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国際身体障害者スポーツ競技会 東京パラリンピック大会 報告書

THE TOKYO GAMES FOR THE PHYSICALLY HANDICAPPED
PARALYMPIC TOKYO 1964

東京パラリンピックのロゴマーク

はじめに

国際身体障害者スポーツ大会運営委員会
会長 葛西 嘉資 

 パラリンピックは、非常に語呂がよいといわれた。そのせいか、近来、これほど人々にアピールしたことばはあるまい。パラリンピックというのは、下半身マヒのパラプレジアのパラと、オリンピックのリンピックをつなぎ合わせたもので、車イスを使う下半身マヒ者のスポーツ大会という意味になり、今回の、大会の第一部だけにあてはまることばである。しかし、身体障害者はそれだけではない。ほかにも、手足や目や耳の不自由な人々も、たくさんいる。そして、せっかく身障者の国際スポーツ大会を日本でやるのであるから、これらの人たちにも、ぜひ、参加して貰いたいということで、第二部を設け、ひろく全身体障害者の大会にしたわけである。
では、なぜ一部と二部に分けたかというと、本来のパラリンピックである車イスを使う身障者の大会は、すでに国際大会12回の経験をもち、そのルールややり方もきちんとしているのに、第二部の方は経験も浅く、ルールも区々で、国際ゲームをやれるほど熟していない。やむを得ず、一部と二部に分けて、二部の方を日本人選手だけで競技する国内大会にしたわけである。
そんなわけで、この2つをいっしょにした呼名がパラリンピックといわれるようになり、いつの間にか、私自身の肩書も、パラリンピック運営委員会会長になってしまった。
身障者スポーツ大会の意義は、第一には身障者自身が、まず体力をきたえ、その体力や機能に自信をもつようになり、明るい希望と勇気を抱くようにすることで、グットマン博士も「失われたものをかぞえるな、残っているものを最大限に生かせ」といっているように、身障者のコンプレックスを解消させることである。第二には、一般社会に、身障者の可能性をみて貰って、関心と理解を深めることである。このことは、身障者の社会復帰に大きなたすけとなる。第三には、スポーツを通じて、同じからだの不自由になやむ人たちが友誼と親睦を深め、お互いに励まし合って、一人一人の生活を向上させて行くようにすることである。
さいわい、東京パラリンピック大会は、皇室の御援助と、国民の協力を得て、予期以上の効果を収めて終ることができた。とくに、名誉総裁をお引きうけ下さった皇太子殿下は妃殿下とともに、つねに卒先して大会の進行に心をくばられ、パラリンピック大会の盛りあがりに尽力された。このことが、いかに参加選手たちを感激させ、われわれ関係者を奮起させたか、はかり知れないものがある。身体的なハンデキャップをもつ選手たちが、そのハンデキャップを忘れてしまったというほど、東京大会は特殊なふんい気でおし進められ、関係者は、国民各層の思わぬ協力にささえられながら、大任を果たすことができた。その過程に、いろいろな曲折はあったけれど、10の部会に分かれて、それを担任した各種団体の努力は、はじめての経験である身体障害者のスポーツ大会という困難なしごとを、りっぱになしとげてくれた。政府と、オリンピック組織委員会と、そして一般寄付者の善意にみちた力添えも、この大会を成功のうちに終らせることができた大きな力であった。ここに謹んで感謝を申上げる。
いまここに、パラリンピック東京大会の報告書を刊行するにあたって、この大会に参加した選手諸君の幸福を祈るとともに、かげになりひなたになって、大会の進行をたすけて下さった方々に、心からの感謝をおくる次第である。

目次

巻頭グラビア

はじめに   会長 葛西嘉資

パラリンピックの沿革

東京大会までの経過

皇室の御激励

東京大会ひらく

式典部会報告

選手村運営部会報告

競技部会報告

サービス部会報告

研究視察部会報告

選手強化対策部会報告

通訳部会報告

広報部会報告

医療救護について

自衛隊の支援

決算報告

余録

新聞記事
次々に理解の芽、サイン会、ダルマ寄付、主婦のおり紙、渡辺はま子さん、坂本九ちゃん、大扇子、富士登山、イタリア選手子供の家へ、バーテンダー協会

参加選手の感想

競技記録

寄付者名簿


失われたものをかぞえるな

残っているものを最大限に生かせ

ルードイッヒ・グットマン

東京パラリンピックの会場配置図

パラリンピックの沿革

治療にスポーツを

 身障者スポーツの歴史は古い。ヒポクラテス(紀元前300年)の時代から、すでにエラジスツレエトなどが医療の目的でスポーツを行なった記録がある。しかし、近代医療スポーツが科学的にその礎をきづいたのは文芸復興期以降で、相当前から、ドイツなどには、医療体操師という職域があり、患者の機能回復のためにスポーツをとり入れ、指導していた。1880年にはイギリスで下肢切断者が木製義肢をつけて、最初の身障者スポーツ大会をひらいたが、これらの動きを、はじめて組織化したのが、ルードイッヒ・グットマン博士である。博士は、イギリス・ロンドン郊外にあるストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷センターの所長で、神経専門医であったが、このセンターでは脊髄損傷の治療手段としてスポーツを早くからとり入れ、手術は全く行なわず、むしろ、スポーツを主にしたリハビリテーシヨンが、このセンターの治療方針であった。しかも、治療成績はすばらしく、平均受傷から就職まで6ヵ月という超スピードでその85%が、なんらかの形で有給就職している。
こうしたグットマン博士の指導で、1948年、はじめて、両下肢マヒ者のための競技会が開かれ、そのスポーツ大会が、ストーク・マンデビル・ゲームとして、一般に知れわたるようになり、1952年からは国際的な脊髄対マヒ者スポーツ競技会として発展してきたのである。ちょうど、フランスのクーベルタン男爵がオリンピックを再興したように、グットマン博士は、身障者のためのパラリンピックを興したといえる。パラリンピックの目的は、同博士の参加者に与えるメッセージにいいつくされている。
「ストーク・マンデビル競技会の目的は、全世界を通じて、両下肢マヒのある男女に、国際競技を通じて手をつながせることであってこれによって諸君の真のスポーツマン・シップは、いまや多くの両下肢マヒ者達に希望と激励を与えることになろう。両下肢マヒ者は、国際間の友誼と理解を促進するためにスポーツの手段による場合が一番多く社会に貢献することができるのである。」
この、ストーク・マンデビル競技会は、毎年7月に開催されるのが例であったが、1960年のローマオリンピック大会の開催を機会に、そのごずっと、オリンピック開催の年には、同大会が終わるとすぐ、引きつづいて同じ場所で、パラリンピック大会を開催することになった。そして、1948年、わずか26名の参加者からはじまった、この競技会も、年々盛大になり、1952年にはオランダの弓術チームが参加して、国際競技会に発展し、1956年には18ヵ国から約300名、57年には27ヵ国から約300名、そして1960年のローマ大会には21ヵ国から約400名のマヒ男女や少年代表が参加するほどの成長を示し、さらに、1962年には、招きに応じて日本からも2名の代表選手をロンドンに送り、22ヵ国、約400名の各国選手の間に交って、水泳や卓球で立派な活躍ぶりを示した。そして、1964年、東京オリンピックのあとをうけて開かれた第13回パラリンピックには22ヵ国から369名の選手が参加して、弓術、ダーチャリー、バスケットボール、フェンシング、フィールド競技、重量挙、トラック競技、五種競技、スヌーカー、卓球、水泳などに活躍した。

パラリンピックの名称

 パラリンピック(PARALYMPIC)は通称「身障者五輪」などといわれているが、これは、パラプレジア(PARAPLEGIA)のパラと、オリンピック(OLYMPIC)のリンピックを組合わせて、パラリンピックと綴ったものである。このパラリンピックということばは、日本ではじめてうち出された愛称で、下半身マヒばかりでなく身障者全体の国除的スポーツ競技会を、多くの人々に認識させる適切な表現である。
パラリンピック大会とオリンピック大会との間には、直接的な関係はないが、1956年、オリンピック運動について功績があった場合に贈られるファーンリーカップが、国際オリンピック委員会からこの運動に与えられた。この意義は、国際オリンピック委員会がこの団体を、同じ道を進む団体として認めたことである。オリンピックが開かれる年には、同じ場所で、同じ施設を使って行なわれるようになったことも、両者の関係を深めている。

パラリンピックの主催者

 パラリンピックの本部は、イギリスにある国際ストーク・マンデビル競技委員会で、現在のメンバーおよび規約は次のとおりである。

会長
ルードイッヒ・グットマン博士(イギリス)

会計
アントニオ・マリオ博士(イタリア)

委員
アール・サイモン氏(オーストリア)ピエール・フーサー博士(ベルギー)ミシェル・プーぺー氏(フランス)エーチ・テェペス少佐(オランダ)ピー・エーチ・リプトン氏(アメリカ)

名誉書記
ジュアン・スクルートン女史(イギリス)

加盟国
アルゼンチン、オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、キプロス、デンマーク、エジプト、エチオピア、フィンランド、フランス、ドイツ、イギリス、ギリシャ、インド、イラン、アイルランド、イタリア、イスラエル、日本、レバノン、マラヤ、マルタ、オランダ、ノルウェー、パキスタン、ポルトガル、南アフリカ、スペイン、スエーデン、スイス、チュニジア、トルコ、ウルガイ、アメリカ、ユーゴスラビア、南ローデシア 37ヵ国

国際ストーク・マンデビル競技委員会規約

第一部 名称
 本委員会は、国際ストーク・マンデビル競技委員会と称する委員会であって、下半身マヒ者のための国際ストーク・マンデビル競技会に参加する国内組織の代表者をもってこれを構成する。
第二部 目的
 国際ストーク・マンデビル競技委員会は下半身マヒ者の、身体的および心理的更生上競技がきわめて大きな価値を有し、且つなかんづく、身体障害者の社会復帰に対して重要であることを認め、国際ストーク・マンデビル競技会の業務を正しく遂行するための調整主体として活動するものとする。この組織の本部は本競技発祥の地である英国エールズベリー所在、ストーク・マンデビル病院、国立脊髄損傷患者センターにこれを置く。
国際ストーク・マンデビル競技委員会はストーク・マンデビル競技会の目的を促進させ、国際競技運動の形式によって、世界各地の下半身マヒ男女を結束させ、このようにして、各国民間の友誼と理解を助長することに、常時努力するものとする。
第三部 組織
 国際ストーク・マンデビル競技委員会は、いずれの国からも1名を越えない代表者をもってこれを組織するものとする。ただし英国はストーク・マンデビル競技会の創設国として永く委員を出すものとする。ストーク・マンデビル競技会が英国外のいずれかの国において開催される場合は、その開催国もまた委員を出すものとする。競技会の組織に関する責任は国際ストーク・マンデビル競技委員会と密接な協力関係をもって、その開催国がこれを負うものとし、当国際ストーク・マンデビル競技委員会は準備、組織について助力するために、開催国へ代表者を派遣する権限を持つものとする。
国際ストーク・マンデビル競技委員会は7名以内をもって構成するものとし、これに追加協力者を選任する権限をもち、次にあげる事項につき任務を有するものとする。
  1. 世界を通じ、下半身マヒ者の間に競技を促進させ発達させること
  2. 国際ストーク・マンデビル競技会を毎年継続して開催することを確保すること、若し可能ならば、4年毎にオリンピック競技会が開催される当事国において、本競技会を開催するものとする。その間に介在する年においては、他の国が多数の下半身マヒ者のための十分な宿泊設備を持たない限り、本競技会はストーク・マンデビルにおいて開催するものとする
  3. 競技中に起る係争を解決するために国際ストーク・マンデビル競技会において発動する国際審判部を設置し、必要ある場合にこれを招集すること
  4. 委員の中から医学部会を設置し、助言の資格で活動する技術専門家を任命すること
  5. ストーク・マンデビル競技会の事業遂行ならびにその発展のために提起される各種の勧奨事項について協議し、かつ決定すること
  6. あらゆる型の身体障害者の競技について招集されるいかなる国際会合にも参加すること
  7. 国際ストーク・マンデビル競技委員会の機能と活動に対し、財政的計画をたてること

