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障害者と災害時の情報保障
~新潟中越地震の経験と今後の防災活動~
シンポジウム報告書

新潟県中越地震における実情と取組み

新潟県聴覚障害者地震復興支援本部 勝本 卓

つかめなかった現地の様子

地震が起きたときは、私は建物の中にいて会議中でした。ドーンと下から突き上げるような振動、 その後大きな揺れが3回繰り返され、地震とわかりました。すぐにテレビをつけると、小千谷、 川口、十日町あたりが、震度6強という数字が出ていました。
それぐらいで、あとの詳しい情報は出ていませんでした。

夜になって、家でテレビをつけても、同じような内容ばかり繰り返していました。 翌朝、新聞に、家の全壊の写真や、新幹線が脱線している写真などが載っていてびっくりしました。
長岡までは行けるだろうと思っていたら、橋が落ちていて行けないとのこと。しかたなく事務所に 集まり、会員の家にFAXを送りました。でもFAXも通じませんでした。停電や機器が潰れたりして 送れず、連絡がとれませんでした。それでも少しずつ携帯電話から連絡が入ってきて、 皆さん無事らしいとわかりました。

でも本人と直接連絡がとれたわけではなく、仲間を通して携帯電話にメールが入ったので、 被災地の様子はわからず、とても心配でした。携帯電話がつながっても、返事をすると 電池がなくなってしまうので、返事をしないでいたということも後でわかりました。 仙台のある会社が、携帯電話をもつ聴覚障害者に連絡をとって、返事があった人のリストを 送ってくれたので、被災地の人たちの安否状況を少しずつつかめました。

聴覚障害者への情報保障の状況

7月13日の水害のときも対策本部を立ち上げましたが、それがまだ解散していないうちに地震が 起きたので、水害対策本部をそのまま「地震対策本部」と名前を変えて、行政に聴覚障害者に 対する情報保障をお願いしました。避難所にいる聴覚障害者の情報保障のために、紙に書いて 掲示するようにお願いしたのですが、現地の担当者が忙しくて、考える余裕がないだろうと思うので、 雛形を作り、「これをそのまま拡大して避難所に貼ってほしい」とお願いしました。 実際に避難所に行ってみると、伝言板に情報を書いた紙が他にもたくさん貼ってあり、 どれがどれだか見えないぐらいの状態でした。

それから手話通訳の派遣制度が、まだの地域もあるし、通訳者自ら被災して動けないだろうから、 県で派遣してほしいとお願いしました。「現地から要望があれば派遣する」という回答をもらえたので、 すぐにこのことを被災地の聴覚障害者に情報を流しました。実際現地では、手話通訳者も多くが被災し、 自分の家が壊れたりしていて、自分のことで精いっぱいで、通訳のお手伝いに行きたいが、 なかなかできない状態でした。ですから県で派遣してもらえて本当に助かった、という声が 多くありました。

1週間後に道路が復旧されたので、手分けして現地に行き、仲間の家を1軒1軒回りました。 一人ひとりに実際に会って、被害の状況や健康状態などを聞いて回りました。一番困ったのは 何かと聞くと、情報が入らないことでした。聞こえる家族と一緒に行動している人は、 まあまあ大丈夫だけれども、そうでない人は、一週間もお風呂に入らずに過ごしていたそうです。 また、手話で話をする相手もいないので、ストレスがたまっていたようです。私たちが行くと、 せきを切ったようにおしゃべりしました。それで「心のケア」が必要と考え、交流会を企画しました。 温泉に入り、おいしいものを食べて、苦しかった経験などをお互いに手話で話す場をつくりました。 おかげで皆さんようやく明るさを取り戻したようで、とても喜んでくれ、よかったなぁと思っています。

阪神・淡路大震災のときは、朝早く地震が起きました。これから明るくなるという時間帯だったけれども、 中越地震のときは夜に入る時間で、おまけに停電したので真っ暗で、聴覚障害者にとっては、 盲ろうの重複障害者のような状況でした。そのため翌日明るくなるまで、私たちにも情報が 入ってこなかったのです。新聞を見て初めて大変な状況を知りました。

情報提供システムの確立

今後のために、万一のときは携帯電話で安否が確認できるシステムをつくりたいと思っています。
また、CS放送の情報通信装置で「アイドラゴン」という機械があります。この装置をもっと普及させて いく必要があると思っています。
また、避難所のことですが、発災当初は近くに避難するしかありませんが、落ち着いたら最終的には 1つの場所に集まるようにし、そこへ行けば手話通訳がいるとか、アイドラゴン等があって、 必要な情報も得られる拠点となる場所を決めておく必要があるのではないかと思います。

そして、「私は聴覚障害者です。(助けてほしい)」という、聴覚障害者であることの目印になる 帽子とかゼッケンなどを作って、皆さんにあらかじめ渡しておいたほうがいいのではないかとも 考えています。

行政に望むこと

私たちが行う安否確認の範囲というのは、まず県の聴覚障害協会の登録会員、次いで地域ろうあ協会の会員、 その次にろう学校の同窓会の会員、この3つの名簿が基になります。身体障害者手帳をもつ聴障者の方は もっといるはずです。私たちが把握できるのは、聴覚障害者全体の5%か10%ぐらいではないかと思います。 残りの90~95%は、誰が責任をもってくれるのでしょうか。それはやはり行政の責任になるのではないかと思います。

聴覚障害者協会の事務所のある建物には、視覚障害の方も一緒ですが、情報提供施設もあります。 これをもっと積極的に活用して、情報を出すように取り組んでほしいと思います。何か起きたときには ビデオライブラリーとか、手話通訳の養成は後回しにして、災害情報を中心に出すような、積極的な 取組みをしていただきたいと思っています。
地震が起きた翌日に、全日本ろうあ連盟から役員が応援に駆けつけてくれ、又、当面の支援活動の資金も いただいたので、何とか活動ができました。また、阪神・淡路大震災が起きたときに救援活動の経験がある人に、 新潟にも来ていただきました。

支援活動の仕方、マニュアルなどを教えていただけたので、本当に心強かったです。 組織のおかげだと思っています。これらの経験を今後に生かして、これから安心できる方法を 模索していきたいと思っています。

発行
2005年3月
編集・発行人
財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
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