【事例2】海外勤務の経験を生かして、現地の情報を編集して営業担当者に提供中途で視覚障害になった後、復職して金融機関のサポート部署で活躍金融機関 O.T.さん
【概要】 金融機関で働くO.T.さんは、2003年、赴任先の東南アジアで脳腫瘍および業務中の交通事故による視神経萎縮で視覚障害になった。帰国して手術を受けたが、視力は回復しなかった。業務上の災害による休職中に、関西盲人ホームのスタッフから歩行訓練やパソコン訓練を受け、2008年4月から復職した。復職に際して、会社側はスクリーンリーダを導入し、会社のメールシステムを改良し、さらに勤務時間で配慮してくれた。また、優秀なサポートスタッフを会社の費用で配置した。主業務は海外への進出を考える顧客をサポートする営業店からの照会に答えることであるが、問い合わせはそう多くない。そこで、これまでの海外勤務の経験を活かして、営業担当者が欲しいと思われる東南アジア各国の現地情報や、各企業の海外進出情報等を営業担当者へメールで直接、配信している。担当者からは、とても好評であるという。
①O.T.さん 男性 43 歳
②視力と視野:視力 右 0.03~0.05 視野 95%欠損 左 光覚
障害程度: 身体障害者手帳 1 種 1 級
障害発生年月:2003 年 7 月頃から視野・視力に異常をきたし、同年 10 月頃には現在の視力となる。
障害原因: 2003 年 2 月に赴任先の東南アジアで脳腫瘍により倒れた。現地の外国人向け病院で放射線治療を受け、退院して業務に復帰した。その後、2003 年 6 月に現地で追突事故に合い、脳が腫れて視野が欠けるなどの異常が現れた。同年 8 月に帰国。10 月に脳外科手術を受け、脳腫瘍を摘出したが、視力は回復しなかった。
白杖の使用:使用
点字の使用:使用しない
③視覚障害に伴う休職の有無
2003 年 10 月~2004 年 3 月 病気治療に伴う有給休暇消化と欠勤。
2004 年 4 月~2008 年 3 月 業務上の災害による休職。
④視覚障害に伴う離・転職または職種転換の経験の有無:なし
⑤視覚障害または就労について相談したことのある支援機関
社会福祉法人関西盲人ホーム
⑥社会復帰のための訓練または職業訓練の受講経験の有無
歩行訓練とパソコン訓練(PC-Talker)、点字の練習
社会福祉法人関西盲人ホーム(期間:2005 年 5 月~2008 年 3 月)
⑦現在の所属:金融機関
配属部署:海外進出をめざす顧客のサポート関連部署
職種:総合職(管理職)
現所属での在職期間:5 ヶ月
⑧現在の雇用形態:正社員
⑨最終学歴:K 大学商学部
⑩業務で利用している視覚障害者用機器・ソフトウェア
PC-Talker XP(主たるスクリーンリーダとして使用)、JAWS for Windows、 XP Reader、MyMail、MyWord V、MyRead、らくらく予定帳、名刺の助っ人
①業務の具体的内容
海外への進出を考える顧客をサポートする部署において、顧客に対する営業店からの照会に答えることが主業務であるが、問い合わせはそう多くない。
そこで、これまでの海外勤務の経験を活かして、営業担当者が欲しいと思われる東南アジア各国の現地情報(金融・経済・政治・業界)を、各国に駐在する同僚から電子メールで集め、選別して国別にまとめた情報の要約版をメールで発行している。要約版は月 2 回発行し、個人的なつながりで営業担当者や部長クラスに配布している。また、営業店の担当者にとって有益と思われる各企業の海外進出情報等、海外での情報を直接、営業店の担当者へ配信している。
音声にのりにくい情報は、サポートスタッフが Word 文書化してくれて集めている。
②業務に関する指示・命令系統:直属の上司(大阪本店と東京本店)。
③出張の有無:出張はない。外部のセミナーには、サポートスタッフと共に出かけている。
④職場における人的支援の状況と必要性
サポートスタッフを配置してもらっている。これは復職する前に相談した視覚障害者の弁護士からのアドバイスに基づいて、優秀なサポートスタッフを会社の費用で採用してもらった。サポートスタッフは、社屋内の移動や音声にのりにくい情報の文書化、そして作成した文書のレイアウト校正まで、仕事のすべての面で支援してくれている。
このサポートスタッフには、部署内の業務に通じてもらうことも要求している。そのため、サポートスタッフには、本人のアシスタント業務以外の仕事が回ってくることもある。
⑤利用している視覚障害者用機器・ソフトウェア
ソフトウェアについては、全体的に満足している。ただ、PC-Talker の Excel の読み上げ機能を、JAWS for Windows 並みに上げて欲しいと思っている。
⑥研修の受講状況