国際ストーク・マンデビル競技委員会は委員の中から会長と名誉会計を選出するものとする。委員会に名誉書記を任命する。

国際ストーク・マンデビル競技委員会は会長から招集のある都度会合し、会長は1年に1回以上これを招集するものとする。

各委員の任期は4年以上とし期間満了のときは、その半数だけその任から退くものとする。ただし再任を妨げない。

この規約でもわかるように、オリンピツクの年は、その開催国が当事者になり、国際ストーク・マンデビル委員会本部の助力を得て、パラリンピックを開催することになる。

1952年の第1回から東京大会までの開催は次のとおりである。

回数 年度 開催地
第1回 (1952年) ロンドン
第2回 (1953年) ロンドン
第3回 (1954年) ロンドン
第4回 (1955年) ロンドン
第5回 (1956年) ロンドン
第6回 (1957年) ロンドン
第7回 (1958年) ロンドン
第8回 (1959年) ロンドン
第9回 (1960年) ローマ
第10回 (1961年) ロンドン
第11回 (1962年) ロンドン
第12回 (1963年) ロンドン
第13回 (1964年) 東京

東京大会までの経過

東京大会の足がかり

 身障者スポーツについては、欧米を視察した人たちから、その重要性がさけばれ、ことに、イギリスのストーク・マンデビル病院を訪れた人たちは、グットマン博士から、1964年のオリンピック東京大会のあと、その施設を利用して国際ストーク・マンデビル競技大会(以下「S・M・G」という)をぜひ行なってほしいと要請されていたので、だんだん、関係者の口の端にのぼるようになった。
昭和36年2月、世界歴戦者連盟(W・V・F)の日本理事沖野亦男氏は、本部から身障者スポーツに関する資料の提供をうけ、これを活用して国内の身障者スポーツ熱をたかめたいと念願して、国立身体障害者更生指導所稗田正虎氏とはかり、冊子「身体障害者スポーツ」(B5版157頁)を刊行、関係方面に配付してその関心をたかめた。また、同年4月13日、ローマの第9回S・M・G(パラリンピック)にただ一人の日本人観覧者として参加した渡辺華子女史が、身体障害者更生指導研究会(会長高木憲二博士)で、そのもようとパラリンピックについて説明、つづいて沖野亦男氏が「日本における身障者スポーツの高揚について」と題して講演を行ない、終って座談会に移り、出席の厚生省社会局長大宰博邦氏から「身障者のため明るいニュースだが、受入態勢となると相当問題だ。きようは前向きの方向に結集する第1回の会合であることにしたらどうか」という発言があり、経費の点が問題になったが、結論としてパラリンピックをやるかどうかは別にして、身障者スポーツはとにかくやった方がよいという意見が強かった。さらに、同年5月、沖野氏がパリで開催されたW・V・F総会に出席してグットマン博士に会い、いろいろ打合わせて帰京し、6月13日帰朝報告会を催した。その結果として、身障スポーツについての組織を結成してその委員会で進めてゆくことに、出席者の賛同を得、とりあえず民間団体を中心にした準備会をつくり、ある程度の下相談なり下準備をすることに決定した。その後、数回にわたって会合をひらき協議した結果、現段階でパラリンピックをどうするかということは、まったく飛躍しすぎる、まず国内のスポーツ振興を推進すべきだという意見が強く打ちだされた。そして8月10日、身障者関係の24団体が中心になり「身体障害者スポーツ振興会」を結成した。しかし、この会は、身障者を一つに結集して活動するという方針を申合せ数十回の会合を開いたが、役員の人選、経費の出所の問題ばかりに時間を費やし、実質的活動にはいることができず開店休業の状態であった。それまで、リクレーションとしての身障者運動会はあったが、36年10月22日に大分県で、身体障害者体育大会が行なわれた。これは、体育官出身の県民生部長平田準氏と海外の身障者スポーツを視察してきた国立別府病院中村裕氏の努力によって開かれたもので、わが国はじめての試みであり、全国の注目を浴びて、パラリンピック開催の促進に多大の役割を果した。
翌37年3月、国際ライオンズ協会の幹部の人から朝日新聞厚生文化事業団の寺田宗義氏のところに「パラリンピックをやるのかどうか、やるのならライオンズクラブは全面的に援助する」という連絡があり、4月25日、朝日新聞社企画部長室に寺田宗義氏、堀場平八郎氏、松本征二氏、宮崎音彦氏、福永康夫氏、稗田正虎氏、氏家馨氏が集まり、

1.国内のスポーツ振興をはかり、その結果をみて、パラリンピックを引きうけるという線は、実際問題として困難であり、むしろ、パラリンピックを引きうけるという線を強く打ちだして国内態勢をつくりあげる方が早道であること

2.パラリンピックを引きうけるについては肢体不自由、盲、ろうあの人たちのスポーツも同時に行なうことを条件とすること

3.きたる5月10日に、小範囲の人たちで準備打合会を開催すること

4.ライオンズクラブに強力に働きかけること

を決定した。寺田氏は翌日太宰厚生事務次官と大山社会局長を個々にたずね、準備委員会結成に厚生省の協力を申出たところ、肢体不自由、盲、ろうあの人たちを含めて行なうならば全面的に賛同する旨の了解を得た。そこで、国際身体障害者スポーツ大会開催準備世話人として寺田氏、石島治志氏(NHK厚生文化事業団)の連名で、関係者に案内状が発送された。

準備委員会の結成

 昭和37年5月10日、朝日新聞社6階の第1談話室で国際身障者スポーツ大会準備打合会を開らき

  1. 大会開催の趣旨の説明、
  2. 大会準備委員会の結成について
  3. 委員会の構成について
  4. 本年度S・M・Gに選手団の派遣について

 を議題として協議し、席上、国際身体障害者スポーツ大会準備委員会を結成することに決定、出席者全員を委員にあてることにした。その顔ぶれは次のとおりである。

団体名等 氏名
朝日新聞厚生文化事業団 寺田宗義
NHK厚生文化事業団 石島治士
NHK厚生文化事業団 堀場平八郎
身体障害者更生指導研究会 高橋安貞
国際肢体不自由者福祉協会 小池文英
全国社会福祉協議会 牧 賢一
鉄道弘済会 大木 護
鉄道弘済会 松本征二
日本赤十字社 高木武三郎
日本身体障害者団体連合会 福永康夫
W・V・F日本理事 沖野亦男
厚生省社会局更生課 平井 龍
全国鉄道傷痍者団体連合会 宮崎音彦
国立身体障害者更生指導所 稗田正虎
国立身体障害者更生指導所 氏家 馨
国立東京光明寮 高田秀道
国立ろうあ者更生指導所 颯田琴次
労働問題研究家 渡辺華子
東京都民生局更生課 新坂松三
大分県民生部 平田 準
国立別府病院 中村 裕

 さらに、同月19日、委員長に社会福祉事業振興会長葛西嘉資氏の承諾を得た、そして委員会の事業は1.ライオンズクラブに強力に運動して資金のメドをつけること、2.7月にイギリスで開催される第11回S・M・Gに日本から選手団を派遣する、などに重点をおいた。
ライオンズクラブは、当時、全国を6地区にわけ、各地区のガバナーが最高責任者となり、ガバナー会議を組織し、その年度の事業計画を決定していた。そのため、5月30日に愛媛県松山市で開催されたガバナー会議に寺田、堀場の両氏が資料をもって出席、大会の趣旨を説明し協力を懇請した。また日本整形外科学会長有原康次博士は、ライオンズクラブに国際身障者スポーツ大会開催のための財政的援助をしてほしい要望書を送り、側面から支援した。
7月24日からイギリスで開催される第11回S・M・Gに派遣する選手団は、全国ではじめて身障者体育大会を開催した大分県から派遣して貰うことになったが、経費は一銭もないため朝日新聞、NHKの両事業団が保証し、準備委員会が大分県の銀行から借金してあてることになった。選手団一行4名は7月16日羽田を出発した。新聞、放送機関は「身障者五輪に日本初参加」「身障者が五輪開催、東京大会に引きつづき」と報道し、世論を大いにわかせた。無事大任を果して帰国した選手団は、8月5日二笠宮殿下、8月9日皇太子殿下にお目にかかり報告した際、引卒の大山社会局長、葛西委員長にそれぞれ「2年後の東京大会は、ぜひ開催して貰いたい」と希望をもらされ、また、池田首相、西村厚生大臣、大橋労働大臣も立会いの記者会見で「2年後は東京で国際大会が開催できるよう、政府もできるだけの援助をおしまない」と確約した。
そして、準備委員会の活動も、日ましに活発になり、法人化の必要にせまられてきたので、法人化の準備にうつり、翌38年2月12日財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会の設立総会が開かれ、満場一致で諸議題を可決、設立認可申請書を提出し4月5日付で設立が許可された。運営委員会の寄付行為は次のとおりである。

財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会寄付行為

第一章 総則

 (名称)
第一条 この法人は、財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会という

(事務所)
第二条 この法人は、事務所を東京都新宿区戸山町一番地国立身体障害者更生指導所内におく

(目的)
第三条 この法人は、昭和39年開催される国際身体障害者スポーツ大会(以下「大会」という。)の円滑な準備および運営ならびに大会に備えての国内身体障害者の競技技術の向上をはかり、もって我が国身体障害者の福祉の増進と国際親善の強化に寄与することを目的とする

(事業)
第四条 この法人は、前条の目的を達成するため、次の事業を行なう
一、大会運営計画の立案およびその実施
二、大会に関する国内国外の宣伝
三、大会の会場その他諸施設の準備
四、参加代表団の受入れのあっせんおよび接待
五、単位競技団体の競技実施の奨励
六、地方および中央における競技会の開催の奨励
七、指導者の養成
八、国際大会へ役員および選手の派遣
九、身体障害者の競技および競技用具についての調査研究指導
十、大会運営に必要な資金の確保
十一、大会運営予算の作成および運営経理の決算
十二、その他本会の目的達成に必要な事業、

第二章 資産および会計

 (資産構成)
第五条 この法人の資産は、次のとおりとする。
一、この法人設立当初寄付された財産目録記載の財産
二、寄付金品
三、補助金および助成金
四、資産から生ずる果実
五、その他の収入

(資産の区分)
第六条 この法人の資産を分けて基本財産および運用財産の二種とする
2 基本財産は財産目録のうち基本財産の部に記載する次の財団法人鉄道弘済会から寄付した資産および将来基本財産に編入される資産で構成する現金 -百万円
3 運用財産は、基本財産以外の財産とする
4 寄付金品については、寄付者の指定がある場合には、その指定に従って基本財産または運用財産に編入する

(資産管理)
第七条
 この法人の資産のうち、現金は確実な有価証券を購入するかまたは確実な銀行その他の金融機関に預金若しくは金銭信託として会長が保管する

(基本財産の処分)
第八条
 基本財産は消費しまた担保に供してはならない。ただし、この法人の事業遂行上やむを得ない事由があるときは理事会の議決を経て、その一部に限り処分することができる

(経費)
第九条
 この法人の事業遂行に必要な経費は運用財産をもってあてる

(予算)
第十条
 この法人の事業計画およびこれに伴う収支予算は毎会計年度前会長が編成し、理事会の議決を経なければならない
これを変更した場合も同様とする

(決算)
第十一条
 この法人の決算は毎会計年度終了後2ヵ月以内に会長が作成し、財産目録および事業報告書とともに監事の意見をつけて、理事会の承認を受けなければならない
2 この法人の決算に剰余金が生じた時は、理事会の議決を経てその一部若しくは全部を基本財産に編入し、または翌年度に繰越すものとす

