研究事業報告書 資料

資料

1、 医療的ケアを必要とする重度障害者の単身在宅生活に向けての課題

 立命館大学大学院先端総合学術研究科・後期博士課程 西田美紀

 
(DVDに収録したパワーポイントの解説です)

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目的
 近年の医療体制の改革による入院日数の短縮化や医療技術の進展に伴い、重度障害者の生活の場が地域医療や福祉へと移行せざるを得ない状況になりつつある。しかし、個人的事情(家族世帯や経済的事情など)や在宅体制の整備が立ち遅れるなかで、在宅生活が困難な実情もあり、体制の再構築,制度改革に向けた実情把握が急がれる。本研究では、呼吸症状の進行に伴い非侵襲的陽圧換気療法(以下NPPV)が必要となった独居ALS患者の一事例を通じ、進行性疾患患者の独居在宅生活の維持に資する重層的サポートを探ることを目的とした。

方法
 医療的ケアが必要な進行性疾患患者が、地域の中で安定した療養生活を維持できる社会状態を目指し、実践的問題と解決に向けアクションリサーチを行った。具体的には、療養者の具体的生活場面を把握し、研究対象者・サービス提供に関与する福祉・医療機関からのヒアリング・記録を参照して、在宅生活維持のための課題要因の分析と、解決のための方策を明らかにした。

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 医療的ケアという言葉ついて説明を加える。医療的ケアがどのような行為を指し示すのか、明確な定義はないが、90年代、最重度障害児の教育現場で、日常生活を送るために必要な吸引や経管栄養などが、医療者のみが行う医療行為なのか、それとも生活援助行為なのか、医療と福祉制度のはざまのグレーゾーンを示すために、養護学校の教員(松本嘉一氏)から生まれた言葉である。

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 以降、医療的ケアは、Table1に示すように2つの歴史的変容がある。2002年ALS協会から「ALS(筋萎縮性側索硬化症)等の吸引 を必要とする患者にヘルパー等介護者の吸引を求める要望書」が署名を添えて提出され、厚生労働省はこれを受け、2003年「家族以外の者によるたん吸引の実施」について一定の条件下では「やむを得ない措置として許容されるもの」とする通知が出された。追って 2004年には、遷延性意識障害者の家族らの要望をうけ、ALS患者以外にも家族以外のものによる「吸引」が認められた。

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その後、入所施設や福祉分野で行われていた行為と医師法との整理、非医療職がケアを実施するための条件はどうあるべきかを探るため、厚生労働省は「在宅および養護学校における日常的な医療の医学的・法律学的整理に関する研究会」を設置し検討をおこなった。

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 NPPVは、マスクなどを介して身体に手術侵襲を加えることなく、鼻や口からの換気を人工的に補助する方法である。陽圧人工呼吸器により換気補助を行う非侵襲的陽圧換気療法で、夜間無呼吸症候群患者に用いられるCPAP(continuous positive airway pressure:持続陽圧呼吸療法)や体外式陰圧人工呼吸療法は除外する。日本では、1990年にDuchenne型筋ジストロフィー患者の慢性呼吸不全に対して導入され、近年ALS患者に対しても使用されるようになってきた。2004年には、17500人の在宅人工呼吸療法患者のうち、15000人がNPPVになったと報告がある(2007年,特定疾患患者の生活の質(QoL)の向上に関する研究)。効果は賛否両論であるが、NPPVの適応時期は、アメリカのNAMDRC(National Association for Medical Dirction of Respiratry Care)のconsensus conference reportでは、血液ガス分析で1)PaCO2:動脈血中二酸化炭素が45mmHg以上,2)睡眠中SpO2:経皮的酸素飽和度88%が5分以上持続,3)%FVC(努力性肺活量)が50%以下か。最大吸気圧が60cmH2O以下のいずれかひとつあれば慢性呼吸不全でのNPPVの適応があるとしている。ALSの場合もこの基準が準用され診療ガイドラインが作成されているが、臨床経験からはこの適応では遅すぎると多くの専門医は考えており、検査値に関わらず、動作時の呼吸苦,全身倦怠感,夜間不眠,早期の頭痛どの、呼吸筋低下の症状がある場合は、早期からの導入が望ましいとされている(2007年,特定疾患患者の生活の質(QoL)の向上に関する研究)。

