レクリエーション新時代~みんなでからみんながへ~5-旅は万人の権利である

「新ノーマライゼーション」2023年3月号

日本福祉文化学会名誉会員
薗田碩哉(そのだせきや)

1. 旅はなぜ楽しいのか

多種多様なレクリエーションのうちでも特に人気の高いのは旅―国内旅行と海外旅行である。『レジャー白書』で日本人の余暇の実態を見ると、旅の人気は圧倒的だ。海外旅行は島国日本では時間も費用もかかるので参加率は高くはないが、「今後やってみたいレジャー」という問いかけでは常にトップに来ている。

旅へのあこがれは人間の本性に根ざすところがありそうだ。人が1つところに定住するようになったのは農耕が始まる4000~5000年前からで、人類はそれまでの数十万年間、食物を求めて常に移動していたはずである。「山のあなたには幸が住んでいる」というまだ見ぬ土地へのあこがれは私たちの遺伝子に深く埋め込まれている欲求かもしれない。

とはいうものの、昔々の旅は現代のように気楽なものではなかった。今のように交通機関が発達しているわけではなく、乗り物といえば馬ぐらい、ほとんどは徒歩の旅である。道路の整備も不十分、険峻な山、橋もない急流が行く手を遮り、辺ぴなところでは追いはぎとか山賊とかが出没する、まさに命がけの旅であった。それでも江戸時代の「太平の世」になると、庶民が安心して旅ができるような条件―街道、宿場、馬や駕籠(かご)などの乗り物、旅行知識の普及―が整って、弥次郎兵衛と喜多八が東海道を遊び半分に下って行くような旅が可能になった。

明治維新以来の近代化とともに鉄道網の整備が進むと、時間をかけずに遠隔地へ行けるようになる。大正期から昭和前期には観光旅行の普及が進み、戦争期の後退を経て、戦後の高度成長期にはそれまでの集団型の旅行から家族を中心とした個人旅行が主流になる。さらに「豊かな社会」を背景に海外旅行が一般化して、1990年には渡航者が1000万人を超える。行く先もハワイや台湾あたりを手始めに、東南アジア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカまで、世界のあらゆる国々への旅が、その気になれば誰にも可能になっている。

2020年以来のコロナ禍の襲来が旅の拡大をいっぺんにストップさせてしまったことは記憶に新しい。出国者が年間2000万人、外来客はその1.5倍の3000万人に近づいていた国際観光がいっぺんに雲散霧消し、国内旅行も近隣の小旅行さえ制限されて観光産業に大打撃を与えた。しかし「旅への欲求」は消えるどころかますます高まり、コロナが下火になる(しかしまだ終焉したわけではないが)とともに政府の観光支援と相まって、観光レクリエーション活動が急速に復活しつつある。

2. 障害者の旅とノーマライゼーション

障害者の旅行に的を絞ると、この分野でのノーマライゼーションは遅々として進まなかった。連載第1回でも述べたように社会福祉制度に埋め込まれてきた「劣等処遇」の呪縛があって「障害者が自由に旅を楽しむことはどだい無理」という通念が広く存在していたからである。変化の兆しは1981年の国際障害者年あたりから始まる。ノーマライゼーションの啓発活動が実施され、建築物の段差解消から始まったバリアフリーの運動が広がって、階段にスロープを並行させたり、駅にエレベーターやエスカレーターを設置したり、点字ブロックの整備も進んでいく。視覚障害者や車いす利用者が自由に動けるまちづくりが進む中で、旅行条件の改善にも関心が向くようになった。

1995年になると観光政策審議会が「すべての人に旅をする権利がある。旅には自然の治癒力が備わっており、旅をする自由は、とりわけ障害者や高齢者など行動に不自由な人々にも貴重なものである」と明記した答申を出した。これをきっかけとして旅行会社や観光施設がバリアフリー化に積極的に取り組むようになり、2000年には、「高齢者・身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律(交通バリアフリー法)」も公布された。この年に出版された『バリアフリーの旅を創る』(高萩徳宗著)という本には、旅を妨げるさまざまなバリアを指摘し、それを乗り越えて自分らしい旅を実現するヒントが具体的な事例を踏まえて述べられており、多くの障害者を勇気づけてくれた。

