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ホワード・ワインスタイン

ホワード・ワインスタインレガール・コンサルティング/ブラジル
2008年よりアショカ・フェロー

沈黙を破る人
ラファエル・バリフォース著

2002年1月24日の朝。ボツワナの南にある人口3,500人の村オツェに着いて3日目、ホワード・ワインスタインは戸を叩く音に気がついた。そこにいたのは、地元のろう学校の教師と1人の生徒。教師は、カナダ人の起業家が低価格の補聴器をつくるためにこの町に来たと聞きつけ、生徒のためにひとつ欲しいとやってきたのだ。「彼女の名前はサラ。17歳です」と教師は言った。それは偶然にもワインスタインの娘と同じ名前で、同じ年齢だった-もし娘が脳動脈瘤で6年半前に亡くなっていなければ。「私がこの場所に来たのは何か理由がある」と、彼は思った。

1978年に彼は小さな配管業の会社を買い、15年後に大企業に転売し、その会社のカナダ支局の管理職として残った。湖を望む田舎の別荘を持ち、モントリオールの高級住宅に暮らす彼の人生は、多くの人がうらやむものだった。1995年6月6日の夜までは。いたって健康だった娘のサラが、眠っているうちに亡くなったのだ。一週間後、ワインスタインは仕事に復帰すると、解雇を言い渡された。「私は会社に、これ以上利益をもたらせないと判断されたのです」と彼は語る。「ビジネスの視点から見れば、確かにそのとおりでした。絶望の中で、まるで霧の中を歩いているようだった」。

ワインスタインは1年間を休養にあて、精神療法を受けた。その後、障害者のためのトイレ用電動便座を製作する会社を立ち上げた。しかし、家と貯金、他の財産もなくし、自己破産してしまう。「身が入らなかった」と彼は言う。そして、起業家としての自分の経験を社会問題の解決に活かそうと、途上国に向かうことを決意する。彼は、女性が子どもを医療ケアに連れて行けるように、また彼のような苦しみを味わわなくていいように、彼女たちに収入を提供できるようになりたかった。 「自分は、アイディアを現実に変える術を知っているビジネスマンだ」、彼はそう思っていた。2001年、彼はアフリカの田舎にボランティアとして招かれた。そこで彼は小額の生活費だけ稼いで、住まいはワンルームの土壁の家で、でも太陽電池で稼動する低価格の補聴器を製作するために、地元のろう者の女性を雇用しようとしているNGOの立ち上げを支援した。アフリカにはこんなことわざがある。「祝福は、傷みのすぐそばに訪れる」。「これは自分のための仕事だ」と、彼は思った。これは神に与えられた祝福となりえた。

サラに補聴器をあげられるまで、1年の月日を要した。オツェに到着した当時、彼は、低価格の補聴器、充電式電池、ソーラー・エイドと呼ばれる太陽光充電器などの新技術の開発にむけ、エンジニアと一緒に働いていた。ゴディサ・テクノロジーというアフリカNGOは、アフリカで低価格の補聴器を製作するたった一つの団体で、そして世界で唯一その制作にろう者を雇用していた。ゴディサは、現地語で「他の成長のために行動する」という意味だ。このソーシャル・ビジネスのコンセプトは、キャンフィル・ビレッジというアフリカの障害者支援を行うNGOによってつくられた。この特別な村から、ゴディサは生まれたのだ。

世界保健機構(WHO)によると、世界で補聴器を必要とする人の数は2億7800万人いるが、毎年製作される補聴器の数は600万個にしか満たない。必要とする人の3分の2が途上国で暮らしているのに対し、途上国で売られる補聴器の数は、製作数の12%にしか過ぎない。途上国における聴覚障害者の大半は、耳の感染症が原因であることが多く、廉価の抗生物質で治療が可能だ。しかしこれらの国々で、薬や治療を手に入れることは難しく、ましてアフリカの田舎となると不可能に近い。

また別の問題もあった。当時、補聴器の値段は500ドル~5,000ドルくらいした。そして大抵は、両耳に使うため、2個必要になる。世界の聴覚障害者の大半にしてみれば、高価すぎて手が出ない-アフリカであればなおさらだ。補聴器を手にしても、ほとんどは1週間後に電池が切れてしまい、もう使えなくなってしまう。標準的な補聴器に使われる電池の寿命は平均1週間。価格は約1ドルで、途上国では首都のような大都市に行かないと売っていない。これらの問題を同時に解決する手段が、太陽光のみで充電可能であり、かつ電池寿命が2~3年という、低価格の充電式補聴器だ。太陽光なら、アフリカにも豊富にある。

