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第7回国連障害者の権利条約特別委員会

短報 2006年1月20日(金)

崔栄繁
DPI(障害者インターナショナル)日本会議

午前

会議の様子

○第19条の議論の続き

 前日から、第19条(地域社会における自立した生活及びインクルージョン)の議論が始まった。前日イスラエルは、自立した生活という言葉を第19条のタイトルと柱書から削除する案を提案した。自己の選択に基づいて地域社会で生活する権利が認められることが最も重要なことであるので、その権利性を柱書で確認すべきであるが、自立した生活という言葉を入れると、自立した生活をしている人には支援がいらないというような誤解を生むので、削除すべきであるというのがイスラエルの言い分である。

 国際障害コーカス(IDC)の提案もほぼイスラエルと同じで、自立した生活という言葉を削除しろというものであった。ただ、コーカスは、自立性に焦点を当てることは、地域生活の支援を求める人に否定的なインパクトを与えかねないという点を理由としていた。

 そのような前日の議論の流れからいって、自立した生活と言う言葉が消えるかもしれないという緊迫感の下に20日の議論が始まった。

 最初に発言したのは、日本であった。日本政府は、これまで、障害者の多くは家族や施設の中で依存した生活をおくってきており、そのため、その保護者との関係では、従属的な地位におかれ、障害者の人格の平等や独立を保持することが出来ない状況に置かれていた。地域生活も重要な要素であるが、核心は、従属した状況から自立することであり、そうでなければ人格の尊厳は保てない。自立した生活を容易にするためにサブパラb)、c)で地域支援サービスを行うということになっているので、イスラエルが言うような誤解は生じない旨を述べた。

 韓国やチリなど南米の多くは日本と同様な立場を表明したが、イスラエルを支持する国も多く、さらには態度を積極的には鮮明にしない国(EUも削除に賛成はしていないように思われる)もあった。

 家族の連帯を重視するアラブ諸国はイスラエルを支持するようであったが、しかし、生活形態の多様性を許容する文言があれば、削除まで求めるものではないような発言もあった。

 これまで、特定の運動を示唆することがないように自立生活ではなく自立した生活という文言に落ち着いた経緯がある中で、今回、削除論が正面から出てたのは、IDCが削除を肯定したのがきっかけであったと思われる。どのような経過でIDCが削除を決めたのかは、JDFとしては把握できていなかった。これはそれ自体としては問題であるが、DPI自体もIDCを支持した見解を発表するなど、JDFとしては、信じられない光景を見る想いであった。

 しかし、マッケイ議長は、これまでの経緯も考慮し、地域居住に関する選択の自由、自立した生活、国内法や文化的多様性の尊重などの点の重要性を再確認した上で、第19条はあまり大きな変更は必要ないであろうと議論を収束させた。

○第20条〔人のモビリティ(移動のしやすさ)〕の議論

 締約国は、障害のある人の最大限可能な自立を伴った移動の自由を確保するための効果的な措置をとる。この措置には次のことを含む。

(a) 障害のある人が選択する方法で及び時に、かつ、入手可能な費用で、障害のある人の移動の自由を容易にすること。
(b) 障害のある人が質の高い、モビリティのための補助具、機器、支援技術、ライブ支援及び仲介者を利用することを容易にすること(これらを入手可能な費用で利用可能なものにすることを含む。)。
(c) 障害のある人に対し及び障害のある人と共に働いている専門職員に対し、モビリティに関する技術の訓練を提供すること。
(d) モビリティのための補助具、機器及び支援技術を生産する民間主体が障害のある人のモビリティのあらゆる側面を考慮することを奨励すること。

 この議長草案に、様々な角度から意見が出た。

 まず、構造に関しては、第9条アクセシビリチィと第18条移動の自由とは内容が違うのでこのまま分離すべきであるという見解がほとんどであった。

 また、補助具に関する権利を明確にすべきであると言う意見もあったが、少数であった。

 さらに、「移動の自由」と言う言葉を「個人の移動」と言う言葉に代えるという点は、ほぼ合意に達したようであった。

 「最大限可能な自立を伴った」という点は当たり前のことであるから削除すべきであるとの意見が多く、反対する意見はなかった。

 high eqaulity のhigh は、何がhighであるか、不明であるので削除し、例示は短くして、支援機器や支援技術に包含させる等の意見が出た。反対はないようであった。

