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シンポジウム「利用者が参画した防災活動とマニュアルづくり
~新潟県の経験と今後の展望(先進事例を交えて)~」

☆パネリスト

新潟県災害救援ボランティア本部 内田 達男

現在新潟は、19年ぶりの豪雪に見舞われています。中越地震で被害を受けた所は非常に雪の多い地域で、 3mを超える積雪だと思います。今は主に除雪ボランティア活動が被災地で行われています。
今日はマニュアルづくりというテーマですが、私はマニュアルに向けて、参考になればということで、 今日までの中越地震におけるボランティア活動の取組み状況と、現在に至る課題・問題点等について お話しさせていただきます。

県災害救援ボランティア本部の活動状況

中越地震が発生したのは、昨年10月23日、午後5時56分という、夕方の食事をつくる時間帯でした。 幸いにして、阪神・淡路大震災と違い、火災はほとんど発生せず、火災による被害はありませんでした。 しかし、地震により亡くなられた方は、主に高齢者が多く、40人の方が不幸にして亡くなられました。 被災家屋も相当数に上り、災害救助法が適用されたのが54市町村と記憶しています。

その中で、現地の市町村社会福祉協議会を中心として、市町村行政及び災害対策本部と連携しながら、 災害ボランティアセンターを立ち上げたのが13市町村です。その活動が円滑に進むよう、 県社会福祉協議会内部に、県災害救援ボランティア本部を、発災の翌日9時に、県及び関係団体と 合同で立ち上げました。

県社会福祉協議会、県行政、日赤県支部、県の共同募金会、県NPOサポートセンター等、 5団体が主体になりました。ご承知のとおり、新潟は7月13日に梅雨前線による豪雨災害を受け、 県と合同のボランティア本部を立ち上げたことが契機となり、中越地震においてもボランティア本部の 立ち上げが比較的スムースに行われました。

被害状況について触れると、長岡市や川口町、小千谷市、十日町市などの被害も大きかったのですが、 山古志村は全村被害に遭い、長岡市内の仮設住宅に入っている状況です。新潟市から支援をするといっても、 距離的に離れているので、NPOと青年会議所が主体となり、県災害救援ボランティア本部の現地拠点として、 長岡市内に中越センターを立ち上げました。そして、13市町村の現地災害ボランティアセンターの立ち上げ支援や、 ボランティアが活動しやすいための条件整備、資材の支援などを行いました。

ボランティアの状況

2月16日現在、ご協力いただいたボランティアは県内外から延べ8万3,000人を超える数になりました。 これはボランティアセンターを通した数なので、通してない人数は相当数にのぼるものと思われます。 現地のボランティアセンターを通すという考え方には、ボランティアが効果的に活動できることと同時に、 ボランティア自身の安全保障もあります。ボランティア活動保険として、全社協の保険に入っていますが、 普通は年間1人300円の掛金ですが、今回は災害担保付の保険として加入し、その倍の1人630円の掛け金を 県社協が負担しました。現地のセンターで受けつけた方には、自動的に保険に入るシステムにしました。

約8万3,000人のボランティアのうち80%は県外の方です。特に北海道、九州、沖縄からもおいでいただきました。 現在は県内を中心に除雪ボランティアが活動していますが、雪に慣れた地域からもおいでいただいています。

災害ボランティアセンターの活動状況

発災当時、一番困ったのは、現地のセンター自身が被害に遭ったことです。通信機器が不通になりました。 私どもは現地の被災状況を確認するため、いち早く県社協の職員を派遣しました。これは水害のときの教訓が 生きています。現地の情報をできるだけ早くキャッチし、現地の災害ボランティアセンターを、 行政と社協が連携しながら立ち上げる支援をするための常駐派遣は重要です。派遣は長期にわたり、 全員に携帯電話をもたせました。携帯はつながらない場合もありましたが、普通電話が不通になっており、 FAXも使えないとなると携帯電話しか使えません。

阪神・淡路大震災のときのように、ボランティアがいち早く駆けつけても、現地のセンターで コーディネートができないと、避難所への支援がうまくマッチングできません。 従って、被災した現地のセンターの立ち上げを優先的に考えました。当初、市町村の災対本部は 災対本部自体がパニックになっていて、連携しようとしてもうまくいきませんでした。 一段落した時点で、一時的に連携がとれましたが、しばらくするとまたうまくいかなくなりました。

もう1つ、災対本部には、救援物資がどんどん届き、その物資を避難所へ早く送ることと、 物資の区分けにボランティアの協力をいただきたいと言われて、それでボランティアには当初、 救援物資の運搬作業、区分け作業を中心に行ってもらいました。夏の水害のときも多くの ボランティアの方にご協力頂きましたが、水害と地震ではまったく対応の方法が違います。 水害は人海戦術で、家屋の泥の撤去のために人手が必要でした。一方地震の場合は、 まず避難所がどういう状況か、避難されている方のニーズを知らなければなりません。 本来は、避難所管轄の行政担当者等が、避難所の対応、管理をしなければなりませんが、 災害本部や行政の人も、社協の職員も被災者となってニーズ把握は難しかったのです。 本来であれば、状況把握にいち早く努めなければなりませんでしたが、まず水、食料、 衣服の確保が最大の課題でした。行政がオールマイティにはできない状況だったので、 我々ボランティアでできるだけ応援をしたのが実情です。

