程ですが、障害者本人のみならずその家族にも受容への進みが必要となります。とりわけ生まれながらの障害児をもった両親の場合などがそうです。
 このように障害を自らのものとして受け入れていく生活のありようは、障害とともに生きることにほかなりません。障害とともに自覚的に生きる姿こそ自立でありますが、そのような自立は、障害者本人や家族の力のみならず、社会全体の支えがなくてはありえないことです。社会全体が障害者を支えていくことは社会全体が障害とともに生きることであり、社会における「障害の受容」であります。その意味で、「障害の受容」は「共生」の原形であるといえましょう。
 このことに関し作家の大江健三郎氏は、障害の受容は障害者とその家族だけの問題であるだけでなく、文学のテーマでもあり人間共通の課題であるとして、障害者と共生しそれを支える寛容で信頼にたる人間像への期待を述べられたことがあります(「第16回リハビリテーション世界会議」1988年)。
 このように共生は社会全体の課題となるのですが、共生の主体者はそれぞれが“自立へのこころざしをもつ人であり、また、障害者にとっての「自立」は、「自活」のイメージに代表される「目標」(ゴール)ではなく、人びとの(本人と家族と周囲の人びとの)絶え間ない努力の「方向」(オリエンテーション)と考えるべきだ”として、障害者の自立が共生の支え合いによって成り立つものであることを示唆されます(正村、1992年)。
 「自立」については、自立生活(independentliving)運動におけるindependence(自主独立)のメージが強かったのですが、近年、アメリカでもinterdependence(相互依存)の必要性が強調されているようです。
 もとより社会は相互依存の構造であり、そこでは共生の支え合いは必然のはずです。我が国では昔から「縁」という言葉によって、その関係を大切にしてきたと思います。最近の社会状況は、そのような関係が各面で稀薄になっていることが嘆かれるわけですが、そのようないま、我が国の、そして人類の将来を見据えた共生の在り方に英知を集めるのは、社会を構成する皆の義務であるのです。
 しかし私たちには、ともすると気持ちが安易に流れ、社会連帯とか共生という言葉にたじろいだり、理屈では分かったつもりでも実行が伴わなかったりする弱さがあります。それゆえに、福祉の理念や方法を謙虚に学び、時に自らを鼓舞することが必要なのです。
 平成5年4月、「国民の社会福祉に関する活動への参加の促進を図るための措置に関する基本的な指針」(厚生省告示)が出されました。その中の「皆が支え合う福祉コミュニティづくり」という項目に、“福祉マインドに基づくコミュニティづくりを目指す”とあります。この基本指針を受けて同年7月に出された「ボランティア活動の中長期的な振興方策について」(中央社会福祉審議会からの意見具申)では、「福祉社会の基礎-福祉コミュニティの形成」の項目に、“そもそも福祉コミュニティは、福祉という共通の価値観を共有し、ともに生きるという思想に立って、ともに理解し共感し、地域においてさまざまな形で福祉を支え合うものである”と書かれています。
 これらの文書で見る限り、“福祉マインド”とは、ともに生きるという思想に立って、ともに理解し共感し、福祉を支え合うこころ、を意味していると解されます。つまり、ともに生きる、理解と共感、支え合い、には福祉マインドが通底しているのです。
 “「福祉のこころ」とは「(他者に)尽すこころ」のことであり、「報恩のこころ」のことである”(伊藤、1993年)、と記す筆者は、重いハンディキャップを負っている人たちのあるがままに生きている姿に「生きる意味」を学ぶことの多かったこと、「それ」をいま最も必要としている人に喜んで提供するとき、両者はともにしあわせを実感するのであること、そのような人と人との関係はgive and giveであること、を述べられます。これは“この子らを世の光に”(糸賀、1968年)以来の共感的な支え合いの考え方を一段と深められたものと思います。
 このような受け取り方は、支え合いの背後にある「人智をこえた大きな支え」を感じさせるものですが、そのような根源的生命を自覚する立場から、“私と私の出逢う一切と一つになって、ともに生きるとき、私も育ち、一切も育ちます”(内山、1985年)とする生き方は、他者は私の分身であるという自覚の支え合いであり、ここでは、ともに生きることはともに育つことである、とされるのです。
 ここまで徹底すれば、もはや「障害」とか「非障害」の区別はなくなるのであり、「障害の受容」の根底にある“障害を個性の一部として受け入れる”ことの帰結はそこに至るのであろうと思われます。
 精神障害者のリハビリテーションに関しても、“精神障害の疾病の部分をCURE(治療)し、またその障害の部分をCARE(介護)するという考え方にとどまらず、地域の人々によってSHARE(共有)されなければならない”(吉川、1988年)と述べられますが、ここに出てくるSHARE(共有)は分かち合いのことでもあります。CUREもCAREも分かち合いとしての支えとして行われるべきものでありましょう。
 生命へのいつくしみを共感するとき、支え合いは分かち合いであり、与え合いでもあることを、これらの諸説によって教えられます。


