だれにもわかるすぐに役立つ親のための虐待防止マニュアル

PandA-J「権利擁護成年後見プロジェクト」
厚生労働省平成20年度障害保健福祉推進事業(障害者自立支援調査研究プロジェクト)

Contents

  • はじめに
  • 1 あなたの子どもは大丈夫ですか?‥ ‥‥‥02
  • 2 もしも、あなたが誰かに殴られたら‥‥‥03
  • 3 どういう行為が虐待になるのか‥ ‥‥‥‥‥05
  • 4 ひょっとしたら……と思ったら‥ ‥‥‥‥‥10
  • 5 少々のことは仕方がない?‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥16
  • 6 さあ、立ち上がろう!‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥20
  • 7 どこに相談すればいいのか‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥28

表紙イラスト 大倉 史子 Able Art Company

はじめに

 虐待と言われてもピンとこない。そんなことがあると新聞やテレビでは時々報道されるけれど、わが子には無縁な遠い世界の出来事にしか思えない。しかし、そのように考えているあなたの子どもは本当に大丈夫なのでしょうか。今はそんな心配はないかもしれませんが、あなたが亡くなった後も大丈夫だと言い切れますか?

 虐待とは何なのか、なぜ虐待が問題なのか、誰が見つけるのか、見つけたらどうすればいいのか、通告された側はどのように動けばいいのか、親に何ができるのか……。そうした疑問に答えるために<親のための虐待防止マニュアル>を作成しました。

1 あなたの子どもは大丈夫ですか?

 あなたの子どもは虐待されていませんか。

 ギャクタイ?そんなことあるわけがない。

 う~ん、たしかにそうかもしれません。虐待なんていうと驚かれるかもしれませんよね。しかし、たとえば、学校で先生に叩かれたり、施設で「あほ」「ばか」などと言われたり、職員から性的な暴行を受けたり、雇用主から年金をとられたり……ということはありませんか?

 障害のある子は何も言ってくれないけれど、もしかしたら虐待されていることを隠している場合があります。必死になって自分なりに訴えていたりする場合もあります。

 そうじゃなければ、それはそれでいいのです。言葉ではっきり訴えてくれない人は、うっかりすると見逃してしまいそうな表現方法でSOSを発している時があるのだということを知ってほしいのです。

 ところで、あなたはわが子を叩いたり、怒鳴ったりしたことはありませんか?

 虐待と言われると何かとんでもない犯罪のように思えるかもしれませんが、日常的に行われているささいなことの中に虐待の芽はひそんでいます。

 ある日突然に虐待をする大悪人が登場するわけではありません。ふだんは優しい顔をしている職員や先生や親が、知らず知らずのうちに虐待へのステップを踏んでいる場合があるのです。そこに虐待の恐ろしさがあることを知ってください。

2 もしも、あなたが誰かに殴られたら

 もしも、あなたが泥棒にあってお金を取られたらどうしますか?

 道でだれかに殴られてけがをしたらどうしますか?

 人気のないところで性的な暴力をされたら?

 世の中は理不尽なことで満ち溢れています。まじめに、間違ったことをせず、だれも傷つけずに生きることに努めていても、自分が暴力や金銭的な被害を受けずに生きていける保証はありません。

 110番して警察に捜査してもらい、あなたを傷つけた相手に罰を受けてほしいと思うのではないでしょうか。身体や心に深い傷ができた場合は提訴して損害賠償を払わせる方法もあります。あるいは、そんな回りくどいことをするよりも、直接相手に文句を言って謝らせようとするかもしれませんね。警察に行ってもちゃんと捜査してくれるかどうかわからないし、裁判はお金も時間もかかり、実際に訴訟になれば相手からもあれこれ不愉快なことを言われ、いったい何のために裁判を起こしたのか分からなくなることもありますからね。

 しかし、自分の力で相手に文句を言って謝らせることができるような強い人は、そもそも理不尽な被害にあったりすることは少ないですよね。悪意のある人間っていうのは、弱そうな人を狙うものです。いや、悪意はなくたって、つい相手を傷つけてしまったり、相手の儲けを少なくして自分の儲けを多くしてしまったりしたとき、相手がとても弱い人で文句の一つも言ってこなかったとしたら、<まあいいか>ということになりませんか?

 しかし、どんなに弱い人でも嫌なことは嫌なわけで、やっぱりそんな時には警察に相談に行ったり、弁護士と相談して裁判を起こそうとしたりするかもしれない。いや、そうするに違いない……。そんなふうに感じ出したら、だんだん心配でたまらなくなるでしょう。警察や裁判の存在感というものは、現実にどれだけ有効に機能するかどうかは別にしても、複雑に利害が絡みあった高度情報化社会の中では実に大きいのじゃないでしょうか。

 しかし、どんなひどい被害にあっても、それを誰かに訴えるコミュニケーション能力に乏しい人の場合はどうなるのでしょう。誰かに訴えたくても施設や職場の中に閉じ込められているような状態だったら?いや、そもそも自分がされていることが何なのか認識できずに、ただ、ただ、痛みと恐怖に震えるしかない人の場合はどうなるのでしょうか。

 たとえば、乳幼児。たとえば、認知症のお年寄り。たとえば、重い知的障害や精神障害のある人……。

 そのような人たちを「判断能力にハンディがある」などと言います。彼らが虐待されているのを見た人は必ず通報しなければいけません。通報を受けた機関が責任を持って救済にあたる必要があります。自分でSOSを発することができないのだから、だれかが代わりSOSを発しなければならないのです。

 そのために児童虐待防止法ができました。高齢者虐待防止法もできました。それと同じように障害者虐待防止法が必要なのです。

3 どういう行為が虐待になるのか

1 身体的虐待

 げんこつで殴る。ビンタする。ハエたたきで顔面をひっぱたく。馬乗りになって顔面を殴る。逃げられないように柱に縛り付け革のバッグで顔面を何度も殴りつける。ロープで縛り上げる。麻袋に詰め込んで一晩中放置する。

