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東日本大震災と障害者団体の取り組み

仙台市障害者福祉協会会長
日本身体障害者団体連合会副会長
阿部 一彦

仙台市障害者福祉協会代表の阿部一彦と申します。私の協会は地域で暮らす身体障害者の障害種別団体等で構成され、約600人のボランティアの方々とともに様々な活動を行っています。また、3つの障害者福祉センターの運営などの事業を行っており、東日本大震災直後は福祉避難所を開設しました。
私たちの地域では、1978年にもマグニチュード7.4の大きな地震があり、28名の尊い命が失われています。歴史をたどるとこれまで約35年に一度はマグニチュード7.4規模の地震が起きていますので、障害者団体としても減災のための活動を行ってきました。例をあげれば、大きな地震が起きたら、障害がある私たちはどのように行動すべきか、障害種別ごとにどのような支援が必要なのか等について検討し、マニュアルを作成したり、パネルディスカッションで住民の方々に周知を図ったり、防災訓練に参加したり、災害時障害者ボランティア制度をつくったり等の取り組みです。
しかし、東日本大震災は私たちが考えていたよりも遥かに大きな規模の災害で、予想もしなかった津波によって多くの人々が亡くなりました。私たちは仙台市内において津波による被害を受けるとは予想もしていなかったのです。このようなことから、私たちの災害対策は十分ではありませんでした。
ただし、参考になることもあると思いますので、少しお話しいたします。
私たちは隣の山形県身体体障害者福祉協会と災害時相互応援協定を結んでいましたので、山形県協会は緊急支援物資の輸送活動を行ってくれました。また、福祉避難所運営の人員不足に対しては、遠く九州の福岡市身体障害者福祉協会等の人的支援を受けました。加えて、日本身体障害者団体連合会などを通して、全国各地から義援金や車いすや杖等の物資支援も数多く受けました。
さらに、全国規模の13の障害者団体で構成されている日本障害フォーラム(JDF)は、被災している3つの県に支援員を派遣して活動を展開しています。私たちは、東日本大震災後、多くの人々や団体とのつながりと支え合いのありがたさを実感しています。
仙台市障害者福祉協会では震災後直ちに会員等の安否確認活動を行うとともに、障害等による特別なニーズをもつ人々のために「福祉避難所」を開設しました。また、震災後の混乱時の生活に必要とされる情報を会員等に墨字版、点字版、音声版、メーリングリスト版等でそれぞれ、19回、発信し続けました。被災後の様々な申請手続きの情報などですので、とても喜ばれました。これは日ごろの活動にかかわっている多くのボランティアの方々の支援によって実現したことです。他の団体も障害特性に応じた活動を行いました。ある団体は、テレビ等を通して酸素ボンベの入手情報を伝え続けました。ある団体では薬の入手方法に関する情報を発信し続けました。また、直接、会員に生活必需品や医療品を配達する活動を行った団体もありました。
このように、多くの団体は互いに連携し、それぞれの団体に応じた活動を展開しました。ただし、私たち障害者団体の活動には限界があることも知りました。
それは地域とつながること、地域の社会資源とのつながりをもたなければ、地域に生活する障害者は安全に安心して生活することはできないということです。

