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幼児の集団指導-新しい療育の実践-

第2章 発達と療育

はじめに

 私自身、もともと整形外科医という職業人になるために、五味先生と同じ医局で、後輩として、養成訓練を受けていた。その一環として、昭和27年から33年まで5年余り、当時高木憲次先生が園長をしておられた板橋の整肢療護園で働いていた。

 当時の脳性マヒ児

 そのころの肢体不自由児施設の子どもたちは、ポリオや、先天性股関節脱臼や、骨関節結核が中心であったが、すでに整肢療護園に限っては、脳性マヒ(1)と呼ばれる子どもたちも大勢いた。今からみれば脳性マヒとしては比較的軽い子どもたちが選ばれて入っていたわけである。一目中ベッドに寝かされている病気の子どもたちと違って、脳性マヒと呼ばれる子どもたちは、いつも廊下をはいまわったり、庭に出たり、仕事をしている我々の足にからみついたり、同じ食堂でいっしょに食事をしたり、という意味で、大変身近な存在であった。

 その後の消息

 今その子どもたちの大半は30歳を過ぎている。小柴資子さんのように、福祉の領域で精一杯動き回って本を書いたりしている人もいる。横塚君たちのように団体を組織して“さよなら CP”という映画を作ったり、川崎の駅前でバスを止めたりという出来事にみられるように積極的な運動をしている人もいる。おそらく大部分は、働きたい、お金がほしい、出歩きたい、仲間がほしい、話し相手や恋人がほしい、人として粗末にされたくないと心の中で叫びながら、どこかでテレビでも相手に、じっと我慢の暮しをしていることであろう。

 思うこと

 それから約30年、世の中の動きを振り返ってみると、いろいろ思うことがある。中にはほのぼのと心あたたまるようなおもいもあるが、胸の痛むこと、腹にすえかねることがやたらに多い。どうしてこんなことになってしまったのであろうか。我々はいつどこでどういう誤りを犯してきたのであろうか。

1 脳性マヒ

 脳性マヒと呼ばれる子ども

 脳性マヒと呼ばれる子どもは、子どもであり成長しつつある一人の人である、ただ、生きていく上での条件が少し違っている人なのである。本質的にどこかが違うかということは、医学的にも心理学的にも決して十分よくわかっているわけではない、大まかにいえば、体の“でき”が少し違っているのであり、もう少し細かく言えば、中枢神経系の“でき’’が少し違っているのである。多くは胎生早期の中枢神経系の形成の途上にトラブルが起こり、その後のできが少し変わってきたという状態の子どもである。そのような独特な身体的な条件を持った子どもであり、そういう状態におかれている子どもである。したがって脳性マヒというのは、元来、西洋医学的にいう‘‘病気”ではない、脳性マヒという条件を持って生まれた子どもなのであって、その子どもが生きている間に脳性マヒでなくなるということはない。

 育児・保育

 そのように生まれついた(born that way)(2)子どもを我々の社会でどう受け入れ、互いにどうかかわりあって共存共栄していくかということが課題である。
子どもを育てることを、育児とか保育などと呼ぶ。育児や保育の根本は、全面発達の保障ということである。その子どもの成長発達にとって最も好ましい状況や活動を用意し、その子どもの可能性ができるだけ十分開かれ、伸ばされるように配慮することである。これはその世代の大人の責任である。これは、その子どもの人種の違いや、身体的な条件の違いがあっても基本的には変わることはない。たとえば、その子どもが白人社会の中の黒人であっても、黄色人種の中の脳性マヒ児であっても、変わることはない。人としてのその子どもにまず必要なのは、その子どもの全面発達を保障する育児・保育プログラムである。

 特殊配慮

 子どもの身体的な不都合な条件ないし肢体不自由症というものを考慮に入れた場合、それについては、人としてのその子どもの成長発達にとって、その条件や制約にできるだけ邪魔されずにのびのび生きられるように格別の配慮を加える必要がある。ただしこれは、まず全面発達のための保育のプログラムがあり、その一部として、それに含まれるものとして、そのような特殊配慮が位置づけられるべきである。

