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30年のあゆみ

日本障害者リハビリテーション協会30年、戸山サンライズ10年

NO.4


3 国際障害者年までの活動(1964年~1980年)

(1) 財団法人として発足

 1965(昭和40)年に東京で開催を予定されていた第3回汎太平洋リハビリテーション会議を控えて、国際肢体不自由者福祉協会日本国委員会の体制を固めるため、任意団体を改め財団法人日本肢体不自由者リハビリテーション協会を設立するための設立準備小委員会が、1964(昭和39)年2月13日開かれた。さらに関係者間の含意を得て、4月28日、設立発起人会が開催されて、財団法人として発足した(同年9月29日設立許可)。基本財産は100万円であった。設立趣意書及び設立当初役員は下記のとおりである。

財団法人日本肢体不自由者リハビリテーション協会設立趣意書

 国際肢体不自由者リハビリテーション協会(旧名国際肢体不自由者福祉協会)は米国ニューヨーク市にあって、広く全世界のリハビリテーション事業の振興をはかるため、世界各国の加盟団体によって組織されている。
 わが国においては肢体の不自由な児童のリハビリテーション事業を行なう社会福祉法人日本肢体不自由児協会が昭和24年に加盟し、その後昭和33年同会の単独加盟を改め、わが国における関係団体をもって任意団体として国際肢体不自由者福祉協会日本国委員会を結成し国際協力を推進してきた。
 昭和40年4月、わが国において第3回汎太平洋リハビリテーション会議を開催するにあたり、これを契機として国際肢体不自由者福祉協会日本国委員会の組織を改め、その後身として財団法人日本肢体不自由者リハビリテーション協会を設立し、もって国際的連携を強化するとともに、わが国における斯業の振興をはかることを念願する。
  昭和39年4月

財団法人日本肢体不自由者リハビリテーション協会

財団法人日本肢体不自由者リハビリテーション協会設立当初役員

会長   生悦住求馬(社会福祉法人日本肢体不自由児協会長)
副会長  太宰 博邦(社会福祉法人日本肢体不自由児協会理事長・財団法人厚生団理事長)
     葛西 嘉資(財団法人国際障害者スポーツ大会運営委員会長)
     長尾 頼隆(財団法人鉄道弘済会理事)
常務理事 池辺 道隆(労働福祉事業団理事)
     小池 文英(全国肢体不自由児施設運営協議会長)
     田波 幸男(社会福祉法人日本肢体不自由児協会常務理事)
     稗田 正虎(全国身体障害者施設長会長)
理事   田辺 繁雄(財団法人日本赤十字社副社長)
     浜野規矩男(財団法人藤楓協会理事長)
     衣奈多喜男(社会福祉法人朝日新聞厚生文化事業団常務理事)
     犬丸  実(社会福祉法人恩賜財団済生会理事長)
     大野理三郎(財団法人毎日新聞社会事業団常務理事)
     小此木通孝(財団法人NHK厚生文化事業団常務理事)
     小野  勲(全国肢体不自由養護学校長会長)
     龍 知恵子(社会福祉法人鶴風会理事長)
監事   小田島健二郎(社会福祉法人友愛十字会常務理事)


