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発表会:「言語的コミュニケーションが困難な重度障害児・者の自己決定・自己管理を支える技法」

講演4 「誰もが自分の意思で生活できる社会の実現に向けて」

講師 畠山卓朗・中邑賢龍

○中邑
 それでは最後のセッションに移りたいと思います。実はこの会はATACカンファレンスと 厚生労働科学研究の発表会。共催ということで、この午後、この部屋は実施しております。 ここは厚生労働科学研究発表会のまとめの場であり、また、ATACカンファレンスのエンディングの場で あります。今、ここ前に3人並んでいますのは、厚生労働科研を一緒にやっています東京大学の 中野さんと、星城大学の畠山さんと、香川大学の中邑、私であります。この3人はATACカンファレンスを ずっと企画している3人でもあるわけです。この3人が今何を考えているかということを自由に語って、 この場を終わらせていただきたいと思います。まずスライドを送っていただけますか。 我々が目指すべき世界、ちょうど手元にありませんので、私もうしろを見ながらお話をさせて いただきます。意思表出できる能力を保障するという。これから我々未来に対して、 こういうことって必要なんじゃないかと思います。どんな重度の人でもその人に応じた力で自分の 意思を表出できるという、このことの大切さ。もう一つは、意思表出する機会の保障。

せっかく相手に何か意思を表出しても、周りの人がそれを聞き取れなかったら、これは何もならないという。 その聞き取ってあげる場というか、こういうものを保障しなきゃならないんだろうというふうに思います。 そして、最後がATやAAC技術を活用した新しい障害観をもつ社会の実現。これは意思の表出を受け入れる 社会だということです。どんなに障害のある人たちが一生懸命意思を表出して、誰かが聞き取ったとしても、 それを聞き逃すような世界であっては、これは何にもならないのだろうと思います。 そこにこの支援技術とAACというのが非常に大きな役割を及ぼしていくんだろうというふうに 思うわけです。これから支援技術と自己決定を有する人たちが、何だか新しい障害観をつくって いくように思うんです。支援技術を利用すると何だか冷たくて、こんなのを使うと人間がだめに なっちゃう。だからこんなのを使わずに頑張りましょう、訓練しましょうという、 そういう見方というのはまだまだ強いんですけど、実はそうじゃないのではないか。 この技術というものが障害のある人たちに新しい能力を与えてくれるんじゃないかと思うんですね。

つまり、技術を使うことによって、障害のある人たちが障害のある人たちじゃなくなっていくという。 そんな時代を創造していく必要があると思うんです。もちろん、腕がないとか、足がないとか、 目が見えないとか、そういったような状態というものは確かに存在する、 これは消し去ることはできない。ただ、人間が人間らしく生きていくというレベルでは、 これは平等な社会が実現できるのではないだろうかと考えています。その社会の実現のために、 そのために我々が実は今回このマニュアルというものを作り上げてきたわけですね。 ここに書いてありますように、コミュニケーションマニュアルを利用した講習会の実践。 これはこれから進めていかなければいけないだろうというふうに考えています。

先ほどのセッションで明らかになったように、まだこのマニュアルには不備がたくさんあります。 だけど、これをやはり共有する社会をつくっていきたいなと。意思表出やコミュニケーションへの 理解と技術をもった専門職の養成。こういうと偉そうなんですが、皆さんと一緒に、 そういうふうなことを学んでいきたいと我々は思っております。学校の先生の方々、あるいはOTさん、 STさん、PTさんといったようなパラメディカルスタッフの方々、あるいは、その施設での介護を 直接携わっておられる方々、その多くの人たち一人一人がそういう意識をもって、技術をもって、 そして当たり前のように意思を引き出していける社会というのをつくってければと思うわけです。 それは考えてみれば、我々自身の問題でもあるということですね。我々一人一人も将来的には 必ずそういう状態になっていくわけで、自分のために皆さん、やりませんか。私もそのつもりで やっております。そのために、もっとこれを有効なものにするために、実は情報の共有が必要だろうと 思うわけです。ここに書いてあります。伝達できる知識の積み上げが必要であるということですね。

先ほどの話の中にもあったと思うんですが、個々の人間が知っていること、あるいは抱えられる ことというものは限られているわけです。ところが、このハイテク、情報技術、インターネットが もたらした、このいわゆるネットワークは我々が一人一人が離れていても、その地を共有できる 道具となりつつあるわけですね。ですから、自分一人が抱えられなくても、遠くの人と情報を 共有すれば、これは何倍、何十倍、何百倍という知識を自分の手元に置くことができるということに なるわけです。そういうものを積極的に活用しながら、実は我々は積み上げを図っていく必要が あるだろうと思うわけです。今回のATACカンファレンスという、今ここでずっと走ってきたATAC カンファレンスのテーマは「サイエンス、してみる」というふうに書いてあったと思います。

