事例8

【事例8】一日も休職せず会社で仕事を見つけていった O.T.さん
中途視覚障害の後、今も自らの職域拡大に意欲的に取り組む事務職
小売業 O.T.さん

【概要】 1997 年、網膜色素変性症により障害者手帳(2 級)を取得し、ショッピングセンターの売り場営業職から事務職へと職種を転換した。障害の進行(現在は光覚で 1 級)のため退職を考えた時期もあったが、中途視覚障害者の復職を考える会の2004 年 11 月の地方交流会での情報、弁護士の支援などから職場に留まる決意をした。会社の休みを利用して白杖歩行訓練・点字・パソコンの訓練に取り組む一方、雇用継続について会社との話し合いを続けた。その間、休職せず職場へ出勤を続けた。その後、パソコン(Excel)での帳票管理のスキルを身に付け、また、会社側の姿勢も雇用継続へと変化していった。現在の業務はパソコンを使った OA 事務、電話応対、店内放送などである。用紙の識別に点字サインを利用するなどちょっとした工夫にも熱心だ。最近では、事業所内のレベルアップトレーナーとして従業員教育を任されるなど、O.T.さんの職域は広がっている。

1.視覚障害者本人に対する質問

1.1 基本情報

①O.T.さん 女性 41 歳(1967 年 1 月 1 日生まれ)

②視力と視野:光覚
障害程度: 身体障害者手帳 1 種 1 級(1997 年に手帳を取得した際は、2 級であった)
眼疾: 網膜色素変性症
白杖の使用:使用
点字の使用:使用

③視覚障害に伴う休職の有無:なし

④視覚障害に伴う離・転職または職種転換の経験の有無
職種転換あり。1997 年 5 月、身体障害者手帳取得と同時期に出向解除となった。出向解除後、販売職から事務職に配置転換してもらった。

⑤視覚障害または就労について相談したことのある支援機関
愛知県立名古屋盲学校
岐阜県立岐阜盲学校
社会福祉法人名古屋ライトハウス名古屋盲人情報文化センター(名古屋ライトハウス)
名古屋市総合リハビリテーションセンター(名古屋市総合リハビリテーション事業団)
愛知障害者職業センター
愛知県障害者雇用促進協会(現社団法人愛知雇用開発協会)
社会福祉法人日本ライトハウス視覚障害リハビリテーションセンター
本郷眼科
社会福祉法人聖霊会聖霊病院(以下、聖霊病院)
愛知視覚障害者協議会
中途視覚障害者の復職を考える会(現 NPO 法人タートル)
日本網膜色素変性症協会
弁護士

⑥社会復帰のための訓練または職業訓練の受講経験の有無
歩行訓練
聖霊病院による訪問指導
点字、パソコン 名古屋ライトハウス(期間:2005 年~2007 年)
点字教室に通い、点字を学び、また、パソコンの訓練も受講した。
愛知障害者職業センター
職業カウンセラーに相談し支援を受けた。「雇用管理サポート」制度を使って、職業カウンセラーと、専門協力家として名古屋ライトハウスの PC 指導員と歩行訓練士が職場を訪問して、PC-Talker XP を導入する際の調査、助言をした。

⑦現在の所属、職種、現所属での在職期間:事務職 11 年間

⑧現在の雇用形態:正社員

⑨最終学歴:名古屋女子大学短期大学部英語科
資格:珠算 3 級、英語検定 3 級

⑩業務で利用している視覚障害者用機器・ソフトウェア
PC-Talker XP、スキャナ、よみとも、ラベルライタ「テプラ」PRO SR6700D、点字版、穴あけパンチ