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 脊髄、脳幹や大脳皮質の運動ニューロンのみが選択的に障害される病気を運動ニューロン病と総称している。この中で最も多いのが筋萎縮性側索硬化症(ALS)である。 私たちが日ごろ動かしている随意筋は、脳からの命令を受けた運動ニューロンで、運動ニューロン=運動神経細胞が侵されると、筋肉を動かそうとする信号が伝わらなくなり、筋肉を動かしにくくなったり、筋肉がやせ細ったりする。随意筋の障害には、四肢の筋群,顔面の表情筋,口の開閉や咀嚼,嚥下に働く筋群,発生・発語の筋群,呼吸筋群,眼球やまぶたを動かす筋群,また膀胱・直腸の括約筋や、情動運動系の障害(感情の高まりや不安を抑えにくくなる)も見られることもある。

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調査対象者・病状経過・ADL(日常生活動作)
調査対象者:61歳男性(以下S氏と記す)。
病状経過:2006年夏頃より、左手の感覚・機能低下があり、近くの医院を受診したが原因不明で経過観察となる。症状の改善が見られず、下肢の筋力低下も出現したため、再度病院を受診し、2007年6月に大学病院へ紹介され、検査入院により「ALS」と診断される。診断後は仕事を退職し、事情により自宅で独居生活を送っていた。同年12月に胃婁増設目的のために再入院し、2008年1月に退院する。同年2月より、神経内科の外来診療と重度認知症・難病デイケアを併設する診療所に通所するようになった。その頃より下肢の機能低下による転倒を繰り返し、独居での在宅生活が困難となり、4月に肋骨骨折の疑いによる安静目的と在宅生活の再構築のために入院となった。同年、7月に退院し、10月より呼吸症状の進行により就寝時にNPPVを使用するようになり、2009年1月気管切開と在宅生活の再構築のために入院となった。
 ADL(日常生活動作):両手機能全廃,右手指は軽度動く。両下肢機能低下あり歩行不可も、屈曲・進展は可。寝返りはできず。食事・排泄・着・入浴は全介助。移動時は車椅子を使用していた。 スライド9 2008年7月の在宅生活体制をTable2に示す。日中は4日/週難病デイケアと、訪問看護2回/週で医療面のケアを行っていた。福祉面では、介護保険と重度訪問介護(352時間+移動介護32時間)を活用していた。

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 2008年7月~1月の病状経過と支援体制の要約をTable3に示す。
2007年7月~8月
 病状は、球症状(構音・嚥下障害)は緩やかに進行しており、発声・呂律困難があったが、聞き取りはでき周囲ともコミュニケーションが図れていた。時折むせること、痰がからみやすくなったと訴えることはあったが、食事は柔らかい食材を選び外食を楽しんでいた。痰の自己喀出もできていた。暑さの中での外出に、時折呼吸苦を訴えることはあったが、SAT96~97%で、安静により症状は改善することが多かった。VC(肺活量)は60%と低下気味であったが、呼吸症状の急速な進行はなかった。デイケアでは、今後の対応として、意思伝達装置を申込み、オペレーションナビと文字盤の練習を行うことになり、自宅では吸引器設置の手配を行った。
 4月まで独居生活をしていたS氏は、7月以降から介護保険と自立支援法の重度訪問介護を活用し他人介護の生活をすることになった。家に閉じこもっていた生活や入院生活のストレスから解放されS氏は介護者と外出を楽しんでいた。24時間/日の介護給付は認められていなかったが、Sは両手が使えず、寝返りや起き上がること、緊急ボタンを自力で押すこともできなくなっていた。3箇所の事業所のうちA事業所が一日24時間常に見守りが行えるよう、ボランティアでヘルパー派遣をしてきた。しかし、他の事業所は吸引などの医療的ケアを認めておらず、継続的な介護に不安を抱いていた。8月中旬、医療的ケアに対応でき、ALS患者の介護経験のあるA事業所のみが、Sの在宅生活を介護していくことになった。しかし、在宅移行からヘルパー不足の壁があった。立命館大学の教員や、日本ALS協会・NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会の理事を務める川口の協力のもと、大学生の重度訪問介護ヘルパーを養成していった。

