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第4節 「働く権利」の視点からみた福祉的就労分野での労働法適用問題

朝日 雅也(埼玉県立大学保健医療福祉学部)

1.はじめに

いわゆる福祉的就労に対して労働法を適用することの意義と課題について、本研究を通じて確認・議論されてきた諸外国での取組みを含む実態を踏まえながら、現に福祉的就労に従事しているとみなされる障害者の「働く権利」の確保の視点から、そもそも労働法を適用する意義と今後の課題について言及する。

筆者は、2003年に社会福祉法人全国社会福祉協議会・社会就労センター協議会「社会就労センターのあり方検討委員会」において、授産施設における就労について労働法規を適用していくことを提言した。その際には、理念的な側面が先行していたことは否めないが、今回の研究活動を通じて、また、その後、障害者自立支援法にも基づく新しい就労支援サービス体系が構築されたことを踏まえ、改めて福祉的就労に従事する障害者を労働者として位置づけることを基本とし、そのために労働法規を全面的に提供することの意義を提言したい。

障害者自立支援法では、福祉的就労に携わる障害者を福祉サービス利用者として位置づけているが、これを改め、雇用施策との統合を図る方向性を展望する必要がある。

また、障害者が一般の労働市場で就労できない理由として生産性の低さがあげられ、それゆえに労働者としての権利保障がない、いわゆる長期にわたる福祉的就労機会の提供や訓練の提供の前提とされてきたことも改めなければならない。

福祉分野における労働法適用に関する課題について、福祉的就労に従事しているとみなされる障害者の「働く権利」の確保の視点から、今後の福祉分野における労働法適用の課題について提言する。

2.障害者の労働を検討する上での前提の確認

福祉分野における就労に対して、労働法の適用を検討する際には、「働くこと」について、なぜ障害者を一般の労働市場ではなく、福祉分野における作業活動に押し留めてきたにかについて、確認をしておく必要がある。

障害があるために一般の雇用労働者になりにくいのは、国際的に見ても共通の課題であるが、福祉分野における労働法規の適用を検討する上で、障害者が一般の労働の場から排除されてきたのは、主に社会の側に主要な原因があることを前提とするべきである。

生産性が低い(最低賃金以上の賃金に見合う生産性がない)、持続性がない、設備や作業改善あるいは教育訓練に特別な費用がかかる、人間関係で不安がある、といった理由をあげ、結果的に、働く場から排除してきたことに問題の本質がある。

その本質をいわば正当化するために、労働の場と福祉の場という二分法的に「働く」という営みを、事業者やサービス提供者の論理で分断してきたことに根本的な問題がある。本来、少なくとも稼動年齢にある障害者は、その心身機能の状態や程度に関わりなく、先ずは労働者として位置づけられるべき存在(障害者本人の意向を確認することはもちろん言うまでもないが)であるという考え方を出発点にしなれればならない。

福祉的就労の名の下に、いわば労働市場側の論理で、福祉的就労の枠組みに障害者を入れ込み、それを出発点として、労働法規の適用を検討するのではなく、現在、福祉的就労の場におかれて、労働法規の適用からは隔絶されてきた事実、すなわち、失われてきた権利の回復の視点からこの問題に迫る必要がある。

換言すれば、どのようにすれば福祉的就労に労働法規が適用できるか、適用すべきかどうかの議論ではなく、労働法規の適用(に見合う水準)を可能にするためには、現状にどのような網をかければ、本来的な権利を回復させられるのかを出発点にしなければならないのである。

3.現行の福祉分野における労働法適用の課題

(1)労働と福祉を統合する施策の必要性

労働法の適用を進めるにあたっては、福祉分野での就労の実態に、部分的、あるいは準用的に労働法規を適用することではなく、全面的に適用することを原則とすべきである。そのためには、政策的にも、労働(雇用)と福祉の連携ではなく、労働と福祉の統合が必要になる。