ワインスタインは、聴覚学に関してはまったくの素人だった。彼いわく、「デシベル(音の強さ、聴力を表す単位)とティンカーベルの違いもわからなかった」。彼がしたことは、持続的なビジネスモデルの手伝いをすること、資金を提供してくれる財団に電話をかけること、電子機器の専門家や製作者と協議することだった。ボツワナのアフリカ開発財団(ADF)は、初めは彼の提案を断ったが、ワインスタインはあきらめなかった。企業での経験から、彼は知っていた。「だめだ」というのは、ただ「今はだめ」という意味であって、「永遠にだめ」ではないことを。彼はADFの会長に会うためにアメリカへ飛び、太陽電池の試作品を見せた。その説得効果は大きく、ワインスタインは25万ドル(約2500万円)の資金提供の約束を得て帰路に着いた。

ゴディサの運営が安定するまでに2年かかった。補聴機能、電池4つと太陽光充電器、そして従業員10人の給与、必要な教育と研修を賄うだけの利益を、すべて込みで100ドル以下の販売価格におさえなければいけない。障害者自身が、その機器をつくる。手話で話すろう者は、視覚と手の動きの連動性が標準よりも高い。細かい電子機器の組み立て作業には最適だ。6週間に渡った選考と、イギリスの補聴器メーカーによる技術トレーニングの結果、10人の候補者が選ばれた。「最初は半信半疑でしたが、彼ら自身のプロジェクトなんだと理解するにつれ、態度は変わりました」とワインスタインは語る。サラも、この選ばれた中のひとりに入っていた。

ホワード・ワインスタイン ホワード・ワインスタイン

このカナダ人の事業家は、まるで自分は新しい従業員の叔父のようだと思っていた。家の玄関で初めて出会った少女とは、「パパ」と呼ばれるほどに特別な関係を築いていった。サラは従業員の中でもリーダー的な存在となり、一緒に働く仲間を励ます役になった。ある時、ワインスタインが聴覚学の会議に出席するためブラジルに行くことになると、他の人は皆、ブラジルからお土産を買ってきてとねだったのに対して、サラは「ブラジルのろう者を助けるために、行ってらっしゃい」とだけ言った。

今年、ホワードはアメリカ聴覚学会から2008年人道賞を受賞した。選考委員長のシェイラ・ダルゼルは、「彼はこの分野の専門家ではないが、問題を理解し、解決策を見つけた」と評した。「それは一時的な努力によるものではない。このプロジェクトは、人々の生活に長期的な影響を与えるものだと確信している」。

ワインスタインがサンパウロの新しい家で、ボツワナで過ごした5年間の話を語ってくれたのは、2008年5月のある午後のことだった。地域中の人が集まる盛大な結婚式と、それよりさらに広い地域から人が集う葬式が記憶に残っている。ワインスタインは、契約終了まで勤め上げることができなかった。「あまりに死が多すぎた」と彼はいう。「毎週、誰かがエイズのために亡くなる。そのほとんどは子どもたちでした」。ボツワナ滞在中に、住んでいた地域のひとりが彼の腕の中で亡くなっていった。彼の精神は、再び崩壊に向かっていた。去るときが来ていた。

ワインスタインが着任したとき、彼のオフィスは1室に数脚の椅子と机があるだけで、製品もお金もなかった。彼は、順調に運営されている非営利ビジネスを残した。6年間でゴディサは、1万個の補聴器と、1万5千個の充電器、2万個の電池を売り上げた。「これは世界の他の地域にも転用できる、ユニークなモデルだ」と、北西ライオンズ視覚・聴覚財団との協働プログラム「オーディエント」代表のマイケル・ランアウト氏は語る。「ヘルスケアの大きなニーズに対応しようという、ワインスタインの強固かつクリエイティブな努力には脱帽する」。ボツワナを去る前に、ワインスタインはゴディサが確実に持続できるよう準備を整えた。オツェに到着した初日から、彼の後継者となるべく、起業家のノウハウを36歳の事務担当のモデスタ・ザブラに教え込んだ。彼女は、従業員に自信と、新しいアイディアを試す裁量を与えるのが得意だった。モデスタは今や、ゴディサの運営の全面的な責任者だ。「ホワードは私たちスタッフにとても愛されていました。それは、彼が周りにいるすべての人にやる気を与えてくれた人だったからです」と彼女は言う。

ボツワナでこのカナダ人は、キャンプヒルでダウン症の住人が関わり、成功した景観プロジェクトも含まれる、3つの新しい持続可能なビジネスの開発も支援した。「私は社会の考え方を変えたかった。障害を持つ人であっても、世界標準レベルの仕事ができるということを示したかった」と彼は語る。「我々は、彼らが持つ特別な能力を尊重し、彼らが採用されるために、他の企業にも、このすばらしい人たちの仕事とプロジェクトの成果を見て欲しかった」。彼がボツワナを離れた頃には、35人の障害者が雇用されていた。