2 支援の在り方

(1)支えの内容、方法、課題

前節では、障害者への理解ということについて、新たな福祉理念や福祉のこころ、ともに生きる支え合いに関する諸説を参考にしながら考えてみたのですが、これらが単なるテーマやスローガンに終わってしまっては、真の理解につながりません。障害者は、理解の上に立った支えの実質を望んでいるのです。第1章に紹介された意見をみても、身近なところでの介助から制度改善の要望まで、具体的な事柄が多岐にわたって提起されています。
 これら障害者にとってのバリアを改善していくことは、その「生活の質」を高めることにほかなりません。「生活の質」(QOL:Quality of Life)の含意は「生命の質」「人生の質」でもあるとされます。
 QOLのとらえ方にも諸説あるようですが、概ね次のように集約できそうです。
 QOLを決定する要素は、心身の機能(健康)、物質的生活(所得、住宅、社会環境、自然環境等)、非物質的生活(仕事、家庭、自己啓発、人間関係等)、それらを創造し維持するための社会システムであって、それらの要素が質的にまたは量的にバランスよく保たれるとき、人は充実した人生を実感できます。
 このようなQOLは、障害者を含むすべての人に共通の願いでありますが、障害者の場合、心身の機能の点で非障害者(すべての人にQOLの阻害要因が潜在しているという意味ではこの言葉も問題点を含みますが)に比較してその条件をそこなわれやすいといえます。しかし、心身の障害はQOLの阻害要因の一つではあってもすべてではなく、むしろ物的、非物的環境の諸要素の方がQOLの決定因子としてはより重要な意味と広がりをもっていることは、前節でみたとおりです。
 こうしてみると、QOLの向上は共生社会における支え合いの内容であると同時に、課題でもあるのです。
 いま我が国では、ともに生きる福祉社会の条件づくりのため、各方面で真剣な取り組みが行われつつありますが、それはまだ緒についたばかりといった方がよいかもしれません。
 国の行政施策も、諸制度再編成のときにあって、参加型福祉社会をめざす方策が次々に打出されています。福祉関係の専門職集団の中でも、各種の在り方論が盛んです。障害者関係団体など当事者からの発言も少なくありません。欧米先進国への視察や研修はいまも数多くなされています。
 欧米先進国にはいまも学ぶべきことはありますが、積木細工のようなつぎたしでは福祉社会の基盤は強固なものになりません。学ぶべきことは学びつつも、自前の方法で解決する必要があります。QOLの内容水準は当然に社会の進展とともに進化するのですから、その目標は壮大です。したがって、その目標実現のための過程が大切でありますので、福祉社会の条件整備のための方法やシステムづくりが当面の大きな課題なのです。
 平成6年3月の、高齢社会福祉ビジョン懇談会の提言になる「21世紀福祉ビジョン」は、今後我が国が福祉社会に向けての政策を選択すべく迫るものです。障害者施策に関しては、平成5年改正施行された「障害者基本法」並びに「障害者対策に関する新長期計画」によって一定の方向が示されていますが、肉付けをしていくのはこれからです。
 これら行政動向に関連して、研究者や当事者グループからの積極的な提案も相次いでなされています。例えば、「ささえあい」の原理・人間学・社会システムのために21世紀の社会と福祉の在り方をめぐる生命倫理の研究者グループの問題提起(森岡他、1994年)や、自立生活運動の実践を通した政策提案である「ニード中心の社会政策-自立生活センターが提唱する福祉の構造改革」(ヒューマンケア協会、1994年)などがそれです。今後の社会システムづくりのため、皆が参加するときなのです。