1.2 現在の業務について

①業務の具体的内容
・電話による問い合わせ、クレーム応対(レジでの打ち誤り)
・パートタイマー、アルバイトの求人応募受付
・マイカー通勤の従業員のデータをもらって、免許証、車検、自賠責保険、任意保険の更新の案内を通知する。
・出勤簿作成(シフト勤務や休日を入力して、押印用の出勤簿用紙を作る。同僚が左角に点筆で印をつけてくれるので、見えなくても比較的きれいに押印できる。)
・名札の作成
・店内放送
・70 店舗ほどのテナントの変動経費の請求明細書の作成(パソコンでできるファイル管理の部分を担当している。発生した経費の処理、詳細の明記は見えていないとできないので、同僚が仕上げている。)
・ちょっとした連絡文の作成(変更事項、伝達事項などを自分から確認して該当先に配布している。)
・社内ホームページからの情報で、確認が必要なことを把握し、上司や同僚に確認、伝達するように心がけている。
・Excel を使った簡単な帳票作成(同僚の手が空いた時に、視覚的な仕上がり具合を確認してもらっている。)
-業務課内で使う管理簿(データ送信記録、備品管理表、貸出物の回収リスト等)
-保健師からの面談スケジュール
・上司から依頼される業務
-クレジットカード入会キャンペーンの実施期間の成績表
-従業員の平均年齢を部署・部門別、雇用別で作成
-定年者のリスト作成
・事務所内の掃除、ごみ捨て(自主的に毎日行っている。)
・ファックスや郵便物の仕分け(受信したファックスや郵便物をスキャナにかけて読み、点字を貼りつけた 100 個ほどポストに振り分ける。確認できないものは、同僚に読んでもらっている。)
・レベルアップトレーナーとしての業務
-月 1 回、ミーティングと朝礼当番がある。ミーティングの内容はパソコンで記録し、書類は「よみとも」で読み取り、テキストデータとして全て保存している。
-必要なプリントは、点訳してプリントの上に貼り付け、ファイルしている。
-朝礼当番では、全店朝礼の際、従業員に挨拶や接客を中心としたトレーニングを行っている。
-朝礼に必要な資料は、パソコンのデータを点訳して活用している。

②業務に関する指示・命令系統、他の人との業務上の連携
・社内ホームページは毎日、閲覧して情報を得るようにしている。PC-Talker を入れてもらったことにより、確認できるようになった。
・朝礼には必ず出席するようにして、店が配ったチラシなどの情報を得るようにしている。また、自分の得た情報は同僚にも伝えるようにしている。
・回覧は全部スキャナで読み取って、「よみとも」でテキストファイルとして保存している。
・複数の従業員に電話連絡が必要な時など、該当者を教えてもらい、パソコンでチェックリストを作成して、依頼した人にきちんと事後報告をするように心がけている。

③出張の有無:なし

④職場における人的支援の状況と必要性
自分でできる部分とできない部分を明確に伝えることが大切であると思う。目を貸して欲しい部分を明確に伝え、さらりと礼を述べる。こうしたことの積み重ねが同僚との信頼関係を強め、自分の社内での居場所を作り上げていくことにつながっていると思っている。

⑤利用している視覚障害者用機器・ソフトウェア
勤務のない日に、名古屋ライトハウスで、PC-Talker 上でのパソコン操作の研修を受講したおかげで、ホームページの閲覧などパソコンが活用できるようになった。研修は必須である。PDF 文書などもコピーして貼り付けて読んでいる。図やグラフなども読めるようになればよいと思う。
今後、もっとパソコン活用技術を上げて、勤怠管理などの仕事の幅が広がればよいと思う。

⑥研修の受講状況
今回、事業所内でレベルアップトレーナーに任命された。レベルアップトレーナーの社内講習が本社(稲沢市)で開催されるが、店長から「駅バス停などが慣れなくて危ないだろうから、あなたは参加しなくていい」と言われたので、参加しないことになった。駅の様子やバス停の目印など、頭の中で地図さえ描くことができれば行けると思ったが、組織上の指示命令だったので黙って従うべきだと思い、言い出せなかった。

