第1章 障害者虐待とは何か

1―基本的視点

どこでも虐待は起きる

 何か特別に悪い施設で虐待は起きるのではありません。「福祉に熱心な優良企業」といわれた会社や、障害関係者から高い評価を得ていた施設でひどい虐待が行われていたことがいくつもありました。

 ちょっとした過ちは誰にでもあります。疲れてストレスがたまっていたり、行動障害の激しい障害者に振り回されたりしているときに、つい……。そんな経験は福祉現場にいる職員の多くがあることでしょう。

 ふつうの職場でもよくあることなのです。しかし、相手を傷つけたり、無視したりすれば、抗議されたり、嫌な顔をされたり、やり返されたりするものでしょう。ところが、重い障害のある人の中には傷つけられても黙っている人が少なくありません。へらへらと笑っているように見えることすらあるのです。

 そうすると、傷つけたり無視したりしている側は良心の呵責を感じることもなく、自分のしていることが障害者を傷つけているという自覚が持てなくなります。感覚が鈍磨していくのです。これはとても恐ろしいことです。しかし、それが恐ろしいことなのだと認識されてこなかったことが、福祉の現場で虐待を許してきたのです。

 障害者の福祉を仕事にしているような人が障害者を虐待などするわけがない、という先入観を抱いている人は意外に多いものです。しかし、悪意はなくても虐待は起きます。自覚はなくても虐待をしていることはあるのです。

 重い障害者がいる現場ではどこでも虐待は起こり得ます。虐待する側は気づいていないだけで、障害者は深く傷ついている場合があるのだということを知ってください。

自覚がなくても傷ついている

 何を自分はされているのか、これはいけないことなのか、虐待なのかがわからないまま傷ついている障害者がいます。重い知的障害のある女性が性的虐待を受けている場合などがその典型です。人間性の根源を踏みにじられていることに変わりはありません。それを認識できない弱さに付け込まれているのです。被害を受けた障害者は心身に深い傷を負い、健康や日常生活が崩れていく場合があるのだということを知ってください。

 言葉によるコミュニケーションが苦手な障害者の場合、身体的虐待や心理的虐待を受けた時、二次的な行動障害を起こして自分の頭を叩いたり顔をかきむしるなどの自傷行為をすることがあります。周囲の人につかみかかったり、ひっかいたり、かみついたりすることもあります。なぜ彼がそのようなことをするのか因果関係がわからないために、そうした行動障害を起こすのは障害者自体に問題があるのだとみなされ、さらに抑えつけられたり、縛られたり、殴られたり、薬を投与することで行動を抑えられたりしています。行動障害を抑制するためには仕方がないと、そうした抑圧・暴力行為が正当化されているのです。やられている側の障害者にとってはこんなに理不尽なことはないでしょう。

 高齢者虐待の対応マニュアルなどには「高齢者に虐待されている自覚があるかどうかを重視する」「高齢者の(虐待行為に対する)意思を尊重する」などといった記述がありますが、虐待されている側に自覚がなくても深刻な虐待があるのだということを知ってほしいと思います。自覚がないように周囲の人々に思えるだけであって、被害を受けている障害者は必死になって「助けてください!」と叫んでいるかもしれないのです。言葉によるコミュニケーションが苦手なだけで、彼らの叫びを聞くことができない周囲の人たちに問題があるのかもしれないのです。

「指導」「療育」の名の虐待(連続性の錯覚)

 トイレの壁に障害者を叩きつける、顔をびんたする、トイレに閉じ込める……ある施設で行われていたことですが、施設側は「障害者のためには必要な指導だ」と正当性を主張して譲りませんでした。この施設に限らず、「指導」「療育」の名で暴力や虐待を正当化している施設は決して少なくはありません。また、こうした施設側の主張に対して行政が毅然と対応したことはあまりありませんでした。

 なぜこのような理不尽がまかり取ってきたのでしょうか。まず、知的障害者の処遇に関しては技術的にも倫理的にもスタンダード(標準)が確立されておらず、それぞれの施設でカンや経験やコツによって勝手に行われてきたことが指摘されます。特に自傷や他害のような行動障害に対しては、縛りつけたり閉じ込めたり、暴力で抑制することが横行しています。施設側の処遇や生活環境が悪いために自傷や他害を引き起こしているかもしれないのに、自傷や他害のある障害者は処遇が難しいと一方的に決めつけて、「少々の抑制や体罰や暴力は仕方がない」ということにされているのです。

 ところで、初めからひどい虐待をする人はいません。行動障害にどのように対処していいかわからず、つい叩いてしまう。人手も足りなくて職員にストレスや疲れがたまっていく中で、つい障害者に手を上げてしまう。そのようなときに、これでいいのかと立ち止まって反省できればひどい虐待にエスカレートすることはないのですが、同僚や周囲の人々が暴力や体罰を「仕方がない」と容認してしまうと、良心のタガがはずれて、感覚がまひし、次第に暴力がエスカレートしてもそれを自覚することができなくなります。これを「連続性の錯覚」と言います。虐待している側は悪いことをしているという自覚がないまま、障害者を傷つけているのです。

親はわが子を救えない?

 施設や会社での虐待が起きた時に、そこで働いている障害者の保護者が施設(会社)をかばうことはよくあります。通報を受けた行政の担当者は「保護者が『虐待なんてない』と言っているのだから、それでいいのではないか」「保護者が『少々のことはいいのです』と言っているのだから仕方がない」と判断して動かないことがよくあります。

 しかし、保護者は本当に「虐待がない」「少々のことはいい」と思っているのでしょうか。そんなわけはありません。わが子に障害があるとわかった時から親は落ち込んだり悩んだりします。救いを求めて、安心してわが子を託せる相手を探しまわったりします。

 だから、わが子を預けた施設や、わが子が通う会社には過剰な期待を寄せるのです。そこで少々のことがあっても、見捨てられたら他に行き場がないと思うと「このくらいは仕方がないのだ」と必死になって思い込もうとするのです。実際、障害者が安心して通える施設や会社はまだまだ不足しているのですから。しかし、本心では不安で仕方がないのです。わが子が殴られたり、縛られたりして心中穏やかでいられる親などいるわけがありません。

 親が虐待を否定したり、虐待している施設や会社を擁護したりしても、それで虐待がないわけでは決してありません。親はわが子のためにいろいろ尽くしますが、そのすべてがわが子のためになっているわけではありません。わが子のためと思ってやっていることの何割かは親自身が自分の不安を払拭するため、自分の達成感を満たすためにやっていることなのです。保護者の言葉を免罪符にして、障害者本人のSOSを無視することは許されません。

まず非難させる(安全確保)

 真相を明らかにすることができないだけで、ひどい虐待が明らかになった会社や施設で原因がよくわからないまま死亡した障害者が何人もいます。施設では毎年何人もの障害者が病気や事故で死亡していますが、その中には虐待が疑われても不思議ではないケースが含まれています。それを問題視する人がおらず、証拠もないために不問に付されているだけなのかもしれません。ひどい暴力やネグレクトの被害にあっても、自ら助けを呼ぶことができない、逃げだすこともできない障害者の場合は、危ないと思ったらまず避難させることが最優先されるべきです。

 死亡しないまでも、虐待でひどいケガをしたり、薬づけにされている障害者は数多くいます。生命や健康に重大な影響を受けている、あるいは受けそうだと思われるケースではできるだけ早く障害者を避難させ、安全な場所に緊急保護しなければなりません。

 そうではない場合でも、障害者は虐待の加害者の庇護の下にいる限りは本当のことは話せないものです。それは障害者の親にとっても同じことで、わが子を預けている相手に対してはなかなか本音でものを言えないものです。

 施設や学校や会社などの「密室」で障害者が虐待を受けている疑いがある場合、まずその密室から障害者を切り離して別の場所に移してからでなければ、何が行われていたのかの調査をすることはできないのです。

見て見ぬふりが虐待を助長する(早期発見・早期対応)

 できるだけ早く虐待の芽に気づいて、それを早く摘み取ることが、虐待を未然に防止することにつながります。早期発見するためには、虐待はどんなに気をつけても必ずその芽が出てくるという意識を持っていることが必要です。「うちの施設(学校)には虐待なんかありません」という施設(学校)管理者がいますが、そういう前提は危険です。どんなに気をつけても障害者がいる現場では虐待の芽は生えてくるのです。

 虐待の芽が生えてくること自体を過剰に恐れたり、恥じたりすると、実際に虐待の芽が生えてきてもそれに気づこうという心理がはたらかなくなります。恐れたり恥じたりするべきなのは、虐待の芽が生えてきてもそれに気付かないことです。そういう感性の鈍さ、謙虚ではない自分の心こそ恥じるべきなのです。

 いや、本当はみんな薄々気づいているのかもしれません。虐待を忌み嫌い恐れるあまりに、虐待の芽が生えてきても無意識のうちにそれを否定しようとしているのかもしれないのです。知らないふり、見て見ぬふりをしているだけなのかもしれないのです。

 しかし、知らないふり、見て見ぬふりをしていても、自分の本当の心はだませないものです。だんだん重苦しくなり、仕事に対するモチベーションも落ちてくるのではないでしょうか。それだけではなく、見て見ぬふりをしていると、虐待の芽はどんどん成長していきます。そのうち見て見ぬふりができなくなり、隠ぺいしなければならなくなります。

 隠ぺいが始まると、虐待はエスカレートしてもう自分たちでは止められなくなってきます。

 だから、障害者を救うためにも、虐待する側の人々を救うためにも、それをチェックする立場の行政職員を救うためにも、早期発見、早期対応が必要なのです。

安易な「喧嘩両成敗」は事態を悪くする(権限の適切な行使)

 ある福祉事業所を利用していた障害者は、「殴られるなどの体罰を受けた」「食事を与えられなかった」などと地元の市に訴えました。市職員はその事業所に電話をして「こんな相談があったが、本当ですか?」と問い合わせ、事業所から否定されるとそれ以上の調査をせずに不問に付していました。その後、障害者やその支援者から抗議された市は改めて調査をしましたが、事業所側から「障害者が規則を守らなくて手を焼いていた」などと言われ、結局は「障害者にも落ち度があった」と判断して調査を打ち切りました。

 虐待などの通告(相談)があると、行政は虐待した側から事情を聴くことになりますが、まず否定されると思っていいでしょう。虐待を認めればさまざまなペナルティを課されるわけで、できれば否定したいという心理がはたらくのは当然かもしれません。