2007年9月~10月
 倦怠感や時折息苦しさを訴えるようになり、外出も減っていた。SATは95%~96%で、経皮的PCO2は座位時時に40mmHg,臥床時に50mmHgであった。主治医は、臨床的にも呼吸症状が出現してきたので、そろそろ気管切開のタイミングと評価していた。気管切開については、以前からS氏は希望していたが、球症状(構音・嚥下障害)が緩やかな進行であったため、「まだ食べれるし、話せるからもう少し待って欲しい」とのことであった。Sの意思を尊重し、主治医はNPPV療法を開始することになった。デイケアで約2週間調整し、臥床や睡眠時のPCO2が50台と高かったため、睡眠時にNPPVを導入することになった。しかし、独居者であったため、睡眠時のマスク装着は介護者に依頼せざるを得なかった。介護ヘルパーを対象にNPPVの装着方法を含めた勉強会を実施し、その後に在宅でのNPPV療法が開始された。開始直後は、自分で顔や口の周囲を動かしたり、口頭で介護者に指導していた。しかし、倦怠感や、発声・呂律困難により、周囲とコミュニケーションが除々に図れなくなり、スムーズにマスク調整できない場合は装着を拒否したり、イライラにより感情の起伏も激しくなった。
 デイケアの看護師が就寝時にヘルパーによるマスク装着の指導にあたったが、安定的なマスク装着が自宅では困難となっていた。文字盤やパソコンの練習にも「体が少しでも楽なときは好きなことしたい」と拒否的であった。

2007年11月~12月
 倦怠感と眠気が強くなり、落ち込んだりイライラしたりと感情の起伏があった。SATは95%~96%で、PCO2は45.5mmHgであった。マスクの装着時間は35分~2時間とばらつきがあり唾液や痰も多くなり、装着が苦痛となっていた。発声・呂律困難により、周囲とのコミュニケーションも図れにくくなっていた。主治医より、気管切開を引き延ばしにすることのリスクが伝えられたが、「食べれる間は食べたい、話せる間は話したいので、年内まで様子をみたい」とのことであった。在宅生活では、以前から見られていた痙攣が強くなり、特定のヘルパーになると不調を訴えるようになった。S氏が合わないというヘルパーは、介護経験のない学生ヘルパーではなく、ALS介護の経験者であり、「先回りして勝手にされるのが嫌」と言っていた。痰の喀出困難に対し、デイケアではカフマシーン(気道内圧を+40mmHgから- 40mmHgに急激に変化させることで痰の喀出を促す)を導入し、吸入を2回/日開始した。症状の悪化や進行に伴うコミュニケーションの問題は、S氏だけではなく、介護ヘルパーにも不安を与えた。ケアカンフェレンスは1回/2カ月行われ、緊急時の連絡として、痰のつまりによる窒息は、救急車と同時に主治医に報告し、それ以外の体調面に関してはまず訪問看護に連絡し、状況次第で看護師から医師となっていた。しかし、10月の転居により新しい訪問看護が担当になり、Sは「新しい人は自分のことが分かっていない」とい理由や遠慮からケアを受け入れるのに時間を要し、緊急時呼ぶことをためらい、自宅で我慢することがあった。ヘルパーは患者から呼ぶなと指示され、不安の中見守りをすることも多かった。S氏と一部のヘルパーの信頼関係が崩れ、ヘルパーの数が減っていった。残されたヘルパーが過労になり、さらにヘルパー不足を招いた2007年1月 体のこわばりや痙攣が強くなり、呼吸苦や眠気も強くなっていた。マスク装着もほとんどできていなかった。SATは94~96%で、入眠時に30秒以上の無呼吸が見られるようになった。発声は聞き取れないことが多く、S氏は「もう切る(気管切開)」と主治医に告げた。在宅生活では、状態が不安定であるため、介護ヘルパーを二人体制にしていた。しかし、ヘルパー不足によりS氏が合わないヘルパーが再度訪問せざるを得なかった。S氏は体の状態や在宅生活での身体的不安や介護者とのストレスから、デイケアの利用回数の増加を希望され、臨時で利用することが多くなった。気管切開を決断してからは、表情は穏やかになっていた。年明けに、気管切開の手術の申込みをしたが、大学病院は予約制で2週間程度かかるとのことであった。ヘルパー不足もあり、その間のレスパイト入院先を探したが、病院の事情により緊急入院をすることはできなかった。他の病院を探し、手配がついかころに大学病院の手術患者予定のキャンセルがあったため、気管切開の手術目的で1月中旬に入院となった。
 尚、S氏が週4日通所していた医療保険の難病デイケアは、リハビリや医療的なサポートの面で大きな役割を果たしてはいたが、認知症の高齢者が多く通所している施設であり、コミュニケーションに大きな障害を抱える重度障害者のためのプログラムに乏しかった。「楽しいから通所したい」というような言葉はなく、本人の評価としては低かった。

