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アメ・ティアム

マハ・ヘラリゼネガル・ハンディキャップ協会/セネガル
2008年よりアショカ・フェロー

The Handicap.sn ポータルサイト:障害者のためのアクセシブルなITサービス
ウィルマ J.E. ランドル著

とある都会の混み合ったコミュニティ・センターの一室で、全員の目がアメ・ティアムに向いている。彼は床の中央に立ち、コンピューター・トレーニング・ワークショップを行い、強いインパクトのあるコミュニケ―ション・メディアを創るために、コンピューター・グラフィックスをどうやって使うか熱心に語った。

一見すると、これは均一的な仲間の集まりだった。参加者は全員黒人で大体10代~20代前半の若者であった。男女数もほぼ半々である。しかし部屋をよく見渡してみると、少し目立っているものがある。皆に行き渡るコンピューターの数が足りず、1台を2~3人で共有している。そして何台かの機械の台には、松葉杖が立てかけられている。

アメ・ティアムが部屋を見回すと、目に入るのは可能性である。ここに集まった若者の能力とコンピューター技能の可能性であり、自分たちの生活を向上させ、エンパワーする情報へのアクセスの可能性である。特に障害者にとって。

ティアムはコンピューターと情報技術に情熱を注いでいる。彼は勉強だけでなく、周囲、特に自分と同じ肢体障害を持った人に、自分の得た知識を教えることに熱心である。30歳のティアムは、3歳のときにポリオに罹り障害者となった。ただ時も経ち、手術を何回か受けて、歩行の時たまに杖を使うことはあっても、今は不自由なく動くことができる。

2007年に、ティアムはハンディキャップ・セネガルの創設に情熱を注いだ。ハンディキャップ・セネガルは、彼の国セネガルで初めて障害者に情報通信技術(ICT)の提供と研修を行う協会である。ハンディキャップ・セネガルは、社会に変革を起こすためにコンピューター技術を利用した革新的な事業に取り組んでいる。

2008年、ティアムは、この革新的な試みによってアショカ・フェローに選ばれた。セネガルで初めて、恐らくアフリカでも初めてとなる障害者を対象としたポータルサイト(www.handicap.sn)を開設したからである。このポータルサイトは、セネガルの障害者を情報スーパー・ハイウエイに繋げ、セネガルだけでなく、アフリカや世界中の障害者にとって、接続ポイントとして、また手軽な情報源として利用できるように設計されている。

「長い間、セネガルの障害者は社会から差別されてきました」とティアムは言う。「物理的にインフラを利用できず、保健や雇用、教育といった基本的な社会サービスも受けることができませんでした。政治的に、障害者は通常すべての分野で無視され続けてきました」。

ティアムは、モロッコ人を母に、セネガル人を父に、男3人、女1人の4人兄弟の長男として、1978年にモロッコで生まれた。ティアムは幼少期の大部分を海外で過ごした。それは、父親がセネガルの外交官だったというだけでなく、個人的な医療に関する理由があった。

ティアムは、コンピューターが高価なおもちゃとして、また勉強道具として考えられていた世代に育った。「同い年の他の男の子は、外で鬼ごっこや駆けっこ、サッカーなどで競っていたけれど、僕はできなかったし・・・」と彼は昔を思い出した。

「とても早い時期にコンピューターを手に入れました」と彼は続けた。「父が僕の10歳の誕生日にくれました。父がくれた中で最高の贈り物でした。僕は以前、ただプログラミングのマジックを見るために、作曲したり、絵を描いたり、プログラムを書き換えたりして、基本プログラム言語を使って遊んでいました」。

14歳の時、ティアムの家族がセネガルで生活していた時、フランスに住んでいた叔父の友人が休暇でセネガルに来て、彼の家族を訪問した。彼女の滞在中、話がティアムの健康とポリオの治療に及んだ。「当時フランスでは、ポリオ患者が筋肉を使えるようになる、と言われている新しい手術技法が試されていました」とティアムは説明した。大人たちは話し合いを重ね、フランスへの帰国日が近付くと、この女性、ジョシアンヌ・サッターは、ティアムも連れて帰ることを提案した。

ティアムは1年間生活を共にしたジョシアンヌのことを、とても優しく人間味あふれた人だと語った。そして診断と手術を待っている間、彼はその小さな町で高校にも通った。

彼のフランスでの保護者は、ティアムに、大きくなったら人生で何かよいことをするだけでなく、「自分が授かった恩恵を、周りに分け与えること」を約束させた、と彼は思い出し、「僕は必ず実行すると誓った。だからこれは彼女への恩返しなのです」と付け加えた。

