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ピョートル・パウウォフスキー

マハ・ヘラリインテグラツィア協会友の会/ポーランド
1996年よりアショカ・フェロー

障害者のためにポーランドをどう変えるか?
ピョートル・スタニスロースキー著
フィリップ・アール・スティール英訳

ポーランドの統計データ

人口3800万人を超えるポーランドはヨーロッパの中心部に位置し、旧共産圏の国々で20年来起きている社会的、経済的な変革においてリーダー的な存在といえる。ポーランドは2004年からEUのメンバー国である。2004年の公式な統計(中央統計局2004年)によると、人口の16%(620万人)が障害の影響を受けている。すなわち、ほぼ7人に1人のポーランド人が大なり小なり障害で苦労している。

ポーランドの障害者

ポーランドの障害分野に対する大きな変化は、第二次世界大戦後、ソビエト圏で初の民主的な政府が樹立された1989年の共産主義の崩壊とともに始まった。新政府は障害者を行動的にするよう企画した改革、特に「1997年8月27日、障害者のための職業、社会的リハビリテーションおよび雇用に関する法」を導入した。またたとえば1994年8月7日の建築法など、障害者のニーズに応える新たな法律や条例が生まれたので、何千もの障害者団体や協会が国中で設立された。

ポーランド人の経済活動に関する統計によると、障害を持つポーランド人の教育レベルは依然としてもっとも低くなっている(出典:BAEL)。多くの障害者(約68%)の最終学歴は、小学校か中学校、もしくは職業訓練校に留まっている。かろうじて25%以上の人が高校までの教育を終了した。高等教育に進んだポーランドの障害者は約6%である。

労働市場をみても、状況はそう変わらない。(EUのプログラムのおかげで)障害者の雇用は最近少し増えてはいるものの、他のヨーロッパ諸国と比較すると半分ほどの割合にすぎない。統計によると、18-64歳の障害者のうち、仕事に就いているのは20.5%で、そのほとんどが比較的軽度な障害である(出典:BAEL2009年上四半期のデータ)。

しかし障害者の状況やニーズに関する認識は、徐々に高まってきている。多くの都市が低床路面電車やバスを採用し始めている。つい数年前まで、ポーランドの大都市における公共交通機関のバリアフリー化率はたった10%であった。それが今や、都市部の半数以上の車両がバリアフリー対応となっており、中には80%以上の割合を占める都市もある。低床バスや路面電車しか採用しない都市も増えてきている。建築物がバリアフリー化された環境を作ろうとする変革も進んでいる。労働市場でも、障害者に門戸を開く事業主が増えてきた。特別なニーズが必要な生徒を受け入れる学校が増え、そのいくつかには統合学級がある。未解決の問題も多くあるが、建築法と選挙法が改正され、国会で採択されれば、現状の変革はさらに進むだろう。

ピョートルのプロフィール

ピョートル・パウウォフスキーは、16歳で自分の人生が劇的に変わるとは想像もしていなかった。夏休みのある日、彼はワルシャワ近くの川に頭から飛び込み背骨を折ってしまった。そしてほぼ全身麻痺の状態になった。それ以来、車いすでしか行動することができない。彼は統合中等教育では個人授業を受けた。卒業後、ワルシャワにあるカトリック神学アカデミー(現在のステファン・ヴィシンスキ大学)において教育学を学んだ。その後、ワルシャワ大学で倫理学と哲学の修士課程を終えた。さらにポーランド科学アカデミー哲学・社会研究所の博士課程に進んだ。彼の他の探求の一つは、日本語を勉強することだった。実際、彼は将来翻訳家になろうと考えていた。しかし、彼自身を含む多くの障害者が自立生活を営むことを妨げる障壁と何年間も闘ううちに、結局、彼はポーランドの障害者の完全な社会参画を実現するために人生を捧げることを決意した。

障害を持つ人が社会で普通に生きていけるようにすることが、彼の情熱であり、使命となった。1994年、彼はポーランドの障害者が直面する問題や困難に光を当てるために「インテグラツィア(社会統合)」という雑誌を創刊した。1年後には、「インテグラツィア協会の友人」を立ち上げた。それ以来、障害者の完全な社会参画の達成を支援する新たなパートナーや友人の輪が広がっていった。彼の組織は100名以上の従業員を抱えるほどに成長し、今やポーランドでもっとも有名な障害者団体のひとつとなった。

ピョートル・パウウォフスキーは、団体を通じて多くの全国的な啓発キャンペーンを仕掛けていった。これらのキャンペーンは、障害者をはじめ、他の人々が直面する重要で具体的な問題に懸命に取り組むため、メディアを利用した。実質的には、そのすべてがステレオタイプ的な障害者に対する誤ったイメージを覆し、障害者と接する新たなスタンダードを提示した。中でも印象に残るキャンペーンを挙げると、以下のものがある。「PlytkaWyobraznia-to kalectwo(浅はかな考えがあなたを障害者にする)」、若者に状況を理解せず水に飛び込む危険性を訴えたもの。「Czynaprawdechcialbysbycnanaszymmiejscu?(それでも私の場所が欲しいですか?)」、障害者専用の駐車スペースの問題を取り上げたもの。「Ploskabezbarier(バリアフリー・ポーランド)」、ポーランドの都市におけるアクセシビリティを推進するもの。「Sprawni w Pracy(働ける)」、障害者に働く意欲と、事業主に障害者雇用を呼びかけるもの。