(臨時措置)
第十二条
 収支予算で定めるものを除く外、新たに義務の負担をし、または権利の放棄をしようとするときは、理事会の議決を経なければならないただし、当該年度内の収入をもって償還する一時借入金についてはこの限りでない
2 前項ただし書の一時借入金の借入の限度額は、理事会の議決を経なければならない

(会計年度)
第十
三条 この法人の会計年度は、毎年4月1日に始まり3月31日に終る

第三章 役員

 (役員)
第十四条
 この法人に次の役員を置く。
理事 35名以内
監事 3名

(選任)
第十五条
 理事および監事は理事会の議決を経て会長が委嘱する。理事は互選により会長1名、副会長3名、常務理事6名を定める

(会長、副会長および常務理事)
第十六条
 会長はこの法人の事務を総理し、この法人を代表する
2 副会長は会長を補佐し、会長に事故あるときまたは欠けたときは、あらかじめ会長の定める順位により、その職務を代行する
3 常務理事は、会長および副会長を補佐し、理事会の決議に基き日常の事務を処理する

(理事の職務)
第十七条
 理事は理事会を組織し、この法人の業務を議決し、執行する

(監事の職務)
第十八条
 監事は次の職務を行なう
一 法人の財産の状況を監査すること
二 理事の業務執行の状況を監査すること
三 財産の状況または業務の執行につき不正の点を発見したときは、これを厚生大臣に報告すること

(事務局および職員)
第十九条
 この法人の事務を処理するため、事務局を設け事務局長その他必要な職員を置く
2 職員は、会長が任免する

(企画委員会)
第二十条
 この法人に企画委員会を置く
2 企画委員会は、この法人の業務の執行に関する企画調査を行なうものとする
3 企画委員は会長が委嘱する

(顧問)
第二十一条
 この法人に顧問若干名を置く
2 顧問は、理事会の議決を経て、会長が委嘱する
3 顧問は、会長の諮問に応じて意見を述べる

第四章 理事会

 (理事会)
第二十二条
 理事会は、随時会長が招集する。ただし、理事の三分の一以上から会議の目的事項を示して請求のあったときは、理事会を招集しなければならない
2 理事会の議長は会長がこれに当る

(決議方法)
第二十三条
 理事会は、理事の三分の一以上が出席しなければ会議を開き議決することができない。ただし、当該議事につき書面をもってあらかじめ意思を表示した者は、出席者とみなす
2 理事会の議事は、この寄付行為に別段の定めのある場合を除く外、出席理事の過半数で決し、可否同数のときは議長の決するところによる

第五章 評議員会

 (評議員会)
第二十四条
 この法人に50名以内の評議員をもって構成する評議員会を置く
2 評議員は、理事会の議決を経て会長が委嘱する
3 評議員会は、随時会長が招集してその議長となる
4 評議員会は、この法人の業務に関する重要事項について、会長の諮問に応じて意見を述べる

第六章 寄付行為の変更ならびに解散

 (寄付行為の変更)
第二十五条
 この寄付行為は、理事会における出席理事の三分の二以上の同意および厚生大臣の許可がなげれば変更することができない

(解散)
第二十六条
 この法人は、理事会における出席理事の三分の二以上の同意および厚生大臣の許可を受けて、解敵するものとする

(残余財産の帰属)
第二十七条
 この法人の解散に伴う残余財産は、理事会の議決により選定された者に厚生大臣の許可を受けて寄付するものとする

第七章 補則

第二十八条 この寄付行為施行についての細目は、理事会の議決を経て別に定める

第二十九条 この法人設立当初の理事および監事は次のとおりとする

理事 (会長代理) 葛西嘉資
中西 実
矢野一郎
高木憲次
沖野亦男
上田常隆
亀山孝一
長尾頼隆
矢島八州夫
木村忠二郎
幹事 水野六郎

また、次のような事務局組織規程をつくり、具体的な活動に入ることになった。

財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会事務局組織規程

 (通則)
第一条
 財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会(以下「運営委員会」という。)の事務局の組織および事務分掌については、財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会寄付行為に定めるもののほか、この規程の定めるところによる

(事務局の組織)
第二条
 事務局に次の二部を置く
総務部
経理部

(総務部の事務)
第三条
 総務部においては、次の事務を処理する
一、運営委員会の顧問、評議員、理事、監事および企画委員に関すること
二、職員の任免、服務および給与に関すること
三、公印の管守に関すること
四、文書の接受、発送、編集および保存に関すること
五、評議員会、理事会および企画委員会の庶務に関すること
六、国内、国外の関係機関に対する連絡、広報に関すること
七、国内、国外の選手団の案内、宿舎のあっせん、紹介等に関すること
八、輸送に関すること
九、大会の会場準備に関すること
十、その他運営委員会の目的達成に必要なこと

(経理部の事務)
第四条
 経理部においては、次の事務を処理する
一、運営委員会の予算、決算に関すること
二、契約、発注および検収に関すること
三、寄付金等の募集に関すること
四、補助金、助成金および寄付金の特別会計に関すること
五、その他運営委員会の経理に関すること

(事務局職員)
第五条
 事務局に次の職員を置く
局長 1名
部長 2名
主事 若干名
書記 若干名
2 業務運営上必要があると認めるときは、事務局に事務嘱託を置くことができる
3 事務局長は、常務理事の命をうけて事務を処理する
4 部長、主事および書記は、上司の命をうけて事務を処理する

付則
この規程は、昭和38年4月15日から施行する

 昭和38年4月5日、厚生大臣の設立許可をうけ、同年15日登記が完了したので、第1回理事会をひらき、国際身体障害者スポーツ大会の実施計画に対する基本方針をきめた。

日時 昭和38年5月13日午後2時から3時30分まで

場所 東京都港区青山南町健保会館

出席者 葛西、亀山、飯室、豊島、大島、大山、太田、川西、藤本、天児、島岡、沖野、岩原

(代理委任)中西、矢野、長尾、矢島、木村、曾野、東、生悦住
(委任状)上田、三木、武見、田辺各理事、今村、水野(委任状)各監事

議事

  1. 国際身体障害者スポーツ大会実施計画について(承認)
  2. 理事および監事の変更ならびに就任について
  3. 評議員の就任について
  4. 運営委員会の組織および会計規程案について
  5. 本年度の2つの国際身体障害者スポーツ大会参加について
  6. 資金の募集について

ついで、運営委員会の役員を次のとおり決定した。

会長

社会福祉事業振興会々長 葛西嘉資

副会長

財団法人日本体育協会理事 東 俊郎
厚生団理事長 太宰博邦
東京大学医学部整形外科教授 三木威勇治

常任理事

厚生省社会局長 牛丸義留
全国社会福祉協議会副会長 木村忠二郎
東京都民生局 北見幸太郎
日本赤十字社副社長 田辺繁雄
鉄道弘済会理事 長尾頼隆

理事

九州大学医学部整形外科教授 天児民和
世界歴戦者連盟日本理事 有末精三
ライオンズ国際協会302東3地区国際カンセラー 飯室 進
日本肢体不自由児協会会長 生悦住 求馬
東京都議会議員 板倉弘典
慶応義塾大学医学部整形外科教授 岩倉寅猪
毎日新聞東京社会事業団理事長 上田常隆
全日本ろうあ連盟長 大家善一郎
WVF国際身体障害者スポーツ中央委員 沖野亦男
厚生省医務局長 尾崎嘉篤
学識経験者 小沢辰男
東京都議会議員 小畑マサエ
学識経験者 加藤千太郎
学識経験者 亀山孝一
厚生年金会館館長 川西実三
日本身体障害者団体連合会長 小西英雄
外務省情報文化局長 曾根 明
日本医師会会長 武見太郎
東京都体育協会長 出口林次郎
日本傷痍軍人会会長 豊島房太郎
日本盲人福祉委員会理事長 鳥居篤治郎
労働福祉事業団理事長 中西 実
東京都議会議員 中西敏二
東京都議会議員 藤田孝子
文部省体育局長 前田充明
朝日新聞東京厚生文化事業団理事長 益田豊彦
東京都副知事 御子柴博見
大阪大学医学部整形外科教授 水野祥太郎
労働省労働基準局長 村上茂利
NHK厚生文化事業団理事長 矢野一郎

監事

厚生省大臣官房会計課長 戸沢政方

評議員

東京都フェンシング協会理事長 飯田雄久
東北大学医学部整形外科教授 飯野三郎
東京慈恵会医科大学整形外科教授 伊丹康人
東京都体育協会理事長 伊藤滋郎
朝日新聞東京厚生文化事業団常務理事 衣奈多喜男
朝日新聞名古屋厚生文化事業団常務理事 井の丸喜久造
東京都財務局主計部長 今井 大
毎日新聞東京社会事業団常務理事 大野理三郎
NHK厚生文化事業団常務理事 小比木 通孝
朝日新聞大阪厚生文化事業団常務理事 賀集 一
東京卓球連盟 川上 理三
社会福祉事業振興会事務局長 甲賀春一
東京都体育協会副会長 小口政雄
中部労災病院副院長 小菅真一
岡山大学医学部整形外科教授 児玉俊夫
東京都アーチェリー協会副会長 小沼英治
厚生年金玉造整形外科病院 塩津徳政
北海道大学医学部整形外科教授 島 啓吾
東京都民生局保護部長 高鍋三千男
日本肢体不自由児協会常務理事 田波幸男
九州労災病院長 内藤三郎
全国社会福祉協議会事務局長 新国康彦
全国社会福祉協議会身障部長 花田更生
東京都バスケットボール協会会長 林 一夫
東京都総務局渉外部長 林田重義
朝日新聞西部厚生文化事業団常務理事 上野美男
NHK厚生文化事業団常務理事 牧 真
厚生団常務理事 松原久人
関東労災病院長 水町四郎
東京都民生局総務部長 三宅泰治
関西労災病院長 宮本孝男
東京都陸上競技協会会長 村木武夫
東京都オリンピック準備局企画部長 森岡一夫
医療金融公庫総裁 安田 巌
美唄労災病院長 若松不二夫
日本ウェイトリフティング 西川正一
財団法人交詢社 斉藤憲蔵

企画委員

厚生省医務局総務課長 渥美節夫
東京都フェンシング協会 伊藤知恭
東京都アーチャリー協会 猪俣与一
朝日新聞運輸部 小俣寿雄
厚生省医務局国立療養所課長 大村潤四郎
中央共同募金会広報部長 河村定治
東京都水泳協会 菊池 章
整肢療護園院長 小池文英
東京都民生局保護部保護課長 河野正孝
厚生省社会局更生課長 今野恒雄
世界歴戦者連盟日本通信員 斎藤博之
厚生省大臣官房連絡参事官 斎藤勇一
国立聴力言語障害センター所長 颯田琴次
東京都バスケットボール協会 鈴木正三
厚生団事務局長 鈴木正信
東京都民生局総務部庶務課長 杉山 竜
日本赤十字社社会部長 高木武三郎
身体障害者更生指導研究会副会長 高瀬安貞
国立東京視力障害センター所長 高田秀道
広報技術評論家 高橋春人
朝日新聞東京厚生文化事業団 寺田宗義
国立箱根療養所長 富田忠良
鉄道弘済会身体障害者福祉部長 中村春吉
国立別府病院整形外科医長 中村 裕
厚生省医務局国立病院課長 浜田 彪
国立身体障害者センター所長 稗田正虎
大分県国体事務局長 平田 準
東京都身体障害者団体連合会事務局長 福永康夫
NHK厚生文化事業団事務局長 堀場平八郎
全国社会福祉協議会業務部長 牧 賢一
労働福祉事業団事業部企画課長 真崎 徹
東京都民生局保護部監理課長 町田英一
財団法人鉄道弘済会社会福祉部長 松本 征二
東京都民生局保護部厚生課長 松本 正
全国鉄身障者協会理事長 宮崎音彦
東京厚生年金病院整形外科医長 森川邦造
東京卓球連盟 矢尾板 弘
東京都民生局総務部普及課長 矢部喜一
労働問題研究家 渡辺華子
東京都体育協会 渡辺政雄
東京陸上競技協会 渡辺弥太郎
日本ウェイトリフティング協会常任理事 野中義治
日本ビリヤード協会理事 厨川博孝

