音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

第1部 CBR
地域に根ざしたリハビリテーション~私たちの体験から~ 障害者の声

彼女は私にきっかけをつくってくれて、後は私が自分で歩んだ

上記表題の「彼女」は、この若い情報提供者の母親のことである。この引用文は、障害児が人生の良いスタートを切るために親の果たす役割が重要であることを強調している。

「そうですね、小さいころから、常に家族の一員であることをいつも鮮やかに思い起こすことができました。読書をするときは、私も読むように言われました。話をするときは、自分の声のトーンに注意しなさいと言われたものです。家族は私に、社会的スキルの躾と手引きをしようとしたのです。障害をもっているからといって、甘やかされたり、したい放題させてもらえたりはしませんでした。それは重要ではありませんでした。常に重視されたのは、私が何かを達成することでした。私が瓶を開けたいと思えば、家族は「開けてやってはだめ! その子が自分でどうやって開ける方法を見つけるのか見ましょうよ」。それで、私は常にものごとの解決方法を見つける環境で育ち、そのおかげで私は生きてくることができました。この子は自分でどんなことができるようになるのだろうか? それも、私の母がユニークな点の一つです。いつも将来のことを考えていた母ですが、今は亡くなりました。これからは母はいませんが、私は大丈夫です。

彼(父)のことは知っていますが、私の人生にはまったく関係ありませんでした。私には分かりません。推測しか出来ません。父と母のどちらの家系にも、障害をもって生まれた人はありません。事故か何かで障害をもつようになった人はいても、生まれつきの障害者はいません。それで私は思うのですが・・・父が精神的に障害と向き合うことができたのかどうか、私には分かりません。父は多分、障害のことを自分の問題かのように考えたのでしょう。自分に問題があって、それが原因で私がこんな風に生まれたのだと。私が生後7日のときに父は出て行き、私たち家族のもとへは二度と帰ってきませんでした。

私はいつも、会計士になるための教育を受けたいという夢をもっていました。学校では、学業成績にまったく重きを置かない職業訓練コースか技術訓練コースを選択するよう私に強制する先生がいて、この事実に私は憤慨しました。私は自己権利を守るため、こう言わざるをえませんでした。「いいえ、私がやりたいのは、家政学や工芸や、そういうものではなく、会計学なのです」。これは先生たちの頭には革命でした。高校のビジネスクラスに進みたいと思ったとき、ずいぶん反対されました。私は確かに壁を破ったのだと思います。常に最初の壁が一番大変です。でも、そのシステムを切り抜けることによって、身体障害者、とくに私のような重度障害者が、ごく少数ながらも、そのシステムを乗り越えて、高等教育で頭角を現したのです。

CBRの働きのおかげで、状況は改善しました。障害者の能力について敏感な教師が増えました。CBRの本当の眼目は、自分の権利を知って障害者の権利に敏感になることに置かれていました。権利擁護のスキルも教えられます。しかし、権利擁護やロビーイングを全体的に見ると、CBRはそれをあまり重視していません。

私はいろいろな分野で、仕事のために自己主張しています。多くの場合、人々は私の履歴書を見て、面接に来るよう連絡してきます。それで私が面接に現れると、障害者だということが分かります。そして、私が資格を取得することができれば働くこともできるということが、彼らには決して思い浮かばないのです。彼らはいつも、私が働くことを妨げかねない阻害要因に目を向けるのです。

若い障害者の多くは、働けないから人生は無意味だと感じています。自分は仕事もなく、社会のお荷物だと考えているのです。でも、彼らの中には、自分の手を汚したくない者もいます。輝く障害者が多すぎると自分たちは職を失うと考えるような非常に無神経な専門家の人から、辛い体験をいっぱいした人たちもいます。また、子どもの障害の背後にあるものが見えない親があまりにも多いのです。それで、子どもが何かを欲しているときに、子どものニーズを求めて戦ったり、その子を支えたりすることを拒むのです。多くの親がそれで打ちひしがれるのです。こういう親は何の希望も持てません。私たちの国は、概して若者にとって厳しい国で、障害者には10倍厳しい国です。多くの人がファイティング・スピリットを失ってしまったと、私は思います。

ジョージタウンで必要なのは、おそらく集会所です。障害者が気軽にやってきて、考えを共有し、自分たちのグループをつくる社会的な出会いの場です。ジョージタウンのCBRは、しっかりした組織を持つためには良いかもしれません。障害者が集まり、訓練が受けられる組織と環境。でも、私が知る限り、ジョージタウンにそんな場所はありません。

私はスポーツクラブに所属していて、そこを通じて他の障害者と出会います。そして、そのグループが最近、国立公園に集まって運動したり練習したりする会を始めました。私は若者のグループと一緒に車椅子バスケットボールをしているので、CBR以外の若者と出会う機会があります。若者たちとの交流によって、たくさんの人がCBR事務所にやってきます。」