 たとえ虐待の事実を認めたとしても、障害者やその保護者などがいかに問題であるのかを言い募り、仕方がなかったのだと情状を訴えることでしょう。おそらくは、コミュニケーションの苦手な障害者よりも、加害者側の方がたくさんの情報を行政に提供することができるはずです。

 また、行政は施設などの許認可権限を持っていることもあり、ふだんから施設などとはいろいろな場面で接点があり連絡を取ったりしているので、どうしても施設側の事情を理解したものの見方をする傾向が強くなります。

 たしかに事業者側が指摘するような「落ち度」が障害者にもあるように思えたとしても、なぜ障害者が指摘されたような言動をしたのかを深く探っていけば真の原因が見えてくることがあります。いや、鋭い洞察力をもって深く広く調べていかなければ、障害者が置かれている理不尽な状況というのは見えてこないものなのです。

 それなのに加害者側の情報量の多さや心情的なシンパシーに引きずられて、行政が安易な喧嘩両成敗をしては、本質的な解決には及ばず、障害者をさらに傷つけるだけの結果に終わってしまうことでしょう。行政が本来もっている権限を適切に行使することを怠っては、傷ついた障害者を救うことはできません。

虐待者も苦しんでいる?(発生予防)

 はじめから障害者をいじめてやろう、傷つけてやろうと思って福祉の世界に入ってくる人はいないはずです。それは教育でも就労の場でも病院でも同じはずです。人員不足で手が回らない、忙しくて疲れている、ストレスがたまっている、やりがいを見失っている、専門知識やスキルがなくて行動障害にどう対応していいかわからない……。虐待する側にもさまざまな事情があります。

 障害者をバカにしたり、不満やストレスのはけ口にしたりする「悪意のある虐待」には毅然と対処しなければなりませんが、多くの場合は虐待する側もどうしていいかわからずに苦しんでいるのです。そうした相手には厳罰で臨んだり、頭ごなしに指導したりするのはあまり意味がありません。

 自分がやっている行為の意味、それによって障害者がどれだけ傷つき苦しんでいるか、ということを理解させることが重要です。さらに、なぜ自分がそのような行為をしたのかを客観的に分析し、虐待が発生する要因を探り、どうしたら虐待要因をなくすことができるのか、について検討していくことが大事です。

 虐待をなくすだけでは、本当の解決にはなりません。傷ついた障害者をケアし立ち直りややり直しを支援するとともに、虐待した側に反省と再発防止のプロセスを提供し、援助することが求められているのです。

 虐待要因を取り除く取り組みを行い、効果を上げている施設もあります。こうした成功例の情報を伝えたり、スーパーバイザーを紹介するなど、解決の道筋を示すことも必要です。

チームで取り組む

 家庭内での虐待の場合、たとえば貧困や家族の精神疾患や介護疲れなど複合的な要因が混在していることが珍しくありません。家族ごと多重困難な状況に陥っている中で障害者への虐待が行われているのが今日的な問題とも言えます。虐待だけを取り出して解消することは難しく、たとえそうしたところで本質的な解決にはならないでしょう。

 家族が陥っている状況を複眼的に分析し、解決の道筋をつけるためには、さまざまな専門性をもった人々がチームを組んで取り組むことが必要です。家族の生活を立て直すためには、多重債務の整理に当たる弁護士や司法書士、福祉事務所などの生活保護の担当者がかかわることが必要です。精神疾患には医療的ケアや心理的ケアの専門家が必要です。高齢者介護や保健、教育の専門家が必要な場合もあるでしょう。

 施設内虐待の場合でも、まず虐待を生んでいる原因がどこにあるのかを見極めることが必要です。施設経営者の思想信条に問題があるのか、職員個人のスキルや素養の問題なのか、職員の配置や研修など育成面で問題があるのか、建物の構造などハード面に問題があるのか、といったことを分析し、抜本的に施設を立て直すためには、やはりさまざまな専門性を持ったチームで取り組むことが必要ではないでしょうか。

 就業先(会社)における虐待にしても、学校における虐待にしても、病院内での虐待にしても同様のことを心がけてください。

 障害者自立支援協議会が各地でつくられていますが、地域におけるさまざまな立場の人が協議会を構成しており、虐待への取り組みについても協議会の機能を利用することも有効だと思われます。

長期的視点に立った支援

 虐待というのは、ある日、突然変異的に起きるものではありません。それまでの日常的な支援の中に虐待につながるような要因が潜んでいるのであり、知らず知らずのうちに増殖していって、虐待という現象になって現れるのです。外科手術で病巣を取り除くように虐待要因を排除することは必要ですが、それだけで治療が完了するわけではありません。

 外科手術をした後はしばらく投薬やリハビリをしながら治癒の状況を見ていかなくてはなりません。栄養を採って体力を回復し免疫力を高めることも必要です。再発する可能性についても考えなければならず、定期的な健診も長期間にわたって受けていくことになります。

 虐待も人間関係の中でおきる「病気」のように考えれば、このような長期的なフォローを欠かすことができません。虐待の相談を受けて解決にかかわった行政の担当者や相談支援事業の担当者が、その先もずっとフォローしていくのはなかなか難しいかもしれません。人事異動によって担当者が代わることもあります。

 長期的な視点で支援を続けることができるキーパーソンを見つけて託したり、担当者が代わっても引き継いでいけるような記録をきちんと残していくことも必要です。もちろん個人情報に配慮しなければならないことは言うまでもありません。

2―定義

①身体的虐待

 げんこつで殴る。ビンタする。ハエたたきで顔面をひっぱたく。馬乗りになって顔面を殴る。逃げられないように柱に縛り付けて革のバッグで顔面を何度も殴りつける。ロープで縛り上げる。麻袋に詰め込んで一晩中放置する。

 こういうのを【身体的虐待】といいます。そんなことがあるのか?と思うかもしれませんが、これらはいずれも現実に起きた事件で行われていた行為です。

 それどころか、気に入らない障害者の頭を職員が何度もスリッパでたたいた。施設長が障害者に沸騰した湯で入れたコーヒーを無理やり3杯飲ませ、口やのどや食道のやけどで1か月の重傷を負わせた。男性の障害者の下半身を数回けり上げ、重傷を負わせながら、「同室の入所者による暴力が原因」と虚偽の報告をしていた--などの虐待行為が過去の事件で明らかになっています。

②心理的虐待

 「あほ」「ばか」「お前なんか、もう来るな」とののしる。笑いものにする。わざと冷たい目で見て相手にしない……。そういう行為は【心理的虐待】といいます。体に傷や痣ができるわけではありませんが、心がひどく傷つき、自分に自信を持てなくなり、無力感が身についたりすることにつながります。

 ある障害児は普通学級に通っていましたが、教室内でもずっと黄色い帽子をかぶることを義務付けられていたそうです。「あの黄色い子を連れてきて」と先生もふだんから言っていたといいます。言われる側がどんなに傷ついているか、深く考えずにやっていることは多いものです。

 ある調査では身体的虐待よりも心理的虐待を受けた人の方が立ち直るまでに長い時間がかかると言います。人間性を深いところで傷つける心理的虐待の恐ろしさは意外に知られていないのかもしれません。

 障害を持った人は否定されたり無視される経験をほかの人よりも多く持っていると思います。そんなに重いつもりで言ってるわけではなくても、障害のある人は深く傷ついてる場合が少なくありません。否定されることが多くて自分に自信が持てない人、言い返すことができない人(障害者)にとっては小さなことが心理的虐待になることがあることを知ってください。

③ネグレクト

 食事を与えない、病気になっても治療を受けさせない、風呂に入れたり体をきれいにふいたりしない、おむつの交換をしない、学校に行かせない。そういう行為は【ネグレクト】といいます。障害者を保護したり管理したりすべき立場の人が、それを怠り、障害者の生命にかかわるような取り返しのつかない事態をもたらしたり、深い傷を残したりすることが時々起ります。

 重い障害の人は自らの欲求をうまく伝えることができない場合があります。必死になって訴えているのかもしれませんが、言葉や動作でそれを表わすことが苦手なので、周囲の人々が受け取ることができないのです。しかし、そうした障害者こそが、ちょっとしたネグレクトで重大な事態に陥ってしまうことがあります。

 障害者の中にはいつも薬を飲んだり打ったりする必要がある人がいますが、投薬を怠ったために身体に重要な影響を及ぼすことがあります。

④性的虐待

 あまり表面化はしないけれど、多くの女性障害者が受けているのではないかと言われるのが【性的虐待】です。親族などの近親者から、職場で上司や同僚から、医療スタッフから、学校で……。あらゆる場面で障害者は性的虐待のリスクにさらされています。

 重度の障害者の場合、性的虐待を受けていても、それが虐待なのか、いけないことなのか、自分は被害にあっているのか、ということを認知できない場合があります。加害者側はそうした特性に付け込んで虐待するのですが、障害者が嫌なそぶりをしないために加害者が自分のやっていることがいけないとの自覚が薄れて増長してしまうケースがあります。

 しかし、重度の障害者が自分のされていることの意味が認識できない場合でも、心身に深い傷をつくり、自尊心が知らず知らずのうちに崩されていくのは、障害のない人と同じです。

⑤経済的虐待

 入所施設でずっと暮らしていると、障害年金が何百万円あるいは1000万円以上もたまっている人がいます。障害者自立支援法で自己負担が導入されてから事情が変わりましたが、施設が障害者の年金を管理したり、保護者会が施設からの依頼を受けて管理したりするケースは珍しくありません。

 あるいは親が亡くなって障害者が多額の遺産を相続するケースもあります。成年後見人がちゃんと付いて本人のために遺産を使えるようにするべきなのですが、まだまだ後見人の利用率は低く、年金や遺産が障害者本人の意思とは別のところで勝手に管理されたり流用されたりしているケースは多いとみられています。

 また、一般就労している障害者でも賃金を安く抑えられて長時間の労働を強いられていたり、賃金をピンはねされたりしている例が時々明らかになっています。

 これらは、いずれも詐欺や横領に問われるべき事案なのですが、障害者が自らの被害を認識できていない、あきらめきってしまっている、親も「働かせてもらえるだけでいい」と考えている、などといった理由から声が上がりにくいのです。