事務局長

国立身体障害センター次長 氏家 馨

広報活動に努力

 法人の設立当初は、身体障害者スポーツ大会実施に必要な資金の確保に、葛西会長以下役職員一丸になって苦労した。葛西会長、寺田、堀場両企画委員、氏家局長の4名は、特に連日経団連をはじめ財界の有力者をしらみつぶしに訪問して協力を求め、高瀬、稗田両企画委員も財界有力者に援助方を懇請して回ったが、財界は、ちょうどオリンピックに多額の割当をうけ四苦八苦している現状を逆に訴えられ、毎日重い足をひきずり回っている状況であった。これも身障者スポーツに対する社会の認識不足による結果であるので、機会をとらえて広報活動を活発にすることになり、昭和38年5月14日、新宿区体育館で盛大な財団法人の発会式を挙行した。
発会式は、厚生省、東京都の後援を得て、700名の参会者を集め、午後2時から4時まで、次の次第で行なわれ、模範競技などのアトラクションで式を盛りあげた。

発会式次第

演奏   海上自衛隊音楽隊

発会式

  1. 会長あいさつ
  2. 三笠宮殿下メッセージ
  3. 祝辞 西村厚生大臣、東都知事NHKから関係施設へ車椅子交付

模範競技

  1. 洋弓 国立箱根療養所
  2. 卓球 国立身体障害者更生指導所、国立ろうあ者更生指導所

映画 ローマ大会記録

そして、昭和39年11月8日から7日間、代々木の選手村で国際身体障害者スポーツ大会(パラリンピック)を開催する旨が宣言された。

身障者スポーツ大会に参加

発会式が終ると当年度事業の一つである海外派遣の準備に忙殺された。派遣事業の推進は企画委員会が中心になって行ない、必要の都度委員会を開催して事業を実施した。
まず、パリのWVF本部内に組織されている国際身体障害者スポーツ連盟(会長=ノーマン・アクトン氏)から38年7月16日から20日までの5日間、オーストリアのリンツ市で第一回国際身体障害者スポーツ大会を開催するので、日本からもぜひ参加してほしいと、会長宛に招請状がきたので、これに参加することに決定し、選手の推せんを各都道府県に依頼し、選こう委員会で次の5名を決定した。

東京都 有富洋平太 (17才) 高校生 左下肢切断
東京都 大槻 寛 (16才) 高校生 両下肢マヒ
埼玉県 浅野正次 (46才) 会社員 右上肢切断
大分県 高崎謙一 (36才) 施設職員 左上肢切断
神奈川県 岩井良平 (52才) 会社社長 全盲

 役員および付添いは葛西会長、寺田宗義、増田弥太郎、森川邦造、山崎晋、中村裕、小島宏子の諸氏に決定し、7月9日東京に集合、毎日TV、ラジオなどの出演、総理大臣、厚生大臣、労働大臣訪問のあいさつが、連日報道機関にとりあげられ、大きく世論の喚起に役立った。一行は13日夜、官民多数の見送りをうけ、元気に羽田を出発した。大会は14ヵ国240名の選手が参加し、盛会のうちに終了したが、海外の報道にも日本の参加が大きくとりあげられ、国際親善と翌年のパラリンピックの開催に大きな成果をあげた。
さらに、昭和38年7月24日から27日までの4日間、イギリスのロンドン郊外にあるストーク・マンデビル病院で開かれた競技大会に選手2名(神奈川県安藤徳次、大分県堤憲蔵)を送り、同時にパラリンピック東京大会の打合せを行なうため役員として葛西会長、寺田宗義、堀場平八郎、氏家馨、森川邦造、小島宏子の諸氏が派遣され、競技大会中に開催された7月25日の会議に参加して、東京大会の詳細な打合せを行ない、だいたいの構想を練り、さらに東京大会に必要な資料の収集や調査を行なって帰国した。

最後の準備段階に入る

 海外派遣も一段落したので、いよいよ資金確保に力を傾注することになり、会長を先頭に、連日連夜、関係方面へ懇請して回った。同時に大蔵省に申請中であった免税の取扱いがきまり大蔵省告示第258号(昭和38年8月21日官報登載)で、とくに「指定寄付金」にされることになった。この扱いがきまったので、法人の場合、寄付金額に関係なく、その税金が免除され、個人の場合もその額によって所得税が軽減される特典が与えられることになった。

大蔵省告示第258号

 所得税法施行規則(昭和22年勅令第110号)第六条の三第一項第二号および法人税法施行規則(昭和22年勅令第111号)第八条第一項の規定に基づき、寄付金控除の対象となる寄付金または法人の各事業年度の所得の計算上損金に算入する寄付金として、第一号に掲げるものに対する第二号に掲げる使途のための寄付金を指定し、個人または法人が第三号に掲げる期間内において支出した寄付金について適用する。

 昭和38年8月21日

大蔵大臣 田中角栄

1.寄付金を受けるべきものの名称(住所)財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会(東京都新宿区戸山町一番地、国立身体障害者更生指導所内)

2.寄付金の使途 第13回国際身体障害者スポーツ大会準備および開催の費用

3.指定期間 昭和28年8月1日から昭和39年7月31日まで

 一方、オリンピック組織委員会とも密接な連絡をとって、選手村の借用などにつき具体的な折衝をつづけた。
ライオンズ国際協会は、昭和37年のガバナー会議で決定した協賛金を全国の会員から募集していたが、その第1回分として集められた666万4340円の贈呈式が、昭和38年9月9日、厚生大臣室で、小林厚相立会のもとにE1地区福島ガバナーから葛西会長に手渡された。これは、本会に対する寄付金の第一号であり、また多額であったので、会長以下日夜努力していた役員の感激はひとしおであった。
昭和38年最後の行事である全国身体障害者スポーツ大会は、将来、毎年行なわれる国民体育大会の直後に行なわれるようにする足がかりとして、当年の国体を行なう山口県に依頼することになり、厚生省を通じて県の意向を打診したが、山口県知事が本会の趣旨に賛同してひきうけることになったという快報に接し、その準備に忙殺されたが、11月10日、山口市の国体で使われた競技場で、第一回身体障害者体育大会山口大会が、一都八県から参加した選手500名によって、盛大に挙行され、多数観衆を迎えて身障スポーツの普及に大きな成果をあげた。

 パラリンピック東京大会の準備も、これまでは国立身障センターが事務局を引きうけていたが、関係方面の折衝も具体的になり、事務もふくそうしてきたので、11月7日に開催された企画委員会で、10の部会をつくり、おのおのの部会を関係団体に分担して貰うことにした。

企画調整部会 事務局
官庁連絡調整部会 厚生省社会局更生課
選手村運営部会 東京都
競技部会 国立身体障害更生指導所、国立東京光明寮、国立ろうあ更生指導所
資金対策部会 社会福祉事業振興会
広報部会 全国社会福祉協議会広報部
通訳部会 日本赤十字社鉄道弘済会
サービス部会 鉄道弘済会
国内選手強化対策部会 全国社会福祉協議会
研究視察部会 厚生団

そして開会中の医療救護には日本赤十字社があたることになった。部会を担当した団体は、その担当業務の企画、立案、準備を行なうことにし、毎週水曜日午前10時から11時まで横の連絡をはかるための定例会議をひらき、会長(不在のときは太宰副会長)が議長になって当面の問題を協議し、1回も欠かさず励行されたので、準備は急速に進んだ。
一方、11月8日の閣議で、本大会開催について、関係行政機関は協力と所要の便宜を供与するよう閣議了解が行なわれ、各官庁の協力も積極的になり、東京大会の準備は事務局から離れて各部会の活動に移行された。

対外交渉の経過

 東京オリンピックのあとをうけて、日本で国際身体障害者スポーツ大会(パラリンピック)を開催する正式な承諾は、運営委員会が法人化して第一回理事会を開いた昭和38年5月13日付をもって、ストーク・マンデビルのグットマン博士あてに通知された。5月13日付文書は次のようなもので、まず国際身体障害者スポーツ大会運営委員会の設立とそのメンバーを知らせ、東京パラリンピックの開催をひきうける旨と、それに対する委員会本部の援助を希望したものである。

日本運営委員会からの通知

1963年5月13日

運営委員会

 イギリス国立脊髄損傷センター所長、L・グットマン博士、WVF身障者スポーツ国際委員会事務局長G・ブリンクマン氏宛

SMGおよびLINZ大会への日本参加と1964年パラリンピックについて

 私どもの委員会は、1963年4月5日に厚生省から財団法人として、公式に承認され、その発会式が明5月14日に東京で、厚生省と、東京都庁の後援をもって行なわれることをここにお伝えできることを非常にうれしく思います。

 委員会のスタッフ・メンバーを下記に御紹介いたします。

運営委員会会長 葛西嘉資(日本赤十字社前副社長)

事務局長 氏家馨(国立身障者センター次長)

 理事 29人をもって構成、下記を含む

政府役人 厚生省、労働省、外務省、文部省、東京都庁
民間組織 医療、整形外科、赤十字、アマチュア運動、社会福祉、身体障害者、肢体不自由児、盲ろうあ、傷病兵および世界歴戦者連盟(沖野亦男)
社会福祉事業 NHK、朝日、毎日、ライオンズ国際クラブ、ヤングマン商工会議所、鉄道弘済会

さしあたっての緊急活動は

  1. 今年7月のSMGに2~3人の参加者を出す
  2. 同月LINZ大会に3~4人の代表を出す
  3. 来年、東京オリンピック後の国際身障者スポーツ大会の準備、特に11月3日~6日に予定されている第一部-パラリンピック(SMG)-に全面的に協力をあおぎたい。ひきつづき、第二部として脊損を除く、日本身障者の国内大会を11月7日~10日にする。

 従って3の質問に関連して、日本にくるために、そちらで、前にしたようにSMG参加グループを組織して下さるか、あるいは、当方が各国別々にグループ毎に招待するべきかその点御回答下されば幸いです。1と2に関しては詳細をできるだけ早くお知らせするつもりです。
みなさまの健康と繁栄を希望し、また新しく生まれた組織にあたたかい御援助と協力をたまわりますようにお願いして、私どもの最初のごあいさつといたします。
この通知に対し、5月21日付、グットマン博士から、次のような返事がきた。

グットマン博士の返事

1963年5月21日

国際ストーク・マンデビル競技委員会会長 ルードイッヒ・グットマン

 蔦西嘉資 殿

 13日付貴簡ありがとうございました。承れば、貴殿が日本における国際身体障害者スポーツ大会運営委員会会長に御就任の由大慶に存じます。ついてはわれわれができる限りの協力を惜まない所存であることを申上げたいのであります。
おたずねの件について申上げますと、貴委員会、特に貴殿御自身が国際ストーク・マンデビル競技委員会と緊密な協力の上活動されることが必要であると存じます。それは国際ストーク・マンデビル競技会は何処で開催されるにいたしましても、その責任は当国際ストーク・マンデビル競技委員会が持つわけであるからであります。その詳細についてわれわれの間でお話合いをいたすことがきわめてたいせつなことであり、ですから日本における組織委員会の会長として貴殿御自身、当地に開催されるべき1963年度のストーク・マンデビル競技大会に御出席下され、その節、国際ストーク・マンデビル競技委員会内で全般にわたり、詳細に御相談いたす機会をもちたいものと思います。切に御出席をお願い申上げます。
この書簡にあるストーク・マンデビル競技大会は、昭和38年7月24日から27日まで開かれ、前述のとおり、この大会には東京パラリンピック打合わせのため、特に蔦西会長はじめ寺田、堀場、氏家、山崎、中村、森川、小島の諸役員がロンドンにわたって、7月25日に開催された委員会本部の会議に出席した。会議は午後4時から開かれ日本代表の紹介、新委員への推せんなどがあり、東京パラリンピック開催に対する、日本派遣団と委員会本部との間で討義された事頃は次のようなものである。