 無償も含めて費用の点を再検討すべきとする意見もあったが、この点は明確には決まらなかった。また、ライブ支援が何を意味するのか明確にすべきである。例えば、補助犬なども入るのか、別の名前で入れ込むかなどの議論があった。

午後

 午前の第20条の続きから午後の議論は始まり、第23条の家族条項にはいって、20日の午後は終わった。23条は議論の多いところである。また、この午後の22条については、内容の修正等の発言がなかった。珍事か偉業か。拍手が起こったのはいうまでもない。

○第20条(人のモビリティ)の議論

 柱書きのFreedom of movement をpersonal mobilityという提案があった。パラグラフAについて、日本などが提案した「最大限可能な自立」を削除するという提案については、バランスが必要であり、話し合いが必要であるということ、パラグラフBに関して移動の権利に関して焦点を当てるという意見があったが、それほど強い意見ではなかったということ、また、high- qualityという文言いついては、削除という意見もあったがqualityだけにするという意見がおおかった。パラグラフについては民間主体に限定するものではないので、privateという文言を削除してもよいのではないかという考えが示された。

 JDFは意見書で第9条のアクセシビリティ条項と統合した上で、9条に移動の権利に言及するような書き振りを求めたが、本条項の維持に賛成する国が多かった。上記議長のまとめを見ても、全般的に議長草案の文言より各国の負担を減らす方向性の議論が多かったように思われる。続いて第21条の表現の自由と情報保障の議論に移った。

○第21条(表現及び意見の自由と、情報へのアクセス)

 ここは、手話や文字表示など、コミュニケーションの手段が問題になるところである。柱書きについては多くの国が文章を削って、定義の条項に移すことに賛成した。また、いくつかの国が「自ら選択したof their choice」の削除を主張した(パラグラフbも関係する)。締約国の負担が大きいという理由であったが、は削除に反対した。

 また、柱書きやパラグラフbのコミュニケーションの手段について、手話などのリスト化を避けるべきであるという意見が日本やロシアから出された。リスト化するとリスト以外の手段が排除されかねないという制限列挙を問題とする考え方のためである。これに対して、カナダからは文字表記(display of text)を入れるべきだという意見が出された。ここで文言上「手話の承認と促進と点字と文字表示の促進」という案が示された。また、IDCからもリスト化反対による削除に反対するという意見が出た。明記されないと権利の行使ができないからであるという理由である。

 また手話の普及に関するパラグラフeについては、national sign language(自国の手話)という言葉について、一カ国にいくつもの言語がある場合の問題点がEUなどから出された。またsign languagesにするという意見に対し、単数形は複数形も含むと解釈していたが、検討してもよいという議長の意見が提示された。基本的に、四角括弧をとること(条文に追加すること)に反対は無かった。細かい文言としては、パラグラフa, bの「補助代替コミュニケーション」を「補助と代替」にする。コミュニケーションの定義の部分も同じように変えるとされた。

 こうした各国の議論に対し、IDCからは、アクセスは権利であり、もう少し強い書き振りにすること、パラグラフbに関連して、盲人のニードについて、点字は将来新しい提案。点字は将来新しい技術に変わられるかもしれないが、盲人に識字(リテラシー)があるという状況がなければならないと主張した。またパラグラフeについて支持への感謝が示された。

○第22条(プライバシーの尊重)

 第22条(プライバシーの尊重)については、議長草案に対して、ついに何も発言が無かった。そのまま支持を受けたということである。会場拍手。

○第23条(家族)の議論

 ここは、文化や伝統、宗教などの問題で、論点が多いところである。今日は四角括弧以外の議論からはじめる。さっそくアラブ圏の国から、パラグラフ2の、子どもの後見、管財、監督などの規定や、セクシュアリティと婚姻など、文化的な要素をとるという意見が取り上げられていない、という意見が出された。

 日本からは、パラグラフ3は子どもの権利条約に基づくものになるべきであり、パラグラフ1-aの「性的関係」の削除を求める、という意見が出た。

 以上で議論が終わった。23日の月曜は国連高等人権弁務官事務所よりモニタリングについてのプレゼンテーションから始めて、第23条にもどるというスケジュールになる。