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女性障害者の生活の困難と複合差別をなくす取り組み

政府で検討されていた障害者差別禁止法の中に女性障害者についての記述を明確に盛り込んでもらおうと、一昨年、広く調査に動いたDPI女性障害者ネットワーク。その結果から、「障害者であること」「女性であること」の複合差別の厳しい実態が浮き彫りになった。「まずは世間に広く現状を知ってもらうことから、改善が始まる」と代表の南雲君江さんは語る。

お話を伺った人
DPI女性障害者ネットワーク
南雲君江さん(なぐも・きみえ)
佐々木貞子さん(ささき・さだこ)
文・編集部

女性障害者の約36%が性的被害者

 DPI女性障害者ネットワークの活動は1986(昭和61)年、優生保護法の撤廃をひとつの目標に始まった。
 そのころの女性障害者には、月経時の介助が大変だということや、出産や子育ては無理だろうという周囲の無理解のもと、月経を止め、妊娠できなくする手術を受けさせられた人が多くいた。そのような非人道的なことがまかり通った背景に、優生保護法の存在があった。「第1条 目的」に「不良な子孫の出生を防止する」という一文が明記されていて、第4条と第12条に本人の同意なしに医師の申請によって優生手術を強制することができる規定があった。優生上の理由で行う不妊手術で、法が認めたのは卵管を縛る術式だが、それ以外の違法な手術も黙認された。多くは子宮の摘出だが、放射線を照射された人もいる。本人の承諾を得ずに、行われることもあった。
 同ネットワークは、「不良な子孫の出生防止」も、そのために障害女性の生殖を奪うこともやめさせたいと、国内の他団体と連動して声を上げ、また、1994年の国際人口開発会議(カイロ会議)で優生保護法を告発した。これが国際的に報道され、日本政府に外圧となり、その成果もあって、1996年、優生保護法は母体保護法に改正された。「不良な子孫の出生を防止する」という一文をはじめ、優生条文はすべて削除されている。
 ちなみにその後、1998年の国連の人権委員会は、日本政府が提出した第4回政府報告書に対する最終見解として「委員会は、障害を持つ女性の強制不妊の廃止を認識する一方、法律が強制不妊の対象となった人たちの補償を受ける権利を規定していないことを遺憾に思い、必要な法的措置がとられることを勧告する」という勧告文を出している。しかし、いまだにこの勧告にある「補償を受ける権利」の規定はできていない。また、「女性障害者に対する妊娠できなくする手術、中絶の強要が今も行われている恐れは否定できない」と同ネットワークは発言している。
 さまざまな課題は残すものの優生保護法の改正という目的を達成し、一度は活動を休止させた同ネットワークだったが、2007年、活動を再開。それは世界の女性障害者の人権回復に向けての動きに呼応するものだった。
 昨年からは、今年度の通常国会で法案が提出される予定の障害者差別禁止法の中に、女性障害者に対する項目を明記するよう求めてきた。なぜ、「障害者」だけの表記ではダメで「女性」という文字が入ることが重要なのか。それには代表の南雲さんが答える。
「障害者であり、女性であるということで、複合的な差別を受けることが多くあります。それは足し算ではなく、掛け算的な不利益に結びついているという深刻な状況があるのです」
 同ネットワークは、2011年、そういった現状を明らかにするために、障害女性についての複合差別調査(生きにくさについての調査)を実施した。アンケートは5月から9月の132日間、全国の障害のある女性に広く呼びかけられ、20~70代以上の87人が回答(図1)。その結果出てきた特徴的な問題が、女性障害者の約36%(87人のうち31人)が性的被害を受けているというものだった(図2)。

図1図1テキスト

図2図2テキスト


その内容も、介護、福祉施設、医療の場で起きた被害が10件、職場で上司などから受けた被害が4件、学校で教師や職員から受けた被害が2件、そして家庭内で親族から受けた被害も3件ある。「マッサージ師として働く職場で休憩中、上司と2人きりになると後ろから抱きつかれて胸を触られた。白衣をめくられて下着に触られたこともある(40代、視覚障害)」「社員旅行の帰りに上司に飲みに付き合えと言われ、酔って眠ったのを良いことにホテルに連れ込まれて性的暴行を受けた。その後も関係を強要され続けた(30代、肢体不自由)」「義兄からセクハラを受けたが誰にも言えない。自立できず家を出られないし、家族を壊せないから(50代、視覚障害)」と、深刻なものが多い。
「生きてきた中で、障害があることや女性であることで、いくつもの困難、ハードルがありました。それは個人的なことと思っていましたが、調査をして、大なり小なり障害女性たちは、さまざまな困難と向き合っていることを知って、胸がいっぱいになりました」と、南雲さんは訴える。被害現場は障害者のごく日常の場で、ここから逃げることは難しい。また、介護や治療を受ける場で、今後も継続してつながりを持たないと生きていけないため、被害者が抗議しづらくなっている。
「目が見えない、声が出せない、耳が聞こえない、手足が動かせないなどの障害のために、抵抗もできなかったり、助けを呼べないのです。加害者はそれを分かって、付け込んでくる形です」
と、同ネットワークの佐々木貞子さん。
「アンケートの中には私と同じ視覚障害がある人で、タクシーの運転手にホテルに連れ込まれそうになり、機転を利かせて難を逃れた、という人もいました」
いざ何かがあっても犯人の顔が分からないので訴えが難しいと、困難を指摘する。