この「サイエンス、してみる」というのはどういうことかというと、現場の方々は科学、 サイエンスというと、何だか冷たいというイメージをお持ちの方も多いように思うんですね。 特に大学の研究というのは、なんだ大学で研究して、現場のことを分かっていないんじゃないか。 確かに現場のことは分かっていないというのは当たりかもしれません。ただ、サイエンスが実は この今の近代文明をつくり上げてきたわけですね。その科学で本当に素晴らしいなと思うのは、 情報の伝達をきちんとやっているということです。自動車がうまれ、飛行機が空を飛び、 そして月にまで人間、人類を送り込めるこの世の中というのは、実験をした結果を次の人が 引き継げるように伝達がきちんとできてきたからなんですね。このことが実は教育や福祉の分野に おいても、絶対に必要なんだろうと思うわけです。いわゆる、人と関わりながら、ある人とうまく コミュニケーションできるようになった。

ところが、それを誰かに伝えるという段階になると、 実はここで引っ掛かってしまうんですね。どのように伝えていいか分からないという。 ですので、ちょろちょろっと申し送りということを紙に書いて渡すんですが、実はそれが有効に 機能しない。これはどういうことかというと、長い時間かけて築き上げた知識が、そこで ゼロになってしまう。そして、また次の人がやってきて、また積み上げていく。そして、 また担当が代わればゼロになる。つまり、上っては下がり、上っては下がりの繰り返しだったわけです。 これでは困るということですね。上ったところから、今度は積み上げていく。 こういうふうに上がっていくというか、積み上げていくというか、こういう仕組みが必要なんじゃないだろうか というふうに思うんです。そのことに少し皆さんに気付いていただきたいなと思って、 もっと福祉や教育の中でもサイエンスしてみませんかというのは、実はそういうことなんですね。 ハイテク技術というものは、今まで我々が伝えられなかったような情報というものをマルチメディアと よく言っていますが、そういう技術を使って伝えることができるようになっていきます。 そういう技術を躊躇することなく取り入れて、そしてそれをもとに積み上げをしてくということが、 今後の我々の未来をつくっていくのじゃないかなと私自身は思います。以上が私の感想です。 あと、中野さんと畠山さんにも一言ずつ語っていただいて、この会を締めたいと思います。 中野さん、お願いします。

○中野
 はい。私は4月から東大の先端科学技術研究センターというところに移りました。 去年までは慶應の中野ですというふうに言っていたのですが、その先端研の方へ移りまして、いま私のボスは、 このATACにも2年前に来てくださった福島智さんです。福島さんはご存知のように盲ろうですね。 ATACにそのとき来られた方は、彼の非常におもしろい話というのを覚えておられるんじゃないかと 思いますが、彼が2001年から、バリアフリープロジェクトというプロジェクトを起こしまして、 この日本のバリアフリー、世界のバリアフリーを変えていこうということで活動をしています。 そのメンバーの一人として、この4月から迎え入れてもらいまして、いま一緒に仕事をしています。 先端研でこのバリアフリーを進めていくときに、一つすごく大切なこととして、当事者の視点という ことを大切に私たちはしています。当事者というのは、言うまでもなく障害のある人の視点という ことです。この当事者ということについて、我々、最近議論をするんですね。

例えば、視覚障害と言ったときに、うちのメンバーは今回3人視覚障害の研究者が、このATACの中にも 来ています。その全盲の人の誰かに、じゃあ、全盲の人って、どういうことなのというのを聞いて、 その意見に基づいて、例えば何か製品をつくるとか、新しい技術を開発するとか、これでいいのか どうかという話ですね。全く聞かないで、いろいろな技術をつくっていったら、これは当事者が望む ものとはかけ離れたものができてしまうという可能性は当然あるわけです。ところが、1人とか、2人とか、 3人とかという人に話を聞いて、それでつくったものというのが、じゃあ、いいものになるのかというと、 必ずしもそうではないかもしれないねという議論をしています。これは、私は男性なわけですが、 男性でありますが、男性すべてを代弁して、男性とはこうあってほしい存在なのだというふうに言うことは できないわけですね。同じ男性といってもさまざまな男性がいます。これについて私自身がよくよく知っていない限り、 男性であったとしても、男性の代弁者とは必ずしもなれない。これは障害に関しても同じで、 当事者の意見を聞くって、とっても大切なことなんですが、じゃあ、当事者のAさんの意見だけでいいか。 じゃあ、Aさん、Bさんの意見でいいのかというと、これはなかなか難しい問題を抱えています。 たぶん、当事者性ということは、今いろいろなところでいわれると思うんですが、その当事者というのは 一体何なのかというのを私たちは考えていかないといけない。それから当事者であるためには、 障害をその人がもっていないといけないのかどうか。これはとても考えなくてはいけない問題だと 思っています。我々先端研には、当事者の研究者というのはたくさんいて、この当事者の研究者が 何を研究していけばいいのか。それからどんな当事者の代弁ができるのか。 そのためには、どういう情報を集めなくてはいけないのかということについて、いま私たちは議論を しています。この議論の結果に基づいて、いろいろな支援技術やバリアフリーに関わるいろいろな 製品というのが開発されるといいなと考えています。

