東日本大震災における障害のある人の被災状況と支援活動
JDFみやぎ支援センターの取り組みを通じて
JDF みやぎ支援センター
元事務局長 小野 浩
はじめに
東北地方には、「津波てんでんこ」という悲しい教えが伝承されている。語尾の「こ」は、「嫁っこ」「馬っこ」という東北地方の方言であり、「津波てんでん」の語意は「津波のときは、親や兄弟も気にせず、とにかく高台に一目散に逃げること」ということらしい。江戸時代から幾度もの津波被害に見舞われた三陸地方に暮らす人々の津波襲来時の避難対策の「教え」であるが、今回の東日本大震災でも地震発生から大津波の襲来までの時間を考えると、極めて教訓的な避難対策であることに間違いはない。
しかし、自らの力で「てんでんに逃げること」のできない障害のある人や高齢者たち、すなわち震災弱者は、どうすればよいのだろうか。
岩手・宮城・福島の東北3県のうち、東日本大震災の被災死亡者の年齢構成では、65.2%が60歳以上の高齢者であり、70歳以上だけでも46%を占めていた(2011年4月、警察庁まとめ)。しかもこの被災高齢者には多くの障害のある人が含まれており、高齢者以外の障害のある人と幼児を含めると、自らの力で「てんでん」に逃げることのできなかった震災弱者は相当数にのぼると思われる。
(テキスト)
1.宮城県における障害のある人の被災状況
(1)震災から1年を経て、ようやく発表された障害のある人の被災状況
震災発生から1年9か月を経た2012年12月26日現在、東日本大震災による死亡者数は15,879人、未だ安否が確認されていない人は2,712人に及んでいる(警察庁発表)。宮城県は9,534人の人が亡くなり、1,324人の安否が確認できていない。
2012年3月に開催したJDFみやぎ支援センター(以下、みやぎ支援センター)と宮城県との定期協議の場において、はじめて被災障害者の死亡者数1,104人が明らかにされた。障害のある人の死亡が確認された自治体で、住民全体の死亡率と障害のある人の死亡率を比較してみた。その結果、住民全体の死亡率に比べて、障害のある人の死亡率は約2.5倍に及んでいた。仙台市については、市全体と沿岸部の3区で比較したが、大きな差は見られなかった。ただし、障害手帳所持者数は、重複取得者も含まれるため、障害のある人の死亡率はこれよりも高くなることが推測できる。またこれら死亡者数には、震災の直接死だけでなく関連死も含まれている。住民全体の死亡者数は2012年9月であるのに対して、障害のある人の死亡者数は同年2月である。そのため、障害のある人の死亡者数1,104人がさらに増えることは、確実である。
自治体別の死亡率を比較すると、宮城県で障害のある人の死亡率がもっとも高かったのは、女川町の15.57%だった。約6人に一人が亡くなったことになる。次いで南三陸町の13.26%、山元町の5.92%、東松島市の5.84%、石巻市の5.16%という被害だった。
グラフと津波被災地図を見てもわかるように、沿岸部における住民全体の死亡率は当然高いが、津波の被害が極めて大きかった自治体ほど、障害のある人の死亡率が高くなっていた。つまり津波という災害は、障害のある人にとって、極めて甚大な被害をもたらす災害であるということである。
●宮城県における住民死亡率と障害者死亡率(障害者の死亡確認のあった自治体のみ)
住民数および被災死亡者・死亡率 | 障害者手帳者数と被災障害者・死亡率 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
住民数 (2010年10月) |
死亡者数 (2012年8月) |
死亡率 | 手帳者数 (2011年3月) |
死亡者数 (2012年2月) |
死亡率 | |
仙台市 | 1,045,986 ※543,345 |
891 | 0.08% 0.16% |
40,233 ※22,791 |
53 | 0.13% 0.23% |
石巻市 | 160,826 | 3,471 | 2.15% | 7,683 | 397 | 5.16% |
塩竃市 | 56,490 | 49 | 0.08% | 2,845 | 0 | 0.00% |
気仙沼市 | 73,489 | 1,204 | 1.63% | 3,647 | 137 | 3.75% |
名取市 | 73,134 | 944 | 1.29% | 3,453 | 76 | 2.20% |