2003年、ワインスタインはジュネーブのWHOが主催する聴覚障害会議に招聘された。「関連する委員会が15年間に渡り議論し続けたのに作れなかったものを、我々はたった9ヶ月で開発してしまった。その開発された製品を、多くの人が見たがっていました」。この会議の席上で、2人のブラジル人聴覚機能訓練士に、毎年行われる全国会議での講演を頼まれた。その全国会議で彼はサンパウロ大学で聴覚学の高名な教授であるデボラ・フェラーリ博士に出会い、ゴディサのプロジェクトを別の場所で広げないかと話を持ちかけられた。ブラジル地理統計研究所(IBGE)によると、ブラジルには5百万人の聴覚障害者がいる。2006年、休息を求めて彼はボツワナを離れ、パナマから陸路でカナダのモンテリオールに戻った。カナダで2ヶ月を過ごした後、彼は人生の次のステージを始めるため、ブラジルに行くことを決意する。「アフリカの絶望からも、北米の表面的な生活からも、ちょうど中間地点にあるのがブラジルだ」と彼は語る。

ワインスタインがサンパウロに住み始めて約3年になる。それはゼロからのスタートだった。新しい充電式電子補聴器や次世代の太陽電池式充電器、2種類の新しい充電型補聴器用電池の開発に加えて、地元のカウンターパートと必要な資金も探さなければならなかった。そしてリード・パートナーとして、彼はブラジルの新しいNGO、CEFAC研究所を発見した。彼らは使命と理想を持っており、またプロジェクトを抱えるための資金もあった。ワインスタインは、追加資金として外国からの支援金20万ドルを集めた。技術開発が進められ、2009年1月から生産が開始される予定だ。ラテンアメリカ版の3点セットの中身は、新しい充電式電子補聴器、充電式電池と次世代の太陽光充電器だ。約125米ドルの販売価格で、ラテンアメリカ中で政府やNGOを対象に販売される予定である。2年間使えば、バッテリーの購入価格よりも安い。少し高くなるが、世界中のどこからでも、どの企業でも、この補聴器を購入することができる。充電器や電池だけの購入も可能で、それは昔彼らが販売した補聴器でも、今販売している補聴器でも使用することができる。このプロジェクトの中で、ワインスタインが個人的に喜んでいることは、ボツワナのろう者がブラジルのろう者のトレーニングにやってくることだ。現在の技術研修は、北(訳注:先進国)から南(訳注:途上国)であり、南から北、また南から南はほとんどないし、国際的にろう者からろう者もありえなかった。サラは現在24歳で、ブラジルの新しいろう者の従業員の研修のために、ゴディサから派遣される3人のうちの1人だ。

ワインスタインは、カナダにおける起業家と、途上国における社会起業家との違いをこう語る。たとえばカナダでは、研修を受けた技術も教育もある従業員を簡単に雇うことができる。さらにカナダでは、仕事をするための最適なインフラ基盤に加えて、社会的、経済的、政治的な制度も整っている。一方、ブラジルやボツワナでは、事業を立ち上げるための資金を見つけるのも、適した人材を探すのも、彼らを訓練するのも、膨大な時間がかかる。加えて、インフラ基盤や官僚主義も頭が痛い課題だ。カナダと途上国を比べるのは「ジンジャー・ロジャーズ(訳注:アメリカの映画女優)になるようなもの」と、ワインスタインは笑いながら言う。「ハイヒールを履いて、後ろ向きにダンスして、かつフレッド・アステア(訳注:1930~50年代にハリウッドで活躍したアメリカ人ダンサー)のようにうまく踊れなくてはならない」。

WHOによると、南米では人口の5~9%が聴覚障害を持っているというが、その南米全体に対して、ブラジルが低価格の補聴器と充電式電池を提供する予定である。次の2つのプロジェクトは、ヨルダンとメキシコだ。アル・クアッズ音響テクノロジーという中東プログラムには、ヨルダン、パレスチナ、イスラエルから若いろう者が一緒に働くことで、平和構築の要素も入っている。またワインスタインは、パキスタン、インドネシア、ベトナム、フィリピン、中国、ロシア、そしてアメリカのNGOも既に訪問し、また面談を行った。ひとつひとつのプロジェクトは、共通のミッションと理想をもっている-それは、障害を持つ従業員へのエンパワメントと彼らの手で作り出した製品を貿易対象地域に広めることだ。たとえば、メキシコのプロジェクトでは中米とカリブ海全域に行き渡るように流通させる予定だ。ヨルダンからは、中東と北アフリカに。アフリカ大陸の他の国々は、ボツワナがカバーする。独立した個々のNGOが、製作過程で必要な部品をまとめて大量購入することにより、価格の低下が実現できる。「競争相手が助け合う。新しいビジネス方法論です」と、彼は語る。「しかし市場は大き過ぎて、ひとつの国でグローバルな需要に対応することはできないのです」。