「障害のある女性の生活の困難―人生の中で出会う複合的な生きにくさとは― 
複合差別実態調査報告書」より抜粋
  • 胃の検査で姿勢の説明を受けるとき、男性の医師が身体にさわりながら指導したので抵抗を感じた。分かりやすくと考えたのだろうが、手振りか紙に書いてほしい。(30代 聴覚障害)
  • 勤め先の病院で管理者から、「身体が不自由で子育てが大変だろう」と退職を勧められた。労働組合を通して就労を続け、増員も実現させた。(50代 肢体不自由)
  • 10代だった1963年ごろ優生手術(不妊手術)を受けさせられ、生理時の激痛やだるさなど不調が出た。20歳のころ結婚したが離婚。再婚の夫も家を出た。原因は私が子どもを産めないから。(60代 精神障害)
  • 生理が始まった中学生のころ、母親から「生理はなくてもいいんじゃないの」と言われた。子宮を取るという意味だった。子どもを埋めない結婚できないと思い同意しなかったが、言われただけで嫌だった。(40代 肢体不自由)
  • 子宮筋腫がわかったとき、ドクターは子宮を取れば治ると言った。私が「赤ちゃんが産みたい」というと「えっ!!」と驚かれ、それを聞いて私は大泣きした。女である自分を否定された気がした。両親にも同じ反応をされたらと怖くて、言えなかった。(40代 肢体不自由)
  • サービスの申請の窓口ではまず、助けてくれる家族はいないのかと聞かれる。福祉の職員は若い男性が多く、女性としての悩み―とくに、生理にかかわる症状は話せない。職員がしばしば入れ替わり、そのたびに病気の説明をしなければならない。(40代 難病)
  • 生理痛で婦人科を受診したとき、診察台に座らされ「こんな状態でどうやって行為(セックス)をするの? できるの?」と言われ、怒りを感じた。(30代 肢体不自由)
  • 仕事や自分の療養で手一杯で、数日間家事ができないまま仕事に行こうとして夫と喧嘩になり、インスリンを打った後に朝食を床にぶちまけられた。低血糖で死ぬ危険があった。(40代 難病)
  • かつて国立病院に入院中、女性の風呂とトイレの介助、生理パッドの取替えを男性が行っていた。女性患者は皆いやがって同性介助を求めたが、体力的に女性では無理だといわれた。トイレの時間も決まっていて、それ以外は行かれない。トイレを仕切るカーテンも開けたままで、廊下から見えた。今も同様だと聞く。(50代 難病 肢体不自由)

女性障害者の不利を可視化する法律を

 こういった日常から抜け出して独立したいと思っても、障害のある女性の就職は難しく、一般男性が9割、一般女性が6割強仕事を持っていても、女性障害者は3割弱(図3)。年収は50万円未満の人が約半分。99万円未満だと7割になる(図4)。年金や手当を含めても平均92万円で、障害男性の181万円も低いが、その半分という、極端な低収入だ。(図5)。「家族にDVの被害を受けても、逃げ出しようもない」と、南雲さんは言う。