社内の研修については、今のところ出席の必要性を感じない訳ではないが、日常の業務を勤務時間内に遂行するだけで現状は精一杯なので、受講する余裕がない。外部のセミナーに関しては、日常の業務遂行に必要と思われるものについては、上司の了解の下、サポートスタッフとともに参加している。
⑦業務遂行上の工夫、必要と感じる支援、課題
前述の通り、本人のアシスタント業務以外に部署内の業務もサポートスタッフに回ってくるが、サポートスタッフの業務プライオリティーは本人の業務遂行のためのサポートにあるという認識が、部内スタッフに若干不足している感がある。
⑧業務面で会社が配慮してくれる事柄
・優秀なサポートスタッフを会社側の費用で配置してくれた。
・必要なソフトウェアを購入してくれた。
・社内ではグループウェアを使用しているが、電子メールは別途、サーバを立てて、本人がインターネットメールとして受信できるようにしてくれた。
・10:00~15:00 をコアタイムとする短時間労働としてくれた。ラッシュアワーや暗くなって帰宅しなくてもよいようにとの配慮である。ただ、コアの勤務時間は決まっているものの、日常の業務内容によっては、コアタイムより早く、またはコアタイムより遅くまで勤務することがあるが、それは本人の裁量に任されている。
⑨業務面で相談する相手:同じ部署の大阪本店と東京本店の上司、及び人事担当者。
⑩視覚障害者として勤務するようになって以降に、業務内容の変更があったかどうか。視覚障害になる前から想定された業務。
①通勤:単独歩行。
職場内での移動:サポートスタッフが手引きしてくれる。
歩行訓練の必要性:歩行訓練の受講は必要。
通勤時間:前述の通り、配慮してもらった。
安全性確保のための工夫、苦慮する点、設備面で望むこと:特になし
②上司・同僚・外部関係者とのコミュニケーションや電話対応、回覧文書での工夫、課題
電話機が何台もあり、また、どの回線のランプがついているかわからないので、電話はサポートスタッフがとって回してもらっている。
③休憩時間の過ごし方、宴席、親睦会等への参加
昼休みなどは社内にいる。
宴席、親睦会等は、出た方がよい場合は出ている。
①視覚障害による業務遂行上の困難さを感じた時期
視覚障害になる前、現地支店を立ち上げて業務を軌道に乗せるまで、長期間、外国勤務が続いた。その後、「障害原因」に経緯を記した通り、疾病や交通事故で視覚障害になった。病気治療後、通勤や業務遂行に困難を感じた。
相談した社会福祉法人関西盲人ホームにおいて、スクリーンリーダ上でパソコンが使えることを知り、これを使えば業務がこなせるようになると思えた。
②その困難に関する相談の有無、相談した相手、受けた助言
社会福祉法人関西盲人ホームの歩行訓練士。
視覚障害者の弁護士。
受けた助言については、前述の通り。
③復職に向けて準備したこと
歩行訓練(通勤歩行)、パソコン訓練。
社会福祉法人関西盲人ホーム。パソコン訓練は、必要に応じて外部の指導も受けた。
④休職した場合は、休職する必要があると判断した理由
病気治療と職場復帰のために上記訓練が必要だと感じたから。
⑤復職するまでに会社側が配慮してくれたこと
・歩行訓練やパソコン訓練の費用は、すべて会社側が負担した。
・必要な視覚障害者用ソフトウェアは、会社側負担で購入してくれた。
⑥復職前後での業務内容変更の有無
同じ業務のまま、変更はない。
事業所名: 業種(金融機関)
本人との関係: 人事担当者
役職名: 人事グループ グループ長
氏名: S.H. さん
(1)本人の仕事面での状況
東南アジアの現地支店で、外回りの営業の仕事を担当していた。本人が 30 歳時より 7 年間、現地に勤務した。
(2)本人が仕事以外の状況で、何か困難な状況に陥っていると感じたか
脳腫瘍や交通事故の後、帰国したが、視覚障害が進行した。外国での業務展開を支援する部署に配属されたが、通勤や仕事の遂行は困難であった。
(3)眼科医や就労支援機関と、本人の状況について相談したか
手術後の状況について、産業医と相談した。また、通勤歩行について、担当した関西盲人ホームの歩行訓練士と相談した。
(4)視覚障害者に対する生活訓練や職業訓練等の情報を得ていたか
歩行訓練やパソコン訓練について、関西盲人ホームの歩行訓練士から情報を得た。また、視覚障害者用のパソコンソフトウェアについても、歩行訓練士や本人から情報を得た。併せてインターネットでも検索して調べた。
(5)視覚障害となった社員が生活訓練、職業訓練を受ける際、病気休暇、休職、研修制度が適用されるか
海外勤務での業務中の交通事故による障害ということで、就業規則に基づき業務上災害による休職とした。業務上災害による休職では、最長 6 年間まで休職が認められる。
(1)休職の理由
視力低下による治療と、症状固定後の歩行訓練とパソコン訓練を受けるため。
(2)休職に対する産業医や会社側の考え
