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全国「精神病」者集団の取り組みと提言

全国「精神病」者集団
運営委員 桐原 尚之

1.今回の震災全体を通じての見解

 2011年3月11日の大地震を契機とした一連の災害は、日本が先延ばしにしてきた重大な課題が、一気に吹き上がり顕著になったものと感じる。日本が先延ばしにしてきた重大な課題の一つに、障害者の問題がある。全国「精神病」者集団では、「災害時要援護」としてではなく、これまで通り障害者の生命尊守と反差別の問題として震災対応に取り組んだ。

2.全国「精神病」者集団の対応

 全国「精神病」者集団では、東北、北関東、北陸の会員を中心にお見舞い文を添えて安否確認を行ったところ、全員大事なく、無事であると分かった。しかし、それだけでは、実情を把握するうえで十分ではないと考え、医療者中心のMLへの参加や、被災地みやぎ支援センター、被災地障害者支援センターふくしまへの人員派遣と、ゆめ風基金の援助を受けて宮城県精神しょうがい者団体連絡会議が行っている「こころのピアサポート電話相談」を通じた実態把握に努めた。人員派遣によって避難所等にいる何人かの精神障害者と話ができ、その中の一人から、「保健師や医師が来ることで、避難所から追い出される」という話を聞いた。

 2011年4月21日の『毎日新聞』で、精神障害のある男性が、避難生活や実家が浸水したショックで症状が悪化し、攻撃的な振る舞いが目立つようになり、運営側との間でトラブルになった、と報じられたことからも、精神障害者排除の可能性が理解できた。また、精神科病院からの避難者と知れると避難所から拒否されたり、避難バスを拒否されたり、挙句の果てに鍵をかけられたといったこともあったと聞いた。〈図─1〉

図─1
図-1

 どうしても医療者たちは、医療につなげることに必死となるが、それが、かえって問題となる場合もある。震災後、精神科医や臨床心理士らの巡回訪問活動が行われた。しばらくして、「カウンセリングお断り」と張り紙を貼った避難所が話題となる。これは、被災地の人たちが「支援の押し付け」や「非人道的介入」といった問題に抗議をした一例であった。その後、ある小児科医から「各都道府県から派遣されて支援に来た精神科医と、各大学の精神科チームが別個に行動していて合同ミーティングの場を提供しても合意が得られず困惑している」、「功名心を抑えない非人道的な調査を行っている」、「精神科チームのメンバーが、『自分たちは自己完結型のチームだから、他のチームとは交流しない』と明言している」などが書かれた文書が出された。2011年4月20日、日本精神神経学会は「東日本大震災被災地における調査・研究に関する緊急声明文」を発表して注意を喚起した。

 全国「精神病」者集団では、当初から上述のような問題が起こり得ると考え、とりわけ、この震災を機に精神科病院が焼け太りすることを危惧してきた。単なる震災対応ではなく、「精神病」者が生きられる社会を要求するという基本的なスタンスを変更しないことが確認された。

3.震災発生直後から今日までに見えてきた課題

 2011年3月17日、双葉病院から避難した患者のうち、約50人が相次いで亡くなるという事故(事件)が報じられた。当初、「患者避難の際、医師や看護師が付き添わず、避難所に着いたころには、ひどい栄養失調状態だった」と報じられたが、3月12日の患者避難の際は、院長がいたことが明らかとなり、のちに記事の訂正が行われた。これにより双葉病院の事故自体が事実無根のような誤解もなされたが、4月26日の『毎日新聞』や織田淳太郎(2011)の『精神病院に葬られた人々』からも分かるように、救出担当部隊から「双葉病院にはまだお年寄りがいる」と連絡があったのに行政の職員は「県警から避難は完了したと聞いている」の一点張りだったこと、少なくとも、13日、14日、15日とは、医師や看護師が付き添わなかったこと、3月12日付の死亡診断書のある遺体が4月6日になって双葉病院内から発見されたこと、結局、患者は置き去りにされたこと、認知症の高齢者を寝かせきりにしていたこと、双葉病院の周辺に原発が建設されたことなど、いくつかの点を線で結べば、障害者差別の問題が浮き彫りになってくる。