 要幼児

 その意味でこの子どもたちは特別な配慮を必要としている子どもであり、“要幼児”(お茶の水女子大学児童学科、要助児研究会)と呼ばれるのは妥当である。その後の生活においては、このような育児・保育・福祉の保障の上に立って経済的な援助が与えられ、働く喜びが得られるような配慮が加えられるべきである。

 幼児集団指導

 東京の日本肢体不自由児協会中央療育相談所でここ何年来行われてきた幼児集団指導(3)のプログラムは、その意味で肢体不自由児療育事業の根本理念に即したものであり、療育プログラムの本流を成すべきものであると考える。ほかにも形の上では同類の、類似の活動や機関が多いので紛らわしいが、この肢体不自由児協会の幼児集団指導の活動は、基本的な原理、指導の体制、チーム作り、活動の内容等において極めて優れている。これが今後の療育事業の中心として滅びることなく継続されることを心から願うものである。

2 考え方の流れ

 病気扱い

 我が国における療育事業の流れ、療育思想の流れを考えてみると、上記のような道をたどっていたとは言えない。いろいろな点で理念的にも現実的にも妥当性の薄い、ゆがめられたものになってきているように思われる。どうしてそうなってきたのか、という経過について、私が感じとってきた印象を中心に私見を述べてみよう。
過去数十年間に及ぶ脳性マヒと呼ばれる子どもたちに対する療育事業の内容をみると、この子どもたちは人として子どもとして扱われる前に、西洋医学的に言う“病児”であるかのように扱われ医学的治療や訓練の対象として考えられてきたきらいがある。そして療育プログラム全体が、そのことを中心に仕組まれてきているように思われる。

 整形外科医

 このことは、最初に脳性マヒの問題に取り組みその対策を組織化しようと努力した人たちの中心人物が、整形外科医であったことと関係が深いと思う。これは我が国だけでなく、西欧諸国においても同様である。私自身、整形外科医としての医療の仕事を離れて子どもをみていた期間が長くなるにつれて、このことが大変気になっている。歴史的にみて、常に政策や計画を立てるグループの中心に整形外科医がいたという事実には、格別な理由があるとは思えない、はじめにこの問題に注目し、問題を認識し、対策を考えたのが、整形外科医以外の人でなかった、というだけのことである。

 西洋医学と病気

 整形外科学は、現在では骨関節外科と同義語であるかのように理解されている。そして西洋風臨床医学の一分野として位置づけられている。もともと西洋医学というのは、人間のからだの病気を治すことをその使命にしている。その領域では、他の臨床医学分野と同様、一種独特の考え方が行きわたっている。ひとつは、測定ないし観察しうる事実をもとに、あるところで一線を画して、健全な状態と病的な状態とを区別するという習慣である。その判断は個々の事例に即して免許をもった医師が行うものであるが、その判断の結果、医学的正常と医学的異常が区別される。そして医学的異常に対しては、医学的診断名が与えられる。したがって、しばしば臨床医学的には病気とは言いきれないような一種の状態、たとえば老化とか、高血圧とかいう状態に対しても、これを異常と判定し、“病気”の枠組みに入れてしまう習慣がある。

 訓練

 ご承知のように、臨床医学的治療の中心的手段は、注射、包帯・手術・投薬などの方法である。そのような考え方や仕事の運び方で最も大きな成果をあげることができたのは、細菌性伝染病などのような分野であろうと思われる。しかし脳性マヒというような状態に対しては、西洋医学的な手段は、大変無力であった。これは事柄の性質から考えて、むしろ当然のことというべきであろう。病児の病気を治すというのと同じ考えで脳性マヒの子どもをみる時、身体的な障害をできるだけ軽くし、正常な運動機能の状態に近づけることが主な仕事になる。そこで脚光をあびてきたのが、“訓練”という概念である。医師が、手術・投薬・包帯等の手段で十分効果をあげることができず、その残った障害こ対する医学的な方法のひとつとして、訓練ということが大幅に取り入れられるようになってきた。その部分を医師にかわって、医師の仕事の手伝いとして担当する職種ということでデビューしたのがPTである。

