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イザベル・グイラオ

イザベル・グイラオア・トッダ・ヴェラ/スペイン
2006年よりアショカ・フェロー

旅の物語
エレナ・セヴィラーノ著
ピーター・ダウディー英訳

11歳の時、プリに友達はいなかった。24歳のいま、彼女には友達がいる。この変化を可能にしたのは、ア・トッダ・ヴェラ(帆を揚げて)という団体である。この団体は、スペインで知的障害を持つ子どもと若者のために、インクルーシブな自由時間とレクレーションの選択肢を増やすことに取り組んでいる。プリはひとりぼっちではなくなり、いまでは誰もが望むような時間を過ごして楽しんでいる。彼女は、何がしたくて、どこへ、どうやって、いつ、誰と、を自分で決めている。彼女について話すなら、車椅子のヴァネッサについても話そう。または彼女を助けるサイモンも。または父親の葬儀でなぐさめる人々に囲まれて泣いていたソニアも。彼らはみんな、ア・トッダ・ヴェラの実務レベルのディレクターであり育ての親であるイザベル・グイラオの友達だ。

心理学者で学校のカウンセラーだったイザベルは、教育センターが障害者に提供しているサービスは週末や長期休暇の際には閉鎖していることに気づいた。「あなたはいなくなるけど、我々はここにいるのよ」と多くの家族が専門家に訴えていた。イザベルの障害がない2人の子どもたちは、外で遊び回ったり友達の家に泊まったりしていた。「私が世話をしていた子どもたちは遊んでいなかった」とイザベルは言う。1996年の夏、彼女はカンボジアを訪問し、兄弟のホセ・ルイズが運営するNGO「ラ・カサ・デル・アグア・デ・ココ」のプロジェクトを視察した。彼女は、障害分野で自分ができることはまだたくさんある、と考えながら帰国した。

「何か探している時は、常に細心の注意を払って、チャンスが飛んで来たらつかまえなきゃ」とイザベルは指摘する。彼女の場合、勤務する学校の生徒の母親の一人、マリア・ビクトリアが持ってきた一枚の新聞の切り抜きという形でチャンスが訪れた。マドリードの団体が、知的障害者にレクリエーションのプログラムを提供していた。「これだ!レクリエーションをインテグレーション(統合)のツールとして使うこと!アルメリアの知的障害者の生活の穴を、友人や計画で埋めるような団体を立ち上げよう」。このアイデアは、1997年1月に、イザベル、マリア・ビクトリア、イナ、カティ、アントニータの5人の女性を創設者として、ア・トッダ・ヴェラ(帆を揚げて)という名前で実行に移した。ビルバオにあるデゥエスト大学の障害とレクリエーション学部長およびサラマンカ大学障害心理学部長が、事業に対する理論的な支援を提供した。この分野ではやるべきことが沢山あった。スペイン人口の9%、もしくは約350万人(そのうちだいたい5人に1人が知的障害者)の人たちに対する余暇のための法律、行政の支援、もしくは補助金などは何も利用できなかった。

自分にとって最も大切なことを3つ若者に聞いてみるといい。家族や仕事とともに遊びがあがる。ア・トッダ・ヴェラは200人の障害児を対象に調査を行い、その結果、92%の障害児に友達がいないことが判明した。ほとんどの子どもは、家族以外の人と誕生日を祝った経験がなかった。98%は家やケアセンターの外で自由に行動することが許されていなかった。61.3%は地域のクラブやサークルなどに所属していなかった。85%は自分の家以外に宿泊した経験がなかった。40%は映画館に行ったことがなかった。20%は電話を使っていなかった。毎年6ヶ月は素晴らしい天候の沿岸部の街でも、77%は泳ぎ方を知らなかった!25%が孤独感、うつ、社会不安障害などに苦しんでいた。

「障害者と働く団体は、このグループの人たちにとっての余暇活動を革新的なサービスと考えていない。したがってこれらの団体は、個人と社会の発展に最も大切である余暇活動のプログラムを望んだり、要求したり、もしくは企画したりしない。障害者は見えないグループで、存在していない人たちだ」とイザベルは2007年の報告書で書いている。そして彼らが存在しないとき、コミュニティーは「インクルーシブなスポーツや文化行事などの提供をしない。提供したとしても、障害者の本当のニーズを充分に理解できていないために、提供される活動はこれらの人々に尊厳を持って対応するのに必要なすべての支援を含んでいない。我々の福祉社会は分かっていない。不完全である・・・」。