(2) 国際会議・セミナーの開催

第3回汎太平洋リハビリテーション会議の開催

 1965年(昭和40)年4月13日から17日まで、東京のヒルトンホテル(現、キャピトル東急ホテル)を主会場として、「第3回汎太平洋リハビリテーション会議」が開かれた。わが国で開かれた初めてのリハビリテーションに関する国際会議であった。
 同会議は、国際肢体不自由者リハビリテーション協会と財団法人日本肢体不自由者リハビリテーション協会が共催し、外務省、文部省、厚生省、労働省、東京都、全国社会福祉協議会が後援した。同会議は「リハビリテーションの具体的実施」という主題のもとに、汎太平洋地域各国のリハビリテーション関係者が一堂に会し、リハビリテーションに関する諸問題について国際的な討議を行い、各種の情報及び経験の交換を行うことを目的とするものであったが、参加者は汎太平洋地域諸国からだけでなく、遠く欧州諸国からもあって、世界会議とでもいうべき規模となった(参加国23、参加人員986名(うち海外参加者288名))。
 会議は、開会式、4回の総会、11の部会(関節炎、脳性マヒ、老人更生、らい更生、義肢、社会更生、特殊教育、言語聴覚障害、脊髄損傷、職業更生、ボランティア・サービス)、6コースに及ぶ施設見学、閉会式から構成された。
 開会式には皇太子殿下並びに同妃殿下がご臨席になり、皇太子殿下は、あいさつの中で「私は、この会議に参加されたすべての方々が、それぞれ自国における経験と尊いヒューマニズムの精神に基づいて活発に討議し、ひいては、相互の理解を深め、輝かしい成果をあげられるとともに、全世界の人々の福祉の増進に寄与されることを切望する」と述べられた。会期中には、6か国から出品された24本にのぼる映画を上映した映写会や、常陸宮妃殿下がテープカットされた第14回身体障害者福祉展が行われた。さらに、会議前に、社会更生セミナーが、会議後に義肢セミナーもそれぞれ開かれた。


写真  第3回汎太平洋リハビリテーション会議開会式
第3回汎太平洋リハビリテーション会議開会式、
皇太子殿下並びに同妃殿下をお迎えしてあいさつする
国際協会ドナルド・ウィルソン事務総長

 レセプションは、厚生大臣招待によるものが、4月13日、新宿御苑で、東京都知事によるものが、4月14日、パレスホテルでそれぞれ行われた。新宿御苑におけるガーデンパーティでは、肢体不自由者によって演じられた剣道試合が参会者の関心の的になった。パレスホテルでは、楽団演奏や日本舞踊などが披露され、海外参加者には記念品が贈られた。このほか、会議最終日の4月17日に行われた晩餐会には、常陸宮殿下並びに同妃殿下がご臨席になり、参会者が500名を越える盛大なものとなった。
 今日のように、国際会議代行サービスが確立されている時代ではなかったから、会議の運営はすべてが初めての経験であった。日本肢体不自由者リハビリテーション協会の中に六つの委員会(運営、財政、プログラム、フィルム展示、広報、資料の各委員会)がおかれ、その業務を円滑に進めていくために、日本肢体不自由児協会職員を主体とする約30名のスタッフに厚生省社会局更生課が全面的に協力した。また、会議の公式用語は日英両語であったが、会議の性格上、当然主体は英語であり、このため、通訳・翻訳者は連日60名前後が動員されたが、特に日本赤十字社語学奉仕団の活躍は記録されるべきであろう。

 会議前後を通じて作成した各種印刷物、資料は日英合わせて実に60点にのぼったほか、日英両語による、その日の会議の概要を速報する日報を発行配布している。事務機器が今日ほど発達整備されていない時だけに、その努力たるや大変なものであった。会議の議事録は会議終了後の5か月目の9月下旬、約50万語を収容したA4判、512ぺ一ジに及ぶ大著として英語版が、翌年3月には日本語版が、それぞれ刊行された。


写真  高木憲次前会長を偲ぶ会
汎太平洋リハビリテーション会議の会期中・逝去された高木憲次前会長を偲ぶ会が催された

汎太平洋リハビリテーション会議の開催

 1971(昭和46)年11月9日から13日までの5日間、東京の日本都市センターにおいて、「汎太平洋リハビリテーション会議-障害者の職業更生について」が、日本障害者リハビリテーション協会及び国際障害者リハビリテーション協会職業委員会共催、厚生省、労働省、文部省、東京都の後援により開催された。本会議は、汎太平洋地域に属する各国の職業リハビリテーション関係者が一堂に会し、職業リハビリテーションに関する諸問題について各種の情報及び経験の交換を行って、各国の職業リハビリテーション活動の発展を図るとともに、国際的な討議によって国際理解と親善を深めることを目的とした。
 1965(昭和40)年に東京で開催された第3回汎太平洋リハビリテーション会議から6年が経過しており、今回の会議は職業リハビリテーションに限定した会議で、実質的には、汎太平洋職業リハビリテーションセミナーであり、国際的には“Pan-Pacific Seminar on  Vocational Rehabilitation”であったが、日本国内においては諸般の事情により、「汎太平洋リハビリテーション会議-障害者の職業更生について」の名称を用いた。
 本会議のテーマは「効果的な職業更生-70年代のリハビリテーションに対する汎太平洋地域の挑戦」であり、汎太平洋・アジア地域の12か国から33名、国内から51名が参加した。開会式には常陸宮殿下及び同妃殿下のご臨席を賜り、常陸宮殿下は「現代社会においては人間の尊厳が尊ばれるようになったが、これを障害者問題に対しても適応させるよう願っている」
とあいさつの中で述べられた。