3―虐待の主な具体例

  定義 具体例
身体的虐待 暴力や体罰によって身体に傷やあざ、痛みを与える行為。身体を縛りつけたり、過剰な投薬によって身体の動きを抑制する行為 平手打ちする、殴る、蹴る、壁に叩きつける、つねる、無理やり食べ物や飲み物を口に入れる、やけど・打撲させる、柱や椅子やベッドに縛り付ける、医療的必要性に基づかない投薬によって動きを抑制する、施設側の管理の都合で睡眠薬などを服用させる…など。
心理的虐待 脅し、侮辱などの言葉や態度、無視、嫌がらせなどによって精神的に苦痛を与えること 「バカ」「あほ」など障害者を侮辱する言葉を浴びせる。怒鳴る、ののしる、悪口を言う。仲間に入れない、子ども扱いする、一人だけ特別な服や帽子をつけさせるなど、人格をおとしめるような扱いをする。話しかけているのに意図的に無視する…など。
性的虐待 本人が同意していない性的な行為やその強要(表面上は同意しているように見えても、判断能力のハンディに付け込んでいる場合があり、本心からの同意かどうかを見極める必要がある) 性交、性器への接触、性的行為を強要する、裸にする、キスする、わいせつな言葉を言わせる…など。入浴や排せつなどの異性介助についても広義の性的虐待に該当する。
経済的虐待 本人の同意なしに財産や年金、賃金を搾取したり、勝手に運用し、本人が希望する金銭の使用を理由なく制限すること 年金や賃金を搾取する、本人の同意なしに財産や預貯金を勝手に処分する・運用する・施設等へ寄付する、日常生活に必要な金銭を渡さない・使わせない、本人の同意なしに年金等を管理して渡さない…など。
ネグレクト 食事や排泄、入浴、洗濯など身辺の世話や介助をしない、必要な福祉サービスや医療や教育を受けさせない、などによって障害者の生活環境や身体・精神的状態を悪化させること 食事や水分を十分に与えないで空腹状態が長時間続いたり、栄養失調や脱水症状の状態にある。食事の著しい偏りによって栄養状態が悪化している。あまり入浴させない、汚れた服を着させ続ける、排泄の介助をしないことで衛生状態が悪化している。髪や爪が伸び放題。室内の掃除をしない、ごみを放置したままにしてあるなど劣悪な住環境の中で生活させる。病気や事故でけがをしても病院に連れて行かない。学校に行かせない。必要な福祉サービスを受けさせない・制限する。同居人による身体的虐待や心理的虐待を放置する…など。

4―虐待のとらえ方

困難が生じている事実に着目する

 多くの福祉現場は人手不足でストレスが多い割に職員は低賃金だったりするもので、少々のことは仕方がない、あまりうるさく言っても……と職員に同情的になる場合が珍しくありません。家庭でも就業先でも学校でも病院でも、虐待の背景にはさまざまな事情があるもので、虐待をしている側だけを一方的に責めても本質的な解決に至らないものなのかもしれません。しかし、現に虐待され苦しんでいる障害者本人を救わなければなりません。虐待を取り巻くさまざまな問題についても考えなければならないとしても、まずは困難が生じている事実に着目し、障害者を救済しケアすることを優先して考えましょう。

虐待しているという「自覚」は問わない

 障害者をいじめてやろう、苦しめてやろうという悪意を持って行っている虐待はもちろんありますが、自分がやっていることが虐待に当たるとは気づいていない場合もたくさんあります。虐待している側にその自覚がなくても、障害者は苦しみ生活するのに困難な状況に置かれている場合はあります。虐待している自覚がないからといって免責されるわけではなく、その行為が虐待に当たることを気付かせ、虐待を解消させなければなりません。

障害者本人の「自覚」は問わない

 障害の程度が重くて自分がされていることが虐待だと認知できない障害者はたくさんいます。また、無力感を身につけ、自分に自信を持てないでいる障害者の場合、虐待されてもあきらめきっている場合がよくあります。障害者の側に虐待の自覚がなくても、SOSを自ら表現できなくても、それで放置しておいていいわけがありません。むしろ、自覚がない、自ら訴えることができないことによって虐待が長期化したり深刻化するケースが多いことを理解してください。

親や家族の意向と本人の気持は違う場合がある

 施設や就労現場での虐待の通告(相談)があった場合、障害者の親の中には「これくらいのことは仕方がない」と虐待する側を擁護したり、虐待の事実そのものを否定したりすることがあります。わが子を預けている相手に対する屈折した心情、ほかに行き場がないという選択肢の無さが親にこうした態度を取らせるのです。そうした弱みに虐待する側が付け込んだり利用したりしている場合もあります。親の表面上の態度で安易に納得するのではなく、あくまで苦しんでいる障害者の気持になって虐待に取り組むことが大切です。

身体的虐待・心理的虐待のとらえ方について

 知的障害者や自閉症者に対する古い価値観や誤った知識によって、障害者を見下し尊厳を認めないために身体的虐待や心理的虐待をしている例がよく見られます。障害があるというだけで「劣った存在」と決め付け、バカにした言葉や態度を取る。「頭が悪いやつは体で覚えさせる」などと体罰を容認し動物の調教のようなつもりで叩いたり蹴ったりする。そのような施設や就労現場での虐待はこれまでにも数多く指摘されてきました。

 また、自閉症の特性についての正しい知識がないために、科学的な根拠の乏しい訓練や指導によって障害者に苦痛や恐怖を植え付け、自傷や他害など強度行動障害を誘発しているケースも多いと指摘されています。

 福祉資源や就労先が足りないこともあって、家族や行政も「預かってもらっている(働かせてもらっている)だけでもありがたい」などと思い込み、虐待の発見や救済が遅れるケースがとても多いことを指摘しなければなりません。

経済的虐待のとらえ方について

 経済的虐待については、障害のある子の賃金や年金が親の生計を支えている場合や、判断能力に問題があるために障害者自身が金銭を管理することが難しい場合もあって、虐待に当たるかどうかを判断することが困難な場合がすくなくありません。

 経済的虐待に当たるかどうかは、障害者自身が納得し、その意思に基づいて財産や年金や賃金が管理されているか、実際に障害者本人の生活や介助・介護に何らかの支障が出ていないか、などが判断のポイントになります。

 たとえ障害者本人が納得していると思われる場合でも、これまでの家族関係や施設職員との関係や雇用主との関係に対する心理的圧力などから、合意せざるを得ない状況であることも考えられます。本人の意思が表面的なものである可能性を踏まえ、複数の関係者や専門家の意見なども参考にしながら、真意を丁寧に確認していくことが重要です。

 障害の程度が重くて判断能力が不十分と考えられる場合には、財産を管理している人と本人との関係や、客観的に見て本人の利益にかなっているかどうかを考慮し、判断する必要があります。判断能力が不十分な人の場合は後見人でなければ法律行為(財産管理や身上監護)はできないことになっています。親というだけでは成人した障害者の財産を勝手に管理したり処分したりすることができない、という原則を念頭に置いて経済的虐待に取り組んでください。

ネグレクト(支援・介護・世話の放棄・放任)について

 ネグレクトについては自覚がないまま虐待しているケースが多いのが現実です。障害者支援や介護についての知識・技術が不十分なために、不本意ながら障害者の尊厳を損なうような生活に陥っている事例が少なくありません。

 知的障害者などの場合、親自身が障害の子がいることを知られるのが恥ずかしい、他人の世話になるのは申し訳ないなどと思い込み、自宅に閉じ込めっぱなしような状態にしていることが現在でも少なくありません。親自身が落ち込んで心身の健康状態が悪くなり、十分な世話や介護ができなくなっていることもよくあります。病気になっても通院しない、不登校になりがち、ホームヘルプやショートステイなどの福祉サービスのことを知らず、せっかく福祉サービスがあっても利用できていない、という人がいます。

 こうした場合、ネグレクトを責めるだけでなく、親を支援して福祉や医療や教育などのサービスにつなげていくことが求められます。

 また、福祉施設や住み込みで働いている障害者の場合、支援職員の不足などから、部屋に閉じ込めっぱなし、入浴回数が著しく少ない、栄養が偏った食事など、処遇環境が劣悪で障害者の心身に悪影響が出ている例がたびたび明らかになってきました。障害者の人間としての尊厳をきちんと認識していないことなどが背景にあることも少なくありません。

セルフネグレクトについて

 一人暮らしをしている障害者の中には、生活に関する能力や意欲が低下し、自分で身の回りのことができないために、客観的にみると本人の人権が侵害されている事例があり、これをセルフネグレクト(自己放任)といいます。

 セルフネグレクトを虐待に含めるかどうかの議論は置いておくとしても、支援を必要としているという状態に着目して、適切な対応を図っていくことが求められます。

 親に知的障害のある家庭や、親に障害がなくても貧困や介護疲れなどによって家族ごとセルフネグレクトの状態になっているケースも最近はよく報告されています。生活保護をはじめ何らかの福祉サービスを受けるための申請が自分ではできず、その結果として長期間放置されていることが珍しくありません。

 こうしたセルフネグレクトの場合、どの公的機関が対応すべきなのか判然とせず、互いに押し付け合ったりして救いの手が伸びないことが往々にしてあります。死亡や著しく健康を損なうような深刻な結果につながりやすいので、相談や通告があった場合には早急な対応が必要です。

5―チェックシート

障害者虐待発見チェックリスト

 虐待されても障害者が自らSOSを訴えないことがよくあります。小さな兆候を見逃さずに、早期に虐待を発見しなければなりません。虐待が疑われる場合の「サイン」として以下のものがあります。複数に当てはまる場合は疑いがそれだけ濃いと判断してください。これらはあくまで例示なので、ぴったり当てはまらなくても虐待がないと判断しないでください。類似の「サイン」にも注意深く目を向けてください。

■身体的虐待のサイン

□ 身体に小さな傷が頻繁にみられる
□ 太ももの内側や上腕部の内側、背中などに傷やみみずばれがみられる
□ 回復状態がさまざまに違う傷、あざがある
□ 頭、顔、頭皮などに傷がある
□ お尻、手のひら、背中などに火傷や火傷の跡がある
□ 急におびえたり、こわがったりする
□ 「こわい」「嫌だ」と施設や職場へ行きたがらない
□ 傷やあざの説明のつじつまが合わない
□ 手をあげると、頭をかばうような格好をする
□ おびえた表情をよくする、急に不安がる、震える
□ 自分で頭をたたく、突然泣き出すことがよくある
□ 医師や保健、福祉の担当者に相談するのを躊躇する
□ 医師や保健、福祉の担当者に話す内容が変化し、つじつまが合わない