ア・トッダ・ヴェラは、「福祉」という言葉を避け、オフィスの四方の壁の中に留まることを拒否した統合的な余暇プロジェクトを企画し、そして完成させた。開始当初から一貫して、街に活動を広げ、関心を高め、コミュニティーを巻き込む努力をした。男の子も女の子も、プールやスポーツセンター、公園など公共の施設やサービスを利用し始め、さらに遊歩道に頻繁に通うようになり、そこではアーチェリーの練習をし、エル・ザッピロのビーチに行き、そこではビーチの人に入り交じって話しかけたりした。インクルージョンと平等は、可視化と意識化を通して達成された。プリと知り合うことは、例えば、彼女が11歳になるまで不可能だった。それは単純に、彼女は自分の家の敷居を一歩もまたぐことがなかったからだ。「学校は地獄のような場所だった。家の方が落ち着くから、と親には話したけどあれは嘘なの。本当は単に外に出ることが恐ろしかったの」と、プリは振りかえる。彼女はその時、ア・トッダ・ヴェラのボランティアだった姉に半ば強制的に連れ出された。口コミのおかげで、いまでは多くの障害児たちが他の子どもと同様に自由時間を愉しんでいる。「知ってる? 私たちの子どもでも、平等にスポーツやキャンプをして遊ばせてくれる団体があるのよ」。

障害者と健常者をあわせ、これまで10歳から30歳の約1000人の若者がア・トッダ・ヴェラの活動に参加している。このグループは、振付師で舞台監督のダニー・パヌロの映像が入ったCD「ハート・アズ・フラッグ(心に旗を)」を制作したり、スペイン国営ラジオ局の月刊番組を提供したりしている。彼らは、カーニバルからキャロリングまで、この地域で開催されるどんなイベントにも申し込んでいる。ア・トッダ・ヴェラは、デイタイム・ケアセンターと若者がたむろするクラブの世話をするリクリエーション・サービスも提供している。また障害者の家族が息抜きできるよう、ベビーシッターを派遣する家族支援サービスも行っている。さらに、自立した個人のグループ、つまりグループのために働きアイデアを提供する障害者とともに行う障害支援サービスもある。2008年現在、345人の協力者、175人の若者、144世帯、そしてユース・シェルターを運営する5つの団体がある。また、自分たちにできる支援や研修を提供している60名の専門家と、団体の基盤的支柱である115名のボランティアもいる。

イザベル・グイラオイザベル・グイラオ

ペペは、先天性中枢性肺胞低換気症候群であり、話したり、噛んだり、食べたりすることはおろか呼吸することもできず、人工呼吸を必要としている。彼をがんじがらめにしている慢性的な病気の長いリストを見ると、何をしても意味がないと諦めてしまうことは簡単だろう。しかしア・トッダ・ヴェラでは、彼の長所だけに着目する。ペペにもできることは何か? 水泳、彼は水泳が好きだった。たとえ浮き輪が3つ、2つは20歳になる彼の体を支えるため、そしてもう1つは酸素ボンベ用に必要だとしても。スペイン南部、マラガ州モリナのマラガ欧州・中南米青少年総合センターのプールは、介助を必要とする子どもたちが夏の午後に旅行を計画する場所だ。

公共施設を利用する最大のメリットは、いつも面白い人々との出会いがあることだ。例えば、メリラ青年協議会のメンバーは、笑いのセラピーやサルサ、仮面舞踏会などのワークショップに子どもたちを招待してくれるようになった。グアディックスの障害者団体は、一緒に旅行や食堂、トイレに行ったりしてきた。街を歩き回るのが好きな人も、センターで過ごすのが好きな人も、余暇の過ごし方をすべて自らの意志で決めることができる。これこそ親が最も重要視する点、つまり自分の子どもの意見が重視され、他の人のように扱われる点である。これは、尊厳や尊敬、そして彼らの障害ではなく能力を強調することである。

「息子には友だちがいる、誕生日パーティーにも出かける・・・、それは私たちにとって大きな変化でした」と、アントニアの母ローラは話す。ペペの両親、マルティリオとリカルドは「息子の生活の質が向上したことで、彼を取り巻く環境すべてが改善された」と言う 。「友人たちは彼にキスして、抱きしめて、彼のことを大事に思っている」とマルティリオは付け加えた。個々のストーリーは、達成された変化を表す何よりの証拠だ。ヴァネッサのイスタンブール旅行、ソニアのテネリフェでラクダに乗ったこと、問題児として離されていたイザベルのグループによる家族との生活に戻ったこと・・・。マルティリオとリカルドは、最初、見ず知らずの他人がペペの面倒をみることができるのか不安だったと告白している。「いまは、ア・トッダ・ヴェラを信頼している。ここには素晴らしいボランティアがいる」。