 こういうのを【身体的虐待】といいます。そんなことがあるのか?と思うかもしれませんが、これらはいずれも現実に起きた事件で行われていた行為です。

 それどころか、気に入らない障害者の頭を職員が何度もスリッパでたたいた。施設長が障害者に沸騰した湯で入れたコーヒーを無理やり3 杯飲ませ、口やのどや食道のやけどで1か月の重傷を負わせた。男性の障害者の下半身を数回けり上げ、重傷を負わせながら、「同室の入所者による暴力が原因」と虚偽の報告をしていた――などの虐待行為が過去の事件で明らかになっています。

2 心理的虐待

 「あほ」「ばか」「お前なんか、もう来るな」とののしる。笑いものにする。わざと冷たい目で見て相手にしない……。そういう行為は【心理的虐待】といいます。体に傷やあざができるわけではありませんが、心がひどく傷つき、自分に自信を持てなくなり、無力感が身についたりします。

 ある障害児は普通学級に通っていましたが、教室内でもずっと黄色い帽子をかぶることを義務付けられていたそうです。「あの黄色い子を連れてきて」と先生もふだんから言っていたといいます。言われる側がどんなに傷ついているか、深く考えずにやっていることは多いものです。

 身体的虐待よりも心理的虐待を受けた人の方が立ち直るまでに長い時間がかかるとも言われます。人間性の深いところを傷つける心理的虐待の恐ろしさは意外に知られていないのかもしれません。障害を持った人は否定されたり無視される経験をほかの人よりも多く持っていると思います。そんなに重く考えて言ってるわけではなくても、障害のある人は深く傷ついてる場合が少なくありません。否定されることが多くて自分に自信が持てない人、言い返すことができない人にとっては小さなことが心理的虐待になることがあることを知ってください。

3 ネグレクト

 食事を与えない、病気になっても治療を受けさせない、風呂に入れたり体をきれいにふいたりしない、おむつの交換をしない、学校に行かせない。そういう行為は【ネグレクト】といいます。障害者を保護したり管理したりすべき立場の人が、それを怠り、障害者の生命にかかわるような取り返しのつかない事態をもたらしたり、深い傷を残したりすることが時々起ります。

 重い障害の人は自らの気持ちをうまく伝えることができない場合があります。必死になって訴えているのかもしれませんが、言葉や動作でそれを表わすことが苦手なので、周囲の人々が受け取ることができないのです。しかし、そうした障害者こそが、ちょっとしたネグレクトで重大な事態に陥ってしまうことがあります。

 障害者の中にはいつも薬を飲む必要がある人がいますが、投薬を怠ったために身体に重要な影響を及ぼすことがあります。

4 性的虐待

 あまり表面化はしないけれど、多くの女性障害者が受けているのではないかと言われるのが【性的虐待】です。親族などの近親者から、職場で上司や同僚から、医療スタッフから、学校で……。あらゆる場面で障害者は性的虐待のリスクにさらされています。

 重度の障害者の場合、性的虐待を受けていても、それが虐待なのか、いけないことなのか、自分は被害にあっているのか、ということを認知できない場合があります。加害者側はそうした特性に付け込んで虐待するのです。障害者が嫌なそぶりをしないために、加害者自身、自分のやっていることがいけないとの自覚が薄れてさらに増長してしまうケースがあります。

 重度の障害者は自分のされていることの意味が必ずしもしっかりと認識できない場合があります。しかし、虐待によって心身に深い傷をつくり、自尊心が崩されていくのは、障害のない人と同じです。

5 経済的虐待

 入所施設でずっと暮らしていると、障害年金が何百万円あるいは1000万円以上もたまっている人がいます。障害者自立支援法で自己負担が導入されてから事情が変わりましたが、施設が障害者の年金を管理したり、保護者会が施設からの依頼を受けて管理したりするケースは珍しくありません。

 あるいは親が亡くなって障害者が多額の遺産を相続するケースもあります。成年後見人がちゃんと付いて本人のために遺産を使えるようにするべきなのですが、まだまだ後見人の利用率は低く、年金や遺産が障害者本人の意思とは別のところで勝手に管理されたり流用されたりしているケースは多いとみられています。

 また、一般就労している障害者でも賃金を安く抑えられて長時間の労働を強いられていたり、賃金をピンはねされたりしている例が時々明らかになっています。

 これらは、いずれも詐欺や横領に問われるべき事案なのですが、障害者が自らの被害を認識できていない、あきらめきってしまっている、親も「働かせてもらえるだけでいい」と考えている、などといった理由から声が上がりにくいのです。

4 ひょっとしたら……と思ったら

 児童虐待では「子どもは親に虐待されたとなかなか言ってくれない」とよく言われます。障害者の場合も似ています。自分に自信がなくて被害にあっていることを言う勇気が持てない、最初からあきらめ切ってしまっている、親を悲しませたくないと思っている……その理由はさまざまです。言葉のない重度の障害者の場合はなおさらです。また、ひょっとしたらと親が不安を感じても、現実を直視するのが怖くて目をそらしているケースも多いはずです。なかなかつかみにくい虐待の兆候をどうやって見抜いたらいいのでしょう。現実によくあるケースを見てみましょう。

1 体にあざがある

 入所施設に預けている子が週末に自宅に帰ってきました。一緒に風呂に入ったのですが、黒っぽく変色した部分が腕にありました。よく見ると、太ももや背中にもあります。何だろうと気になって湯船の中でこすったのですが落ちません。よくみるとあざ(あざ)のようにも見えます。どこかでぶつけたのだろうか、と気になりました。「どうしたの?」と聞いても言葉のない重度障害の子なので答えてくれません。しかし、背中にまであざはあります。ひょっとして施設でほかの子に叩かれたりしているのだろうか、あるいは職員が……。まさか。しかし、疑念を打ち消そうと思えば思うほど不安になってきました。

 障害の重い人の場合、何があったのか言葉で伝えてくれるわけではないので、殴られたりしていてもすぐにはわかりません。体に不自然なあざや傷があった時には注意してみることが必要です。食欲が落ちたり、感情が不安定になったり、自傷行為や他害行為が出てきたときにはなおさら注意する必要があります。「自閉症はパニックを起こしやすい」などと安易に障害のせいにするのではなく、いろいろな原因を考えてみるべきです。もちろん、体罰や虐待がない場合でも何らかの原因で不安定になることはありますが、あざ、傷などの外傷は虐待の兆候として常に気をつけていないといけないと思います。