私は阪神・淡路大震災のとき西宮市に8日間、コーディネーターとして入った経緯が若干ありましたが、 阪神・淡路大震災の時のように、今回の地震においては、2週間くらい経つと、避難所でのニーズが 変わってきたことに気づきました。それまでは衣食住の供給、生活環境に対してのニーズの対応が 中心でしたが、2週間くらいたってきますと、個別ニーズに変わってきます。 体の具合が悪い方もいますし、ご年配の方には話し相手や、若干の介助などが必要になります。 子どもを抱えているご家族では、子どもさんの遊び相手、おもちゃ、お菓子がほしい、 温かいカレーライスが食べたいというニーズが出てきます。そのようなきめ細かなソフトなニーズへの 対応・コーディネートは、行政ではなかなかできないことも多いようです。

それで全国都道府県・指定都市社協から早めにコーディネーターを派遣してもらいました。 延べ2,000人以上の派遣となり、だいたい1週間くらいのローテーションを組んでもらいました。 もちろん県内外のNPO・ボランティアにも手伝っていただき、社協職員などと協力しあいながら 活動してきました。

また、救援物資もどんどん送られてきます。救援物資はほとんど衣料品が多いのですが、 その場で分けることは難しいので、大口のものは県災対本部で物資班をつくって分けています。 小口のものは県社協でお預かりしたり、ダイレクトに避難所に送られることもありますが、 届いた物資をその日のうちには開けることができないことは、阪神・淡路大震災の経験からわかっていました。 ですから、中に生鮮食品が入っているとお手上げです。都道府県の社協では救援物資の効果的な 送付について、暗黙のうちに申し合わせをしておりますので、社協を通した物資は大丈夫です。

もう1つ困ったことは中に現金が入っている場合です。そのお金が見つからなかったら一大事なのです。 現地で開けてみたら、小学校からの義援金が入っていたりということがありました。
それから障害のある人にいち早く情報提供をしなくてはなりません。たとえば、炊き出しは、 何月何日何時からです、とアナウンスで流れた場合、聞こえない人もいるし、視覚に障害のある 人は掲示板に貼られても、読めません。お年寄りの場合、体の具合が悪くて掲示板を見に行かなかった 人もいます。ですからボランティアには情報提供をしてもらうことを徹底しました。

そして、現地のボランティアセンターを立ち上げたとき、資材も含めて自由に使える経費が必要です。 センターを立ち上げたいという気持ちがあっても、通信機器がダメージをうけていて、 その機能を果たせないので、やむなく1週間延びたこともありました。水害のときの経験から、 後で請求書をまわしてでも実行しないとセンターの立ち上げが遅れてしまうので、今回はその判断を 派遣した県社協職員に委譲しました。現地で調達していいかどうかをその都度、本部に聞いてくる ようでは時間のロスで、迅速な活動につながりません。ボランティア活動をしたくても資材がない という場合、現地で調達するようにと、派遣した職員にある程度裁量をもたせました。

課題および問題点

現地のセンターでは残念ながら事故が起きました。ボランティアを受付・派遣する立場では、 被災をしている人の支援は第一条件ですが、一方、ボランティアに対する安全確保にも責任が あります。川口町の、きのこセンターに入ったボランティアが不幸にして亡くなりました。 原則は被災している個人宅や避難所の支援を中心にして、一般企業への支援はして こなかったのですが、現地の判断で、きのこセンターに入ってしまったのです。 その後、現地のセンターに徹底して、そういうことは絶対しないように指導しました。 こんなことから県のボランティア本部の思惑と、現地のセンターの考え方の一部に相違が 出ているということがわかりました。

もう1点は、ボランティアのマナーの問題です。私どもは自己完結型の人に来てほしいとお願いをしていました。 残念ながら、それができないボランティアもいて、強制的に帰ってもらったこともあります。 本当はボランティアの方にも宿舎を手配したいのですが、旅館、公共施設も避難所になっていて、 ボランティアは泊まることができなかったのです。ですからおいでになるときは、テント、寝袋、 防寒具、水や食料も自前でもってきてください。

ボランティアはテントを張って、センターの指示で動いてほしいとお願いをしたのです。 ボランティアは当然被災者とのコミュニケーションをとって、その人の立場になって活動を しなくてはいけないのですが、中には避難所の廻りをうろうろして、警察から不審尋問を受けて、 ここに寝かせてというようなボランティアも出てきて、警察から私たちに連絡が入ったことも あります。幸いにして現地のセンターを通したボランティアにはあまりそういう行動をとる人は いませんでしたが、センターを通さないボランティアがトラブルを起こしたり、テントの中でぼやを 起こすなど、地元民からも非難を受けました。そういう場合には、徹底してシビアに対応しました。

また、ボランティアの中には長期に亘り活動している人もいますが、そういう方々の中には体も 弱って病気になる方もいます。いったん休んでくださいとその方々に言うのですが、なかなか お帰りになりません。ただ、体の調子がよくないのは目に見えてわかるので、そういう方に対する 支援をどうすればよいかも1つの課題です。
まだいろいろな課題が残っています。またご質問をお受けしたいと思います。

発行
2005年3月
編集・発行人
財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
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