「ボランティアがいなければ、ア・トッダ・ヴェラは存在すらしていない」と、6?7人のボランティアグループの長としてモリナに来たイザベルは主張する。その中には、彼女の息子のナッチョや、今回初めて挑戦する友人の娘テレサもいる。テレサは単にとても感動し、最近母親と電話で話しながら泣いてしまった。「ア・トッダ・ヴェラで覚えている最初のことは、カヌーでの急流下りでした。私はものすごく遅かったの。そして気づいたの、ここで障害を持っているのは誰だろうって」ともう一人のボランティアであるマリア・アンジェレスは言う。このグループは、そこで働いている人々の人生も変えていることが明らかになった。

「何故なのか上手く説明できないが、例えば、明日火星に行ったとしても、同じように障害を持った火星人を見つけて、頭の先のアンテナをつかんで、光の方に引っ張っていくと思うとイザベルは言う。さすがに火星までは行かないが、2006年にアショカの社会起業家となったことで、彼女はア・トッダ・ヴェラをモデルとした団体をマダガスカルにも設立した。そして2007年5月に、再度、兄のホセ・ルイズと彼のNGOベル・アベニールと一緒に、彼らは障害者を見つけるために島の南半分を探索し、視覚に問題がある30人の少年少女を集めた小さなセンターを設立した。彼らは障害を持たない若者と統合キャンプに参加し、音楽やゲームを通じて両者の間の壁を打ち壊した。「変化は直ぐに起こりました。24時間以内に、ほとんどすべての人が自分たちは愚かだと笑いました。私たちは、抱きしめ合い、 分かち合ったのです」。

視覚障害児たちは、天使のような歌声を持っていた。そして1年後、ア・トッダ・ヴェラは、彼らをマラガシー・ゴスペルという名の合唱団 、「インクルージョンの重要性と、人間の能力に注目すれば、他のいかなる状況も乗り越える、人々の能力に対する洞察力の持つ力を伝えるインクルーシブな文化的イベント」としてスペインで披露した。グイラオは、アショカの巨大な可能性を、インクルーシブなレクレーションのプランを発信することができる拡声器として考えている。アショカとともに、このサービス・モデルとインクルーシブなレクリエーションをスペイン全土に広げるために、彼女はスペイン精神障害者連盟(FEAPS)と連携している。

「12年前、私は大きな一歩を踏み出しました」。それは学校カウンセラーとしての仕事を辞めることとなり、ア・トッダ・ヴェラの土台となった。「同僚から『イザベル、そんな生活を続けていたら体がもたないわよ。教育委員に辞職を頼んだら』と言われるまで、最初の数年間は仕事と活動を両立させようと時間を調整していたわ。そして私は『やるしかない。活動にすべてを賭けよう』と思ったの」。そしてその賭けは成功した。いまでは彼女は、団体の実務レベルのディレクターと、国内外での事業展開の責任者の2つに時間を割いている。ア・トッダ・ヴェラの理事会で、親を代表しているリカルドは、このプロジェクトはモデル事業を拡大し、より多くの人に知らせるために必要な基盤をしっかりと固めた、と考えている。「私はいつも、まだサービスが届いていない家族に『あなたの近くにア・トッダ・ヴェラがあれば』と言っている」。

それと同時に、団体も変化の時期を迎えている。1年前、ア・トッダ・ヴェラは障害者の人権は尊重されるべきだと訴えるキャンペーンを開始した。キャンペーンは、レクリエーションサービスはインクルーシブにすべきだ、ということに特に力を入れている。そしてそうならない時は、公式に抗議を申し出た。「我々には権利がある。でもいままでそれを要求してこなかった。その状況を変えなくては」。団体は、創設目的には考慮されていない、自立に対する動きを再開する予定である。しかしながら、ア・トッダ・ヴェラは積極的な参加を基本にしている。そして障害を持つ子どもたちは、理事会にいる2名の代表を通して、家庭や仕事を再度要求している。「我々の理念が変わったということだろうか? そうではない。それは単に、私たちの望みと夢を叶えるためのプロセスを意味している。障害を持つ子どもたちと個人的関係が築けたからこそ、ここまで進んで来られたのです」。彼らは、ヴァネッサは仕事がしたい、プリは自立してボーイフレンドのサルバと暮らしたい、と望んでいることを見てきた。これらは彼らの挑戦である。「私たちは先に進まなければ」。

イザベル・グラリオとは何者か?

