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(資料3)日本障害学会での発表と質疑(2013.9., 東京)

題目「呼吸器利用・電動車いす利用で単身生活を行う難病盲ろう者の自助による災害対策」 詳細原稿 

みなさま、こんにちは。福田暁子と申します。

このたびは、どうして壇上発表になってしまったのか、なんだかわかりませんが、また、前もって提出した詳細原稿通りに発表できないような気もいたしますが、よろしくおねがいいたします。

今日は、題目の通り、呼吸器使用、電動車いす使用、それでもって1人暮らしで、さらに難病、おまけに盲ろうという、とんでもないカオスな、ひとりでクロスディスアビリティをやっております、そんな私の災害時における対策、またその中で見えてきた課題について発表したいと思います。

まず、私のインペアメントについて説明します。

小学校入学前に原因不明の低視力が発覚し、また、17歳の時に進行型の多発性硬化症を発症し、脳や脊髄のあちこちが壊れては根本的な修理方法ののみつからないまま、突貫修理をかさね、ポンコツながらも低空飛行をしております。

どのようにポンコツかと申しますと、「すってーはいてー」ができなくなり呼吸は機械にさせております。

また、のみこむと間違って気管に入ることも多く、胃ろうというものを装着しております。体調がよければ、薬やまずいものはすべて胃ろうにまかせて、口からは好きなものを好きなだけ食べております。

排泄もできませんので、膀胱にカテーテルを入れっぱなしにして、おしっこをためる袋を車いすに下げています。尿意というものはありませんので、袋がたまれば袋を空にすればよいだけでして、そのへんの茂みに肥料として散布することも可能ですので、究極の災害対策のような気もいたします。また、体温調節も苦手です。

足は思うように動かず、動かそうとすると思わぬ方向に動いて人を蹴るような仕組みになっています。両手は指先を除いて脱力していまして、どんなに晴れの舞台でも万歳三唱などのリクエストにこたえることができません。体はグニャンとなるときと、カチンコチンになるときがありまして、車いすは座位保持つきのスペシャルシート仕様です。

耳は全く聞こえず、目は全く見えない、いわゆる全盲ろうです。コミュニケーション方法は、受信は触手話、発信は音声をメインとしておりますが、具合が悪い時などは受信も発信も難しい時もあります。

幸か不幸かわかりませんが、このようにさまざまな身体的機能が壊れておりますと、ある意味、毎日が災害時でございます。

ソーシャルワークでは、災害対策を自助、共助、公助という考え方を用いています。 いざ、災害が起きた時、役に立つ順番も1に自助、2に共助、そして最後に公助であります。

今回は私の「自助」による災害対策について焦点を当てた発表となります。

まず、私の自助に対する考え方を話したいと思います。

自助というのは「自らを助ける」と書きますが、私のように「自らを助けることができない」ひとにとって自助とはなんでしょうか。

まず、必要不可欠な条件は「何がおきても生きのびたい、あきらめないでしぶとく生きていたいと願うこと」です。

命は大切。それは、みんなそうですね。

しかし、「命」というよりも「生きている」ということが大切じゃないかと思います。「生きている」とはどういうことか?私にとって「生きている」ということは、「毎日なにかしらやることがあって、人とふれあって、誰かに必要とされて、自分の存在をこの宇宙空間に確認し、楽しいと感じながら、明日のことを考えられること」です。

今のところ、そんな毎日を楽しく生きています。つまり、「災害時に生きのびたい」というのは、「毎日を楽しく生きつづけたいと願うこと」と同義だと思っています。

楽しい毎日を終わらせたくない、それこそが災害対策の基本だと思っています。

私は、毎日が災害時。病気は進行するし、思いもよらないことが起こったり、何が起こるかわからないけれども、楽しい毎日を終わらせたくないので、あれこれ日々試行錯誤をくりかえす、これが自助になります。

災害はどこで起きるかわかりません。今、起こるかもしれません。

私の毎日は災害時ですから、想定外のことは想定内であります。

また、311以降、帰宅困難の経験もしましたし、当然、非常用持ち出し袋というものは常用持ち出し袋でありまして、日常的に使うものを持ちあるいていることになります。この車いすの後ろの黒いリュックにほとんどのものが入っています。一般地球人の非常用持ち出し袋と違うところは、カテーテル、薬、医療物品、経管栄養剤、簡易エアマット、呼吸器用外部バッテリー、アンビューバッグなどが入っているところです。また、右の黄色いカバンの中には、連絡先一覧、服薬リスト、スケジュール帳が入っています。スケジュール帳は、一緒にいるヘルパーや通訳介助者らがメモを取るためのものです。

