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パネルディスカッション
障がいインクルーシブな防災とまちづくり

小山 貴 (JDFいわて支援センター事務局長)

 震災直後の2011年5月、岩手県社会福祉協議会障がい者福祉協議会が発表した64歳以下の障がい当事者で事業所を利用していた方の犠牲者は、死亡3名行方不明15名という数字でした。この事は、平地が少ない岩手県沿岸部では広い敷地が山にしか確保できない事と、障害者の施設は市街地より人目に付かない場所に建てたというネガティブな問題があったからと考えます。皮肉なことに、「地域で共に暮らそう!」と市街地に生活の場を求めたグループホームやケアホームが被災し、そのバックアップ施設が山の上にあったので2次的被害はあまりありませんでした。
 今回、このような過去の遺産に命を助けられた形ですが、この事によって地域で共に暮らそうという考えが無くなり、障がい当事者を含めた災害弱者と呼ばれる方々は津波の被害が無い所に住んで頂くのが良いという論調もあります。
 人が障害を負うリスクは平等にありますし、加齢による身体機能低下はすべての人々にやってくる問題です。この事は、すべての人が災害弱者になることを意味します。そのため、すべての住民が安全な街に暮らせるように、この災害からの新たなまちづくりは考えるべきだと思います。その様に考えれば、同じ町の中で障がいのある方もない方も共に暮らせると考えます。

 次の災害として予想される「南海トラフ」の巨大地震と津波は、早い所では地震発生から数分で巨大な津波が予想されます。その被害が予想される地域では、浸水予想地域に障がいのある方の施設や高齢者施設が多くあるのが現実です。
 あの時の揺れは私が住んでいた地域では4分強続きました。あの強い揺れの中では、ほとんどの方が身動きを取れない状況にありました。揺れ初めから動ける状態になるまで5分…それから自分の身の回りの状況を確認し、ようやく冷静に動けるようになるまでは暫くかかってしまいました。私達が体験した揺れを南海トラフでの被害想定に当てはめた時には、避難行動をとる前に数十メーターの津波に襲われることが明白です。
 この東日本大震災で起きた現実を教訓とし、この震災で犠牲になった方々を襲った現実を繰り返さないためにも、早急に対策が必要です。

 障がいのある方の犠牲になった割合は、障がいを持たない方々の2倍以上であったと言われています。この発表があった際に、ここ陸前高田市では犠牲になった障がいのある方の数字を出せる状況にはありませんでした。
 行政職員の4分の1以上を失い、市庁舎も全壊流出したここでは少しでも早く立て直そうと職員が必死に頑張っていました。「陸前高田市の書外のある方の犠牲者は不明」とテレビで報じられ、新聞でも報じられても県を含め、国もその県に関しては何もしませんでした。
 この間、障がいのある方の犠牲は2倍以上…という事実に関して、私達は国へ一刻も早く検証を行うべきだと働きかけをしています。震災から2年7ヶ月が過ぎましたが、先週に行われた県知事・副知事も出席した岩手県決算特別委員会で、議員の質問に保健福祉部長は「被災した障がい者の数はわからない」と答弁しました。
 何もわからない以上、調べようとしない以上、次への対策が取れるとは思いません。あの時に障がいのある方が置かれた立場を検証し、どの様に考えれば命を救えるのかという事を考えなければ、また悲劇は続くと思います。

 岩手県では障がいのある方の犠牲になった割合は、宮城に比べて低いものでした。しかし、障がい手帳がなくても、加齢による身体機能低下を起こし、歩く事の難しい方や、目が見えにくくなった方、耳が聞こえにくくなった方々の必要な支援は障がいをお持ちの方となんら変わりはありません。特に、岩手県沿岸部のような地方では、高齢化率が高く、障がいや高齢などの災害弱者と呼ばれる方の割合は高い物になり、陸前高田市の犠牲になった方の年齢構成別で見ると、65歳以上の方の犠牲になった人数は半数以上になります。
 障害インクルーシブな防災とまちづくりを考えた時に、この障がい手帳が無くても障がいのある方と同じ支援が必要な高齢の方もどの様に考えるかが、全てのひとにやさしいまちづくりになると考えます。私は障がい当事者団体としてこの陸前高田に入りましたが、この街の方々にそれを教えられました。
 まちづくりや、ものごとを考えるベースを、障がいの有る方々で考える事が、全ての方が安心して暮らせる社会の実現につながると考えます。私達も何時障がいを持つかもしれませんし、加齢による身体機能低下は全ての人に訪れます。
 その当たり前のことを実現にむけて動けないのが今の社会ですが、このまちでは行政も障がい当事者も支援者も真剣に実現に向けて動いています。何もなくなってしまった町ですが、ここには共生社会へ向けての希望があるのです。