音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

東日本大震災の視覚障害者支援とその教訓
- 日本盲人福祉委員会の支援活動 -

社会福祉法人 日本盲人福祉委員会
元 東日本大震災視覚障害者支援対策本部事務局長 加藤 俊和

1.支援体制の立ち上げ

(1)なぜ日本盲人福祉委員会に対策本部を立ち上げたか

 直後の支援は困難:東日本大震災では、大震災が勃発して視覚に障害がある方々は甚だしく過酷な状況にあったことは分かっていた。しかし、被害の集中している沿岸部では道路が津波で寸断されていて、ガソリンも入手が困難な状況の中で、数百km以上にわたって点在する避難所をただ巡るだけでは、わずかな比率にすぎずかつ障害を隠していた人が多い視覚障害者を見い出すことが非常に困難であった。

 対策本部の設置へ:勃発直後から、情報や視覚障害リハビリテーションの関係者が連絡をとりあって、社会福祉法人日本盲人福祉委員会(日盲委)に対策本部を設置し、3月22日に活動が開始された。

まず、岩手・宮城・福島3県の視覚障害者団体や点字図書館(情報センター)、および盲学校同窓会の3種類、合計9団体に視覚障害者のリストの提供を求めたが、予想どおり、個人情報保護法と指定管理者制度の制約などを理由に、どこも当初は難色を示された。しかし、日盲委という由緒ある組織での活動であることを元に各県にかけあい、なんとかリストを入手できたのは3月末になってからであった。このように、「日盲委」という、すべての団体の上位となる、全国的にも実績のある組織のおかげで各リストを得ることができたと言えよう。

 (注)社会福祉法人 日本盲人福祉委員会(日盲委):わが国における総括的視覚障害関係団体で、鳥居篤治郎氏が当事者、施設、教育の三分野をまとめて1955年に立ち上げ、現在の障害者福祉の基礎となる数多くの成果をあげた組織。

(2)現地支援の実施

 支援者募集の呼びかけ:現地支援を行うには、視覚障害についての専門的な知識と対応する能力が必要なことから、現地支援者としては「視覚障害者の相談支援を行っている者」を原則として、視覚障害リハビリテーション協会のメーリングリストなどで募集を行い、延べ50名が支援に当たることとなった。

 現地支援の実施:支援員は二人一組で、岩手県・宮城県・福島県の沿岸部を中心に訪問支援を実施した。まずは、岩手・宮城・福島3県で沿岸部で団体会員や点字図書館利用者などリストアップした視覚障害者586人に電話連絡をし、連絡の取れなかった236名を訪問し支援した。最初に自宅を訪れ、自宅が被害に遭っていたら付近の避難所を探し回り、支援する、という基本的な活動をまずは4月下旬まで行った。ただし連絡の取れないままの方も相当数存在したが、多くは親戚宅などへの避難されて不明であった。

 当初は把握も支援もできなかった多数の視覚障害者:残念ながら、苦労して入手した団体および施設利用者のリストではあるが、身体障害者手帳の発行数からすると10数%であり、団体にも属さず点字図書館等も利用しない「8割の方々」については、行政の把握している手帳所持者リストの個人情報の壁を乗り越えられない問題があった(岩手県を除く)。その後も、“8割あまりの人たち”についても何とか支援できないかと、各県と厚労省などと粘り強い折衝を続けた。その結果、6月以降に始まった「新たな支援活動」に結び付けることができた。

 被害の大きい沿岸部の重度視覚障害者の全員に「日盲委の支援情報を県・市から送付する」という新しい取り組みが実現した。日盲委としては行政機関の持つ個人情報に直接接触せず、届いた支援資料を読んでもらった本人から日盲委に連絡をしていただくことで支援するという方法であった。

 6月17日に宮城県からの送付が始まった直後から連絡先の携帯電話に問い合わせが殺到し始め、返信用に同封していたはがきや Fax も続々と依頼が日盲委に毎日20通、30通と寄せられ続けた。この資料は、7月26日には岩手県、9月8日に仙台市、12月に福島県、そして最後になったいわき市は2月下旬に送付された。

 「何らかの連絡」が届いたと思われる人は、約4千人

 「要望が日盲委に届いて支援している人」は約1,455人(当初支援236人の6倍)であった。

2.潜在化している大多数の視覚障害者

(1)大多数の中途視覚障害者の存在

 視覚障害関係団体会員や施設利用者は、身体障害者手帳の発行数からすると10数%であり、団体にも属さず点字図書館等も利用しない方々が8割以上存在している。この「潜在化している視覚障害者」の大部分は、中高年で視覚障害となった人々である。

 健常者は、必要な情報の80%以上を眼に頼っていきているが、50年、60年と、すべてを「見ること」に頼りきって生きてきた人が視覚を失うということは、代替手段など考えもしていないため、全てが「何もできない」状態になる。そして、個人差は大きいが、失明を受け入れられない状態が数年どころか10年以上続く人は多い。そのため、中途障害の中で視覚障害だけはずば抜けてほぼ100%の人が自殺を考えるほどである。このように、“中途視覚障害を乗り越えられず絶望の中に置かれたままの人”が多数存在している。

(2)中途視覚障害者の状態

 これらの方々の多くが、家族とも少しは親しかった近所の人たちからも離れ、命からがら避難所にたどりついていた。自分が視覚障害者であることを言えない人も多く、じっと孤立していた。支援員が発見して「いかがですか」と尋ねたとき、「なんで目が悪いと分かった!」と怒鳴られたり、嘆かれたりしたケースすらいくつもあった。

 なんとか聞き出して行くと、「音の出る時計って?」「拡大読書機って何か」という質問すら相次ぎ、宮城県の2011年7月時点の支援要望者300人への聞き取り調査を行ったところ、次のようなことが判明した。