盲ろうという状況は、自分がおかれた状況の把握が非常に難しいものでありまして、非常の際には、このスケジュール帳に墨字で構わないので書き込んでもらい、次に交代する人と情報共有をスムーズにするためのものです。

また、1人でいるときに、手話のわからない人と、コミュニケーションをとるための文字盤も入っています。

盲ろう者だということがわかるように、車いすには「盲ろう者・呼吸器」と書いたヘルプカードを下げています。

カバンには「盲ろう者です」と手作りのバッヂを下げています。バッヂの裏側にはコミュニケーション方法を簡単に記しています。

ここまでの装備でとりあえず、1日程度はしのげます。また、自宅で被災した場合を想定して、自宅には7日間程度の食糧や水などを備蓄しています。これらは毎月11日を勝手に「マイ防災の日」と定めて、ヘルパーと一緒に消費期限の確認などをしています。

「生きていきたくなるような毎日を過ごすこと」と「物品の備蓄」は自助努力の範囲でなんとかなりますが、自助努力だけでは、どうしようもならないこともあることがわかりました。

第1の課題として、ライフラインが断絶した時、特に電源が喪失した時の電源の確保です。呼吸器を動かすにも、電動車いすを動かすにも電気は欠かせません。小型の自家発電機も市販されていますが、メンテナンス面など課題があり、導入には至っていません。

まず、私の一番の不安は「停電に気付かないかもしれない」ということです。夏の暑い時期や冬の寒い時期にはエアコンをつけていて、いきなり風が来なくなって室温が暑くなったり寒くなったりすれば、気づくかもしれません。

停電時には、在宅呼吸器ユーザーは東京電力に登録しておけば、東京電力から電話で状況確認、復旧の見込みのお知らせがあります。しかし、電話以外では今のところ対応していないので、電話が取れない私はどうしようもありません。非常用電源のある避難先の確保、避難方法の確保が課題としてあげられます。これは、市と災害時個別避難計画作成の中で話し合いを重ねています。

(また、最近気づいたのですが、建物が崩壊していない限り自宅避難が原則と言われておりますが、ライフラインが断絶した場合、体温調節の難しい私は、やはり空調設備の整ったところへ行かなければならないのではないかという気がしています。)

第2の課題として、火災や崩壊、長期にわたる電源の喪失などで建物から避難しなければならない時、避難する方法がありません。私の部屋はマンションの5階にあります。この電動車いすは300キロ近くあり、抱えることができません。

また、おんぶの体勢を取ることが難しい。避難方法については、現在、簡易担架、簡易エアマットとシーツを用いる方法、そのほかの避難用具を使う方法などを試しています。ただし、これも避難を支援してくれる人がいるのが前提の話となります。

そして、第3の課題が、一番大きな課題は、支援者の確保です。何をするにも、私の地域での自立的生活は、他力本願が基本ですから、他力がなければどうしようもありません。

ヘルパー、通訳介助者、地域の手話通訳者を緊急的に確保できるのか、どのように確保するのか、大災害時には支援者も被災者であるわけですから、すぐに駆けつけられるとはかぎりません。

解決方法としては、やはりご近所力かと思われます。日頃から、ご近所とつながっておくこと、そして、何かあった時には、自分で介助方法も手話もわからない人に指示だしできるようになることかと思っています。

そのために、「ふくださんの介助ブック」というものを作成しました。支援者が確保できれば、電源喪失した際に、電源があるところに充電器を持って行ってもらい充電したり、清潔な水を取りに行ってもらったりすることもできるかと思っています。

昨年度までは、かかりつけ医、訪問看護ステーション、薬局、呼吸器業者、ヘルパー派遣事業所、緊急時受け入れ病院などの、複数の医療や福祉サービス期間がお互いにつながっておらず、大変苦労しましたが、現在は、たいてい訪問看護ステーションですが、どこか1カ所に連絡すれば、お互いに電話やメールでつながるようになり、医療連携はよりスムーズにいくようになってきました。