ピョートル・パウウォフスキーピョートル・パウウォフスキー

彼のもっとも輝かしい功績の一部は、

1)障害者コミュニティにとって重要な問題を取り上げる、ポーランドで最大の雑誌の創刊(発行部数40,000部)
2)国内最大の障害者問題に関するポータルサイトの立ち上げ(閲覧数月20万)
3)ポーランドの主要都市におけるインテグラツィア情報・相談センターの設置
4)ポーランド公共放送で週1回の障害者に関する番組の放映のロビー活動の成功
5)障害者が直面する課題に対するポーランド最大のメディア・キャンペーンの開始と実施

ピョートルの活動の核をなすもの

社会的にも、個人的にも障害者の生活を変え、また彼らが普通の生活を送れるよう手助けをすることが、ピョートル・パウウォフスキーの事業の目的だ。

この取り組みは2つの重要項目がある。ひとつは、障害者を直接対象にしたもの。障害者が積極的に仕事を探し、職業訓練に参加し、教育を受けること。そして、他者に依存することなく自立し、障害者が幸せになることを目的とした活動やイニシアチブ、そしてキャンペーンである。この一連の目的達成に使われたのが、雑誌「インテグラツィア」や関連書籍の出版、ポータルサイト、ポーランドのいくつかの都市にある5か所のインテグラツィア・センターである。各センターでは研修や情報提供を行い、法的・心理的なカウンセリングサービスを実施している。また、ポーランド公共テレビで毎週放送される番組は、重要な位置を占めており、現在様々なメディア・キャンペーンと一緒にインテグラツィアはドキュメンタリーを準備している。

ピョートルの仕事でふたつ目に重要なことは、障害者の近くに暮らす幅広い人々、すなわち、家族、雇用主、教員、施設職員や一般市民などを対象にした一連のプロジェクトを巻き込むこと。ピョートル・パウウォフスキーが率いる団体は、労働社会政策はもちろん、教育・文化・スポーツの分野において、政策決定者に対するロビー活動も行っている。また、インテグラツィア協会支援者会は、障害者の機会均等を保障する法案の起草に取り組んでいる。

ピョートルのプロジェクトがもたらした変化

ピョートルの団体が実施してきたプロジェクトは、なんといってもポーランドで社会的認識を高めることに貢献した。プロジェクトは、障害者やその家族がもっと自分たちの権利や、生き生きと生きる可能性について学ぶための道を開いた。また建築家や公務員、公的施設の職員やビルのオーナー、公共交通機関の運営者などに、モデル事例や解決案も示した。障害者にやさしい公共スペースや公共交通機関の改革によって、ポーランドに住む多くの障害者は、家を出てあらゆる活動に参加できるようになった。インテグラツィア協会友の会が手がけた地域的、全国的なキャンペーンは、障害者の低い雇用率を含め、障害者が直面する問題に社会の目を向けさせた。2、3年前には、事業主は障害者を雇うことを恐れて、彼らに仕事を創出することはなかった。それが今では、障害者雇用は多くの業界で常識になりつつある。インテグラツィアは、ワルシャワ、グディニャ、カトウィツェ、クラクワ、ジェロナグーラの5都市に5つのインテグラツィア・センターを開設し、就職の直接支援も行っている。各センターは障害者が仕事に就く準備の場である。スタッフは適職を見つけるための情報、トレーニング、必要なサポートの提供を行っている。2008年だけで1,000人が職を見つけ、2,500人が専門家研修を受講し、14,000人が個々の問題についてアドバイスを受けた。

インテグラツィアの全国的なメディア・キャンペーンによって、初めて社会(と地方行政機関)は障害者が直面する基本的な問題に目を向けるようになった。この障壁を打ち破るピョートルの著名な戦いは、現状を改革したので、現在では多くの投資家が、彼に建物を障害者仕様にするための相談を寄せるようになった。歴史的建築物も含むポーランドの国会議事堂もその一例だ。ポーランドの国会議事堂は、車いすを使う議員も不自由なく演壇が使えるよう大改造し、ようやくその扉を障害者に開いた。