■心理的虐待のサイン

□ かきむしり、かみつきなど、攻撃的な態度がみられる
□ 不規則な睡眠、夢にうなされる、眠ることへの恐怖、過度の睡眠などがみられる
□ 身体を委縮させる
□ おびえる、わめく、泣く、叫ぶなどパニック症状を起こす
□ 食欲の変化が激しい、摂食障害(過食、拒食)がみられる
□ 自傷行為がみられる
□ 無力感、あきらめ、なげやりな様子になる、顔の表情がなくなる
□ 体重が不自然に増えたり、減ったりする

■性的虐待のサイン

□ 不自然な歩き方をする、座位を保つことが困難になる
□ 肛門や性器からの出血、傷がみられる
□ 性器の痛み、かゆみを訴える
□ 急におびえたり、こわがったりする
□ 周囲の人の体をさわるようになる
□ 卑猥な言葉を発するようになる
□ ひと目を避けたがる、一人で部屋にいたがるようになる
□ 医師や保健、福祉の関係者に相談することを躊躇する
□ 眠れない、不規則な睡眠、夢にうなされる
□ 性器を自分でよくいじるようになる

■ネグレクトのサイン

□ 身体から異臭、汚れがひどい髪、爪が伸びて汚い、皮膚の潰瘍
□ 部屋から異臭がする、極度に乱雑、ベタベタした感じ、ゴミを放置している
□ ずっと同じ服を着ている、汚れたままのシーツ、濡れたままの下着
□ 体重が増えない、お菓子しか食べていない、よそではガツガツ食べる
□ 過度に空腹を訴える、栄養失調が見て取れる
□ 病気やけがをしても家族が受診を拒否、受診を勧めても行った気配がない
□ 学校や職場に出てこない
□ 支援者と会いたがらない、話したがらない

■セルフネグレクトのサイン

□ 昼間でも雨戸が閉まっている
□ 電気、ガス、水道が止められていたり、新聞、テレビの受信料、家賃の支払が滞っている
□ ゴミが部屋の周囲に散乱している、部屋から異臭がする
□ 郵便物がたまったまま放置されている
□ 野良猫のたまり場になっている
□ 近所の人や行政が相談に乗ろうとしても「いいよ、いいよ」「放っておいてほしい」と遠慮し、あきらめの態度がみられる

■金銭的虐待のサイン

□ 働いて賃金を得ているはずなのに貧しい身なりでお金を使っている様子がみられない
□ 年金や賃金がどう管理されているのか本人が知らない
□ サービスの利用料や生活費の支払ができない
□ 資産の保有状況と生活状況との落差が激しい
□ 親が本人の年金を管理し遊興費や生活費に使っているように思える

6―相談を受けたら

基礎的な確認事項

 虐待の通告や相談があったとき、どのようにそれを受理するのかはとても重要です。何もかも把握した上で通告してくるケースはまずありません。相談者が混沌としたまま事実関係を整理せずに相談してくることの方が普通で、断片的な情報だったり、間接的な情報だったり、一方的な思い込みだったりすることもよくあります。中には事実誤認に基づく相談や通告もあるでしょう。しかし、あやふやで断片的な情報の中に貴重なSOSが紛れ込んでいることはよくあります。

 せっかく通告や相談を受けても受け流したり、まともに受け止めなかったために重大な虐待を見逃していた例が過去にもたくさんあります。初めから確度の高い虐待情報など持ち込まれないものです。相談を受けた人の感性やモチベーションによって、相談や通告が生かされたり無駄になったりするものなのです。

 まず、相談・通告があったときに、確認しておかなければならないことを記します。

①虐待の内容

・虐待の事実関係
証拠となり得ることの確認(あざ、けがなど)、虐待者、虐待の内容(種類)、自覚の有無、虐待の要因、反復性
・情報の確度
直接見たのか、間接的に聞いたのか、ほかに確認している人がいるか、物的証拠があるか、被害者が証言できるか
・緊急性(危険度)の確認
本人が救済を求めている、生命に危険な状態、生命に危険な行為など
・本人の具体的言動(叩かれたので、怖くて眠れなかったなど)
・虐待者の具体的言動(死んでもいい、など)

②相談者の情報

氏名、連絡先、経歴、本人との関係、虐待者との関係、相談に至る経緯や動機

③本人(被害を受けた障害者)の情報

・基本情報
氏名、性別、生年月日、連絡先、住居、家族構成、勤務先、学歴、収入(年金・生活保護)や借金などの経済状況、性格
・健康情報
健康・身体状況(主な疾患、既往歴、かかりつけ医など)、障害者手帳(障害程度など)、障害程度区分判定の状況、福祉サービス利用状況、日常生活自立度

④虐待者の情報

・家族からの虐待の場合
氏名、性別、生年月日、本人との関係、連絡先、就労状況、収入などの経済状況、介助・介護負担によるストレスの状況、疾病や障害の有無、精神疾患の有無、精神科受診歴、福祉事業所や近隣との関係、家事能力など
・施設内虐待の場合
施設名、施設種別、母体法人名と役員名簿、施設長名と職員名簿、利用者の状況と利用者名簿、この施設に関する過去の情報や相談例など、オンブズマンや第三者委員の有無と氏名、パンフレットなど施設に関する情報
・会社(職場)での虐待の場合
会社名、役員(職員)名簿、労基署や職安で把握している会社の資料や情報、障害者雇用による各種助成制度の利用実績など
・学校内虐待の場合
学校名、教職員名簿、特別支援教育コーディネーターの氏名と連絡先、学校評議員の氏名と連絡先、虐待を疑われる教職員の賞罰歴、教育委員会で把握している教職員の情報
・病院内虐待の場合
病院名、病院長や職員名簿

調査

 相談・通告されたことがすべて真実とは限りません。相談者が知っていることは事実のほんの一部で、もっと深刻な虐待が存在している場合もあります。虐待を疑われる人が事実関係を否定することだって実によくあります。そんな時、どれだけ正確でたくさんの証拠(事実)があるのかが問われることになります。どのような解決の道筋をつけるにしても、虐待を裏付ける証拠次第と言っても過言ではありません。

①相談(通告)者からの聴取

 とりあえずは、相談をしてきた人からじっくり話を聞くことから始めましょう。被害者本人である場合もあるし、家族や施設職員や相談支援事業所のコーディネーターかもしれません。相談者が把握している情報をできるだけ正確にたくさん聞きとることが大事です。相談者自体が混乱している場合もあるので、話を整理しながらいろんなことを思い出してもらう必要があります。虐待を通告するのは誰だって緊張したりプレッシャーを感じたりするものです。話が混沌としてすぐに内容を把握できなくても、性急に話を引き出そうとしたり、誘導しようとせず、じっくり相手の言葉を記録してください。

 相談者は通告することで職場で不利益をこうむるのを心配する場合が多いでしょう。相談者に関する秘密の保持や個人情報の秘匿は、相談を受ける側として必ず守らなければならないことです。相談者にもその点は念を押してできるだけ不安を払拭してもらうことが大事です。

 相談者が安心して話せるような場所で、場合によっては何日にも分けて繰り返し聞くことも必要かもしれません。また、相談者の話を裏付けるものを探してもらいましょう。身体的虐待の場合には傷ややけどの写真、医師の診断書やカルテはないでしょうか。職場での業務記録や日誌、保護者との連絡帳などはありませんか。個人的な日記やメモで虐待に関わる記録は残っていませんか。他に虐待を目撃した人はいませんか。断片的で不確かな情報でも、いくつかの断片情報が支え合って虐待の事実を裏付けることができる場合があります。

②本人からの聴取

 虐待被害を受けた障害者の話は記憶が薄れないうちに、できるだけ早い段階で聴取することが望ましいと思います。ただし、感情にまかせて強引に話をさせたり、誘導することによって記憶がゆがんでしまうことがあるので、それは避けるべきです。障害者にとっては何度も思い出すことで二次的な被害を受けトラウマになる場合もあるので、注意して聴取しなくてはなりません。できるだけ早期に専門的なスタッフによる聴取を受けることが理想です。

 ただ、当初は本人も家族も動揺したり混乱したりするのは当たり前で、だれに相談していいのか、相談していいものかどうかもわからないという状況かもしれません。また、ショックを受けて無力感にさいなまれている場合には、強く励まして誘導するぐらいでなければ本当のことは言えないものです。

 虐待を受けた本人から事情を聴取する際には、信頼できる支援者など本人が安心できる人に同席してもらって行うことも検討すべきです。家族は本人にとってもっとも頼りになる存在である半面、家族には知られたくない、家族の前では話せないと思っていることも多いことも考慮する必要があります。

 虐待が疑われた当初、家族が本人に話をさせ、それを録音したり録画したりした証拠が裁判で採用され、虐待の事実認定に大きな役割を果たした例もあります。そうした記録があれば確保しておきましょう。

③キーパーソン

 虐待に関する情報収集や調査活動、被害者の救済、加害者の支援などを行っていくのは時間と手間がかかるものです。こうした一連の活動を進めるために、協力して動いてくれるキーパーソンが必要です。相談支援事業所のコーディネーターがキーパーソンになる場合もありますし、被害者本人の親族や利用している施設の職員などがキーパーソンになる場合もあります。

 施設内虐待の場合には職員の中で良心的な人が、さまざまな情報収集をしたり、他の職員や施設経営者に対して調査への協力や被害者のケアなどを働きかけたりしてくれることがあります。こうしたキーパーソンがいないと実態調査が進まないものです。職場や学校や病院内での虐待についても内部の協力者を見出すことがとても重要です。

 過去の事例を見ても、内部の協力者からの通告があって初めて閉鎖的な施設や就業の場での虐待が明らかになった例がいくつもあります。こうした内部協力者は自らの職場内で非難されたり孤立したりする恐れが常につきまといます。内部協力者に関する秘密の保持についても細心の注意を払って努めなければなりません。内部通告者保護法ではこうした協力者が職場内で不利な状況に置かれてはいけないことが定められてもいます。協力者にはそうした配慮をしていくことを伝えてください。

④関係機関が把握している情報

 虐待者や被虐待者にかかわることで行政の担当課、福祉事務所、児童相談所、学校や教育委員会、警察、地域包括支援センター、相談支援事業所、運営適正化委員会などで把握している情報についても調べてください。

