ポストコロナ時代のレバノンの障害者

名古屋学院大学国際文化学部 教授 長田こずえ
前 国連ユネスコパキスタン所長
元 国連ILO本部職員
元 国連ニューヨーク本部 開発政策課シニア経済担当官

筆者は1988年から2002年まで14年間にわたり国連のアラブ地域事務所、ESCWAに勤務した。ESCWAでは14年間、中東の「障害者と開発」(注1) の問題を担当する貴重な機会を与えられた。コロナパンデミックの初期、つまり2020年の春に、研究調査のため訪問した、石油を産出しない中東の小国レバノンにフォーカスして、中東と障害者の課題について考察する機会を得た。今回はそれについて簡単に述べたい。この原稿は、2021年12月に出版された中東協力センターニュースに投稿した筆者の原稿をベースに2022年夏にアップデートしたものである。

(注1) 栄養失調や予防接種問題は障害の原因になる、また障害者は教育や訓練を受ける機会を奪われ結果的には、所帯や国の経済負担になる。世界の貧困者のかなりの割合が障害者や障害を抱える所帯である。世界銀行の調査でも明らかにされている。

レバノンは、昔は金融と観光などのサービス業の中東の中心地であり、教育レベルの高い、英語とフランス語を上手に駆使する優れたグローバル人材を誇る、小粒ながら経済的には比較的豊かな恵まれた国であった。レバノンの人口は約680万人(2020年)であるが、そのうち4人に1人はシリアやパレスチナからの難民である。多くのレバノン人は欧米に移民して暮らしており、フランス国内だけでもレバノン系統フランス人は5万人に上る。米国や豪州にも多くの移民を送り込んでいる、人材輸出国ともいえる。レバノンはかつてシリアの一地方であったが、第一次大戦後フランスの委任統治となり、マロン派のキリスト教徒を中心に多くのキリスト教徒が住む山岳地方をレバノンとして切り離し、これが現在のレバノンの土台となっている。キリスト教住民は4割と公式には言われているが、実態は、イスラム教シーア派3割、イスラム教スンニー派3割、キリスト教3~4割くらいの割合で3つが共存している。

内戦、イスラエルの侵略、シリアの影響と難民流入、政府のガバナンス麻痺の問題、経済崩壊とレバノンポンドの下落など、経済社会問題を抱えており、2020年春以降は、コロナ蔓延の直前に筆者がドバイを経由してベイルートを訪れたときには、以前は「中東のパリ」と呼ばれていたベイルートの面影は私の目にもかなり色あせていた。とはいっても、レバノンの民主主義的な市民社会の力強さはしぶとく生き延びている。食糧不足も深刻であり、今年の夏ウクライナからのトルコ経由の食料輸出が再開された直後、最初に運ばれた輸出先はアフリカ最貧国ではなく中東のレバノンであった。深刻さがわかりやすい。他方、民主主義が規制されている湾岸諸国などとは雰囲気が違い、自由で欧米的な小国である。障害者の当事者団体も活発で、車いすデモや政治活動は頻繁に行われ、無気力なレバノン政府とは反対に市民社会の強さを見せつけられた。

アラブ地域全体で共通する障害者と開発問題についてリストアップしてみたい。これらはレバノンだけではなく、中東全域において、ある程度共通の問題であろう。

  • 内戦、テロ、戦争と戦争障害者の課題‐特に、レバノン、シリア、パレスチナ、イラクなど。戦争障害者は身体障害だけではなく、トラウマや精神障害も含む。
  • 上記と並行した難民、貧困、障害のサイクル‐貧富の差を含む貧困課題。レバノンのような貧困国においては、障害課題は優先順位が低い。
  • 障害とジェンダーの問題‐特に母子や障害を持った女性に対する偏見や差別の問題。障害者女性に対するセクハラや嫌がらせ、暴力などを含む。戦争障害者となった中途障害の若い男性が愛国者、英雄としてもてはやされるのに対して、女性障害者や先天的障害者の優先度は低く片隅に追いやられている。
  • 障害の概念や統計の問題‐障害の概念がまだまだ障害の医療モデルで社会モデルではなく、障害者統計にも問題がある。また施設型のケアも多く見られ、障害者がコミュニティーで自立生活を営むのはかなり困難な状況である。
  • バリアーの問題‐バリアフリー/ユニバーサルデザインやインフラの不備、差別など社会的バリアー、法的バリアー、手話や点字など情報のバリアーなど、あらゆるバリアーの総合的アクセス課題
  • 法的・政策的な不備‐障害者法などの見直しが必要。国連の障害者権利条約(注2)の批准後の実行の必要性。レバノンはまだ批准していない数少ない国の一つ
  • 障害の原因として文化的課題‐どの国でも近親結婚や親族結婚が好まれる傾向にあり、様々な障害の原因となる場合もある(注3)