(2)行政は

「皆が参加する『ぬくもりめある福祉社会』の創造」を提案するに当たって、厚生省は、政府・地方公共団体が力を合わせ、そして国民の幅広い共感と参加、障害者本人の力強い参加のなかで、障害者が生活しやすい社会づくりを目指していきたい、としています。
 そこには、今後における福祉社会のシステムづくりの責任主体は行政側であることが表明されているのですが、併せて国民の幅広い参加が期待されているのです。
 現実に、「障害者基本法」の制定ならびに改正が国会議員側の提案による立法であったように、施策推進の主体は国民の側であることも少なくないのです。これからの社会システムづくりには、障害者を含む国民一般を推進主体とする行政の在り方が問われるごとになることは必至です。
 ところで、支え合いの社会システムづくりのために行政がもつべき視点と方策として、少なくとも次の7事項があげられましょう。
①施策推進の基本となる指針の策定
②指針に基づく具体的計画の策定
③具体的計画を実施していく財源の確保
④具体的計画を実施していく機構の整備
⑤具体的計画を実施していく人材の養成
⑥新たなシステムづくりのための啓発
⑦福祉施策に関連する諸施策との連携
 国の障害者施策に関しては、①の基本指針として「障害者基本法」が位置づけられます。
児童福祉法や身体障害者福祉法、精神薄弱者福祉法といった法律は、①と②の双方の性格を併せもっていますが、障害者基本法の改正施行によって政府は「障害者基本計画」の策定を義務づけられることとなり、「障害者対策に関する新長期計画」はそれに当たるものとして位置づけられました。この新長期計画は、「啓発広報」「教育・育成」「雇用・就業」「保健・医療」「社会福祉」「生活環境」「スポーツ・レクリエーション及び文化」「国際協力」の八つの分野別施策の基本的方向と具体的方策を定めています。この新長期計画と各省所管の実体的法律、それに基づく各種実施要綱等が、②の具体的計画を構成していきます。
 ③財政、④機構、⑤人材は、いずれも具体的計画を実施していくための基盤となる要素ですが、とりわけ財政の問題は、福祉社会に向けての政策の選択を左右する政治的な課題ともいえるキーポイントでもあります。また、⑥啓発広報や⑦周辺施策との連携は、福祉社会へのシステムづくりをいびつなものとしないためにも重要な視点であり、方策です。
 地方行政の場合は、以上のような国の行政課題に連動するとともに、地域住民の生活の身近かな窓口となるため、さらに細かな配慮が必要となります。
 前記の①に関しては、障害者基本法や関連法律等が基本指針となりますが、地方公共団体は長期総合計画を策定しそれを基本指針としつつ実施計画を策定するところも多く、地方行政としてはそれも当然の在り方です。
 ②の具体的計画に関しては、障害者基本法で、「都道府県障害者計画」および「市町村障害者計画」の策定に努めるべきことが規定されており、当面、これら障害者計画の策定の成否が今後の地方行政の在り方に大きな影響を及ぼすものと思われます。障害者計画の策定に際しては、当然に障害者施策推進協議会による協議や連絡調整が必要となりますが、このことをはじめ、例えばもっと具体的な地域保健福祉計画等の策定に際しても、施策推進のための一方の主体となる当事者や学識経験者等の参加を得て意見や要望を十分に聴くことが必須の条件となります。
 また、③財政、④機構、⑤人材、⑥啓発、⑦周辺施策との連携、といった事項についても、国と同様の課題をもつだけに、福祉社会を構成する各地方公共団体が国と力を合わせ、ともに学び合うことは行政の務めであります。