 ひどい身体的虐待や性的虐待が長年続いていた段ボールの加工工場で、従業員寮に入っていた女性が週末に自宅に帰ってきたとき、風呂に入っていて身体中にあざがあるのをお母さんが見つけ、それが虐待事件発覚の端緒になったことがあります。

2 勤め先に行きたがらない

 縫製工場に就職した自閉症の息子が、ある日「会社に行きたくない」と寝床から出てきません。熱でもあるのだろうかと体温を測ったのですが平常です。「どこか痛いの?」と聞いても黙っています。とりあえず会社に休ませてくださいと電話を入れたのですが、翌日もやはり起きてきません。会社で何かあったのだろうかと聞いても何も答えてくれません。会社に電話をすると「最近はあまり仕事を熱心にしようとしないことがあり、こちらも困っている」と言われました。このままでは仕事をやめなければならないのかと思うと不安でたまらなくなりました。

 知的障害のある人にとって一般企業への就職はまだまだ狭き門です。年金だけでは自立生活は難しく福祉施設での賃金も少ないのが現実です。そのため障害のあるわが子が会社に就職すると、たいていの親は喜んで期待をしたりするものです。そういう親の気持を障害者は意外によく感じていて、少々のことでは辞められない、親をがっかりさせたくない、親に叱られたくない、なんて思っているものです。雇用主や同僚からいじめられたり、体罰を受けたりしてもがまんし、そのうちストレスで胃が痛くなったり夜眠れなくなったりしても、親には本当のことを言えない場合が珍しくありません。

 何があったのかを言葉できちんと説明できないために、「怠けている」「仕事をさぼっている」などと思われる場合が多いのです。怠けやさぼりと決めつける前に、なかなか言えないことがあるのではないかと思って注意して真の原因を考えてみることが必要です。

3 男性の体を触りにいく

 特別支援学校に通っている娘が、お正月に親戚の人たちが集まったところで、叔父さんの体を触りに行きました。「何してるの」とあわててやめさせました。みんなは「△△ちゃんもお年頃になったのかな」と笑っていましたが、どうして娘がそんなことをしたのか、嫌な感じが残りました。叔父さんとはめったに会わないし、ふだん男性と触れ合う機会はほとんどありません。担任の教諭にそのことを相談したくて学校との連絡帳に書いたところ、「学校では特に変わった様子はありません」と男性教諭が書いてきました。そのころから娘は気持が少し荒れてきたような気がします。自傷行為も出てきたりして、なんとなく不安です。

 重い知的障害のある人が性的被害を受けても、何をされているのか意味が分からない場合が往々にしてあります。自分がやられていること(やらされていること)はいけないことなのか、自分は被害にあっているのか、ということが分からないのです。実際に雇用主から性的虐待を受けていた知的障害の女性が、雇用主にさせられていた行為を、見ず知らずの男性にしようとしたのを母親が目撃したことから虐待が発覚したことがあります。自分がされている行為の意味が認知できなくても、性的虐待は被害者の自尊心の深いところを傷つけ、さまざまな二次障害を引き起こし、障害者の心身に重いダメージを残す場合があります。

 体の成長とともに性に関心を持つようになるのは知的障害のある人も私たちと同じです。知的障害のある人の性的な関心や性的な行動はいけないことだとみなされる傾向がこれまでは強かったのですが、過剰に抑制したり予防線を張りめぐらしたのでは、彼らの人間らしさや人生そのものを否定してしまうことにつながりかねません。ただ、善悪の判断能力があいまいな知的障害者をめぐる性的行為は虐待の要素がひそんでいる場合が多いことも事実なのです。

4 やせてきた、おどおどしている

 入所施設にいる子に会いに行ったら、親(私)の顔を見て、おどおどして避けるように離れようとしました。ドキッとしましたが、久し振りに会ったので照れているのか、それとも反抗期なのかなとも思いました。数ヶ月後に自宅に帰ってきたところ、痩せているのにびっくりしました。なんとなく覇気が感じられず、食欲もないのですが、言葉が話せないので、本人から事情を聞くことができません。施設に電話しても「別に変ったところはないですよ」と言われました。

 ほんのちょっとした仕草に虐待の兆候が現れる場合があります。大人の顔を見たら避けるように逃げて行った。何気なく手を上にあげたら、障害者が自分の頭をかばうように手で防御姿勢をとった。おどおどした様子で視線が定まらない。自分で頭や顔を叩く。そんな行為に気づいたら注意して様子を見る必要があります。気のせいかもしれません。すぐに収まればそれはそれでいいのかもしれません。しかし、小さなシグナルを見落としたばかりに、軽い体罰がひどい虐待へとエスカレートして行くことがよくあります。それをいつも頭の片隅に置いていてほしいのです。

 体重が減ってきた、感染症にかかった……など健康で問題が発生した時は、ネグレクトが原因かもしれないので注意しましょう。食事を与えない、入浴や着替えなどを怠った、体調が悪いのに病院に連れて行くことを怠ったなどのネグレクトが深刻な状況を生むことはよくあります。

5 遊びのつもり?

 小規模作業所に通っている息子が最近、突然大きな声を出したり、めそめそ泣き出したりします。ある日、顔にかすり傷があるのに気づき、電話で聞いたら男性職員が「ボクシングのグローブをはめて遊んでいたところ、少しかすり傷になってしまいました。すみません」と言いました。ああ、そうかと思ったもののなんだか気になります。そのうち息子は自傷行為が出てきて、自分で髪の毛を抜いたり、顔をげんこつで殴るようになりました。

 職員や親と障害者本人との認識は違います。職員は軽い遊びのつもりでボクシングごっこをしたり、プロレスごっこをしているつもりでも、知的障害者本人はとても苦痛で屈辱を感じていることがよくあります。障害があることで子どものころからいじめられたり、無視されたりして劣等感を身につけている障害者はとても多いはずです。たとえ遊びでも、顔や頭を軽く殴られたりするのは彼らにとって屈辱感以外のなにものでもないかもしれないのです。重度の知的障害者は、ごっこ遊びの概念がなく、ただ叩かれているという認識しかない可能性もあります。

 入所施設で好きな職員と新聞紙を丸めてチャンバラごっこをしていた知的障害者は、その後地域生活をするようになって、その時のことをこう振り返っています。「職員に悪いと思って楽しそうに顔では笑っていたが、心の中では悔しくて泣いていた」

5 少々のことは仕方がない?

