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オラ・アブ・アル・ガイブ

OlaAbuAlGhaibスター・オブ・ホープ協会/パレスチナ
2007年よりアショカ・フェロー

障害を持つ女性たちの希望の星 キャタム・マルカウィ著

現代の先進国では、障害者を受入れるために、周囲の環境を変えることによって障害問題に取り組んできたので、障害それ自体は必ずしも問題にならない。

しかし、障害者が地域社会で機能するレベルに達するまで、まだやるべきことが多く残されている途上国では、障害は一般的に問題と見られている。

「問題」の背景には、今まで障害者の権利を認めてこなかった古い文化や慣習、そして障害者が直面する様々な困難に対する社会認識の希薄さがある。

さらに障害者が女性の場合、障害を持つ女性はジェンダーと自身の障害に基づく両方の差別に直面しているので、障害は二重に問題となる。

彼女たちが良い教育を受けることが非常に難しいことは分かっているので、障害を持つ女性の現状は国レベルで早急に考慮しなければならない課題である。さらに、障害を持つ娘がいることを認めるのが恥ずかしいと感じる家族がいる。家族の恥と考え,彼女たちを隠してしまう家族もいる。

このような状況に関わらず、差別という事実を受け入れることを拒否し、地域社会の生産的な一員になる権利の意識と、ポジティブな変化を達成しようと戦ってきた女性たちがいる。彼女たちの目的は、障害コミュニティで有名になることではなく、人類すべての基本的ニーズとして、受容され、教育の基本的権利を獲得し、愛し愛される権利を持つことである。

この世界(実際には中東と障害という2つの世界)でもっとも傑出した人物は1人の女性である。彼女は行く先々でポジティブな変化を起こしている。

彼女は、オラ・アブ・アル・ガイブ。そして彼女の名前は、パレスチナの空で星のように輝いている。自身の障害を弱さとしてではなく、むしろ強さの源として利用するこの身体障害の女性は、母国で女性障害者をエンパワーさせる運動において卓越したリーダーとなった。

「障害が夢を実現するための励みになった」、オラ

オラは最近、念願だった障害を持つ女性を支援する団体「スター・オブ・ホープ(希望の星)」をパレスチナの主要都市のひとつ、ラマラに立ち上げた。

当事者として今まで豊富な経験を積んできたオラは、「辛いことも、学んだことも多かった。そしてこれからも多くのことを学ぶでしょう。私の経験は、私だけのものじゃない。助けを必要とし、自らの権利を獲得しようとする多くの女性と共有しなくては」と語る。

パレスチナの町ナブレスで生まれたオラは、わずか12歳で人生の劇的な変化に対処しなければならず、車イスを余儀なくさせる恒久的な障害を受け入れなければならなった。当時のナブラスの学校は、障害児を受け入れる設備が整っていなかったため、車イスになって3年間ほど学校に通うことができず、自宅に居ることを余儀なくさせられた。このような状況に納得できなかったオラは、教育を受けるための代替案を模索し続けた。

彼女にとって最良の解決方法は、パレスチナの別の都市ベツレヘムに引越し、イギリス人女性宅に下宿しながら私立学校に通うことだった。それはアラブの少女として、もちろん障害者としも、非常に珍しい行動だった。

「伝統的なアラブの家庭にとって、こんなに若い娘が、生まれ故郷を離れて学校に通うことを説得することは、特に障害者の場合、決して簡単なことではありません」とオラは説明する。「それにも関わらず、教育を通して良い人生を送りたいという私の決意と願望は、家族を説き伏せるには十分なほど強かったのです」と彼女は付け足した。

ベツレヘムの私立校では、最初、彼女を聴講生として入学させた。しかし一学期が終了し、全生徒の中でトップの成績を納めると、彼女は一般学生として受け入れられた。しかし彼女の学費は家族にとって高額過ぎたので、勉強を続けたいという彼女の夢を脅かしていた。自らの権利を守るため、オラはパレスチナ社会問題省に行き、成績優秀者として政府に奨学金を要望した。また自宅から離れて暮らしていたため、オラは授業料以外の費用も必要としており、他の資金を見つけなくてはならなかった。学生時代に、障害のある学生と運動をして、彼女はドイツの障害者のための団体と知り合いになった。彼らは、彼女の知性、そしてパレスチナの障害学生コミュニティを代表した彼女の活動、特に障害者に対する学校設備のバリアフリーの戦いに感心し、彼女を全面的に支援すると言ってくれた。高校時代は、ベツレヘム大学の理学療法学科と協力して、いくつかの有名な児童書に障害を持った登場人物を含める活動にも取り組んだ。