東日本大震災はもともと地域にあった福祉的課題を急激に大きくしました。もともと高齢者や障害者の孤立化傾向が心配されていましたが、震災後、孤立化が大きな問題になりました。もともと、地域で暮らすための障害福祉のサービスが足りなかったのですが、この問題を大きくしました。もともと、高齢者や障害者は、健康維持に関して不安があったのですが、震災後、健康維持に関する問題が一層大きくなりました。これからの日本の社会で心配されていたことが東日本大震災をきっかけに、急速に大きな問題となったのです。そして、震災後3年が過ぎ、これらの問題について地域の格差、人々の生活の格差が生じています。被災している3つの県、岩手県、宮城県、福島県には全国各地から多くのボランティア団体が駆け付け、格差を解消するために様々な活動を展開しました。とても感謝しています。
とくに障害があると、復興期に取り残されてしまう可能性があります。障害のある人々が孤立することなく、健康を維持し、学んだり、働いたりして、地域社会に参加するためには、多様な支援の選択肢が必要です。
これまでは、全国各地から駆けつけたボランティア団体が大きな役割を担ってきましたが、やがてその活動も終わりに近づいています。被災地の障害当事者団体は、今後、地域の住民組織等との相互理解と連携を図り、地域の人々を巻き込みながら、行政に働きかけて、誰もが孤立することのないインクルーシブ社会の構築のための活動を行っていく必要があります。被災者間の格差や被災地間の格差を生じさせない活動が求められるのです。
話題を変えますが、震災後、私は仙台市防災会議の委員になりました。障害がある立場から発言する機会を得たのです。会議では津波が発生した場合には、自動車を使わずに徒歩で一人ひとりが避難すべきであると議論されました。津波が車の渋滞を襲い、多くの人々が亡くなったので大事な議論です。しかし、徒歩で急いで避難できない私たちはどうしたらよいのでしょうか。私たちはやはり自動車で避難しなければならないのです。当事者の立場から発信することはとても重要です。
私の協会では様々なイベントを企画していますが、日帰り旅行等への参加者が震災後とても多くなってきました。障害のある人々は集う機会を求めているのです。このような企画には仙台で避難生活をしている障害者も参加しています。孤立のない生活を支援するためにも大事な活動です。
私はポリオ体験者です。ポストポリオ症候群(ポストポリオシンドローム)による健康不安を抱えていた多くの仲間は、震災後大きな体調の変化を訴えることが多くなりました。そこで、会では宮城県総合リハビリテーションセンターに強く実情をうったえ、昨年からポリオの検診会が実現しました。毎年検診会で自分自身の体の状況を知ることによって、ポストポリオ症候群の進行を遅らせ、生活のスタイルを見直し、安心した生活を営むことができるようになるのです。
震災後、私たちが主体的に周りを巻き込まなければ、障害のある私たちは取り残されてしまうことを実感しました。言い換えます。私たちは私たちが主体的に動くことによって、少しずつですが、周りを巻き込むことができることを実感しています。そして、大きな課題は地域とつながること、地域の組織や人々を巻き込み、障害インクルーシブな地域社会を創ること、それが障害インクルーシブな減災の取り組みだと思います。

昨日、藤井克徳さんが話したように、障害者権利条約締結の条件整備のために、13の全国規模の団体で構成された日本障害フォーラム(JDF)が、わが国の法律や制度の改革について取り組んできました。また、JDFは被災した三県に支援員を派遣して障害者の生活支援に取り組んでいます。そして、JDFによる支援を受け、私たち、地域に拠点をおく団体も互いにつながり、支え合うことの重要性を実感しました。
障害者権利条約は2か月前にようやく締結されましたが、新しい法・制度の改正によって、私たちが暮らす市町村で自立した生活を営むためには、障害当事者や家族、地域住民の理解が重要です。法・制度を十分に活用して、障害理解を進め、誰もが暮らしやすいまちづくり、インクルーシブな社会づくりを展開するために、障害者団体の役割はとても大きいと思います。復興期に、障害者や高齢者だけが取り残されてしまうことはあってはいけません。被災者間の格差や被災地間の格差をつくらない活動が求められるのです。
仙台市障害者福祉協会は日本身体障害者団体連合会を構成する加入団体の一つです。日本身体障害者団体連合会は日本のほとんどの市町村に支部組織をもち、地域社会の中で住民とつながって生活する在宅障害者の当事者団体です。しかし、被災した地域では支部組織も大きく影響を受けています。これらの組織の再建を行う必要があります。
そして、障害者団体が地域を巻き込み、地域の住民組織等との相互理解を図り、障害のある住民と障害のない住民が互いに尊重し合って、生きがいのある生活を営むことができるインクルーシブ社会を創造するために大きな役割を果たす必要があります。
東日本大震災をきっかけに、人々の間に絆、つながり、支え合い、信頼関係の大切さが意識されているという報告があります。これらを一時的なものにすることなく、日本の社会全体に定着させなければなりません。今後危惧される大規模な災害に対して、障害や障害者の理解を図りながら、防災・減災に向けた意識啓発を、当事者から発信していくことが重要です。そのためにも、障害者団体の果たすべき役割はとても大きいと考えられます。