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はじめに

学校へ通うことは、世界の国々に共通する数少ない通過儀礼の1つである。学校は、成人としての責任を担う準備をするために、スキルを学ぶ場である。学校は、生涯の友を作る場である。学校は、地域社会と国とを統治する規則について学ぶ場である。

世界人権宣言第26条は、「教育を受ける権利…人格の完全な発展と、理解、寛容および友好関係の増進を目的とする」を保障している。

しかし、7700万人の子どもたちは学校に通っておらず、そのうちの少なくとも2500万人には障害がある(UNESCO 2006年)。さらに悲惨なことには、初等教育でさえ、修了できるのは障害児のわずか5%にすぎない(世界銀行2003年)。これらの子どもたちのほとんどは、開発途上国で暮らしている。

経済開発協力機構(OECD)諸国および市場経済移行国でも、多くの障害児が就学していない。会員の報告によれば、その他の障害児も、ほとんどは健常児と同じ学校には通っておらず、また必要な支援も受けていない。

インクルージョン・インターナショナル(国際育成会連盟)(II:アイアイと読む)の会員は、115を超える国々の知的障害者とその家族である。私たちにとって、国連教育科学文化機関(ユネスコ:UNESCO)が1994年にスペインのサラマンカで開催した「特別なニーズ教育に関する世界会議:アクセスと質」で採択されたサラマンカ宣言1は、希望の光であった。

国際育成会連盟の会員組織のほとんどは、知的障害のある子どもたちが学校へのアクセスを拒まれたからこそ結成されたのだが、親は、自分の息子や娘が教育から利益を得られることを知っていた。

まず、1940年代のヨーロッパと北アメリカで、そしてつい最近では、南アメリカ、アジア、中東およびアフリカにおいて、多くの国際育成会連盟会員が独自の学校を設立した。それは教会の地下や、個人の自宅に設けられることが多かった。最初の教師は、通常、他の親たち、あるいは、善意はあるが訓練は受けていないボランティアであった。多くの国で、このようなプログラムは当初寄付金により支援されていたが、子どもたちが学べることが明らかになるにつれて、公的機関が資金調達に責任を負うようになり、最終的にこのような学校を経営することになる場合が多かった。

スキルの向上という点で、教育の恩恵は明らかであったが、概して家族らは失望し続けていた。健常児から引き離された教室や学校での教育が、学校を出て行く者が差別され孤立した生活を送る素地を作っていると考えたのである。障害児は他の人々と仲良く暮らすことを学んでいなかった。そして他の生徒たちも、彼らとうまくやっていくことを学んではいなかった。彼らは後の人生で地域社会に完全参加するために必要な友情を築いていなかった。開発途上国では状況はさらにひどかった。非常に多くの子どもたちが学校に行っていないことから、家でみじめに暮らしている障害児全員のために新たな学校を建設する十分な資源など決してないと、家族はわかっていたからである。これら両方の親たちに対する答えは、目標の変更であった。「教育におけるインクルージョン」から「インクルーシブな教育へ」と。

このような目標の変更は、一夜にして生み出されたアイディアではない。まず親は、自分たちが設立した特殊学校を、可能な限り最良のものにする努力をした。しかし子どもたちが学び、成長していくのを見るにつれ、健常児と異なる学校での教育が、作業所の利用や、地域の他の人々から切り離された生活へとつながる場合が多いことに気づいた。障害者が自ら率直に語り始めたとき、彼らは差別の撤廃を主張した。

当初、障害児教育の責任を公的制度にゆだねることは大きな前進であった。それは、私たちの子どもには、他の子どもと同じ教育を受ける権利があると認めるものだった。しばしば公的機関が資金と責任を担い、小規模な特殊学校を普通学校の下部組織へと変更した。これは一般の生徒と一緒になる機会をもたらしはしたが、親は自分の子どもが健常児と同じ教室で教育を受けられるようになることを夢見始めた。

これを実現するための最初の試みは、「統合(インテグレーション)」と呼ばれた。これにより障害児は普通学級に受け入れられるようになったが、学級構造は変わらなかった。通常このような試みは、障害のある生徒に支援者がいる場合に限り成功した。実際には、このような支援者がこれらの生徒の事実上の教師となってしまう場合が多く、普通学級の教師は障害児に対する責任を負うことはなかった。

家族も教師も、統合がうまくいかないことに気づいた。障害児全員に支援を提供するのは、お金がかかりすぎる。またそのような支援は、他の子どもとの関係を築く上で障壁となることが多かった。しかし、親も教師も、障害児と健常児が一緒に学ぶことの利点はわかっていた。障害児は他の子どもから学び、他の子どもをモデルにすることができた。また兄弟姉妹と一緒に学校へ通うことができ、地域で健常児の友だちを作ることができた。

障害のない子どもは多様性について学び、教師はさらに個別のアプローチを提供することを学んだ。教師は協力を指導する革新的な戦略を見つけることを求められた。ケニアの国際育成会連盟会員は、Tシャツにこのような宣言を記していた。「共に学ぶ子どもたちは、共に生きることを学ぶ」

これまでの経験は私たちに、何がインクルージョンを成功させるのかを教えてくれた。それは、構想とコミットメント、法律と政策、革新と再生のコンビネーションである。またそれは、教育省と学校長のリーダーシップを必要としている。そして、十分な研修を受け、支援を得た教師が必要である。さらに、親やその他の人々による権利擁護活動が求められる場合も多く、必要に応じて裁判に訴えることさえある。