自身の障害に対処し、また同時に自分の権利のために戦わねばならなかったので、この数年間は彼女にとって一番過酷な時期であった。けれども、彼女は多くのことを成し遂げることができた。自立心を得、新たな身体的制約に順応し、新たな症状を理解して受け入れることを学んだ。そしてこの行動は、彼女の周りにいる親しい人々の女性障害者の能力に対するイメージを大きく変えた。

成功にむけて熱意を絶やすことなく、プロジェクト・マネジメントを修士論文として、2003年にパレスチナにあるビルゼイト大学大学院を修了した。

大学時代にオラは、再び障害者のためのアクセス欠如の問題に直面せねばならず、アクセシブルなキャンパスの権利を求めるキャンペーンを開始した。彼女が尽力した権利擁護活動により、キャンパス建設委員会の委員に起用された。大学から任命され、障害者のニーズをキャンパスに対応させるためにエンジニアと働いた。それには多くの立案や事業管理も含まれていた。

オラ・アブ・アル・ガイブオラ

「このレベルに到達することは、私には簡単ではありませんでした。アクセシビリティにしろ、コミュニティの壁にしろ、多くの障壁に直面し、行く先々で闘わなくてはならなかったのです」とオラは語る。

リハビリテーションセンターで働いていた時、障害の権利擁護者として素晴らしいファンドレイジング能力を発揮し、自らの身体障害が、命ぜられた仕事をする上で決して邪魔にならないこと、熱心な職員であることを証明した。

このことについてオラは、「私は戦士として生まれました・・・。自分の権利とすべての女性障害者のための戦士として。自分をエンパワーすることから始めて、今は他の人たちをエンパワーすることに向かっています」と語っている。

「当然のことを要求することは、何も恥ずかしいことではありません。私もここにたどり着くまで、当然のことを要求するために、可能性のある門をすべて叩き続けてきました。自分の権利に関係する何かを奪われるなら、私はこれからも同じような方法を続けて行きます」とオラは言う。

課題

他のアラブ社会と同様、過去数10年間に渡り、女性の平等に向けた取り組みが行われてきたものの、パレスチナ社会では女性に対する差別はいまだに蔓延している。そして障害を持つ女性に対する差別はさらに根深い。実際に、パレスチナの女性障害者は3つの重荷を背負っている。ひとつは女性であること、ふたつ目は障害者であること、そして最後に、武力闘争下で暮らしていることである。パレスチナ全国情報センターの調査によると、障害者の総数は107,700人で、うち女性は52,200人である。この大きな数にもかかわらず、彼女たちは障害者の中でもっとも脆弱で、かつもっとも守られていない。その多くは隠され、黙らされ、彼女たちの悩みは知られず、声を聞かれることもない。

統計情報の欠如と施行されない法律

2007年のパレスチナ統計局報告書によると、国民の5.2%が障害を持っている。しかし、障害を持つ男性、特にインティファダ(訳注:イスラエルに対するパレスチナのアラブ族による反乱)中に障害を負った男性に対する態度は、あまり差別的ではない。パレスチナで障害を持つ女性は、教育への機会、就職、結婚、社会的地位など、生活のあらゆる場面で偏見や日常的差別を受けやすい。

ほとんどの人々、そしてほとんどの社会において、障害者に性別の違いはないと考える傾向がある。男性中心社会では、障害を持つ女性はより不利な立場に置かれる。女性のもっとも重要な役割が、結局のところ、出産と育児とされている地域もある。それはつまり、妻や母であるから社会的地位が築かれることを意味する。そのような地域や社会では、障害者は子どもを生み、そして育てることができないとみなされるので、ほとんど価値がないと見なされる。時には、性とは無関係と見なされることさえある。

