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マハ・ヘラリ

マハ・ヘラリアドバンス/エジプト 2007年よりアショカ・フェロー

エジプトで自閉症と向き合う マハ・ヘラリ著

私の自閉症との出会いは1993年、息子が28ヶ月で退行型自閉症と診断された時であった。この聞きなれない病名を知った日を境に、私たち家族は、普通の家族とは異なる生活を歩んできた。

モスタファは、1991年1月の予定日に健康な赤ちゃんとしてこの世に生を受けた。乳幼児のころは睡眠時間が短く、母乳以外の食べ物はほとんど拒んだため子育には苦労した。それにも係わらず、20ヶ月目までは問題なく成長しているかのように見えた、彼がそれまで身に付けていた能力を少しずつ失い始めるまでは。

自閉症の症状はじわじわ出てくる。最初の12ヶ月は誰もモスタファの異変に気づかなかった。幼いモスタファは順調に成長していた。外の世界と積極的にかかわり、言葉も着々と習得し、短い文章まで話せるまでになっていた。歌ったり、童謡を復唱したり、塔とドームの上に月の付いたイスラム教のモスクなど、細部まで表現する絵も描くことができた。その頃の私たちは彼の成長ぶりに驚き、「神童かもしれない」と思うほどだった。それがある日突然、原因不明の神経性の異常が次々にモスタファを襲い、それまで身につけていた能力がみるみる失われていった。

20ヶ月目になると、モスタファの異変はもはや無視できないものとなった。口数がどんどん少なくなり、周りに関心を示さなくなった。そして24ヶ月目には完全に内に引き込もってしまい、ほぼ喋ることができなくなってしまった。言語療法も試みたが、治療中以外の効果はなかった。私たち家族はみな心を痛め、途方に暮れた。ちょうど同じ頃、私の一番の支えだった愛する母親が他界し、家族は失意の底へと落ちていった。

28ヶ月目になると、モスタファの多動性と反復行動が目立ってきた。同じ絵を何度も描いたり、部屋の同じ場所を何度も歩き回ったり。多くの親がそうであるように、私も状況を受け入れることができず、保育所を転々とするようになった。小児科医でもあり、理解ある経営者がいる保育所では、注意欠陥多動性障害(ADHD)ではないかと言われ、私は精神科医だった友人に助けを求めた。彼が我が家を訪れてモスタファを観察した後、反復への執着や音に対する異常な感受性、手順を必要とすることなど、いくつか典型的な自閉症の症状がある、と告げた。その診断も私たちは受け入れることができず、自閉症の子どもを持つということがどういうことなのか想像すらできなかった。そして、他の答えを言ってくれる人を探し続けた。

私の前夫であるモスタファの父二アールは、エジプトとイギリスの二重国籍を持っていた。1995年2月、イギリス側の親戚が、イギリス自閉症協会の診断拠点であるコミュニケーション・社会性障害センターに、モスタファを連れて行くよう手配してくれた。当時4歳のモスタファに下された診断は、「非定型自閉症」。その時もらったアドバイスは、自閉症児専門の学校に入れるように、というだけだった。私たちが住むエジプトのカイロにそのような学校はないと言うと、ではせめて言語療法と作業療法を続けるようにと言われて、その場を後にした。

帰国後は、インターネットで自閉症の情報を探し始めた。二アールと私は息子の病状が明らかになったときから、知人の誰にでも息子の状態についてできるだけオープンでいることで合意した。私たちは、決して家の中に隠しておくことはしないと決めた。これが功を奏し、周囲の協力のおかげでモスタファに良い療法士が見つかり、同じく自閉症の息子を持つカイロ在住のアメリカ人女性2名とサポートグループを立ち上げた。

調べるうちに、自閉症はまだ謎の多い発達障害の一種で、周りから心を閉ざし外の世界に無関心になっていくことが分かった。見た目には他の人と変わりはないが、多くの場合、言語と社会性に欠けていて、異常なほど落ち着きがない。彼らは一定の行為を繰り返す反復行動を好む。研究によると、自閉症の人は普通の人とは感覚の働きが異なり、その結果、異なる反応や行動に至ると考えられている。モスタファの場合、異常なほど音に敏感でこれで寝付きが悪い原因が分かった。聴覚が異常なまでに過敏な彼には、壁を隔てた音や、自分の体内の音までも聞こえていたのだ。