多賀城市 | 63,060 | 213 | 0.33% | 2,271 | 17 | 0.74% |
岩沼市 | 44,187 | 185 | 0.41% | 1,732 | 12 | 0.69% |
東松山市 | 42,903 | 1,125 | 2.62% | 1,967 | 115 | 5.84% |
柴田町 | 39,341 | 5 | 0.01% | 1,619 | 1 | 0.06% |
亘理町 | 34,845 | 264 | 0.75% | 1,537 | 23 | 1.49% |
山元町 | 16,704 | 697 | 4.17% | 912 | 54 | 5.92% |
松島町 | 15,085 | 7 | 0.04% | 744 | 5 | 0.67% |
七ヶ浜町 | 20,416 | 73 | 0.35% | 875 | 8 | 0.91% |
利府町 | 33,994 | 9 | 0.02% | 1,017 | 0 | 0.00% |
女川町 | 10,051 | 595 | 5.91% | 520 | 81 | 15.57% |
南三陸町 | 17,429 | 611 | 3.50% | 942 | 125 | 13.26% |
合計 沿岸部計 |
1,747,940 ※1,245,299 |
10,343 | 0.59% 0.83% |
71,997 ※54,555 |
1,104 | 1.53% 2.02% |
- 仙台市の※は、太白区、若林区、宮城野区の合計数。
- 住民数及び死亡者数は宮城県発表数値、2011年3月11日直前の障害者手帳者数はJDF調べ。
2.JDFみやぎ支援センターの活動からみた障害のある人の被災状況
(1)震災直後から避難所生活における障害のある人と家族の状況(4~6月頃)
2011年3月23日の被災地の事前視察を経て30日に開設したみやぎ支援センターは、ガソリンや灯油不足、またスーパーマーケットやコンビニエンスストアなどの大量の商品不足など、震災直後の混乱した状態が続くなかで、障害のある人の安否確認と支援活動を開始した。
宮城県保健福祉部障害福祉課の発行した「みやぎ支援センターの紹介文書」を携えて、市町村行政をはじめ避難所等を訪問し、障害のある人たちの避難状況の把握に努めた。しかし、壊滅的な被災を受けた沿岸部の市町村は、行政機関も避難所も混乱した状態だったため、障害のある人の所在を把握することは極めて困難だった。
特に、センター開設当初から予想していたが、少なくない障害のある人とその家族たちは、一般の指定避難所での生活が困難なため、半壊した自宅や障害者支援事業所、特別支援学校等に自主的に避難していた。指定避難所はバリアフリーでないところが多く、身体障害のある人たちにとっては困難だった。また体育館や公民館などでの密集した避難生活は、障害のない人にとっても相当なストレスを与えるものであり、重度の自閉症や精神障害のある人たちにとっては、より過酷な条件となってしまうため、避難所に入ることすらできない人と家族もいた。障害者支援事業所に避難できた人はまだ良いほうで、何日も車中での生活を余儀なくされたという障害のある人と家族の事例もあった。
しかも、こうした自主的に避難した自宅や障害者支援事業所等は、指定避難所ではないため、食糧や生活物資の提供対象とならなかった。そのため、何日も事業所の食材のみで生きながらえたという人たちも存在した。1996年の災害援助法の改正によって制度化された「福祉避難所」は、一定数設置されたが、すべての障害者支援事業所の自主避難が、「福祉避難所」に指定されたわけではなかった。
4月の訪問活動で対話した件数は294件、5月は374件、6月は437件であった(複数回訪問を含む)。この時期の対話や相談で多かった声は、「ガソリンがないため移動できない」や「長引く避難所生活で疲れがピークに達している」、「余震の度に、3.11の情景が蘇る」など、障害のない人と同様の声も多かったが、障害があるがゆえの声は、以下のようなものが多かった。
「障害者手帳などが流されて、今後の生活が不安」、「車椅子や杖が流され、寝たきりの状態が続いている」、「薬の効き目もよくなく、次の医師の巡回までに薬が切れてしまいそうだ」、「自閉症の息子にとっては、もう限界だ」、「障害に伴う物資の供給がない」、「近所の人は自宅の片付けをはじめているが、自分は障害があるため、どうにもならない」など、3月11日の震災から1~3か月もの長期間、避難所や半壊した自宅での不安定で、まったくプライバシーのない生活状態は、耐え難い苦痛となっていた。