私たちは最近、それを表わす言葉として、 「バリア・センシティビティ」という、うちの社会学の勉強をしている大学院生の星加さんという ドクターの学生さんが言った言葉なんですが、バリアに対してセンシティブであれるかどうか。 これは当事者に近い感覚、もしくは当事者の感覚をもてるかどうかのラインなんだというふうに 整理をしているところです。当事者は、自分自身が障害をもっている人は、例えば、目の不自由な 人は毎日不自由な状態でさまざまな経験をしていますので、目の不自由でない人に比べれば、 センシティビティは高いでしょう。だけど、同じ視覚障害のすべての人のセンシティビティを その人がもち得るかというと、必ずしもそうではありません。 見え方の違いというのがあるわけですね。それから、同じように見えなくても、 いつ見えなくなったかによって違いますし、その人の生活のスタイルによって、遭遇する バリアというのはさまざま変わってきます。バリアというのは一体何なのかということを障害の ある人とそうでない人と一緒に考えながら、バリア・センシティブな我々感性というものをもって、 そのバリア・センシティブな感性でさまざまな技術というのをとらえ直してみる。 これが我々東大のバリアフリープロジェクトの使命です。私たちは今後、ATACカンファレンスと ぜひ歩調を合わせて協力して、日本の、それから世界のバリアフリーの実現をしていきたいなと 考えておりまして、今年度からATACカンファレンスと一緒にいろいろ協力をしていこうという 協力体制をつくりました。その一つの表われとして、来年の7月にATAC東京、正確には アドバンスド・ATACセミナーというのを7月に実施したいと考えています。これまでのATACの スタッフの皆さんと先端研のバリアフリープロジェクトが一緒になって、最先端の科学技術というのに、 このバリア・センシティブな視点をどのように加えていって、そして新しい社会を築いていく。 それから、先ほど中邑さんがおっしゃった障害という概念をとらえ直してみるという試みをしたいと 考えております。7月には東京でもお目にかかれるということを楽しみにしております。 ぜひ、よろしくお願いいたします。では、私はこれで失礼いたします。 畠山さん、どうぞ。

○畠山
 すいません。一人で残されてしまって、いま緊張しているんです。それも、 きょうの昼ごろに一言しゃべれと言われて、私は慌てて、いま何をしゃべったらいいのか よく分かりません。お二人がすべて語ってくださいました。ここで少しお話ししたいのは、 そんなに難しいことではないと思うんです。私がお伝えすることは、私はどちらかというと、 肢体不自由の方に関わってきました。何らかの原因で、ベッド上での生活を余儀なくされている人が います。もう一方で、本当はベッドから立ち上がって、あるいは起きあがって車いすに移って家の 外へ出られる人がいる。でも、実はそれをためらっておられる人もいるわけですね。 皆さんも轟木さんのミラー、「轟木ミラー」と呼んでいるんですけど、ご存知だと思います。 彼は頭の上に置いたミラーを1個のスイッチだけで動かして、左右上下に動かして、運ばれてきた食事、 それをおいしいと感じて、あるいは部屋の様子を見回して友達の顔を見たりしていました。 実はミラーを轟木さんが5年前に亡くなったあと、ある女性が引き継いでくださいまして、 彼女は何に使っているかというと、窓の外を見ているんですね。季節によって草花が徐々に 育っていく。そんな様子を逆に教えてくださいました。それから、ある岐阜県に住む高位の 頸随損傷の方、交通事故で首から下が麻痺されている方のエピソードを少しお話ししますけど、 インターホンは皆さん分かりますよね。お客さんが来たときにピンポンと鳴らして、 家の中の人が外の人と話すんですけど、実は彼は全然違う方法をとったんですね。 もちろん、お客さんが来たときに自分で取れるようにしていますけど、彼はときたま中からボタンを 押すんです。どうなるか皆さん、お分かりになると思います。外の音が聞こえるんです。 彼は何をしているかというと、まだ娘さんが小さくて、ランドセルを背負ってパタパタと帰ってくる。 それがとっても楽しみにされていました。これから、中邑さんに未来に向かって話せと言われて、 私はあまり未来がないんですけど、何を作ったらいいか分かりませんけれど、生活のさまざまな場面で 人の気持ちを元気にさせる。それからモチベーションを高めていけるような支援を、これからもしていきたいと思います。 私はこのATACに来て、随分と元気をもらいました。また次回お会いできたら、お会いしたいと思います。 よろしくお願いいたします。ありがとうございました。