 しろうと考え

 しかし、よく考えてみると、訓練効果に見通しがあるから始められたというよりは、目の前に運動機能に障害のある、医学的には異常と判定される状態の子どもがおり、従来の臨床医療の中心的手段では、それを治療に導くことが困難なので、訓練という方法にすべてを託すという発想がそこにはある。これは見方によっては、医師という専門職の“しろうと考え”であるということもできよう。このような出来事は、世の中には色々あるものである。同じしろうと考えでも、白衣を着た医師の口から出てくると、医学的根拠のある理論であるかのように聞こえるものである。異常を治すための訓練というよりは、障害があるから訓練をするのであり、できないから訓練をするのであるという考え方に傾いてきている。

 できないから訓練

 “できないから訓練”という考え方は、人間の発達保障とか福祉とかいう考え方からみると極めて危険である。“できない”からという理由で訓練などされたら、やられる方はたまったものではない。できないという理由で100メートルを10秒以内で走る訓練や、すずめのように空を飛ぶ訓練などされた場合をお考えいただけばよくわかると思う。

 統計的平均と本人にとっての“正常”

 医学的正常、異常の切れ目をどのようにして設定するかということの根拠には、統計的にみた平均的な人間のからだの機能というものが、その基礎にあることを忘れてはならない。
運動機能などに関しては、本人の持ち前の能力が十分発揮されていさえすれば、結果が100メートル10秒であろうと3分であろうと3時間であろうと、それはその人にとっての100点満点の100点なのであり、その人にとってはそれが正常な状態なのである。西洋医学では統計的平均に遠いことは“異常”であるかも知れないが、その人にとっては、その人の持ち前の能力が発揮されている限り、それはその人にとっては異常ではない。したがって西洋医学的正常・異常という概念をそのままそっくり、その“人”の生活全体に持ち込むことは大変非人間的な考え方であるといわねばならない。持ち前の能力が十分に発揮されている状態を正常と考え、十分発揮しきれない状態にいることをこそ問題と考えるという新しい考え方が、人間学の中には厳然としてなければならない。

 医療補助職員

 訓練という概念が療育の中心にすえられ、しかも臨床医療の中心的手段の効果が十分でないことがはっきりしてくるにつれて、療育の仕事は、次第に整形外科医の手から離れ、PT、OT、看護婦等のいわゆる医療補助職員の仕事の重みが重くなる方向に動いてきている。にもかかわらず、現在の全国にある肢体不自由児施設の施設長はほとんど整形外科医であり、肢体不自由児施設の収入源の中心は、医療の名のもとに行われている訓練その他の活動を医療点数に換算した医療費という形で入ってくる。肢体不自由児施設におけるチームのメンバーの多くは、保母、ケースワーカー、心理職、指導員、その他医学的な診療報酬の対象として点数に換算することが認められないような種類の活動をしている人たちになっている。そのために当然の結果として、肢体不自由児施設は最も経営の苦しい種類の、貧しい医療機関ということになってしまう。

 高木先生

 高木憲次先生ご自身は、早くからこのような行き方の弊害には気づいておられ、しかも、療育事業の本質についても、深い見通しと理解を持っておられたように思われる。常に整形外科的な手術等の乱用を戒めておられたし、一方では、当時のわれわれ医局員の不満や驚きをよそに、なけなしの予算の中から多額のお金を支出して“のぞきめがね”その他、当時の医療器具としては、大変奇異に感じられる高価な道具だてを数多く購入されている。これらはいずれも、子どもが主体的にかかわり、自分から進んで活動することを通して、子ども自身とその肢体の運動機能の向上を意図されていたものであり、子どもを病児としてではなく、保育の対象としてみるという考えをしっかりと持っておられたように思う。
しかし、世の中の趨勢と非医療臨床職の弱体と当時の行政機関の仕組みなどに押されて、肢体不自由児施設は医療と訓練によって生産戦線に復帰できる子どもをつくり出すための、経営困難な貧しい医療機関として、今日まで生きながらえてきている。

3 教育

 教育の導入

 脳性マヒと呼ばれる子どもたちに、そうでない子どもたちと同じように、教育の機会が与えられるべきであることは、脳性マヒと呼ばれる子どもたちを身近に知っている人たちには早くから気づかれていた。ところが、教育の領域自体から、この子どもたちに注目してくれる人はほとんどいなかった。したがって、医師の側から働きかけて、教育を肢体不自由児施設の中に導入するのに、大変長い時間と努力が必要であった。高木先生は多くの屈辱と困難に耐えながら、先頭に立ってその努力をされたことを、私は身近に見ていてよく知っている。

