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東日本大震災を通して・われわれの課題

公益社団法人全国精神保健福祉会連合会

はじめに

 今回の東日本大震災は、私たちに災害への備えと有効な情報が非常に大切であることを教えてくれたように思う。あの未曽有の震災と津波が起きたあと、東京にあって帰宅難民状態になったわれわれにすら、情報が遮断され、途方に暮れてうろうろと歩き回るはめになった。被災地ではライフラインが破壊された。家族の安否すら確認することができない状態が続き、茫然としたと聞く。そんな中で自筆で書かれた瓦版が役に立った。こうした大災害の時、何が必要で、何が役にたったのか、今後の備えに十分な検証をしておく必要がある。

みんなは大丈夫なのか?

 震災後1日たって、被災県の家族会長に連絡を取ることにした。岩手県の会長は盛岡だったので、津波の被害がなく地震の被害も少なく大丈夫と確認が取れたが、海側の情報は全く分からないという。福島県の会長宅も地震の被害だけであったが、福島は放射能のこともあって家族会の人は周辺各地にばらばらになった。把握のしようがないという。宮城県では事務局と連絡が取れたが、会長の安否は分からなかった。その後も連絡を取り続け、会長は九死に一生をえて、自宅の二階に住まれていることが分かった。

 当会としてはとにかく義援金の募集をすることにした。月刊「みんなねっと」誌と県連への通信を使って義援金を募り、状況が分からないという西日本側の家族会には月刊誌の特集や臨時通信で被災地の様子を伝えることにした。

 また団体内で理事長を本部長とした災害対策本部を立ち上げ、情報収集と義援金の使い方などを検討することとした。

精神障がい者に与えた震災の影響

 今回の大震災によって、精神科病院も被災した。病院は使えなくなり入院患者は遠く東京の病院までにも転院せざるを得なかった。またある家では入院中だった娘さんが突然帰されてきた。具合が悪く数日家で過ごしたが、家族がやっとの思いで捜した病院に入院したという報告もあった。災害時入院者についてどのように関連病院と連携していくかは重要な課題である。災害を想定した計画を立てるべきである。

 震災のショックは誰にも大きかったが、精神障がい者にもやはり影響があったように思う。調子を崩して入院する人も少なくなかった。転院させられた人、具合が悪くなって入院した人が一日も早く安心できる場所に退院できるような手当が必要である。実際今でも被災地周辺の精神科病院は定員オーバーの状況が続き、家がなくなって退院先がない人がいると聞く。必要のない入院を早期に切り上げ、地域で支えることが必要である。こうしたことに関しても、地域の基盤をしっかり作っておくことが大切である。

 医療機関に関しては、被災したために薬がもらえないという事態が起きた。今回は製薬会社等の迅速な判断で何とか行きわたったということだが、きちんと服薬している人はほとんど薬の予備はない。また薬には消費期限があるので、古い薬は使えない。一日でも薬を飲めないことがないよう、予備の薬を定期的に出す、臨時の薬局を設置をするなどの対策が必要ではないか。

 また精神障がい者には避難所生活は人が多くて辛く、民間アパートを借りた人も多いと聞いている。家族会のAさんのお宅は一階が流されてしまった。当事者は地震の時自宅にいて、家族は勤めに出ていた。当事者は自分で避難所に行き、家族とも無事に出会えた。その後は自宅の2階に住んでいる。

 大津波は精神障がい者が利用する作業所も流してしまった。通所者は無事だったが行く場所を失った。再建できたところもあるが、あきらめたところもある。放射能の影響で出ざるを得なかった作業所もある。当事者は住まいと行き場の両方を失った。通所者の中には津波で家族を失った人もいる。何とかグループホームに入ることができたが日常生活や心理的な面でケアを必要としていることはいうまでもない。

義援金を配分、再建に役立てる

 機関誌等で呼び掛けた義援金は1,800万近くが集まった。被害の大きかった福島、宮城、岩手の3県に義援金を、比較的被害の少なかった県には見舞金を配分した。その中の福島県では、被災者は全国に散らばってしまったので把握できないため、再建を目標としている事業所5か所に100万ずつ配分したと報告があった。津波で跡形もなく流された作業所、放射能のため移転を余儀なくされた作業所には各方面からの義援金が役立った。

家族会としての課題

 東日本大震災はすでに述べたように多くの課題をわれわれに投げかけた。一方家族会として考えてみると、思っていた以上に家族会のつながりが薄まっていることである。災害の状況下では連絡がつきにくいことは致し方ないが、ひとりひとりの家族会員の状況がなかなか把握できなかったということがある。いざというとき日ごろの連絡体制、付き合い助け合いの在り方が関係する。中央組織の力不足も痛感した。どんな支援が必要とされているのか分かり切れず、義援金の募集のみに終わってしまったことは後悔が残る。関連の団体や学校などにボランティアを要請できるような関係作りができていなかったこと、日ごろから災害時の実質的な支援の問題を論議していなかったこと、高齢の会員が多い状況を変えられていないなど、機動力のある組織になっていないことなどを痛感した。今後は家族、家族会、関係者のつながりを強め、災害時の在り方について論議を深めていきたいと考えている。