国際身体障害者スポーツ競技会 東京パラリンピック大会 報告書
No.4
THE TOKYO GAMES FOR THE PHYSICALLY HANDICAPPED
PARALYMPIC TOKYO 1964
余録
新聞論説から
朝日新聞=9月25日
パラリンピックの意義
世に花やかなものは、ますます派手に騒がれるが、人々にとって大切ではあるが地味なものは、とかく花やかさの裏にかくされ、忘れられがちになる。
その一つに、東京オリンピックが終ったあと引続き11月8日から1週間、同じ競技場、選手村を使用して行われる国際身体障害者スポーツ大会(パラリンピック)がある。東京開催はもちろん初めてだが、ことしの大会にはすでに欧米、東南アジア16ヵ国から360人の参加申込みがあり、日本選手50人も決定した。この大会第一部(8日-12日間)と第ニ部(13、14両日)にわかれ、第一部では車いすバスケットボール、フェンシング、水泳、投擲(とうてき)競技など14種目の国際競技が行われ、第ニ部では日本選手だけの身体障害に応じた競技が500人によって争われる。
周知のようにこの大会はパラリンピックの名の示す通り、パラプレジア(下半身不随)の人びとによるオリンピックなのであり、その目的はこの大会の創始者であるイギリス国立脊髄損傷者センター所長グットマン博士のいうように、スポーツ療法による身障者のリハビリテーションヘの道を開くことである。この趣旨はどこまでも忘れられてはならぬし、それなればこそ毎年ロンドンで開かれているこの大会が、ローマ大会以来オリンピック年だけオリンピック開催国が主催し、できるだけ多数の参加を呼びかけることになったのである。むしろオリンピック本番にもまして、きそって多数の各国選手がこの大会に参加することは、またそのあっせん援助をすることは、同情とか慰安といった感傷を離れて人道主義の本義に添うことであり、世界の身体障害者に対してこの上ないモラル・サボートとなることを疑わない。
それだけにパラリンピック事務局が予算9千万円の1部を寄付でまかなうことにすら難渋をきわめ、選手を運ぶバス、役員や付添用の乗用車集め、食事などに苦労をせねばならぬのは残念である。大会の世話をする人数にも事欠き、係りは手弁当に近いと聞く、オリンピック本番優先は当然であろうが、円満な大会運営という点ではいずれ劣るまいから善処を望みたいものである。
しかしながら本紙がひとたび事務当局の窮状を報ずるや、たちまち多数の協力者が名乗り出た一事は、社会の善意いまだ失われずの感を深くする。この報道以前からも東京青年会議所、日本映画俳優協会が寄付をするとか、日本バーテンダー協会が全国1万軒のバーに寄付箱を置き”トラになる前にご協力を”となかなかシャレた募金法で2千万円目標の活動をするとか、あるいは学生の通訳無料奉仕の申出などがあった。報道後は全国各地から寄付が集り、期間中乗用車を提供したいという申出もあり、坂本九君のチャリテイ・リサイタルも開かれることになった。はなはだ結構であり、さわやかな話題である。
折りから「全国身体障害童雇用促進運動旬間」中で今月30日まで各種の行事が行なわれるが、とくに官庁関係では、身障者雇用促進法にもとづく本年度採用予定数1,333人の完全達成を望むものである。と同時に身障者のリハビリテーションが官庁だけにとどまらず、広く民間の事業所、団体が進んで採用し、仕事の上では身障者なるが故の差別待遇をせず、適材を適所に配する努力ならびにそういう方向への民間指導が行われるべきである。
身障者の社会復帰をはかる上に、パラリンピックは少なからぬ意義を包含している。
朝日新聞=11月4日
パラリンピックの成功を
8日から東京・代々木のオリンピック選手村と代々木総合体育館で”国際身体障害者スポーツ大会”いわゆるパラリンピックが7日間にわたる幕をあける。参加23カ国、選手は日本586人、外国560人を上まわる同大会史上はじめての盛会である。見事な成功を切に望むものである。
はなやかな大成功を収めたオリンピック大会のあとだけに、地味なパラリンピックが社会的関心を高めることは容易なことではなかろうが、逆にいえば、それだからこそ大いに関心をもって進んで支援すべきである。「重要なことは勝つことではなく参加することにある」という意味を、文字通り具現できるのがこの大会であって、その点ではオリンピック大会に劣らぬ意義さえあるといっても過言ではない。
競技はセキ髄損傷者が車イスで行なう国際競技と、一般身障者が参加する国内競技にわかれ、種目は球技、投てき、重量あげ、洋弓、フェンシングなど14種である。
開会にこぎつけるまでに幾多の障害を乗越えなければならなかった当局者には、まことに感慨無量のものがあろう。幸い全国からの暖かい支援により、資金は予定の9千万円をはるかに越え1億余が集ったというし、手不足も自衛隊員、学生などの奉仕によって首尾よく解決した。無料奉仕を当然と考えているといった不満の声も1部にないではないが、当局者も小さなことながらこの辺は心すべきであろう。すべてを秋空のように、さわやかにいきたいものである。記録映画「愛と栄光の祭典」撮影が監督の奉仕できまったのも喜ばしい。全国100万をこえる身障者に励ましを与え自信をかき立てることであろう。
パラリンピックの目的は周知のように、身障者が敢然とみずからの精神と肉体を奮い起し競技することによって、自己を鍛え自信をとり戻すことであり、それはこの大会の創始者グットマンが念願する最終目標”社会復帰”に通じる道である。セキ髄損傷あるいは事故で、ひとたび退いた社会へ、職場へ再び参加するハイウエーとなることである。
それともう一つの目的は、国内の身障者同士が、力強い握手をかわし、歓びをわかちあい、あすへの力を養いあう外に、国際的な親善をかためあう機会とすることである。社会復帰といい国際親善といい、多数の世界の身障者に対して、大きな力づけとなることであろう。あんたんと日を送る全世界数千万の身障者に少しでも明るい光を感ぜさせることは、何ものにもかえることのできぬ贈り物であろう。
聞くところによると、本大会出場の日本選手はおおむね全国の療養者から選ばれているのに反し、外国選手はすべてすでに社会復帰を果した人たちだというが、このたいへんな差は、いったい何が原因なのであろうか。いうまでもなく、わが国の身障者の社会復帰対策の貧困と、受入れ態勢の不備に由来することは、明らかである。イギリスの社会復帰率95%に対し、わが国が50%に足らぬ現状が端的に貧困と不備をものがたっている。社会復帰促進のための法律はあるが実効は上がっていず、雇用先の多くが零細企業であるという現実は、早急に打破されねばなるまい。
とまれ、この大会が大いなる成果をあげるよう、そして所期の目的をとげるよう、暖かい目と心をもって注目しようではないか。
毎日新聞=11月9日
パラリンピックの意義
身体障害者の国際スポーツ大会であるパラリンピックが、8日から東京で開かれている。大会では脊髄損傷者による国際的な車イス競技と、一般身障者による国内競技が行なわれ、日本を含めて22ヵ国、300数十名の選手が参加している。パラリンピックの目的は、スポーツを通じて身障者に自立の意欲と自信をもたせ、その社会復帰を促進し、一般社会の理解を深めることにある。はじめは資金難から開催をあやぶまれていた大会が、各方面の善意に満ちた協力によって盛大に開かれたことを喜ぶとともに、この大会を契機に、わが国の身障者対策が大きく前進することを願わずにはいられない。
先進諸国にくらべて、わが国の身障者対策は約10年立ち遅れている、といわれている。そして身障者の大部分は、経済繁栄の谷間にとり残された人たち、とみてよいだろう。彼らのなかで、なんらかの仕事に従事して収入を得ているものは、50%にも達していない。英国の身障者の社会復帰率95%と比較すれば、いかにめぐまれていないかがわかる。しかも、雇用の門はきわめて狭く、雇われている身障者は28%にすぎない。月収も大半は2万円以下である。もちろん、身障者に職場を与えようという努力がなされていないわけではない。昭和35年に身体障害者雇用促進法が制定され、現業と非現業にわけて、政府各省や地方公共団体には1.4%と1.5%、公庫や公団には1.3%と1.5%、100人以上の民間事業所には1.1%と1.3%の雇用率を決めているのである。しかし、政府各省をはじめ、これらの公共機関のなかには、まだ法定雇用率に達していないところが少なくない。民間事業所にしても、適用を除外された職種が多く、大企業への就職率はきわめて低い。
身障者に対する雇用者の協力をいかに求めても、身障者自身がどれほど自立の意欲に燃えても、その就職率を改善することはなかなか困難であろう。なぜならば、身障者が職業能力を身につけないかぎり、自立しようと思ってもできないし、雇用主が能力をもたぬものを採用することも期待できないからである。身障者といえば、いちおう生活を保障し、弱者として保護すれば足りるかのように思いがちであるが、彼らの多くは自立して、社会になんらかの貢献をしたいと願っているのである。雇用主が進んで職場の門を開くだけの能力や技術を、身障者にもたせることが、なによりも先決問題である。それには、心身の機能、生活能力、作業能力を回復させる医療対策、職業訓練、あっせんを行なう職業対策などのリハビリテーション(社会復帰対策)の充実こそ、最大の急務といわなければならない。これらの対策を実施する施設を整備し、治療や指導や教育を行なう専門職員の養成、確保にも、積極的な手を打つ必要がある。このことは、95万人といわれる現在の身障者のためばかりではない。交通事故や産業災害による身障者や後遺症患者の増加にともない社会復帰対策の重要性は今後ますます切実なものになってくるだろう。