(3)専門家は

前項で、支え合いの社会システムづくりのために行政がもつべき視点と方策の一つとして、人材養成をあげました。これはもう一つの要素である機構(官民を問わず、障害者施策に関するすべての施設・機関・組織の総称としての)で働く人材であり、さらには、ボランティアにまで及びます。
 QOLに関する事柄を支えるのは人ですから、福祉の基本は人であるともいえます。
 とごろで、支えを次の四種のカテゴリーに分類してみると、その要素がはっきりします。
①ものや環境を与えることによる支え(衣、食、住、金銭、設備、制度等の提供)
②技術や機能を与えることによる支え(治療、看護、介護、介助、訓練等の提供)
③情報や心の糧を与えることによる支え(教育、相談助言、知識、娯楽等の提供)
④存在を与えることによる支え(一緒にいる、常に存在を意識できるなど)
 これら四種のカテゴリーに関与する人には、専門家とそうでない人があり、また、いずれの支えにもかかわる場合があります。
 それぞれのカテゴリーにおいて、ニーズに即した対応のできる態勢が必要となりますが、ここでは③のカテゴリーに属するソーシャルワーカーのことを中心に考えてみたいと思います。その理由は、四種の支えのいずれにもかかわり、かつ、それぞれのカテゴリーに属する専門家等と連携し、あるいは物事を調整しつつ支えの必要な人に情報等を提供していくのがソーシャルワーカーの仕事だからです。その意味で、ソーシャルワーカーは、施設においても地域においても、今後ますます重要な役割を担う職種です。
 特に障害者の自立と参加に資するリハビリテーションの領域では、リハビリテーション・ソーシャルワーカーと称してその専門性を期待するとともに、その養成・研修等による質的かつ量的な確保が課題となっています。
 本来ソーシャルワーク(社会福祉援助活動)は、ケースワーク(個別援助技術)、グループワーク(集団援助技術)、コミュニティワーク(地域援助技術)を主体に、関連して、ガウンセリング、ケースマネージメント、ソーシャルアクション(社会啓発)、アドボカシー(権利擁護)の技法や活動を併せ行いますが、リハビリテーション・ソーシャルワークにおいては、福祉専門職一般の職務をこえる専門知識や技能が必要となります。それは支えの必要な人の心身機能の障害特性に適切な対応を要するためです(手話や点字など)。
 なお、1993年12月、国連は「障害者に関する世界行動計画」の趣旨をうけつぐ「障害者の機会均等化に関する規格基準」を決議しましたが、その中で、機会均等化の前提として、社会啓発やリハビリテーション等をあげています。また、最近アメリカで「エンパワメント」という言葉が新たな意義づけをもって登場し、それは“障害者に限らずすべての人の潜在的能力と可能性を引き出し、質の高い豊かな人生をおくることのできるようにその個人を力づけるという観点から、あらゆる社会資源を再検討し条件整備していこうとするダイナミックな考え方である”とされます。
 近年強調されるエコロジカル・アプローチ(環境との関係を重視する生態学的方法)を含め、これらはいずれも、ソーシャルワークが目指してきた方法に、障害者の自立と参加と平等を推進する観点から、新たな理念や方法が加味されたものといえます。つまり、リハビリテーション分野におけるソーシャルワークの新たな展開であり、これを担うリハビリテーション・ソーシャルワーカーに期待が寄せられるゆえんです。
 いま我が国では、いわゆる「福祉人材確保基本指針」(厚生省告示)や「社会福祉士及び介護福祉士法」により、ソーシャルワーカーやヘルパーの養成確保、専門職の資格化が進められていますが、これら専門職には特に専門的知識技能に併せ、福祉理念と職業倫理をもつ寛容で信頼できる人間像が望まれるのです。