しかし前述したように、こうした避難所への訪問活動で出会える障害のある人は、手帳所持者数から比べると一握りにすぎず、全体の状況を把握することは困難だった。みやぎ支援センターでは、何らかの方法で、多くの障害ある人とその家族の状況を把握するために、何度も沿岸部の自治体に協力要請を続けた。いくつかの自治体では、保健師などと連携した在宅訪問調査や、タクシー券配布の協力を通して在宅者の把握をする取り組みが進んだが、「個人情報保護」が障壁となって、すべての障害のある人を網羅した被災状況の把握は困難だったと言わざるを得なかった
その結果、この時期は、とにかく避難所、福祉避難所、障害者支援事業所を訪問し、そこで得た情報をもとに、一般生活物資や福祉用具等の提供、移動支援、事業所の再開支援などに取り組んだ。
なお4月末には、気仙沼市・南三陸町を重点とした支援活動の拠点として、登米市に北部支援センターを設置し、その他の地域を仙台のみやぎ支援センターが担う体制とした。
(2)障害者支援事業所の再開支援
在宅の障害のある人の被災状況の把握と併せて、障害者支援の福祉施設や作業所・グループホーム(以下、障害者支援事業所)などの被災状況の調査活動も並行して取り組んだ。調査結果の詳細は、後述するが、ここでは、その再開支援の活動について述べる。
避難所や福祉避難所を訪問するなかで、障害のある本人や家族からは、「早く作業所を再開してほしい」という要望が多く出された。しかし津波被害の大きかった沿岸部では、5月の段階で再開できない状態の事業所も少なくなかった。運営主体が社会福祉協議会の場合は、とにかく地域の避難所の管理・運営、ボランティアの受け入れと運営に忙殺され、事業所再開どころではなかった。
また建物が全壊してしまっている事業所は、津波被災地域でその代替えとなる物件を確保することは、極めて困難な状況にあった。もちろん被災地域の行政、社協、法人・事業所の職員の多くも被災当事者なのである。家族に安否未確認者がありながらも、被災した住民や障害のある人とその家族の避難生活の支援と、自治体や事業所の機能回復に日夜追われている状況にあった。けれども、地域によって時間差はあるものの、4月末~5月中旬以降は、各事業所で再開の方向が検討されはじめた。
みやぎ支援センター、北部支援センターでは、こうした事業所再開の支援活動に積極的に取り組んだ。具体的には、南三陸町、石巻市、東松島市、名取市、山元町などでの事業所の再開にあたって、継続的な支援員の派遣に取り組んだ。さらに事業所再開にあたっては、全国の障害者支援事業所に呼びかけ、車両の確保と提供、難民を助ける会と連携した施設の修繕・仮設作業所の建設などの支援活動に取り組んだ。
●JDF 支援センターによる訪問・対話、支援活動の経過
月 | JDF みやぎ支援センターによる主な支援活動 | 訪問対話件数 | JDF 支援員 |
---|---|---|---|
3 |
|
294 | 1,316 |
4 |
|
||
5 |
|
374 | 1,363 |
6 |
|
437 | 1,245 |
7 |
|
161 | 684 |
8 |
|
292 | 726 |
9 |
|
429 | 909 |
10 |
|
140 | 208 |
11 |
|
78 | 406 |
12 |
|
宮城県 障害者支援事業所別被災及び再開状況一覧表 2011年6月15日現在
事業所別被災状況 | 流失・全壊・半壊相当の被害のあった事業所 | 流失・全壊・半壊等の事業所 | 軽微の損壊があった事業所 (修繕等に費用がかかる |
軽微の損壊があった事業所 (修繕等の費用負担なし) |
損壊のなかった事業 | 合計 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
閉鎖・再開のめどが立たない | 他の場所で事業を再開した | 損壊施設で事業を再開した | ||||||
肢体不自由児施設 | 1 | 1 | ||||||
知的障害児通園施設 | 2 | 4 | 1 | 7 | ||||
児童デイサービス | 2 | 2 | 4 | 5 | 9 | 32 | 50 | |