パラリンピックの創始者であるグットマン博士もいっているように、残ったものを生かし、その力を最大限度に発揮することこそ、身障者の目標でなければならない。この大会を一つの契機に、社会復帰対策の新しい展開を期待したい。
毎日新聞(余録)10月9日
きのうの朝、NHKテレビの「時の人」に日本バーテンダー協会の長谷川会長が登場していた。オリンピック客を迎えて商魂たくましい話かと思ったら、オリンピックのすんだあと、来月開かれる身体障害者のパラリンピックのための「善意の箱」のはなしだった▲オリンピックは、身体の健康な若人が、人間の力の限界を競う、いわば”美と健康”の祭典だが、世の中には健全な身体に恵まれない人々も多い。パラリンピックはパラプレジア(下半身マヒ)ということばのパラと、オリンピックのリンピックをくっつけてできた新語である。車イスに乗る人々のオリンピックというわけだ▲日本での身体障害者は登録された人だけで100万だが、下半身マヒ患者は3,300人くらいと推定されている。原因は小児マヒなどの病気と事故によるものだが、交通事故の激増でマヒ患者は急激にふえている。高いところから落ちたり、落下物、落盤で脊髄をやられたり労災関係も多い▲働く意思があり意欲もあるが、身体がきかない。そういう人が残された機能をいかに活用して社会復帰をするか、というためにスポーツが考えられた。パラリンピックは、競技のためのスポーツではなくて、医療のため、生き抜くためのスポーツである。悲壮ではあるが、参加者も家族も真剣だ▲パラリンピックをオリンピック開催地で、引きつづきやるようになったのはローマ大会からだが、今回はすでに21ヵ国の参加申込みがあるそうだ。国が2千万円、東京都が1千万円、自転車振興会、自動車工業会、ロータリークラブなどをはじめ、民間の寄付や奉仕で、9千万円の費用をまかなおうというのである▲バーなどでふと健康の幸福を思い出したときは、すみの箱に金をほうりこます、外国ではよくある風景だ。花やかなオリンピックのあとに、500人の車イスの外国選手がやってくる。地味なパラリンピックも立派にやりとげねばなるまい。
新聞記事から
次々に”理解の芽” バスや資金提供申し出
こんどの大会にはイギリス、アメリカ、デンマークなど22ヵ国から選手、役員、付添人など計1,200人が参加、日本では昨年5月8日にパラリンピック運営委員会(厚生省内)を設け準備にとりかかったが、資金には大弱り、ヘリコプターまで無料で貸してくれ、金品の寄付が殺到したオリンピックとちがって、寄付を依頼してもお断りが続出、同運営委は頭を痛めていた。この実情は9月20日の朝日新聞に掲載された。そして同運営委、社会福祉事業振興会の職員たちが仕事の合い間に地味な努力をつづけた。
そのうち少しずつ”理解の芽”がふき始めた。「乗用車を運転手つきでお貸ししたい」と申し出た東京・豊島区池袋の会社社長(45)、10円玉を集めて持参した高校生、学校で募集した中・高校生など、寄金はだんだん集まり始めた。バーやキャバレーの全国のバーテンさんたちの協会もお客さんたちに協力を求め約300万円を寄付、大どころでは自動車工業会が身体の不自由な人たちが車イスのまま乗れるバス9台(価格約2500万円)を準備、さらに自転車振興会も利益金2500万円を寄せた。また坂本九さんも慈善公演開催を申し込み10月14日午後、東京・有楽町の朝日新聞東京本社6階朝日講堂で開くことになった。
通訳56人も日赤奉仕団が引き受けてくれた。オリンピックがすんだあとそのまま使用する代々木の選手村の各部屋を飾るのも都生花連盟の人たちが奉仕することになった。オリンピックが始まったころ、ようやく資金のメドがついた。関係者はやっとひと安心した。そしていまなお寄金は九州や東北地方の人などからも、はげましの手紙とともに同運営委に届いているという。(毎日新聞=10月12日付)
パラリンピックの外国選手へと主婦が紙ビナ作り
体の不自由を乗り越えて日本にはるばるやってくるパラリンピックの外国選手375人の励みになれば…と、杉並区西田町荻窪団地の主婦たちが夜なべして紙ビナ550組を作り、選手達にプレゼントする。これは同団地8ノ105に住み、こんどパラリンピック記録映画の製作に取り組む大映カメラマン渡辺公夫氏(46)の奥さん、保子さん(38)が夫の仕事への熱情に感動して「私もパラリンピックのために」と紙ビナ作りを思いたったのがきっかけ。近所の主婦、竹内絹さん(43)がこの話をきき、団地内の奥さんたちに呼びかけた。みんなも賛成、4日に団地集会所で電気器具や衣料品、暖房器具など委託販売のバザーを開き、その益金で色紙を買って紙ビナ作りにとりかかる。男女ビナ一組とし、男ビナは烏幅子(えぼし)に小袖、ハカマをきせ、女ビナは十二単(じゅうにひとえ)をつけた美しいものを作り、10日までに厚生省のパラリンピック事務局に屈けるという。(毎日新聞=11月2日付)
基金集めにフォークダンス大会
パラリンピック基金募集のフォークダンス大会が、新宿区戸塚町1ノ38”どんぐり友の会”(責任者米谷敏幸さん)主催で、1日午前9時半から渋谷区恵比寿区民館で開かれた、参加者は約100人で、同会ではこの日集まった会費8千円を全額同基金に寄付する。(毎日新聞=11月2日付)
”八起き”願って贈る 県青少年赤十字パラリンピックにダルマ
オリンピック東京大会が終わった24日午後、あとを受け継いで開かれるパラリンピック(国際身体障害者スポーツ大会)の成功を祈って、県青少年赤十字から東京の日赤本社に530個の目無しダルマが送られて来た。”七転び八起き”のダルマの縁起にあやかって、競技の成績をあげる一方、たくましく社会復帰をしてほしいという純心な悲願をこめた少年たちのプレゼントだという。このダルマは高さ約15センチ、巾約10センチのかわいいものだが、ダルマを入れた箱には英語で「苦難にひるまず立派に立ち上がって下さい」という意味の説明書がついている。寄贈したのは県下で「県青少年赤十字=前橋市曲輪町、県庁内」に参加している前橋女子高校など154校の青少年赤十字参加の生徒たち。おこ使いを節約してカンパし、県の名産のダルマを選んで専門業者に頼んで作らしたものだという。この申し出を受けたパラリンピック運営委員会(葛西嘉資会長)ははじめ、ダルマの姿が下半身の不自由な障害者の気持を刺激するのではないかと心配もしたが、ダルマの精神を英語で強調しておくることで、高校生のすなおな善意を受け入れることになったもの、ダルマは430人の参加を予定している外国選手をはじめ、日本人選手にも贈られるはずで「成績を上げたら目を入れて社会復帰に努力してほしい」と訴えることになっている。
喜劇人、歌手サイン会
パラリンピックに協力する募金サイン会が11月3日午後、池袋の西武百貨店屋上で催された。参加したのは楠トシエ、江戸家猫八、スリー・グレーセス、守屋浩ら7人の喜劇人、歌手で、1枚100円の色紙が飛ぶように売れ、またたく間に700枚を消化、7万円をパラリンピック資金の一部に寄付した。(読売新聞=11月4日付)
伴奏なしの歌で…… 渡辺はま子らパラリンピック選手を激励
「パラリンピックに出場中の日本選手に声援と激励を送りましょう」と日本歌手協会の女性歌手渡辺はま子、菊地章子、宝とも子、藤原亮子、藤崎世津子、多摩幸子らが10日午後代々木の選手村を訪れた。
慰問を受けたのは関東労災病院バスケット・ボール・チーム10人。歌手協会につとめる田平智恵子さんのご主人幸光氏がもと同病院の電気主任だったことから、9日午後銀座の同協会事務所と同じ屋根にプロダクションをもつ渡辺はま子が中心となって話がきまり、渡辺と親しい仲間たちが集まった。
手押し車に乗ったバスケット選手たちは同日午前に米国チームと試合を終えてきたばかり、「あちらはプロ級、かないませんよ」といいながらもベテランぞろいの歌手を前にして元気いっぱいの表情、歌手たちがくだものやクッキーを選手のひとりひとりにくばると、「一度ぜひナマの歌を聞かせて下さい」というリクエストの声が選手たちから出て「支那の夜」(渡辺)「岸壁の母」(菊地)「ベサメ・ムーチョ」(宝)などひとりずつ得意の歌を伴奏なしで歌った。選手たちはきょうはほんとうに楽しかった。これを機会に僕たちのような身体の不自由な者がたくさんいることを歌手協会の人全員に大いに、PRして下さい」と語り、「関東労災病院バスケット・チーム」と書いた約1メートル四方のボールドのうちにサインと寄せ書きをしてもらって「これからの試合にもがんばります」と目を輝かせていた。(東京新聞=11月10日付)
昼も夜も満員 坂本九ちゃんの慈善公演身体障害者の米人も寄付
国際身体障害者スポーツ大会(パラリンピック)は、11月8日から東京・代々木の選手村などで開かれるが、各方面の援助にもかかわらず、資金がまだ十分でなく、50人の日本選手団はブレザーコートもそろわないという話に同情した坂本九ちゃんや永六輔さんが、14日東京・有楽町の朝日講堂(朝日新聞東京本社6階)で朝日新聞厚生文化事業団主催「パラリンピックのための坂本九慈善リサイタル」を開いた。定員600人の講堂は昼の部、夜の部ともほぼ満員の盛況だった。また同日夕方、夜の出を待つ九ちゃんを、日本タッパーウエア株式会社のジャスティン・W・ダート・ジュニア社長(35)=米国人=が車イスに乗って訪問「パラリンピック資金の一部にして下さい」と5万円を寄付した。同社長は幼いとき、小児マヒにかかり腰から下が不自由になったうえ、18才のときに交通事故にあって両足をなくした身障者。さる9月3日に同社長が主催して東京・後楽園アイスパレスで「身障児励げます慈善ショー」を開いた際、九ちゃんも出演、以来九ちゃんのやさしい思いやりに感激していたという。さらにこの日、すでに340余万円を寄付している日本バーテンダー協会が「ブレザーコートまでは手がまわらぬが、せめておそろいのネクタイを」と、日本選手団用に50本のネクタイの寄贈をパラリンピック運営委員会に申し出た。(朝日新聞=10月15日付)
