アクセシビリティが日常生活をより良くする

「新ノーマライゼーション」2023年6月号

東京慈恵会医科大学 総合医科学研究センター 先端医療情報技術研究部
髙尾洋之(たかおひろゆき)

はじめに・発症

私は2001年から、東京慈恵会医科大学の脳神経外科で医師として仕事をしてきました。今は先端医療情報技術研究部でデジタル医療とアクセシビリティの仕事をしています。

私は4年半前(2018年8月)に病気で突然倒れました。4か月間意識が無く、目覚めた時には四肢麻痺で目しか動かせず、呼吸器をはじめ体中に管がついている状態でした。病名は、重症ギランバレー症候群でした(図1)1)
※掲載者注:写真の著作権等の関係で図1はウェブには掲載しておりません。

グラフ(図2)に示すように、普通の病気はだんだん悪くなり、その時の状況が伝えられません。ギランバレー症候群は、最初に最も悪くなりだんだん良くなる病気です。普通は悪くなった時の状況をなかなか自分で表現できないのですが、私は悪くなった時からだんだん良くなっているので悪い時の状況を伝えることができます。

図2 ギランバレー症候群の症状の推移1)
図2 ギランバレー症候群の症状の推移拡大図・テキスト

4年半が経過したいまは、体から管は外れ、口から食事ができるようになり、以前とは同じではないものの、再び自分の声で話せるようになりました。四肢麻痺の程度は少し改善し、肘は曲げられるものの、指はまだ自由には動かせません。もう少し時間がかかるでしょう。

私はアクセシビリティ2)との出会いがあり、日常生活の中での不便を解消してきています。体が動かせなければ声を使う方法もありますし、わずかにしか動かない体でもスイッチを使ってiPadが操作でき、それによって音楽を聴いたりテレビを操作したり、メッセージを送ったりすることができます。いまは、スマートスピーカーに話しかけて家電の操作ができるので、テレビのチャンネルを変えたり、カーテンの開閉やエアコンの操作もベッド上から自分でできるので、家族の負担も軽減されたと思います。

iPadにはアクセシビリティ機能が標準で搭載されています。その活用方法を紹介する本を書きました(図3)。不便を解消するきっかけとして、アクセシビリティを知るきっかけとしてお読みください。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で図3はウェブには掲載しておりません。

一番辛かったこと

この病気になり一番つらかったのは、コミュニケーションが取りづらくなったことです。

四肢麻痺があって呼吸器がついていたので、まったくコミュニケーションがとれない状態でした。体を動かせず話もできない私が、コミュニケーションが取れるのか、そもそも、私は理解ができているのだろうか?と周りの人は思っていたに違いありません。

アクセシビリティ機器を使うようになる前に、文字盤でのコミュニケーションを取っていました。私は目を動かすのが難しかったので文字を指差して読んでもらって、あっていれば合図することで伝えていました。とてももどかしい方法です。呼吸器をつけていたので首を縦に振ることができず、横に振って合図していたのですが、嫌がっていると思われてしまうこともありました。選んだ文字をメモしておかないと、忘れてしまって最初からやり直しというもどかしい時もありました。タイミング良く首を振るのは、難しい状態でもありました。文字盤を順番に指差ししていく速度や順番が、人によって違うのも困ります。じっくり取り組んでくれる人もいれば、すぐに諦めてしまう人もいました。

「はい・いいえだけでもわかればなんとかなる」と言う人もいますが、相手が何について話をしたいのかがまったくわからない中で、はい・いいえだけの返事しかできない人から「右側のお尻が痛い」というようなことを聞き出すためには、質問の仕方をかなり工夫しなければ、なかなか答えにたどり着けません。もどかしいやりとりですがそれしか方法がないので、このやりとりはいわば、たったひとつの希望です。それでも、自分よりも先に相手が諦めてしまい「なかなか難しいね」と言われると、希望は絶望に変わってしまうのです。

デジタル社会の実現に向けて

政府は、2021年12月24日に公表したデジタル社会に向けた重点計画の中で、誰一人取り残されないデジタル社会の実現を目指すと発表しました。

その中で、「アクセシビリティに最大限配慮」「きめ細かく提供」「単一障害ではなく、重度・重複障害も意識した複数障害に対応する」「サイロ化せずに汎用性を確保」といったことばが見られました。デジタル社会の実現とアクセシビリティへの配慮を、まさに一体化して進めることを感じさせます。

デジタルと聞くだけで、苦手意識がでてきて身構えてしまう方もいるかもしれません。しかし、時代の流れとして、デジタル化は必須です。もちろん、人間はアナログであることを忘れてはいけませんが、これからはデジタル社会の中で日常生活を送ることを前提に考えていく必要があります。

そして、日頃から使っているものが便利なもので、さまざまな使い方があると知っていれば、いざという時に慌てずにいつもの生活を送ることができます。

体が不自由になってから新しい機器を覚えて使うのは大変です。日頃から使っているものが、体が不自由になっても使えるなら、その方が良いでしょう。特にコミュニケーション支援や環境制御に関しては、これまでの福祉専用機から、汎用品を工夫して使う考えに時代は移っています。

誰一人とり残されない社会の実現のために

「アクセシビリティ」という考え方のない価値観だと、人々のさまざまな障害は「不便であり不幸」です。一見この2つの言葉は不可分で正しいかのように思えます。しかし私自身も病気をして実感しましたが、そんなことは決してありません。不便であることが解消できないと勝手に思い込み、当事者も周囲の人も諦める、あるいは諦めさせることが不幸を生んでいるのです。

実際、目が見えなくてもそれほど不便を感じていない人もいれば、目が見えていても不便を感じる人もいます。障害者、健常者の関係なくすべての人が、不便であることを不幸にせず、マネージメントする方法を考える。これがアクセシビリティの基本なのです。

誰一人取り残されない社会の実現のためには、まず、アクセシビリティという考え方を知ることが大切です。アクセシビリティは、障害者だけではなく、障害者をサポートする人や、高齢者やデジタルに不慣れなど、困っているすべての人を支えるためのものです。

アクセシビリティは、「障害者のため」「高齢者のため」という冠をつけて考えるものではありません。皆がより良い生活をできるように一緒に考えることなのです。国のデジタル推進委員の存在もそうですが、アクセシビリティは、支援する側や支援される側とか、教える側とか教わる側といったものではなく、一緒に考える、その過程も大切なアクセシビリティだと考えています。


【参考文献】

1)患者+医師だからこそ見えた デジタル医療 現在の実力と未来、髙尾洋之、日経BP、2022年

2)闘病した医師からの提言 iPadがあなたの生活をより良くする、髙尾洋之、日経BP、2022年

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