【事例7】視力が低下しても、拡大読書器などを活用して撮影現場を取り仕切る
商業用写真撮影のコーディネータとして働き続ける元カメラマン
印刷業界の写真撮影部署 K.T.さん
【概要】 印刷業界にカメラマンとして入社した K.T.さんは、3 年目で視力低下のため、商業用写真の撮影コーディネート(撮影のスケジュール設計と管理、予算の管理、スタッフの手配)業務や撮影ディレクションなど、カメラマンを支え、撮影を取り仕切る撮影コーディネータに転進した。これは、上司の勧めであったという。その後、19 年間も撮影コーディネータとして勤め上げ、2008 年春には上級職に昇格した。上司の信頼も厚く、弱視者として困難と思われる印刷業界で頑張っておられる。業務では拡大読書器やライト付きルーペ、単眼鏡などの補助具やパソコンを活用してこなし ているが、周囲の人の協力も欠かせない。同僚とはコミュニケーションを密にするように努めているが、読みにくいメモをもらって困ることもある。また、仕事が忙しい時は、撮影企画書類などを読んで要約してくれるアシスタントがいるとありがたいと思う。
①K.T.さん 男性 45 歳
②視力と視野:視力 両眼とも 0.02~0.03 程度。右眼は利き眼で 5~6 年前まではよかっ たが、今は中心暗点が広がってきており、最近は左眼で見ている。
視野は 10 度以内、欠損率 95%、中心暗点。
障害程度: 身体障害者手帳 1 種 2 級(2005 年 8 月 17 日交付)
障害発生年月:1988 年に緑内障と診断される。
眼疾: 緑内障
白杖の使用:白杖は必要な時に使用。ラッシュ時など混雑時や歩道で危険を感じる時に使用している。
点字の使用:使用しない
③視覚障害に伴う休職の有無:なし
④視覚障害に伴う離・転職または職種転換の経験の有無
1989 年頃、入社 3 年目でカメラマンより撮影コーディネータへ職種転換。
⑤視覚障害または就労について相談したことのある支援機関
日本ライトハウス視覚障害リハビリテーションセンター
10 年前と 4 年前に支援ソフトウェアや機器の情報提供を受けた。社内に設けているキャリア相談室
⑥社会復帰のための訓練または職業訓練の受講経験の有無
訓練といえる程のものではないが、パソコンは苦手であったので、大阪府 IT ステーションで視覚障害者対象のパソコン初級講座(土曜日に 4 回開催)を受講した。ブラインドタッチができるようになった。
⑦現在の所属:印刷業界の写真撮影部署。
職種:企画制作職、商業用写真撮影のコーディネート。今年度より上級職に昇格。
現所属での在職期間:カメラマンより転向して 19 年。
⑧現在の雇用形態:正社員(フルタイム)
⑨最終学歴:芸術関係の大学の写真学科。
⑩業務で利用している視覚障害者用機器・ソフトウェア
ZoomText Magnifier、PC-Talker XP、JAWS for Windows、携帯型拡大読書器、ライト付きルーペ、単眼鏡、IC レコーダー
①業務の具体的内容
商業用写真の撮影コーディネータ
・撮影のスケジュール設計と管理
・撮影予算の管理
・撮影スタッフの手配と管理
撮影ディレクション
②業務に関する指示・命令系統、他の人との業務上の連携
本人が中心となって指示し、必要なときは同僚やスタッフの助けを求める。関係者との連絡とコミュニケーションは密にしている。
③出張の有無、頻度
出張は年に 4~5 回程度あり。出張先は東京や名古屋などで、モデルのオーディションに同席したり、モデルクラブを訪問してオーディションやキャスティングの相談のために出張する。
④職場における人的支援の状況と必要性
自然な支援は感じているが、専門アシスタントが欲しいと感じることはある。特に仕事が何件か重なった際に、企画書類等を読んで要約してくれるアシスタントがいるとありがたい。仕事に優先順位をつけることができるため。
⑤利用している視覚障害者用機器・ソフトウェア