(4)国民は

我が国は先進国をしのぐ経済発展により物質的には豊かになりましたが、その過程で、人と人とのふれあいなど大切なものを失ってきたといわれます。経済発展が社会に活力と繁栄をもたらすものであることは否定できませんが、多くの人がいま、物質的な生活だけで満たされるものでないことに気付きはじめています。心豊かな生活こそ福祉社会の基盤であることを忘れてはならないのです。
 「皆が参加する『ぬくもりのある福祉社会』の創造」の提案の中で、「国民の参加」の視点とは、お互いにふれあい共感し、ともに活動する社会とすることである、と述べられていますが、このことは単に障害者施策の方向としてでなく、人と人とのふれあいによって、皆が心豊かな生活を実現していこうとすることに意味があるのだと思います。
 「障害者の参加」の視点は障害者が社会の一員としていきいきと暮らしていける社会とすることであり、そのためには、障害者自身が主体性、自立性をもって積極的に参加していくよう努力することが必要であるとされています。このことは、第1章で障害者の側からも自己啓発の必要性に言及された意見のあることからも、また、支え合いの基本が自己と他者(それぞれの自己)との対等な関係における自己決定を支えるものであることからも、大切なことです。
 さて、国民の皆が人と人とのふれあいを再発見していく豊かな交流は、ボランティア活動に身いだされます。障害者への理解は、観念としてではなく、実際のボランティア活動を通して深まったという例も少なくありません。
 ボランティアの数は近年着実に増え続けており、市区町村社会福祉協議会に登録または把握されている数だけでも400万人を超えています。活動の内容や方法は、個人的なものからグループによるものなど多様です。初心の人は、まず地域のボランティアセンターを訪ねることが活動の第一歩です。
 ボランティア活動については、自主性、連帯性、無償性などさまざまにいわれ、定義づけの難しい面もありますが、ボランティア活動を行う人とサービスを受ける人の双方にとって、お互いにふれあい、共感し、共に生きるという意義をもつことに、その本質があるといえそうです。
 ボランティア活動を通して、相互に喜びを見いだし人生が豊かになったという報告例は多いのですが、それだけにボランティアには責任もあり、相手の立場を理解し、共感し、忍耐づよく関わっていくことなどが求められるのです。
 ボランティア活動には、地域の社会福祉協議会が支援するもののほか、最近では会員制や有償制に特色をもつ住民参加型の在宅サービス団体が増えており、なかでも地域住民の主導によって組織された住民互助型と呼ばれる団体が行うサービス(入浴、給食、介護など)は、今後の高齢化社会を支える活動の一つとして注目されているものです。
 多様なボランティアの中でもユニークなものとして知られるのが「いのちの電話」です。1953年にロンドンでスタートし日本に伝わったのは1971年、いまや全国で約40か所、ボランティアの相談員は7000人、年間の相談件数は50万件にのぼるそうです。孤独な悩みを聞きつづけるその活動は、まさに「存在を与える」支えとして非凡なものといえます。
 なお、障害者側の自主的な活動としては、「全国自立生活センター協議会」傘下のグループによるピア・カウンセリング(障害者同士の相談援助)の活動が広がりつつありますが、第1章に意見を寄せられた方々の団体もそれぞれに類似の活動を展開されているのです。
 最近はまた、「フィランソロピー」(企業の社会貢献)も増えてきていますが、この活動にも一層の期待が寄せられています。
 これらの諸活動を振興するためには、行政を含めての支援による社会システムづくりが必要であり、この面にも国民各層からの参加が不可欠です。

