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3.11における日本難病・疾病団体協議会(JPA)と加盟団体の取り組みについて

一般社団法人日本難病・疾病団体協議会
伊藤 たてお

 

 2011年3月11日は、翌日から開催する「全国難病センター研究会第15回研究大会」の開催準備のため、主な役員は名古屋と岐阜に集まっていた。私たちは名古屋市内で打合せ中に大きな揺れに遭遇し、すぐに岐阜難病連の事務所に向かった。直後はあまり実感がなかったが、テレビをつけて事の重大さを察知した。翌朝、対策会議を行い、直ちに事務局長を東京へ戻し、被災地の患者団体役員の安否確認と厚労省からの情報を全国に発信することとした。

1.JPAとしての取り組み

(1)現地患者団体の安否確認及び救援に関する希望の確認

 被災地の難病連との連絡をとり、役員の安否をまず心配したが、数日間は通信網も混乱しており、ただ無事を祈って先方からの連絡を待つしかなかった。数日して役員の消息が分かりはじめたが、被災地では役員自身が避難所で生活をせざるを得ない状況であり、組織としての活動を取り戻すまでは時間がかかることが分かった。各疾病団体も、被災地の会員の消息と安否確認を第一に活動をはじめていた。

(2)全国各地の患者団体からの問い合わせへの対応

 震災直後から、全国各地の難病連からは、被災地の状況についての問い合わせや「できることはないか」との申し出が相次いで、とりあえず街頭に出て、支援募金を訴える難病連などもあった。また、疾病団体は、独自に被災地の会員の安否をつかみ、情報発信をはじめた。それぞれの患者団体の情報を交流しあえるようにしながら、被災地の様子を全国に伝える役割とともに、こうした活動が少しでも被災地の患者を励ますことにつながれば、との思いから、JPAのメールニュースで震災情報を全国にむけて発行することにした。震災から5日後に「JPA震災情報」第1号を発行。加盟団体の活動の紹介や、被災地難病連役員の消息などを伝えるところから始め、このメールニュースは震災から2か月後の5月12日まで第31号まで発行した。

(3)厚生労働省等からの情報の伝達

 厚生労働省は震災直後から、各種通知や情報などをメールやFAXで発信を始めた。JPAも加盟各団体や被災地の役員等にそれを転送し続けた。

(4)現地患者団体と各県難病相談支援センターの訪問・激励と実情の調査

 震災から1か月半が過ぎた4月末から5月初めにかけて、JPAは北海道難病連の車を借りて、青森から岩手、宮城、福島、茨城の難病連(役員)を訪問し、被災地の現状の視察を行った。福島訪問には国会議員で栃木県難病連会長の玉木朝子衆議院議員も参加した。

 この時の調査報告は、JPA総会やホームページ、厚生労働省の研究班会議や2012年2月に東京で開かれたICORD(世界希少・難治性疾患関連国際会議)の企画のなかでも報告が行われた。

(5)JPA 独自の支援金の募集

 支援金については、各加盟団体それぞれが構成員を中心に支援金を集める活動を行っていたので、JPAとしては募金を行わないことにしていたが、被災地の難病連や患者に直接届けてほしいという募金がJPAにも届くようになり、それを預かることとし、岩手県、宮城県、福島県の各難病連に届けた。

(6)難病患者サポート事業

 2011年度からJPA等が受けた厚生労働省の委託事業(2011年度は、委託先は北海道21世紀総合研究所)難病患者サポート事業(2011年度は「患者サポート事業」)の企画として、患者・家族の手記を集め、テキスト化する「患者の声」事業のテーマを急きょ、3.11東日本大震災に関する経験などの手記とし、俳句、短歌なども含めて公募を行い、昨年度末に報告書としてとりまとめた。