1996年に聴覚統合治療を受けるため、ベルギーを訪れた。聴覚統合治療とは、音楽を使って、音に過敏な反応を示さずもっと上手にそれを処理する療法である。治療により、モスタファは3年ぶりに初めて6時間以上継続した睡眠が取れるようになった。おかげで、私たち家族もぐっすり眠れるようになった。

しかし、カイロに帰ると生活は大変だった。転職や引っ越しなどの理由でモスタファの担当療法士は頻繁に変わり、私も色々な治療を受けにモスタファを連れて出かけることに疲れ始めていた。辛い時はサポートグループの一人、ロイス・ハンティングトンがいつも私を励ましてくれた。彼女は、アメリカで障害児のための支援センターの立ち上げに携わったことがあり、同じセンターをカイロでも開けないかと、私は考えるようになった。彼女は自閉症の息子が充分なサービスが受けられるようにと人生を捧げてきた素晴らしい母親で、私の良き友人であり、メンターでもある。

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この混乱の中、同じ1996年に父が白血病になり、モスタファの世話にだけ集中できなくなった。私は父が安らかな最期を迎えられるように看病と介護をしなければならなかった。そして1996年4月に、父が他界した。3ヶ月と決めた喪が明けた後、私はそれまで勤めていたユネスコ・カイロ事務所の事務局長を辞め、教育心理学者のベス・ノヴジャム氏と、最初にモスタファの病状を診断した友人でもある心理学コンサルタントのナサー・ローザ氏とともに、教育リソース・センター(the Learning Resource Center)を立ち上げた。きっかけは息子の療法士を確保するためだったが、その頃になるとそれだけではなく、同じ境遇にある親たちの力にならなければと思うようになった。それ以来12年間で、教育リソース・センターは、発達障害、学習障害、行動障害の子どもたちを持つ3000以上の家族を支えてきた。

教育リソース・センターのような施設を設立したことがエジプトにはなかったので、許可を得ることが問題だと発見したことは、私の最初の驚きだった。学校ではないので、教育省に申請することはできなかった。営利目的ではないものの、慈善事業でもないので、社会省に申請することもできなかった。最終的には、発達障害を持つ子どもに医療と各種療法を提供することを条件に、保健省から設立許可が下りた。だから各部門のトップは医学的な専門家でなくてはならなった。言語聴覚療法はエジプトではまだ専門が確立されていなかったため、言語聴覚療法部門のトップには音声治療学の博士号を持つ医者が就いた。感覚運動部門のトップには、物理療法学を専門とし、理学療法と作業療法の二つの分野を指導できる医者が必要だった。作業療法士もまたエジプトには存在せず、私は2000年から作業療法士育成委員会の活発なメンバーとなり、国際作業療法士連盟も支援している。私たちの目的は、医療専門職としてエジプトに作業療法士を確立することである。

このようにして、教育リソース・センターは、1996年9月にようやく各種訓練を提供する民間クリニックとして活動を開始した。1997年には施設内に2~6歳児を対象に診断も行う育児所、アドバンス部門を開設した。子どもを4~6週間の期間で預かり、専門家による診断を行った上で個別療法プランを提案し、その後、一般の保育園や幼稚園に入園できるよう支援する、というのが当初の思惑だった。必要な療法は提供しても、あくまでも一般の保育所や幼稚園に通い、社会の主流から外れないようにと考えていた。しかし、より重い症状を持つ子たちにはそれが難しく、結局、保育所や幼稚園から入園を断られてしまった。モスタファもその一人だった。彼らには、適切な療法を組み込んだ一日のプログラムが必要だと気づいた。

そして他の親たちとともに、「アドバンス?エジプトの特別なケアを必要とする子どもたちの技能開発協会」という非営利組織を社会問題省の認可を得て立ち上げた。設立から現在に至るまで、私は会長と事務局長を務めている。アドバンスは、教育リソース・センターに習い、多様な療法を組み入れている。子どもたちはまず、言語聴覚療法、作業療法、特別支援教育と心理学など、多分野に渡る専門家のチームから診断を受ける。そして診断結果に基づき、個々のニーズに合わせ、また能力を伸ばすための個別学習計画(IEP)を立てる。クラスの子どもそれぞれはグループで勉強し、またIEPに応じて個人の療法セッションも受ける。アドバンスの創設者7人のうち、5人が自閉症の子を持つ母親だったこともあり、主に自閉症と関連の障害を持つ子どもたちを対象としている。