(5)ふれあいの前に

いま我が国障害者の数は、約500万人と推定されています。これは行政的に把握された数字を基にするものですが、これに難治性の病気をもつ人や寝たきり老人等の数を加えると、700万人を超えるともいわれます。
 しかし、これら障害者の様態は一様ではなく、一人ひとりの障害特性とニーズを理解することなくして、その求めに応えることはできません。機能障害の種類や程度はもちろんのこと、それに障害受容の過程など、心理社会的な問題が積み重なって、障害の状態はとても一律にはとらえられません。同じ人でも時期によって障害の状態には変化があるのです。
 生理・解剖学的な機能障害についてだけでも膨大な分類体系になりますので、複雑多岐にわたる障害の特性を詳細に説明できるものではありませんが、第1章に出ている当事者の意見を含め、次のような事柄をまず、ふれあいの前提として整理しておきたいと思います。
身体機能の障害については、身体障害者福祉法の規定に即し、それぞれ障害者の状態をごくかいつまんでみてみます。
視覚障害は、視力低下だけでなく視野狭窄としても現れますが、その状態は全盲から弱視とされる程度まで多様です。視覚障害は一般的に、読み書きと行動の自由に制限があるため、それを各種の用具や訓練によって改善することに努めますが、なかには人的な介助や盲導犬を用いる人もあります。
聴覚障害は、ある程度聞こえる難聴から全ろうと呼ばれる状態まであります。聴覚障害者は補聴器等の各種用具を使って難聴による不自由な生活を改善することに努めますが、コミュニケーション上の問題から人間関係に悩むことが少なくありません。
音声・言語機能障害は、声を出すことに著しい障害があるか、または音声だけでは意思の疎通が困難な状態です。音声機能障害の典型は喉頭摘出による無喉頭であり、言語機能障害には失語症や先天性聴覚障害に伴うろうあの状態があります。これらの障害者は機能の回復や獲得にも努めますが、いずれもコミュニケーション障害者としての問題は深刻です。また、聴覚言語障害者の社会生活において、手話が「ろう文化」として大切にされていることを知ることも必要です。
肢体不自由は、基本的には運動機能の障害ですが、受障の時期や原因疾患によっては各種の重複障害をもつなど極めて多彩です。なかでも脳性マヒは言語障害や感覚系の障害を伴うことの多い全身性障害です。リウマチや筋ジストロフィーの障害は徐々に進行します。中途障害である脊髄損傷や頭部外傷、脳卒中も複数の障害をしばしば併せもたらします。骨関節障害や四肢の離断による運動障害も少なくありません。これら肢体不自由者の日常生活は、生活環境上のバリアが多いほか、障害程度によっては相当の介護を必要とします。
心臓・腎臓・呼吸器・膀胱・直腸・小腸の機能障害は、いずれも生命維持に関わる臓器の疾患に起因する障害なので、これらの内部障害者は、健康面や生活習慣等に殊のほか厳しい自己管理を強いられることが多いのです。
 これらのほか、平衡機能障害(めまい、よろめき)、そしゃく機能障害(食物を噛み、飲み込むことの障害)も障害認定されます。
精神機能の障害については、精神病者、精神薄弱者および精神病質者を精神障害者とすることが精神保健法に定められています。
精神障害について、医学の視点からは、外因性精神障害(身体的病変が基礎となって生じることがつきとめられている薬物等による中毒性精神病や老人性痴呆など)、心因性精神障害(急性ストレスやノイローゼなど精神的ショックや複雑な対人関係からのなりたちが心理的に解釈されるもの)、内因性精神障害(精神分裂病、躁病、うつ病など原因と思われる身体的病理所見がまだとらえられず、そのなりたちを心理的に解釈しつくすこともできないもの)、その他の精神障害として、性格の偏りの著しい異常性格、および知能発達の異常な遅れとしての精神遅滞があげられます。
精神遅滞は、精神薄弱者福祉施策においては、生活上の適応行動と知的機能の両面に障害があって特別の援助を必要とする状態、とされています。
 これら精神障害は、誰にでも、あるいはどの家庭にも起こりうる病気であり障害であるにもかかわらず、時にセンセーショナルな事件として報道されたり、無理解のため、当事者の多くはひっそりと暮らしているのです。
 以上にあげた機能障害の種類は、概ね法律に根拠のある障害規定から紹介したのですが、当事者の意見にもみられるように、時に規定や施策が不明確であったり欠落していると指敵される障害状態(例えば、盲精薄、皮膚障害、意識障害など)がありますが、これらの状態にある人にも、支えは必要なのです。