 2012年度にも、震災をテーマにした「患者の声」のとりまとめを行うべく取組みをすすめている。

2.加盟各団体の取り組み

 加盟各団体は、震災直後から被災地会員の安否確認を、考えられる限りのルートで行ってきた。そのうえで、特殊ミルクが欠かせない代謝異常疾患の患者会では、各自が自宅で保管しているミルクを出し合い、被災地の会員宅まで届けるなど、患者会ならではの助け合いも行われた。救援金(支援金)の募集も、各団体で会員を中心によびかけられ、短時間でかなりの金額が集められ、被災した会員や構成員、団体等への提供が行われた。

 とやま難病支援ネットワークでは、東北大学神経内科の医師とのメールによるホットラインで「被災地で、今、必要な物資、支援」の内容を聞き、富山で救援物資(紙おむつ、市販薬、食糧、水、米など)を集めて、支援ルートに乗せて東北大学病院に届ける活動を行った。また同ネットワークは、救援ボランティアの活動を支援するための「炊き出し部隊」を派遣し、現地で激励の餅つきを行うなど、具体的な支援も行っている。

 震災後、1年が経って、各団体でも講演や機関誌の掲載などで振り返ったり整理することも行われた。

3.今後の課題、取り組みなど

 提言は現時点ではまだまとめきれていない。今後の課題や今回の対応で問題となったことなどを羅列しておく。

(1)福島では、原発の稼働などですでにこの大震災が風化していることの指摘も湧き上がっており「現地福島に立って原発事故の本当の恐ろしさと住民へ与えた世界史的なダメージについて、肌で感じるツアー」を計画。(2013年3月23日~24日に実施。)

(2)患者の避難について(日常の防災計画のために)

  • 日常から、大規模災害における重度難病患者の避難についての検討が必要。
  • 薬、呼吸器、酸素、電源、燃料の確保についての検討。
  • 発電機は各自での手配はしても、いざという時に結局使えない状態になっていることが多かった。
  • 家庭では燃料の予備がなかった。病院などでは、あっても数時間程度からせいぜい数日程度までであって、すべてのインフラがやられる大規模災害には対応していなかった。
  • 薬は特別なものは手に入らず、患者が分け合っていたりした。薬の保存はお茶の入れ物に入れておいたなど特別な保存状態のものが有効であった。酸素などは提供していた会社が患者の住所などを把握しており、震災後もいち早く届けてくれた。歩けない患者の非難には、車ではない方法も地形によっては工夫が必要。
  • 福祉避難所の確保よりも家族と一緒の避難所がよい。遠い福祉避難所に行かされた、などについても今後、検討が必要。
  • 避難所には、腰掛の簡易トイレ、毛布、簡易ベッド、サマーベッド、キャンプ用ベッド、おむつ、水、ビニール袋などを備えておくべき。これらは今は非常に安価となっている。また食事が困難な高齢者・難病患者のためには乾パンやおにぎりではなく「ゼリー状の栄養ドリンク」と飲料水(ペットボトル)を備えておくべき。年1回の避難訓練時に買い替えるなどで住民の意識の向上と経済効果も期待できる。
  • 避難訓練は必ず、歩行の困難な障害者や高齢者を参加させ、日常的に、移動についての実情を周りがよく把握しておくべき。
  • 避難所には、ガスボンベと調理器、暖房器具を備えるべき。
  • 地域の公共施設や高齢者施設、保育施設、学校などは、安全な場所に建てると、自然にほかの機関や商店なども移動するのではないか。
  • 高い防波堤が被災を大きくし、被災者を増やした場所もある。また景観も悪くしている。防波堤を高くするだけが防災ではない。
  • 避難タワーは歩行の困難な難病患者、障害者や高齢者の利用は不可能。
  • 津波だけではなく二次的な防災対策も必要ではないか。
  • 医療機関が被災して、行き所がなくなった患者が大勢いた。家族とばらばらになって暮らしている患者もいる。
  • 病気で視覚が不自由になっていたため避難ができず、偶然近所の人に助けられた。
  • 重症患者を避難させるために看護師、保健師、ヘルパー、消防隊、救急車が津波に巻き込まれて亡くなり、患者の大きな心理的負担となっている。自分を置いて逃げるように周囲を説得し、津波で亡くなった患者もいる。

 これらの声や経験が、各地での防災計画に生かされることを願う。