重症心身障害児施設 | 1 | 1 | 1 | |||||
生活介護 | 1 | 1 | 2 | 1 | 14 | 18 | ||
就労移行支援 | 1 | 4 | 3 | 8 | ||||
就労移行支援(A型) | 4 | 1 | 1 | 6 | ||||
就労移行支援(B型) | 1 | 1 | 4 | 6 | 8 | 11 | 8 | 33 |
多機能 | 2 | 2 | 23 | 30 | 19 | 74 | ||
自立訓練 | 1 | 1 | ||||||
GH・CH | 5 | 3 | 3 | 11 | 12 | 2 | 73 | 98 |
居宅介護 | 1 | 1 | 2 | 1 | 7 | 10 | 20 | |
就業・生活支援センター | 1 | 1 | 4 | 5 | ||||
相談支援 | 1 | 6 | 14 | 21 | ||||
短期入所 | 1 | 1 | 2 | |||||
地域活動支援センター | 1 | 4 | 3 | 8 | 18 | 10 | 25 | 61 |
身体障害者通所授産施設 | 2 | 2 | ||||||
身体障害者入所授産施設 | 1 | 1 | 2 | |||||
身体障害者入所更生施設 | 1 | 1 | ||||||
身体障害者療護施設 | 1 | 3 | 4 | |||||
知的障害者通所授産施設 | 8 | 5 | 3 | 16 | ||||
知的障害者通所更生施設 | 2 | 2 | 6 | 1 | 9 | |||
知的障害者入所更生施設 | 11 | 3 | 8 | 22 | ||||
知的障害者入所授産施設 | 1 | 1 | ||||||
精神障害者通所授産施設 | 3 | 2 | 2 | 7 | ||||
精神障害者生活訓練施設 | 1 | 1 | 2 | |||||
障害者支援施設 | 2 | 4 | 6 | |||||
福祉ホーム | 1 | 1 | ||||||
知的障害者通勤寮 | 1 | 1 | ||||||
在宅心身障害者保養施設 | 0 | |||||||
在宅心身障害者保養施設 | 1 | 1 | ||||||
精神障害者小規模作業 | 5 | 8 | 13 | |||||
知的障害者小規模作業所 | 2 | 2 | 4 | |||||
コミニティサロン | 2 | 2 | ||||||
合 計 | 10 | 13 | 15 | 38 | 113 | 114 | 235 | 500 |
(3)避難所から仮設住宅への移転時期における障害のある人と家族の状況(7~12月)
5月末頃から、仮設住宅の申し込みや抽選が始められた。本格的な仮設住宅への転居は7月に入ってからが多かったが、6月は各地の説明会や希望する仮設住宅の下見のための移動支援などの要望が増えてきた。7月の訪問活動で対話した件数は、161件、8月は292件、9月は429件、10月は140件、11月から12月1日の東部支援センター閉所までは78件だった。
7月に入ると仮設住宅の下見、転居の要望が多くなってきたが、同時に、入居後の問題も増えてきた。その多くの要望は、仮設住宅の周辺が砂利道であること、段差が多く車いすや杖歩行での生活が困難であること、住居内に手すりがなく、特にユニット形式のトイレ・浴室がすべりやすく危険であることなどである。
みやぎ支援センターでは、特に被害の大きかった石巻市と女川町への支援を重点とするために、8月中旬、涌谷町にみやぎ東部支援センターを開設し、より身近で迅速な支援活動ができるようにした。併せて北部支援センターによる気仙沼市、南三陸町への支援活動は継続し、この二つの支援センターを軸に、避難所への訪問とともに仮設住宅への転居、転居後の要望の収集にあたった(南三陸町、石巻市等への事業所支援は継続)。なお、みやぎ支援センターの本部機能は仙台市障害者福祉協会に残置した。
南三陸町と女川町では、行政・保健師とみやぎ東部支援センター・北部支援センターとの定期的な協議を行いながら、寄せられた要望への対応、支援活動の情報交換等を行いながら活動した。女川町では、行政、保健師、町立病院のOT・PTとの連携が大きかった。JDFを通じて得た厚労省や宮城県の情報と、また町の情報を意見交換しながら、仮設住宅の改修方法や制度活用できるものと、制度の活用が困難な事例を整理しながら、避難所・福祉避難所で生活している障害のある人や高齢者の仮設住宅への転居、転居後の生活環境改善に取り組んだ。