写真  あいさつする ノーマン・アクトンR1事務総長
常陸宮殿下並びに同妃殿下をお迎えした開会式。あいさつするのはノーマン・アクトンRI事務総長

 11月9日には東京都知事(美濃部亮吉)招待による歓迎レセプションがホテルオークラにて、11月12日には厚生大臣(斉藤昇)招待による歓迎レセプションが椿山荘にて開催され、海外からの参加者にとっては、非常に厚いもてなしの会議として印象に残ったようである。
 海外からの主要参加者は、以下のような方々であった。
  ノーマン・アクトン(Norman Acton)、RI事務総長
  K.T.ジェンキンス(Rev.K.T.Jenkins)、オーストラリア障害者リハビリテーション協議会会長 
  F.T.ヒル(Fred T.Hill)、オーストラリア社会省
  J.B.モーガン(J.B.Morgan)、オーストラリア
  ハリー・ファン(Harry Fang)、香港心身障害者協議会理事長
  ブルース・レッグ(Bruce Legge)、カナダ・オンタリオ州労働災害者補償委員会委員長
  マーティン・マキャビット(Martin McCavitt)、米国リハビリテーション庁国際課長
  エドガー・マーランド(Edgar Marland)、ILO職業リハビリテーション専門官
  V.バルタザール(V.Baltazar)、フィリピン
  A.ローマン(A.Roman)、マレーシア
  W.マッケイヒル(W.McCahill)、米国

 会議は総会と分散会の形式をとり、総会においては、「職業リハビリテーションに関する新概念の必要性」「アジア・太平洋地域の職業リハビリテーションの挑戦」「職業評価」「職業訓練」「就職」「保護雇用」「力動的職業リハビリテーションに対するコミュニティ計画」等についての発表がなされ、本会議の最終日には、アジア・太平洋地域における職業リハビリテーションを発展させるための具体的方策を提言する、14項目から構成された「勧告」が採択された。