⑦業務遂行上工夫していること、必要と感じる支援、課題
朝礼には必ず出席するようにして、店が配ったチラシなどの情報を得るようにしている。また、自分の得た情報は同僚にも伝えるようにしている。シフト勤務で入れ替わる同僚全員に、できるだけ伝言メモを貼り付けておき、正確に伝達するように努めている。
自分自身が努力して、可能性を見出すようにしている。見えないことを引け目に感じていた頃は、周りの声に過敏に反応していちいち傷つき、自信をなくして泣いていた。
しかし、さまざまな人との出会いに恵まれ、多くの情報を得ることができ、訓練も受けることができた。その結果、自分らしさを取り戻すことができ、少しずつできることが増えていった。そして気が付くと、視覚障害者として生き返った自分を大好きになっていた。今、振り返ると、それが障害の受容ができたということなのだと思える。そんな頃から、周りの風当たりも柔らかくなってきたように思う。仕上げた書類に眼を通してもらった際に、変換ミスや訂正個所を指摘してくれたり、遠慮なくアドバイスしてもらえる関係になったことを幸せに思う。相手に求めるよりも、自分が努力して変わっていけたらと考えている。
ただ、過去には自分自身が努力しているのだけれども周囲に理解されず、ぎすぎすしたこともあった。その時に、1 人の同僚が見かねて、「心が壊れてしまうよ」と言ってくれた。それまでは背伸びをしすぎていた面もあった。こんな自分の存在を大切に思ってくれている人がいることを知って、ふと力が抜けた。

⑧業務面で会社が配慮してくれる事柄
・PC-Talker を購入し、パソコンに導入してくれたこと。
・Excel で作成されている人員配置表をファイルでもらっている(従業員の名前を確認したり、従業員数を知るのに利用している。また、社内報、機関誌の配布にも利用している)。

⑨業務面で相談する相手:事業所(店)の上司、本社人事教育部の担当者

⑩視覚障害者として勤務するようになって以降に、業務内容の変更があったかどうか
なし

1.3 職場生活全般について

①通勤と職場での移動
当初はバスで通勤していた。しかし、そのバス路線が廃止になり、現在は家族が自家用車で 10 分の距離を送迎してくれている。自宅から事業所までは農道で、歩けるような環境ではない。
自分の経験からしても歩行訓練は、通勤に限らず、単独歩行で生活していく場合は必須であると思う。
安全性確保のための工夫としては、事業所内の環境が変わったら、同僚が教えてくれるようになった。

②上司・同僚・外部関係者とのコミュニケーションや電話対応、回覧文書での工夫、課題
上司や同僚には、できるところは自力でこなし、できない部分のみに眼を借りるように努めている。どうしても眼を借りる必要がある場合は、遠慮なくサポートしてもらっている。自分自身が常に向上するように心がけている。

③休憩時間の過ごし方、宴席、親睦会等への参加
勤務時間が 12 時 15 分~21 時 15 分までなので、昼からの出勤である。シフト勤務のため、1 人ずつ交代で休憩をとることが多い。同僚と一緒になる場合もあり、また休憩室で他部署の人と同席することもある。
勤務時間後の宴席などはないが、もしあれば出席する。

1.5 公的サービスに望むこと

いろいろな就労支援制度を知らない間は大変であった。何をどう始めたらよいのか、まるでわからなかった。
ただ、視覚障害になっても自立した生き方をしたいと思い、働き続けたいとの気持ち だけで頑張り、弁護士を始め、さまざまな人から支援してもらった。当初は会社側も雇用の継続を認めようとはしなかったが、交渉を重ねて、会社側の姿勢も継続を認める方向に転換した。ここまで到達するまでに、だいぶ時間がかかった。
いろいろな制度はあるが、現場と乖離している面があるのではないかと感じる。

視覚障害者が就労している事業所担当者に対する質問と回答

事業所名: 小売業
本人との関係: 事業所(店)の上司、本社人事教育部の担当者
役職名: 事業所(店)業務グループマネージャー
業務本部人事教育部チーフマネージャー
氏名: T. T.さん S.K.さん