 「こんなかわいそうな子、少々ぶたれたっていいんです。あの社長は神様みたいな人なんだから」。ある工場で悲惨な虐待が何年にも渡って行われていたことが発覚した際、その工場で知的障害のある子を働かせていた父親はそう言いました。「こんなかわいそうな子」というけれど、障害をもって生まれてきたこと自体をかわいそうだと決めつけるのではなく、殴られたり蹴られたりしていることがかわいそうだと思ってほしいのですが、なぜかこういう親は珍しくありません。

 施設などで虐待が起きているのをある親が告発しようとすると、ほかの親たちから施設を擁護をする声が起こることがよくあります。「こんなことぐらいで事を荒立てて、施設がつぶれてしまったらどうしてくれるのだ」「障害者にも落ち度があるのだから少々のことは仕方がないじゃないか」「熱心に指導してくれる職員を告発するとは何事だ」。そんな声を必ずと言っていいほど聞きます。

 虐待被害にあっている障害者の親ですら「お世話になっているのだから仕方がない」「少々のことは我慢しなければ」などと言うことが珍しくありません。

 しかし、障害のあるわが子が殴られているのに、心が穏やかでいられる親がいるでしょうか。

 ある母親は目の前で娘が雇用主から背中を叩かれているのを目撃しました。しかし、目に見えないロープで呪縛されてしまったかのように動けませんでした。娘が殴られているのに、それを止めることができなかったことがショックで、それから母親は寝込んでしまいました。娘を守れない自分を許すことができなくて精神的に不安定になり通院するようになりました。

 たいていの親はわが子に知的障害があるとわかったときには落ち込むものです。なぜ自分のところに障害児が生まれてきたのか、これからどうすればいいのか、出口の見えない暗闇の中で堂々めぐりをします。また、精神科の医師や心理士や保健師などを訪ね歩き、どうすれば障害が<治る>のか聞いて回ることも、障害児をもった当初の親の典型的な行動パターンです。

 混乱が過ぎれば、理不尽な運命を背負ったことへの怒りがこみ上げたり、周囲から心を閉ざして悲しみに沈んだりします。無人の惑星に取り残されてしまったような孤立感や疎外感にさいなまれたりもします。

 そのうち障害児のいる親の仲間ができ、良い支援者にめぐりあったりすると、少しずつかたくなな気持ちがやわらいでいき、障害を受容できるようにもなります。子どもが成長し学齢期になるころには、悩んでいたことがうそのように忙しい日常に流されていくものです。しかし、当初の孤立感や疎外感は心の奥底に烙印となって残り消えることはありません。最も落ち込んでいたときに救ってくれた支援者には、感謝とともに<依存>や<服従>が心のどこかに巣食っている親は多いと思います。

 学齢期も終わりのころになると不安が募ってきて、社会に出てどうやって生きていけばいいのか、自らの老いも感じながら思い悩んだりします。

 そんなときに出会う施設経営者や雇用主には、過剰に期待をかけてしまうものです。「安心してほしい」「一生面倒を見てあげる」などと言われると、思わずほろりと来て相手を信じ、時には相手が神様のように見えることすらあるのです。

 障害のあるわが子を預けた相手に対する過剰な期待と信頼は、孤立感や疎外感にさいなまれた原体験の裏返しの心理なのかもしれません。

 もしも、神様のように信頼していた施設長や雇用主が、わが子を虐待しているということを知ったら、あなたはどう思うでしょう。まさか、そんなことはあるわけがない。何かの間違いだろう。もしそうだとしても、うちの子にも何か落ち度があるからに違いない。必死にそう思い込もうとしている親たちが虐待の現場にはたくさんいます。

 ようやく安心してわが子の人生を託せる相手が見つかったと思っていたのに、それを根底からひっくり返される現実など恐ろしくて直視できないのです。もしも、あなたがそうであっても、それはあなたが弱いからではありません。屈折した愚かしい心情なのかもしれませんが、子どもが小さなころから味わってきた冷たいまなざしや誤解や偏見が、一見理不尽にも思える親の心情を形成していくのです。

 しかし、障害のある本人はどうなのでしょうか。親が恐ろしくて虐待の現実から目をそむけ、必死になって虐待を否定しようとすればするほど、障害者本人は虐待の地獄から救いだされる機会を失っていくのです。

 親が老いて死んでいった後も、障害のある子の人生は続きます。かけがえのない人生は親であるあなたのものではなく、障害のある子どものものなのです。

6 さあ、立ち上がろう!

 もしや……と思ったとき、見て見ぬふりをしたり、泣き寝入りを決め込むことは本質的な解決を先延ばしするばかりで、事態を深刻にしてしまうということがわかっていただけたかと思います。勇気をもって声を上げる、立ち上がることが必要です。踏みつけられても声を上げられない障害者のために、加害行為をしている職員のためにも、そして親であるあなたを守るためにも――。立ち上がろうとするとき、気をつけてほしいことがいくつかあります。

1 やみくもに抗議しないで

 わが子が殴られている?食事を与えられていない?性的な虐待を受けている!そんなとき、冷静でいられる親がいるでしょうか。カッとなってわが子が通っている福祉施設や学校や会社に怒鳴り込む。その心情はよくわかります。

 それで解決するのであればいいと思います。しかし、解決しない場合が多いことも知ってください。あくまでケースによって異なりますが、虐待しているのではないかと追及されると、相手はまず否定しようとします。被害が深刻であればあるほど否定したがる傾向が強いと思います。