 断片的な情報がこうした機関にもたされながら、そのまま放置されていることがよくあります。また、ひとつの虐待情報をいろいろな角度からアプローチしていくと思わぬ新事実が浮かび上がったり、虐待している側の事情なども分かってきたりすることがあります。個人情報の保護には配慮しなければなりませんが、それぞれに専門性をもった公的機関から情報や解決への知恵を集めて総合力で取り組んでいくことが望ましい場合が多いことも知ってください。

 被害者を救済してケアし、虐待している側を支援して再発防止を図るためには、さまざまな公的機関や民間団体の協力が必要です。

⑤虐待者からの聴取

 ひどい虐待で刑事訴追すべき場合もあるので、一概に言えることではありませんが、まずは一方的に虐待者を悪だと決めつけず、先入観を持たずにアプローチすることが必要です。家庭内の虐待の場合、障害者本人と虐待者の担当者を分けて、チームで対応し、全体をマネジメントする役割の人を置くべきです。児童虐待のように、できれば家族関係を修復し家族内で傷を癒して行くことが望まれるということを想定しながら、虐待の事実確認などを進めていくべきです。

 施設内や就業先、学校、病院内での虐待では、監督権限のある行政部署とも連携しながら、事実確認のための調査に協力させるよう努めましょう。虐待している側にも認識不足、誤った知識や未熟な支援技術、人手不足などさまざまな事情があるものです。そうした背景要因を理解しながら、虐待に真正面から向き合い克服する過程を踏んでこそ良い職場環境の構築につながることをわかってもらうことが必要です。

 知的障害者や重度の精神障害者のように判断能力にハンディがあり、踏みつけられても抗議したりSOSを発したりすることが困難な人がいる現場は、権利侵害のリスクが高いということを知ってもらいましょう。そういう現場はどこでも権利侵害の芽が生えてくるものです。それを過度に恐れて目をそらしたり、見て見ぬふりをしていると、だんだん権利侵害はエスカレートし取り返しのつかない虐待へと発展していくことがあります。支援者側のモチベーションも低下し、重苦しい空気が職場を支配するようになっていきます。虐待や権利侵害は絶対に許されないと思うあまりに現実に権利侵害が起きても認められなくなるのではなく、いつでも権利侵害は起こりうるという前提に立って権利侵害に果敢に取り組んでいくことが良い職場をつくるのです。そうしたリスクマネジメント(危機管理)の発想を学ぶべきです。

7―解決とは何か

 何をもって解決とするのかはとても難しい問題です。本人や家族の意向を確認しながら、慎重に見極めていかないといけません。相談を受ける側の対応次第で表層的な解決にとどまってしまう場合もあれば、隠れていた問題を深く掘り下げることができてより本質的な解決に向かう場合もあります。

事実の解明

 加害者側の立場になって考えると、権利侵害や虐待が行われていたことはできれば認めたくないし、認めざるを得ないとしてもあまり知られたくはない、裁判などは起こされたくないし示談になったとしても慰謝料はできるだけ払いたくない、謝罪もできればしたくない……そんな心理が働くであろうことは容易に想像できます。

 障害者と加害者の力関係を見ると、たいていの場合は一方的に障害者の方が弱いもので、加害者側に権利侵害をできるだけ認めたくないという心理が働いてると、事実解明は制御されがちになります。権利侵害された障害者が今後も加害者側の施設や就業先で世話になる可能性があればなおさらです。

 しかし、どのような解決を図るにしても、何が行われていたのかをきちんと解明し、それを直視するところからしか、被害者側は真の納得や立ち直りを得られず、加害者側も真の反省も再発防止への取り組みも生まれないのではないでしょうか。

 真相究明をして白黒つけるようなことはあえて避け、共同体の互助と依存の精神文化の中で絶妙な問題解決を図る方法も、江戸時代の長屋を舞台にした小説などで見られます。ただし、暗黙の了解に基づく納得は、共同体への信頼や濃密な人間関係という土台があって初めて生まれるもので、こうした高度な問題解決の技法がどこでも通用するようには思えません。表面上はそのように見えても、弱者(障害者)の泣き寝入りの上に成り立っているだけというケースが多いのではないでしょうか。

救済とケア

 虐待は障害者の心身を傷つけさまざまな後遺症を残すものです。障害者がSOSを発しなくても生命の危険が迫っている場合もあり、できるだけ早期発見、早期救済に努めなければなりません。

 加害者は家族であったり、施設や就業先で世話になっている人であったりするため、相談を受けて関係者から事情を聞いて行くうちに、被害者と加害者の日常における人間関係に目が奪われ、障害者を彼らの元から引き離すのがためらわれる心理が働くものです。引き離した障害者を保護する受け皿がすぐに見つからない場合はなおさらです。

 障害者が加害者の庇護の下にいるために本当のことを言えず、それによって事実の解明ができずに被害者の救済やケアも遅れる、という悪循環に陥っているケースが実に多いことも指摘しないわけにはいきません。

 福祉サービスが不足しているために家族に過重な負担がかかっている、補助金が低額なために人手不足で職員が疲弊している……加害者になる側にもさまざまな理由があるものです。虐待の背景にある諸問題にも目を向けて根本的な改善を目指すのはもちろんですが、今、目の前で殴られたり搾取されたりして苦しんでいる障害者がいれば、何をさておいても、まずその障害者を救わなければなりません。

 虐待や抑圧状態に長く閉じ込められていると、自分に自信を失いあきらめきった気持が身についてしまうものです。混沌として悔しいという気持すら感じることができなくなっている障害者も大勢いることでしょう。こうした自己喪失の砂漠から救い出すためには、医療や心理の専門的ケアが必要な場合もあります。

納得

 どの段階で解決したとするのかはケースによって異なりますが、被害にあった障害者にとっては、解決の道筋が納得できるものかどうかということがとても重要だと思います。

 ある犯罪が起きた時、警察の捜査によって容疑者が捕まった。これをもって「解決した」とマスコミは報道しますが果たしてそうでしょうか。ひょっとしたら容疑者にはアリバイがあり、警察の捜査がずさんで冤罪であるかもしれません。裁判になって検察と弁護側がさまざまな角度から証拠を出し、それらを踏まえて裁判官が有罪判決を出した。被告は控訴をせず有罪が確定した。そこまで見極めて、初めて「解決した」と言えるのでしょうか。あるいは、有罪判決を受けた被告が刑に服し、それが終了した時点をもって「解決」と考えるべきなのでしょうか。刑事訴訟のシステムとしてはともかく、被害者にとっては果たしてそれで解決したことになるのでしょうか。

 これまでの日本の刑事裁判では、被害者はずっと蚊帳の外に置かれていました。有罪判決が確定し、加害者にどれだけ重い罰が下されたところで、まったく納得もできなければ心の傷が癒されることもない。そんな被害者がどれだけ多かったことでしょう。こうした反省に立って、被害者側に真実を知る権利を保障し、裁判で意見を述べる機会を提供しようということに最近はなってきています。

 虐待の被害者の心理はとても複雑です。それまでの加害者との関係は依存や信頼によって成り立っているだけでなく、愛着、期待、安心、失望、憎悪などが渦巻いていることは注意して洞察すれば分かると思います。

 そうした被害者にとっての<納得>とは何でしょう。加害者が処罰されることによって報復感が満たされることなのか。加害者が心から謝罪することで再び信頼や愛着を得られることなのか。謝罪だけでなく再発防止策を講じることによって安心感や達成感を得られることなのか。虐待の内容によっても違うでしょうし、被害者によっても違うでしょう。加害者との関係によっても違うと思います。ただ、いずれの場合も虐待で傷ついた自尊心の回復を図ることが被害者にとっての解決には不可欠だと思われます。

社会化

 密室での虐待では物的証拠や目撃証言が乏しく、障害者の証言能力も問題にされて、告訴したところで起訴には至らないケースがよくあります。また、起訴されても無罪判決が出た例もあります。このため民事訴訟を起こして裁判所に事実を認めてもらおう、加害者に賠償金の支払いを命じてもらおうということがよく行われています。民事訴訟では事実認定のハードルが刑事訴訟に比べて低いので、虐待があったことを裁判所が認めて賠償金の支払を命じる判決が出ることも少なくありません。

 虐待で傷ついた障害者にとっては賠償金を支払わせることよりも、むしろ裁判所という国家の最高権威に虐待の事実を認めてもらうということ自体を目的にしていることが多いようにも思えます。民事訴訟を起こせば費用もかかり、相手側からの反論も浴びることになります。長期にわたって物心両面の負担を強いられることになりますが、それでも提訴するのは、裁判というステージに個人的な虐待体験を載せることによって問題を社会化させたいという意識が働いているように思えます。

 虐待される側を傷つけているのは加害者だけではありません。周囲の人々の黙殺や無関心によって孤独の砦に閉じ込められ、障害者は自らの自尊心を深く傷つけられているのです。

 裁判という手段だけではありません。マスコミに訴えて個人的な虐待被害を報道してもらい、社会化されることを望む被害者も大勢います。マスコミ報道によって福祉関係者の意識が変わったり、福祉制度が変革されてきた経緯もあります。

 ある虐待の相談や通告があったとき、表層的な解決で了とするのではなく、人間のような社会的生き物にとって本当の意味での自尊心の回復とは何なのかを深く考えるべきではないかと思います。

8―成年後見制度

虐待と後見

 法定後見制度は、知的障害のある人、すでに認知症が発症している人など、自分でものごとを判断することがうまくできない人のための制度です。本人や配偶者(夫・妻)、4親等内の家族(兄弟姉妹、祖父母、叔父叔母、いとこなど)が家庭裁判所に申し立てることができます。身よりのない人の場合には、市町村長が申し立てることもできます。家庭裁判所が成年後見人(補助人・保佐人・後見人)を選びます。

 虐待被害を受けている障害者を救済し、被害回復を図るためにはさまざまな法律行為をすることになります。たとえば親族や施設や就業先で年金や財産や賃金などの搾取を受けている場合、損害を回復するためには、加害者側と交渉したり、裁判を起こすことになって代理人の弁護士に委任したりする際、判断能力にハンディのある障害者本人に代わって法律行為を行う後見人が必要になります。また、損害を回復して得た財産をどうやって保管し、 本人の生活のためにどのように使うのかを決める時にも後見人が必要です。さらに、障害者がどこで暮らし、どのような福祉サービスを受けるのかということを決めるのも法律行為に当たります。再び虐待のような権利侵害が行われないように、また障害者が福祉サービスなどに不満がないかどうかを知るために時々やってきてチェックすることも後見人の仕事です。