 討議事項

  1. 各選手団の到着  11月6日、7日
  2. 会期  11月8日から12日まで
  3. 日本国内競技会  11月13日、14日
  4. 各選手団帰国出発  11月15日
  5. 宿泊
    1. 選手と付添は同じ宿舎とし、選手は1階、付添は2階とする。
    2. 便所は十分な数を具し、かつ車椅子で入ることができなければならない
    3. 浴槽入浴よりもシャワーが望ましい
    4. ベッドは適切なものとする
    5. 食堂は1階とする
  6. 競技場
    競技場、体育館および水泳プールの位置(宿舎との遠近関係を示す)と大きさの詳細を1ヵ月以内に知らせる
  7. 競技規則および参加申込様式
    国際ストーク・マンデビル競技委員会が既存のとりきめ方に基づき、これを処理する。招集すべき国名表は日本委員会へ通知する
  8. 審判員
    審判員の手配については、現在と同様に国際ストーク・マンデビル競技委員会の技術顧問にこれをまかせる
  9. 個人競技
    日本側はスヌーカーに関する使用可能の設備について追って当委員会へ通知するものとする。ボーリングについては設備がない。その他のすべての競技についてはその設備がある
  10. 開会式および閉会式
    開会式8日、車椅子の行進および登壇(発言)者の順序はローマ大会の場合に準ずる。閉会式12日、登壇(発言)者の順序はローマ大会の場合に準ずる
  11. 授賞は毎日これを行ない、主要トロフィーだけについては最終日にこれを行なう
  12. メダル
    日本委員会はメダルをつくることにしている。国際ストーク・マンデビル競技委員会は、日本側に見本を示し、所要数を知らせるものとする
  13. 競技に参加しない競技者が見物に出られるように日本側委員会は、毎日選手の外出について手配するものとする

グットマン博士からの書簡

1962年7月27日

国際ストーク・マンデビル競技委員会会長 ルードイッヒ・グットマン

 葛西嘉資 殿

 国際ストーク・マンデビル競技委員会規約第三部第一項の規定に従い、1964年オリンピック競技会の直後東京において開催予定の1964年国際ストーク・マンデビル競技会に対し、日本が開催国としての資格をもつてISMGCのメンバーになるよう招請されることを、私は大きな喜びをもって御通知申上げます。
私は、貴委員会から公式に御受諾いただくと同時に国際ストーク・マンデビル競技委員会に参画される貴殿の指名される代表者名を御通知下さるようお願い申上げます。同封の写、規約第三部第一項の規定に従って、次の事項を決定いたしましたから御諒承下さい。
それは指名を受けた3名の代表者から構成される小委員会が競技会前に東京を訪問し、日本側実行委員の方とともに組織および手順の詳細について討議させてもらいたいということです。
1960年国際ストーク・マンデビル競技会をローマでオリンピック競技会の諸制約下にオリンピック後に行なった際、われわれはイタリアオリンピック委員会から緊密な接触ときわめて大きな協力を得たのでした。
私は東京において開催される下半身マヒ者のための国際ストーク・マンデビル競技会が輝かしい成功を収めるよう熱望するとともに、この機会に貴殿ならびに御いっしよに事に当っておられる方々に対し、その御熱心と御協力とに対し、感謝の意を表するものであります。
これで一応、イギリスの委員会本部との連絡もつき、東京大会へのメドもついたので、国内態勢を着々おし進めると同時に、昭和39年4月25日、31ヵ国39団体に招待状を発した。

招待状

 1964年度、下半身マヒ者国際ストーク・マンデビル大会を、オリンピック終了18日後の11月8日から12日迄の間に東京で開催されることは前もって国際ストーク・マンデビル大会委員会の会長であるドクター・L・グットマン氏から、一応の通知をおうけとりになったと思いますが、今日改めて、書面をもって日本国際身体障害者スポーツ大会運営委員会会長である私が、心からこのわれわれの重要な儀式の賓客として御招待申し上げます。選手、付添い、関係役員等に付随する次の一切の費用は、主催側であるわが委員会が、すべてお世話することをお知らせいたします。

  1. 1月6日~15日迄の選手村での食事を含めて、日常の必要品
  2. 羽田空港から選手村迄の交通費

 上記以外の、洗たく料、間食費、私的観覧などのような個人的な費用は負担いたしません。
国際ストーク・マンデビル大会委員会の主催国を代表する日本運営委員会は、国際ストーク・マンデビル大会委員会と共同して働き、入場方法などのような、関連したことがらすべてのものはストーク・マンデビルから発展した国際ストーク・マンデビル大会委員会の通例の手順によって行ないます。
この大会が貴下の十分な支持によって催されるならば大変に幸いであります。そしてどうぞ、できるだけ早く、選手と付添いを含めて、貴下のチームの人数をお知らせ下さるようお願いたします。

会長 葛西嘉資

  この招待状に対して、5月13日のイスラエルをはじめ各国団体から参加承知と不承知の返事が次々に送られてきた。その2、3をあげる。

1964年5月13日イスラエル、エ・ハーレル会長
私は東京で行なわれる最も重要な競技大会に参加するよう貴殿からの招待をうけとり感謝しております。
われわれのチームは、9人の脊髄損傷の選手と3人から4人の付添とトレイナーを含んでおります。
われわれは協力したら1964年ストーク・マンデビル競技大会は大成功になるだろうと確信しております。

1964年5月20日ニュージーランド、エッチ・イ・ピァース会長
ジエ・キューリ嬢あての4月25日付の貴殿の手紙について、わたくしは11月に東京で開催されるストーク・マンデビル競技会に代表を送ることはわれわれにとっては、現在できないだろうということをお知らせしなければならない。
もちろん、競技会への不参加は、われわれニュージーランドの者すべてにとっては、大きな失望である。
しかしながら、われわれは貴殿の親愛なる御招待に対して心から感謝するとともに最善をつくして、立派な競技会であらんことをお祈りいたします。

1964年5月28日オーストラリア、脊髄損傷者協議会長
オーストラリア脊髄損傷者協議会会長として、付添を含めて15名か16名の選手団が大会参加のため、海を渡って東京に行くことを心から楽しみにしておりますと申し上げることを幸せに存じております。
現在われわれはこの面白くてたまらない冒険のために積極的に資金募集をやっております。
東京へ出発する予定のわれわれのチームの中には医師1人、看護婦1人、物療師1人およびおそらく1人のトレイナーの4人が付添として含まれると思います。
わたくしが現在予知している小さい問題があります。それは航空路の時間表により、11月5日の夕刻か6日の午前中に東京におそらく到着するだろうということです。選手村がこの時に開かれないとすると、われわれはこの一晩の間われわれのチームのため私的宿泊所を用意しなければならないのかどうかについて十分にお知らせいただきたいと存じます。

 こうした各国からの返事が到着しつつある6月1日、グットマン博士一行が来日した。一行はグットマン博士とジュアン・スクルートン嬢、チャーリー・アトキンソン氏の3名で、東京大会援助のため5月21日ロンドンを出発、6月1日午後6時55分羽田に到着、6月9日まで次の日程で、在京の関係機関や競技場を訪問し、大分県をたずねた。

5月31日(日曜) 11時50分ロンドン発 日航機
6月1日(月曜) 18時55分東京着
6月2日(火曜) 関係機関代表訪問
6月3日(水曜) 会議
6月4日(木曜) オリンピック村および競技場見学
6月5日(金曜) 17時50分東京発、18時20分福岡着、日航機
6月6日(土曜) 午前九州大学で講演、12時5分福岡発、15時3分別府着
6月7日(日曜) 別府市内見学、23時別府発、船
6月8日(月曜) 12時神戸着、京都見学、午後京都発
6月9日(火曜) 午後東京着、22時20分東京発、日航機
6月10日(水曜) 8時45分ロンドン着

なお、一行中アトキンソン氏は九州に旅行せず、東京大会援助のため競技部会と打合せをつづけていた。

政府から出された通知

 東京パラリンピックの開催に対する政府の協力は、昭和38年11月8日の閣議了解によって決定し、厚生省社会局から各都道府県知事および指定都市市長、琉球政府主席、関係団体などに協力を要請する通知が発せられた。

 昭和38年11月8日の閣議了解

国際身体障害者スポーツ大会について

 国際ストーク・マンデビル競技委員会および財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会の共催により、明年オリンピック東京大会の直後、11月8日から14日まで、東京において国際身体障害者スポーツ大会が開催されることになっているが、スポーツの実施が身体障害者の自立更生に寄与するところきわめて大なる点にかんがみ、関係行政機関は、その開催準備に協力するとともに、所要の便宜を供与するものとする。

 厚生省社会局通知

社発第83号
昭和39年2月10日

厚生省社会局長

 各都道府県知事、指定都市市長殿

国際身体障害者スポーツ大会の開催について

 本年オリンピック東京大会終了直後、国際身体障害者スポーツ大会(以下「大会」と略称)がわが国において開催されることについてはすでに御承知のとおりであるが、この大会が身体障害者の自立更生とリハビリテーション技術の国際的交流の促進に寄与するところ大なる点にかんがみ、当局においては、その準備と運営の円滑化を図るため、国内における大会の実施責任者として、昭和38年4月、財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会(以下「運営委員会」と略称)の設立を許可し、じ来、その行なう業務に対して協力を行なってきたところである。
しかしながら、大会の性格および規模の点からみて、運営委員会を中心とする努力にのみ円滑な大会の開催を期待することは困難と思料されていたりで、国をあげて大会に対する援助の態度を整えることを考慮し、客年12月8日「国際身体障害者スポーツ大会の開催について」により閣議の了解がえられ、大会の開催準備につき、関係行政機関から所要の協力と便宜の供与とがなされる運びとなった次第である。
中央における経緯はおよそ以上のとおりであるが、さらに万全を期するためには、各都道府県および指定都市の十分な協力と援助を不可欠とすることはいうまでもなく、ついては、貴職におかれても、次に掲げる事項を了知し、この大会の意義をご理解のうえ、管下の各援護機関および関係諸団体ならびに身体障害者、一般住民等に対し広く周知徹底を図るとともに、参加者に対して積極的な接触ないし後援を行なう等、この大会の円滑な遂行について格段の御協力を賜わりたくお願いする。

1.大会の意義
大会の開催は、本人については精神的ないし身体的な更生を促進し、一般国民については身体障害者に係る関心と理解を高める等わが国における身体障害者のリハビリテーションに大きく寄与するのみではなく、世界的に高まりつつある身体障害者のリハビリテーションに占めるスポーツの重要性に係る諸問題の国際的な情報および経験の交換を盛んにするとともに、身体障害者の福祉の分野における各国所在の諸機関および団体の間の協力を促進し、あわせて一般的な国際間の親善にも寄与するところ大であること。

2.大会の主催者
大会は、国際競技である第一部については国際ストーク・マンデビル競技委員会と運営委員会との共催により、国内競技である第二部については運営委員会の主催により、それぞれ開催されるものであること。
ちなみに、国際ストーク・マンデビル競技委員会とは、1952年以降、毎年国際的規模により英国ロンドン郊外の国立ストーク・マンデビル病院(オリンピック開催年においては、当該オリンピック開催地)で行なわれているせき髄損傷者のリハビリテーションの一環としてのスポーツ大会である国際ストーク・マンデビル競技会の実施責任団体であって、現在37ヵ国が参加している実情であること。
なお、わが国からは、昭和37年および同38年国際競技会に参加したものであること。

3.中央官庁の協力
それぞれの事項について協議を了し、または折衝中の中央官庁としては、選手の輸送、通信等について防衛庁、出入国等について法務省、諸外国との連絡等について外務省、国有財産の使用等について大蔵省、競技の実施に対する援助等について文部省等があること。