異なる文化で生活してきて、ティアムは世界に存在する経済的・社会的格差に、幼いときから気づいており敏感だったと語った。そして、ビジネスとコンピューターに興味を持っていたけれど、この分野の人と人とをつなげる部分にいつも魅了されていたのです、と彼は説明する。「私はいつも人と一緒に働くことに、そして人助けができる仕事に興味があるのです」。

セネガルの家に戻って、ティアムは少なからずカルチャーショックを経験した。交通機関や社会サービス、経済的支援などに対し、平等なアクセスを用意するということに関し、障害を持つ市民のニーズと権利に対応しているドイツのような国に住むことは、どの程度当たり前のことなのか、と意識し始めた。

アメ・ティアムアメ・ティアム

セネガルはアフリカ大陸の西に位置し、大西洋に面した比較的小さな国だ。開発統計的にみると、貧困が蔓延し、国民の大多数が一日二ドル以下で生活をしている。教育や識字率、基礎保健としてのケアやサービスなど、いわゆる典型的に途上国の問題が山積している。それに加え、政府による社会保障などは基本的に存在しない。このような環境で、いつも苦しい状況に置かれるのは女性と子どもであり、そこでは障害者は社会的弱者の中でももっとも差別を受けている人たちである。アフリカ社会の多くで見られるように、障害者、特に生れながらに障害をもつ人に対する伝統的な迷信や恐怖が広まり、古い偏見とスティグマが生きている国である。

セネガルの推定人口約1100万人に対し、障害者の正確な数は把握されていない。憶測しかできないが、活気ある人口密度の高い首都ダカールを一度歩いてみると、障害者の数は非常に「多い」と思われる。

物乞に送り出される大半は男児であり、若者や子どもたちが日に日に増しているようだ。また、多くが車椅子に乗った若い女性、時には盲人の女性で、往々にして赤ん坊や子どもを連れている人々も目につき、人数も増えている。彼女たちは、明らかな身体的な弱さを除けば、健康そうに見える。しかし身体に障害のない者の働き口がほとんどない社会で、彼らが生き抜くためには、物乞いをするしかない。

障害を持つが、経済的に困窮していないその他の障害者にとって、アフリカや他の途上国の多くと同様に、セネガルは、公共交通機関や公共施設、社会サービスへのアクセスに関し、基本的にアクセシブルではない環境である。教育は義務であり公教育は無料だが、学校は障害者が利用しにくく、それを改善するための法律もない。

経済状況とは裏腹に、皮肉にもセネガルはアフリカで最先端の情報通信インフラを持つ国のひとつである。携帯電話は広く普及し、このわずか10年で、1時間1ドル以下のサイバーカフェも着実に増えている。

2005年、自国の現状をもっと理解し、社会改革に向けて自分に何ができるのか探るため、ティアムは国内の障害者支援団体のひとつ、SOSハンディキャップに入会した。ティアムは団体初のホームページを開設し、ディスアビリティ・スケッチという障害をテーマとした、国で最初の機関誌の作成にも関わった。

ティアムの活動に刺激され、文化省の職員だった団体の会員がセネガル初の障害をテーマとした情報と芸術の文化祭典「ハンディ・フェスティバル」を開始した。このフェスティバルは恒例行事となり、毎年12月の国連国際障害者デーに合わせて行われている。ティアムは、プログラムのマーケティングの観点で支援しながら、プロジェクトへの協力を続けている。特に、イベントをもっと広く周知するために、イベントのウェブサイトを開設し、更新している。 (www.handifestival.com)

ティアムは、ハンディキャップ・セネガルはウエブ・ポータルサイトwww.handicap.snを通して、セネガルのすべての障害団体や関連団体を地域、大陸、そして世界と連携させるインターネット情報センターとして役立つことを意図している、と説明する。この事業で、ティアムはさまざまな団体を交流させ、様々なグループと分野を超えて働いてきた。

「実際、インターネットで手に入るセネガル独自の情報が不足すれば、多くの障害者は連携が取れず、互いに孤立してしまう」とティアムは嘆く。

「コンピューターとインターネットはとても民主的で開放的だ」と彼はいう。「インターネットによって、コミュニティーの結束を高めることができる。しかし今は、」と彼は続けて「セネガルには障害を扱うウェブサイトが5つとない。それらはほとんど国際NGOや他の国際団体のウェブサイトだ」。対照的に、「95%以上のセネガルの障害者のための団体は、インターネットに出ていないし、ウェブサイトもブログもEメールも持っていない」。

しかしポータルサイト(www.handicap.sn)は、有益なウェブサイトとのリンクを含む、広範で様々な障害関連の情報を単に提供するだけではない。近々、雇用情報や障害当事者団体が製造した製品を販売するオンラインショップによって、障害者の収入創出を特集していく。