 経済的虐待に限らず、虐待の当事者が親族である場合には障害者本人の権利をしっかり守ってくれる第三者の後見人が必要です。また、虐待しているのが施設や就業先の経営者である場合、親が「お世話になっているのだから少々のことは仕方がない」と泣き寝入りを決め込んでいる場合が珍しくありません。わが子を託している相手に対して卑屈になったり負い目があるために遠慮しているのです。障害のあるわが子を人質に取られているような心境なのかもしれません。気まずくなっていじめられたり、出ていけと言われた場合に他に行き場がないという恐怖が親を呪縛しているのです。

 こうしたケースでも障害者本人の側に完全に立って権利を守ってくれる後見人の存在が不可欠です。

後見人は何ができるのか

 後見人には次のようなことを行う権利があります。

  • 代理権……障害のある本人が行う法律行為(買い物、福祉サービスの契約、遺産相続、寄付などいろいろ)を、本人の代わりに行う権限
  • 同意権……障害のある本人が行う法律行為の有効性を判断する権限
  • 取消権……障害のある本人が行った法律行為が、実はだまされているのではないか、損しているのではないか、と思われるとき、それを取り消すことができる権限

 また、障害者の判断する能力に応じて、補助・保佐・後見の三つの類型に分かれます。

  • 補助………だいたい日常生活は自分一人で困らずにできるが、少し不安がある場合の支援
  • 保佐………ふだんの買い物くらいはできるが、アパートを借りたり、家を売ったり、車を買ったりすることを一人で行うのが難しいという場合の支援
  • 後見………ふだん買い物をしようとしても釣り銭がよくわからない、というくらい、誰かの援助がいつも必要な場合の支援
類型 代理権 同意権 取消権
補助
保佐
後見

◎本人の同意がなくても権限が付与される △権限の付与について本人の同意が必要

身上監護

 後見人は、障害者(被後見人)の身上監護に関する「法律行為」と財産管理をおこないます。おこなったことは家庭裁判所に報告します。

 「身上監護」とは、障害のある人の生活や健康や医療に関する「法律行為」をすることをいいます。

 たとえば、アパートに入居しようとすると、大家さんと賃貸契約を結ばなければなりません。仲介する不動産屋に手数料を払ったり、敷金や礼金を払ったりしないといけません。保証人も必要です。

 入所施設に入るときにも、契約を結ぶなどいろんな手続きがあります。

 また、地域で暮らすために必要な福祉サービスを受けるためには、まず障害程度区分の認定を受けないといけません。結果が実態とかけ離れていると思ったら、不服であることを申し立てる必要があります。そして、グループホームやホームヘルプなどを利用するときには、こうした福祉サービスを行っている事業所と契約を結ばねばなりません。

 病気になったり、けがをしたときは病院や診療所で治療を受けますが、どんな症状なのかを医師に伝え、どのような治療をするのかについて医師から説明を受けます。説明に納得できなければ、さらに医師と話し合うか、セカンドオピニオンといって別の病院で治療方法を聞くこともできます。自分の体なのですから、なんでも医師まかせにすることはできません。入院するときにはまた手続きが必要になります。健康保険があっても自己負担分は窓口でお金を払わねばなりません。生命保険に入っている場合は、医療費補助が受けられるかもしれません。

 こうした、実にたくさんのことが身上監護には含まれます。その身上監護をきちんと行うために、必要な情報を集め、被後見人の本当の気持ちをいつも確かめ、時には被後見人が入っている施設を訪問して、被後見人が困っていないか、施設がきちんと必要な処遇をしているのかということをチェックしないといけません。後見人としてやらなければならない仕事をするためには、そうした努力が必要なのです。

 ただし、手術などの同意は後見人にはできません。手術はその人の体にメスを入れたりして、命にかかわることなので、いくら後見人でもそこまでの権限はありません。

 また、買い物、そうじ、洗濯などの家事労働や、外出の付き添い、送迎、荷物運びなどは単なる「事実行為」になりますので、身上監護には含まれません。散歩をしながら被後見人の気持を聞いたり、買い物に付き合いながら被後見人の心身の調子がどうか様子を見たりすることもあるので、こういう「事実行為」をやってはいけないということではありません。

財産管理

 被後見人(障害者)がどんな財産を持っているのかをきちんと把握し、年金を受け取ったり、必要なお金を出したりすること、預貯金の通帳や保険証書を保管することなどが、財産管理です。

 また、被後見人が住んでいる家やマンションを維持、管理するだけでなく、処分することも後見人の業務に含まれます。ただし、住む家がなくなってしまったのでは、障害のある人の心身の健康がおびやかされることになるので、後見人が独断で処分することはできません。家庭裁判所の許可が必要です。処分とは家を売り払ってしまうことだけでなく、賃貸借の契約を解除すること、抵当権を設定すること、そのほかこれらに準じる行為も含まれます。

 後見人になったら、まず被後見人(障害者)がどのような財産をもっているのかを調べ、目録をつくります。年金や働いて得る収入などがどのくらいあるのかも調べます。次に、日常生活にどのくらいのお金がかかるのか、福祉サービスの利用料や病院に通っている場合には治療費がどのくらいかかるのかを調べます。財産を管理するために必要な経費についても調べます。その上で、毎年どのくらいのお金がかかるのかを予定を立てます。これを「費用の予定」(後見予算)と言います。

 この予算を立てることは、どのような後見をしていくのか、方針を立てることにもなります。金融機関には成年後見を開始したことを届け出をします。その他の関係のありそうな公的機関に対しても後見の通知をします。

 被後見人のために必要な費用は、被後見人の財産から支払ってもかまいません。ただし、あらかじめ予算を立てた上で、毎月決められた額を引き出し、その中でやりくりするべきです。予想外の出費のために、予算内でまかなえなくなったら場合には、必要に応じて家庭裁判所に相談します。

市町村申し立て

 成年後見制度を利用したくても、身近に申し立てる親族がいなかったり、申立て経費や後見人の報酬を負担できないなど、様々な理由で利用できない人がいます。

 このような人々に対し、成年後見制度を公的に支援する制度で、市町村長が代わりに家庭裁判所へ申立てをする市町村申立てと市町村が申立てにかかる費用を助成する成年後見制度利用支援事業というものがあります。

 市町村長が審判申立てを行うための判定基準としては、①事理弁識能力 ②生活状況及び健康状況 ③4親等内の親族の存否及び当該親族が成年後見等開始審判申立てを行う意思の有無--などとされています。しかし、ともすれば4親等内の親族の存否確認に時間を費やし、本人とほとんど交流のない4親等内の親族が存在することだけで申立てを躊躇する例が見受けられ、迅速な本人保護が図られていません。場合によっては、4親等内の親族自身が障害者の財産を侵害したり、虐待をしている場合もあります。4親等内の親族から権利を守るために早急に成年後見人を選任する必要がある場合もあるのです。

 そこで、現実には必ずしも4親等内の親族調査をしなくても良いこととされており、必要が認められれば本迅速かつ適切な申立てを確保するべきだということが、「成年後見制度における市町村長申立に係る要綱」で定められています。

 市町村申立てを行うことができるのは、社会福祉法第2条で定める事業に従事する職員……など専門職だけでなく「その他本人の日常生活のために有益な援助をしている者」も申し立てられることになっています。

9―ケーススタディ~あなたならどうする?

だれが相談を受けるかによって違う

 相談や通告してくる人は必ずしも問題をきちんと整理できているわけではありません。むしろ混沌として自分ではどう考えていいものかわからずに、悩みや疑念をぶつけてくることの方が多いと思います。

 そのとき、誰がどのようにその相談を受けるかによって、その後の展開は大きく変わってきます。表面的な解決(本当の意味での解決ではない)に終わってしまう場合もあれば、相談してきた人と一緒に悩みながら問題の本質に迫っていき、権利侵害や虐待されている人の人間性の回復をはたらきかけたり、加害者側に自らの行為を省みてよい支援へと反転させたりすることができるのです。相談支援とは奥の深い仕事です。相談を受ける側の人間性や専門性が試されているといっても過言ではありません。

 実際に起きた障害者の権利侵害事例と相談から解決に結びついて行ったケースを紹介しながら、相談のあり方を考えてみたいと思います。

事例

 20歳代の軽度の自閉症のAさんが縫製工場に勤めていた。その母親から就労支援センターに電話で相談があった。「息子が社長に叩かれ、それがショックで会社に出勤できなくなった」。息子はもう会社を辞めたいと言っており、母親もすっかり落ち込んでいる。「社長の顔を見るのが私も怖い。穏便に辞められればそれでいい」と言う。

 もしも、あなたが相談を受けた就労支援センターのコーディネーター(職員)だったらどうしますか。

1 あなたならどうする?

  • ① なんとかしてやりたいが、権限がないので、職業安定所に相談に行くように言う。
  • ② じっくり話をきいてやり、慰め、励ます。
  • ③ 母親に代わって退職手続をしてやる。
  • ④ Aさんの再就職先を探してやる。

 電話をしてきたお母さんは自分でもどうしていいかわからず、息子のことが心配で落ち込んでいます。まず、じっくり話を聞いてやることが必要です。慰めたり励ましたりすることもお母さんを落ち着かせるのに役立つでしょう。さあ、問題はそれからです。たしかに就労支援センターには何か権限があるわけではありません。なかなか障害者の就労先が見つからず、企業に頭を下げて障害者の職場開拓をしている立場からすれば、Aさんが働いている会社に対しても強く出られないものかもしれません。

 職業安定所(ハローワーク)に相談に行くというのも一つの方法だと思います。しかし、職安だってそんなに簡単に動いてくれるものではありません。関係者の調整はしますが、権利侵害などが疑われたときに会社に対して監督指導する権限は職安にもありません。

 母親に代わって退職手続をしてやる、Aさんの再就職先を探してやる--。就労支援センターとしてそんな支援をすることができる範囲で最善の支援なのかもしれません。親身になってそこまでやってくれる支援センターだって障害者や家族にとっては貴重なものです。

 しかし、本当にそれでいいのでしょうか?