ブラジルでみられるように、他のプロジェクトにおいても新しい技術が開発されている。ヨルダンでは、学校の授業で使用されているマイクが補聴器に支障を与えるのを解決するために、ブルートゥースの技術を導入する予定だ。こうした新技術は他のエンパワメントの手法とあわせて、各プロジェクトの間で、無料で共有される。特許はつかない。「我々の発明を、もし大企業が複製してくれたらすばらしいことです。彼らは私たちと比べようもないほど大きな販売力を持っています。結果として、より多くの人々の手に低価格補聴器を届けることができるし、毎年廃棄されている何億もの亜鉛電池の無駄がなくなります」。

ワインスタインがブラジルで出会ったのは、新しい挑戦だけではなかった。新しい恋人にも出会った、41歳の聴覚学者、モニカ。2008年にふたりは結婚し、現在は彼女とともに暮らし、11歳のステラと15歳のルイザの継父となった。ステラは、サラが亡くなったのと同じ年齢。父親としての人生を再びスタートすることになる。ボツワナでもそうであったように、他の社会的プロジェクトも手がけている。今回は妻と一緒に。「彼女は物事を広い構図で捉え、糸口を見つけ出してプロジェクトをまとめあげるのが上手いのです」とワインスタインは言う。リオ・デ・ジャネイロにあるカンタガロのスラム街で、地元の青年団体とともに、トレーニングや経験、収入を彼らに与え、そして何よりも健康と地域の治安維持の動機づけを行う持続的なプログラムを一緒に作っている。若者自身が選んだ3つのプロジェクトを開始するための資金をふたりは集めた。ひとつは写真、ひとつは家庭から出る油を再利用した石けんづくり、そして地域で出た紙ゴミをリサイクルしてつくる再生紙のプロジェクト。若者に指導するためにプロのカメラマンが雇われた。写真が印刷された再生紙でつくられた飾り箱に、香りつきの石けんが収まる。最初に立ち挙げた3つの事業からの収益を元に、将来的に持続可能なプロジェクトを創り出していこうというのがモニカとホワードの考えだ。すべてのプロジェクトが、経済、社会、環境、そして教育の課題にからんでいる。なぜすべての問題を同時に解決しようとするのかと尋ねると、彼は答えた。「その方が楽しいし、それが可能なら、やった方がいいじゃないか」。

新しい家の中庭で、バーニーズ・マウンテン・ドッグのドナと遊ぶワインスタインは幸福そうだ。「残りの人生はブラジルで過ごそうと思っている」。かつての経営者は、社会起業家に生まれ変わり、その新しいライフスタイルを気に入っている。彼の見解では、直面する課題は伝統的なビジネスとなんら変わらない。人々にやる気を出させ、うまくまわすこと。彼は人生の13年間を振り返って、自分がこの道を歩み始めたのは、娘の死に何か意味を見つけるためだったと感じている。しかしそれは翻って、彼自身の人生に意味をもたらした。「以前、私はただの金持ちだった。今の私は、内面も豊かだ」。

ホワードは、社会変革を成し遂げるために、4つのアドバイスを挙げている。

1)成功からよりも、間違いや失敗から学ぶことの方が多い。失敗を恐れてはならない。
2)あなたが行うプロジェクトは、あなたのためのプロジェクトではない。
3)馬鹿みたいに頑固でいることは長所であり、成功に導いてくれる。
4)すべては愛につながっている。ひとつの言葉が、我々を人生の重みと痛みから救ってくれる-その言葉とは、愛だ。-ソフォクレス(古代ギリシャ詩人)の言葉。

ホワード・ワインスタインホワード・ワインスタイン


ホワード・ワインスタインは、カナダのケベック生まれ、58歳。どんな仕事環境にも出向き、頭の回転が速く、起業家精神と創造性に富み、思いやり深い。国際的な交渉技術を持ち、どのような環境でも前向きな態度を保ち、楽観的な機知を周りに与えることができる。コンセプトの立ち上げから成果につなげるまでの実力と根気を兼ね備えている。異文化コミュニティ間で信頼のおける関係性を築き、育くんできた。三ヶ国語ができ、加えて手話もできる。

受賞歴:
世界大学国際ボランティア賞[World University International Volunteer of Year 2005]
2008年アショカ・フェロー http://pcastilloashoka.webng.com/howardweinstein/
アメリカ聴覚学会人道賞2008
レメルソン・アショカ・フェロー2008

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