小児マヒ青年の大扇子
パラリンピック開幕をひかえた11月6日午後、代々木の選手村インターナショナル・クラブのホールに、大きなモザイク模様の扇子が飾られた。モザイクの材料は全部郵便切手で12,768枚が使われている。作者は東京都品川区五反田5ノ108、天理教日本橋大教会内の加藤裕泉という32才の大学生、「からだが不自由でも、くじけない斗志さえあれば、なんでもできる、なんでも作れる」という悲願をこめて、毎日10時間ずつ、75日間かかって作ったという。大扇子は親骨の長さ2.82メートル、重さ11.8キロ、明治4年発行の四十八文切手の模造品はじめ43種類の切手が使われ、額面を合計すると22万2310円71銭と848文になる力作、地は「金堂壁面」の10円切手、中央の直径1メートルの日の丸は2銭の「乃木大将」、陽気という文字は5円の「おしどり」が使ってある。
加藤さんは、小さいときから手足やことばが不自由で、奈良県の身体障害者更生指導所などに入所して訓練をうけ、ちょっと見にはわからないほど回復し、はりつける切手の一枚一枚に、身障者の社会復帰の思いをこめてこの大作を完成したものである。
車椅子でホールにはいってきた外国選手たちは、英文の説明を読んで感心するやらびっくりするやら。
成功を祈願して 身障者の富士登山
日本身体障害者団体連合会ではパラリンピックの成功を祈願して富士登山を行なった。参加者は350人の身体障害者ばかりで、7月14日皇居前広場で壮行会を行ない、厚生省指導員、日赤の医師、鉄道弘済会の義肢修理班などとともにバスに分乗して東京を出発、霧の富士山にいどんで、一歩一歩と登って行った。そして遂に山頂を征服して「バンザイ」を叫ぶ身体障害者の元気な声は清澄な大気の中へ吸いこまれて行った。
イタリア選手と 小児マヒの子供
パラリンピック出場のイタリア選手の仮の宿である武蔵野日赤病院小児マヒセンターで、5日午後、おやつの時間に選手団と子供たちの交歓会が開かれた。センターは小児マヒや先天性股関節脱きゅうの子供たちばかりで、現在は3才から17才までの38人が入所している。
菊の花が飾られた会場の食堂には、明るい空色のトレーニング・シャツを着た40人の選手たちと子供たちが車椅子で集まり、選手たちに「チャオ」「バンビーノ」とイタリア語がとび出す。子供たちが看護婦さんといっしょに”ドレミの歌”をうたうと、選手たちは”サンタルチア”を合唱する。最後はみんなで「しあわせなら手をたたこう」を歌ってたのしんだ選手たちは6日朝、代々木の選手村に移った。
パラリンに協力する 日本バーテンダー協会の募金
パラリンピックを私たちの手で盛りたてよう-と、創立36周年の記念事業を考えていた日本バーテンダー協会(長谷川幸保会長)では、昭和39年6月15日から全国1万軒のバーに善意の募金箱をおき、2千万円を目標に募金活動を行なった。この善意の箱は、縦12センチ、横10センチ、巾9センチの長方形のボール紙器で、全国を次の8ブロックに分けて、各本部に委託した。
北海道本部(札幌市南五条西4丁目みなみビル)7支部5班
東北本部(仙台市国分町138佐和田ビル)13支部6班
信越本部(新潟市西大畑町5220)4支部1班
東京本部(中央区銀座西8ノ1村喜ビル)20支部10地区
西日本本部(名古屋市東区南桑名町1ノ2マキセンタービル)6支部5班
四国中国本部(広島市薬研堀甲ノ2)4支部
西日本本部(福岡市東中州千日前241松月堂内)19支部6班
関西本部(大阪市北区堂島上2ノ5曾根崎ビル内)12支部8班
全国1万8千人の会員が、それぞれ自分が働いている店のカウンターに善意の募金箱をおき「ぜひご協力を」と客によびかけ、集まった3,344,711円を日本パラリンピック運営委員会に寄付した。
参加選手の感想
パラリンピックに参加して
(水泳・フェンシング) 青野繁夫
単調で平凡な斗病生活の長年月、現在の療養所の生活に馴れてしまった私も、このパラリンピックと言う機会にも一度情熱を燃やし、若い元気な頃の様な感覚の一端に触れることが出来たら、私の残された人生に有意義なものが生ずるのではないかと、卒直に言って簡単に考え訓練に入った実状である。が然し訓練することが自分の身体にも良いし、又面白くもなって、自分自身の忘れられた可能性を一つためして見ようなんて了見にもなって、柄にもなく希望を持ったのである。その甲斐あってかパラリンピック出場が決定し、しかも愛と栄光の祭典たる宣誓者の選を得て、将に感慨無量なものがあった。
当日の開会式は秋晴れの好天にめぐまれ、非常に盛大で、22ヵ国の国旗のはためく中、数千の観衆前で、グットマン博士の挨拶、皇太子のお言葉があり、そして私の宣誓の番がアナウンスされ、車椅子で正面に対した時はさすが緊張の極に到して、自分で作った宣誓であるし、当然何のためらいもなく言葉になるもの予想して居ったが、緊張度はそんな安易なものを消しとばしてしまったのも今となっては生涯忘れ得ない思い出となったのである。嘗て砲弾雨飛の中に、いたたまれない焦燥と緊張を味わった事のある私であったが、それと違った意味の緊張感であったと思う。即ち、今迄の私達重度脊損者の置かれていた立場や状態よりこのパラリンピックを機会に、他の多くの人々に私達の現実を本当に理解していただき、実際の政治が二歩も三歩も向上飛躍してもらわなければどうしようもないという心からの宣誓であったからでもある。
私は思い切り胸を張り宣誓と呼び
私達は重度の障害を克服し
精神及び身体を錬磨して
愛と栄光の旗のもと
限りない前進を期して
正々堂々と斗う事を誓います
と秋空に向って右手を高々と差し上げたのである。
事実、私達身障者の生活はなまやさしいものではない。といってこれを克服しなければ私達の生活はあり得ないし、社会から一層取り残されてしまうと同時に、自分自身もよりみじめで空虚なものとなってしまわざるを得ないのである。
私は健全ならざる身体にも立派に健全な精神が宿ることを実証したい気持で一杯であった。そして皇太子及び美智子妃との握手に限りない感激を覚え、胸の打ちふるうのを如何とも為し得なかった次第である。
フェンシングに於て、私達の技は確かに練習期問も8ヵ月という短時日で、西欧の伝統に対抗しようとするのであるから、考えれば無茶という人もあったと思うが、私達は敢然とそれに斗い、とにかくやり抜き、銀メダルを獲得出来た事は、所長先生を始め皆さんの理解とコーチにめぐまれた等の条件はあったにしても、やれば出来るという自信を強く味わしてくれた。その自信は以後の私達の生活に、大きな示唆と勇気を与えてくれるものと思う。実際に準決勝にオーストラリアを破った時、期せずして3人深々と抱きあい、感激の涙を流した。その涙は私達の生活をささえ、発展させる原動力となることを確信して居る。
いずれにしても、水泳、フェンシングとも銀メダルを得た事は、自分の努力が報いられたものだけに、今迄の病床生活を思い、心から喜びをかくし様がなかった。
しかし、外国の選手のあの明るさは何処から来ているのか疑問に思ったのは私1人ではあるまい。勿論国民性もあろう。が、しかし国家の福祉制度の充実から、生活の安定があっての事である事には、間違いあるまい。日本の現状は所謂先進国との差が有りすぎる様な気がしてならない。私達が身体だけ社会生活に堪え得る元気さを回復したとしても、現状はどんな受入れ方をしてくれるであろうか。なる程法律では、身障者雇用促進法が立派に成立している。であるが、これは全く軽度の身障者のものである。いやそれすら法の完全運用には程遠い状態ではないだろうか。
未だ戦後の日本が敗戦によって、身障者の其処まで手が回らないと云うなら、被害度の同様なドイツにしろ、イタリアにしても、立派に彼の国の身障者の生活は、生活を享受していると言えるものとして、不思議でならないのである。
私達パラリンピック出場者のブレザーを揃え得ないのも、又小さい事であるが、私達の事を政府が認識しているとは、豪も言えないと私は思うのである。私達と雖も生活を楽しむ権利があるはずである。私は日本の政治者に対して、より一層の理解と、温かさを、私達の立場から強く要求したく思うし、又当然私達が先頭に起って、要求しなければ解ってもらえないし、又改善されないではないかと、つくづく考えた次第である。
しかしお互いに傷ついた者同志の集いは、楽しかった。そこには政治政略はなく、手を握り合い、肩をたたき、又この次会う日迄お元気で、と将来を祝福している姿に、私達だけが知る涙を禁じ得ないのも、又懐かしい思い出である。
とにかくパラリンピックは幾多の体験を私達に与え、又心の奥まで浸み込ませてくれた。そしてこの機会に、国民の私達に対する理解度を深めていただきつつある事は、甚だ喜ばしい事である。然しながら、私達は世間の軽い同情を求めるものではない。真剣である。永久にこの大地に2本の足で歩をかまえなくとも、立派に足のかわりの車椅子がある。今後自らをより一層強く持して、将来に期待して、人間として与えられた使命を果す如く、鋭意努力したいと、この意義あるパラリンピックに参加して、心に確く期した次第である。そして全国の脊損者乃至身体障害者が幸福な明るい生活を笑顔で送れる日の1日も早く訪れる事を、信じたいのである。