図3図3テキスト

図4図4テキスト

図5図5テキスト

「警察や行政の窓口に訴えに行ったとしても、知的障害者の言うことだからと取り合わない例も多くあります。また、窓口に手話の分かる人がいない、あるいは建物がバリアフリーでないなど、設備面での障害も多くあります」
DVの保護施設でも障害者の介助ができず、加害者から身を守るセキュリティーのない福祉施設に入所させてしまうこともあるという。
また、このような深刻な問題ばかりではなく、軽微と思われるものの中にも根の深い差別や偏見があると佐々木さんは指摘する。
「初めての出産時、座薬を入れられた後トイレに引きずられて行き、『鍵は閉めないでね!』と言われ、取り残されたことがありました。さらに周囲の人たちに何げなく言われた『障害で子育てできるの?』という言葉に傷つく方は大勢います」
障害者は生まれたときから差別され続けてきているので、それが普通だと思ってしまう人も少なくないという。「過保護や過干渉、あるいは放任など、家族から受けるストレスもあります。自分が劣った存在だと思い込まされている。障害の有無にかかわらず、女性は男性より下位に置かれることや、女性の役割とされていることを遂行したり、自分の感情を押し殺すことに慣れてしまっているのです」
そこで同ネットワークでは、障害の有無をこえて女性同士で語り合う「しゃべり場」の活動もしている。また、障害者同士で支え合う「ピアカウンセリング」に取り組む人も多い。
長い歴史の中で、世話や介護をする側が無意識で、あるいは意識を持って加害すること、そして、受ける側が被害にあまんじることが、普通のことのように日常に、社会に溶け込んでしまっている。それをおかしいと思えなくなっている。
「なので、ピアカウンセリングなどで、障害者をエンパワメントするのと同時に、法で、何をもって差別とするか、どのようなことを合理的配慮とするか、分かりやすくすることが大切」
そこが決められれば、最悪、裁判で戦うこともできる。だからこそ、同ネットワークでは、障害者の差別を禁止する法の制定に注目してきた。
「障害者差別を禁止する法律に女性障害者についての独立した条文を設けることで、男性障害者の影に隠れて見落とされがちな、女性障害者の不利とニーズを可視化させ、不均等な待遇を改善できると考えるからです。また、女性障害者が受けている複合差別の課題を、社会に対して明らかにする大きな意義を持つはずです」
ちなみに、お隣の韓国では2007年に「障害者差別禁止及び権利救済等に関する法律」がまとまり、その第3章は「障害女性及び障害児童等」となっており、画期的だ(図6)。

図6図6テキスト


「韓国の女性障害者の活動はパワフルで、すごく元気をもらいます」
と、南雲さん。
4月26日、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律案」が、国会に提出された。何が差別かを規定しその解消を図る初めての法律だが、障害女性についての独立した条文はなかった。同ネットワークでは、施行後の見直しの中で、実現を目指すつもりだ。
「韓国の障害者を取り囲む状況も日本と同じように厳しい。その中でがんばっているみんなを見て、私たちもやっていかねばと思います」

特別に守ってほしいのではなく、ごく普通に同じように社会で生きたい

 日本でも、1999年に男女共同参画社会基本法が制定され、2010年の第3次基本計画で、女性障害者を含む、複合的な困難を抱える人たちの課題を解決する必要性を示した。また、2004年のDV防止法の改訂時に障害者への配慮も含めた方針を打ち出している。
 それが、実際に都道府県の計画でどう反映されているか、同ネットワークは2011年に全国的に調査している。その結果は、「現状では、複合的な困難を抱える女性障害者についての課題に言及し、それを解決するための計画を持っているところはなかった」という。
「まず、障害がある被害者の実態を示すようなデータがほぼ示されていなかった。全国の都道府県の中で、障害がある人からの相談や一時保護の状況を記載していたのは、神奈川県、山梨県、静岡県、沖縄県のみ(図7)。その4県の件数も非常に限定されたもので、障害者に情報が届いておらず、DV被害者で窓口までたどりつけていない人も多いのではないでしょうか」

図7図7テキスト
相談の窓口を電話だけとせずに、電子メールやFAXでの相談に応じると記述しているのは秋田、埼玉、鹿児島の3県だけ。面接相談の手話通訳についての記述は19県、筆記通訳(文字通訳)は秋田と鹿児島の2県だった。
「法ができても、それが使える法になっていなければ意味がない。ちゃんと実行されているかを見ていくことも私たちがしなければならないこと」
同ネットワークでは、お飾りの法律ではなく、本当に障害者の望む社会になるための生きた法律の制定を願っている。
「障害のない人の目線で考えたものではなく、私たちの目線で考えてほしい。そうでないと、結局、一般社会の基準に障害者が合わせる形になり、切り捨てられたり、あるいは特別な枠に押し込められたりします。守ってほしいわけではないのです。ごく普通の、障害のない人たちが得ている権利を、私たちにも保障してほしい。ごく普通に社会で同じように生きていきたい。そのための支援が必要なのです。そのためにも、まず実態を調査してほしいし、私たち障害者にどんどん聞いていただきたい。私たちも、声をあげていきます」
最後に地域の保健師に望むことを聞いてみた。南雲さんは、
「個人的なことですが、私は子どもを産みたいと思っていたんです。けれど、障害者の出産や子育てについての情報が当時はなかなか得られなかったんですね。とにかく障害者向けのあらゆる情報が足りない。それを整えてほしいと思います」
佐々木さんも情報の少なさを訴えるとともに、
「障害のある人は必要な介助が受けられず、外出できない人もいます。保健師さんからのアプローチをお願いしたいと思います」
と語っていた。

写真1
2007年7月、新宿で行われた公開セミナー「障害女性の現状と未来を語る 韓国の女性たちに出会おう! 日本の女性の声を伝えよう!」

写真2
2011年3月、「障害者基本法の改正に障害女性への施策明記を求める緊急ミニシンポ」

DPI女性障害者ネットワーク
http://dpiwomennet.choumusubi.com


「女性障害者の生活の困難と複合差別をなくす取り組み」『月刊地域保健』Vol.44, No.6, 2013.6, p.50-58. より転載