2013年には「障害者差別解消法」が公布され、生活のあらゆる面において障害によって差別されることがないよう、行政や市民に対して「合理的な配慮」を求めるに至った。これは当然、障害者の「移動したい」希望に対する配慮も含まれることになる。現在ではどこの旅行会社を訪れても、障害者の旅行に対してていねいに対応してくれるようになっている。全日程に付き添って移動から生活面までの支援をする介護者を紹介し、バリアフリーの交通機関やホテルをアレンジして快適な旅行のプランを立ててくれる。障害者手帳の活用や観光施設入場料の割引制度の利用についても抜かりなく配慮してくれる。もちろんそれなりの費用はかかるわけだが、障害者が隔てられることなく旅行業の「顧客」としての位置を獲得したことは大きな前進に違いない。

3. 旅における発想転換

旅をすることが万人のレクリエーションになっていくとともに、その旅の内容について、新たな発想が求められている。これまでは旅というと「物見遊山」という言葉が浮かんでくるように、知らない土地を訪れて風物を見物し、温泉に入ってゆったりし、美味しいご馳走をいただいて帰ってくるのが定番だったが、そこから一歩前進して、より質の高いレクリエーションを目指そうという主張が生まれている。

その核心は「風景から人情へ」という転換である。観光ポスターにあるような美しい景観を眺めて写真を撮ってくるばかりでなく、その風土の中で生きている人々の生活に触れ、土地の人々と交流し、そこに根づいている文化―歌や踊りや芸能、さらには土地の歴史やそこで活躍した人物の生きざまを学ぶこと、そうした多様な経験を得ることこそ、旅に出かける本当の意味であり、旅によって人が再生(レクリエイト)されるということなのだ。

特に海外旅行の場合は、景観の違いもさることながら、文化の差は歴然としている。まず何よりも言葉が違い、コミュニケーションも簡単にはいかない。生活習慣も異質なものが多々あり、料理の味も食材もそれまで口にしたことのないようなものが登場する。音楽にしても美術にしても奇異な印象を与えられることも少なくない。しかし、じっくり付き合ってみると、それらの異質な文物が次第になじんできて、楽しく面白く好ましく思えるようになったりもする。「みんな違ってみんないい」という、最近よく使われる言葉は海外旅行にこそふさわしい。そしてこの感覚は世界の多彩な民族の間に橋を架け、国と国との溝を埋め、最終的には世界の平和に貢献する原動力となるはずである。

国内旅行の場合は文化的な落差はさほど大きくはないから、そうした効果が少ないと感じられるかもしれない。しかし、そこには別の意義がある。海外に出かけると、全く異質に思われた外国人が、案外と似たような人情を示してくれて「人間はみな同じ、みなきょうだい」という感慨を持つことが多い。国内だとこれが逆になり「同じ日本人だからみな同じだろう」という前提で触れ合ううちに、それぞれの地方の暮らしぶりの違い、また、そこで生きる人たちの個性が浮かび上がってきて、人間の多様性にあらためて思いをいたし、これまで気づかなかったことを発見したりする。日本文化という共通の基盤があるが故の深い相互理解が可能になるのである。

障害者の生活も1つの固有の文化だといえる。旅の行程の中にその地での障害者の生活や文化活動・社会活動に触れる機会をつくることができれば、訪問する側もされる側も大きな学びを得られるのではないか。旅の後でもそのつながりを維持して連絡を取り合えば、日常生活の質を高めることも不可能ではない。

地域医療活動で著名な鎌田實医師は、たいへんに旅を愛する人で『旅をあきらめない』という著書がある。障害者も高齢者ももっと旅をしよう、旅は身体を元気にし、心に自信を与え、あなたの人生を豊かにする―この本にある鎌田先生の言葉である。

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