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東日本大震災からの今後の復興や防災対策に向けた提言

社団法人全国腎臓病協議会

はじめに

 2011年3月11日、東日本の広い範囲を襲った今回の大震災では、地震だけでなく大津波、原発事故、計画停電などさまざまな被害が発生した。透析患者及び透析医療をめぐってもさまざまなことが起こり、震災から1年半がたとうとしている今も、復旧すらままならない地域もある。当会でもどのような活動が必要なのか、試行錯誤を繰り返している状況である。本レポートでは、これまでの取り組みを振り返り、今後の防災対策に向けた課題の検討をする。

3.11被害の模様

 私たちは腎疾患が末期腎不全となり、血液透析が必要で基本的に1回4時間の透析治療を週3回受けている患者である。そして身体障害の内部障害に該当している。東日本大震災が発生した金曜日の午後2時46分という時刻は、ちょうど午後の透析時間もしくは透析の間の時間であった。この災害発生時刻はわれわれにとって非常に大きな意味を持つ。透析治療が実施されている時間か、それとも治療がおこなわれていない時間かで対応は全く異なるのである。阪神大震災と東日本大震災の大きな違いがここにある。

 震災発生直後から透析被災地の医療機関に断水と停電が発生した。透析治療には大量の水と電気を必要とする。それがストップすることは治療の継続が困難になることである。また、幸い今回の地震により建物に大きな被害が出たところはごく少なく、建物が大きく被害を受けたのは、海岸部を中心として巨大津波によるものが主であった。

 朝の透析を終え、あるいは実施中の透析を中止し沿岸部の自宅に戻った患者、そしてたまたま沿岸部の自宅に居り、避難が間に合わなかった患者など、数名の患者が津波により命を落とした

緊急透析の必要性

 人工透析は上記の通り週3回の治療が必要で、それは盆正月であろうと(時季に関わらず)、台風や災害発生時であろうと(いかなる自然条件のもとでも)変わらない。であるから患者はもちろん透析施設でも地震がとりあえず落ち着いたあと、それからの透析をどのように維持するかが大きな問題となる。

(1)災害発生時に治療中であった場合

 今回の地震が午後3時前であったため、透析治療中であった施設がいくつかあった。緊急時マニュアルに依ったところと依らなかったところがあったが、地震がおさまるのを待ち、治療の継続を中止し、針(血液浄化のため、血液を体外に取り出すための針と血液を体内に戻すための針)の抜去と止血を通常通り行ったところ、血液の体外循環をさせている回路を閉鎖のうえ切断したところと判断・対応はさまざまであった。そして直ちに避難した。透析機器が倒れたり、患者のベッドに何らかの被害があったという報告はない。

 ただ、津波の襲来により、施設の職員ともども患者が集団で転々と避難場所を求めて動いたところがあった。

 施設にいた場合は集団として避難することで、その後の緊急透析も施設スタッフと情報の共有ができており、患者にとっては心強いかぎりである。今回も福島県から新潟県や山形県などの近県に病院単位で避難した例などがある。

(2)災害発生時、自宅など施設以外の場所にいた場合

 災害から自身の身を守ることができたあと、すぐに普段の透析施設に連絡が可能であれば連絡し、そこで透析が可能かどうかの確認が必要となる。可能であれば、次回の治療時間を確認する。もし不可であれば直ちに受け入れ可能な施設を探さねばならない。今回の東日本大震災では、NHKを中心にラジオ・テレビが緊急透析受け入れが可能な施設を知らせていた。以前に比べ社会も透析のことを認知し、いかなる災害が発生しようとも透析治療を受け続けなければならないことが知られていることが分かった。

 宮城県では数か所の施設に患者が集中し、地震直後から数日間24時間体制で透析を実施した例があった。

避難に関する課題

 災害が発生すると自治体は避難所を開設し、住民に避難をよびかける。透析患者にとって、避難所に入ることにも注意が必要である。避難所で出される救援物資のうち、飲料水と食品について注意が必要なのである。提供されるものはバナナ、牛乳、即席めん、おにぎりなどが中心になるが、透析患者は食事制限(栄養制限)や水分制限(体重管理)がある。そのことを考慮すると、上記の食料や飲料はできれば摂取を避けなければいけない。今回の震災でも、避難所で自分が透析患者だということを申告せず、健康な人と同じものを食べ続け、結果的に体調を壊し亡くなった方がいた。