障害福祉や介護保険、復興支援制度等の制度が使える場合は、できるだけそれを活用しつつも、それが困難な場合は、難民を助ける会や民間の助成金等を活用しながら、支援につなげた。
特に問題となったのが、仮設住宅の改修問題であった。国と県の見解に齟齬があり、結果として改修は困難ということで、段差解消は難民を助ける会などの協力を得て、またユニットバスの手すりと滑り止めは、女川町立病院の提案で、ツッパリ棒と滑り止めマットを仮の設備として設置し対応することとした。設置要望の情報を町とみやぎ東部支援センターで共有しながら、設置作業をみやぎ東部支援センターが行い、女川町立病院が安全確認とアフターケアを担当した。
その他にも仮設住宅をめぐっては、さまざまな改善要望が出されたが、それらの要望には一つひとつ個別の対応をしながら、避難所から仮設住宅への転居を支援し、12月初旬をもって、最後の避難所生活をしている障害のある人の転居支援を終えて、支援センターによる人的支援に区切りをつけた。なお南三陸町では、その後も行政・障害者団体・北部支援センターとの定期協議は続けられ、2012年3月まで行われた。
(4)障害者支援事業所の被災状況
みやぎ支援センターは、開設と同時に、沿岸部を重点に障害者支援事業所の被災状況についての調査を行った。第一次調査結果は、2011年4月20日に、流失・焼失・全壊等30か所を含めて93か所の事業所が被災したことを公表した。
この調査結果とともに、その後宮城県が電話による聞き取り調査を行ったデータをもとに、6月から県内500か所の障害者支援事業所の再開状況の調査を行った(6月15日現在)。
500か所の事業所のうち、損壊のなかった235か所の事業所、ならびに軽微の損壊に留まった227か所の事業所の多くは、震災後の一定の時期に再開していた。また、流失・焼失・全壊・半壊してしまった事業所は38か所あり、そのうち、既存の建物を修繕して再開したところが15か所、他の建物やプレハブ等を利用して再開した事業所は13か所だった。
しかし震災から3か月を経た6月15日においてもなお、閉鎖し再開のめどがたっていないところが10か所あり、その事業内訳は、グループホーム・ケアホームが5か所、児童デイサービスが2か所、就労継続支援B型、就業・生活支援センター、地域活動支援センターが各1か所だった。8月末の段階でも、6か所の事業所が未再開のままであった。
震災から2年を経た現在もなお、1か所の事業所が未再開のままである。
3.被災障害者支援の今後の課題
ここでは、支援活動で浮き彫りにされた点について問題提起したい。
(1)被災時における要援護者情報の活用のあり方
災害救助法では、障害のある人や高齢者など、災害時に避難が困難とされる人の情報を市町村が事前に収集し、災害時の救済援護に活用するとされている。しかし東日本大震災では、多くの困難が伴った。
今回の大津波が極めて広域かつ壊滅的な被害をもたらしたことによって、震災直後、沿岸部の多くの自治体は、避難所運営と避難者への支援、死亡・安否確認等の対応、ライフラインの復旧、義援金等の支給手続きなどの業務に追われ、要援護者に対する個別の対応がほとんど困難な状況にあった。沿岸部自治体の多くの社会福祉協議会も、避難所運営やボランティアの対応に忙殺され、直営事業の再開に着手できない状態が長期に続いた。
一方、町役場そのものが津波によって壊滅的被害を受け、障害のある人の台帳やデータが流失してしまった自治体が複数あった。こうした自治体では、障害者手帳の再交付申請やタクシー券の配布等を通じて、安否の確認や生活状況の把握をするしかなかった。またその際、行政担当者や社協、保健師等とみやぎ支援センターが協力しながら、障害のある人の訪問支援活動を実施した自治体がいくつかあった。
こうした教訓から言えることは、民間ボランティアに要援護者台帳を提供し、要援護者の個別安否確認と生活状況の把握に取り組むことである。個人情報保護法及び条例においても、「生命、身体または財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」は、個人情報を公表することができる。例えば気仙沼市は、震災直後に行政が住民台帳を住民自治会や民生委員等に提供し、住民の安否確認のために市民の協力を仰いだ。