実際的には、労働安全衛生法等の適用は比較的たやすいと思われるが、最低賃金法の適用等となるとハードルが高いことは事実であろう。

そこで、賃金補てん等の積極的な施策によって、福祉分野における労働に労働法規の適用を可能にするようなことを今後の障害者雇用・就労施策の基本とすべきである。

現行の福祉分野における労働に対して、労働法規を適用するために、労働法の労働者保護性を緩和するようなことがあっては却って本末転倒なのではないだろうか。

一定の指揮命令系統のもとで、例え、生産性としては同職種に従事する一般の労働者より低くても、労働している障害者を保護していく支援が求められる。

もちろん、このことを原則にしながら、実質的には、いくつかの段階を踏んで、労働法規の適用を進めていく方法論は考えうる。

また、この際、就労していない障害者をすべて福祉的就労に従事する者として労働法規の適用の範囲とするには、社会的なコンセンサスは得にくいであろう。労働者である以上、一定の指揮命令系統のもとで生産的な作業活動に従事し、賃金補てん等の支えを得ながらも、「労働することで対価を得る」という基本線は崩せない。この契約を望まない者をあえて労働者とみなす必要はなく、むしろ他の福祉サービスの充実強化によって、「働かないこと=価値が低いこと」という呪縛から解放することの方が近代的な政策となりえるだろう。

(2)労働と福祉の整合性

その上で、就労移行支援のような「訓練」としての位置づけの福祉事業は、労働分野の職業能力開発との整合性を明確にし、最終的には同じ制度に位置づけていく(「訓練」である以上、労働分野における職業能力開発との違いはもはや存在しないのではないか?)、いわば制度の統合化が望まれる。

訓練は明確に、それが必要になったときから期限を定めて計画・実施されるものであり、目的も期間も曖昧なままに、訓練として位置づけられることは避けられなければならない。

訓練である以上は、労働者ではないので労働法規の適用からは外れるが、その期間(数年から一生、訓練が続くということはありえない)や、無料での訓練受講、明確な訓練(支援)計画の策定等によって、訓練サービス利用者としての権利が保障されるべきである。訓練であれば、特に作業の対価を得る必要はなく(生活保障に関する他の施策やサービスが必要なことは言うまでもないが)、現行の就労継続支援事業の「結果としての訓練」の側面は、本当に結果的に一般の労働市場へと移行することを否定するものではないが、不要な機能であると思われる。

労働と訓練の場があることは認められるが、現行では生産性や指揮命令系統に違いがあるという理由で、働く枠組みとして、労働と福祉の2つの分野が存在することには違和感を禁じえない。「福祉」は、労働者として働き続けるための支援の総称であり、時に、一切のハードウエアを伴わないソフトによる実現(ジョブコーチ支援など)であり、また、時に、地域でのインクルーシブな機能の発現を前提としつつ、ワークショップなど一定のハ ードウエアを伴う機能として認識されるのではないだろうか。

(3)極めて生産性の低い障害者の働く場の保障

生産性は、障害者の心身機能や機能的能力により規定されるものではなく、環境との関係で高低が決定するものであることを前提にしつつも、極めて生産性を低い障害者を労働者として位置づけることには無理がある側面も考えられる。そのため、結果的に現行の福祉分野における労働の活動からは、排除される危険性があるが、その場合については、多様な自己実現の機会の提供が保障される必要がある。

現行の小規模作業所や、地域活動支援センターにおける日中活動では、こうした多様な自己実現や社会との連帯の醸成において、必ずしも充分な対応がなされていない。労働者として位置づける障害者を増大させるためには、同時に、こうした日中活動の場を拡充も連続線上にある施策といえる。その際には、労働による賃金の保障のみならず、所得保障全体の枠組みの中で、日中活動の位置づけを考えていく必要がある。

そして、どのような働き方、社会参加の仕方を選択しても、その障害者の尊厳が確保できる価値観の醸成が必要なことは言うまでもない。障害者を排除しない公正な社会の構築に向けて、労働法適用の問題が大きな鍵を握っている。

1.社会福祉法人全国社会福祉協議会・社会就労センター協議会「社会就労センターのあり方検討委員会」.社会就労センターのあり方検討委員会最終報告.社会福祉法人全国社会福祉協議会・社会就労センター協議会.2003年