参考資料

 報道された虐待事例から虐待の内容、職員、行政、保護者の問題について抜粋しました。

施設A(入所)

 1993年に開設。入所・通所更生施設(定員計50人)

虐待

  • ①「やめて、やめて」と逃げる障害者を追いかけて頭を拳骨で数十回殴る。「目にお岩さんのようなあざが出来た」(職員)
  • ②両手と胴体を車庫の支柱にロープで縛り付けられ、園長にバッグで顔面を数回殴られ、そのまま放置された。
  • ③突然、頭を素手で殴られ出血。顔を殴られ、口の中を切る。
  • ④50代の女性障害者は、30代の男性指導員から頻繁に二の腕をつままれる。外から見えないシャツの下で、青あざが多数できていた。歩いている時にも脇腹をつままれていた。
  • ⑤頭をアルマイト製の急須で繰り返したたかれた。急須はへこんだ。
  • ⑥指導員に布団をはがされ、スリッパで尻をぶたれた。
  • ⑦食堂へと引きずられていくうち寝間着は破れ、ボタンがちぎれた。正座させられ数え切れないほど殴られた。
  • ⑧ご飯と料理を交互に食べるよう指示されたが、その通りにしないとほおを平手打ちされ、耳をねじって引っ張られた。
  • ⑨パンツ1枚で素足で園庭を10分間走らされていた。真冬も走らされた。2、3周走って戻ってきても、園長からまた『走れ』と言われた。

職員の問題

  • ①畜産農協を退職した前園長(70代)が園を開いた。現園長は妻(70代)。指導主任に特別養護老人ホーム勤務の長女(40)を据えた。「思いつき」と「効率」が優先された。
  • ②朝食後に食堂で「散歩」をさせる。壁ぎわの1、2人しか通れないすき間を20~30人がぐるぐると回る。
  • ③20人一緒の入浴時間が30分。洗髪は1人1分でないと間に合わない。「これじゃ野菜を洗う流れ作業と同じだ」と指導員。
  • ④副園長の出張研修は00~02年に1泊以上が約40回。半分は前園長も同伴。職員が研修内容を教わる機会はなかった。
  • ⑤園長は事実行為を認めたうえで「指導の一環」と主張。
  • ⑥目撃した職員は「顔面を2、3回たたかれているのを見たが、痛々しくて見ていられず、その後は目をそむけてしまった。止められなかった自分が情けない」
  • ⑦園生の頭部に原因不明の傷跡が複数あったと報告した指導員に、園長は「そういうのは書かんでいい」と看護日誌などの記録に残さないよう指示。
  • ⑧「暴力は園生に対する好き嫌いなど個人的な感情によるものが多く、指導の一環といえないものばかりだった」(関係者)
  • ⑨「園長は怒るばかりで、障害を理解して対策を考えようとはしなかった」(職員)

行政の対応

  • ①県は社会福祉法に基づき、毎年2~3人で2日間園を監査したが、多くは書類の点検に費やした。利用者のけがに気付いても、報告を求めただけ。01年夏、ある元指導員が「日常的に虐待があった。ハエたたきでたたかれ、目から出血した人もいます」と県に電話。訴えは半年間に計4回に及んだが、県は当時の対応を「確認できない」と話す。
  • ②法務局が虐待の情報を県に伝えた。県は前園長らに事情聴取したが、否定されると断念。「情報だけでは限界がある。証拠がなければ追及しようがない」(県職員)
  • ③特別監査で、指導員が熱いやかんを入所者に当てたことを認めたが、「けがの程度や正確な年月日など本人証言以外に裏付けが取れず、体罰とは断定できない」(県職員)
  • ④県議会で「監査が甘い」と追及された県は、「園側に出した改善指導の文書で、『(暴行の)疑いが強い』とした。白だとは思っていないという意味だ」と説明。

保護者の対応

  • ①ある母親は、帰省してきた娘の全身に、無数の黒ずんだ筋状のあざが走っているのを見つけた。「たたかれた。家に帰りたい」と泣きじゃくる娘を退園させたが、「世話にもなったから」と園に抗議はしなかった。
  • ②ある男性入所者の父は取材に「うちの子は最重度。行く所がないのを分かっているのか」と怒った。別の父親は「子供が路頭に迷うことまで考えているのか。困るのは親だ」と報道を批判した。