3つめの問題は、自閉症とその関連の障害を持つ子どものための治療介入に関するアラビア語の最新資料を探すことだった。しかし探しても見つからなかったので、1999年に欧米の最新プログラムの使用を決め、アラビア語に訳し、内容を地域に合わせ改良することに決めた。そしてサンフランシスコにある有名な団体「ビヘーヴィアー・アナリスト(行動分析)社」に連絡を取り、スタッフ4人をスターズ(STARS)というプログラムの夏季研修に参加させて欲しいと依頼した。そのプログラムは 「言語学習アセスメント(アビリスABLLS : Assessment for Basic Language and Learning Skills)」をベースにしていた。ABLLSはもともと3~8歳児向けだったため、私たちは自分たちのニーズに合わせた新たな要素を付け加えなければならなかった。また、運動感覚、就労前研修と職業訓練、美術と工作、社会適応スキル、精神運動訓練などのセクションをプログラムに加えた。その上で、アラビア語の構造や性質に合うよう、言語や文法、学術的な部分も含めて全てを書き直さなければならなかった。苦労の末に、アドバンスのプログラムはようやく完成した。それはABLLSだけでなく、「ポレッジ」や「カロリーナ・カリキュラム」、「自立に向けたステップ」など、他のプログラムの要素も取り入れている。

自閉症患者の7割は知能指数(IQ)に影響を受ける。モスタファもその一人だった。彼はほとんど言葉を発しない。水泳、乗馬、スポーツジムでのジョギングは大好きだ。彼は若く、毎日の生活を楽しんでいて、この先もずっとそうあって欲しいというのが私の願いだ。彼が自分自身の能力に応じて、充実した人生を歩んでいって欲しい。そしてそれが一般の人とは違う人生になるということを、私は受け入れている。モスタファは1月で18歳になった。自立心と生活能力をさらに伸ばすため、アドバンスの成人期移行プログラムに入る。彼の能力に合わせて、より効果的なコミュニケーションの取り方、身だしなみや衛生面など日常生活の技術と、スケジュールに沿っての行動や料理、ガーデニングなどの実務的なものなど仕事関連の技術を学ぶ。アドバンスの利用者が成人になるにつれ、思春期および成人期のプログラム作りは、私にとって新たな挑戦である。

特別な支援を必要とする人々のため、そして彼らが社会に受け入れられるようにするための主張は、非常に重要なことだ。特別な支援を必要とする人々は、どの社会にも約10%はいるといわれている。いかなるコミュニティーにおいても、それは無視できない人数だ。そして彼らに対処する唯一の方法は、彼らの能力を向上させるしかない。そのためのサービスを提供する義務が私たちにはある。私の口癖は、「誰でも一瞬にして障害者になることがある」である。ある日突然、車にはねられるかもしれない。その時、周りからどのような扱いを受けたいか、どのように見られたいか? 社会において優先されるのか、それとも重荷になるのか? 特別なニーズを持つ子どもと暮らす家族に掛かるストレスは大きく、地域からの理解とサポートなくしては生きられない。

エジプト国家公衆動員・統計局の調査によると、障害者は人口全体の3~4%を占める。しかし、国際機関の統計によると、障害者は中東人口の10~12%と発表されている。この差異は、障害の分類の違いによって生じていると思われる。公表すれば家の名が傷つくという恐れから、家族に障害者がいることを隠す家庭もある。しかしエジプトには推定で750万人の特別な支援を必要とする人々が暮らしており、そのほとんどは今も、法律面でも社会面でも隅に追いやられている。