インクルーシブな教室は、生徒が学ぶことを楽しめる場である。そのような教室はダイナミックだ。そして、言語的知能、音楽的/リズム的知能、身体的/運動感覚的知能、視覚的/空間的知能、対人的知能、内省的知能および博物学的知能(ガードナー 1983年)など、多種多様なタイプの知能があることを認める。よき教師は、それらすべてを開発してくれる。

しかしインクルージョンは、単にすべての責任を担任教師に押し付けるという意味ではない。インクルーシブな制度では、教師に支援を提供する。また、障害のある生徒が、ときには特別なニーズを解決してもらう必要があるということを認める。それは点字タイプライターや補聴器のような機器の支給を通じて行われることもあれば、学校をもっと物理的にアクセシブルにしたり、カリキュラムの調整をしたり、教師に対する適切な研修を行ったり、聴覚障害のある生徒への手話指導や視覚障害のある生徒への移動訓練など、特別な研修を生徒に受けさせたりして行われることもある。

インクルーシブな教育を成功させた要因について学び始めるにつれて、障害のある生徒の学習に必要な条件と同じ条件が、すべての人のための質の高い教育をも生み出すことに、私たちは気がついた。サラマンカ宣言は、私たちの夢に対する答えであるように思われた。

なぜインクルーシブ教育に関するグローバルレポートを作成したのか?

サラマンカ宣言が採択されてから、今や15年がたった。この間に多くのことが起こった。世界では、教育を貧困撲滅の重要な手段の1つと見なした組織的な取り組みが見られる。「万人のための教育(「万人のための教育」)」は、世界共通の目標となり、投資の根拠となった。

2000年にセネガルのダカールで開かれた世界教育フォーラムでは、サラマンカ宣言を確認し、1億1300万人を超える子どもたちが初等教育を受けられないでいることから、「万人のための教育」の目標を達成するまで、どれほど道のりが遠いかを認めた。2また同年、国連によって採択されたレニアム開発目標(MDGs)に、初等教育の完全普及という目標を盛り込むことにより、教育への投資に焦点を絞ることができた。3

さらに最近では、国連が障害者権利条約(国連障害者の権利条約)を採択した。4インクルージョン・インターナショナルは、条約の草案作成において積極的な役割を果たした。その第24条では、締約国に「あらゆる段階におけるインクルーシブな教育制度を確保する」ことを求めている。ユネスコ、国連児童基金(UNICEF)、経済協力開発機構(OECD)、世界銀行およびその他の機関は、「インクルーシブ教育」の概念を支持している。

国際的な政策と法律でインクルーシブ教育の概念が承認されるとともに、世界各地のあらゆる地位の人々が、変革をもたらすために協力を進めてきた。国際育成会連盟の会員は、北アメリカやヨーロッパの最高の設備を備えた学校から、インドのもっとも貧しいコミュニティに至るまで、世界中のインクルーシブな環境の下で、障害のある生徒が教育を受けている成功例を報告している。

会員によって報告された好事例は、国際育成会連盟エデュケーションのウェブサイトで見ることができる。5

しかし国際育成会連盟の会員は、排除が続いていること、子どもを学校に入れるために、そして学校で子どもが力を発揮するのに必要な支援を受けられるようにするために、独力で闘わなければならない家族がいくつも存在することも報告している。家族は排除を逃れるために、別の都市、別の国、あるいは異なる宗教を信仰する人々のための学校にまで、身を移していくと報告されている。

ときには排除が、障害者に対する時代遅れの態度や偏見に基づいていることもある。またアクセシビリティの欠如や、リソースの欠如が原因であることもある。流行遅れの法制度や政策によることもあれば、未知のものへの恐れから来ることもある。

そこで、このサラマンカ宣言15周年記念に当たり、私たちはインクルーシブ教育の現状を詳しく語っていきたい。サラマンカの夢は実現されたのであろうか、進展はあったのだろうか、どのような進展がどこであったのか、何が起こらなかったのか、まだ実施されずに残されているのは何か。

本報告書では、これらの問いへの回答を試みる。

コラム1
質の高い教育がもたらす利益
健康の促進
生産性の向上
世帯年収の増加
尊厳をもって生き、自らの人生に関する決定を、情報に基づいて下す機会

コラム2
すべての子どもたちを学校に通わせるために、努力し続けてください。子どもたちが、学ぶことができない特別なモンスターとして扱われる特別支援学校ではなく、普通学校に通えるように。私は、人間ではなくモンスターとして扱われました。話すことができず、自分の考えを表現することがなかなかできないからです。私は世界に訴えたいのです。たとえ話せなくても、誰もが人間として扱われるべきだと。
オランダ ティアンディ(Thiandi)

コラム3
最大の課題は、「インクルージョン」とその方法を常に再評価し続けることだった。
ニュージーランド
親を対象としたフォーカスグループ


1 英語版は、http://www.unesco.org/education/pdf/SALAMA_E.PDF、その他の言語は、http://unesdoc.unesco.org/ulis/cgi-bin/ulis.pl?catno=98427&set=4AA5300D_1_401&gp=1&lin=1&II=1.参照。

2 ダカール行動の枠組みhttp://unesdoc.unesco.org/images/0012/001211/121147E.pdf.参照。

3http://www.un.org/millenniumgoals/bkgd.shtml.参照。教育については、http://www.un.org/millenniumgoals/education.shtml.参照。

4http://www.un.org/disabilities/.参照。

5http://www.ii.inclusioneducativa.org参照。