施設B(入所)

 1998年に開設。自閉症の人など入所34人、通所10人。

虐待

  • ①「(入所者に)顔がいいか、腹がいいか」と言って、ボクシンググローブで殴った。
  • ②「これ、おいしいよ」と言って唐辛子を食べさせ、「コーヒーだよ」と言って木酢液を飲ませた。吐き出したり苦しむ姿を見て、(職員は)笑っていた。
  • ③食事が遅いと「いらんなら、さげるぞ」と言って(入所者の)首を絞めたり、テレビ用のリモコンやコップで顔を殴りまゆの上を切った。
  • ④生の唐辛子を食べさせられた入所者が、唐辛子の汁や粉のついた手で目をこすったため苦しそうに涙を流したり、吐き出す姿を見て職員は笑っていた。
  • ⑤気に入らない入所者の頭をスリッパで何度もたたいた。
  • ⑥入所者の食事が遅いという理由で、おかずの一部を犬に与える。
  • ⑦施設長は男性入所者に沸騰した湯でいれたコーヒーを無理やり3杯も飲ませ、口やのど、食道のヤケドで約1カ月の重傷を負わせた。
  • ⑧「お菓子だ」と言ってキャラメルの包装紙を、「おいしいよ」と言って唐辛子を食べさせた。木酢液をスプレーで鼻に吹き付けた。
  • ⑨男性入所者の下半身を数回けり上げ、重傷を負わせながら「同室の入所者による暴力が原因」と責任転嫁する虚偽の報告をしていた。
  • ⑩入所者がB型肝炎に感染し、劇症肝炎寸前に陥った。ウイルスを持つ同じ入所者から感染したとみられるが職員数が少ないことを理由に感染防止策をとっていなかった。
  • ⑪女性の預金口座から、900万円を勝手に引き出し、カリタスの家の建設資金に流用。
  • ⑫20代の女性入所者がパニック状態になるたびに寝具用の袋に詰め込まれ、別室に数時間から一晩、放置されていた。“袋詰め”は数年前から恒常的に行われており、多くの職員が疑問を感じながらも、パニック時の対処法が分からず黙認していた。

職員の問題

  • ①職員同士仲が良く、ナァナァになって、(虐待を)注意できる雰囲気になかった。入所者が暴れるなどパニック状態になった時対処法が分からず殴ったり、けったりした。「申し訳ないことをしたと思うが、療育面での専門的な知識を身につけない限り私が犯した過ちは繰り返されるだろう」(職員)
  • ②入所者数人が一部の職員に改善を訴えていた。しかし、「問題の職員を解雇すると代わりがいない」と不問に付された。
  • ③虐待した職員へ直接抗議を考えた施設関係者もいたが「会話の可能な入所者は数人しかおらず、特定され、報復される」と断念。
  • ④約4年前、第三者も加わった苦情解決委員会を設置したが、責任者に法人常務理事でもある施設長を据え第三者委員も法人理事らが名を連ねるなど、ほとんど“身内”で固めていた。保護者の多くが、苦情解決委員会の存在を2年前まで知らされていなかった。複数の保護者は「委員会への苦情は施設長らに対する苦情と同じ。相談できるはずがない」。県の特別監査の結果でも、苦情解決に関する会議が開かれたことは一度もなかったことが判明。
  • ⑤問題の職員は短絡的に暴力に走る傾向があり、入所者はパニック状態になりがちだった。
  • ⑥障害が特に重く、会話のできない、抵抗できない人に限られていた。
  • ⑦被害者のほとんどは自らの頭を床に打ち付けるなどの自傷や他者にかみつくなどの他傷行為の目立つ重度の知的障害者。

行政の対応

  • ①県障害者福祉課の担当者は「重度の人たちを積極的に受け入れる立派な施設」と評価。施設長も「監査では、いつも礼を言われる。県からは感謝されている」と胸を張っていた。
  • ②県関係者は「どんなに重度でも受け入れ可能な施設はここだけと言っていい。受け入れ先の拡充に消極的な県の怠慢もあり、便利な施設に強くは言えない」
  • ③何人もの関係者が県に実情を訴えたが「改善されることはなかった」。NPO法人「人権オンブズ福岡」も再三処遇面への指導を県に求めていたが「なしのつぶて状態」だった。
  • ④理事会議事録には理事が『見えない所で日常的に(暴力は)行われていると思う。指導が必要』」と指摘していたが県側は「情報も告発もなく動きようがなかった」