 就労支援センター職員は地元の親の会の人たちや、知的障害者の権利擁護に詳しい人に相談してみました。あれこれ話し合っている中で、親の会の人が言いました。「Aさんが穏便に会社を辞めれば、それでこの問題は解決したことになるのだろうか」「Aさんは社長に叩かれたというけれど、Aさんや母親は悔しくないのだろか」

 退職手続きを取ってあげたり、再就職先を探す前に、もう少しAさんの家族の生活歴や状況を詳しく聞き、社長や職安からも詳しい事情を聞いてみるべきではないかということになり、就労支援センターの職員は電話だけでなくお母さんに会うことにしました。また、会社を訪ね、職安からも話を聞くことにしました。

 それによって新たにわかったことがいくつかありました。それは以下の通りです。

判明したこと

  • Aさんにも落ち度があった
  • 他にも数人の知的障害者が雇用されていた
  • 障害者への配慮もうかがえる
  • 職安は他の従業員や求職者への影響を懸念している

 会社に行って社長に話を聞いたところ、「Aさんは以前はよく働いてくれていたのに、いつの頃からか仕事を怠けるようになり、同僚たちにちょっかいを出したりしてトラブルになることが度々あった。同僚たちはAさんとは一緒の職場で仕事をしたくないという。おはようとあいさつをしても、返事もしない。ちょっとしたことで同僚と言い争いになるので、注意しているが、反抗的な態度をしたので、つい叩いてしまった」と言われました。社長は「叩いたことは反省しているが、このままならばAさんにはもう辞めてもらいたい」と言います。

 この会社はほかにも知的障害のある従業員が4人働いていることもわかりました。彼らは平穏に職場で過ごしており、仕事も一生懸命にやっているといいます。事業所の中を案内してもらいましたが、車いすの人が移動できるように段差もなく、トイレも車いすが入れるように改装してありました。壁には知的障害の人が作業をおぼえやすいように、大きな字とイラストで作業手順が説明されていました。

 職安に行くと、「障害者を雇用してくれる会社は少ないのだから、あんまり事を荒立てないでほしい。障害者の側にも問題があるのではないか。少々のことでうるさいことを言っていると、障害者の求人など出なくなりますよ」と言われました。

 就労支援センターの職員はAさんの自宅も訪ねて行きました。障害は軽いのですが、それだけに子どものころから学校や地域社会でいじめにあったり誤解されたりして、お母さんは周囲に謝ってばかりの子育てをしてきたと言います。父親は子育てには理解がなく、子どもに障害のあることをなかなか受け入れられず、夫婦仲も冷え込んで数年前から別居していると言います。地元の親の会にも入っておらず、お母さんは相談相手もなくて孤立していました。

 とりあえず、Aさんを週に2~3度就労支援センターに通って来させるように言い、少しずつ立ち直りを支援していくことにしました。

 就労支援センターの職員は改めて親の会の人々に集まってもらい、これまで判明したことを説明しました。その上でAさんの今後のことを話し合いました。集まった人々からはいろんな意見が出ました。あなたが就労支援センターの職員だったら、どうしますか?

2 あなたならどうする?

  • ① 調査してわかった事実をAさんや母親に伝え、今後は迷惑をかけないように指導。仕事に戻れるよう社長にも頼む。
  • ② ほかの従業員への悪影響を考え、穏便にAさんが退職できるよう手続をしてあげる。
  • ③ Aさんの今後について、社長や職安の担当者も交えて話し合う場を設ける。

 Aさんも母親も退職できればそれでいいと言っています。社長もこのままなら退職してほしいと言っています。やっぱり、ここは素直に退職手続きをして、傷ついたAさんのケアをしながら再就職先を探すべきなのでしょうか。

 しかし、親の会のある人が言いました。「Aさんにも“落ち度”があると言うけれど、どうしてAさんは問題のあることをするようになったのだろう。就職したころはまじめに働いていたというじゃないか」。また、別の人は会社が障害者にしている配慮についても指摘しました。「たしかに、車いすの人のためにバリアフリーにはなっているのだろう。知的障害の人のためにも作業手順をわかりやすく書いて職場に張り出してあるという。だけど、それは自閉症のAさんにとってどんな役に立つのだろう」

 そこで就労支援センターのコーディネーターはもう一度、母親に会ってじっくり事情を聴くことにしました。また、自閉症について詳しい専門家や障害者雇用に詳しい人にも会ってみることにしました。“落ち度”の背景には何があったのか。この会社が障害者に対して行っていた「配慮」はAさんにとって適切であったのか、ということを知るためです。

判明したこと

  • 他の従業員とのコミュニケーション不全
  • 自閉症の特性への配慮の不足
  • 会社への不信→最低賃金の免除
  • 会社側の認識の誤り

 落ち込んでいた母親ですが、就労支援センターのコーディネーターと何度か話をしているうちに、いろんなことを思い出したのか言葉が多くなってきました。母親によると、Aさんは自閉症ですが知的能力は比較的高く、仕事の飲み込みも早かったと言います。ただ、自閉症の特性として周囲の人たちとのコミュニケーションに問題があり、ぶつぶつ独りごとを言ったりするのを同僚たちが気持ち悪がったり、抑揚のない大きな声で話すのを笑われたりしたことがあり、不機嫌な顔をして帰宅することが多くなってきたというのです。

 自閉症の専門家や障害者雇用に詳しい人に話を聞いたところ、自閉症の人への支援は物理的なバリアフリーや知的障害者向けにわかりやすい作業手順を張りだすようなことではなく、周囲の人との人間関係をサポートすることが必要であることを強調されました。自閉症に関する正しい理解をしてもらい、何も知らないと奇異に見える自閉症の行動特性を知ってもらうことが何よりも大事だと言われました。

 この会社が自閉症の人を雇うのはAさんが初めてで、このような自閉症の特性をよく理解していないことがうかがわれました。

 また、Aさんの母は「仕方がないことだと思っていたのですが、お給料がだんだん下がって、今では4万円くらいしかもらえてないのです。あんまりお金のことを言うのもはばかられて。働かせてもらえるだけでもありがたかったので」と言い出しました。よくよく聞いてみると、就職したころは最低賃金を超える給料をもらえていたというのですが、同僚たちとトラブルを繰り返すうちに、会社から給料のダウンを言い渡されるようになり、10万円が8万円になり、さらに6万円から4万円に引き下げられたというのです。

 こうして判明した材料をもとに、また親の会の人たちに集まってもらいました。地元の小規模授産施設で働いている職員も心配して参加してくるようになりました。Aさんの今後についてみんなで話し合ったところ、次のような意見が出ました。さて、あなたならどうしますか?

3 あなたならどうする?

  • ① 会社側に配慮が足りなかった事実を指摘し、Aさんが復職できるよう働きかける
  • ② Aさんの退職の意思が固いので、会社側に退職金を出すよう交渉する
  • ③ 会社を相手取って訴訟を起こすよう、Aさんを援助する
  • ④ 職安に判明した事実を報告し、指導するよう頼む

 会社はAさんの落ち度を強調していましたが、実は会社側にも自閉症に対する理解がなく配慮が欠けていたためにAさんがいろんな問題を引き起こしていたのです。それを会社に伝えなければならないでしょう。その上で、Aさんの復職を働きかけるのか、それともきちんとした退職金を保障させた上でAさんの退職手続きを取るのかを決めるべきだということになりました。

 しかし、会社はそんなに簡単に自らの落ち度を認めるものでしょうか。何も権限のない就労支援センターのコーディネーターが掛け合ったり、あるいは親の会の人々が掛け合ったところで、容易に会社を説得することは難しいようにも思えます。職安に指導を頼んだところであまり期待できそうにもありません。ここはやはり会社を相手取って訴訟を起こし、これまで不当に引き下げられていた賃金の補填、慰謝料を払うように訴えるべきだという意見もありました。

 議論が煮詰まってきたとき、小規模授産施設で働いていた若い女性職員が言いました。「どうして最低賃金を免除されちゃったのかしら。法律で決められている最低賃金ってそんなに簡単に引き下げることができるのですか?」

 たしかに、法律で定められた最低賃金を社長の一存で免除できるわけがありません。もしも勝手にそんなことをしていたら法律違反に問われることになるでしょう。この点はきちんと調べなければなりません。そこで、労働基準監督署の担当者に来てもらうことにし、最低賃金をめぐる勉強会を開くことにしました。

 メンバーはさらに増え、親の会や授産施設の職員だけでなく大学の研究者らも参加しました。

 やってきた労働基準監督署の担当者によると、最低賃金を免除するためには、申請のあった事業所に労基署担当官が赴き、直接確かめてから可否を決定することになっているそうです。具体的には、会社側が最低賃金を免除しようとしている従業員Xを除いた従業員の中から最も労働能力の低い人を一人選び出し、その人の労働能力とXの労働能力を比較し、おおよそ6割に満たないと判断された場合に限ってXの最低賃金免除を認めるというのです。

 実際、Aさんの場合は会社から最低賃金免除の申請があって労基署の担当者が訪れたそうです。「実地調査した上でAさんの労働能力が著しく劣ることがわかったので、最低賃金免除を会社に認めました。Aさんの賃金が下げられていったことは不当ではありません」。みんな黙っているほかありませんでした。しかし、なんとなく腑に落ちません。

 親の会のメンバーの一人が尋ねました。

 「会社での実地調査はどのくらい時間を掛けるのですか」

 「2時間くらいでしょうか。詳しくはわかりません」と労基署の担当者は答えました。

 「Aさんのことでこの会社に行ったことは何回くらいありますか?」

 「いえ、初めてです」

 「初めて見るAさんのことをきちんと分析できるものなのですか。どうやって調べたのですか?」

 「社長から書類を見せてもらいながら詳しく聞きました」

 「Aさんの仕事ぶりは見なかったのですか?」

 「……」

 「Aさんから話は聞きましたか? お母さんからは?」

 「Aさんからもお母さんからも話は聞いていません」

 「社長から話を聞き、書類を見ただけで、Aさんの最低賃金免除を認めたのですね」

 「はい」

 「自閉症の人に関わったことはありますか?」

 「いいえ」

 「では、自閉症という障害がどのような特性があるのかをまったく知らないのでしょうか」

 「はい」

 このようなやり取りからわかったのは、労働基準監督署の担当者はAさん側の話をまったく聞かずに、社長の言い分を鵜呑みにしてAさんの給料を下げることを認めていたことでした。最低賃金を免除されている人を調べてみると、その多くが知的障害者だということもわかりました。