 なぜならば、ひどい虐待をしていることを認めれば、警察に逮捕されて裁判にかけられるかもしれないからです。テレビや新聞でそのことが明らかにされると言われたら、あなたならばどうしますか?何としても否定し通さなければと思うのではないでしょうか。

 刑事訴追されなくても、虐待を容認していた施設や学校や会社は、監督権限のある行政からさまざまペナルティや指導を受ける可能性があります。虐待をしていた職員は解雇される可能性があります。被害者から民事訴訟を起こされて損害賠償を請求される可能性もあります。そうでなくても、社会的な批判にさらされ、つらい立場にたたされることでしょう。

 だから、何としても否定しようとするのです。相手は知的障害者です。言葉によるコミュニケーションにハンディがあり、確たる証拠も残らないのであれば、否定し続けても大丈夫かもしれない、現実に大丈夫だった事件もたくさんあるではないか、と思うとなおさら自分の良心をねじまげてでも否定したい気持になるでしょう。しかし、いったん否定したら、とことん否定しないといけなくなります。

 怒鳴り込んでくる親が感情的になればなるほど、同僚や周囲の人々は文句を言われている人に同情するようになることがあります。文句をいっている親は「やっかいな親」「モンスター・ペアレント」などのレッテルを貼られたりもします。そうすると虐待を疑われている側の方が被害者のような目で見られるようになります。そんな理不尽なことが許せるか!と怒れば怒るほどますます状況は不利になっていきます。

2 子どもを責めないで

 性的被害を受けていることがわかったとき、恥ずかしい、忌わしい、汚らわしい、信じたくないと思うあまり、被害を受けているわが子を思わず否定したり、叱りつけたりする親がいます。被害を受けるようなスキがあったのではないか、甘さがあったのではないかと障害のある子を責めてしまうのです。

 しかし、忌わしく汚らわしいのは加害者であって、障害のある子(被害者)では決してありません。

 親であるあなたはさぞかしショックを受けることでしょう。しかし、もっとも傷ついているのは障害のある子どもなのです。あなたがショックを受けて絶望する前に、まず虐待されて傷つき、苦しんでいる子どもを抱きしめてあげてください。「あなたは悪くないんだよ」「もう大丈夫だからね」「助けられなくてごめんね」と声をかけてやってください。

 性的虐待に限らず、身体的虐待や心理的虐待の場合でも障害のある子は、親にはなかなか本当のことは言えないものです。お母さんを悲しませたくない、お母さんを苦しめたくないと思っているからです。叱られるのではないかと思っておびえているからです。虐待で傷つけられた上に、親からも叱られる、助けてもらえない、だから言えない……。

 ひとりぼっちで震えている子どもを抱きしめ、守ってあげてください。

 どんなにひどい目にあっても人間は必ずやり直せると思います。そのためには大事な人に認めてもらい、信じてもらうことが必要です。わが子が被害にあっていることがわかったとき、親がどういう言葉をかけるか、どういう態度をするかはとても重要です。

3 無理に事実を聞こうとしないで

 体にあざを見つけた、おどおどして何か被害にあっている気がする、性器が傷ついていた……。そんなとき、親ならばドキッとして「どうしたの?」「何があったの?」と聞くでしょう。ふだんから体罰をしているのではないかと疑われる職員や教師がいれば、「△△先生にやられたの?そうなんでしょ」「ここをぶたれたのね。そうよね」などと詰問したり、誘導したりすることがよくあります。

 被害にあっていることがわかったら、できるだけ早いうちに被害事実を明らかにして記録しておく必要があります。時が過ぎていくと人の記憶はどんどん薄れていき、傷やあざも治っていくので、証拠が残らなくなります。そうすると真実の究明も、加害者の処罰も難しくなっていきます。

 過去の裁判では、早期の段階で親による質問に答えた障害者の証言記録が、事実認定に貢献した例もあります。傷ついて自信をなくし自己否定に陥っている障害者が本当のことを言うためには、強い力で証言を引き出すくらいでないとできない場合もあります。

 しかし、知的障害者のデリケートで壊れやすい気持ちや記憶に対する配慮がやはり必要ではないかと思います。ただでさえ傷ついているわが子から無理やりに事実を聞こうとして、心理的に追い詰めてしまっては何にもなりません。親は心配で不安だから、何があったのか少しでも早く知りたいものですが、それによって障害のある本人に二次被害をもたらすような場合も考えられます。親の不安を解消することよりも、障害のあるわが子を救い、立ち直るように支援することの方が大事ではないでしょうか。

 また、親による強い誘導によって証言を引き出すことが、障害者の記憶をゆがめる恐れがあることも否定できません。実際に裁判で虐待の事実を争う場面でこうした「無理な証言」が不利な要因になることもあります。障害のある子が自発的に表現した場合や、自然な会話の中で虐待のことを話し始めたときには、できるだけきちんと記録に残しておくべきですが、親が無理やりに事実を聞きだそうとすることは避けた方がいいと思います。

4 やっておくべきこと

 わが子が虐待されているのではないかと思ったとき、動揺したりカッと頭に血が上って冷静でいられないのはわかりますが、最低限やっておくべきことがあります。

 あざや傷を見つけたら、日時を記録しておきましょう。連絡帳の記載、日記やメモなど時間が経っても消えないような記録を残しておくことを心がけるべきです。また、あざや傷の部位などを写真や録画しておくことも有効です。傷がひどい場合には病院で治療を受け、医師の診断書を取っておきましょう。

 子どもが何か被害に関係ありそうなことをしゃべっている場合には録音しておくことも勧めます。子どもが絵を描いたり、文字を書いたりする場合には、それも残しておきましょう。知的障害のある人の場合は、すんなりとしたコミュニケーションが取れないことがありますが、断片的な記録を集めて残しておくと、後に断片情報がつなぎ合わさって有効な証拠として形成されていくことがあります。コミュニケーションがうまく取れないのは障害のある人のせいだけでなく、私たちの側が彼らの意思をくみとれないからでもあるということを心にとめておきたいものです。