勧告

 汎太平洋リハビリテーション会議は次の14項目を勧告する。
  1.  国際労働機関および国際障害者リハビリテーション協会職業委員会に対し、下記の会議を早急に開催するよう要請する。
  a 開発途上国の保護雇用に関する専門家会議
  b アジア農村地域の職業リハビリテーションに関するセミナー
  1.  国際連合(UN)、国際労働機関(ILO)、世界保健機関(WHO)、国連教育科学文化機関(UNESCO)、国連食糧農業機関(FAO)、国際社会保障協会(ISSA)、国連児童基金(UNICEF)、世界障害者関係諸機関協議会(OWOIH)に対し、農村地域の障害者問題をとりあげ、とくに、職業面を重視して「アジアにおけるリハビリテーション事業の組織・運営」に関する会議を開催するよう要請する。この企画については、アジア極東経済委員会(エカフエ、ECAFE)の協力も要請したい。
  2.  エカフエの事務局に、障害者リハビリテーション関係のアドバイザーのポストを早急に設置するよう要請する。各国政府は、各国からの国連代表者がこの新しいポストを支持するよう、説得に努めてほしい。
  3.  国際労働機関に対し、アジア・汎太平洋地域の職業リハビリテーション・アドバイザーを早急に任命するよう要請する。各国政府は、各国からのILO代表者がこの新しいポストを支持するよう、説得に努めてほしい。
  4.  国連、国際労働機関およびその他関係機関に対し、比較的少人数の専門家が一堂に会し、そのたびに数か国を視察するような会議を定期的に開催するよう勧告する。そこでは、事業の発展状況を検討するとともにその後の対策を提示するのである。
  5.  国際障害者リハビリテーション協会は、関係者のすべてと協力するためにアジア・汎太平洋地域に事務局を設け、この地域における加盟団体の代表者と定期的に会議を開催しかつ協力体制を推進するよう要請する。これは、3か年を試験期間として実験的に開始することが提案された。
  6.  各種リハビリテーション職員の養成を行うとともに、リハビリテーションの人道的・経済的価値を示威することを目的とした、地域センターの設立を検討する。
  7.  国際障害者リハビリテーション協会職業委員会は、とくに共同市場・経済活動の開発を目的として、保護雇用関係の諸機関の間によりよい連絡調整と情報の交換がなされうるような方法を検討する。もし適切ならば、保護農場の運営も含める。
  8.  国際障害者リハビリテーション協会は、その加盟団体を通じて各国にシェルタード・ワークショップの団体を設立するよう奨励する。このような団体は各国内で定期的に会議を開催し、意見・情報の交換、諸活動の調整、協力体制の開発に努める。
  9.  国際障害者リハビリテーション協会職業委員会に対し、職業リハビリテーション関係のより包括的な用語集を作成・発行するよう要請する。この用語集にはすでに受容されている国際的定義を含めるとともに、現在使用されている用語も再検討する。
  10.  国際障害者リハビリテーション協会は、リハビリテーション事業(職員養成も含む)の開発に役立つ国際的技術資源をリスト・アップし、配布する。
  11.  汎太平洋地域に適した義肢・装具および補装具の開発や、職員の養成に関する研究・デモンストレーションを実施するとともに、その製造・普及方法を検討する。
  12.  職業リハビリテーション事業のよりよい企画と近代化を図るため、汎太平洋地域におけるリハビリテーションの経済面および労働諸問題に関する調査・研究を、各国が共同してまたは各国独自で、実施する。
  13.  国際障害者リハビリテーション協会は、職業委員会の事業対象範囲に社会的不遇者(Sociallydisadvantaged)の問題も含めるかどうかを検討し、その結果は、1972年、オーストラリアで開催される会議期間中に発表する。


 また、同会議開催期間中の11月10日、同会議に参加されていたノーマン・アクトン(Norman Acton)国際障害者リハビリテーション協会事務総長、国際障害者リハビリテーション協会理事であり香港心身障害者協議会理事長のハリー・ファン(Dr,Harry Fang)、オーストラリア障害者リハビリテーション協議会会長のジェンキンス(Rev.K.T.Jenkins)と共に、生悦住求馬日本障害者リハビリテーション協会会長、太宰博邦同副会長、小池文英同事務局長が佐藤栄作総理大臣を官邸に訪問し、「リハビリテーションの10年」宣言書を手渡し、日本ばかりでなく、全世界の、特に開発途上国におけるリハビリテーションの推進に対する日本政府の協力を要請した。


写真  「リハビリテーションの10年」宣言書を佐藤栄作総理大臣にわたしている様子
「リハビリテーションの10年」宣言書を佐藤栄作総理大臣に。
左より、生悦住求馬会長、小池文英事務局長、Dr.H.Fang.JenkinsRI会長、ActionRI事務総長、佐藤栄作総理大臣


(3) 国内研究会、セミナー等の開催

身体障害者福祉研究会の開催


 1953(昭和28)年に、国立身体障害者更生指導所において「身体障害者更生指導実務研究会」が発足した。本研究会は、更生指導の実務に携わる各専門家が互いにその研究と知識を分かち合い、相互の啓発とわが国の更生指導技術の向上に資することを目的として計画され、全国から100名を超える参加者があり、40近くの研究発表があった。

 この「身体障害者更生指導実務研究会」はその後、毎年開催されてきたが、その間に、名称、主催団体が変わり、1965(昭和40)年から1978(昭和53)年までの13年間は厚生省社会局更生課の主催により、「身体障害者福祉研究会」の名称で実施されてきた。