グラナタ大学で心理学の学生だった時、イザベル・グラリオが授業に出席することはまれだった。彼女の大学時代の思い出といえば、障害研究のリサーチ・チームに参加していた社交的な家庭出身の若い女性の思い出である。彼女は最初、知的障害を持つ女児の学校でインターンだった。卒業後は、グアディクスにある他の学校で働いた。「私は仕事に夢中になって、そこで個々人と絆を築き、この人たちのために生涯働こうと決意したの」。その後、すべてがスムーズになった。「あなたは、自分は障害者が好きだと気づき、彼らの生活の質を高める為に何かしたくなり、彼らの母親とも親しくなります。あなたは彼らを見守るのです。それが観察できる」。

この人たちによって、常に私は自分の能力を疑っていたとイザベルは認め、「そして私は、それが好きなの」。<文頭に来ています>彼らは、彼女を恐怖と立ち向かわせ、責任の重圧からくるパニックも感じ、精神的に成長させた。「私はとても素直に笑うし、泣きます。抱きしめて、キスして、怒鳴り、毎日が感動の連続なの」。彼女の人生の選択は大きな褒賞をもたらしたのか、と尋ねる人に彼女は答えている。「個人的に忙しくなったせいで、ある程度人間関係が道端に置き去りにされても、これは私がしたかったことで、実現したことです。しかし私は負けませんでした。逆に、勝ちました」。若者との交流が、彼女にやる気と活力を与えている。「私は自分の子どもたちや彼らの友人と特別な関係を築いています」。彼らは ア・トッダ・ヴェラに参加し、イザベルは彼らと家族が関与するプロジェクト以外のプロジェクトを一緒にやっている。「これらは特別な方法で、彼らと私を結びつける体験です」。

彼女のアドバイス

1)障害ではなく人を見ること。一人ひとりの能力と可能性をもとに、成長し発達する支援を彼/彼女に与えること。

2)彼らを地域に参加させること。そうすれば地域も参加する。お互いの世界を近づけること。そうすれば、単に身体的な観点から見るのではなく、心が感じられる活動を通して見るようになる。

3)心が感じられる言語を使うこと。知的障害者は、感情、思い、衝動、目線、笑顔を通してコミュニケーションをする。専門的な理論は抜きにして、彼らの目線に立って物事を見つめ、彼らの言葉を使うこと。彼らに近づいて、選択や機会そして彼らの権利順守のために彼らの扉を開くこと。

感情による変化

ア・トッダ・ヴェラと生活をともにすると、障害者と自分自身の両方に関する価値観や認識、考え方が変わる、とアルメリア大学のアベル・ラ・カル教授は信じている。「あなたを魅了して、なんらかの方法であなたを変えるような純粋な感情の空間を彼らは創りだしています」。彼は、障害のある若者とない若者を対象としたワークキャンプで、このことに気がついた。「公式には、私は人権に関する講義をするために行きましたが、キャンプに着いた瞬間から帰る時まで、つまり2、3日彼らと一緒に生活して、相互に学び合いました」。この経験は、彼にある挑戦を突きつけました。「<文末に来ています>彼らは、人権を作り上げている価値観を共有するにはどうしたらいいのか、と私に尋ねたのです。私は写真を使ってやることにして、そして普通は隠されている現実を示す写真を選びました。写真をプロジェクターで映し、その写真を見て湧きあがる感情について参加者と話し合い、そしてみんなが世界を変えたいと思いました。我々なら、その夢を実現できるかもしれないとさえ思えました」。2つ目の挑戦は、「障害者との結びつきを学ぶことでした。イザベル、ハヴィエール、イオ、シルビア、そして他のボランティアを観察し、結果的に障害を持つ人たちと関われるようになりたいと心から思うようになりました。そして、その方法を学べた気がします」。

イザベル・グイラオイザベル・グイラオ

彼の意見では、ア・トッダ・ヴェラは、「たった一つ肝心なルールがある。共感、相手が感じていることを感じること、つまり思いやりの場所です。成功するとは限らないとしても、理解しようと努力する姿勢は伝わっています。これは、障害者にさらなる自主性を与えるが、しかしそれ以上に、障害者に対する認識を変え、彼らを可視化させた社会的に広がりやすい考え方のようなものです。あなたが彼らの一人に会うと、あなたを認め、丁寧に名前を呼んで挨拶をしてくれ、あなたも彼らを認めて、彼らの笑顔に応えることを期待している誰かと一緒にいることに気づきます」。彼は、団体がどのように設立されたか覚えている。「余暇の分野に焦点をあて、やらなければいけない唯一のことは楽しむことでした。私は、あれは素晴らしい直感もしくは勘だと信じていますが、分かりません。大切なことは、いまア・トッダ・ヴェラが障害者の生活のあらゆる側面に、この解決方法を持ち込んだことです。障害者のために、すべての人と同じように尊厳、愛、自立・・・を求めています」。


イザベル・グイラオ・ピネィロ
50歳、2児の母。心理学者、団体発展プロセスの諮問・マネジメント修士号。スペイン知的障害者のための組織連盟(Confederación Española de Organizaciones en favor de las Personas con DiscapacidadIntelectual:FEAPS) 2006年からアドバイザリー・ネットワークとアショカ・フェロー。 20年間学校のカウンセラーを務めた後、1997年にア・トッダ・ヴェラを設立。

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