 録音したり録画したりして証拠を残しておくというと、何やら施設や学校を疑ってかかるような後ろめたさを感じるかもしれません。ふだん子どもが世話になっている相手、親の自分も信頼感を寄せている相手だったりするとなおさらです。

 しかし、言葉によるSOSを発することができない重度の障害者をはじめ、踏みつけられてもなかなか声を上げることができない障害者を守り、救うためには、障害のない人の場合以上に証拠を集めておくことが必要です。親はそのときにうしろめたさを感じても後でいくらでも打ち消すことができますが、わが子を虐待から救うためにはきちんとした証拠がなければできないのです。

 なによりも虐待が疑われたとき、真実に目をつぶり、疑念の声に耳をふさいでいたのでは、相手(施設や学校や会社)に対する心からの信頼をどうして維持できるというのでしょうか。

5 大事なものは何か

 虐待といってもいろいろです。けがをした、性的被害にあった、栄養や衛生状態が悪く病気になった……など生命や身体に重大な悪影響が及んでいる場合には、まず障害のある本人を救出して治療やケアできる環境を整えないといけません。被害者の感情にこたえ、再発防止を図るためには、虐待をした人やそれを容認していた施設や管理者の責任を追及し、処罰や行政指導や謝罪や損害賠償が必要な場合があります。

 ただ、福祉施設や会社などの場合、そこで日常生活を送っている障害者にとって利害がからまりあっていることが一般的です。ある職員に頭をポカリと叩かれた。その場面だけ見ると体罰や虐待と言えるかもしれませんが、ふだんはその職員からよい支援を受けている、施設との相性もよくて障害のある子はその施設の利用を望んでいる――などといったケースが少なくありません。親の不安や腹立ちといった一時的な感情が優先して、障害のある本人の思いや生活を考えることを忘れてはいけません。もちろん、被害の自覚が障害者側になくても虐待行為は許されものではなく、本人が何も言わないから、「このままでいい」と言っているからなどといった表層的なことを言い訳にしてはいけないことは言うまでもありません。

 虐待や権利侵害の程度にもよりますが、やみくもに怒りをぶつけたり対決姿勢で臨んだりするよりも、相手と問題意識を共有して改善に取り組む状況をつくっていくことも考えるべきだと思います。いけないことだという意識がない、いけないと薄々気づいていてもどうしていいかわからない、職員の専門性もなく人手も足りないので余裕がない、そんな施設や雇用先は多いものです。

 施設内の構造や環境を変えたり、外部のスーパーバイザーを導入したり、職員の専門性を高めるための研修をしたりして、虐待要因をなくす効果をあげている施設もあるのです。福祉資源は無限にあるわけではないので、改善可能で意欲のある相手とは前向きに取り組むことを働きかけるのも必要です。

7 どこに相談すればいいのか

 わが子が虐待被害にあっているのではないかと思ったとき、やみくもに相手に怒鳴り込むな、無理やり事実を聞こうとするな、ひとりで解決しようと思うな、ということはわかっていただけたと思います。それではどこに相談すればいいのでしょうか。障害者の権利侵害や虐待の相談にのってくれるところはわりとあるものです。しかし、そうしたところに話を持ち込めば必ず解決できるのかと言われるとそうではありません。どのような制度や機関があるのか、どのように相談を持ち込めば力になってくれるのかを知りましょう。

1 監督権限のある行政

 施設や病院の監督権限は都道府県にあります。また虐待などの事実があればさまざまな行政指導によって改善を促す義務が都道府県にはあります。

 ところが、都道府県や市町村などの障害福祉課などの担当課に権利侵害や虐待の相談をしてもすぐに解決に至ったケースはほとんどないと言っても過言ではないと思います。もしも親がいきなり施設での虐待について行政の担当課に通告(相談)しても、担当者はその施設に電話をして「こんな相談があったのですが、本当ですか?」などと聞くだけで、施設側から否定されるとそれをうのみにしてしまい、事態をより悪くする例も実はたくさんありました。もう少し熱心に事情を聞いてくれたところで、施設側の言い分をくみ取って“けんか両成敗”のような判断をし、それで行政として中立・公正な処理をしたと思っているのではないかという例もたくさんあります。

 その背景には、行政は権利侵害や虐待に対応できる職員を配置したり育成してこなかったこと、むしろ施設や事業所が足りないために、何か施設側に不都合な指摘があると指導するのをためらう傾向が強いことなどが挙げられます。措置制度から契約に変わってからは、特に行政は監督責任から腰を引いてきているとの指摘もあります。

 定期的な監査はありますが、会計や人員配置に関する監査に重点が置かれており、障害者の処遇や権利擁護についてはあまり有効に機能していないのが実情です。

 会社については労働基準監督署に監督・指導の権限がありますが、賃金や労務管理に関する監督がもっぱらで、虐待などを想定した業務を行っていないのが現状です。ひどい虐待を受けた障害者が労基署に直接電話や手紙で窮状を訴えても何も動かなかった事件もありました。この事件では労基署の不作為が民事訴訟で争われ、裁判所は労基署の落ち度を認めて障害者に対する国家賠償を認めました。また、職業安定所(ハローワーク)には指導官がいますが、具体的に事業所に対する強制権限があるわけではありません。

 しかし、施設や病院や会社に対して監督・指導できるのは行政機関しかないのが現状なので、ほかの相談機関などと協力しながら行政に理解を求めて動いてもらうことを考えていくべきです。もちろん、やる気やセンスのある行政マンもいます。障害者側のはたらきかけで権利擁護に熱心な行政マンを育てていくことも必要です。

 児童虐待を発見した人は児童相談所などに通告する義務があり、児童相談所は通告を受けたらすみやかに事実関係を調べ、必要な場合は立ち入り調査して子どもを保護したり、親にはカウンセリングなどをして家族の再構築を支援します。高齢者虐待の場合には地域包括支援センターが通告や相談の受理、調査などにあたります。