当初は復職できるのかとの懸念もあったが、本人の会社に対する貢献度と能力、そして何よりも本人の復職したいという強い意志を尊重して復職を認めた。業務にきちんと復帰できればよいと考えた。
(3)休職に際して、会社側が本人に配慮した点
業務上災害による休職期間は定められている。復職に必要なパソコンソフトウェアや訓練費用は会社側が全額負担するなど、全面的に支援した。
(4)休職する際に、復職させることは決まっていたか
前述の通り、復職できるのかという不安もあったが、復職は決まっていた。
(5)休職中、本人の眼の状況や復職への準備状況について、本人から報告を受けたか
随時(3 ヶ月~6 ヶ月ごと)、本人から報告があった。
(1)本人の復職を認めた理由
2007 年 10 月より本人と話し合いを開始し、主治医の判断や、歩行訓練士より自宅から会社までの通勤が可能であり、パソコンも習熟したとの報告を受けたので認めた。たとえ、8 割程度の習熟度であっても、やれるところからやろうと考えた。
(2)復職に際して、眼科医や就労支援機関と相談したか
・産業医
・社会福祉法人関西盲人ホームの歩行訓練士
(3)復職後の業務は休職前の業務と違っていたか
海外勤務中は現地での外回り営業を担当していた。帰国後、海外進出をめざす顧客のサポート関連部署に配属されたが、休職した。組織変更はあったが、復職後も同じ関係の部署に配属され、担当地域の情報収集や発信を行っている。
(4)復職に際して事業所側が配慮した事項
復職後の仕事に関しては、あてがいぶちの仕事ではなく、本人が仕事をしているという感覚が持てるような仕事でなければならないと考えた。会社に貢献できる仕事、本人の能力を発揮できる仕事で、貢献度が周囲からわかるレベルに到達しなくてはならない。そうでなければ、本人のモラルダウンを招く。
そのために、復職に当たって以下のことを実行した。
まず、復職後、配属された部署に視覚障害者が配属されることを周知した。
また、本人よりサポートスタッフとして優秀な人を配置して欲しいと要望があり、派遣会社より支援のための人を採用した。採用に当たっては、部署の業務を覚えて、本人と同じレベルまで力を伸ばし、部署に貢献できる人を選んだ。
復職後は 10:00~15:00 までのコアタイム以外は勤務の必要がないようにし、本人がラッシュに合わず、夜暗くなって帰宅しなくてもよいように配慮した。
必要なソフトウェアを購入し、本人用にインターネットにアクセスできる社内のネットワークとは切り離したパソコンを用意した。また、イントラネットでの社内メールを、別途サーバを立てることによって、インターネットメールとして送受信できるようにシステムを改良した。これらの経費は会社側が負担した。
(5)復職後の業務遂行に必要な機器やソフトウェアの購入
休職期間中に、復職に向けたパソコン訓練を受けるため、パソコンソフトウェアや機器を購入した。購入に際して、助成金は利用しなかった。
(6)復職後の本人からの相談の有無について
インフラ整備に関して、本人から相談を受けた。社内のネットワークはセキュリティの関連で制限が多く、インターネットへのアクセスも制限されているので、社内のネットワークとは切り離したインターネットアクセス用のパソコンを用意した。また、社内のメールシステムはスクリーンリーダで読み上げないため、前述のようなメールシステムを構築した。これらは、復職後直ぐに行われた。
(7)復職後、本人の処遇に関して困ったこと
特になし。当初は、食事やトイレ等さまざまな心配をしたが、取り越し苦労であった。
(8)今後、本人に期待すること
今後、業務の幅を広げて、お客様の所に出向いて仕事もできるようになって欲しい。また、海外出張なども命ぜられるようになって欲しい。
中途視覚障害になった後、それまでの業績を評価されて職場復帰した事例である。優秀なサポートスタッフを会社側の負担でつけてもらい、その支援の元に、業務経験を活かしたクリエイティブな仕事をしている点で、これまでに無い事例であると感じた。スクリーンリーダ上で音声を頼りに、オフィスソフトウェアを使いこなしながら事務処理をこなすのではなく、細かな事務処理はサポートスタッフに任せ、本人はこれまでの業務知識と経験が活かせる創造的な業務に従事している。これができるのは、本人の能力の高さと会社側の本人に対する評価の高さがあって、初めて可能になったと思う。
会社の人事担当者は、復職後の仕事に関して、「あてがいぶちの仕事ではなく、本人が仕事をしているという感覚が持てるような仕事でなければならない」と考え、また、「会社に貢献できる仕事、本人の能力を発揮できる仕事で、貢献度が周囲からわかるレベルに到達しなくてはならない。そうでなければ、本人のモラルダウンを招く」と思われたという。繰り返しになるが、本人の能力と会社への貢献を高く評価していたからこそ、他ではありえないような好条件で復職することができたのだと思う。