 また、双葉病院から転院した患者は、東京都内の精神科病院にもいた。2011年3月15日、入院の定員を超えて転院者を受け入れることができるとする通達(厚生労働省保険局医療課長・老健局老人保健課長通知「平成23年東北地方太平洋沖地震及び長野県北部の地震の被災に伴う保険診療関係等の取扱いについて」)が出された。もとより各病院の病床は満床状態であり、さらに転院者を受け入れたため病床が足りず、病院の体育館や床に布団を敷き療養する転院者もでてきた。一方、被災した病院の入院者の転院が叫ばれる中、通院者に対する措置は、皆無に等しい現状であった。病院が被災したことで入院医療が行えなくなるのは当然だが、通院医療だって十分に行えるはずがない。このことからも精神医療の入院中心主義を見ることができる。

 WHOが2001年に初めてまとめた「世界の精神保健統計」によると、日本の精神病床数は、世界の精神病床数(185万床)の18%を占めるという。厚生労働省社会援護局精神・障害保健課がまとめた『精神保健福祉資料─平成19年度6月30日調査の概要』(2007年6月30日)を見ると、日本の人口1万人あたりの精神病床数は27.93床であり、福島県の人口1万人あたりの精神病床数は37.0とさらに多いことがわかる。〈図─2〉

図─2テキスト
図-2

 2011年6月24日に開催された「震災問題に関する国際人権セミナー」(主催:日本弁護士連合会)で、国際連合人権高等弁務官事務所のアジット・スンハイ(Ajith Sunghay)氏が、「福島の問題は、『震災と障害』の問題ではなく、恣意的拘禁の問題である。復興は、元に戻すのではなく、インクルーシブな社会に作りなおすことであり、障害者権利条約がその基準とされなければならない。国連人権理事会の恣意的拘禁の作業部会に訴えてはどうか」との旨の発言をした。そもそも、合併症の老人を精神科病院に収容していたことに国際人権法上の問題が認められる。

4.今後に向けての提言

 全国「精神病」者集団としては、精神科病院に強制的に入院させられた患者の生命を第一に考えたい。第二に避難や避難所における排外とあらゆる問題を医療で解決しようとする医療化を批判し、避難者には避難者として、患者には患者として分けた対応を心掛けるべきであろう。第三に国家の責任という観点から緊急時の避難にかかわる権利を保障されなくてはならない。第四に薬の備蓄が最小限にしかされていないため、薬の入手が困難になったことから、標準的な薬の備蓄の基準と公的な備蓄体制を築く必要がある。加えて、福島で問題となった高齢の長期入院患者の多くは、障害者手帳を所持していないため、障害者手帳所持者を数えるだけでは実数把握に至らないことを指摘しておく。

 しかし、これらは災害対策の枠内でできることを挙げるとしたら、という前提のものである。被災地宮城県では、仙台の市街地に精神科クリニックが乱立し、一方で、石巻の郊外の精神科診療所は閉院せざるを得ない状況が確認された。つまるところ、格差の問題に帰結したのである。原子力発電所(核の問題)にしかり、従前からの問題があまりにも大きすぎる。それが災害によって顕著になったとしても、災害対策の枠内では解消できるような代物でない。すなわち、従前からの問題に取り組む市民の声に背かない政治の有り様こそが求められるのである。

 

参考文献

  • 織田淳太郎,(2011).「精神医療に葬られた人びと─潜入ルポ 社会的入院」光文社新書.東京
  • 兵頭晶子,(2011).「「双葉病院事件」をめぐって」情況6・7月合併号.情況出版.東京
  • 兵頭晶子,(2011).「双葉病院事件をめぐって─〈精神病院の日本近代〉という歴史からの問題提起」ネットワークニュース26.
  • 山本潔,(2011).「被災地から(時代は変わる)」全国「精神病」者集団ニュース37(2).東京