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 アクションリサーチによって明らかになったNPPVを困難にする要因には、まず、進行の速さに伴う困難さがある。球症状(構音・嚥下障害)は2008年より徐々に悪化し、呼吸症状は同年夏過ぎより急速に悪化した。両者の機能低下は重なり合いながら短期に進行したが、球症状の方が進行が緩やかだったため、S氏は「食べれるうちは食べたい,話せるうちは話したい」と気管切開のタイミングに迷い、決断できなかった。
 次に、単身であることに伴う困難さがある。当初はマスクを装着する際、自分で顔を動かしてずれを直したり、ヘルパーにマスクの位置をどう微調整してほしいのか、指導ができていた。しかし、橋・延髄筋の低下(顔面の表情筋・開閉口)や、球症状(構音・嚥下障害)などが急速に進行し、マスクの自力での位置調整や、口話でのコミュニケーションが困難となり、NPPVの装着方法をヘルパーに伝えづらくなっていった。さらに、夜間の痙攣によってマスクがずれたり、呼吸機能低下に伴うCO2の上昇から、倦怠感も強くなり、周囲とのコミュニケーション能力がさらに低下し、イライラや落ち込など精神面の動揺が見られた。

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 非医療職であると医療職との連携の重要性は、すでに繰り返し多くのところで語られ、強調されている。しかしヘルパーがNPPVに対応する上での困難は非常に大きく、ヘルパーと障害者双方にとって、負担が大きいのみならず、医療的にみても心身の状態低下と危険がある悪循環を招いた。
 S氏のケースでは、マスク装着の手技は医療者を講師とし、ヘルパー対象の勉強会を開催したほか、個別にも指導を行った。だが、日々の体調変化や進行に伴い装着の方法は調整が微妙に変化した。マスクは呼吸状態が悪化する入眠時から装着するように医療者が決定していたが、日中に通っているデイケアや訪問看護は、緊急時には対応可ではあったものの、毎晩のマスク装着ごとに患者宅に訪問することはできない、とのことだった。医療者が継続的に自宅でのNPPVをフォローすることができない以上、ヘルパー間で、申し送りノートを介してS氏の病状の共有や手技の統一を試みたが、ヘルパーによっては一週間程度の勤務間隔があるだけで、S氏の日々刻々と変化する身体状況やケア手技の見直しについていけず、病の進行により障害者とヘルパー間の意思疎通も円滑ではなくなってしまい、さらにケアニーズの変化をくみ取ったり、障害者本人からの要望を受け止められないという悪循環が生じた。患者はケア水準への不安からNPPVの使用回数を抑制するようになり、それはさらなる身体状況やストレスの増大を招いた。

