【事例6】仕事は自分から提案していくもの
外国人教育、議事録の翻訳、メンタルヘルスチームなどを次々と企画
国際紙パルプ商事株式会社 安達 文洋さん
【概要】 安達文洋さんは 20 年前に網膜色素変性症を発症。病状は徐々に進行し、発症後 10 年で失明した。しかし、持ち前の前向きな性格で、視覚障害があってもできる仕事を社内で次々と企画・遂行していった。その結果、訓練のために 1~2 週間の休暇を取ることはあっても、休職はせずに雇用継続を実現。仕事のほかに、ブラインドセーリングも楽しんでいる。
①安達 文洋さん 男性 1949 年 8 月 19 日生まれ
②視力と視野:手動弁。視野は測定不能。
障害程度: 身体障害者手帳 1 級(2000 年 7 月取得)。慣れない場所での単独歩行は困難だが、日常生活には問題が無い。
眼疾: 約 20 年前に網膜色素変性症を発病。約 10 年前に失明。
40 歳前、免許更新ができない程度。
45 歳頃、読み書き、単独移動がつらい。昼は見えるが夜は見えない。
職場では、資料は同僚や部下に読んでもらう、移動は駅まで一緒に歩いてもらうなどの支援を受ける。この頃、海外出張も数回こなした。貿易の仕事をしていたので、中国人の教育係という仕事を提案し、進める。
50 歳、読み書き、歩行が困難。会社の勧めで身体障害者手帳を取得。
白杖の使用:白杖は常時使用。
点字の使用:点字は使用していない。
③視覚障害に伴う休職の有無:休職はしていない。
④視覚障害に伴う離・転職または職種転換の経験の有無:なし
⑤視覚障害または就労について相談したことのある支援機関
特にないが、日本盲人職能開発センターを上司と一度見学。
その他、音声スクリーンリーダを会社側に理解してもらうために、PC ソフトウェア会社を数回訪問、そして会社に購入してもらう。
飯田橋のハローワークへ、会社の人とともに助成金について話を聞きに行く。ここで、工藤さん、荒井さんに出会い、中途視覚障害者の復職を考える会を紹介してもらう。そこから所沢などのリハ施設について知る。
⑥社会復帰のための訓練または職業訓練の受講経験の有無
歩行、生活、パソコン、点字の訓練
国立障害者リハビリテーションセンター病院で、2001 年から 2005 年までに 1 回 1~2 週間の入院訓練を合計 5 回受けた。点字はものにはなっていない。
パソコンは、かつて英文タイプをしていたためとっつきやすかった。国立障害者リハビリテーションセンター病院では話を聞いた程度。その後、会社の費用でパソコンとスクリーンリーダを自宅に導入(この頃は在宅勤務)。6 ヶ月間、1 ヶ月に 1 回程度、会社でコンピュータの詳しい人が指導に来てくれた。
⑦現在の所属、職種、現所属での在職期間
総務本部、人事グループ、総合職、6 年(在宅勤務)
⑧現在の雇用形態:在宅勤務。正社員としてフルタイム。
⑨最終学歴:大学卒
⑩業務で利用している視覚障害者用機器・ソフトウェア
XP Reader、翻訳ソフトウェア、電子辞書、Word、Excel
①業務の具体的内容
・海外法人(米国)で月 2 回ほど行われている幹部会の議事録を和文に翻訳。当初、インターネットで重要なニュースを探して訳したり、専門誌の情報を訳したりしていたが、専門誌の情報は業界紙に日本語訳が載る方が早いため、業務の意味がない。そこで、幹部会の議事録の翻訳に対象を変更した。仕事内容は自分から提案していくことが重要である。
・国内外の関連のメールマガジン記事を毎日読んで必要であれば担当部署にメールで紹介。
・海外現地法人、事務所(11 ヶ所)の毎月の定期市況報告に対するコメントとアドバイス。
・その他、社内商談会、衛生委員会に参加のため毎月各 1 日出社。
・メンタルヘルスも含めて社員相手の相談・面談を引き受けている。安達さんのように障害があっても働き続ける人が話を聞くだけで、社員は勇気づけられるようだ。
(英文の読み上げについての補足)
当初は日本語スクリーンリーダに単語登録していった。1 年くらい登録を続けたら十分に使えるようになった。ほかに、翻訳ソフトウェアも利用しているが、日本語訳はほとんど書き直している。
②業務に関する指示・命令系統、他の人との業務上の連携
依頼部署から提出日の指示は受けているが、それ以外は特になし。
なお、毎日の業務管理については終業後、その内容を日報表に記入して、月末に一覧表で副本部長に提出している。
関連部署への連絡はメールあるいは電話で行う。特に支障はない。
③出張の有無:全くなし
④職場における人的支援の状況と必要性
在宅なので、パソコン、ソフトウェアに関する事はソフトウェア販売会社に支援してもらっている。この支援体制は 3 年前から会社がソフトウェア販売会社とメンテナンスを含めて年間契約をしている。(それ以前は、社内のシステムグループが支援してくれていたが、コンピュータ関係は全て外部委託になったため社内のシステムグループは解散して支援体制がなくなった。)
⑤利用している視覚障害者用機器・ソフトウェア
現状で仕事に支障もないので満足している。