自治体の行政機能にも大きな被害を与えるほどの震災の場合は、住民全体の情報もさることながら、高齢者や障害のある人、幼児など要援護者個別の状況と要望の把握を必要とする場合は、個人情報を行政と連携できるボランティア団体に提供し、安否確認や生活状況の把握をすることは必要なことと思われる。
(2)応援職員の被災地派遣の改善課題
厚労省は、震災直後に全国の高齢者・障害者・児童施設に対して、応援職員の派遣登録を呼びかけ、多くの職員が登録した。2011年3月22日現在で、登録職員数は7,019人に及び、そのうち障害分野だけでも1,811人の職員が登録した。
こうした機敏な対応は評価できるが、職員派遣は思うように進まなかった。その原因は、派遣職員の交通費、滞在費、人件費を、被災地の受入事業者が負担するというものだったためであった。
その後厚労省は、2011年4月15日に訂正の事務連絡を発表し、交通費と滞在費は災害援助費から支出するが、人件費は被災地の受入事業者が負担するという内容だった。その理由は、受入事業者に、定員超過の利用者の受け入れを認めており、それによる報酬費が人件費の財源になるという理由からだった。
しかし、被災地の多くの受入事業者は、在宅の制度対象の障害者だけでなく、その家族の避難をも受け入れており、それらの避難者は制度の対象にはならない。しかも人件費は、派遣事業者と受入事業者が協議して決めるというものだったため、受入事業者は経験のある職員を受け入れたいが高い人件費を払えない。一方、派遣側も安い人件費であれば新任職員等を派遣せざるを得ないため、4月15日の事務連絡をもっても、派遣された職員数は派遣可能職員数を大きく下回った。
2011年9月2日現在の派遣可能人数の総数は7,719人中であり、そのうち障害分野は約1900人だったが、実際に派遣に至った人数は、岩手県19人、宮城県74人、福島県55人、合計148人だった(厚労省発「第97報」より)。
(3)福祉避難所の意義と改善課題
震災弱者の避難を支えるうえで、福祉避難所の意義は大きなものがある。一般の指定避難所で生活することが困難な震災弱者に対して、特別なニーズに対応するためにも必要な救助策である。しかし、今回の震災で、いくつかの問題点が浮き彫りになった。
第1には、避難者や要援護者からすると、「いったいどこに福祉避難所があるのかわからない」という問題が生じた。
第2には、市町村に申請すれば、福祉避難所の指定を受けることができるということを多くの自主的な避難所となった障害者支援事業所は情報として持ち得ていなかった。
第3には、福祉避難所に対する財政的支援が十分ではない。災害援助費からは「避難者10人に一人の支援員」の人件費が補助されるが、障害のある人や高齢者とその家族の24時間の生活を支えるためには、「10人に一人」ではとうてい足りない。これらの点は早急に国レベルで見直す必要がある。
第4には、避難生活が長引くことによって、福祉避難所が通常の活動に復帰することが困難になってしまったことである。その意味では、コミュニティセンターや他の公共資源、民間ホテルの借上げなども含めて、第3次の避難所確保の対策を準備しておく必要がある。
(4)仮設住宅等での避難生活の現状と浮き彫りにされた問題点
仮設住宅の整備では、多くの問題点が浮き彫りにされた。宮城県では、県内に約22,000戸の仮設住宅が整備された。そのうち高齢や障害福祉のグループホーム等を適用した「福祉仮設住宅」が290戸整備された。当初、宮城県は3万戸の仮設住宅の整備を計画していたが、一般の借上げ住宅を希望する避難者が多かったため、そうした避難者に対しては、「見なし仮設住宅」と称して、家賃補助を支給する応急仮設住宅(民間賃貸)として制度化した(4人世帯で月60,000円)。そのため宮城県は、この応急仮設住宅(民間賃貸)希望者が約26,000世帯に及んだことから、仮設住宅の整備計画を縮小した。「福祉仮設住宅」の整備は今回の新しい特徴だったが、仮設住宅全体について以下の問題点があげられる。
第1には、被災者の約6割が60歳以上の高齢者であることが明らかであったにもかかわらず、仮設住宅の多くは、段差や階段が多く、仮にスロープがついていたとしても、急な勾配であるなど、多くの問題が発生した。特に、手すりのないユニットバスやトイレが設置されてしまったため、多くの高齢者や身体障害のある人たちにとって、利用しにくい住宅になってしまった。後付けで手すりを取り付けようとしても、ユニットバスの構造上の問題から取り付けが不可能なケースが多かった。
