公的なガイドヘルパー派遣制度は、昭和49年(1974年)度行政機関(福祉事務所)による措置の一環として、制度化された。措置制度として行われていた時代は、官公庁・医療機関・金融機関・冠婚葬祭・自治体や学校行事等への外出には、所得に応じての応能負担であった。しかし、平成17年(2005年)障害者自立支援法が成立し、一律1割の応益負担が課せられたところである。
ガイドヘルパー制度以前においては、実態は不詳であるがボランティアによるガイドが行われていたものと考えられる。今日でも、ボランティアによるガイドヘルプが行われているが、制度を補完するものとして有効に機能している。ここでは、ガイドヘルパー制度の変遷と、各都道府県間を移動する場合に、ガイドヘルパーの取り次ぎを行うガイドヘルパーネットワーク事業の変遷及びボランティアや自治体単独制度によるガイドヘルパー制度の現状についてまとめる。
(1)昭和48年(1973年)5月の全国盲人福祉大会(福井県で開催)において、介護要員(ガイドヘルパー)の確保・保障を制度化することが運動方針として決議され、厚生省、大蔵省に要求された。その内容は、盲人の外出、歩行、また集会用の世話に介護要員を国、及び地方自治が整備、保障すること。なお、この要員は地域盲人会または盲人センターに配備すること、であった。
この結果、昭和49年度(1974年度)予算において、身体障害者福祉法の地域活動促進費(昭和54年度から障害者社会参加促進事業に名称変更)のメニュー事業として盲人生活介補員(ガイドヘルパー)が追加された。メニュー事業の選択は、都道府県・政令指定都市に委ねられ、予算補助であった。このため、各自治体の意欲や財政力等の事情および視覚障害者団体の要望の熱意により、実施の有無、実施内容等はまちまちであり、今日的な格差問題を生じていた。
(2)国の予算化を受け、昭和49年(1974年)、東京都は全国に先駆け「生活介補員(ガイドヘルパー)派遣制度」を創設した。事業は、東京都盲人福祉協会に委託して実施された。派遣対象者は、視覚障害1・2級の者であり、介補の内容は、①公的機関からの文書の読み書き(週1回程度の家庭訪問)、②公的機関等への相談・連絡の際の案内であった。紹介費用は無料であった。
(3)昭和63年度(1988年度)予算において、障害者社会参加促進事業のメニュー事業であった盲人ガイドヘルパー事業は、身体障害者家庭奉仕員派遣事業に組替えされた。
従来の家庭奉仕員制度では、視覚障害者の外出を保障するのには不十分であったため、「家庭奉仕員派遣制度」の中にガイドヘルパー派遣を含むこととし、国・都道府県・政令指定都市の補助事業となり、全国の市区町村が実施主体となった。
制度の内容は、①派遣対象は、18歳以上の視覚障害1・2級の者、②派遣内容は、外出時の付添い、③費用は、利用者の所得に応じて負担であった。細部については、実施主体に任されていたが、全国的に、この事業の実施は、視覚障害者の社会参加を促進する一助となった。しかしながら、実施内容が自治体に任されているため、その内容に格差が生じたことであった。例として、文化活動やレクリェーション活動や日常生活の買い物は利用不可とするなど外出内容に制限が加えられたり、利用回数や利用時間についても、市町村によりまちまちであった。
(4)平成2年(1990年)のいわゆる福祉8法の改正に伴い、厚生省は、4月、前記、昭和63年通知を改正し、①利用者の需要の把握をすると伴に臨時的な需要にも十分対応できるよう体制整備を図ること。②視覚障害者の社会参加を促進する観点から実施主体が認める外出とは、日常生活上必要な外出のうち、通勤、営業活動等の経済的活動に係る外出、通学等の通年かつ長期にわたる外出及び社会通念上制度を適用することが適当ではない外出を除いたものとし、原則として1日の範囲内で用務を終えることが可能な外出とすること。と定義を明確にした。③派遣希望者は、電話等の方法で申し出することができるよう、申し込み手続きを簡略化した。(事後、申請書の提出必要)
厚生省は、上記通知に併せガイドヘルパー派遣用務の事例を示した。事例としては、選挙(投票)のための外出、市町村等が実施する各種事業等への出席・参加等のための外出、通院、買物、官公署関係用務のための外出(住民登録、税の申告、印鑑証明等)、「身の回り」のための外出(理髪、美容、預貯金等)、交際のための外出(冠婚葬祭、知人宅への訪問等)、趣味・娯楽のための外出(茶道、生け花、音楽・映画鑑賞、スポーツ観戦等)、スポーツのための外出(卓球、水泳等)、学校行事への参加のための外出(PTA、授業参観、運動会等)、信教のための外出(寺社、教会)である。いずれにしても、本事業の実施権限は、市町村にあるので、日盲連は、地元の障害者団体に対し、事例以上の実施を求めることが肝要であると通知している。