⑥社内研修の受講状況
個人的に必要な社内研修は殆どないが、希望すれば参加できる。また、外部の研修、セミナーなどは申請すれば参加できる。
⑦業務遂行上、工夫していること、必要と感じる支援、課題
在宅勤務に関してのマニュアルはないので、常に創意工夫しながら業務を遂行している。即ち、会社に提案する姿勢を心がけている。
一方、在宅のため、業務管理を含め食事、運動、睡眠など自己管理には気をつけている。
⑧業務面で会社が配慮してくれる事柄:特になし
⑨業務面で相談する相手:職場の上司、同僚
⑩視覚障害者として勤務するようになって以降に、業務内容の変更があったかどうか。
特にはないが、3 年前にメンタルヘルスチームを立ち上げて、2 年ほど前から衛生委員会を復活させてメンバーとして参画している。
①通勤と職場での移動
月 2~3 回ほど出社しているが、自宅と会社の往復には気をつけている。できれば、歩行訓練を受けたいと思っている。
会社の玄関の入り口がガラス張りなので、何か目印があると助かる。
②上司・同僚・外部関係者とのコミュニケーションや電話対応、回覧文書での工夫、課題
必要な読み物は家族、同僚に読んでもらっているので、それほど不自由は感じていない。
③休憩時間の過ごし方、宴席、親睦会等への参加
昼休みは自宅でテレビを見ている。出社した時には上司、同僚と話している。
宴席、親睦会は声がかかれば、出席している。
①視覚障害による業務遂行上の困難さを感じた時期と困難の内容
在職 20 年ぐらいで読み書きが難しくなったが、部下の支援で業務は遂行していた。
しかし、その後 10 年くらいで失明して単独歩行ができなくなった時期が一番苦しかった。
②その困難に関する相談の有無、相談した相手、受けた助言
上司からは将来的に自立できることを考えたほうが良いと助言されたが、就労の継続を希望した。具体的には部下の教育であった。しかし、常に私の面倒を見なくてはならないので、在宅勤務を命じられた。
一方、在宅勤務になる前に、有給休暇を 1~2 週間ほどとって、自ら国立障害者リハビリテーションセンター病院に入院して、歩行、パソコン、点字、生活訓練などを受けて、自立できるように努力した。
③復職に向けて準備したこと:前述の通り
④休職した場合は、休職する必要があると判断した理由
休職しないで、有給休暇で訓練を受けた。
⑤復職するまでに会社側が配慮してくれたこと
訓練のために有給休暇を利用させてくれた。約 3 年間で合計 5 回(延べ約 1 ヶ月)。
⑥復職前後での業務内容変更の有無
営業部門から在宅勤務への変更。
自分を表現しない限り、相手は分かってくれない。自分が意見を言わない限り、相手には伝わらない。ただ待っているのではなく、提案していくことが視覚障害者には求められる。
事業所名: 国際紙パルプ商事株式会社
本人との関係: 上司
役職名: 総務本部副本部長兼人事グループ長
氏名: 吉松 仁平さん
(1)本人の仕事面での状況
当時の上司ではないため答えられない。状況は、本人の回答参照。
(2) 本人が仕事以外の状況で、何か困難な状況に陥っていると感じたか:本人回答参照。
(3)本人から相談を受けたことはあるか
(4)眼科医や就労支援機関と、本人の状況について相談する必要性を感じたか
本人が健康保険組合の眼科へ行った。
(5)本人が働き続けられるように特に配慮したことはあるか
・ハローワークへ雇用支援のための助成金制度について相談した。
・在宅勤務の規程を整備した。
・視覚障害者用機器、ソフトウェア、通信環境、保守契約を会社の負担で整えた。
(1)現在、本人が担当している業務は、視覚障害になる前と違っているか
業務を営業から翻訳等へ変更した。詳しくは本人の回答参照。
(2)本人が働き続けるために必要な機器やソフトウェアを購入したか。
助成金制度を活用して機器類を購入した。
社会貢献しなくてはならないと考えてはいるが、現状は、障害者雇用について国から指導されない程度の対応に留まっている。現在雇用されている障害者は 10 数人で、法定雇用率に少し足りない程度である。障害の種別は、視覚障害(安達さんとその他にも 1 人。この方は等級 2 級、視野狭窄。視覚障害者用の機器は使っていない)、心臓疾患、腎臓疾患、下肢障害(車いすは使っていない)、上肢障害。中途障害者が多い。
歩行訓練を受けた後、安達さんには月 1 回出社してもらっている。1 人で歩けることは大きな変化だと思う。
安達さんのように視覚障害があっても働き続ける姿は、同年代の経営者に勇気を与えている。
安達さんは、貿易部門での実績があったからこそ、そして自身の前向きな性格故に、会社の最終判断は継続雇用となった。
会社として障害者の雇用継続に積極的とは言い難い状況で、安達さんは、自分にしかできない仕事を持ち、かつ、それを増やしていったことで、自ら継続雇用をつかみ取った。更に、休日にはセーリングを毎週楽しんでいるという。今いる環境の中で、自分ができることや楽しいことを見つけ出していくその積極的な姿勢がすばらしい。