(注2)Convention on the Rights of Persons with Disabilities (CRPD)は国連が制定した障害者の権利条約であり、国連の加盟国が193国あるなか、現時点では180か国以上が批准している。批准国は国内法を整備する義務を負う他、条項第32条のもと、先進国は開発途上国に向けて障害分野において国際協力を提供することが求められる。
(注3)親族結婚が障害、特に重複障害や重度障害の原因になることは科学的事実でありこの課題の研究は先行文献が多い。実際、ヨルダンなどにおいては国の政策として近親結婚を避けるような広報活動を行っている。

以下には、レバノンの問題に特化して最新情報を提供してみたい。

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ベイルートにて障害を持つ女性リーダー Sylvana Lakkis さんと一緒に

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ベイルート南部のCommunity Based Rehabilitation プロジェクト

貧困地帯に住む人アクセスのない住民や、貧困など過酷な生活を強いられている家庭の間には障害の比率は高い。国連ユニセフは、戦火から逃避し隣国レバノンに住むシリア難民の障害者の人口調査(注4)、いわゆるシリア難民に限定したパイロット調査を2017年に行った。この調査の結果、「家族内に少なくとも1人の障害-身体的、聴覚視覚、精神、知的などの障害を含む-を持つ人がいる家庭」の割合は非常に高かった。8つの地理的な分類がなされ、レバノン北部地方が一番多く20%に達している。次にはAkkar地方で16%、Nabbathie 地方15%と続き、南部は12%、一番比率の低い首都ベイルートにおいてすら11%と高い数値になっている。国連ESCWAの統計に基づくと、レバノンの障害の原因の7.9%が戦争によるものであり、高い数値である。シーア派勢力の暮らす南ベイルートの町では、米国からテロ組織扱いされるヒズボラ系のNGO、 Al-Hadi Institute for the Deaf and the Blindなどが運営する大規模な戦争障害者施設などが見られる。イランやシーア派の富裕層からの募金のおかげで、かなり立派な職業リハビリ訓練や起業支援などを行っている(もちろん主に男性障害者だけの施設である)。

(注4)UNICEF, UNHCR, & WFP. (2017). Vulnerability Assessment of Syrian Refugees in Lebanon. VASYR 2017. https://reliefweb.int/sites/reliefweb.int/files/resources/VASyR%202017.compressed.pdf から抜粋。

レバノンも障害者の法的雇用率を定めているが、実施が遅れていて障害者の雇用や所得確保は大変難しい。2007年にレバノンで行われた国連ILO調査においては、調査対象となった27,086人の経済活動対象年齢の障害者のうち、26%だけしか雇用されていなかった(注5)。レバノンの障害者で正規雇用されている人の大半は公的分野(公務員)雇用であり、私企業で活躍する人は少ない。大半の障害者は自営か何等かの形のインフォーマルセクターで雇用されている。

(注5)International Labour Organization (ILO). (2003) Emerging Good Practices Related to Training and Employment of Persons with Disabilities, Beirut.

レバノンには障害当事者たちが中心になって作り上げた民主的な国内法が存在するが、この「2000年の障害者法」に関しては、その実施の遅れと強制力のなさが指摘されている。罰則も課されていない。また、障害者法が制定されてから20年が経過しているにもかかわらず、ほとんどの分野において実施が遅れている。

最後になるが、レバノンの現時点においての最大の問題は、国連の障害者の権利条約 (Convention on the Rights of Persons with Disabilities) を批准していないことである。国際社会に向けて、レバノンの障害者たちと政府のコミットメントを表明するためにも、また、上記のような法的義務の実施を強制するためにも必要なステップである。批准案が国会に提出されたにもかかわらず、政治的なマヒでいまだに批准できない残念な状況である。世界185カ国以上が批准しているなか、米国と並び、いまだに批准できていない数少ない国である。ぜひ、批准とその後の法改正が期待される。

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