1996年に制定され、現在、改正が進められている児童法と、1989~99年、2000~2010年に実施された「第一次と第二次エジプト児童保護の10年」などは、インクルージョンの権利を認めていない。エジプトはいまだに障害を医療モデルで捉えているため、IQを基準に子どもを診断し、就学に反映させている。障害を持つ子どもは、IQ50~70の軽度な知的障害を持つ子どものための学校、視覚障害児のための学校、聴覚障害児のための学校のいずれかに通うことが決められている。これら省庁の管轄にある学校は、IQ50以下の子どもの入学を受け入れていない。視覚・聴覚障害児のための学校では、視覚障害児には点字、聴覚障害児には手話と視覚教材を用いて、一般学校と同じカリキュラムを教えているのに比べて、IQ50以上の知的障害児のための学校では、内容を易しくしたカリキュラムを教えている。要するに、省庁は4%未満の障害者しかケアしておらず、そのせいでエジプトの子どもたちは苦しんでいる。言い換えれば、納得できる理由もなく、学習障害、言語障害、難読症、自閉症、社会的・精神的問題、肢体障害、重複障害、事故による脳機能障害は、正式に取り扱われていない。

カイロとアレクサンドリアの18~24ヶ月の幼児を対象に行った自閉症に関する調査では、自閉症が876人に1人の割合で存在していることが分かった(保健省特別ニーズ局、イブラハム・エル・ネケリー、2004)。 しかしWHOの統計では、世界的に自閉症は新生児500人に1人とされている。だから私は、エジプトでは500人中1人より多いのではないかと考えている。でも実際は、自閉症を診断するためのアラビア語のツールがまだ標準化されていないため、正確な数値を把握するのは難しい。ただ現在、サウジアラビアとカタールとエジプトで、自閉症診断のためのADI-R(Autism Diagnostic Interview Revised: 自閉症診断面接改訂版)およびADOS(Autism diagnostic observation schedule:自閉症診断観察法)といったツールをアラブ圏で利用可能にするための協同研究が行われている。もう1つの問題は自閉症に対する社会的偏見だ。そのために親は障害を持つ子どもを自宅に隠す傾向がある。エジプトでは自閉症の認知度は低い。したがって、子どもの機能が低い場合は知的障害、機能が高い場合は言語の遅れなどと、医師から間違った診断を受ける恐れがある。

自閉症は神経科医や耳鼻科医、また時には子どもを対象とする言語セラピストによって診断できる。ただ、診断される時期は5歳以上と遅く、診断されたからといって受けられるサービスは変わらない。サービスは限られており、必然的に診断後の子どもたちの療育や成長の可能性も狭めてしまう。適切かつ経済的に手が届くサービスを探すのは至難の業だ。エジプトで最も一般的な自閉症の対症療法は、言語療法に認識能力の向上と行動改善のためのトレーニングを加えたものだ。しかし、後者のサービスはカイロやアレクサンドリアなどの大都市でしか受けられない。

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アドバンス協会は、自閉症の認知度を上げ、私たちが持つ専門知識とノウハウをエジプト中に広めるため、「4月は自閉症の月」という全国キャンペーンを2005年に開始した。アートの展覧会、スポーツの祭典、親を対象としたセミナー、子どものコンサートや公開カンファレンスなどを毎年違う行政地域で開催している。昨年は、エジプト全20県から自閉症の子どもと大人を対象に積極的に活動している35団体にキャンペーンに参加してもらった。自閉症の認知度を高め、より良い療法に結び付けるための早期診断の重要性を訴え、社会に積極的に参加する子どもたちが持つ可能性を見せる、地域社会のキャンペーンを目的としている。


マハ・ヘラリ
1982年にカイロ大学の経済・政治学部を卒業。現在、ロンドン大学の教育学部にて「インクルージョンと障害学」をテーマに修士課程を修得中。マハ氏は1996年にユネスコを退職し、教育リソース・センターをカイロに設立。1997年にアドバンス(ADVANCE : Egyptian Society for Developing Skills of Children with Special Needs)が発足され、マハ氏は理事長に選任された。2004年12月には、ユネスコの「万人のための教育」の一環で行われたアラブ地域の特別教育に係わるNGOを含めた顧問委員会のコーディネーターを務めた。2006年には、彼女の障害者の啓発活動への取り組みがカイロのアメリカ大学から高い評価を受けた。エジプトにおける障害者の社会参画の活動を支援するため、2007年にアショカよりアショカ・フェローに選ばれた。

The Egyptian Society for Developing Skills of Children with Special Needs
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