パラリンピックに参加して
(水泳・卓球)長谷川雅己
11月8~12日の五日間、東京、代々木のオリンピック跡に於て開催された第2回パラリンピックに国立箱根療養所から卓球の一選手として参加したのであったが、私自身の成績は満足なものとは言えぬものであった。しかし、今日、この時点において身障者の国際大会が開かれた事の意義と、そしてそれが結果的に考えてみて成功した事の意義は非常に大きいものであると思う。
この大会によってマスコミが身障者の空前のPRを為し、その結果一般国民の身障者に対する認識は大会以前とは比較にならぬ程高まった事であろう。事実われわれ選手団に無数の激励の手紙とか、千羽鶴が送られて来たのであった。
こういう事が世論を形成する土台となり、我々身障者に対する国の施策として近き将来に返ってくるものと信ずるものである。
不具者を倉の中とか、座敷牢とかにとじ込め、他人の目に触れさせなかった従来の考え方がパラリンピックを契機として打破され、それのみならずテレビ等マスメディアを通じて全国民にPRされたのであった。将に身障者問題に対する考え方の革命といって過言でないと思う。
私自身も当初は、パラリンピック開催は時期尚早と言う意見であった。確かに運営面その他種々な点でそういう見方も出来なくはなかった。しかし、私にとってその様な不備不足にも拘らず、私が参加して、諸外国の選手及び役員の実際を見、聞いた事は、又彼等と共に1週間生活を共にした事は非常に尊い、貴重な体験であった。それによって色々な事実を知る事が出来た。人は言う「外国選手は日本のそれと比して、明るく陽気ですらある」と。私は外国選手が明るく陽気でいられる背景を若干知ったのである。実際、暗い陰さんな影はないのである。それはそれなりの理由があるのだ。身障者に対する社会一般の理解がそこにあるからなのである。彼等は暗くなる理由がないのである。彼等は一個の人格として社会から認められているし、従って一人の人間であるという自覚をもっているのである。この辺が日本と違う処だと思う。
私は受傷以来5年経ったが、一番コンプレックスを意識しなかったのは選手村の中を車椅子でぶらぶら散歩している時であった。あの中では全く意識しなくとも良かったのであった。そこでは我々が主役なのであった。将に我々の世界であった。水を得た気持であった。あの気持ちを一瞬間だけでも感じることが出来たことは、パラリンピックに参加した最大の喜びであった。私は競技よりむしろその方に意義を感じたものだった。
日本に於て身障者が、いつになったらあのような気持で社会生活を送れる日が来る事やら。一日もその日が早く来る事を祈るかぎりである。
終りにグットマン博士はじめ、パラリンピック開催に努力して下さった日本の組織委員の方々に心からなる敬意を表します。
イギリス選手の報告
東京のオリンピック村で、11月8日から12日まで行なわれた1964年国際ストーク・マンデビル身体障害者競技大会は、大成功りに終りました。22ヵ国を代表する370人の競技者が参加しました。初めての新参加国はセイロン、フィジーおよびヒリッピンでした。付き添いをあわせると500人をこえる人員が、大会のためにオリンピック村に在駐しました。
葛西氏を会長とする日本運営委員会は、人々を居心地よくするために、並々ならぬ努力を払い、参加者全員に示されたその歓待と友情と親切は、全く圧倒的でありました。日本の皇太子ならびに妃殿下が御後援を賜り、競技場での世にも壮観で感動的な式をもって、大会を開催されました。皇太子殿下自らの開会のおことばにつづいて、葛西氏、ストーク・マンデビル競技大会の会長であり創始者であるグットマン博士、厚生大臣および東京都知事のあいさつがありました。全大会をとおして皇族御一家の積極的な御参加は、全く特筆すべきものがあります。皇太子ならびに妃殿下が数回にわたって大会においであそばされたばかりでなく、皇后陛下御自ら行啓を賜感のわり、その他にも天皇陛下の弟宮および皇太子殿下の弟宮も御臨席下さいました。その上、国際ストーク・マンデビル競技大会委員は、東宮御所に御招待いただきました。
東京の英国大使館も英国チームに大きな関心を示し、大いに援助して、オリンピック村で一同のために宴を設けてくれました。
競技そのものも、ストーク・マンデビル競技の理想、すなわち、友情と、一致と、スポーツマン精神にのっとって行われました。競争は非常に激しく、いままでの記録がいくつも更新されました。
数千の観衆が大会を見物し、競技期間の総計は10万人をこえたと推定されます。このことは、大会に対して東京の一般大衆が寄せたなみなみならぬ関心を示す証拠であります。
閉会式は、皇太子殿下ならびに妃殿下の御臨席のもとに、屋内バスケットボール競技場で行なわれました。妃殿下が各国にトロフィー数個を贈呈されました。総理大臣代理から素晴しいトロフィーが英国チームに授与され、厚生大臣からローデシアに、東京都知事からはオーストリアのチームに、それぞれ授与されました。大会中一番沢山メダルを獲得したアメリカチームは、グットマン博士から、トロフィーを受けました。
受賞がすむと、日本の国旗、ストークマン・デビル旗および大会旗が降され、メキシコの旗が掲げられましたが、その間、メキシコ代表ルイズ博士は、メキシコで1968年度ストーク・マンデビル競技大会開催の宣誓をしました。
ここに特筆すべきは、白衛隊、警察、ならびに沢山の奉仕者、ことに若い赤十字人と大学生から受けたなみなみならぬ援助の事であります。水曜日の午前11時30分には、天皇陛下に代って厚生大臣がグットマン博士に旭日章を授与されました。
これは要するに、東京における1964年の国際ストーク・マンデビル競技大会は無類の成功をとげました。それは各国間の友情と理解を助長したのみならず、日本の国内における身障者の現状を改善しようとする国民の強力な動力となりました。その上、英国のマヒ症スポーツ人たちはそのスポーツマン精神をいかんなく発揮して、英国のこよない大使の役を果たしたのであります。
競技記録
国別 | 金 | 銀 | 銅 |
---|---|---|---|
アメリカ | 37 | 40 | 33 |
イギリス | 23 | 24 | 24 |
イタリア | 17 | 13 | 16 |
オーストラリア | 13 | 10 | 7 |
南ローデシア | 11 | 2 | 2 |
南アフリカ | 8 | 8 | 2 |
アルゼンチン | 7 | 17 | 12 |
イスラエル | 7 | 4 | 11 |
オランダ | 6 | 4 | 4 |
フランス | 5 | 4 | 3 |
ドイツ | 5 | 3 | 5 |
オーストリア | 5 | 2 | 8 |
日本 | 2 | 12 | 9 |
成績上位者および競技記録 第一部
弓
国際弓技連盟(F・I・T・A)ラウンド
男子(個人最高得点者に対しては、ラッセルアレンカップおよび金メダル)
1 | ディー・スロー(アメリカ) | 986点 |
2 | ビー・ブレンケン(オランダ) | 963点 |
3 | イー・ヨハンソン(スエーデン) | 937点 |
女子(個人最高得点者に対しては、ドイツ身体障害者スポーツ連盟カップ)
1 | エム・ハリマン(ローデシア) | 919点 |
2 | イヌ・セーセン(南アフリカ) | 701点 |
3 | アール・アービン(イギリス) | 685点 |
団体(優勝チームに対してはグッドマン博士楯および賞状)
1 | アメリカ(ディー・スロー、ジェー・メーシス、ジェー・ウイットマン) |
2 | 日本(安藤昇一、松本毅、斉藤定一) |
アルビョンラウンド
男子
1 | ディー・スロー(アメリカ) | 797点 |
2 | ピー・ブランケン(オランダ) | 784点 |
3 | シェルファウト(ベルギー) | 762点 |
4 | ジェー・ウィットマン(アメリカ) | 759点 |
5 | 松本毅(日本) | 756点 |
女子
1 | エム・ハリマン(ローデシア) | 669点 |
2 | ブイ・フォーダー(イギリス) | 545点 |
3 | ディー・シーニー(オーストラリア) | 538点 |
4 | ジェー・ハウ(アメリカ) | 505点 |
5 | イヌ・セーセン(南アフリカ) | 498点 |
団体(優勝チームに対してI・N・A・I・Lトロフィーおよび賞状)
1 | アメリカ(ディー・スロー、ジェーウィットマン、アール・ロビンソン) | 2253点 |
2 | 日本(松本毅、斉藤定一、安藤徳次) | 2192点 |
コロンビアラウンド
男子
1 | ディー・コッター(アメリカ) | 586点 |
2 | ロンギ(イタリア) | 584点 |
3 | ジー・パシパンキ(アメリカ) | 580点 |
4 | ルセルフ(フランス) | 566点 |
5 | セガン(フランス) | 550点 |
女子
1 | ビー・ローゼンワイグ(アメリカ) | 504点 |
2 | ディー・レッグウィリス(イギリス) | 447点 |
3 | シー・テトレー(イギリス) | 440点 |
4 | イー・ベッドフォード(アメリカ) | 416点 |
5 | イヌ・ヒップウェル(アメリカ) | 355点 |
団体(優勝チームに対しては、イーグルトロフィーおよび賞状)