 「音声時計を知らない」…43%

「日常生活用具の制度を知らない・使ったことがない」…56%

 これらの方々は、身体障害者手帳1・2級を持っており、「行政が連絡をしたはず」の人たちである。これらの人たちへの情報提供方法の適切さが問題となる。

 「6月以降の新たな取り組み」での情報の伝え方:これらの方々の大部分は、点字はもちろんのことであるが、「聞いて情報を得る」ことすら困難な状況にあることを踏まえる必要がある。

 “視覚障害者になりきれない方々”の理解は、「見て確認」する晴眼者のままの状態のため、資料を読んでもらっただけではほとんど記憶に残らない。そのため、「6月以降の新たな取り組み」で送付した資料の、本人に伝える部分は「困っていませんか?? 音の出る時計があります! 連絡はこちら」などだけの、“鮮明に記憶しやすいインパクトの強い数行”の内容に限定し「ここだけを読んでください!」の最初の1枚とした。その他の資料はあとに回した。

(3)ロービジョン者(弱視者)への対策

 手帳3~6級の方々もそれぞれ支援の必要があること、身障者手帳が取れる視力・視野なのに、手帳を取っていない方々も手帳保持者以上に存在するとも推測されていることなど、災害時は幅広く支援していく必要がある。

 「災害時用援護者の避難支援ガイドライン」には、要援護者の障害程度は「身体障害(1・2級)」が例示されており、これを元にして各地で策定されているさまざまなガイドラインやマニュアルでも、ほとんどの地域でそのまま踏襲されている。しかしながら、東日本大震災でも、避難するときには全盲者と変わらない状態に陥った人が多数存在した。単純な“要援護者”の線引きによって、ロービジョン者が支援対象とならないことは、大きな問題と言える。

3.視覚障害者の犠牲者

(1)視覚障害者の犠牲者はほぼ110人

 震災で犠牲になった障害者の障害別の数値は、まだ詳細のわからない市があって不明な部分が若干残っているが、視覚障害者の犠牲者はほぼ110人と推定されている。この数値は犠牲者総数18,550人の約0.6%となり、視覚障害者の対人口比0.3%の約2倍に相当し、「障害者の犠牲率は2倍も」と言われていることと合致する。

 だが、「障害者の犠牲率は2倍だから障害者対策を」だけでは適切ではない。

 一般の犠牲者の中で65歳以上の高齢者が1万人以上で55%にも達している。一方、厚生労働省実態調査では、各障害者の65歳以上の比率はそれぞれ6割以上となっており、「高齢の犠牲者が非常に多くその中に多くの障害者も含まれている」という分析もできる。すなわち、障害者の個別対策は当然必要だが、「高齢の中途障害者の対策」でないと、犠牲者は減らせないことを示している。

(2)被災視覚障害者は半年間で4%も亡くなる

 視覚障害者関係では、3県2市から沿岸部1・2級障害者全員に連絡資料を発送するという新たな取り組みが行われ、3割以上の沿岸部視覚障害被災者から支援の要望が寄せられた。その中で最も早く6月下旬から始まった宮城県下の支援した方々にフォローの連絡をしている中で、357名と連絡がとれたが、勃発後6か月から1年後までの半年間にそのうち14名も亡くなっておられた。この数字は1年間でいうと8%に相当する異常に高い死亡率である。

 命からがら避難した当初は医者どころか必要な薬も持ち出せず、眼圧の上昇をはじめとするさまざまな急性症状を抑えることすらできないままとなっていたこと、過酷な避難生活によるストレスなど、大津波からは助かったのにその後の環境の悪さで貴重な生命が奪われる結果となっていったことを示している。

4.大災害が勃発したときの支援をどう準備するか

(1)支援団体の即時立ち上げと活動

 視覚障害や聴覚障害、肢体不自由といっても障害の状況はさまざまである。それぞれの障害者への専門的な支援ができる、“適切な団体”が災害勃発直後から対策本部を設置して活動を始める必要がある。その専任責任者や事務員の配置、資金など、直後からの迅速な支援が、過酷な障害者の状況を少しでも緩和することにつながる。

(2)視覚障害者リストの入手への準備の必要性

 行政から身体障害者手帳所持者リストなどがすぐに提供する体制が必要である。このようなときには、個人情報保護よりも優先することを確認し、早急に具体的に利用できるよう準備をしておく必要がある。

 行政各機関としては、身体障害者手帳所持者リストについて、即時開示、誰が開示するか、簡素な開示手続き、どのような団体に開示するか、などを明確に決めておかなければならない。

 また、開示を受けることになる支援団体も、開示された資料を受け取って扱う実質的な責任者が任命されているか、入手した個人情報を扱う規定など適切に管理する体制が準備されているか、が問われる。今回の大震災において、「団体に入れば支援できる」と言うような、個人情報の目的外使用の懸念を抱かせる障害者団体役員の不適切な発言もあった。厳に慎むべきである。

(3)対策と支援のマニュアル

 今回の東日本大震災を受けて、厚生労働省委託事業として3種類のマニュアルが製作され配布されている。(問い合わせ・入手方法等については、日本盲人福祉委員会、日本盲人会連合まで。)

① 「視覚障害者のための防災・避難マニュアル」(製作:日本盲人会連合)
(視覚障害者地震や家族のためのマニュアル)

② 「災害時の視覚障害者支援者マニュアル」(製作:日本盲人福祉委員会)
(視覚障害者を支援する人たちのためのマニュアル)

③ 「災害時の視覚障害者支援体制マニュアル」(製作:日本盲人福祉委員会)
(視覚障害者関連施設・団体、行政担当者のためのマニュアル)