保護者の対応

  • ①ある母親は、帰省した子どもを入浴させた際、胸に青アザがあるのに気付いた。けがの程度から「(職員に)やられた」と直感、施設長に問いただそうとしたが「口を出せば、施設を追い出される」と不安になり、思いとどまった。
  • ②我が子のけがに不審を抱いた保護者も少なくないが、「どの施設にも入れず、心中を考えていた時、迎え入れてくれた。文句など言えない」。「施設長は救いの神様。施設内で何が行われていようと、従うしかない」と口をそろえる。

段ボール加工工場

 1970年ごろ設立、80年代末から多数の知的障害者の雇用を始める。事件が発覚した96年当時、全寮制で約30人の知的障害者が雇用されていた。96年1月に社長が補助金不正受給と障害者への暴行・障害で逮捕され、懲役3年執行猶予4年の判決。性的暴行など計17件の告訴はいずれも不起訴にされた。女性従業員3人が社長を相手に賠償請求訴訟を起こし、04年3月、性的暴行を認めて社長に賠償命令が出る。

虐待~障害者、家族らの証言

 (34歳の女性)

  • いきなりバーン!って社長にビンタ張られて、背中を蹴飛ばされた。工場の機械に膝をぶつけて、痛くて泣き喚いてたら「うるせえから出てけ!」と引っ張り出された。
  • 朝ごはんを食べなくて部屋にいたら、社長が怒って、背中を蹴られ、頭をバーン!と殴られた。ベッドにぶつかり「痛い痛い…」と泣いて座り込んでいたら、「もういい加減にしろ」と痛い所を何回も蹴られた。
  • 飴や菓子類が好きでかばんに入れて工場に持ち込んだのを見つかり、背中を蹴られた。
  • 社長に無理やりズボンを脱がされて、後ろからいやらしいことをされた。痛かったが、「声を出すんじゃねえ」と言われ逆らうことできなかった。社長の部屋でも布団の中で全部脱がされてやられた。
  • 出入り業者や社長の友達が深夜、酒に酔って寝ている部屋にやってきて布団にもぐりこんできた。ズボン脱げといわれて、痛かった。痛てえ…って言ったら、「声出しちゃだめだ。みんなに言うんじゃねえぞ」と言われた。

 (19歳の自閉症の女性)

  • 社長に言われて風呂に二人で入った。そこでおべちょ(性器)を触られた。胸も触られた。別のとき、お風呂で、いやだー。痛い、痛い。社長は「声出すんじゃねえ」。社長の部屋でおべちょ触られた。「なめろ」。ぺろぺろ…って。

 (17歳の女性)

  • 顔をパンと殴られた。最初のとき、上を脱がされ、胸を触られた。下も。パジャマ、パンツを脱がされた。指を(性器の中に)入れられた。「何で嫌なんだ。親とか友達に言ったらダメだぞ、殴るぞ」と言われた。次の日、おなか(性器)がチクチク痛かった。

 (19歳の男性)

  • 膝の裏に空き缶をはさまれて正座させられた。じっと痛みをがまんしていた。
  • 毎日のように木のいすや棒で殴られ、手錠をかけられて地下の狭い貯蔵庫に丸一日閉じ込められた。
  • 耳をスリッパで激しく殴られ、大出血して病院に運ばれた。耳は変形した。

 (24歳の男性)

  • 朝食に少しでも遅れると、一日中食事を抜かれた。逆に、ご飯を洗面器のような大きな器に山盛りにされ卵を五つ割って一緒に食べさせられた。苦しくて全部食べ終わると、「ご褒美だ」と大福もちも食べさせられた。

 (24歳の女性)

  • 「誰にも言うな。人に言ったら殴るぞ」と脅された。気持ち悪いし、痛かった。ひもで手足を縛られ、腹や胸を触られた。裸にされ、きつく縛られてからいやらしいことをされた。

 (43歳の女性)