1 | アメリカ(ディー・コッター、ジー・パンパンキ、アール・ホークス) | 1706点 |
2 | フランス(ルセルフ、セガン、ミュージー) | 1648点 |
セント・ニコラスラウンド
男子
1 | ジー・ピー・マレース(南アフリカ) | 726点 |
2 | アール・ファウラー(オーストラリア) | 700点 |
3 | ダビド(フランス) | 698点 |
4 | ジー・ビーンストラ(アメリカ) | 696点 |
5 | エル・カズンズ(オーストラリア) | 690点 |
女子
1 | ビー・サマーセット(南アフリカ) | 540点 |
2 | エル・クング(スイス) | 534点 |
3 | アイ・プレスリプスキー(アメリカ) | 524点 |
4 | イー・ベットフォード(アメリカ) | 520点 |
5 | イー・スタンツ(アメリカ) | 502点 |
団体(優勝チームに対しては、アイルランドカップ)
1 | フランス(ダビド、アヌーン、ジュー) | 2004点 |
2 | オーストラリア(アール・ファウラー、エル・カズンズ、ジェー・マーチン) | 1995点 |
ダーチャリー
団体(優勝チームに対しては、ベーツカップ)
1 | ローデシア(ジー・エイチ・マン、エム・ハリマン) |
2 | アメリカ(ジェー・メーシス、ジーパンパンキ) |
3 | 日本(松本毅、安藤徳次) |
3 | ベルギー(ベノーンシェルフォー) |
バスケットボール
A級・完全麻痺(ユーナイテッド・ドミニオン信託会社永久カップ)
1 | アメリカ |
2 | イギリス |
3 | イスラエル |
4 | フランス |
5 | フィリッピン |
B級・不完全痲痺(ドイツ身体障害者スポーツ連盟および賞状)
1 | アメリカ |
2 | アルゼンチン |
3 | イスラエル |
4 | イタリア |
5 | イギリス |
フェンシング
フォイル
女子・団体
1 | イタリア(トーソー、イ・モナーコ、エ・モナーコ) |
2 | イギリス(ヴィ・フォーダー、エス・ジョノンズ、テー・トソプソン) |
3 | アメリカ(シー・ギース、ジェー・ウオーターマン、イー・コックス) |
女子・個人
1 | トーソー(イタリア) |
2 | ジェー・ウォーターマン(アメリカ) |
3 | ディー・シーニー(オーストラリア) |
4 | エ・モナーコ(イタリア) |
男子・初心者
1 | シー・トーマス(イギリス) |
2 | エフ・ボンタ(オーストラリア) |
3 | ガルファーニャ(イタリア) |
エべ
団体(優勝チームに対しては、I・N・A・I・Lトロフィー)
1 | イタリア(ロッシ、ローズ、マルソン) |
2 | フランス(ペック、フランション、フークル) |
3 | イギリス(シー・トーマス、ビー・ディッキンソン、ジェー・シップマン) |
4 | オーストラリア(エフ・ボンタ、ジー・フーバー、ダブリュー・メーサーブラウン) |
個人
1 | ペック(フランス) |
2 | マルソン(イタリア) |
3 | ベッチェニーノ(イタリア) |
サーブ
団体(優勝チームに対しては、ウエールズトロフィー)
1 | フランス(ペック、フランション、フークル) |
2 | 日本(斉藤定一、原沢茂夫、青野繁夫) |
3 | イタリア(ロッシ、マルソン、ローズ) |
個人
1 | ペック(フランス) |
2 | マルソン(イタリア) |
3 | ブランション(フランス) |
フィールド競技
男子
槍投・A級(下半身痲痺者スポーツ基金カップ)
1 | ディー・トンプソン(イギリス) | 20.35m |
2 | デイー・エラスムス(南アフリカ) | 18.84m |
3 | エフ・ビセラ(アメリカ) | 18.27m |
4 | イー・ランゲル(オーストリア) | 16.90m |
5 | イヨット・イエゲル(オーストリア) | 16.60m |
B級
1 | ブイ・プレスル(ドイツ) | 20.00m |
2 | ジェー・メーヤー(南アフリカ) | 18.53m |
3 | ディー・ケネデー(アメリカ) | 18.30m |
4 | ジー・フーバー(オーストラリア) | 17.25m |
5 | ケー・ピーナール(ローデシア) | 16.79m |
C級
1 | マルソン(イタリア) | 24.20m |
2 | ダブリュー・フェアバンクス(アメリカ) | 22.48m |
3 | エル・マルソンビショップ(ローデシア) | 19.64m |
4 | ダブリュージョンソン(アメリカ) | 17.82m |
5 | べー・ブロートマン(ドイツ) | 17.72m |
D級
1 | アール・スタイン(アメリカ) | 26.70m |
2 | ジェー・デイズ(アルゼンチン) | 26.49m |
3 | ティー・ハリス(アメリカ) | 26.36m |
4 | ハガグ(イスラエル) | 23.18m |
5 | アール・スコット(イギリス) | 23.05m |
砲丸投
A級(世界歴戦者連盟カップ)
1 | デー・エラスムス(南アフリカ) | 7.69m |
2 | デー・トンプソン(イギリス) | 6.78m |
3 | イー・ローゼ(ドイツ) | 6.06m |
4 | ピー・クラジウスキー(アメリカ) | 5.80m |
5 | シー・サンドグラス(アメリカ) | 5.73m |
B級
1 | ブイ・プロスル(ドイツ) | 7.69m |
2 | ジェー・メーヤー(南アフリカ) | 7.66m |
3 | デー・ケネデー(アメリカ) | 7.00m |
4 | シー・マーカム(マルタ) | 6.40m |
5 | ケー・ピーナール(ローデシア) | 6.19m |
C級
1 | ペニカサ(イタリア) | 8.36m |
2 | ダブリュー・フェアバンクス(アメリカ) | 8.16m |
3 | アール・マジュロ(アメリカ) | 7.23m |
D級
1 | アール・スタイン(アメリカ) | 9.96m |
2 | テー・ハリス(アメリカ) | 8.70m |
3 | ジェー・ディズ(アルゼンチン) | 8.06m |
4 | アール・スコット(イギリス) | 7.21m |
5 | ヒューズローカス(アルゼンチン) | 7.07m |
円盤投・A級
1 | デー・エラスムス(南アフリカ) | 21.21m |
2 | シー・サンドグラス(アメリカ) | 19.37m |
3 | エフ・ベセラ(アメリカ) | 17.98m |
4 | ピー・クラジウスキー(アメリカ) | 17.52m |
5 | エフ・レオクローズ(アイルランド) | 15.49m |
B級
1 | マルソン(イタリア) | 29.59m |
2 | マジュロ(アメリカ) | 25.51m |
3 | ペニンカサ(イタリア) | 25.33m |
4 | エイチ・スミス(アメリカ) | 22.06m |
5 | タブリュー・フェアバンクス(アメリカ) | 21.64m |
D級
1 | アール・スタイン(アメリカ) | 36.98m |
2 | テー・ハリス(アメリカ) | 30.70m |
3 | オカンポ(アルゼンチン) | 25.25m |
4 | (アルゼンチン) | 21.48m |
5 | エベンサハブ(イスラェル) | 19.03m |
棍棒投・A級(ロイヤル・ネザーランズカップ)
1 | デー・トンプリン(イギリス) | 36.67m |
2 | デー・エラスムス(南アフリカ) | 30.73m |
3 | エーベセラ(アメリカ) | 30.14m |
4 | ピー・クラジウスキー(アメリカ) | 28.11m |
5 | イヨット・イエゲル(オーストリア) | 27.88m |
B級
1 | ブイ・プロスル(ドイツ) | 32.61m |
2 | テー・ピッカリング(イギリス) | 30.81m |
3 | ボルゲーゼ(イタリア) | 30.76m |
4 | ジェー・メーヤ(南アフリカ) | 29.87m |
5 | ジー・フーバー(オーストラリア) | 29.39m |
C級
1 | エイチ・スミス(アメリカ) | 34.43m |
2 | マルソン(イタリア) | 33.15m |
3 | アール・ロー(イギリス) | 31.17m |
4 | ダブリュー・フェアバンクス(アメリカ) | 30.73m |
5 | アール・マジュロ(アメリカ) | 29.49m |
D級
1 | アール・スタイン(アメリカ) | 41.63m |
2 | ジェー・ディズ(アルゼンチン) | 41.23m |
3 | テー・ハリス(アメリカ) | 36.74m |
4 | オカンポ(アルゼンチン) | 34.85m |
5 | アール・スコット(イギリス) | 33.26m |
女子
槍投・A級
1 | トーソー(イタリア) | 9.60m |
2 | シライバー(オーストラリア) | 9.26m |
3 | シー・ギース(アメリカ) | 9.19m |
4 | イー・ドリースラー(オーストリア) | 8.57m |
5 | ジェー・ロートン(イギリス) | 8.41m |
B級
1 | ジルクリスト(ローデシア) | 12.50m |
2 | オラールテ(アルゼンチン) | 11.70m |
3 | エム・フォーテー(南アフリカ) | 9.94m |
4 | アール・ハービー(イギリス) | 9.01m |
5 | エ・モナーコ(イタリア) | 8.65m |
C級