 学校教育の仕組み

 しろうとの目からは、教育というものは本来子どもの持っている能力がフルに伸びるのを手伝う仕事なのではないかと思われる。しかし、現実の教育体制は、学校教育という形をとり、国家管理のもとにあり、平均的な能力を持ったほぼ均質の同年齢層の集団を組織し、一方的に政府の決めた画一的教科課程を子どもに押しつける組織的な機関になっている。平均児のための定食コースを実施する機関だとすれば、脳性マヒと呼ばれるような平均から離れたところにいる子どもたちに手が届かないのは、当然のことであろう。

 学校教育への取り込み

 しかし、施設の数が増え、その子どもたちの数が意外に多いことが知られ、しかも教育体制から全く取り残されていることが広く世の中に知られるにしたがって、教育関係者がこの子どもたちの問題を放置するのが、具合いがわるい事態になってきた。そこで学校教育の中にこの子どもたちを取り込むことが考えられ、特殊学級ないし養護学校という形で、特別な枠組みが用意され、そこに子どもたちを収容するという形態がつくられるに至った。いったん形態がつくられると、国家管理下にある教育体制の中では、その面の教育対策が急激に、組織的に、全国的な規模で進むのが普通である。

 病名に従う教育

 そのようにして学校教育体系に取り込まれたこの種の子どもたちは、まず医学的診断名で呼ばれる。西洋医学教育を受けた医師の分類による医学的診断名で分けられ、それぞれの臨床医学的診断名のついた子どもたちには、いかにもそれぞれ別々な教育があるかのような、幻想が生まれ、それが行政的に裏付けられ、そのような教育措置が次第に当然のこととして確定されてきている。
肢体不自由児と呼ばれる子どもたちには、肢体不自由児教育という特殊な分野があるという理念が、先に固められ、それから後で、それに従事する職員が採用され、そしてその路線に乗って特殊教育が動き出し、急速に広まったということである。制度的には、そのようにしてできた学校の中で、あらためて“ひとりひとりの子どもを伸ばす教育をしよう”という努力が行われているのが現状というわけであろう。

 特殊教育のふしぎ

 一方では肢体不自由の有無や軽重によって就学の基準や行く先の学校が変わったりする。何が“できる”かに基づいてではなく、何が“できない”かに基づいてその子どもの教育措置が考えられたりする。肢体不自由症が重いという理由で肢体不自由児の教育の場がら除外されたりするという奇異な出来事などが、常識のように起こるという事態になっている。学校ができれば、学校の管理上の都合によって事が処理されていく。何よりも不思議なのは西洋臨床医学診断名に基づいて、子どもの教育の分類が行われたりしていることで、これは教育、とくにいわゆる特殊教育の場に専門職として働いている人以外にとっては、大変わかりにくい、不思議なできごとである。

 臨床教育学的判断の必要性

 もし教育上特別な診断名や分類が必要だとすれば、しっかりした教育的な根拠に基づいた臨床教育学的診断や分類が行われるべきであり、そこにはその子どもについての教育的な判断が成立していなければならない。しかし現在の学校や教師には、その子に即した教育的な判断をするという主体性がないようである。現行の公教育制度の中では、教育を担当する教師がその子どもについての教育的な判断をするという、教師の専門職業的主体性が完全に奪われてしまっているように思われる。これは実に驚くべき、重大な問題である。

4 保育

 訓練としての遊び

 肢体不自由児施設には、このほかに保母、指導員などと呼ばれている職種の人がいる。この人たちは、まさに子どもの保育を担当し、人としての子どもを育てる職業なのであるが、もともとは医師の側からの招きにより、主として子どもの暇な時間を担当する職種として雇われた人たちである。
保育プログラムの中では、当然子どもの遊びの問題が取り上げられるが、それも訓練としての遊び、身体的な機能を向上させるための手段としての遊びという面に重点が置かれがちで、人としての子どもの、生活としての遊び、子どもの生活の場としての保育室というふうには必ずしも受け取られにくい雰囲気の中で行われている保育である。

