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IFLAダーバン大会参加者・SAPESI意見交換会 報告要旨4

質疑応答

男性●

移動図書館の図書館車に乗っている司書の方は、どういうトレーニングというか、大学を出たということで司書という形になっているのか、そういう教育をあまり受けずに司書ということになっているのか。

蓮沼●

司書の人達はたいがい白人なんです、実は。アパルトヘイトの時に、やはり白人校のための図書館はあったし、それから教育図書等に接する機会があったんですよ。そういうところの人達が、今州の教育図書館等に働いていて、そういう人達がバスに乗ってくれている。ですから、ライブラリアンの教育を受けて、資格を持っています。コンピューターのシステムとか、いろいろ、わりときっちりできています。ただし、黒人校は、もともと黒人の言葉というのは口承言語ですから、口伝えですから読み書きがないんですね。だからあまりに本に対して親しむバックグラウンドがない、だけど白人のほうはヨーロッパから来ていますから、図書館なんかはもうばっちりなんです。そういう人達がそのまま今残っている感じですね。

女性●

公共図書館の南アの状況はどうなんですか。

蓮沼●

公共図書館はないことはない。大きい町には必ずあるんです。ただし、黒人がそこまで行くのに、バス代がないでしょう? それから、子ども達は絶対行かないしね、遠すぎるから。

女性●

3年前にケープタウンに行ったことがあって、タウンシップの中にパブリック・ライブラリーがありました。

蓮沼●

タウンシップにあるパブリック・ライブラリーというのはね、黒人にしてみるとあれは勉強しにいくところなんですよ。つまり自分の家って小さいところですからうるさいから、勉強しにいくんですね。図書室というより自習室になっていますね。

女性●

まだまだ公共図書館は数は少ないですよね。

蓮沼●

少ない。

女性●

日本の戦後の状況が生んだのは公共図書館ではなくて文庫活動というのですけど。

蓮沼●

それはね、日本には本を読む習慣がありますよね。黒人はあまり本を読む習慣がないんです。だからお母さんのところに本を持っていって貸し出しても、おそらくお母さんは本を読まないですよね。だから、これは二つも三つもハードルがあるんですよね。

武藤●

一つ補足させていただきたいのですが、私の住んでいるところの隣のブロックには公共図書館があります。一回入ったことがあるんですけれども、やはり街の中に住んでいる子は今けっこう本を借りて読んだりとかしているのですが、一番最初の南アフリカの概略の話に戻るのですが、都市と郊外とのインフラの差というのがあまりにも激しすぎまして、街の中は日本と同じように公共図書館もありますし、自習室もかなり備わったところがあるのですが、自動車でほんの30分、50kmくらい離れたところはああいう山の中で、家がぽつんとあるようなところです。そういうところにまず移動図書館車を持っていく、それで本を普及していくというのが第一の課題です。

女性●

それは、結局今うかがっていたら、直接教育、やっていらっしゃるのは突き詰めればボランティア活動といっていいんですか? 皆さんのやってらっしゃる活動は、分類するとペイドワークじゃないですよね。だからやっぱりボランティア、お金を集めたボランティア活動で、その意味では我々が日本でやっている文庫活動も根っこのところでは同じですね。

蓮沼●

ボランティアですね。それは一緒ですね。

女性●

でも今のところは公共図書館がまだそんなに発展していないから、公共図書館についてはいないし、地域が広くて、例えれば島で成り立っているようなところを船が回っているような。

男性●

船というのはニュアンスにすると近いですね。

女性●

遠くでは車で行かないと本が届けられないということで、皆さん。

蓮沼●

そうですね。

武藤●

ただ、特に郊外の街というか集落の特徴なのですが、普通集落というとある程度家が集まって、その中に学校があります、図書館があります、教会があります、けっこう密着しているのですけれど、実際居住区の中は密着しています。その中で図書館とか学校とかが運営されているのですが、山の中の郊外の学校というのは本当に家がてんでばらばらなんです。集落という概念ではなくて、山に家が5軒くらいばらばらと建っていまして、学校に行くのもたとえば歩いて2時間とか、最悪の場合牛に乗っていくとか馬に乗っていくとか、そういう環境なんです。ですので、そこのまず学校で集める。基本はもうボランティアの概念の一緒です。なかなか、南アフリカのこと、特に郊外の集落の特徴としまして、集落という名前なのですがばらばらという、要は散りばめられている状況ですね。町として固まっていないところが。

男性●

それは農家というか、農業で生計を立てている?

武藤●

クワズールー・ナタール州はけっこう農業で成り立っているところもあります。かなり温暖なところですので、実際サトウキビはほったらかしておけばどんどん生えてきます。サトウキビはかなり大きな収入源にもなりますので。私達の住むダーバンの周辺はそれで経済が成り立っていますけれども、西ケープ州、それからフリーステートは実はほとんど砂漠です。ですので、もうほとんど農業による収入というのがないという状況ですので、もっとリンポポですとかノーザン・ケープは80%が砂漠ですので、そういうところではさらに収入源というのはないですし、また街としての形成もありませんし、農家として成り立つかというのはかなり厳しいものがあるのかなと思います。

蓮沼●

国民の4分の1が生活保護を受けているんですよ。

女性●

オーラルの伝統というのは、文字を持たなかった人達は大事なことを代々伝えて来ている、物語にして伝えているというのを言っていらっしゃいますよね。それは、現在は、それをできる人が。