 1979(昭和54)年に所沢市内に国立身体障害者リハビリテーションセンターが開設されるに伴
い、日本障害者リハビリテーション協会主催、厚生省後援となった。


写真  身体障害者福祉研究会の会場風景
身体障害者福祉研究会の会場風景

 「身体障害者福祉研究会」は、毎年1回、東京近辺において開催され、全国の身体障害者更生施設、身体障害者更生相談所及び福祉事務所等において、福祉サービスやリハビリテーションサービスに従事している各種専門職者にとって、非常に有効な実務研修の場となっていたが、1987(昭和62)年に、日本障害者リハビリテーション協会が主催する「総合リハビリテーション研究大会」に吸収統合される形で、一応その幕を閉じた。
 その後、この「身体障害者福祉研究会」は、1990(平成2)年に「身体障害者リハビリテーション研究集会」の名称で再開され、毎年1回開催し、東京近辺と地方と隔年ごとに開催地を変えており、現在は、全国身体障害者更生施設長会、全国身体障害者更生相談所長協議会、日本障害者リハビリテーション協会の共催となっている。

日本障害者職業リハビリテーション研究会の発足

 日本障害者職業リハビリテーション研究会は「障害者の職業リハビリテーションにかかわる
事項について研究を行い、情報を交換し、実践することによって、わが国における障害者の職業リハビリテーションの進歩発展を図る」ことを目的として1971(昭和46)年5月に発足した。
 本研究会の発足の経緯をまとめると、1971(昭和46)年5月に丁度開催されていた第1回TOWER法伝達講習会の参加者に諮られ、当初19名の加入者によって発足したものである。その当時の趣旨は、その伝達講習会には身体障害者の職業評価に関心を持つ者が全国的範囲から集まっているので、講習会終了後も継統的に情報交換をする会を組織することが有意義であろう、ということであった。その当時の本研究会の名称として、「日本身体障害者職能評価士会」が考えられており、TOWER法伝達講習会はその後も継続する予定なので順次会員を増やしていこうと考えられていた。
 TOWER法伝達講習会は、日本肢体不自由児協会と広島県立若草園との共催で、伝達者は、その当時若草園所属の岩崎貞徳、講習会協力者(講師)として、当時大阪府身体障害者福祉センターの西川実弥と当時東京都心身障害者福祉センターの池田昆の2名が当たっていた。当初は岩崎が世話役として機能し、事務局は広島県立あけぼの寮(重度身体障害者更生援護施設)に置かれていた。1973(昭和48)年には会員数が51名となり、第1回の研究大会を広島市で開催した。
 その後、本研究会の発展と定着を図るために、TOWER法伝達講習会参加者以外へも幅広く会員を募り、日本障害者リハビリテーション協会研究会の「職業部会」として位置づけて、事務局を日本障害者リハビリテーション協会に置く案が出された。


写真  あいさつされる太宰博邦会長
第13回日本障害者職業リハビリテーション研究大会であいさつされる太宰博邦会長

 その結果、1974(昭和49)年から会の名称を「日本障害者職業リハビリテーション研究会」(それまでは、日本身体障害者職業的リハビリテーション研究会と称した)とし、会の運営を幹事会組織で行うこととした。会員の互選によりブロックごとの幹事を決め、事業計画等は年次研究大会開催時に行われる会員総会で決定され、ブロックは東北・北海道、関東、中部、近畿、中国・四国、九州の6区とした。
 研究大会は1973(昭和48)年の第1回から毎年1回開催されており、定期的情報誌として「職業リハ研通信」を年3回発行し、第1号「職業リハ研通信」は1974(昭和49)年11月に発行された。
 前述のとおり、日本障害者職業リハビリテーション研究会の事務局は日本障害者リハビリテーション協会に置かれていたが、日本障害者リハビリテーション協会が、「身体障害者福祉研究会」「リハビリテーション交流セミナー」と「日本障害者職業リハビリテーション研究大会」を一本化し、1987(昭和62)年に「総合リハビリテーション研究大会」としたために、日本障害者職業リハビリテーション研究大会は一時中止となった。
 1982(昭和57)年から再度独立した研究会として運営することになり、研究大会での発表を身体障害者関係以外の精神薄弱者関係、精神障害者関係にも広く参加を呼びかけ、また「研究紀要」を発行することになった。
 研究大会の開催、研究紀要の刊行が軌道に乗り、また、ブロック研究会の開催等、活動が充実してきたため、1988(昭和63)年の総会で「学会」への移行が提案され、検討を経て、1990(平成2)年4月から「日本職業リハビリテーション学会」に名称変更された。研究会が学会に変更されたことに伴い、「職業リハ研通信」は「職業リハ学会通信」と名称が変更された。