 障害者虐待にはこうした機関が存在しません。障害者虐待防止法が待ち望まれるのはそのためです。調査権限と義務を負った障害者虐待防止センター(仮)が必要です。

2 学校

 学校教育法では体罰を禁止していますが、なかなかなくならないのが現実です。各教育委員会が「体罰は容認しない」というリーフレットを作成して出していますが、言葉によるいじめ(精神的虐待)、給食を食べさせないなどの懲罰は今でも多いのが現実です。児童虐待防止法では通告義務が定められており、学校内での虐待についても適応されます。

 虐待や体罰が疑われたとき、担任教諭には直接相談しにくいものです。相談しても担任教師が加害者である場合にはすぐには認めないでしょう。そういう時にいったい誰に相談すればいいのでしょうか。

①特別教育支援コーディネーター・学校評議員会

 特別支援教育が始まってからどの小中高校にも特別支援学校にも「特別支援コーディネーター」が設置されるようになりました。各校に2~3人、多いところでは5~6人います。特別支援学校のコーディネーターはセンター機能を持っていることが学習指導要領で定められており、ほかの学校の問題にも介入していけることになっています。以前は何か担任に問題提起しても「どっちの味方なんだ」「まず親は担任に相談すべきだろう」などと言われていましたが、最近はコーディネーターの存在感が認められてきているともいわれています。

 毎年3分の1~2分の1のコーディネーターが交代しており、現場にどれだけ定着したと言えるのかわかりませんが、活動に関してはわりと広く裁量権が認められており、やる気とセンスのある特別支援コーディネーターは学校内での虐待に対して有効な機能を発揮できる可能性があります。

②学校評議員

 校長の学校運営を助ける役割の「学校評議員」は、いつでも授業参観や校内見守りができることになっています。児童・生徒の話を聞いたり、近隣住民や自治会から話を聞いたりして外部評価をしています。学校によっても違いますが、年に3回くらいは会議があり、そこで先生たちに意見を言えることになっています。どういう人がなっているのかといえば、市町村の障害福祉課、施設長、サービス提供責任者、企業、職業センター、小中学校長、PTAなどです。親から評議員に相談があり、それを評議員が特別支援コーディネーターに連絡したりして検討会議が開かれた例もあるようです。

③教育委員会

 カッとなった親は「教育委員会に言ってやる」と口走ることがよくありますが、教育委員会には実際どのくらいの権限があるのでしょう。

 教育委員会のトップは教育長で、市長が任命権者です。いまでは民間の有識者がなることも多いようです。その下に教育委員がいます。平均的な規模の自治体では5~6人というところです。さらにその下に事務局があります。事務局には指導部と学務部があり、指導部は教員の学習指導を担当し、現場の優秀な教諭が指導部の指導主事になるといわれています。学務部は施設設備やスクールバスなどを管轄します。教師ではなく一般行政職が異動でやってくるポストだといわれています。

 教育委員会の事務局といっても現場で力を発揮して試験や校長の推薦を受けて配属される先生はそんなに多くはいないようですが、指導主事でも教育委員会の看板を背負って現場に行くので、現場の教師たちには強い立場で臨むことができるといわれています。

3 第三者機関

 障害者福祉を担っている施設や事業所での虐待や権利侵害に対しては、運営適正化委員会が相談を受理して調査に当たることになっています。せっかくの制度なので積極的に利用して機能させていくべきだと思います。都道府県の社会福祉協議会などが委員会を運営しており、少数の事務局員がたくさんの相談を処理しているのが実情です。外部委員は月に1回程度しか集まらないので、相談があってもその内容を委員が認識するのに時間がかかり、機動的な運営ができていないとの批判もあります。また、中立・公平性を重視するあまり問題の本質的な解決に至らないとの批判が従来からあります。

 障害者110番という制度は各地の知的障害者の親の会(育成会)や身体障害者の当事者団体が委託を受けて定期的に電話相談などを実施しています。専門性を備えた相談員が専従で相談に乗っているとは必ずしも言えず、この相談員が虐待などの深刻な人権侵害を直接解決することは難しいですが、気安く相談できること、ほかの相談機関や権利擁護機関につなげられること、などのメリットがあります。

 オンブズマンや第三者委員は閉鎖的な入所施設などが、客観的な第三者の目で施設内を定期的にチェックしてもらう意味で導入してきたものです。弁護士や有識者などがオンブズマンを務めているところもあり、虐待や権利侵害の端緒や要因に気づいて施設側をバックアップしていくという面では役割を果たしているケースも多いと言われています。

 しかし、オンブズマンは施設と契約しているのであり、期待されている役割は施設をよくすることです。利用者(障害者)の利益をどこまで代弁し守るのかという点では限界があるかもしれません。

4 相談員

 「相談員」という名前は障害者福祉の世界ではあちこちで使われており混乱してしまうかもしれませんが、その中には親にとって気軽に何でも相談できる身近な存在として有効に活用すべきものがあります。

 かつて地域療育等支援事業のコーディネーターがいろんな相談に乗ってくれる相手として頼りにされていました。支援費制度の導入時に一般財源化されたのですが、多くの地域で相談支援事業は県や市町村の事業として存続しています。何か心配なことがあったら、とりあえずは相談支援事業のコーディネーターに相談してみるべきかもしれません。その上でコーディネーターが運営適正化委員会や県・市町村などの担当者やその他の関係者と連携しながら解決へと導いてくれることを期待したいものです。

 地域福祉権利擁護事業(日常生活支援事業)とは地域で暮らすお年寄りや障害者の日常生活の相談に乗り、年金や買い物をするための金銭管理などを代行してくれる相談員がいます。虐待の相談や調査とは少し違いますが、中には意欲的に権利擁護を担い障害者を守っている相談員もいます。

 知的障害者相談員、民生委員、児童委員、人権擁護委員などはいずれも法律に定められた国の制度として古くからあります。ただ、年配の人の名誉職的な意味合いで任命されることも多く、有名無実化して活動が停滞しているとの指摘は以前からあります。地域によっては現役世代の人が意欲的に活動しているケースもあります。

 また、民生委員などは長年その地域に根をおろして生活している人で、人望が厚く影響力のある人が任命されていることが多いので、いろんな情報が集まり、行政などへの発言力が大きい場合があります。こうした既存の制度をうまく活用することが虐待防止や被害救済においても有効だと思われます。