2.1 本人が視覚障害になった当初の状況について

(1)本人の仕事面での状況
1997 年 5 月まで関係子会社に出向して、関係子会社のかばんとアクセサリの専門店でショップマスターをしていた。その時は視力が 0.08~0.1 ほどであり、視認できる範囲で文字処理も行っていた。ただ、ぶつかって什器を壊したり、金銭授受がスムーズにできなかったり、客とぶつかるなどの事故が起きていたので、出向解除後、なれた店がよいであろうと現在の事業所(店)に戻した。事務所内で電話交換などの仕事をしてもらった。

(2)本人が仕事以外の状況で、何か困難な状況に陥っていると感じたか
上記のように、通勤や所内での移動に不自由な状態であると感じた。その後も視野が狭まったせいか、1 階のごみ捨ての際に搬入口のトラックヤードから落ちたことがあったので、社内の階段も危険と判断して、通常は認めない業務用のエレベータの使用を認めている。

(3)本人から相談を受けたことはあるか
当時、身体障害者への社員の理解は不十分であり、店長も働き続けることに否定的であった。そこで、会社側からの不利な扱いに対して、本人は 2005 年 1 月に弁護士団体に相談を持ちかけた。当時、すでに会社は障害者雇用率を満たしていたが、弁護士が会社側と相談し、本人の働きたいという意志を尊重し、働ける環境の整備を行なうことになった。新たに異動で赴任した店長のもと、会社側も前向きな対応に変わっ た。

(4)眼科医や就労支援機関と、本人の状況について相談する必要性を感じたか
本人が視覚障害の状況を正直に話してくれるようになった。
就労支援機関への相談や支援なども、本人が自分で勤務のない日に歩行訓練を受けたり、名古屋ライトハウスでの点字やパソコン訓練を受けるなどしていた。

(5)本人が働き続けられるように特に配慮したことはあるか
本人が働き続けられるように、現在の事業所(店)での内勤業務に変更した。また、他店への配置転換のない身分とした。
本人が使用するために PC-Talker を購入した。
周囲の人も手助けをしてくれるようになった。

2.2 現在までの経緯について

(1)現在、本人が担当している業務は、視覚障害になる前と違っているか
前述の通り、販売の仕事から事務所内の内勤業務に変わった。

(2)本人が働き続けるために必要な機器やソフトウェアを購入したか。
2007 年 6 月に、会社のシステムが Windows 2000 になったので、PC-Talker が社内のシステムに影響を与えないか担当部署がチェックした上で PC-Talker を購入した。助成金は申請せずに、会社の経費で購入した。

6 インタビュー後の感想

O.T.さんにお目にかかって、何よりもまず、ご本人の明るさに打たれた。雇用の継続について会社と交渉を重ねている頃、一度日本ライトハウスに相談に来られ、お目にかかったが、その時のイメージとは違い、雇用が継続されて明るく働いていらっしゃるお姿を拝見して、本当によかったと思った。ここまでくるには、たくさんの支援者の応援と本人の働き続けたいという強い願い、そして何よりも本人の意思を尊重して、弁護士さんが会社側にプッシュしてくれたのが、会社側の姿勢を変えることにつながったようだ。名古屋での視覚障害者の雇用の貴重な事例の一つではないかと思う。

継続雇用になってから、ご本人は周囲の支援を待つのではなく、まず、自分自身が努力して可能性を見出そうという前向きな姿勢を貫いておられるそうだ。そうした前向きな姿勢が周囲にも理解され、現在の状況につながっているように思えた。例えば、点字と普通字が両方打てるラベルライタ「テプラ」を使って、点字を併用したラベルを作成してファイルを共有できるようにしたり、朝礼やチラシの情報を同僚にも伝えるように心がけているなど、できるだけ自分でできることを見つけ、それがちょっとしたことでも実行していくことで職場内でのコミュニケーションをとろうとされている。そうしたことの積み重ねが、O.T.さんの仕事の確立につながっているのであろう。

バス路線が廃止され、現在は家族が車で送り迎えをされているというのは自立という点から考えると残念だが、ちょっと都会を離れると、これが現実なのであろう。改めて、地方で視覚障害者が就労する時のさまざまな困難さのひとつを思い知らされた思いである。

今後も長く、働き続けられることを希望する。

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