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終わりのあいさつ

徳竹●それではこれで本日のプログラムをすべて終了させていただきたいと思うのですが、最後に、研究所の守り神でもあります眞観寺のご住職・鐙本さんに、お言葉をいただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

鐙本●皆さん、どうもお疲れ様でございました。いつの間にか仏様が神様になってしまいまして。それはあれなんですけれども、非常に広範な議論が、今まで私たちの研究会の中でもされまして、夕べも夜遅くまでと言うか朝早くまでと言うか、口角泡を飛ばしながら、いろんなことが話し合われてまいりました。とても今日、短時間で、皆さん、濃い内容を話しちゃったので、ちょっともったいないなという思いもあります。その中で、非常に重要なポイントが幾つも幾つも出てきていたと思います。それが皆さんに十分伝わったかどうか、それが不安ではありますけれども、今日、話が出た内容を、もう一度皆さんの中で、もう一度考えていただきたい。自立支援協議会は、一体誰のために、何のためにあるんだろう。そこから出発していかないと、多分、見えてこなくなるんだろうと思うんです。もちろん、一人の障害をおもちの方が一人の市民として普通に暮らす、そういうことを支えるのに、これは私のおります広島の三原市の障害者プランのテーマでありますけれども、あえてこれを言わなきゃいけないという現状がやはりあるんだろうというふうに思います。普通の暮らしをしたいんだということを、あえて言わなければいけない。一人の市民として本当に認められているんだろうか。今、障害者の自立支援協議会の参加がないという報告もありました。これももう一度考えていかなきゃいけないんだろうと思います。誰のために、何のためにあるんだろう。

そしてもう一つ考えていかなきゃいけないのは、そこにはたくさんの方々が集まっていらっしゃいます。関係する方々が集まってこられてきているわけです。サービスの提供事業所の方、相談支援の方、そして中には、障害者の当事者の団体の方々もいらっしゃいます。そして重要なことは、そんなたくさんの方が、なぜ集まるのか。何で集まらなきゃいけないんだろう。それは、たくさんの方が、いろんな形で、お互いに知恵を出し、そして汗を流して、私たちの町をどう作っていくのかというのを、お互いに切磋琢磨しながら磨き上げて作っていこうじゃないかということではないかと思います。

それこそアメリカは「チェンジ」という言葉が流行いたしました。大事なことは、共に学び、共に育ち、共に変わるということではないでしょうか。自立支援協議会に集まった人たちが、いろんな方々が、お互いがそこで共に学び合う。共に育ち合う。そして共に変わろうじゃないか。というような、そういう自立支援協議会を目指さなければ、誰のために何のためにということがわからなくなるかもしれません。具体的に皆さんの生活が変わるために専門部会というのはあるのかもしれません。そこのところをもう一度、皆さんがそれぞれのお住まいの地域に帰られて、もう一度みんなで考えてみられたらいかがかというように思います。そういうような一つのきっかけを、この研究会の研究の中から皆さんにお示しすることができれば、何よりの私たちの願いが叶うことになろうかと思います。どうぞ皆さん、これからそれぞれの地域でご活躍を、そして健やかな生活をされますことをお祈りして、最後の挨拶にさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

徳竹●ありがとうございました。眞観寺ご住職、ありがたいご説法ありがとうございます。これにてすべてのプログラムを終了させていただきます。皆さま、本当にありがとうございました。壇上におられる4名の方、そして第1部でお話しいただきました天田課長補佐、谷口先生、本当にありがとうございました。またこの場所に集まりいただきました皆さま、本当にありがとうございます。皆さま、そして壇上の方、皆さんのために拍手で終わりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。これで研究成果発表会を終了いたします。

以上