  • 毎晩のように暴行された。社長に小便を飲まされた。気持ち悪くなり、ゲエゲエ吐いた。「何はいているんだ、飲め」。ニヤッと笑って社長は(自分の性器を)くわえさせ、私の口の中に小便をした。社長は糖尿病だからすごい臭いがした。数日間、下痢と腹痛が止まらなくなった。
  • 本当に怖かった。怖くて何も言えなかった。うちにまで押し掛けられたらと思うと、じっと耐えてがまんするしかなかった。

社長の言葉

  • 「こんなバカな子に食わせると、ろくなもんにならねえ」
  • 「お前らは国が認めたバカなんだ。お前らが働くところはここしかねえ」

行政の対応

  • 社長が詐欺容疑(補助金不正受給)で逮捕された後、職安の人が工場へやってきて「嘆願書を持ってきてください」といい保護者らから署名嘆願書を集めた。職安では所長や部長らが嘆願書を受け取り、「警察とは何度も打ち合わせをしているから、あんまり心配しないように」と言われた。虐待が判明して、嘆願書を撤回することを職安に申し出たが、公判で社長の情状酌量の証拠として使われていた。
  • 女性障害者が相談に行くと、労働基準監督署は「そんなことはないだろう」と繰り返すばかりで、まともに取り合ってくれなかった。
  • 水戸職安は「今はこんな不況だから会社を辞めてもすぐに仕事は見つからない。がまんしなさい」
  • 福祉事務所には毎日のように通ったが、職員は「家に帰ってお母さんに相談しなさい」と言った。福祉事務所は「愚痴を言いにきたようなものと思った。何時間も話を聞かされているうち、うそではないかと思えてきた。私たちも仕事にならなかったし」

保護者の言葉

  • アカスさんは神様みたいな人。あんなかわいそうな子どもたち、誰が面倒を見てくれるんですか。言うことを聞かなけりゃ、少々ぶたれたって仕方ないでしょう。

施設C(入所)

 1988年開設。知的障害者入所更生施設。定員30人。東京都内が27人、横浜市が2人、福島県が1人。98年に閉鎖。理事長(施設長)らが福島県警から医師法違反などで書類送検される。法務省と福島法務局は虐待を認め、理事長に謝罪を勧告、福島県にも指導を要望し た。

虐待~職員の日誌から

  • 理事長がA君の食事が遅いのは指導の仕方が悪い。「怒らないからだ」というその後、ほとんどの職員がA君が食べ物を吐き出したり椅子を倒したりするたび、彼を叩くようになった。A君は悔しさに自分の手をひっかき、頭を叩いて自傷に走る。
  • B君が食堂でビデオを見ていて床に寝てしまう。理事長がそれを見つけて2~3回蹴る。B君を抱えて部屋まで運。途中、(頭を)廊下の壁に4~5回、ドスン、ドスンという音がするほどぶつける。
  • 「お前は何も言うな!」とCさんがゲンコで3発殴られる。

虐待~障害者の証言

 (32歳の男性)

  • バケツで水をかけられた。太ももを足で蹴られたり、頭を殴られた。今年の3月だけで5~6回あった。
  • バットで追い回されたり、作業中きちんとやっていないなどと言われ、暴力をされた。食事に行かないと、理事長がコードでたたく。
  • 水をかけられ、蹴飛ばされたりした。作業中、土をこぼすと、頭を小突いたりもされた。

 (48歳の女性)

  • 作業棟で粘土をしていたら、頭を男性職員に殴られ、血が吹き飛んだ。吹き飛ぶまでなぐられた。理事長にはげんこつで殴られた。

 (女性の障害者)

  • Cさんが理事長にお尻があざになるまで殴られた。
  • 私も理事長に髪を引っ張られ、丸太で足を殴られた。
  • 職員はD君の頭をげた箱にガンガンぶつけ、D君は気を失った。
  • E子さんが先生と同じお布団で何日も一緒に寝ていた。
  • 理事長が私たちをお風呂に入れ、お尻を洗った。

 (26歳の男性)

  • 抗てんかん薬など毎日十種類以上の薬を飲まされていた。90年に入所してから薬の量が増やされ、自室でぐったり寝ていることが多くなった。96年7月に血圧が急に低くなり、病院に搬送された。「病院から大量に薬をもらってきて、眠れないとデタラメに量を増やし、早く起きてしまうとさらに増やした。それが指導方法だった」(職員)
  • 因果関係は不明だが、89年6月に、入所者が朝食後に発作を起こし、窒息死している。