1 | ヒクソン(アメリカ) | 12.60m |
2 | エム・オグライエン(オーストラリア) | 10.27m |
3 | トルトル(ルゼンチン) | 9.33m |
4 | ジェー・ウォーターマン(アメリカ) | 9.26m |
D級
1 | ミスハーニ(イスラエル) | 15.50m |
2 | ウェルガー(アメリカ) | 13.41m |
3 | ローゼンバウム(イスラエル) | 13.28m |
4 | ミエール(アルゼンチン) | 11.11m |
5 | テー・シーニー(オーストラリア) | 10.95m |
砲丸投・A級
1 | トーソー(イタリア) | 3.76m |
2 | ドリースラー(オーストラリア) | 3.33m |
3 | シトレッカー(ドイツ) | 3.20m |
4 | マルチーノ(イタリア) | 2.65m |
B級
1 | オラールテ(アルゼンチン) | 4.36m |
2 | ジルクリスト(ローデシア) | 4.31m |
3 | フォーテー(南アフリカ) | 4.06m |
4 | エ・モナーコ(イタリア) | 4.06m |
5 | エス・シモンズ(アメリカ) | 4.03m |
C級
1 | ヒクソン(アメリカ) | 4.39m |
2 | ジェー・ウォーターマン(アメリカ) | 3.59m |
3 | トルトル(アルゼンチン) | 3.58m |
4 | エム・オブライエン(オーストラリア) | 3.28m |
5 | デー・フリント(イギリス) | 3.22m |
D級
1 | ローゼン、バウム(イスラエル) | 5.16m |
2 | バターソン(アメリカ) | 4.92m |
3 | ミスハーニ(イスラエル) | 4.64m |
4 | エス・コチェッティ(アルゼンチン) | 4.54m |
5 | シー・ウェルガー(アメリカ) | 4.49m |
円盤投・A級
1 | バッレッシ(アメリカ) | 10.44m |
2 | トーソー(イタリア) | 9.41m |
3 | シー・ギース(アメリカ) | 8.79m |
4 | ジェー・ロートン(イギリス) | 8.72m |
5 | エム・シリーバー(オーストラリア) | 8.65m |
B級
1 | フォーティー(南アフリカ) | 14.28m |
2 | ジルクリスト(ローデシア) | 14.23m |
3 | オラールティ(アルゼンチン) | 11.57m |
4 | リチェチル(アメリカ) | 10.72m |
5 | アール・ハーべー(イギリス) | 9.70m |
C級
1 | ヒクソン(アメリカ) | 14.40m |
2 | ジェー・ウォーターマン(アメリカ) | 11.63m |
3 | ビー・フォーダー(イギリス) | 10.75m |
4 | トルトル(アルゼンチン) | 9.90m |
5 | ヒップウェル(アメリカ) | 9.75m |
D級
1 | イ・モナーコ(イタリア) | 14.50m |
2 | コチェッティ(アルゼンチン) | 14.32m |
3 | ローゼンバウム(イスラエル) | 13.57m |
4 | エム・ギブス(イギリス) | 13.24m |
5 | シー・ウェルガー(アメリカ) | 12.74m |
棍棒投・A級
1 | エム・シライバー(オーストラリア) | 17.31m |
2 | トーソー(イタリア) | 16.48m |
3 | ジェー・ロートン(イギリス) | 15.64m |
4 | イー・シトレッカー(ドイツ) | 15.42m |
5 | エル・クーネル(オーストラリア) | 15.27m |
B級
1 | ジルクリスト(ローデシア) | 22.85m |
2 | オラールテ(アルゼンチン) | 17.37m |
3 | アール・ハーべー(イギリス) | 16.44m |
4 | エム・フォーテー(南アフリカ) | 15.75m |
5 | エス・シモンズ(アメリカ) | 15.57m |
C級
1 | ヒクソン(アメリカ) | 21.04m |
2 | ジェー・ウォーターマン(アメリカ) | 17.38m |
3 | トルトル(アルゼンチン) | 16.32m |
4 | ビー・フォーダー(イギリス) | 15.38m |
5 | デー・フリント(イギリス) | 13.48m |
D級
1 | ウェルガー(アメリカ) | 24.46m |
2 | パターソン(アメリカ) | 24.25m |
3 | コチェッティ(アルゼンチン) | 22.38m |
4 | ミスハーニ(イスラエル) | 22.19m |
5 | マイエル(アルゼンチン) | 21.78m |
重量あげ
フェーザー級
1 | ジェー・レッジウィック(イギリス) | 48.80㎏ 95.0㎏ |
2 | エム・ダウ(オーストラリア) | 49.53㎏ 95.0㎏ |
3 | ブランドーニ(アルゼンチン) | 50.31㎏ 85.0㎏ |
4 | オーマーフィー(アイルランド) | 54.53㎏ 85.0㎏ |
5 | エー・ジー・ロバートソン(ローデシア) | 55.14㎏ 82.5㎏ |
ライト級
1 | パルテッリ(アルゼンチン) | 63.05㎏ 100.0㎏ |
2 | ジー・フーバー(オーストラリア) | 57.30㎏ 97.5㎏ |
3 | デー・ケネデー(アメリカ) | 62.70㎏ 80.0㎏ |
ミドル級
1 | ビーハンブル(南アフリカ) | 75.04㎏ 170.0㎏ |
2 | テー・パーマー(イギリス) | 75.95㎏ 140.0㎏ |
3 | デー・ピッカリング(イギリス) | 76.05㎏ 130.0㎏ |
4 | アルパン(フランス) | 71.74㎏ 120.0㎏ |
5 | ナカタブルカ(フイジー) | 75.82㎏ 90.0㎏ |
ヘビー級
1 | ドルガッチ(イスラエル) | 86.85㎏ 157.5㎏ |
2 | ジェー・レナルソン(オーストラリア) | 84.95㎏ 155.0㎏ |
3 | アール・ロー(イギリス) | 77.00㎏ 142.5㎏ |
4 | アールマジュロ(アメリカ) | 94.90㎏ 107.5㎏ |
5 | オー・サリーナ(アルゼンチン) | 77.05㎏ 105.0㎏ |
トラック競技
車椅子スラローム
男子
1 | アール・ミラー(アメリカ) | 57秒0 |
2 | マルソン(イタリア) | 59秒7 |
3 | ビロン(フランス) | 60秒7 |
4 | ハガグ(イスラエル) | 1分02秒3 |
5 | ラピコフ(アメリカ) | 1分04秒3 |
女子
1 | シー・ブライヤント(イギリス) | 1分12秒6 |
2 | イー・ガールランド(オランダ) | 1分27秒6 |
3 | エム・オブライエン(オーストラリア) | 1分44秒1 |
4 | 小笠原文代(日本) | 1分48秒2 |
5 | デー・シーユー(オーストラリア) | 1分53秒3 |
車椅子競争
女子・第10胸髄以下
1 | シー・ブライヤント(イギリス) | 19秒4 |
2 | エル・バターソン(アメリカ) | 19秒5 |
3 | シー・ウエルガー(アメリカ) | 20秒9 |
4 | カー・ザンマーホッフェル(オーストリア) | 21秒1 |
男子・第9胸髄以上
1 | デー・トンプソン(イギリス) |
2 | エム・ブラウン(オーストラリア) |
3 | ジー・フーバー(オーストラリア) |
男子・第10胸髄以下
1 | アール・スタイン(アメリカ) |
2 | テーハリス(アメリカ) |
3 | アール・ミラー(アメリカ) |
車椅子リレー
第9胸髄以上
1 | アメリカ(シモンズ、ダブ、ウイルキンス、ケネデー) | 48秒2 |
2 | オーストラリア(ボンタ、ダウ、メーザンブラウン、フーバー) | 48秒3 |
第10胸髄以下
1 | アメリカ(スタイン、ミラー、ハリス、ハズバンド) | 42秒6 |
2 | アルゼンチン(デイズ、スントースキー、イグルシアス、ブランドーニ) | 46秒3 |
五種競技
第1級(アメリカトロフィーおよび賞状)
1 | アール・マジェロ(アメリカ) |
2 | ビセラ(アメリカ) |
3 | デー・トンプソン(イギリス) |
4 | ジー・コン(アメリカ) |
5 | ジョンソン(アメリカ) |
第2級
1 | ダブリュー・フェアバンクス(アメリカ) |
2 | マンソンビショップ(ローデシア) |
3 | スコトースキー(アルゼンチン) |
4 | ピー・スタントン(イギリス) |
5 | マルソン(イタリア) |
特別級
1 | アール・スタイン(アメリカ) |
2 | テー・ハリス(アメリカ) |
3 | デイズ(アルゼンチン) |
4 | クルクデニール(オランダ) |
スヌーカー
男子(下半身痲痺者スポーツクラブカップ)
1 | エム・シェルトン(イギリス) |
2 | エフ・ベセラ(アメリカ) |
3 | シー・マーカム(マルタ) |
4 | ジー・ボルテッリ(マルタ) |
卓球
男子・シングルス
A1級(カップ)
1 | フロレンス(アメリカ) |
2 | ジエー・ジャコブス(オランダ) |
3 | ド・グロアト(オランダ) |
4 | フラードー(アメリカ) |
A2級(オランダカップ)
1 | テー・テーラー(イギリス) |
2 | エム・ペック(イギリス) |
3 | エー・マックルーカス(オーストラリア) |