開催年月日 会場 大会長 主催団体
1973(昭和48).10.4 広島・広島県社会福祉会館 岩崎 貞徳 日本身体障害者職業的リハビリテーション研究会/日本肢体不自由児協会/広島県リハビリテーション協会
1974{昭和49).11.9 東京・日傷会館 池田 昆 日本身体障害者職業的リハビリテーション研究会/日本障害者リハビリテーション協会/日本肢体不自由児協会
1975(昭和50).9.28 和歌山・高野山大学 西川 実弥 日本障害者職業リハビリテーション研究会/日本障害者リハビリテーション協会/日本肢体不自由児協会/大阪府肢体不自由児協会
1976(昭和51).10.23 宮城・宮城県整肢拓桃園 福田 忠夫 日本障害者職業リハビリテーション研究会/日本障害者リハビリテーション協会/日本肢体不自由児協会/宮城県肢体不自由児協会
1977(昭和52).10.9 徳島・徳島県青少年センター 岩崎 貞徳 日本障害者職業リハビリテーション研究会/日本障害者リハビリテーション協会/日本肢体不自由児協会/徳島県肢体不自由協会
1978(昭和53).10.13~14 東京・豊島区民センター 原田 豊治 日本障害者職業リハビリテーション研究会/日本障害者リハビリテーション協会/日本肢体不自由児協会
1979(昭和54).10.12~13 大分・大陽の家 畑田 和男 日本障害者職業リハビリテーション研究会/日本障害者リハビリテーション協会/日本肢体不自由児協会
1980(昭和55).10.7~8 静岡・富士見ハイツ 三島 博信 日本障害者職業リハビリテーション研究会/日本障害者リハビリテーション協会/日本肢体不自由児協会
1981(昭和56).9.19~20 東京・全共連ビル 原田 豊治 日本障害者職業リハビリテーション研究会/日本障害者リハビリテーション協会/日本肢体不自由児協会
10 1982(昭和57).9.21~22 兵庫・舞子ビラ 守井 菩次 日本障害者職業リハビリテーション研究会/日本障害者リハビリテーション協会/日本肢体不自由児協会
11 1983(昭和58).9.29~30 宮城・仙台市民会館 高橋 孝文 日本障害者職業リハビリテーション研究会/日本障害者リハビリテーション協会/日本肢体不自由児協会
12 1984(昭和59).10.4~5 広島・広島市総合相談センター 安田 巖 日本障害者職業リハビリテーション研究会/日本障害者リハビリテーション協会/日本肢体不自由児協会
13 1985(昭和60).9.26~27 福岡・リコホテル博多 天児 民和 日本障害者職業リハビリテーション研究会/日本障害者リハビリテーション協会/日本肢体不自由児協会
14 1986(昭和61).10.12~13 愛知・名古屋サンプラザ 村地 俊二 日本障害者職業リハビリテーション研究会/日本障害者リハビリテーション協会/日本肢体不自由児協会

*4回までは障害者職業リハビリテーション研究会、5回から日本障害者職業リハビリテーション研究大会と称した。
 1987(昭和62)年から独立した研究大会として運営。


主題・副題:

30年のあゆみ
日本障害者リハビリテーション協会30年 戸山サンライズ10年

発行者:
財団法人日本障害者リハビリテーション協会
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
TEL 03-5273-0601 FAX 03-5273-1523

頁数:45頁~53頁

発行年月:平成6年11月30日