4.大会実施の概要

(1) 開催期日
昭和39年11月8日から同年同月14日まで(8日から12日まで第一部、13日および14日第二部)

(2) 参加予定選手
外国選手360名、付添140名、計500名、国内選手500名、付添200名、計700名(国内選手のうち50名は第一部に参加)

(3) 大会の区分
第一部 国際ストーク・マンデビル競技会(国際)
第二部 身体障害者スポーツ大会(国内)

(4) 競技種目
第一部、14種目、第二部、7競技群

(5) 施設
競技場 オリンピック東京大会選手村入口および同地内に建設される体育館、水泳場およびトラックを使用
宿舎 上記選手村の一部を使用し、国外および国内選手ならびに付添につき、その全員を収容

5.大会の企画および実施に係る事務処理態勢
運営委員会内部の機関たる企画委員会に、別紙(3)「国際身体障害者スポーツ大会運営委員会企画委員会業務分担表」に掲げる10の部会を設け、それぞれ分担の業務について企画立案し、理事会の承認を得てこれを各部会の責任のもとに実施させることとしていること。

6.資金計画
資金については、国および東京都からの補助金、協賛団体その他一般からの寄付金等を予定し、これらをあわせ、大会準備費および開催費として予算総額7千万円の計画であること。
なお、昭和39年度国庫補助金として2千万円、同年度東京都補助金として1千万円の計上が見込まれていること。

7.大会の実施細目
大会実施に関する細目等については、決定次第逐次通知する予定であるので、管下の各援護機関、関係諸団体および身体障害者等に対し、すみやかに周知徹底させるとともに、貴職において所要の措置を講ずる等遺感のないよう配意されたいこと。

8.大会への参加
大会開催の趣旨に照らし、すべての都道府県および指定都市からの身体障害者の参加が期待されるところであるので、管内身体障害者の大会参加のための諸準備および参加費用の予算化については格段の考慮をされたいこと。

 なお、選手の選考、訓練、大会への派遣等に関しては、貴管内に存する諸般の事情を十分考慮し、遺漏のないよう留意されたいこと。

社発第83号
昭和39年2月10日

厚生省社会局更生課長

各都道府県指定都市民生主管部(局)長殿

国際身体障害者スポーツ大会実施要領について

 本年わが国において国際身体障害者スポーツ大会(以下「大会」という)が開催されることになったので、本日別途各都道府県知事及び指定都市市長あて社会局長通知「国際身体障害者スポーツ大会の開催について」をもって大会の開催に関する各種の協力要請がなされたところである。ところで大会の開催準備にあたり、その実施要領の一部等について、別添のとおり、すでに決定をみたものもあるので、次に掲げる事項をあわせ了知のうえ何分のご協力を煩わしたい。

1.大会の実施要領について
大会の実施要領については、準備等の関係上一括して通知できないため、決定次第その都度通知するので、編綴のうえ、大会の実施要領とされたいこと

2.大会の参加費用
大会の参加費用については、参加選手及び付添の滞在費(食費及び宿泊費)は大会主催者において負担するが、大会参加の旅費及び諸雑費(ユニホーム等)は大会参加者の負担となるので、必要な費用の予算化について格段の配意をされたいこと。

国際身体障害者スポーツ大会実施要領(その1)

1.大会参加資格
大会に参加できるものは、次の各号に該当する者とする。ただし、第一部国際ストーク・マンデビル競技会(以下「国際大会」という)に参加できる者は次の各号に該当する者であって下半身マヒのものとする。

(1) 身体障害者福祉法(昭和24年法律第283号)第十五条の規定により身体障害者手帳の交付を受けた者

(2) 年令16才以上の者

(3) 大会参加前3ヵ月以内に競技参加について医師の診断(健康診断、運動の適否及び障害区分診断)を受け適当と認められた者

2.参加選手の決定
参加選手の決定については、各都道府県、指定都市の推せんに基づき、次の方法により行なうものとする。なお、推せん及び決定の時期等については、別途通知するものとする。

(1) 国際大会に参加する日本選手の選考及び決定は、各都道府県、指定都市の推せんにより候補者を把握のうえ、各都道府県、指定都市単位を第一次、ブロック単位を第二次として、関係都道府県、指定都市と財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会(以下「法人」という)と協議のうえ選考を行ない、決定するものとする。

(2) 第二部身体障害者スポーツ大会(以下「国内大会」という)の参加選手の決定は、各都道府県、指定都市の推せんに基づき、法人においてこれを行なうものとする。

3.参加選手及び付添の割当

(1) 国際大会
国際大会の日本選手の参加人員は50人とし、これに対する付添は別途割り当てるものとする。

(2) 国内大会 ア.参加選手の総わくは、約450人とする。
イ.参加選手の各都道府県、指定都市ごとの割当基準は、各都道府県、指定都市における身体障害者手帳交付台帳登載数を基準に割り当てるものとするが、大会開催地元都道府県については、追加割り当てを行なうものとする。

手帳登載数 選手割当数
4万人以上 18人
2万人以上4万人未満 11人
2万人未満 7人
開催地元分 20人

ウ.参加選手の付添のうち、選手村に選手とともに宿泊する付添は、各都道府県、指定都市2人とする。
エ.障害別及び性別の割合については、おおむね肢体不自由者5、視覚障害者2、聴覚障害者2の比率とし、女性の参加選手は、各都道府県、指定都市において1人を参加させるものとする。

4.大会の競技種目

(1) 国際大会の競技種目については、前記2の通知の際詳細に示すものとする。

(2) 国内大会の競技種目については、別紙「国内大会競技種目及び障害別適用表」のとおりとする。

5.大会参加選手の競技条件

(1) 国内大会の参加選手は、別紙「国内大会競技種目及び障害別適用表」の陸上競技群のうちから、必ず2競技群の1種目に出場するものとする。

(2) 水泳競技の参加選手は、陸上競技参加選手の約半数を参加させることを目途とする。

6.大会の競技規則

(1) 国際大会の競技規則は、国際ストーク・マンデビル競技会競技規則とする。

(2) 国内大会の競技規則は、障害別に異なるので、おって配布する「国内大会競技規則の解説書」によるものとする。

7.大会参加費用負担
大会の参加費用のうち、法人が負担する経費は、参加選手及び付添の滞在費とする。

(1) 滞在費の内訳は、食費及び宿泊費とする。
(2) 滞在費の負担期間は、選手村への入村から退村までの期間とする。

ア.国際大会入村(11月6日午後の予定)退村(11月12日中)
イ.国内大会入村(11月11日午後の予定)退村(11月15日中)

(3) 滞在費を負担する対象者は、前記3による参加選手及び付添とする。
〔別紙「国内大会競技種目及び障害別適用表」略〕

社発第83号
昭和39年2月10日

厚生省社会局長

 琉球政府主席 大田政作殿

国際身体障害者スポーツ大会開催について

 身体障害者のスポーツについては、すでに諸外国では機能回復その他心理的および健康保持等の面から更生上の効果がきわめて著るしい点に着目し、広く実施されているところであります。わが国においても、客年各都道府県、指定都市主催により身体障害者体育大会を開催せるなど身体障害者スポーツの振興を図ってきたところでありますが、本年オリンピック東京大会終了直後、。国際身体障害者スポーツ大会(以下「大会」と略称)がわが国において開催されることになり、大会開催の準備を進めているところでありまして、この大会開催の趣旨から、同大会へ沖縄からも特別参加されるよう、何分の御高配をお願いする次第であります。

社発第83号
昭和39年2月10日

社会局長

 連絡参事官殿

国際身体障害者スポーツ大会の開催について

 標記について、別紙のとおり琉球政府主席大田政作へ関係書類を送付のうえ、同大会への沖縄の特別参加を要請いたしたので、よろしくお取り計らい願いたい。

厚生省社発第318号
昭和39年6月30日

厚生省社会局長

厚生省医務局長、財団法人厚生団理事長、労働福祉事業団理事長、文部省大学学術局長殿

国際身体障害者スポーツ大会の開催について

 本年、オリンピック東京大会の終了直後、わが国で開催される国際身体障害者スポーツ大会(以下「大会」と略称)の開催準備につきましては、かねてより種々御高配を預り、厚くお礼申しあげます。
ところで、大会の第一部である国際ストーク・マンデビル競技会(以下「国際大会」と略称)は、車椅子を使用する下半身麻ひ者を対象としております関係から下半身麻ひ者に係るリハビリテイションの一環としてのスポーツの導入後なお日の浅いわが国におきましては、参加選手の決定につき特に慎重を要するところであります。
しかしながら、開催期日(昭和39年11月8日から同年同月12日まで)との関係からみて、早急にこれを決定し、国際大会参加に必要な諸般の準備に着手することが緊要と考えられ、国際大会の国内における実施責任団体である財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会(以下「運営委員会」と略称)においては、先般来関係の諸機関、諸団体等から関係者の出席を求め、種々検討を行なった結果、第一部に参加する選手の決定に係る手続き等につき、一応の結論をえた次第であります。
ついては、ご多忙のところ誠に恐縮でありますが、結論をみた事項のうちには、貴職及び貴管下各施設等のご協力によらなげればならない事項が数多くありますので、次の各事項にご留意のうえ、何分のご協力を賜わりますようお願いいたします。なお、この通知の内容を貴管下各施設に周知くだされば幸いであります。おって、参考として関係資料を同封しましたので申し添えます。

1.国際大会に参加する選手の決定は、各都道府県、指定都市(以上「各都道府県」と略称)の推せんに基づき、運営委員会内に設置予定の選考委員会の判決により最終的に行なわれることとなるが、候補者に係る健康診断、競技実施の可能性の判定等は本人の症状を熟知している医師によって行なわれることが不可欠とされ、また、選手が競技に参加する期間中本人の特質を十分把握している医師等を付添わせる必要があるうえ、国際大会の競技種目については団体競技が少なくない等の事情にある等のことにかんがみ、これらの諸点について比較的対処し易い態勢にある国立重度障害者センター、国立病院、国立療養所、厚生年金病院、労災病院、大学付属病院等(以下「関係諸施設」と略称)においては、関係各都道府県と連絡を密にし、入所者の競技参加に進んで協力されたいこと。

2.居宅の者を含め、各都道府県からの参加候補選手の推せんに当っては、競技への出場が適当である旨の健康証明書を提出することとなっており、この作成については専門医の診断を必要とするので、関係各都道府県から健康証明書の作成方について要請のあったときは、貴管下関係諸施設において何分の協力を願いたいこと。

3.国際大会に参加する選手につき、各都道府県からの候補者の推せんの状況により代表選手決定のため実施が必要となることも予想される予選及び選手決定後各都道府県ごと現地において実施が見込まれる強化訓練(前者については、関係各都道府県及び関係諸施設と協議のうえ、運営委員において実施計画を作成し、後者については、諸般の事情から、全選手を特定の場所に集めることはせず、各関係諸施設ごとに当該都道府県と連絡をとり、適宜実施する)に関しては、関係諸施設所属のものが相当多数参加することが考えられるので、このような場合における医師等専門職員の協力、施設及び器具の提供等について協力されたいこと。

4.運営委員会において負担する選手関係経費は、予算の総わくとの関係から、選手及び付添の選手村入村後昭和39年11月15日まで同村滞在中に要する宿泊費及び食費に限られているので、やむをえない実清をご了承のうえ、健康証明書の作成、予選ないし強化訓練の実施等に要する経費については、関係各都道府県と協議し、貴職において負担することとされたいこと。