4 | ジェー・シャラプ(イスラエル) |
B級
1 | ピー・ライヤル(イギリス) |
2 | エム・ロメロ(アルゼンチン) |
3 | イーランゲル(オーストラリア) |
4 | イー・フリーサール(オーストラリア) |
C級(オーストラリア下半身障害者連盟カップ)
1 | ハガダ(イスラエル) |
2 | 山崎武範(日本) |
3 | 大塚一成(日本) |
3 | ギブソン(イギリス) |
男子・ダブルス
A1級
1 | エム・ドグロート、ジェー・ジャコブス組(オランダ) |
2 | フローレスコ、フラードー組(アメリカ) |
A2級
1 | エム・ペック、テー・テーラー組(イギリス) |
2 | マストバーゲン、ゴールドスタイン組(アメリカ) |
3 | イー・リットル、イー・マルソー組(アメリカ) |
B級
1 | フェラリス、ツアリック組(イタリア) |
2 | アレスカ、ロメロ組(アルゼンチン) |
3 | ピー・ライアル、エム・スチュワト組(イギリス) |
4 | ランゲル、フリースサール組(オーストリア) |
C級
1 | 猪狩靖典、渡部藤男組(日本) |
2 | スウインドルハースト、ギブソン組(イギリス) |
3 | ハガグ、ガリッキ組(イスラエル) |
4 | フックス、シモン組(ドイツ) |
女子・シングルス
B級(西ドイツ共和国労働組合センタートロフィーおよびメダル)
1 | エル・クーネル(オーストリア) |
2 | エス・メースハム(イギリス) |
3 | エスカバ(イスラエル) |
3 | エム・シリーバー(オーストラリア) |
C級
1 | ワイ・アロー(ベルギー) |
2 | ミスハーニ(イスラエル) |
3 | エム・オブライエン(オーストラリア) |
4 | エム・ムーレンディック(ドイツ) |
女子(ダブルス)
B級
1 | ジー・バック、エス・メースハム組(イギリス) |
2 | マルチーノ、トーソー組(イタリア) |
3 | エス・ジョーンズ、シーテトレー組(イギリス) |
3 | イー・ドリースラー、エル・クーネル組(オーストリア) |
C級
1 | デー・シーニー、エム・オブライエン組(オーストラリア) |
2 | エム・クーバー、デー・トンプソン組(イギリス) |
3 | ローゼンバウム、ミスハーニ組(イスラエル) |
3 | 小菅原文代、井上千代乃組(日本) |
水泳
男子
第1級・完全マヒ・25m俯状自由型
1 | ビー・ファウラー(オーストラリア) | 38秒3 |
2 | ビー・フラードー(アメリカ) | 1分00秒0 |
3 | エス・フロレスコ(アメリカ) | 1分02秒2 |
不完全マヒ25m仰向自由形
1 | アール・ローゼンバウム(アメリカ) | 37秒4 |
2 | エス・ゴールドスタイン(アメリカ) | 44秒0 |
3 | エス・マイルズ(イギリス) | 51秒2 |
第2級・完全マヒ25m平泳
1 | デラーナ(イタリア) | 31秒5 |
2 | デー・エリス(イギリス) | 32秒1 |
3 | イエゲル(オーストリア) | 34秒5 |
4 | パンパンキ(アメリカ) | 35秒8 |
5 | ボンタ(オーストラリア) | 25秒9 |
不完全マヒ・25m俯伏自由型
1 | ゼドラセック(ドイツ) | 27秒5 |
2 | アレスカ(アルゼンチン) | 29秒3 |
3 | ローゴー(イタリア) | 33秒4 |
第3級・完全マヒ・50m平泳
1 | ダブリュー・ソーレトン(イギリス) | 58秒0 |
2 | ダブリュー・ジョンソン(アメリカ) | 1分10秒1 |
3 | イー・シープ(アメリカ) | 1分14秒6 |
4 | アール・ホークス(アメリカ) | 1分16秒5 |
5 | ハー・ザス(ドイツ) | 1分21秒7 |
不完全マヒ50m俯伏自由型
1 | エーチ・バーケット(アメリカ) | 46秒3 |
2 | ジー・ウィリアムス(イギリス) | 50秒5 |
3 | エム・ダウ(オーストラリア) | 50秒9 |
4 | ケー・ピーナール(ローデシア) | 53秒5 |
5 | ジー・フーバー(オーストラリア) | 1分00秒1 |
第4級・完全マヒ・50m仰向自由型
1 | エル・マンソンビショップ(ローデシア) | 50秒0 |
2 | ジー・コン(アメリカ) | 53秒3 |
3 | ビー・ディッキンソン(イギリス) | 53秒9 |
4 | アール・マジュロ(アメリカ) | 59秒1 |
5 | ピー・スタントン(イギリス) | 1分00秒6 |
第5級・完全マヒ・50m仰向自由型
1 | ピー・ラムゼー(アメリカ) | 43秒5 |
2 | 青野繁夫(日本) | 1分04秒4 |
3 | ボソー(イタリア) | 1分10秒5 |
4 | デー、クルイデニエール(オランダ) | 1分10秒9 |
特別級・50m俯伏自由型
1 | プリンス(オランダ) | 37秒7 |
2 | ピー・ニューメン(イギリス) | 48秒0 |
3 | ケフテロビッチ(イスラエル) | 48秒7 |
4 | ペッケニーノ(イタリア) | 58秒3 |
5 | エル・ハルフォード(イギリス) | 1分02秒0 |
年少者級・25m平泳
1 | ペンアリ(イスラエル) | 58秒 |
第1級・完全マヒ25m仰向自由型
1 | ビー・ファウラー(オーストラリア) | 41秒0 |
2 | ビー・フラードー(アメリカ) | 55秒6 |
3 | エス・フロレスコ(アメリカ) | 57秒2 |
4 | マックルーカス(オーストラリア) | 1分11秒4 |
不完全マヒ25m俯伏自由型
1 | アール・ローゼンバウム(アメリカ) | 38秒4 |
2 | エス・ゴールドスタイン(アメリカ) | 1分07秒7 |
3 | エス・マイルズ(イギリス) | 1分22秒2 |
第2級完全マヒ25m仰向自由型
1 | デー・エリス(イギリス) | 30秒0 |
1 | エム・アレスカ(アルゼンチン) | 30秒0 |
2 | ジェー・フレンチ(オーストラリア) | 31秒6 |
3 | デラーナ(イタリア) | 33秒4 |
4 | エフ・ボンタ(オーストラリア) | 34秒0 |
5 | ビー・フォード(アメリカ) | 35秒2 |
不完全マヒ・25m平泳
1 | ローゴー(イタリア) | 34秒8 |
2 | ベントリー(イタリア) | 45秒3 |
第3級・完全マヒ・25m仰向自由型
1 | ジー・シープ(アメリカ) | 56秒4 |
2 | ダブリュー・ソーントン(イギリス) | 58秒3 |
3 | ダブリュー・ジョンソン(アメリカ) | 1分00秒0 |
4 | ピッシェ(イタリア) | 1分01秒3 |
5 | イー・フリースサール(オーストラリア) | 1分05秒1 |
不完全マヒ・50m平泳
1 | エム・ダウ(オーストラリア) | 59秒6 |
2 | ケー・バーケット(アメリカ) | 1分00秒2 |
3 | プランション(フランス) | 1分12秒9 |
4 | ジー・ウィリアムス(イギリス) | 1分13秒6 |
5 | ケー・ピーナール(ローデシア) | 1分15秒0 |
第4級・完全マヒ・50m俯伏自由型
1 | ジー・コン(アメリカ) | 42秒5 |
2 | エル・マンションビショップ(ローデシア) | 46秒9 |
3 | 牧岡節美(日本) | 49秒1 |
4 | 丸岡正宗(日本) | 51秒7 |
5 | ピー・スタントン(イギリス) | 54秒8 |
不完全マヒ・50m仰向自由型
1 | イー・オーエンス(アメリカ) | 40秒3 |
2 | テー・ハリス(アメリカ) | 43秒3 |
3 | ジェー・スニトースキー(アルゼンチン) | 46秒6 |
第5級・完全マヒ・50m平泳
1 | エス・ラムゼー(アメリカ) | 55秒1 |
2 | イグレシアス(アルゼンチン) | 59秒5 |
3 | ピー・クルイデニエール(オランダ) | 1分06秒4 |
4 | ガルファーニャ(イタリア) | 1分10秒3 |
特別級・50m仰向自由型
1 | プリンス(オランダ) | 44秒7 |
2 | ペッケニノ(イタリア) | 1分08秒2 |
3 | エル・ハルフォード(イギリス) | 1分11秒9 |
第1級・完全マヒ・25m平泳
1 | ビー・ファウラー(オーストラリア) | 45秒6 |
2 | エス・フロレスコ(アメリカ) | 1分36秒8 |
3 | フラード(アメリカ) | 2分10秒4 |
不完全マヒ・25m平泳
1 | アール・ローゼンバウム(アメリカ) | 49秒2 |
2 | エス・マイルズ(イギリス) | 1分17秒0 |
3 | エス・ゴールドスタイン(アメリカ) | 1分47秒1 |
第2級・完全マヒ・25m俯伏自由型
1 | デー・エリス(イギリス) | 29秒1 |
2 | デラーナ(イタリア) | 32秒9 |
3 | ブィ・ブレンケン(ドイツ) | 35秒6 |
4 | イヨット・イギゲル(オーストラリア) | 35秒9 |
5 | ジェー・パシパンキ(アメリカ) | 36秒8 |
不完全マヒ・25m仰向自由型
1 | ローゴー(イタリア) | 34秒4 |
2 | ゼドラセック(ドイツ) | 35秒0 |
3 | エーチ・アレスカ(アルゼンチン) | 35秒6 |
第3級・完全マヒ・50m俯伏自由型
1 | カー・ハーザス(ドイツ) | 51秒5 |