技術革新という観点でも、ティアムのウェブ・プロジェクトは、障害者にアクセスを提供するため、また障害問題関連情報のためにモデルとなることを望んでいる。このウェブサイトは視覚障害者や肢体障害者も閲覧しやすいように、アクセシビリティーの国際標準を満たしている。視覚障害者がウェブサイトを訪れても情報が入手できるように、音声読み上げソフトや点字スクリーン、拡大鏡、音声認識ソフトなどにも対応している。

ティアムのプロジェクトや事業に対する評価は非常に高い。ポータル案の支援者であるセネガル障害者団体連盟(FSAPH)のラバ・シセ・ディオップ会長は、「このウェブポータルは、人々に様々な団体を紹介している。そして、これまで団体に関わりがなかった人にも、彼らに関する情報を提供している。すばらしい取り組みだ」と評価している。

ディオップは、2000年に設置された、アブドウラヤ・ワデ大統領・障害問題特別アドバイザーでもある。連盟は1997年に設立され、現在は26の全国障害団体で構成されている。「このウェブサイトによって、政府の指導者に対しても、障害問題や関連問題について関心を向けさせる手助けとなった」とディオップは付け加えた。

ティアムによると、彼の団体が成功した秘訣は、あらゆる分野の人たちと協力したことである。「たとえば、私がCRE(近隣の青年にコンピューター技術訓練を行う政府が支援するコミュニティ・センター)を利用したかった時、使用料を払わなくてはなりませんでした」とティアムは言う。「しかし、僕には払うお金がなかったのでセンターと交渉して、僕がコンピューターを教える代わりにセンターを無料で使えるようにしてもらいました。もちろん、あらゆる研修には、障害者の参加を許可するようにも要求しました」。

ティアムは、インターネットを活用してアフリカの開発を促進している団体、デジタル・ソリダリティー・クラブ(CSN)にも入会した。ティアムが加入したことによって、CSNは2008年のテーマを「障害者のための情報技術へのアクセス」とし、ウェブサイトでこのメッセージを発信した。

ティアムに出会う多くの人々は、プロジェクトとその背景にある彼の人柄に感心する。「僕がティアムと知り合ったのは、彼がアショカ・フェロープログラムに関係してからです」と2001年にアショカ・フェローに選ばれた、CRE(テストボード・リサーチセンター)マネージャー、アブデュラマネ・エムベンゲは当時を懐かしむ。「彼はとてもまじめな青年で、セネガルとアフリカの障害者のために多くのことを変えることができる人」とエムベンゲは言う。

ティアムは、全国運動障害者協会(ANHMS)の全メンバーの中から、7人の女性障害者をコンピューター・グラフィックの研修に招いた。「女性障害者は、より酷い差別を受けていることが多い。だからあえて招待しました」とティアムは語る。

「研修に参加し、コンピューターの知識を深めたり、コンピューター・グラフィックを使ったりして名刺やパンフレットなどを作成する機会が得られて、とても嬉しかった」と、全国身体障害者協会女性部門のセイナボウ・ティアム副事務局長は言った。

アフリカでは今、障害者のニーズに対する注目が強まっており、ティアムの障害分野での活動は時機を得ている。ただ国連が1983年~1992年を「障害者の10年」と宣言したにも関わらず、これには長い時間がかかった。アフリカでは、運動家が政府にさらなる行動を求めるロビー活動に成功したこの時期のあとには、ほとんど変化はおこらなかった。アフリカ連合は社会の意識を高めるため、またできれば障害者の問題とニーズを取り上げ、彼らの生活の質を改善する法律や政策の実現を促すために、1999年~2009年「アフリカ障害者の10年」を宣言した。

セネガルは、障害者の権利条約をまだ批准はしていないものの、いち早く賛同した国のひとつである。ハンディキャップ・セネガルのウェブサイトは、条約の批准に貢献できるとティアムは考えている。「まずそれに関する社会の認識を高めてから、みんなで結集し、批准に向けた啓発活動を行なわなくてはならない。ポータルサイトは、政治家など、あらゆる人たちが出会える最適な場所です。なぜなら、必要な情報がすべてここに集まっているからです」と彼は強調した。

アメ・ティアムアメ・ティアム


アメ・ティアム
2008年からセネガルのアショカ・フェロー。ハンディキャップ・セネガル協会の代表。
セネガル障害に関するポータルサイトの創設者。セネガル初の国際的な障害者のためのフェスティバルとなった「国際ハンディ・フェスティバル」の創設に関わった。彼は障害に関する団体やプロジェクトのために、ウェブサイトを制作した。障害者の情報社会への参画を促進した。ポータルサイトは、フランス外務省の支援プログラムであるADEN基金(デジタル・インクルージョン育成)からの助成を受けている。

Association Handicap.sn
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E-mail: ame@handicap.sn
Web: http://asso.handicap.sn