 保育者の立場

 その上、前にも述べたように、保育、児童指導というプログラムは、現在の医療体制の中では診療報酬の対象としては認められないので、施設全体の枠組みからいうと、主として医師、看護婦、PTなどがかせいだお金を消費する側の、収入を伴わない活動として位置づけられる結果になる。チームのメンバーがどう変わろうと常に整形外科医がキャプテンという体制の中では、なかなか本来の意味の保育プログラムは育ちにくい。障害を軽くするための訓練としての遊び、訓練としての保育というふうな考え方の方に引き付けて保育計画が立てられると、’どうしても子ども自身の内発的な能力の発達や全人的な保育・教育プログラムは育ちにくい。その上保育というプログラム自体が収入につながらないような形で行われ、役所機構の中でもあまり尊重されないプログラムとして位置づけられているのでは、どうしても本来の仕事がやりにくいのは当然であろう。

 チームの中心

 保育者が常にチームの中心にあり、必要に応じて医療関係者、その他の臨床専門職が招かれて参加するチームであり、子どもに即して、その子どもの指導計画をその子どもに即して他のチームのメンバーと協力しながら活動を進めることにより、それぞれのチームのメンバー自身の専門性が育ち、ひとりでに役割がはっきりし、それぞれが職業人として成長することにつながるような、そういったチームでなければなるまい。医師の行うべき医療の一部を肩代りするために雇われる専門職であったり、保育を医療目的に提供する職員であったり、子どもの暇な時間を担当して事故なく過ごさせることを使命としている職員であったりしては、本当の意味のチームとは言えない。

5 言語治療

 言語の面でも

 ことばの問題についても、言語臨床家ないし言語治療士という専門職を雇って指導に当たらせるということがだんだん広く行われるようになってきている。この領域でも、これまでに述べてきたのと同じような歪んだ現象が如実にみられている。すなわち、基本的な考え方として、脳性マヒの場合の言語障害は脳性マヒでない子どもの言語障害とは違って、主として呼吸発声構音器官等の身体的な器官の運動機能の障害に伴って起こる言語の不明瞭さであり、したがって、発語器官の運動機能を向上させるための訓練が言語の治療の基盤をなすべきものであるという考えである。

 言語の訓練

 このようにして、ローソクやピンポン玉や巻笛等を使っての呼吸運動のハードトレーニング、各種の食べにくい食べものを使っての、吸うこと、噛むこと、のみこむことの訓練等が広く行われている。このように訓練すれば、そのぶんだけ、発語器官の運動機能が向上する可能性が十分あるからというよりは、むしろ“できない”から訓練する。不明瞭であるからより明瞭にするために訓練をするという発想が根底にある。医療と同じ考え方である。

 ことばの発達

 ご承知のように、いわゆる“正常”にことばを話してる人たちの中には、訓練を通してことばを覚えた人はほとんどいない。ことばはいつの間にか、子どもの中からはえてくるかのように、あるいは、植えられた球根から芽がはえるかのように、自然に、ひとりでに、子どもの身についてしまうものである。どういう条件がそろえば、そのようにひとりでに自然にことばが育つのかという根本的な問題の解明が十分できているわけではない。にもかかわらず、“できないなら”“できないから”訓練”という考え方の方が先行してしまっていて、それが子どもたちを追い立てているわけである。

 ことばの保育

 子どもの中から、ひとりでにはえてくるかのように、自然にひとりでに身についてくる言語がどうしてこの子どもの場合にはそういかなかったのかを考え、順調な発達を阻害している条件をできるだけ取り除いて、ことばがその上に育ちやすい状況や活動を用意することこそが、本来、言語治療の本流であるべきであるし、それはまさに、人としての子どもに対する保育の理念と全く共通したものである。「はっきり話せないから吹く訓練」というような考えは、「歩けないから歩く訓練」ということで子どもにがんばりを要求するPTと同じように、反人間的な残忍さを含んだ発想だといわねばなるまい。