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 また、NPPV評価の困難さもあった。在宅での医療対応の量・質的な問題、例えば限られた訪問看護の数や時間,往診医不在から生じる患者の身体状態の把握や対応不足に加え、医療者は気管切開のタイミングや呼吸状態をSAT(酸素飽和度)やVC(肺活量)、PCO2(動脈血二酸化炭素)などの数値から判断しがちである。しかし、昼間の比較的体調のよい時に測定されるPCO2が正常範囲内であっても、そこで示された数値は必ずしも正確な数値を反映しているとは言い難く、また、PCO2に伴う臨床症状「倦怠感」や「眠気」も、必ずしも身体状態を反映しているとも言い難い部分もある。それは、例えば、NPPVや、その他(痙攣)の症状、機能低下に伴う介護変化の対応が身体的・精神的負担となり、「倦怠感」や「苦痛」が生じ患者は数名のヘルパーのケアや介護を受け入れることができず、寝てやりすごそうとしたり、NPPVの受け入れもできなくなっていった。このようなヘルパ-との日常生活上の困難や葛藤は、申し送りノートには反映されず、医療者には把握しづらい。つまり、日常生活のヘルパーとの関係困難や不安を「身体症状」として表現する場合がある。

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 ヘルパ-不足も在宅生活を困難にする大きな要因だった。医療者が数値をもって「大丈夫」と状況を判断しても、目の前でしんどうにそうにしたり、苦しむ患者を目の前に、夜間に一人きりで対応しているヘルパーは、重圧にさらされる。戸惑い不安が態度に出てしまい、うろたえるヘルパーの介護に対し、S氏の不安も増大し、その人のケアや介護を受け入れない事態が繰り返し生じた。また、NPPVに加えその他の身体機能低下に伴う日常生活の変化から、患者とヘルパー間のストレスが増大し、このことがヘルパー不足に繋がり、限られた介護者の負担が大きくなり、さらにヘルパー不足を招き、ケア不足により体調が悪化し、精神的負担がますます増大するといった悪循環が生じた。

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 このように、痰吸引や経管栄養に比して「医療的ケア」の議論の中で取り上げられることが少ないNPPVでも、複数の要因が連関し在宅生活を悪化させていた。

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 その他に、緊急対応の問題がある。緊急連絡先は主治医となっていたが、訪問看護も緊急時夜間対応可となっていた。呼吸状態の急変時、例えば窒息時などは、救急車に連絡し、同時に主治医にも連絡する。その他の症状に関しては訪問看護師が対応し、状況しだいで医師に報告となっていた。
 しかし、介護回数が多くないヘルパーにとってはどの症状がどの程度で緊急なのか、どのタイミングで夜間訪問看護師を呼べばいいのか、理解できなかった。また、転居で訪問看護ステーションが変更になったことで、Sが「新しい人は自分のことが分かっていない」という理由や遠慮からケアを受け入れるのに時間を要したり、緊急時呼ぶことをためらい、自宅で我慢することがあった。ヘルパーは患者から呼ぶなと指示され、不安の中見守りをすることも多かった。

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 その他に、医療と福祉の連携の困難さの要因がある。これは、ケアカンファレンスの量・質的問題に帰する。7月以降、ケアカンファレンスは8月・11月と1回/2ヶ月行われていた。進行の早さや呼吸状態を考慮すると、回数が不足していたことは否めない。しかし、量だけを増やせば解決しうる問題ではない。カンファレンスは各分野の代表者、例えば医師・看護師・介護事業所代表者・ケアマネージャー・福祉用具担当者・ケースワーカー、ケアマネージャーが出席し、ケアプランの内容や障害者の状況を伝達しあっていた。だが、在宅の現場を十分に把握できていない各事業所の代表者間での話し合いは、患者宅へ直行直帰しているヘルパーらの危機が伝わらないなど、実効性のあるケアプランの見直しに繋がらない可能性がある。 その理由として、まず、現場の声がケアカンフェレンスの場にまで上がりにくい。特に、日常生活を把握している現場の介護者と事業経営者は、雇用する側・される側の関係にあり、リサーチにより現場で語られる介護者の不安や危機感は、事業主の前では語られないことが多く、現場と認識のギャップが生じていた。