5 警察・司法

 ひどい虐待で刑事訴追が必要だと考えられるケースでは警察の介入が求められます。ただ、虐待をなくすために養育者や職員を支援したり、被害にあった障害者を守ったりケアしたりすることは警察の仕事ではありません。また、警察は知的障害者について理解が足りなかったり不慣れであったりするために、すぐには被害届けを受けて捜査を始めてくれないかもしれません。障害者や親がひとりで警察に訴えていくよりは、弁護士などにまず相談し、弁護士に付き添ってもらって被害届けを出すことをお勧めします。

 刑事訴追するためには事実認定の高いハードルを超えないといけません。被害を受けた日時や場所の特定には裏付けとなる証拠が求められます。警察の事情聴取では思い出したくないことを何度も繰り返し聞かれたりもします。そうしたハードルを乗り越えて刑事裁判が始まっても、裁判官が知的障害に理解がなかったり、被告側弁護士の主張で証拠が崩されたりして無罪になってしまうケースもあります。

 それに対して民事訴訟は事実認定のハードルが低いので、起訴が見送られたり刑事訴訟で無罪になったケースでも加害行為を認めて障害者側の損害賠償請求を認めたケースがいくつもあります。金銭的な補償よりも裁判所に事実を認めてもらう、相手からに謝罪させたい、という思いで民事訴訟を起こす人が多いようです。

 ただ、証拠資料の収集などの負担は軽くはなく、弁護士を代理人にして民事訴訟をする場合には弁護士費用もかかります。実際に裁判が始まれば、加害者である相手側も必死になって反論してきます。あたかも被害者である障害者や家族の主張がウソであるかのように言われ、被害者に落ち度があるかのようなことも言われ、さらに怒りや痛みを高じさせられることも珍しくはありません。

 そのため裁判によらない解決を模索する人も少なくありません。弁護士などの代理人を立てて相手側と話し合い、謝罪や慰謝料などについて取り決めて示談にするものです。この場合にも法的効果は担保することができますが、真相を徹底して究明するという類の期待はもてません。

 法務局に対して人権侵害の申し立てをする方法もあります。それを受けて法務局が虐待を疑われる施設に立ち入り調査したケースもあります。ただ、警察のような強制捜査権限がないため、調査も中途半端なものに終わりがちであることは否めません。勇気をもって内部告発した職員が自らも障害者を叩いたことを認めたために処分の対象にされたことも現実にありました。これではだれも法務局に申し立てられなくなると批判を受けました。

 各地の弁護士会に人権救済の申し立てをする方法もあります。費用はかからず、どこの弁護士会にも申し立てられる利点はあります。ただ、弁護士会が人権侵害の事実を認めたとしても、それだけでは解決のための実効性がどこまであるのか疑問視する見方もあります。

 いずれもこうした司法的手続きを踏むには、しろうとの親が単独でやろうとしても戸惑うことが多くてうまくいかないかもしれません。障害者に詳しい弁護士や司法書士などにまず相談してみることをお勧めします。最近は障害者問題をよく手がける弁護士が増えてきましたが、初めから障害者のことに詳しい人はあまりいないものです。熱意やセンスがあって障害者に興味がある弁護士、あるいは誠実で意思疎通がうまくいって相性のよい弁護士を探すといいかもしれません。

6 NPO、議会、マスコミ

 福祉や司法が設けている公的な制度よりも、むしろNPO 法人などが各地で権利擁護機関を新設して、それが障害者の権利侵害にきめ細かい対応を果たしているケースも出てきました。身近なところにどんなNPOが活動しているのかをあらかじめ調べておくことが大事です。

 こうしたNPO は公的な権限もなく資金や人材も乏しい場合がほとんどですが、障害者や家族、親の会などの当事者が運営の中枢に関わっていたり、障害者問題に熱心な弁護士や研究者が関わっていたりするので、モチベーションが高く、ねばり強く被害救済を支援してくれることが多いのも事実です。

 与野党がつくろうとしている障害者虐待防止法では行政機関に虐待防止センターを設置し、業務の一部をこうした市民グループやNPO にゆだねることを想定しています。いまから身近なところでこうしたNPOを準備しておいてもいいと思います。

 加害者である施設や学校や会社が虐待を否定して防御に入ると、決め手になるような物的証拠や目撃証言がないと真相解明や被害者の救済は難航してしまいます。水かけ論になり、行政や警察も手を出さない……という事態に陥っている事案は多いものです。

 窮余の打開策として議会で取り上げてもらう、マスコミに取り上げさせるということが有効な場合があります。世間の耳目が集まれば施設や会社側もなんらかの対応を迫られ、行政も動かざるをえなくなるのです。

 しかし、マスコミも十分な裏付けがなかったとして、報道した相手から名誉棄損で提訴されたりすることも増えてきましたので、簡単には報道しません。警察や行政などの当局を情報の拠り所にするときには少々あいまいなことでも記事にしますが、そうした権威を拠り所にしない報道は、いわゆる「調査報道」といって新聞社やテレビ局自身が報道に全責任を負うことになるので、より慎重な裏付けや確証を求められることになります。

 また、マスコミの報道目的は、被害にあった当事者の救済もそうですが、個別の事件を社会問題化することにあります。一方、現場の取材記者が障害者に理解があり慎重な報道を心がけても、デスクや編集幹部などより報道に権限をもった立場の人がそうであるとは限りません。世間の注目度が高くニュース性があるうちは熱心に報道しますが、それがなくなれば潮を引くように無関心になって寄り付かなくなるという記者も多くいます。1 ~2 年ごとに担当が目まぐるしく変わっていくのもマスコミの特徴です。そうしたことを留意した上で、マスコミを有効に活用すれば事態を大きく変えることにつながったりもするのです。

親のための虐待防止ハンドブック
発行 NPO法人 PandA-J
代表 野沢和弘
副代表 大石剛一郎 堀江まゆみ
理事 関哉直人
監事 杉浦ひとみ
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