第2には、住民票所在地ではない市町村に設置された仮設住宅に入居した場合、介護保険や自立支援法等の制度を活用して住宅改修ができない問題が生じた。それらの市町村は、名取市、女川町、気仙沼市、南三陸町と被害の大きかった自治体に、合計1,117戸設置されたが、それらに入居した当事者は、住宅改修が困難になった。その際、国の災害援助費によって改修することができるはずであったが、宮城県は極めて消極的だった。
その他、冬季対策が施されていなかったため壁面の暖房工事を追加工事で行うなど、当初から想定されることが後手にまわっていた。なおすべての仮設住宅のユニットバスは、追い炊きができないため、厳寒期の入浴に大きな問題が生じた。
第3には、民間賃貸に対する家賃補助を支給する応急仮設住宅避難者の生活状況を市町村が把握していない点である。なぜならば、仮設住宅整備の責任は国と県にあり、応急仮設住宅(民間賃貸)の家賃補助の申請・給付窓口が県になるため、市町村は応急仮設住宅(民間賃貸)避難者の所在地を把握していない。しかも住民票所在地ではない地域の応急仮設住宅(民間賃貸)に避難しているケースが多く、プレハブの仮設住宅での生活が困難な障害の重い人とその家族ほど応急仮設住宅(民間賃貸)に避難していると思われたが、その実態数を把握することは、前述の事情から不可能だった。また住民票所在地でない場合が多いため、在宅福祉サービス等の支援が実施されているかが大きな問題になった(現在は、住民票所在の自治体でなくてもサービスを受けられるようになっている)。
なお、2012年1月の時点で26,631件あった応急仮設住宅(民間賃貸)への申請件数は、2012年11月現在の21,479件の入居者に減少している。これは自宅の改修・建替えが終了し、自宅に戻ったためだとのことであり、徐々に減少しつつも、毎月300件の増減があると言われている(宮城県報告)。しかし、毎月の転居件数も含めて応急仮設住宅(民間賃貸)に暮らしている障害のある人とその家族の正確な実態は把握できていない。
第4には、県外避難者の問題である。2012年12月末をもってすべての県内避難者は、仮設住宅ならびに応急仮設住宅(民間賃貸)に移行したが、2013年1月現在も県外に約8,700人が避難している。実はこの県外避難者数は、仮設住宅への移行が始まった7月以降に急増し、11月以降にさらに増えた。しかもこれら県外避難者にも、多くの障害のある人とその家族が含まれると思われるが、その生活や就労実態等について、宮城県はもちろんのこと、政府もまったく把握できていない。
宮城県における市町村別仮設住宅等の整備数
市町村名 | 当該市町村設置数 | その他の市町村設置数 | 整備数合計 | グループホーム等適用仮設住宅(総数に含む) | 応急仮設住宅(民間賃貸住宅分) | 他県避難者 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
障害 | 高齢 | 他自治体の設置状況 | 2011年9月申請 | 2012年1月申請 | 入居決定件数 | 2012年11月30日現在 | ||||
仙台市 | 1,523 | 0 | 1,523 | 18 | 8,724 | 8,724 | 8,808 | |||
石巻市 | 7,297 | 0 | 7,297 | 56 | 88 | 6,774 | 6,849 | 4,409 | ||
塩竃市 | 206 | 0 | 206 | 370 | 390 | 506 | ||||
気仙沼市 | 3,131 | 320 | 3,451 | 45 | 1,673 | 1,724 | 1,354 | |||
白石市 | 0 | 0 | 0 | 231 | 257 | 186 | ||||
名取市 | 889 | 21 | 910 | 5 | 16 | GH21戸は仙台市 太白区に設置 | 1,264 | 1,292 | 855 | |
角田市 | 0 | 0 | 0 | 132 | 140 | 197 | ||||
多賀城市 | 373 | 0 | 373 | 1,358 | 1,399 | 1,084 | ||||
岩沼市 | 384 | 0 | 384 | 440 | 454 | 569 | ||||