 障害者の労働に詳しい弁護団に相談に行くと、会社を相手取って不当に低く抑えられていた賃金と慰謝料の支払を求めて訴訟を提起するべきだと勧められました。労基署の実地検査の不備を突いて国を相手に訴訟を起こすことも検討してはどうかと言われました。もしも提訴するのであれば全面的に協力すると言ってもらいました。

 こうして再び会社を訪れた就労支援センターのコーディネーターは社長にAさんやお母さんの思い、会社が障害者のために配慮していることが必ずしもAさんの支援にはなっていないこと、自閉症の人の特性をよく理解した上で適切な配慮をすればAさんは以前のような労働能力を発揮できるだろうということ、そのための協力は就労支援センターや親の会が行う用意があること、労働基準監督署による最低賃金免除の手続きには大きな問題があり、裁判で労基署の責任を追及しようと検討していること……などを伝えました。

 社長はこれまでのAさんへの対応について間違っていたことを認め、「Aさんに謝りたい。Aさんがもう一度働いてくれるようにお願いしてほしい。Aさんの復職に向けて就労支援センターに協力してもらえないか」と言いました。

 就労支援センターのコーディネーターはもう一度、Aさんとお母さんに会い、社長の言葉を伝えました。Aさんとお母さんはしばらく考えてから、やはり会社は辞めて別の仕事を探したいという気持ちが強いことを言いました。

 「だんだん悔しさがこみ上げてきた。これまではショックであきらめていましたけれど」とお母さんは言います。結局、裁判を起こすとお金も時間もかかり、思い出したくないことまで掘り起こされて傷つくことになるのも辛いということで、弁護士には提訴のことをお断りしました。

 就労支援センターのコーディネーターは親の会や授産施設職員らに集まってもらい、こうした社長やAさん側の気持ちを伝えました。

成果

 ひとつの相談をコーディネーターが悩み、苦労しながら取り組んできましたが、時間や労力がかかった分だけいろんな情報を得ることができました。表面上の解決では得られないような成果もたくさん得ることができました。

Aさんの賃金保証が実現した

 Aさんは結局会社を辞めることになりましたが、これまで不当に賃金を引き下げられてきたことの補償や慰謝料も含めた退職金をもらうことになりました。

Aさんやお母さんの自尊心が回復した

 Aさんやお母さんはこれまで悔しさすら抱けないほど自信を失い、無力感を身につけていました。障害のある人や家族でこのような心理に陥っていることは珍しくはありません。差別されたり、無視されたりしているうちに、すっかり自信をなくしてしまうのです。わが子が叩かれて悔しくない親などいないと思います。就労支援センターのコーディネーターや親の会の仲間がAさんやお母さんに寄り添って励まし、いろんなことを調べてくれているうちに、だんだん自信を取り戻し、悔しさがこみ上げてきたのです。人生には理不尽なこと、自分の力ではどうにもならないことがたくさんありますが、あきらめて自分の殻に閉じこもったり逃げたりしているだけでは、人生の次のステップへの旅立ちもままなりません。

会社が職安へ助言を求めてくるようになる

 このあと、社長は何度かハローワークを訪ねてきて障害者の就労について相談をしてきたそうです。もともと障害者雇用に熱心な会社だったのです。自閉症について理解が足りず、Aさんの処遇に不慣れだったことから問題が生じたのですが、そうしたときにサポートしてくれる機関があるかないかで会社は良くなりもすれば悪くなりもします。ハローワークだけでなく、地元に就労・生活支援センターがあって、障害者雇用をしている事業所や働いている障害者と連絡を密にとってサポートしていく体制が取れることが何よりも大事だと思います。

関わった親の会、福祉職員たちのエンパワメント

 これまでもAさんのような事案は地元で何度かあったそうです。親の会のメンバーや施設職員は「悔しいね」と言い合いながら、どうしていいかわからずに手をこまねいていたというのです。権利侵害などがあったとき、何とかしたいと思ってもどうしていいか分からないと気持ちが萎縮して声をあげられなくなります。どうすればいいか分かれば声をあげて動くこともできます。机の前に座って学ぶことよりも、実際にAさんのケースのような事例に一緒に取り組み、みんなで成功体験を積むことの方がはるかに生きた学習になります。「ひとりではない」という実感をみんなが共有することが虐待や権利侵害を解決していくときの瞬発力や持続力につながっていくものです。

課題

 この事例は就労支援センターのコーディネーターが地元の親の会のメンバーなどと取り組んだもので、何か権限があったり法的な根拠があってやったことではありません。本来ならば監督権限のある行政がもっと関与して取り組むべきものではないでしょうか。そうしなければ解決できなかった課題もたくさんあります。行政がきちんと関与していれば次のような課題は解決できた可能性があります。

同社にいるほかの障害者の実情把握や救済

 Aさんのほかにも障害者が4人働いていましたが、彼らは何も問題なく働いているのか何か不都合なところがないかが気になります。その後、会社側はハローワークに相談に訪れているというのですが、きちんとしたチェックやフォロー体制を作らないと、Aさんのようなことが再び起こらないとも限りません。

最低賃金をめぐる制度上の不備の改善

 自閉症のことをよく知らない労働基準監督署の担当者が会社を訪れて社長から話を聞いただけで最低賃金の免除を認めていたのでは、障害のある従業員は救いがありません。会社側の言いなりで何でもできることになります。法律で定められた最低賃金の趣旨を守るためにも制度運営の適正化を図る必要があります。

ほかの障害者雇用事業所への啓発、相談、実情把握

 Aさんをめぐる問題はこの会社だけでなく、ほかの障害者雇用をしている会社でも起きていても不思議ではありません。情報もサポートもないまま企業に障害者雇用を促しても、企業だって困っているはずです。障害者雇用をしている企業の実情を把握し啓発や相談をしていく必要があります。

職安や労働基準監督署への啓発、研修

 障害者を雇用している企業の指導や監督をする立場にある労働基準監督署や職業安定所をしっかり機能させることが何をおいても重要です。障害者雇用の促進が叫ばれながら、肝心の監督機関が障害者のことをよく知らなければ、障害者の職場定着や権利擁護がうまくいくはずがありません。

教訓

 障害のある人の声にならない声を受け止め、その権利を守りながら、関係機関のエンパワメントを図っていくためには、いくつもの大事な点があります。この事例から次のような教訓を得ることができました。

言葉の背景、本人も気づかない気持に目を向ける

 虐待されたり権利侵害を受けた障害者は必ずしもきちんと自ら受けた被害を訴えてくれるわけではありません。むしろ、ほとんどのケースで障害者はあきらめ切っていたり、被害を自分でも認知できなかったりしているものなのです。障害者の家族も無力感を身に着け、混沌として悔しさすら抱けないという人が珍しくはありません。「もういいんです」「やめさせてもらえるだけで結構です」などという言葉の背後にある、悔しさすらも自覚できない障害者や家族の踏みにじられ屈折した心理に目を向けてください。

障害者だから仕方がない…と思わない

 たしかに障害者にはできないことも多く、就労先も少ないのは現実です。だからと言って少々のことは仕方がない、障害があるのだから少しぐらいはがまんしなければ…とは思わないでください。そういう気持が障害者の気持をさらに委縮させ、相談を受けた人にとっても真実を見る目を曇らせるのです。殴られれば障害者だって痛いし悔しいのです。勝手に給料を下げられれば不満に思うのは誰だって同じです。障害があるというだけで当然に認められるべき権利まで値踏みされるような見方が、虐待を生む土壌を作っていくのです。

理不尽に悲しい思いの人の側に徹底して立つ

 ひどい目にあっていても障害者はなかなかSOSを言ってくれません。紛争を解決するためには「中立」「公平」な立場の人による介入が必要だと言われますが、中立・公平は時として安易で表層的な「喧嘩両成敗」に堕することが多いことも指摘しないわけにはいきません。無力感を身につけてしまった障害者から本音を聞き出すには、徹底して理不尽な思いをしている人の側に立って、励ましたり勇気づけたりしなければなりません。

福祉の中だけで解決しようとしない

 虐待や権利侵害をする側にもそれなりの理由があるものです。経済的に苦しい、人手が足りなくて職員が疲弊している、ストレスが多い中での仕事を強いられている……。そうした福祉の実情がよく分かってくると、批判したり責任を追及したりすることをためらう気持ちが出てきます。施設職員や事業所を支援して虐待リスクの少ない環境にしていくことはもちろん大事です。ただ、虐待されている障害者の側に立ってみると、どうなのでしょうか。福祉の常識や感覚によってのみ解決を図ろうとすると思わぬ落とし穴にはまる恐れがあります。世間一般の感覚で見直すと別の面が見えてきたりするものです。また、司法的なアプローチが問題の本質をえぐり出し、迅速な解決の道を開くこともあります。権利侵害されてもなかなかモノを言ってくれない障害者を救うためには、さまざまな立場からの状況分析や解決へのアプローチを検討することが有効です。

問題解決に地域の当事者や関係者をかかわらせる

 SOSをなかなか発してくれない障害者の権利を守っていくためには、そうした障害者の心情をよく理解している人々がアンテナとなって障害者の気持ちを代弁していく必要があります。ある事例が持ち上がった時、地域の障害当事者や家族や福祉職員などを巻き込んで解決を図ることにより、障害関係者にとっては権利侵害に対する認識を共有し、センスを磨き、問題解決の知識やスキルを身につける良い機会になることでしょう。もちろんプライバシーに配慮しなければなりませんが、権利侵害事例が起きた時はみんなの関心が高まり、こうしたことを学ぶモチベーションが高まっている時でもあるのです。ふだんは権利についてあまり考えないものですが、こういう時にこそ地域の重要な資源を作っていくことが可能になるのです。

個別事例の背景にある問題を浮かび上がらせる

 ひとつの権利侵害が発覚した時、それは例外的な出来事で多くの福祉現場ではそのようなことは起こらないと考えがちですが、それは間違っています。権利侵害の根っこを掘り起こしていくと、多くの福祉現場に共通した要素がいくらでも見つかるはずです。ふだんは気がつかないだけで、知的障害の人がいる現場は権利侵害のリスクが高く、絶えず権利侵害の芽が出てきていると思うべきです。個別の権利侵害をマイナスに考えるだけでなく、普遍的な問題を個別事例がはらんでいるという意識で取り組み、それを教訓にして制度改正や関係者の研修・啓発などにつなげていくことが大事です。権利侵害をプラスに転化できるという実感を持つことにより、実際に権利侵害が発覚したとき、果敢に取り組む姿勢にもつながるはずです。

menu