会社にスクリーンリーダ(JAWS for Windows)や画面拡大ソフトウェア(ZoomText Magnifier)を購入してもらった。
また、現在は携帯型の拡大読書器を使用しているが、据え置きタイプの拡大読書器を設置してくれるよう希望する。何故なら、携帯型ではコントラストの調整が十分できず、印刷が薄い伝票などが読みにくい。また、据え置きタイプの拡大読書器の下では書き込みも容易であり、拡大される範囲も携帯型よりは広い。
⑥研修の受講状況
グループ会社社員が全員受講する社内の通常研修は、社内ネット上でネットワークラーニングの形態で行われている。他の社員と同様に、仕事の合間にサーバにアクセスして、Windows のユーザ補助にある拡大鏡を使って拡大した画面で見ている。
また、その他の研修(例えば幹部研修)では、講習資料を拡大コピーしてもらって事前に配布してもらった。
⑦業務遂行上工夫していること、必要と感じる支援、課題
仕事場の同僚とはコミュニケーションを密にし、自分ができる範囲のことは極力自分で行うようにしている。できることとできないことを、角がたたないようにはっきり伝えるようにしている。
必要な支援といえるかどうかわからないが、書類等を手渡される際に、何の書類なのか口頭で伝えてくれると、いちいち拡大読書器で確認しなくても見当がつき、処理し易くなる。
さらに、日報やメモはサインペンで太く書いて欲しいと常々、同僚には伝えてあるが、赤の細いボールペンで書いてくる人がいる。ラインマーカで文字を書かれた場合は最悪で、ほとんど読めない。
⑧業務面で会社が配慮してくれる事柄
仕事量が過度にならないように、上司が仕事の振り分けに配慮してくれている。
⑨業務面で相談する相手:同じ部署の後輩、または直属の上司。
⑩視覚障害者として勤務するようになって以降に、業務内容の変更があったかどうか
視覚障害者になってからではないが、眼が悪くなりはじめてからカメラマンから撮影コーディネータに転向。視力低下により、撮影画像のチェックがやりにくくなったため。
① 通勤と職場での移動
通勤時間は 35 分。安全確保のために、混雑時には白杖を使用している。歩道を走行する自転車は、歩いている視覚障害者にとっては脅威である。
自宅から通勤で利用する駅前の横断歩道に、音声信号を設置して欲しい。
② 上司・同僚・外部関係者とのコミュニケーションや電話対応、回覧文書での工夫、課題
社内・外の関係者には自分に視覚障害があることを伝え、自分がどれだけ確認できているかを伝えながら、コミュニケーションをとるようにしている。しかし、初対面の得意先の人に自分の眼の状況を伝えるのは難しいので、カメラマンを同行しての打合せを行っている。細かい箇所はカメラマンに確認してもらっている。
電話の応対には不自由は感じていない。
回覧文書は拡大読書器を使用して読むが、時たま、同僚に読み上げてもらっている。電話の伝言メモ等は、太いマジック等で記入して欲しいと部署内で頼んでいるが、そうしてもらえないことも多い。その都度、依頼を繰り返して、自分の見え方について理解してもらうのが今後の課題。
③休憩時間の過ごし方、宴席、親睦会等への参加
昼休みは宅配の弁当もしくは社員食堂で昼食をとり、眼を休めながら音楽を聴いたりしている。
宴席は積極的に参加し、幹事をすることも多い。宴席でわかりにくい料理は、回りの同僚がさりげなくサポートしてくれる。たとえば、烏賊の刺身を小皿にとってくれたり、から揚げかコロッケかを教えてくれる。
①視覚障害による業務遂行上の困難さを感じた時期と困難の内容
入社 3 年目で困難を感じた。
カメラマンとして必要な被写体のチェックや確認が、視力及び視野の低下で困難になった。
②その困難に関する相談の有無、相談した相手、受けた助言
職場の上司に相談した。上司はカメラマンとしての腕を買ってくれ、撮影コーディネータへ職種転換を薦められた。
眼科医にも相談したが、「視覚障害者が印刷業界で写真の仕事を続けるのは難しいのではないか。転職するしかない」と言われた。障害者団体の紹介はなかった。