登米市 | 0 | 0 | 0 | 223 | 238 | 389 | ||||
栗原市 | 0 | 0 | 0 | 32 | 32 | 57 | ||||
東松島市 | 1,753 | 0 | 1,753 | 10 | 16 | 1,325 | 1,345 | 907 | ||
大崎市 | 0 | 0 | 0 | 412 | 421 | 528 | ||||
蔵王町 | 0 | 0 | 0 | 32 | 35 | 28 | ||||
七ヶ宿町 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1 | ||||
大河原町 | 0 | 0 | 0 | 108 | 113 | 130 | ||||
村田町 | 0 | 0 | 0 | 8 | 9 | 12 | ||||
柴田町 | 0 | 0 | 0 | 84 | 92 | 172 | ||||
川崎町 | 0 | 0 | 0 | 7 | 7 | 5 | ||||
丸森町 | 0 | 0 | 0 | 12 | 12 | 14 | ||||
亘理町 | 1,126 | 0 | 1,126 | 706 | 720 | 245 | ||||
山元町 | 1,030 | 0 | 1,030 | 771 | 781 | 78 | ||||
松島町 | 0 | 0 | 0 | 73 | 77 | 162 | ||||
七ヶ浜町 | 421 | 0 | 421 | 216 | 222 | 85 | ||||
利府町 | 0 | 0 | 0 | 114 | 125 | 177 | ||||
大和町 | 0 | 0 | 0 | 54 | 59 | 76 | ||||
大郷町 | 15 | 0 | 15 | 1 | 1 | 10 | ||||
富谷町 | 0 | 0 | 0 | 108 | 120 | 116 | ||||
大衡村 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | ||||
色麻町 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ||||
加美町 | 0 | 0 | 0 | 30 | 31 | 22 | ||||
涌谷町 | 0 | 0 | 0 | 54 | 56 | 90 | ||||
美里町 | 64 | 0 | 64 | 78 | 88 | 97 | ||||
女川町 | 1,004 | 290 | 1,294 | 9 | 465 | 477 | 55 | |||
南三陸町 | 1,709 | 486 | 2,195 | 27 | 高齢9戸は 登米市に設置 | 331 | 338 | 52 | ||
合計 | 20,925 | 1,117 | 22,042 | 71 | 219 | 26,213 | 26,631 | 21,479 | 約8,700 |
2012年11月30日現在
おわりに
障害のある人の問題に限らず、被災地の復興には、まだ多くの時間を要する。福島では原発問題を抱え、住民や自治体行政の努力ではとうてい解決できない問題を孕んでいる。その意味では、政府による責任かつ積極的・継続的な復興策の推進を欠かすことはできない。そのうえで、障害分野についての基本的な視点について問題提起し、報告を終えたい。
第1には、まず早急かつ正確な実態把握である。自宅、仮設住宅、応急仮設住宅(民間賃貸)、そして県外避難者の生活・就労状況と必要な支援策の確立である。
第2には、震災被災に伴う困難と併せて障害に伴う多くの困難・障壁が残されている。それを踏まえた復興計画の推進と見直しである。多くの被災自治体の復興計画は、「自治体のコンパクト化」や「復旧中心の対応策」に留まっていると言わざるを得ない。それは小さな自治体になればなるほど顕著であり、決して当該自治体の責任ではない。国難としての大震災であったことを踏まえるならば、政府の責任と積極的・継続的な支援は、絶対に欠かせない。
第3には、被災地の人々の意向や要望を前提とするならば、震災以前の暮らしや仕事、人と人との結びつきなどのコミュニティを取り戻すことは当然のことであるが、さらに震災以前よりも誰もが暮らしやすい社会にすることを目標とすべきである。それは、障害のある人や高齢者など誰にとっても暮らしやすい社会をつくることである。それこそインクルーシブな社会をつくることにつながる。