障害者は身体的、精神的、性的なあらゆる種類のひどい虐待を経験する。統計では、障害を持つ女性の方が、障害のない女性に比べて性的暴力に遭う確率が高い。どの社会でも外見を重視しているので、女性障害者は、障害のない女性より価値が劣ると思い込まされている。この否定的自画像が、被害者となっても沈黙したり、被害者だと信じることを拒んだり、また容疑者の起訴の欠如と相まって、性的虐待の危険性を高めている。障害を持つ少女や女性に対する身体的、性的な暴力は、家族内や施設において、また社会全体で憂慮すべき割合で発生している。

さらに、障害を持つ女性の権利を考えてくれるプログラムや団体が、パレスチナにはない。いくつかは限定的な医療サービスを提供しているものの、パレスチナの一部に地域が限られており、また一定の年齢に達するとサービスが受けられなくなってしまう。

オラは、パレスチナ全土を見ても、女性障害者を中心に据えたプログラムは存在しないと断言している。「私は20年間障害とともに生きてきた。そのようなプログラムがあれば、知らないわけがありません」。

何よりもまず、パレスチナは占領下にある国である。法律は書面上存在していても、政治的、経済的、社会的ないろいろな理由から施行されていない。特別なニーズをもつ個人を対象とするパレスチナの法律は、1999年に制定されたものの、いまだに施行されていない。この状況を変えるためには、地元のすべての団体が協力して取り組む必要がある。ただ残念なことに、協力する準備ができている団体はほとんどなく、問題が実際に存在していることを認めないことさえある。

このような課題と、障害を持つ女性に対するサービスの欠如がきっかけとなり、オラはスター・オブ・ホープ(希望の星)を設立し、障害を持つ女性への差別のない地域社会づくりのために働いている。

しかし、成果を上げるためのすべての努力にも関わらず、彼女はいまだにさらなる努力を強いられる問題に直面している。障害を持つ女性の正確な人口統計と彼女たちのニーズが主な問題で、それに加えて、女性障害者が必要とする基本的な医療とリハビリテーションを提供するための財源が確保できていないことである。

専門家としての経歴を通して築いてきた、国際的な障害者団体のネットワークを通じて資金を募っていると説明しながら、「資金源を見つけるのは至難の業です」とオラは言う。

他の問題は、障害を増大させ、機会を限定する環境的な障壁である。環境改善の欠如やアクセシブルな建物の不在は、障害を持つ女性の行動の自由を奪ってしまう。すべての障害者に対する輸送手段は、市民権の行使と社会参画における重要な鍵となっている。女性は一般的に、また女性障害者は特に、男性より移動の自由が限られている。車に乗る機会も少なく、文化的、社会的な背景により家から出られないことが多い。パレスチナの公共交通機関は、障害者のニーズを考慮していない。そして私的な交通手段があるとすれば、家族の男性陣に使われるのが普通である。

障害を持つ女性が直面する最大の課題は、女性障害者の権利に関する周囲の認識が低いこと、持続的でポジティブな変革を行う支援体制が存在しないこと、とオラは説明する。パレスチナの社会は、残念ながら、障害を持つ女性に対する態度の変革を受入れる社会的準備がいまだにできていない。そのために、彼らの多くは排斥されるか、自宅で孤立するか、施設で隔離されている。

方策

障害を持つ女性が、社会的、経済的、政治的、文化的な生活のあらゆる側面で参画できるように積極的に促し、社会に訴えかけることがオラの目的だ。彼女は自分の団体を、制度的な権利擁護活動、政策立案者へのロビー活動、そして障害を持つ女性に対するサービス、支援、情報、教育の提供を通して、パレスチナの女性障害者を全国的に代表するような団体にしたいと思っている。目的を共有する他の市民社会団体とのネットワーク化も、地域社会レベルで彼女に対する支援を確かにするための手段の一つである。