(5)平成9年度(1997年度)予算において、ガイドヘルパーの養成研修事業費が新規計上され、一定の資質が求められることとなった。養成研修の実施により視覚障害者の生命の危険予防や財産の保全措置が講じられた。
(6)平成9年(1997年)から国民の福祉ニーズの増大・多様性に応えるために社会福祉基礎構造改革の審議が行われ、①利用者の立場に立った社会福祉制度の構築、②サービスの質の向上、③社会福祉事業の範囲の拡大・活性化、④地域福祉の推進、⑤その他の改革が行われた。
障害福祉サービスについても、利用者の立場に立った制度を構築するために、平成15年(2003年)に支援費制度が導入された。支援費制度は、措置制度から行政と利用者が対等な立場で契約できる利用契約制度を導入した点が大きな改革であった。支援費制度における移動支援事業は、居宅介護(ホームヘルプ)として位置付けられていた。この結果、多くの障害者が利用し効果的に運用されているかにみえたが、利用者の急激な増加等により、財源問題等が大きく取り上げられることとなった。財政当局からその見直し改善が求められ、2年後には制度を改正せざるを得なかった。
このような度重なる制度改正は、実施主体である市町村担当者の混乱を招き、利用者の需要にも対応できず、市町村格差を生む結果となった。
(7)平成17年(2005年)10月に障害者自立支援法が成立した。
支援費制度においては、その運営実施に当たり財源問題が大きく取り上げられることが多かったが、自立支援法は、より利用者の立場に立った制度改革をめざし、地域生活支援という喫緊の課題を解決しようとしていた。制度改革の範囲も広く、相談支援、障害福祉サービスの体系、就労支援、障害者医療等、障害者福祉全般に関する制度改革が行われた。
視覚障害者の移動支援事業(ガイドヘルプサービス)は、市町村の地域生活支援事業の必須事業として位置づけられた。費用負担は、市町村地域生活支援事業全体の統合補助金として、国庫補助(予算の範囲内50%補助)される裁量的経費であった。
移動支援事業の利用対象者は、①屋外での移動に著しい制限がある視覚障害者・児、② 障害等級1級の全身性障害者・児、③知的障害者・児、④1人での外出に困難のある精神障害者である。支援内容は、社会生活上必要不可欠な外出、余暇活動等の社会参加のための外出の際の移動を支援することである。実施方法については、地域の特性や利用者の状況に柔軟に対応する必要があることから、市町村の判断によって実施されている。
このため、従来同様の問題を抱えている。それは、実施主体が市町村であり、その財政事情により利用時間や利用方法の制限等の市町村格差が生じている点である。この問題の解決には、裁量的経費を自立支援給付(介護給付費、訓練等給付費、自立支援医療費、補装具費等)と同様の義務的経費に組み替え、その運用基準を明確にすることが喫緊の課題である。
(8)平成20年度(2008年度)、視覚障害者移動支援事業について、従事者の資質について一定の底上げを図り、従事者の資質の低下による事故を未然に防止する観点から各自治体が実施する従事者の資質向上に資する研修体制等への取り組みを支援するため、障害者自立支援対策臨時特例交付金による特別対策として、「視覚障害者移動支援従事者の資質向上事業」がメニュー事業に追加された。本事業の実施は、ガイドヘルパーには、視覚障害者の生命、財産の保全を確保する面から、一定の研修を実施すべきであると日本盲人会連合が運動をした結果である。
(9)平成20年(2008年)6月から8月の4期にわたり、全国の視覚障害者移動支援従事者を対象に、資質向上のための研修事業を、日本盲人会連合において開催したところである。
(1)昭和53年(1978年)東京都において開催された全国盲人福祉大会において、盲人介補員の派遣要件を拡大し、県外派遣、県相互間の連携介補も適用するよう決議され、厚生省に要求された。
(2)昭和56年度(1981年度)予算において、上京する場合については、ガイドヘルパー制度の利用が認められた。
(3)昭和59年(1984年)5月青森県及び昭和60年(1985年)5月長野県、昭和61年(1986年)5月香川県、昭和62年(1987年)5月福岡県で開催された全国盲人福祉大会において、ガイドヘルパーの県外派遣ができるようネットワーク化が決議され、厚生省に要求した。
長年にわたる要求の結果、昭和63年度(1988年度)予算において、ガイドヘルパーネットワーク事業は、障害者社会参加促進事業のメニュー事業に追加された。(この年、盲人ガイドヘルパー事業は、身体障害者家庭奉仕員派遣事業に組替えされた。)