 自治体は福祉避難所を設置し運営しなければならないとされているが、災害発生直後の混乱の中で、患者としても人任せにせず、普段から自己管理に気を付けるなど自らの安全は自らで守ることが求められる。

 透析の確保も、災害発生から1週間が経つころからは、それまでと違った形での透析の確保が課題になる。いつまでも被災地に留まることが必ずしも良い選択とはならない。災害発生1週間後から1か月後、場合によれば数か月の間、被災地の医療機関がある程度復旧するまで、少し長期の避難透析が必要となる。

 今回、福島からは東京を中心に関東へ、宮城からは北海道や山形へ集団で移動し、治療を継続した。医療者間では、全国的なネットワークを通じて受け入れ可能施設(住まいも併せて確保が必要)の情報が集められ、有効に活用されている。

当会の活動と支援

 3月11日、地震発生時に当会会長、副会長1名、常務理事はたまたま東京駅近くの会場で会議に参加していた。会議は中断したが、3名で当面の対策の方向を確認した。

  • 3月12日、事務局内(東京都豊島区巣鴨)に宮本会長を本部長とする対策本部を設置する。
  • 全国組織から義援金を受け付ける。
  • 厚生労働省に災害時の透析確保及び患者の安全確保について要望する。

 3月12日に以上を決定・実施し、都道府県組織にも通知した。その後も、計画停電の実施についてをはじめ福島原発事故に関し厚生労働省はじめ関係機関にさまざまな要望を継続的に行った。

 2011年4月には宮本会長が支援物資を携え、被災地を訪問し、患者を励ますとともに、医療者をねぎらった。同月に宮城県腎臓病協議会の事務局内に全腎協現地対策本部を設置し、役員がそこを拠点に被災県組織への応援などに対応した。

 全国から寄せられた義援金は、総額7千万円を越える善意が届けられ、岩手県・宮城県・福島県・茨城県の県組織を通じ会員の手元に届けた。被災地の会員からは感謝の声が届いている。

 全腎協は災害見舞金の制度を持っており、会員の死亡、家屋全壊、同半壊、同一部損壊などに対し見舞金を支給している。今回の大震災で、1,472人の会員に見舞金を支給した。不幸なことの中ではあるが、全腎協の会員であって大いに助けられたとの声もある。

 全腎協事務局及び現地対策本部から、都道府県組織に被害の状況など情報提供を随時行い、全国の会員と被災地を繋ぐ役割を果たした。

今回明らかになった課題

 これまで、震災への対応は阪神大震災、中越および中越沖地震をモデルに構築されてきた。今回の震災では大津波の被害が顕著であった。さらに東日本大震災以後にも台風や火山噴火により災害が発生している。日本列島はいつどこで災害が起こっても不思議でない。そのため災害対策は緊要の課題である。災害発生時にどのように対応すればよいのか、また普段からきちんと準備をしておくなどきめ細かい内容で会員に伝えておかなければならない。 

 県組織では会員名簿の整備が十分でなかったため、会員の安否確認に時間がかかった。今後名簿の整理は必須である。

今後の対策

 今回の震災では、ガソリン不足と通信不良が大きな問題であった。これまでの対策に移動のための燃料の確保と、非常時の通信手段の確保が加わった。

 われわれにできる災害対策の根本は、災害をいかに生き延びるか、そしてその後いかに本来の生・命を全うするかであると考えている。その点を具体化していきたい。

まとめ=われわれは何をしなければいけないか

 今も福島県では復旧すらままならない状況が続いている。被災地では生活基盤をなくし、仮設住宅で苦しい生活を強いられている方も数多くおられる。津波被害があったところでも、まだ復興の槌音は聞こえていない。被災地への物心両面にわたる援助はこれから本格的に必要になってくる。被災地と手を取り合って、新しい日本の創設に向け取り組みを進めていかなければならない。