社更第107号
昭和39年6月30日

厚生省社会局更生課長

 各都道府県、指定都市、民生主管部局長殿

国際身体障害者スポーツ大会実施要領について

 標記のことについては、本年2月10日社発第83号をもって本職より通知したところであるが、その後国際身体障害者スポーツ大会実施要領の一部が別添その2のとおり追加決定されたので、次に掲げる事項にご留意のうえ、何分のご協力を願いたい。
なお、国際大会たる第一部に出場する候補選手の推せん等に関し、下半身麻ひ者が多数収容されている関係諸施設を所管する中央の諸機関に対して別添写しのとおり協力方を依頼したので申し添える。

1.国際大会及び国内大会に係る共通事項について

(1) 選手の推せんに際しては、戦傷者、労災補償受給者等に係る各団体等にも広く働きかけること。

(2) 選手の推せんに際しては、医師による健康診断及び競技実施の可能性に関する判定に忠実に従うこと。

(3) 選手の推せんに際しては、身体障害者本人及び家族に対して、この大会の全貌を説明し、出場につき本人及び家族側の自主的な了解をとりつけること。

(4) 財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会(以下「運営委員会」と略称)が負担する選手関係経費は、選手及び付添の選手村入村後昭和39年11月15日まで同村滞在に要する宿泊費及び食費に限られており、従って、選手本人の健康診断の実施、各都道府県、指定都市(以下「各都道府県」と略称)から推せんされた国際大会出場候補者につき各都道府県間で行なわれることも予想される予選、選手の強化訓練等に要する経費は、各都道府県等地元で負担することとなること。

2.国際大会に係る事項について

(1) 候補選手の推せんにあたっては、一般居宅における者のほか、特に、下半身麻ひが多数収容されている施設、たとえば国立重度障害センター、国立病院、国立療養所、厚生年金病院、労災病院、大学付属病院等(以下「関係諸施設」と略称)と密接に連絡のうえ、これら関係諸施設入所者から多数の参加がえられるよう配慮されたいこと。

(2) 候補選手の推せんに係る健康診断については、下半身麻ひ者の特性に照し、関係諸施設入所中の者及び一般居宅における者の双方につき、いずれも関係諸施設所属の専門医によってこれを行なうようにされたいこと。

(3) 選手が関係諸施設を出発し競技に参加して帰郷するまでの間、本人の症状を熟知している専門医を必要数必ず同行せしめられたいこと。

3.国内大会について

(1) この大会はリハビリテーション対策の一環として行なわれるものであるので、選手の決定に際し、若手者に偏ること、軽度の障害者を優先させること、男性のみで選手団を編成すること等のないようにされたいこと。

(2) 競技種目の申込みについては、特定の種目への集中を避けるため、各都道府県においては、平均してこれを行なうよう留意されたいこと。

(3) 競技種目の申込みについては、3つの異なる競技群から各1種目の計3種目に順位をつけて手続きを行なうこととされたので了知されたいこと。

その前夜

 東京パラリンピックの準備も、10の部会に分かれ、それぞれの手によって進められていたが、昭和38年6月、グットマン博士一行の来日はそれに拍車をかけ、技術顧問アトキンソン氏の助言などによって、準備は急速に進捗した。その具体的な進行状況は、後に掲げる各部会の報告に詳述されているが、大会の根本となる日程、プログラムの決定をはじめ、外国選手の受入態勢、選手村の改造も、車椅子で出入する選手たちのために特殊なスロープ加工が行なわれ、競技場も、いろいろ検討された結果、選手の搬送に便利な織田フイールドが選ばれ、仮設スタンドが急造された。
また、当初から心配されていた資金の問題も、昭和38年12月28日に国庫補助2千万円の内示があり、39年1月17日には都の補助1千万円、同3月9日には自転車振興会から4083万円の補助が決定、さきに寄付されたライオンズクラブの分と合せて、やっとなんとかやれる目算がついて愁眉をひらいた。
車椅子使用の参加選手を搬送するために考案されたリフト付特殊バスは、朝日新聞東京本社運輸部小俣寿雄氏の指導で、車椅子17台収容のもの四台を日野、12台収容のもの5台をいすずで製作することになった。この製作に要する経費は2500万円であるが、この中自動車工業会(会長川又克二氏)は昭和38年10月10日の理事会で1250万円を運営委員会に寄付することを決定、計画どおり9台のリフト付特殊バスが完成することができ、羽田空港の出迎えに勢揃いしたリフトバスの偉容は参加各国選挙の目をみはらせた。
外国選手の来日は、予定より1日早い11月4日のアルゼンチン第一陣と、5日はグットマン博士が卒いるイギリス選手をはじめ5ヵ国123名、6日にはオーストラリアをはじめ15ヵ国が来日し、7日朝には参加選手のほとんどが選手村に入り、広場のポールには大会旗、S・M・G旗、日章旗、東京都旗、参加22ヵ国の国旗が掲げられ、初冬の空をいろどった。
その広場で、7日午前9時、日本選手団の結団式が行なわれた。中村裕団長ほか53人の選手が、そろいのエンジ色のトラックスーツと白練習靴で車椅子に乗って整列、厚生省社会局今野厚生課長の開会のことばについで選手ひとりひとりが紹介された。蔦西会長のあいさつがあって、常陸宮殿下から「この大会を通じて一般社会の身障者への正しい理解と国際親善の実をあげられるようがんばって下さい」と励ましのおことばがあり、大日章旗を授与された。これに対する中村団長の謝辞、グットマン博士のあいさつがあって式を終った。また、午前11時、同所で陸上自衛隊のパラリンピック支援群(支援群長副田忠夫一佐)の編成式が行なわれた。支援群の最高指揮官、東部方面隊第一師団長藤原岩市陸将や葛西会長が参列した。
つづいて午後2時から東・都知事主催の歓迎レセプションが、選手村びらきをかねて行なわれた。村内のフジレストランには22ヵ国の選手、役員、付添い人など約500人と厚生省、都庁など関係者が出席、各国さまざまのプレーザーコートやトラックスーツが色どりを添え、明るい笑いが会場に流れた。午後3時、会場においでになった皇太子殿下、同妃殿下は、グットマン博士とあいさつをかわされたのち、各国選手団長とお会いになりなごやかに談笑された。選手たちは、いろいろなみやげ物を貰って大よろこび、午後4時散会した。

出場者(役員、選手団等)コスチュームプランのうち

 決定された日程およびプログラム

第一部 国際大会

期間

昭和39年11月8日~12日

場所

第1会場 代々木オリンピック選手村内織田グランド
第2会場 国立屋内総合競技場本館
第3会場 国立屋内総合競技場別館
第4会場 別館付属仮設パスケットボール・コート
第5会場 選手村内原宿ゲート付近広場(洋弓場)
第6会場 東京体育館屋内水泳場

プログラム

11月8日(日曜) 午前の部
10:00 開会式
名誉総裁 皇太子殿下・同妃殿下御来場
選手入場行進
国旗・大会旗掲揚
会長あいさつ
グットマン博士あいさつ
祝辞(厚生大臣・東京都知事)
名誉総裁おことば
選手宣誓
名誉総裁 選手御激励
アトラクション
第1会場
12:00 終了
午後の部
14:00 ダーチャリー 第5会場
14:45 槍正確投 第1会場
15:45 5種競技(フィールド競技) 第1会場
夜間の部
19:00 フェンシング
重量挙
卓球
第二会場
11月9日(月曜) 午前の部
9:00 槍投 第1会場
砲丸投 第1会場
円盤投 第1会場
棍棒投 第1会場
卓球 第2会場
フェンシング 第1会場
午後の部
13:30 槍投 第1会場
砲丸投 第1会場
円盤投 第1会場
棍棒投 第1会場
卓球 第2会場
フェンシング 第2会場
スヌーカー 第2会場
バスケットボール 第3・4会場
15:30 5種競技(洋弓) 第5会場
17:15 表彰式 第3会場
夜間の部
19:00 重量挙 第2会場
フェンシング 第2会場
水泳 第6会場
21:00 5種競技(水泳) 第6会場
11月10日(火曜) 午前の部
9:00 卓球 第2会場
スヌーカー 第2会場
フェンシング 第2会場
バスケットボール 第3・4会場
洋弓 第5会場
午後の部
13:30 卓球 第2会場
スヌーカー 第2会場
バスケットボール 第3・4会場
洋弓  第5会場
17:15 表彰式 第3会場
夜間の部
19:00 卓球 第2会場
水泳 第6会場
11月11日(水曜) 9:00 卓球 第2会場
スヌーカー 第2会場
フェンツング 第2会場
バスケットボール 第3・4会場
洋弓 第5会場
10:00 車椅子競走 第1会場
11:00 車椅子リレー 第1会場
午後の部
13:30 卓球 第2会場
スヌーカー 第2会場
フェンシング 第2会場
バスケットボール 第3・4会場
洋弓 第5会場
17:15 表彰式 第3会場
夜間の部
19:00 重量挙 第2会場
フェンシング 第2会場
卓球 第2会場
11月12日(木曜) 午前の部
9:00 卓球 第2会場
スヌーカー 第2会場
フェンシング 第2会場
洋弓 第5会場
バスケットボール 第3・4会場
10:00 車椅子競走 第1会場
11:00 車椅子リレー 第1会場
午後の部
13:30 卓球 第2会場
バスケットボール 第3・4会場
洋弓 第5会場
14:00 フェンシング 第2会場
14:30 車椅子競走 第1会場
14:50 車椅子リレー 第1会場
15:00 スヌーカー 第2会場
15:30 車椅子スラローム 第1会場
16:00 バスケットボール 第3・4会場
17:00 閉会式
名誉総裁、皇太子殿下・妃殿下御来場
各国旗入場
妃殿下からトロフィー授与
会長あいさつ
グットマン博士あいさつ
国旗・大会旗降納
次期開催予定国メキシコ紹介
選手団退場
第3会場
17:50 終了

第二部 国内大会

期間

昭和39年11月13日~14日

場所

第一部と同じ

プログラム

11月13日(金曜) 午前の部
9:00 開会式
名誉総裁、皇太子殿下・妃殿下御来場
選手入場
国旗掲揚
会長あいさつ
祝辞(厚生大臣・東京都知事)
名誉総裁おことば
選手宣誓
名誉総裁 選手御激励
10:00 終了
11:00 100メートル競走(肢体不自由・男)
三段跳(視力障害・男)
走高跳(視力障害・男)
砲丸投(聴力障害・男・女)
第1会場
11:15 60メートル米競走(肢体不自由・女) 第1会場
11:20 100メートル障害競走(肢体切断・機能障害・男) 第1会場
午後の部
13:00 走高跳(肢体不自由・男)
立巾跳(肢体不自由・男・女)
走巾跳(肢体不自由・男・女)
ソフトボール投(視力障害・男)
砲丸投(視力障害・男・女)
第1会場
卓球(聴力障害・男・女) 第3会場
13:10 卓球(視力障害・男) 第2会場
13:50 ハンドボール投(視力障害・女) 第1会場
14:00 100メートル競走(視力障害・男・女) 第1会場
14:10 1500メートル競走(聴力障害・男) 第1会場
15:00 棍棒投(肢体不自由・男・女)
砲丸投(肢体不自由・男・女)
槍正確投(肢体不自由・男・女)
立巾跳(視力障害・男・女)
第1会場
夜の部(水泳)
18:00 100メートル自由型(聴力障害・男) 第6会場
18:15 50メートル自由型(肢体不自由・男) 第6会場
18:35 50メートル自由型(肢体不自由・女) 第6会場
18:40 100メートル平泳(聴力障害・男) 第6会場
18:45 50メートル平泳(肢体不自由・男) 第6会場
18:55 100メートル背泳(聴力障害・男) 第6会場
19:00 50メートル背泳(肢体不自由・男) 第6会場
19:05 50メートル背泳・平泳(聴力障害・女) 第6会場
19:20 45メートル自由型(視力障害・男) 第6会場
19:40 25メートル自由型(肢体不自由・男) 第6会場
19:55 25メートル平泳(肢体不自由・男) 第6会場
20:05 25メートル背泳(肢体不自由・男) 第6会場
20:10 25メートル自由型・背泳(肢体不自由・女) 第6会場
20:15 25メートル自由型(視力障害・女) 第6会場
11月14日(土曜) 午前の部
9:00 100メートル競走(肢体不自由・男) 第1会場
洋弓(肢体不自由・男) 第5会場
走巾跳(聴力障害・男・女) 第1会場
9:15 60メートル競走(肢体不自由・女) 第1会場
10:00 棍棒投(肢体不自由・男)
車椅子スラローム(肢体不自由・男)
槍正確投(肢体不自由・男)
砲丸投(肢体不自由・男)
走巾跳(視力障害・男・女)
第1会場
11:00 立巾跳(肢体不自由・男・女)
走巾跳(肢体不白由・男・女)
立巾跳(肢体不自由・男・女)
走巾跳(肢体不白由・男・女)
第1会場
100メートル円周走(視力障害・男・女) 第5会場
1500メートル競走(聴力障害・男) 第1会場
11:30 5000メートル競走(聴力障害・男) 第1会場
午後の部
13:00 卓球(肢体不自由・男・女) 第2会場
400メートル競走(聴力障害・男) 第1会場
13:10 200メートル競走(聴力障害・男・女) 第1会場
13:15 100メートル競走(聴力障害・男・女) 第1会場
14:00 走高跳(聴力障害・男・女) 第1会場
14:50 三段跳(聴力障害・男) 第1会場
17:00 閉会式
名誉総裁、皇太子殿下・妃殿下御来場
各都道府県旗入場
あいさつ
国旗降納
第3会場
18:00 終了