戦略

目的のために努力するにあたって、彼女は2つの戦略を掲げている。

最初の目的は、パレスチナの女性障害者への総括的な支援の提供である。2番目の目的は、全国・地域レベルで行う啓発と意識改革キャンペーンを通した女性障害者の人権と市民権のキャンペーンである。彼女の戦略を実施し、彼女の構想を宣伝するための制度的な枠組みは、女性障害者が立ち上げ、女性障害者が主として運営している市民社会団体、スター・オブ・ホープである。これはレバント地方(訳注:地中海の東側沿岸国、キプロス、エジプト、イスラエル、レバノン、シリア、トルコを指すもの)だけではなくアラブ全域においても、最初で唯一の女性障害者が運営する女性障害者のための市民社会団体である。

オラの市民社会団体は、女性障害者自身の実体験に基づいて、非常に現実的で具体的な方法で女性障害者の苦境のために解決策を提供している。彼女たちは、オラを筆頭に女性障害者のエンパワメントのロールモデルであり、変革を可能とする生きた証である。オラは、理事たち共通の悩み、責任、経験や技能が、使命達成のために彼女を支える土台であることを確信している。

自分の団体を通して、女性障害者の人数やニーズを調査するために、オラはパレスチナで初となる資料センターを設立する予定である。これは、女性の間で障害の原因と広範囲にわたる影響の除去に立ち向かう際に土台になるだろう。

スター・オブ・ホープのサービス

スター・オブ・ホープは、オーダーメイドで個々の障害の種類、ニーズや興味に合わせた女性障害者のための包括的なサービス・パッケージを作った。サービスの内容は、心理カウンセリング、能力開発、技術向上、自己啓発トレーニングなどである。これによって、女性障害者はニーズを自ら主張することを学ぶ。スター・オブ・ホープは、障害を持つ女性や少女が一般社会で受容されることを保障するための知識、情報や技術を生み出すために、草の根レベルで働いている。それに加え、女性障害者に対する偏見が根強い地域にある社会的孤立をなくすために、包括的なアウトリーチ・プログラムも実施していく予定である。さらに、オラと彼女の団体は、男性カウンターパートや他の人と同じように、女性障害者が自らの能力を高め、市民社会で社会的責任と生産的役割を担うことができるように研修サービスを提供している。

継続的な啓発とロビー活動は、法改正を実施するために必要な圧力をかけるため、また政策立案者に障害を持つ女性の権利を認識させたり、彼女たちの社会参加を促進させたりするのに有効な手段である。そのためオラは、社会認識を高めるため、そして女性障害者に対する支配的な態度を変革するために権利擁護キャンペーンを準備した。

オラの功績

オラ・アブ・アル・ガイブスター・オブ・ホープは、パレスチナで女性障害者の権利を向上させた初めての障害者団体である。今までに多くの女性の生活向上に成功し、そのすべての人が、この変化はリーダーであるオラ・アブ・アル・ガイブのビジョンによると考えている。

「スター・オブ・ホープで働くようになって、自分に自信が持てるようになりました」と語るのは、スター・オブ・ホープのスタッフで視覚障害のシャタ・アブ・スロールである。「仕事に就くことで自分の可能性や能力を発揮する機会が得られました。また、他人と協力し合うことや課題に立ち向かうコツをおおいに学びました。オラは非常に柔軟で素晴らしいマネージャーであり、彼女のおかげで、職場で尊敬を集め業績もあげることができました」とアブ・スロールは結んだ。

オラは、モハマド・アブ・ガイブと結婚し、彼との間に5歳の息子がいるが、彼女は自分の人生を、女性障害者の権利が守られるまで休むことない地域社会での闘いである、と語った。

「私は明けても暮れても戦い・・・、自分の職務がまっとうされるまで戦いをやめません」とオラは宣言する。「私は、伝えるべきメッセージがある障害を持つ女性です。このメッセージは、家族、同僚、スター・オブ・ホープ、そして障害分野のすべての活動家を通して世界中に伝えられるでしょう」。


オラ・アブ・アル・ガイブ
パレスチナのナブラス生まれ。2007年よりアショカ・フェロー。パレスチナ初の女性障害者による当事者団体の創始者であり会長である。12歳の時に障害を負って以来、彼女の人生は大きく変わった。何があってもあきらめない強い意志と向上心で学位を手に入れた。障害、開発、リハビリテーション・サービスの分野で14年以上のプロジェクト運営経験がある。全国レベル、地域レベルの両方で、障害マネジメントのプログラムに幅広く参加している。

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