ただし、大災害時にこの連携がうまく働くのか、不安が残っています。また、この連携の枠組みのなかには、東京盲ろう者支援センター(東京盲ろう者友の会)などの盲ろう者関係の団体は含まれていません。おそらく、災害時に当団体にどこまで期待できるのかよくわかっていないからだと思います。

これらの自助努力では解決の難しい課題を、今後、共助、公助でどのように解決していけばいいのか、曲芸的解決方法を模索していきたいと思っています。

以上が私の発表になります。ありがとうございました。

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司会:福田さんありがとうございました。そうしましたら只今の報告について質疑応答をしたいと思います。ご質問のある方は挙手等でお知らせください。そうしましたら、福島さんお願いします。

福島:福島です。福田さんの発表を聞いてですね、え~、障害がいくつあるのか?うん、ぐちゃぐちゃで、多分ギネズブックに載りますね。(会場:笑い)で、英語で言うとバルネラブル。つまり、危険を恐れずにあえて取組む、そういうチャレンジ精神と、あと、困難な状況でなんとか工夫して、解決策を求めていくっていう、そう、すごいと思います。ただ、その~、毎日が災害時みたいな感じで、う~ん、ずっと緊張は続いていますよね?で、私も、盲ろうで気持ちは分るんですが。私もなんか、例えばボクシングのリングにあがってずっと闘っているっていうのは、しんどいなぁという風に思うことがよくあって。で、福田さんの場合、そういう、ずっと緊張を強いられている極限状況の中で、その、どうやって「ほっと」する時間を作るのか?生きているっていう実感は緊張だけではないと思うんですが、どういう時に、その、う~ん、リラックスをするのか?そこをぜひ伺いたいんですが。

福田:なによりも緊張する時は一人でいる時ですね。なので、誰かといると緊張しないということになります。え、これが心配じゃない人と一緒に、安心できる人と一緒にいるとリラックスできます。呼べば、安心する人がすぐにこたえてくれる状態であれば、一人でいても、緊張なく、リラックスしています。なお、毎日が災害時と言いましたが、あまりにも毎日色んなことが起きるので、常に緊張を強いられてるかというとそうでもない気がします、答えになりましたでしょうか?

福島:わかりました。安心できる人と一緒にいるといいってことですね、今いる人は安心できるのかな?(会場:笑い)

福田:はい、え~と、いまのところ安心できます。(会場:笑い)

福島:はい、分りました。

福田:一人の時に、あの~、安心を求めたい時は、サイバースペースに逃げ込むこともあります。たとえば、ツイッターやフェイスブックとかチャットとかで誰かと繋がっていれば、とりあえずは、あの、大丈夫かなと思って。夜中とか。でも、起きた時に、「は?今は朝か?昼か?夜か?」と思ったら、ツイッターちょっと立ち上げてみて、誰かに声をかけたら、誰かが反応してくれるとちょっと安心したりしますが。ま、生身(なまみ)に越したことはないですね。

福島:オッケー、オッケー

司会:他に何か質問、もう一件くらい。一番後ろの席の・・・

鈴木:広島の鈴木と申します。先ほど、東京都盲ろう者支援センターはあんまりあてにならないという話がありましたけれども。通常、近隣の盲ろう者の方たち、ヘルパーさんや通訳介助の人たちと一緒に、災害時どうするかなどの話し合いをされたり、何か避難の練習をされたりしてらっしゃいますでしょうか?

福田:あ、はい、お答えします。東京都盲ろう者支援センターでは避難訓練をやったり、通訳介助者と災害の時について勉強したり、練習したりはあります。ただ、実際に自分の家の近くに通訳介助者が住んでいて、今、地震が起きた時とかに、すぐに駆け付けられるかというと、通訳介助者が近所に住んでいる場合というのはごく稀です。常に一緒に行動してるわけではありませんので、そういう意味で、一番頼りになる存在なのに一番頼りになる場所にいないという感じであります。そういう意味で、発災時に、偶然ラッキーにも通訳介助者といればその時はそれなりの行動が取れるかと思いますが、そうでない場合が多いので、東京都盲ろう者支援センターはあてにならないという意味です。人材があてにならない訳ではけっしてありませんので。非常にあてになる人が、非常にそばにいないという状況があります。

司会:時間になりましたので、これであの、この報告を修了したいと思います。質問は個別にお願いします。

以上