(6)よりよい関わりのために

さて、ここまでのところ、障害者に対する介助方法等について、具体的な事柄には一切ふれませんでした。それは、一人ひとりの障害者が求める支えの内容は千差万別であり、なによりもまず本人とふれあい、聞き、確かめることが大切だからです。ごく簡便な予備知識のような事柄でも、最近はイラスト入りなどでいろいろな冊子が出ていますが、何よりもまず身近な場所での実行です。地域のボランティアセンターや障害者福祉センターを訪ね、講習を受けるなどの実際体験もまたぜひ必要です。「介護技術」や「障害形態別介護技術」といったテキストも数多く出版されています。また、ボランティア活動についてもガイドブックは少なくありません。
 したがって、具体的なノウハウはそれらに譲ることにして、ここでは支えの対人関係において、初心者から専門家までのすべてに共通する原則を紹介することによって、これからのよりよい関わりに資したいと思います。
 アメリカの社会福祉家バイステックは、「ケースワークの原則」(1957年)で関係の原則を体系づけることに顕著な貢献をしました。それは「関係の七つの原則」として知られますが、内容的には次の五項目にまとめることのできるものです。

【関係の原則】
①個別化の原則:クライエント(支えを求める人)が直面している問題やその問題解決に取り組んでいくうえで、クライエントのもっている力やその置かれた状況がそれぞれ異なっていることを理解し対応していく在り方をとるべきこと。
②感情の効果的な伝達の原則:クライエントが感情を表出することによって、直面している問題や置かれている状況、または感情を客観的に受け止めていくことができるように共感的に対応していくべきこと。
③受容の原則:クライエントの行動や態度に対しては、一方的に非難したり、批判したり、また無視したりすることなく、あるがままに受け止め、クライエントの立場からその意味を理解していくという在り方をとるべきこと。
④自己決定の原則:クライエントがワーカーの判断や指示などに従属していくよう強制し依存させていくのでなく、自らの意思で適切に判断し、選択し、決定していくことができるように、側面的に援助していくという在り方をとるべきこと。
⑤秘密保持の原則:クライエントから得られた情報、とりわけプライバシーに関する情報の秘密を保持し、必要に応じて他に伝えなければならない場合には、必ずクライエントの了承を得てからするという在り方をとるべきこと。
 これはいまや古典的といえるものですが、環境との関わりなどが重視されるようになった今日でも、これら原則的な内容は決して色あせていないと思います。
 ただ、これらに加えて大切なのは自己覚知ということです。これは支える立場にある者(ワーカー等)自身に求められるものです。他者を支える立場にある者は、自らの能力や資質を知り、絶えず学び成長することが必要だということです。
 他者に対し何かをする立場にある者は、ともすると関わりすぎる行為にでることがあります。ふれあいによって、時に人は傷つくこともあるのです。支える行為は、相手の置かれた状況を理解し、共感的に対応し、受容し、なによりも相手の自己決定を支えるのです。そして、謙虚に自らの責任を果たすとともに、他者に対する寛容もまた、共生のマナーの大切な要素であると思います。


【参考文献】
1 「完全参加と平等をめざして」国際障害者年日本推進協議会、1982
2 「障害者福祉六法」中央法規出版、1994
3 「厚生白書(平成4年版)」ぎょうせい、1993
4 上田敏「リハビリテーションを考える」青木書店、1983
5 大江健三郎他「自立と共生を語る」三輪書店、1990
6 正村公宏「福祉社会を築くために」岩波書店、1992
7 「参加型福祉社会をめざして」全国社会福祉協議会、1993
8 伊藤隆二「福祉のこころと教育」慶応通信、1993
9 糸賀一雄「福祉の思想」日本放送出版協会、1968
10 内山興正「ともに育つこころ」小学館、1985
11 福祉士養成講座編集委員会編「リハビリテーション論(改訂介護福祉士養成講座④)」中央法規出版、1992
12 森岡正博他「ささえあいの人間学」法蔵館、1994
13 「ニード中心の社会政策-自立生活センターの提唱する福祉の構造改革」ヒューマンケア協会、1994
14 「国民生活白書(平成5年版)」大蔵省印刷局、1993
15 「わかりやすいリハビリテーション」日本障害者リハビリテーション協会、1994


主題・副題:「共生のまち」ガイド 23頁~39頁