インテグラツィア協会友の会の業績は、法律改正においても顕著である。法律改正の提案者、また推進者として(そして彼の団体は法律改定案を作る政府のコンサルタントになっている)、ピョートル・パウウォフスキーは、建築法や交通法を改善する役割を担っていた。交通分野では、インテグラツィアと内務省、行政の協力のもと、障害者の駐車スペースに違法駐車した非障害者ドライバーに対する罰金を改正前の僅かな金額から500ズロティー(約14,600円)まで引き上げた。またピョートルの理想とねばり強い熱意が生んだもうひとつの重要な出来事は、ポーランド初の障害者の機会均等に関する法律の提言である。準備に2年を費やしたこの提言は「全ポーランド障害者連盟」の代表者によって、2008年12月に総理大臣に提出された。障害分野のNGOによって構成されるこの連盟自体もピョートルの呼びかけにより立ち上がったもので、現在では政府の対等なパートナーとなっている。

彼の業績として、統合という考えのもと、多くの組織や企業そして個人を一体化したことが上げられる。彼らインテグラツィア後援者は、ピョートルが目指すことの価値とそれが社会全体にもたらす利益に共感し、彼の活動を支援している。

アショカは彼に何を与えたか

ピョートルにとって、アショカが自分を信頼してくれたこと、そして1994年から続けてきた活動のアプローチが正しかったと評価してくれたことは大きな喜びだった。

社会事業のリーダーと彼らの貴重な問題解決策を支援するこのアメリカの団体が彼を受け入れた時、インテグラツィア協会友の会はまだ発足したばかりだった。アショカの一員になることで、彼は世界で活躍する社会事業のリーダーたちの活動について学び、ポーランドのアショカ・フェローと結びつくことができた。それによって大部分が善意のボランティアで成り立っていた小さな組織は、専門家による障害者のための幅広いプロジェクトを実現できる100人規模のチームに成長を遂げることができた。

今日、インテグラツィアは大きな組織であり、ポーランドに重要な変革をもたらしてきた組織である。ピョートルは生まれたばかりのインテグラツィアに手を差し伸べてくれたアショカに感謝している。

インテグラツィアは他の国でも成功するか?

ピョートルが行ってきた活動は、ポーランドの障害者のニーズを満たすために始まった。彼の手法は普遍的なもので、どの国でも転用できると言ってもいいだろう。特に文化・歴史的に似た背景を持ち、障害者が抱える問題にも共通項の多い中央・東ヨーロッパでもっともスムーズに適用できるといえる。たとえば、障害者、健常者、雇用主や公務員を対象に、いかに効果的なキャンペーンを行うか、障害者のための法改正をいかに促すか、などは有効だろう。

また障害者に対する包括的なサービスや支援を提供するインテグラツィア・センターの設置も、ぜひとも他の地域で採用してもらいたい手法だ(ピョートルはポーランドの全16県に1つずつセンターを創設することを予定している)。

ピョートルについて

「ピョートル・パウウォフスキーはポーランドの障害者の社会参画活動において、誰もが認めるリーダーだ。障害者が能力開発や教育を受け、文化的な生活を送れるような社会政策を実現するために、彼はあらゆるキャンペーンを提唱し、引っ張ってきた。ただ政策や施設、世論に影響を与えただけではない。その過程で障害当事者の能力を向上させ、情報へのアクセスを保障し、また組織化することによって、彼らに力を与えた。雑誌『インテグラツィア』やポータルサイト、メディア・キャンペーンは、そのために大きな役割を果たした。

ピョートルは、たとえ身体的にもっとも重い障害を持っていたとしても、体内に不屈の精神さえあれば障害を乗り越えられるということを、その生き方で示している。私は長年ピョートルの活動を追ってきたが、彼のカリスマ性、ビジョン、エネルギー、そして意味のある変化をもたらそうとする揺るぎない決意を深く尊敬している」。

アントニーナ・オストロウスカ
ポーランド科学アカデミー社会学研究所、ワルシャワ、ポーランド

ピョートル・パウウォフスキーピョートル・パウウォフスキー


ピョートル・パウウォフスキー
1966年生まれ、在ワルシャワ。既婚。1982年に浅い水に飛び込み全身麻痺になって以来、移動するには車いすを使わなければならない。

ワルシャワにあるカトリック神学アカデミー(現在のステファン・ヴィシンスキ大学)教育学部卒。家族学研究院、ワルシャワ大学で倫理学と哲学の博士後期課程を修了した。

ピョートルは2つの組織の創始者であり、運営者である。インテグラツィア協会友の会とインテグラツィア財団である。その目的や使命は、ピョートルが発する社会的なキャンペーンや教育的プログラムと同様に、雑誌「インテグラツィア」やラジオ、テレビ番組で発信される。政府国家協議会障害者全権大使、市民権擁護委員会障害者部代表、障害者連盟副会長などの役職を持つ。TOTUS賞(人道・慈善・教育分野における貢献に贈られる)、アンドレ・バチコフスキー賞など数々の賞を受賞している。また、ポーランド復興勲章(訳注:軍人以外の市民に授与される、ポーランドで高位の勲章のひとつ。教育、科学、スポーツ、文化、芸術、経済、国家防衛、社会活動、公職活動、外国との関係強化の優れた功績に対して授けられる)、国家教育省より国家教育委員会勲章も受章した。

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