パラリンピック劇場

11月9日(月曜) 映画 午後8時~9時30分

  1. 今日の日本の農業
  2. 日本の家庭生活
  3. 日本の国立公園(九州篇)

11月10日(火曜) 古武道 午後8時~10時

  1. 小笠原弓術礼射
  2. 日本剣道之形
  3. 神道夢想流杖道
  4. 戸田派武甲流薙刀道之形
  5. 直心影流剣道之形
  6. 一心流鎖鎌術
  7. 真蔭流柔術
  8. 鹿島神流剣術柔術槍術
  9. 天道流薙刀道之形
  10. 一角流十手術
  11. ステツキ術
  12. 和道流空手道
  13. 直心影流薙刀道之形
  14. 神道夢想流杖道
  15. 合気道
  16. 長谷川英信流居合道

11月11日(水曜) 映画 午後8時~9時30分

  1. 日本の産業
  2. 2週間の日本旅行
  3. 日本の国立公園(本州篇)

11月12日(木曜) バラエティ・シヨー 午後8時~10時

  1. NHKテレビ演芸館 大神楽、コマ、紙切り
  2. 指笛音楽 田村大三と音楽奉仕団
  3. 日本舞踊 花柳秀一門 東京母の会連合会

    1. 越後獅子
    2. 島の千歳
    3. よさこい節
    4. 五輪音頭
    5. 紅葉の橋
    6. ひえつき節
    7. 荒城の月
    8. この日のために

皇室の御激励

 国際身体障害者スポーツ大会の開催にあたり、わが国の関係者はもちろん、グットマン博士をはじめ諸外国の関係者は等しく皇室の御参加を期待申しあげ、とくに本大会では皇太子殿下を大会名誉総裁に推戴申しあげたところ心よくお引き受けいただき、大会の開催にあたっては、第一部国際大会、第二部国内大会の両開閉会式典に、四度にわたり皇太子妃殿下と御臨席賜わり、加えて競技開催中は再三にわたり親しく御観覧、御激励を賜わった。
また、大会に際しては予定申しあげていなかった皇后陛下の行啓を賜わり、このことは大会関係者はもちろん参加各国に対しても非常な感銘を与え、このうえない光栄であり、恐く感激の極みであった。
なお、競技開催中は、連日、各宮家からも、御多忙のところを競技会場に御臨場賜わり、親しく競技を御観覧のうえ参加選手に御激励をいただいたことは、参加選手はもちろん大会関係者にいっそうの奮起をうながし、大会のふんい気をいやがうえにもたかめ、本大会が、終日熱戦をくりひろげながら有終の美を飾りえたことは、ひとえに名誉総裁皇太子殿下ご夫妻をはじめ皇室各宮家から寄せられた御激励の賜ものであるといわなければならない。
なお、皇室関係大会御臨場の御日程は、次のとおりであった。

御日程

11月8日
(第1日)
名誉総裁皇太子殿下御夫妻 第一部国際大会開会式典御出席 午前10:00~11:00 選手村内織田グラウンド
三笠宮殿下御夫妻 第一部国際大会競技御観覧 午後2:00~3:00 選手村内織田グラウンド
槍正確投、車椅子スラローム、5種競技(フイールド競技)
午後3:05~3:45 選手村内洋弓場
アーチャリー
秩父宮妃殿下 第一部国際大会競技御観覧 午後2:30~3:00 選手村内織田グラウンド
槍正確投、車椅子スラローム、5種競技(フイールド競技)
11月9日
(第2日)
名誉総裁皇太子殿下御夫妻 第一部国際大会競技御観覧 午後3:00~3:20 選手村内織田グラウンド
女子フイールド競技、槍投、砲丸投、円盤投、棍棒投、
午後3:25~3:45 国立屋内総合競技場別館
バスケットボール
午後3:48~4:00 選手村内洋弓場
五種競技(洋弓)
11月10日
(第3日)
常陸宮殿下御夫妻 第一部国際大会競技御観覧 午後7:00~7:20 国立屋内総合競技場本館
卓球
午後7:25~8:00 東京都体育館屋内水泳場
水泳
11月11日
(第4日)
皇后陛下、皇太子殿下御夫妻 第一部国際大会競技御観覧 午後2:50~3:22 国立屋内総合競技場別館
バスケットボール(日本対英国)
午後3:28~3:40 選手村内洋弓場
アーチャリー
常陸宮殿下御夫妻 第一部国際大会競技御観覧 午後7:00~7:30 国立屋内総合競技場本館
重量挙
午後7:35~8:05 選手村内ショッピング・センター
フェンシング(エぺ)
11月12日
(第5日)
三笠宮殿下御夫妻、寛仁親王殿下 第一部国際大会競技御観覧 午前9:00~9:30 選手村内ショッピング・センター
フェンシング(サーベル)
午前9:35~10:30 国立屋内総合競技場別館
バスケットボール
名誉総裁皇太子殿下御夫妻 第一部国際大会閉会式典御出席 午後5:00~5:38 国立屋内総合競技場別館
11月13日
(第6日)
名誉総裁皇太子殿下御夫妻 第二部国内大会開会式典御出席 午前9:00~9:40 選手村内織田グラウンド
第二部国内競技御観覧
午前11:00~11:30 選手村内織田グラウンド
100メートル競走、三段跳、走高跳、砲丸投、60メートル競走、100メートル障害競歩
11月14日
(第7日)
常陸宮殿下御夫妻 第二部国内大会競技御観覧 午前9:00~9:30 選手村内洋弓場
洋弓
午前9:33~10:30 選手村内織田グラウンド
100メートル競走、走巾跳、棍棒投、砲丸投、走巾跳、車椅子スラローム
三笠宮殿下 第二部国内大会競技御観覧 午前10:30~11:30 選手村内織田グランド
1500メートル競走、5000メートル競走、砲丸投、走巾跳、立巾跳
名誉総裁皇太子殿下御夫妻 第二部国内大会閉会式典御出席
午後5:00~5:20 国立屋内総合競技場別館 

大会役職員を御慰労

 皇太子殿下は名誉総裁として大会開催中、連日妃殿下とごいっしよに各会場をおまわりになり、選手を御激励遊ばされたが、11月9日午後5時、国際ストーク・マンデビル競技委員会のグットマン博士(英)、マリオ博士(伊)、シモン氏(オーストリヤ)、ハウサ博士(ベルギー)、グーべ氏(仏)、チベス少佐(オランダ)、リプトン氏(米)、葛西会長(日)およびスクルトン書記長(英)、アトキンソン技術顧問(英)と日本側の運営委員会の太宰、東、三木の三副会長ならびに牛丸社会局長が東宮御所にお礼を申上げに参上した際、皇太子ならびに皇太子妃殿下は各人にお茶を賜り、慰労のことばをかけられたほか、各委員から申上げる各国の身体障害者の実情や施策などを熱心におききになった。
また大会も成功のうちに終わった直後の11月24日午後4時30分、大会の役職員を東宮御所にお招きになり御慰労を賜った。その席上、皇太子殿下から次のような御趣旨のおことばがあった。

「今回のパラリンピックを見て、外国の選手は非常に明るく、体力も勝っているように感じました。日本の選手が病院や施設にいる人が多かったのに反して、外国の選手は大部分が社会人であることを知り、外国のリハビリテーションが行きとどいていると思いました。日本では身体障害者の正確な数は把握されていないと聞いていますが、このような企てが行なわれたことは、身体障害者の方々に大きな光明を与えたことと思います。このような大会を国内でも毎年行なってもらいたいと思いますし、皆さまもこれから身体障害者の福祉向上のためさらにいっそう努力されることを希望します。皆さまの御苦労のお蔭で成功のうちに終ったことを感謝いたします。」 葛西会長は
「パラリンピックの開催中、たび重なる御台臨を賜わり御激励をいただき、お蔭様で成功裡に無事大会を終ることのできましたことを一同に代わり厚くお礼を申し上げます。国内大会は今後毎年国体のあとを追いかけて開催するようにいたしたいと思っております。こんごとも、わたくしどもは皇太子殿下の御趣旨に副いたてまつるよう身障者福祉のため最善を尽すことをお誓いいたします。」

とお答えし、皇太子殿下、同妃殿下は親しく各役員のそばに寄られて歓談され、いかに両殿下が身障者福祉に深い関心をいだかれているかが伺われ、予定時間を1時間以上も超過されて、一同は感激のうちに御殿を辞去した。当日の参会者は次の32名であった。

 葛西嘉資(会長)牛丸義留(厚生省社会局長)斎藤勇一(厚生省連絡参事官)今野恒雄(厚生省社会局更生課長)稗田正虎(国立身体障害者更生指導所長)颯田琴次(国立ろうあ者更生指導所長)高田秀道(国立東京光明寮長)北見幸太郎(東京都民生局長)高鍋三千雄(東京都民生局保護部長)三宅恭治(東京都民生局総務部長)石田政夫(鉄道弘済会身障福祉部次長)河村定治(中央共同募金委員会広報部長)鈴木正信(厚生団事務局長)橋本祐子(日本赤十字社青少年課長)森川邦造(東京厚生年金病院医長)寺田宗義(朝日新聞厚生文化事業団)堀場平八郎(NHK厚生文化事業団)藤原岩市(自衛隊第一師団長)副田忠夫(自衛隊支援群長)竹下五郎(白衛隊支援副群長)氏家 馨(運営委員会事務局長)中村裕(日本選手団長)渡辺弥太郎(競技部審判団陸上)鈴木正三(同バスケット)野中義治(同重量挙)高島憲蔵(同撞球)小沼英治(同洋弓)菊地章(同)矢尾板弘(同)矢沢善五郎(同フェンシング)真田幸勇(代々木警察署長)立山清治(警視庁第三方面本部長)

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主題:
パラリンピック 東京大会報告書 No.1
1頁~79頁

発行者:
財団法人 国際身体障害者スポーツ大会運営委員会

発行年月:
昭和40年8月1日

文献に関する問い合わせ先:
財団法人 国際身体障害者スポーツ大会運営委員会


なお、パラリンピックに関するお問い合わせは、
日本パラスポーツ協会にお願いいたします。

公益財団法人 日本パラスポーツ協会
〒103-0014
東京都中央区日本橋蛎殻町2-13-6 EDGE水天宮ビル
TEL:03-5939-7021 FAX:03-5641-1213
E-mail:soumu@parasports.or.jp
https://www.parasports.or.jp/

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