(4)昭和63年(1988年)以降、全国のガイドヘルパー制度を、ネットワーク化し、都道府県をまたぐ利用が可能となった。
平成2年(1990年)、身体障害者福祉法に基づく「明るいくらし促進事業」で「ガイドヘルパーネットワーク事業」が位置づけられた。本事業の一環として、東京都は、平成2年(1990年)、東京都ガイドセンターを設置し、日本盲人会連合にその運営を委託した。対象者は、重度の視覚障害者で社会生活上必要と認められる外出に適当な付き添いが得られない者である。
紹介料は無料、自治体の定める基準により自己負担である。また、ガイドセンターの事業は、ガイドヘルパ-の登録、紹介、他のガイドセンターへの連絡等である。
全国のガイドセンターは、平成19年度末現在42都道府県市で運営され、利用者は、217件である。
(5)平成8年(1996年)静岡県で開催された全国盲人福祉大会において、①ガイドヘルパーネットワーク事業を利用する場合の費用の全国統一化及び利用者負担の軽減が決議された。
今後、視覚障害者の生活の質の向上及び社会参加の促進を図るためにも、全国のガイドセンターネットワーク化等制度の充実、有効活用が求められている。
広島市では、障害者自立支援法による移動支援事業実施以前から盲人ガイドヘルパー派遣事業を実施していた。この担い手は利用者から推薦を受けた登録ボランティアで、年数回の研修を受講することにより、その質を担保している。登録ボランティアは、福祉に理解と熱意を有する者で、利用者とペア登録することから、利用者との円滑な人間関係のもとでニーズに柔軟に対応できるという利便がある。実施主体は社協に委託され実施されている。サービス費用は、付添1時間当たり700円、交通費は1回当たり2,000円限度(超過分は利用者が負担)、利用者負担は、無料。サービス内容は、移動支援事業に準じている。また、利用できる時間は、移動支援事業とあわせて月80時間を上限としている。
印西市の移動支援事業は、地域生活支援事業の移動支援事業と市単独事業の視覚障害者ガイドヘルパー制度の2種類がある。
移動支援事業のサービス範囲は、宿泊を除けば、社会生活上不可欠なもの、余暇活動であるが、通勤・通学、通年を要するものについては認められていない。利用料は、原則1割負担、利用時間は1日8時間以内、1か月当りの上限はない。
視覚障害者ガイドヘルパー制度は、従来から市単独制度として実施されてきた。利用料は無料。ガイドヘルパーの養成は、県または民間の講習会に委ねられている。
印西市では、障害者の人数が限られているため、他の所管課の事業と抱き合わせる形で効率的・効果的な事業展開が図られている。
ふれあいバス制度は、市内4ルートを運行する循環バスである。通常の利用には均一料金1回100円がかかるが、障害者の利用は無料。障害者の利用目的は、市内地域支援センターへの通所、市役所への手続き等である。
外出支援サービス制度は、介助なしで公共交通機関を利用することが困難な人に、移送サービスを提供する事業である。移送できる場所は、医療機関、市役所などの市の施設、在宅福祉サービス提供施設等で、市内と近隣市町村片道おおむね20km以内である。基本料金は1回2時間まで1,000円、迎車料金500円、超過料金30分ごとに400円となっている。
平成11年(1999年)12月に全国視覚障害者外出支援連絡会が、全国671市社会福祉協議会、東京23区社会福祉協議会に対し実施した調査によれば、回答のあった68%の市のうち、58.7%は、ボランティアグループまたは個人による活動が行われている。ボランティアの活動時間の制限は、76.5%がない。制限を設けているところは、8時30分から17時までという活動時間の制限が多くあった。利用料については、実費(交通費、入園料、食事代)以外の経費は、86.1%が無料と回答している。外出内容の制限は、72.3%がない。制限ありとした回答の内容は、公的ガイドヘルパー制度の外出に制限しているもの、宗教的政治的な目的の外出があった。外出支援ボランティアの養成については、半数が開催していた。
ボランティアによるガイドヘルプ事業は、障害者自立支援法における移動支援事業に比べて利用単価が安く設定されている。このため、利用者のニーズに応じて専門性の高い移動支援事業と、気心の知れたボランティアによるガイドヘルプ事業を自由に使い分けることができれば、利用者にとっても財政負担する市町村にとってもメリットは大きい。今後、公的制度を補完する制度として、ボランティアによる活動の充実が求められている。