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 次に、制度面から捉えると、訪問看護と介護は二重給付が認められないため、重なり合ってケアにあたることができない。在宅での医療的ケアは日常生活上にあり、特に進行性疾患の状態変化に対応して手技や手順、ミリ単位の位置調整を共有していくには、A「医療:介護」・またはB「介護:介護」の重なり合いが必要だった。しかし、A→訪問看護師は日常生活を把握するため、数日間の申し送りノートを読むことに時間を要し、ヘルパーに直接指導する場がない。ヘルパーも医療的ケアを任されることへの不安を現場不在の医療者に相談しづらい部分があった。また、B→医療的ケアや介護を患者から受け入れられないことに対し、ヘルパーに自責の念が生じ、他のヘルパーにその悩みを打ち明けられず悩む者もいた。つまり、申し送りノートだけでは現状を把握しづらく、現場レベルで医療と福祉が情報交換や連携できる場が存在していない。また悩みの抱え込みのストレス(紫色の部分)は、ALS介護経験が長いベテランの専業ヘルパーの方が、介護経験のない学生より多かった。これは、経験が時として壁になり、個別性のケアを困難にしているとも考えられる。例えば、経験があること、周囲がベテランヘルパーとみなしていることーから周囲に相談しづらい、患者本人への意思確認を忘れ、先回りしたケアをしがちになり、このことが、障害者にとっては「合わないケアを押し付けられている」との不安になり、障害者とヘルパー間の関係性の悪化にも影響していたと考えられる。

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 課題のまとめと解決に向けて、以上概括したとおり、(1)病の進行の速さ(2)独居(3)NPPVの評価・対応(4)ヘルパー不足 (5)緊急対応(6)福祉と医療の連携の課題は、ケア統一・患者とヘルパー間の身体的・心理的側面の共通課題として浮き彫りになった。これらは多くの在宅ALS患者の場合、日々の状態や変化を理解している家族が補っていることが多いと考えられる。このように、家族不在の場合、課題の共有やケア手技の統一が難しく、患者・ヘルパー・医療者の負担も大きくなる。

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 今回、上記のような問題点を解決するため、ヘルパー二人体制の介護時間を一定設けることと、デイケア看護師・理学療法士の自宅訪問を図った。ヘルパー二人体制や看護師・理学療法士の訪問時間は以下の通りだが、なお問題解決には不十分で、前述の困難/悪循環を根本的に解決するには至らなかった。

スライド21 解決の方策として、まず自薦ヘルパー(個人の専属ヘルパー)による介護体制が望まれる。ALS介護は進行が早く症状もニーズも個別性が強いため、専属ヘルパーが長時間連続してケアに入ることで、患者の身体的・精神的負担が軽減し、ヘルパーも進行や体調変化・不調の程度を把握しやすくなる。さらにケア手技見直しの共有やヘルパー自身の不安軽減につながり、また、コミュニケーション障害に対する双方の負担軽減にも繋がりうる。自薦ヘルパーの育成にあたっては、患者自身が直接ケアを指導することで、患者とヘルパーの関係構築ができ、日々の介護や医療的ケアの信頼・安心感に繋がる可能性がある。但し、患者の性格や介護者との相性、体調・進行部位・程度・医療的ケアの内容などによって、患者の負担が増加したり、育成までに時間を要する可能性もあるため、状況によっては多くのALS患者に接した経験のある人にヘルパー育成やケアを補助してもらう時期も必要ではないかと考える。

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 医療と福祉で二重給付が認められないことは、制度設計上やむを得ない面があるとはいえ、現実に医療的ケアを伴う重度障害者の在宅生活構築の上では壁になっている。訪問看護は退院直後のみならず、定期的に介護保険や重度訪問介護時間内に訪問でき、在宅医療に携わる「介護者への医療的ケアの指導・相談」ができるよう新たな制度設計が望まれる。
 また、福祉の二重給付―重なり合い引き継ぐための時間帯―が、時間数的にどのくらい必要化は措くとしてもー介護・ケアの指導や伝達を行えるよう、研修期間中の二人体制が認められることが望まれる。