 発達の人間関係的基盤

 子どもの言語能力がどのようにして身についてくるものであるかについては、ごく最近の20年間に多くの発見がなされている。
そのひとつが、乳児期からの母子相互関係の成立、充実、発展がその後の言語獲得過程に不可欠な基盤を成しているということである(4)(5)。乳児は、生まれてすぐから、よく泣く。泣いたり動いたりする。すると、母親は乳児の泣き声や体の動きや表情に動かされて、子どもの世話をする。泣けばなんとかして機嫌を直そうとする。ご機嫌になれば、母親もホッと安心し、語りかけたりあやしたりして喜ばせようとする。泣いた-世話をした-泣き止んだ、ご機嫌が直った-あやした-喜んだというできごとが、人生最初の1~2か月に、繰り返し繰り返し毎日起こる。そうすることを通して、はじめて、母親の気持ちの中に“この子はかわいい、自分の子だ”という母親としての実感がわいてくる。子どもの方には、母親になつき、母親を頼りにするという心が育ってくる。この間、母親はいつでも、子どもの不快感を取り除き、不安をしずめ、安心させ、喜ばせることだけを思っている。

 最初の1年

 この人生最初の1年間というのは、人の一生の中でも本当に珍らしい、すばらしい教育が行われる時期である。子どもは何をやっても決して頭から叱られることはない。何をしても、それをすべて、良いこととして全面的に受け入れてもらって、励まされている。そういう体験を通して、子どもには、ただもう母親のそばにいるだけで安心であり、母親の顔を見ているだけで楽しい、という気持ちが育ち、母親との間に絶対的な相互信頼依存関係が成立する。
すると、そこに成立した関係を基盤に各種の発展が表れ、人や環境に対する積極的な興味や関心、人に働きかけたいという積極的な意欲、自分で何でもしてみたいという自発性、友だち遊びの能力、人の言うことに耳を傾けて聞こうとする態度、聞き分け、人の気持ちを察する能力、模倣能力、学習能力等がひとりでにめばえてくる(5)(6)

 関連知見

 最近では、出産の方法(7)をも含めた出産直後からの母子のやりとりがきわめて重要であるということが、はっきりしてきている(8)。また生後最初の1年の母子のやりとりにおいては、子どもからの泣くその他の信号が親に伝わることが、親の育児行動を誘発するきっかけになっているということもはっきりしている。そして何よりも、このような母子関係を通して育つ安心感の貯えの量がその子どもの意欲や積極性を規定するものであることも知られている。そして、そのような母子関係がうまく成立しないと、その後の社会的、対人的行動やコミュニケーション能力の発達が著しくひずみ、遅れ、自閉的、情緒障害児的、脳損傷児的行動となって現れることもよく知られている。このことは、昔の乳児院等でみられたホスピタリズムや、サルの隔離飼育実験によって裏書きされている。これは、脳性マヒ、盲、ろう、精神薄弱などの条件を持った子どもにも、そうでない子どもにも共通した、むしろ哺乳類全体に共通した、生物学的な基本原理である 。

 療育の本流

 要するに、ある種の関係状況なしには子どもの成長発達は塁めないということであり、出生以来生涯にわたって、その時その人が成長発展しやすい関係を保障する活動こそ、育児や保育や療育の本流である、ということである。
これは乳児保育を考える場合でも、障害児の療育、中学生のカウンセリング、老人の福祉など、人間の発達や福祉を考える場合の根本である。その意味でも、日本肢体不自由児協会中央療育相談所の幼児集団指導のプログラム(3)が継続され、その活動がますます発展し、療育の基本理念の確立、臨床技法の開発、人材の養成に寄与してくれることを心から願うものである。

(田口 恒夫)

参考資料

(1)五味重春「脳性マヒ児のリハビリテーション」一医学書院、1976
(2)E.R.カールソン、天野・岡本共訳「この星の下に」葵書房、1965
(3)日本肢体不自由児協会編「幼児集団指導」Vol.1~Vol.8 1970~1978
(4)田口恒夫編、言語臨床研究会「言語発達の臨床第1集」光生館、1974
5)田口恒夫編、言語臨床研究会「言語発達の臨床第2集」光生館、1976
(6)田口恒夫編、増井美代子「ことばを育てる」日本放送出版協会、1976
(7)フレデリック・ルボワイエール、村松博雄訳「暴力なき出産」KKベストセラーズ、1976
(8)A.モンタギュー、佐藤信行・佐藤方代共訳「タッチング」株式会社平凡社、1977

主題・副題:幼児の集団指導---新しい療育の実践--- 17頁~頁29