男性●

そういう人は必ずいます。村に、いわゆる酋長みたいな人。あとは、霊媒師じゃなくてサンゴーマといいまして、今は霊媒師で、神様に近い存在ではないのですが、やはりそういう酋長社会というのはありまして、その人が言うことは絶対というところがあり、それは絶対服従ということがありますので、その人から次の世代に今までの伝承を伝えるとか、そういうのはたとえば、語るとか、あとは踊りとか歌とかで引き継がれていますので、ただそれは文字としてではなくて、やはり耳で、要は五感で伝承しているのかなと思います。

女性●

先ほどの、このSAPESIは皆さんボランティアでやっていらっしゃるということなのですが、この会と、それからここの州の教育委員会とか教育庁との関係というか、どういうふうに仕事を分けているというか、やっていることを具体的にどういうふうに分けて、すごく有機的というか効果的にプロジェクトが進んでいるなという感じがするのですが、たとえば司書の人を図書館の自動車に乗せて、その人は貸し出しをやるのではなくて先生達にそういうことを教えていくということをやってくださいよとか、そういうようなことをサジェスチョンしたりとかはされているのでしょうか。

蓮沼●

そうですね。やっていることは、日本で今まではアジア・アフリカ友の会、アジア・アフリカと共に歩む会というのが、NGOが自動車を集めて送ってくれたんです。三井OSK、三井大阪商船が安いレートでダーバンまで運んでくれて、私達はどこの州に何台あげましょうというのを決めて、そこの州の人達に、あげるからこういうことをやってね、と。たとえば司書を乗せてくれとかお願いしてね、約定書、アグリーメントを作るんです。輸入ライセンスなんか、なかなかそういうのに慣れていませんから取り方を教えてあげたりして、バスが来たら、はい来ましたよと。通関なんかも知らない人がいっぱいいますから助けてあげて、ペンキを塗ってもらって、さあ、行ってください。そのときに、ベスト・プラクティスですね、たとえばこういうふうなやつですね。こういうふうなことをやっているところは、運行が始まる前に担当者を呼んで、一日同乗して、こういうことをやってほしいんだということをたたき込むわけです。そういうことを今やっています。

今までは、実は裏のアジア・アフリカと共に歩む会がやっていたのですが、残念なことに今年の頭に連絡がきまして、もう自動車を送れなくなりますと言われまして、非常に困ったのですが、4月~6月に日本に帰りまして、いろいろ回りまして、たまたまですね、日本外交協会、これは外務省の外郭団体の社団法人なのですが、昭和24年に尾崎咢堂、憲政の神様、あの方が作られた。ちょうど日本は占領下にあって外交ができないので、非常に将来を危ぶまれて作られた社団法人がある。そこがいろいろなことをやっておられるのですが、そのうちの一つに、年間50台ばかり、中古の消防車とか救急車を市町村から集めて、アジアとか中南米に送っておられるんですね。そのことを聞いたので飛んで行ってですね、「図書館車をやっていただけますか」と。「え?」と。「あんたなんですか」と言われましたね、最初は。それで話しているうちに、いろいろと説明して「ああ、まともなことをやっている」。中古車を、市町村から図書館車を集めて、「あ、やることは同じですね」と。そういうことが一つ。

それからもう一つは、外務省が今アフリカにフォーカスを当てている。外務省の外交協会、外郭団体ですか、やはりそれもやりたいというので、実はこのアグリーメントを結びました。これから毎年、10台か15台くらいずっと送っていただけるということでできた。

これでよかったなと思うのは、やっぱり、今まで全部自分達のポケットマネーでやっていたのですが、どんどんこれから大きくなってきますよね。毎年10台から15台に増えますと、これは出張して「こうしてください、ああしてください」と、あるいはこういうふうなことを教えて、みんなで集まってコンファレンスをやりましょうなんていうと、誰かがホテル代を出さなきゃいけないんですよ。このへんになるとちょっとお金がいるんですね。

今まではわりと小さなNGOだったので「いつかだめになるかな」と心配しながらやっていたので、大企業にスポンサーを頼みに行けなかったんです。大企業というのは、私はそういうところにいましたからわかるのですが、担当の方が「じゃあわかった、お前のやっている事は正しいから、非常にいいから、3年間でいくら渡すから、その代わりにこういうことをしてください」と、約定書も取るわけですね。アグリーメントを。それで2年目に「もうバスがこないからだめです」と言ったら、これはその担当の方は大バッテンですね。たぶん私の話を、元ビジネスマンだし、元のコネクションからいろんなところに話を持っていけるのですけれども、やっぱり怖いから今までやらなかったんです。お金も集めないで、みんなで浄財を集めてちょこちょこちょこちょこやっていたのですが、これからはですね、日本の外郭団体ですから、そういうところが一緒になってやっていただけることになったので、安心していろいろなことができるかなと私は思っています。

これからは大企業やいろいろな募金活動を始めようと思っています。

それで、例えばこういうやり方もね、ベスト・プラクティスと言いますね。図書館でもおそらくあると思うんです、ベスト・プラクティスがね。ナレッジ・シェアリングとか。そういうことを、9つの州に広めていきたいと思っています。