職員の対応

  • 「理事長は園生が『ごめんなさい』と言うまで殴り続ける。『言ってわからなきゃ、叩けばいいんだ。叩かなきゃだめなんだ』そう言われて、私も彼女(障害者)を叩いてしまった」
  • 「何のために私は働いているのか。自分を否定せざるを得ないことばかり続けてきた。謝れば済むものではないが、体罰をした園生には本当に謝罪したい」
  • 「このままではいつ死人が出てもおかしくない。理事長に言われて体罰を続けてきたが、もうついていけない」
  • 理事長が職員向けに書いた「指導方針」には次のように書かれている。「悪いことをしたなら、痛い事。良い事をしたら誉め湛え。痛い誉める此れの差によって身体で覚えさせる教え方。これが有効」

行政の対応

  • 行政も福祉事務所も「さわらぬ神にたたりなし」のように、初めは真剣に聞いてくれても、次第に尻込み状態であったりまたは初めから「福祉」をすっかり忘れ弱いものを「弱い者だからお世話になっているんですよ」のように言い含め取り合おうともしない。

 (職員の手紙から)

  • 問題が明らかになってから現地調査をした東京都区市の福祉事務所の職員から弁護団へ抗議電話。「保護者はいい施設だと言っている。それなのに、白河育成園をつぶすつもりなのか」
  • 都は2年に1回、現地調査をしてきたが、形式的なもので虐待についてはまったく把握できず。保護者らが何度か「寄付を強要されている」と都に相談しているが、「都が助成した虐待~障害者の施設ではないので私たちには調査権限がない、と耳を傾けてもらえなかった」という。
  • 法務省人権局と福島法務局が98年1月23日、「施設内での虐待が認められた」として理事長に対し、人権侵害を深く自戒し被害者に謝罪するよう勧告。福島県知事にも指導監督を行うよう要望した。しかし、内部告発した職員4人も「説示」(口頭注意)され、理事長派の職員で積極的に体罰をしていた別の職員は不問に。「警察のような捜査の強制権限がない以上、仕方がない」と法務局。

施設D(通所)

 1976年に開所。中・重度の身体と知的障害者18人が通所。所長が虐待を告発したところ、逆に市から解雇される。

虐待

  • 重度障害者の中には唾を飲み込めない人がいて、食事にも時間がかかる。古参の指導員たちは、段ボールで囲って上からのぞき込み「早よう食べんかい」と言いながら、強引に口の中に食べ物を押し込む。障害者は汗と涙にまみれながら、パニックになって自分の手で頭をパチパチたたく(20代の女性指導員)
  • 知的障害の子が椅子にうまく座れず、お尻から滑り落ちると、古参指導員らはその子のほっぺたをつねったり、引きずり回したりして強引に立たせようとする。複数の人で羽交い絞めにして、椅子にひもで縛りつけたりした(女性職員)
  • 障害者の襟首とズボンのバンドを持って小荷物のように扱う。思ったようにならないと平手が飛ぶ。動物でも調教しているような光景だった(所長)
  • 身体障害のために椅子に座れない女性の膝の上にお尻で乗って「ホレホレ」などとおどけた。
  • 「ダウン症の男の子がテーブルを叩きながら意思を伝えようとすると、ベテラン指導員は両手で顔をはさみ、パチパチと叩き、床に倒した」

行政の対応

  • 橋本氏が一人では虐待を防ぐことが不可能と判断し、96年7月、市に告発。これを受けて調査した市に対してベテラン指導員らは「体を張った指導も必要」「単純な正義感だけでは現場は対応できない」などと主張。市は指導員と保護者を集めて懇談会を開き、「行き過ぎた指導があったことは認めるが、暴力、虐待はなかった」と結論を出す。市長もホームページで「コミュニケーション不足によるものと考えられる」と主張。97年4月、橋本氏は1年の契約期限が切れて解雇された。「騒ぎを起こした所長に指導力がなかったと考えている」と市保健福祉部長。運営主体を市から保護者会に切り替え、同時に、体罰反対派の職員3人が不採用、虐待を指摘された職員は全員が採用された。市はその後、「虐待・体罰はなかった。訓練生への指導の一環と解する」という最終調査報告書をまとめる。
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