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 次に、ピアカウンセリングで、同じ疾患の患者同士が情報交換・相談できる環境作りを行う。但し、同時期か進行がやや早い時期の人との交流が効果的である。これは、頑張っている患者は葛藤時期の患者にとって心理的負担となる場合があるからである。また、難病カウンセリングで、患者が介護者や生活の場から離れ、日常生活やケアのこと、また身体・精神的側面の相談、ストレスを発散できる人と場を作っていくことが望まれる。
 また、介護者が相談できる場や、介護者同士が交流できる場を作っていくこと。
 そして、方策2と3を通して、可能な限り現場に人たちの声がケアカンファレンスの場に上がってくるような仕組みを作っていくことが必要であろう。

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 まとめとして、本研究を通して、ALS本来の症状以外に、複数の要因が連関し、ヘルパーとケアを巡って生じる「周辺症状」→ストレス・不眠・倦怠感・NIPPVの使用回数の抑制などは医療者には見えず、本来の症状との見極めが困難な場合があることが明らかになった。これは、身体生理学的な状態の悪化と、ケア変化・ヘルパーとの関係性に起因する様々な負担が悪循環に陥り、在宅での心理・人間関係的な問題点は医学的なアセスメントでは考慮しにくいということにほかならない。医療的ケアは、日常生活の延長線上にあり、医療者と介護者は患者の日常生活や個別性・医療的知識・悩みなどを共有していくことが必要で、自薦ヘルパーと医療者が二重給付の壁を越え、重なり合ってケアにあたる場と仕組みづくりが望まれる。

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 終りに、これまでの医療的ケアの議論の中心は、常時見守りの必要な「痰吸引」を軸に展開されてきた。「痰吸引」と比較すると、定時的な対応でたりるNPPVのケアは、人的投入の必要時間の量のみで考えれば、容易と思われがちである。だが、気管切開前の呼吸機能の低下やコミュニケーション能力が急速に落ち込んでいる時期にあっては、患者や介護者のケア負担が非常に大きいうえ、ヘルパーの撤退や在宅療養生活全体が崩れていく端緒ともなりうる大きな問題であることが見て取れた。従来、「医療的ケア」で議論されてきたのは家族が長時間担ってきた医療的ケアをヘルパーに代替させるための要件が軸となってきた。単身者の場合は家族がいない以上、長時間寄り添っているヘルパーが、患者の心身の変化、そこで生じている困難を医療と共有する必要がある。また、単身者のケースを通して、在宅介護の上で大きな部分を担いながら暗数となっている家族が果たす医療的ケアでの役割や調整機能、そして負担の大きさが明らかになってきた。家族介護を前提にした制度ではなく、医療的ケアの必要量と公的サービスの必要性を示すことは今後も課題であると考えられる。

 

 参考文献
江川文誠・山田章弘・加藤洋子 2008 ケアが街にやってきた-医療的ケアガイドブック (株)かもがわ出版
松石豊次郎・北住映二・杉本健朗 2008 医療的ケア研修テキスト-重症児患者の教育・福祉・社会生活の援助のために (株)かもがわ出版
厚生労働省難知性疾患克服研究事業 平成17年度~19年度 特定疾患患者の生活の質 (QOL)の向上に関する研究班 ALSにおける呼吸管理ガイドライン作成小委員会(中島孝・小森哲夫) 2008 筋萎縮性側索硬化症の包括的呼吸ケア指針-呼吸理学療法と非侵襲陽圧換気療法(NPPV) 平成19(2007)年度研究報告書分冊
日本ALS協会(編) 2008 新ALS(筋萎縮性側索硬化症)ケアブック (有)川島書店
医療的ケア http://shoufukumemo.com/zenkoku/mc_what.htm

 

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