③復職に向けて準備したこと
復職に向けた準備ではなく、働きながら通勤の安全を確保するため、Kinki ビジョンサポートが開催した弱視者用の歩行訓練を受講した。弱視者用の歩行訓練では、外側の視野をうまく使ってサーチしながら、例えば駅の券売機を探したり、信号機の位置を探す方法を教えてもらい、とても役に立った。
また、パソコンには不慣れであったので、大阪府 IT ステーションで開催された音声によるパソコンの講習を受講し、ブラインドタッチができるようになった。
事業所名: 印刷業界の事業所
本人との関係: 人事担当者
役職名: 総務部部長
氏名: H. M.さん
(1)本人の仕事面での状況
1989 年頃、入社 3 年目に緑内障で視力が低下し、撮影スチールの確認等が難しくなってきたため、プロのカメラマンとして仕事を続けていくのが難しくなった。
(2)本人が仕事以外の状況で、何か困難な状況に陥っていると感じたか:特になし
(3)本人から相談を受けたことはあるか
視力が低下してカメラマンとして仕事を続けていくことが難しくなったため、当時の上長に相談した。
(4)眼科医や就労支援機関と、本人の状況について相談する必要性を感じたか
必要性を感じなかった。
(5)本人が働き続けられるように特に配慮したことはあるか
本人は人当たりがよいので、撮影コーディネートや撮影ディレクション(指示)、企画管理の仕事に変わらないかと当時の上司が提案した。当時は撮影場所の選択からモデルのキャスティング、果てはモデルが着る衣装のアイロン掛けまでカメラマンが自分でやっていた。ちょうどコーディネータという職種が確立していく時期であった。
本人は入社 3 年目であったが、業務に応じて長時間の残業をこなすなど熱心にカメラマンとして仕事をし、入社して間もない社員としては異例の個展を開くなど、カメラマンとしても評価されていた。それも当時の上司が撮影コーディネータへの転進を勧めてくれた理由のひとつかもしれない。
(1)現在、本人が担当している業務は、視覚障害になる前と違っているか
視覚障害になる前はカメラマン。視覚障害になった後は、撮影コーディネータに転進した。その理由については前述の通り。
今年の春に上級職(幹部社員)に昇格させた。今後、より大掛かりな仕事のコーディネートなど、チームでする仕事にも幅を広げてもらうよう期待している。
(2)本人が働き続けるために必要な機器やソフトウェアを購入したか。
2007 年に会社の経費で以下の機器やソフトウェアを購入した。助成金は結局利用しなかった。
ZoomText Magnifier、PC-Talker XP、JAWS for Windows、携帯型拡大読書器
支援制度にどんなものがあるのか知らないので、申請しづらかった。
印刷業界でカメラマンをしていた人が、視覚障害 2 級になったが休職することなく、これまでの経験を生かして撮影コーディネータをしているという事例で、とても興味深かった。もう、撮影コーディネータとして 19 年も勤め上げて、この春には上級職に昇格も果たしており、上司の信頼も厚い。視覚が低下した時にかかった眼科医は写真の仕事は無理と言ったというが、通常は妥当な判断かもしれない。しかし、撮影のコーディネートという仕事を上司が提案してくれ、それがうまくいって昇格を果たして頑張っているという点も考え合わせると、本人の頑張りもあったに違いないが、会社側や同僚の配慮や周囲の情況にも恵まれたということが言えるのではないか。
しかし、本人には悩みも残っている。周りの方が視覚障害を意識しないのはいい点もあるが、また困った点もある。たとえば、メモはサインペンで書いて欲しいと伝えてあっても、いまだに赤のボールペンや最悪の場合はラインマーカでメモを書いてよこす人がいるそうである。晴眼者でも、薄い色のラインマーカで書かれた文字は読みにくい。視覚障害のことを根気強く周知することもまた、本人の課題のようである。