2 | ハー・シモン(ドイツ) | 52秒7 |
3 | ピシェ(イタリア) | 52秒9 |
4 | 原沢茂夫(日本) | 58秒1 |
5 | ダブリュー・ソーントン(イギリス) | 1分01秒4 |
不完全マヒ・25m仰向自由型
1 | エム・ダウ(オーストラリア) | 49秒7 |
2 | エーチ・バーケット(アメリカ) | 52秒5 |
3 | トーシ(アルゼンチン) | 56秒5 |
4 | ジー・ウィリアムズ(イギリス) | 1分07秒8 |
第4級・完全マヒ・50m平泳
1 | エル・マンソンビショップ(ローデシア) | 59秒4 |
2 | ビー・ディッキンソン(イギリス) | 1分00秒0 |
3 | ジー・コン(アメリカ) | 1分00秒6 |
4 | 磯崎吉蔵(日本) | 1分02秒8 |
5 | 丸尾正宗(日本) | 1分05秒7 |
不完全マヒ・50m俯伏自由型
1 | ジェー・スニトースキー(アルゼンチン) | 37秒5 |
2 | ジェー・ディズ(アルゼンチン) | 39秒2 |
3 | イー・オーエンス(アメリカ) | 40秒6 |
4 | マルソン(イタリア) | 43秒9 |
5 | ジー・ボブルウェル(南アフリカ) | 44秒9 |
馬尾神経マヒ・50m俯伏自由型
1 | ピーラムゼー(アメリカ) | 35秒9 |
2 | デー・クルィデニエール(オランダ) | 39秒9 |
3 | ロッシ(イタリア) | 45秒1 |
4 | 青野繁夫(日本) | 45秒3 |
5 | ガルファーニ(イタリア) | 45秒9 |
特別級50m平泳
1 | ハガグ(イスラエル) | 54秒9 |
2 | ケッテロビッチ(イスラエル) | 1分08秒7 |
3 | ベッケニーノ(イタリア) | 1分13秒0 |
4 | イブレシアス(アルゼンチン) | 1分14秒0 |
メドレーリレー
1 | アメリカ | 3分08秒2 |
2 | ローデシア | 2分42秒8 |
3 | イスラエル | 2分48秒5 |
4 | オーストラリア | 2分48秒8 |
5 | イギリス | 2分49秒6 |
女子
第1級 完全マヒ・25m仰向自由型
1 | イー・ミュレー(アメリカ) | 53秒4 |
2 | エム・ド・グロート(オランダ) | 1分34秒5 |
完全マヒ・25m俯伏自由型
1 | イー・ミュレー(アメリカ) | 59秒7 |
不完全マヒ・25m平泳
1 | エー・サマーセット(南アフリカ) | 55秒4 |
2 | ジェー・リットル(アメリカ) | 56秒8 |
不完全マヒ・25m仰向自由型
1 | ジェー・リットル(アメリカ) | 44秒7 |
2 | エーサマーセット(南アフリカ) | 1分04秒2 |
3 | エム・ド・グロード(オランダ) | - |
不完全マヒ・25m俯伏自由型
1 | ジェーリットル(アメリカ) | 53秒6 |
2 | エー・サマーセット(南アフリカ) | 58秒8 |
3 | イヌ・セーセン(南アフリカ) | 1分16秒5 |
第2級 完全マヒ・25m平泳
1 | エル・クーネル(オーストリア) | 42秒1 |
2 | エス・メースハム(イギリス) | 44秒2 |
完全マヒ・25m仰向自由型
1 | エル・クーネル(オーストリア) | 44秒7 |
2 | エス・メースハム(イギリス) | 45秒3 |
3 | マルチーノ(イタリア) | 57秒0 |
完全マヒ・25m俯伏自由型
1 | エル・クーネル(オーストリア) | 43秒1 |
2 | エス・メースハム(イギリス) | 46秒2 |
不完全マヒ・25m平泳
1 | エス・シセンズ(アメリカ) | 40秒7 |
2 | トーソー(イタリア) | 50秒7 |
3 | エス・カーベ | 58秒3 |
不完全マヒ・25仰向自由型
1 | トーソー(イタリア) | 38秒2 |
2 | エス・シモンズ(アメリカ) | 40秒9 |
不完全マヒ・25m俯伏自由型
1 | エス・シモンズ(アメリカ) | 35秒1 |
2 | トーソー(イタリア) | 38秒1 |
3 | エスカーべ(イタリア) | 51秒2 |
第3級・完全マヒ・50m平泳
1 | イー・ガーラント(オランダ) | 1分34秒3 |
2 | ブイ・フォーダー(イギリス) | 1分36秒3 |
3 | ジェー・ロートン(イギリス) | 1分37秒4 |
完全マヒ・50m仰向自由型
1 | ブイ・フォーダー(イギリス) | 1分02秒4 |
2 | ジェー・ロートン(イギリス) | 1分32秒0 |
3 | イー・ドリースラー(オーストリア) | 1分36秒0 |
完全マヒ・50m俯伏自由型
1 | ジェー・スレード(アメリカ) | 1分05秒0 |
2 | ブイ・フォーダー(イギリス) | 1分47秒2 |
3 | イー・ドリースラー(オーストリア) | 1分53秒5 |
不完全マヒ・50m平泳
1 | エル・ジルクリスト(ローデシア) | 1分03秒3 |
2 | エ・モナーコ(イタリア) | 1分14秒1 |
3 | ジェー・ハウ(アメリカ) | 1分18秒1 |
不完全マヒ・50m仰向自由型
1 | エル・ジルクリスト(口ーデシア) | 51秒2 |
2 | イー・コックス・ジェー・ハウ(アメリカ) | 1分05秒6 |
3 | ジェー・ハウ、イー・コックス(アメリカ) | 1分09秒0 |
不完全マヒ・50m俯伏自由型
1 | エル・ジルクリスト(ローデシア) | 46秒3 |
2 | イー・コックス(アメリカ) | 1分02秒8 |
3 | ジェー・ハウ(アメリカ) | 1分08秒0 |
第4級・完全マヒ・50m平泳
1 | ピー・ファウルズ(イギリス) | 1分51秒1 |
完全マヒ・50m仰向自由型
1 | ピー・ファウルズ(イギリス) | 1分04秒7 |
完全マヒ・50m俯伏自由型
1 | ピー・ファウルズ(イギリス) | 1分52秒0 |
不完全マヒ・50m平泳
1 | エーチ・チェーフィー(アメリカ) | 1分07秒9 |
2 | アール・ヒクソン(アメリカ) | 1分24秒9 |
3 | イ・モナーコ(イタリア) | 1分24秒9 |
不完全マヒ・50m仰向自由型
1 | アール・ヒクソン(アメリカ) | 1分14秒2 |
2 | エーチ・チェーフィー(アメリカ) | 1分22秒7 |
3 | イ・モナーコ(イタリア) | 1分23秒2 |
不完全マヒ・50m俯伏自由型
1 | アール・ヒクソン(アメリカ) | 1分19秒3 |
2 | イ・モナーコ(イタリア) | 1分22秒4 |
3 | エーチ・チェーフィ(アメリカ) | 1分34秒4 |
馬尾神経マヒ・50m平泳
1 | ケー・エドモンソン(オーストラリア) | 1分04秒6 |
2 | シー・ベルガー(アメリカ) | 1分10秒4 |
3 | エム・ギブス(イギリス) | 1分11秒0 |
50m仰向自由型
1 | ケー・エドモンソン(オーストラリア) | 50秒8 |
2 | シー・ベルガー(アメリカ) | 54秒2 |
3 | テー・シーニー(オーストラリア) | 56秒4 |
50m俯伏自由型
1 | ミスハー二(イスラエル) | 1分07秒8 |
2 | アール・ローゼンバウム(イスラエル) | 1分25秒2 |
特別級・50m平泳
1 | エス・コシェッティ(アルゼンチン) | 46秒7 |
2 | ファローコ(アルゼンチン) | 1分04秒04 |
3 | ミエール(アルゼンチン) | 1分05秒4 |
第5級・完全マヒ・50m俯伏自由型
1 | ケー・エドモンソン(オーストラリア) | 39秒7 |
2 | テー・シーコー(オーストラリア) | 40秒1 |
3 | シー・ウォルガー(アメリカ) | 51秒4 |
トロフィー二重受領者
槍投、男子 | B級、プロスル(ドイツ) | - | 20.00m |
槍投、女子 | A級、トーソー(イタリア) | - | 9.60m |
槍投、女子 | D級ジーンロックハット記念カップ、 | ミスハーニ(イスラエル) | 15.50m |
棍棒投 | 最高記録ベルギーカップ | アール・スタイン(アメリカ) | 41.63m |
円盤投 | 最高記録、スポーツ医学カップ | アール・スタイン(アメリカ) | 36.98m |
槍投 | 最高記録、ジェームス・フォアトロフィー | アール・スタイン(アメリカ) | 26.70m |
砲丸投 | 最高記録、I・N・A・I・Lカップ | アール・スタイン(アメリカ) | 96.9m |
水泳優勝チーム | アロージョガリオン船および賞状 | アメリカ | - |
卓球、男子、A1級、ダブルス | - | エム・ド・グロート、 ジェー・ジャコブス(オランダ) |
- |
卓球、男子、A2級、シングルス | 日本総理大臣トロフィー | テー・テーラ、(イギリス) | - |
弓、女子、P・I・T・Aラウンド | 日本厚生大臣トロフィー | エム・ハリマン(ローデシア) | 669点 |
棍棒投、女子A級 | 東京都知事トロフィー | エム・シィーバー(オーストラリア) | 17.31m |
主題:
パラリンピック 東京大会報告書 No.4
194頁~229頁
発行者:
財団法人 国際身体障害者スポーツ大会運営委員会
発行年月:
昭和40年8月1日
文献に関する問い合わせ先:
財団法人 国際身体障害者スポーツ大会運営委員会