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国際セミナー「地域福祉のとりくみ」

障害者の地域社会への統合とその展望-カナダの場合-

カナダ・コミュニティ・リビング協会副会長
ダイアン・リッチラー

はじめに
カナダの紹介
カナダの障害者に関する統計
障害をもつ人々のための支援とサービス
子供とその家族のための支援
大人を対象にしたサービスとプログラム
障害をもつ人々とその家族が現在の状況をどう見ているか
まとめ
楽観視できる理由
求められていること

■はじめに

 こうして皆様にお会いできたことを嬉しく思います。また、カナダの障害者について関心をもっていただいて光栄に思いますが、同時に、カナダで障害者が地域社会に統合されるのを支援することについて正確に説明するのは大変難しいことだとも思います。
今回、カナダに現存する法律や制度、プログラム、支援の形を説明するように頼まれました。日本という美しい国に招かれたということがあまりに魅力的でしたので、頼まれた仕事がいかに大変なことかに気付く前に引き受けてしまいました。私は実際の数字や現存のプログラムを単純に明確に並べて、体系的に準備を進めるようにしました。しかし、そのように進めていくうちに、引き受けたことがいかに難しいことかに気付き始めたのです。
お話する内容をまとめるうちに、視点の置き方によって現状が大きく変ってしまうということに気付きました。私は障害をもつ人々とその家族の団体と共に仕事をしてきました。その中で、政策に働きかける場合は、常に彼らの視点から働きかけるようにしてきました。障害者の家族が自分の住む地域社会を見る場合と、サービスの資金提供者である自治体がその地域を見る場合とでは、その様子が大きく変わることが多いのです。同じようにしてサービスを提供する専門家とその資金提供者である納税者の見方も大きく異なります。
私は英国の古典「ガリバー旅行記」のことを思い出しました。18世紀の初め、ジョナサン・スウィフトによって書かれたこの本は、人間のあり様に対する風刺の物語です。レミュエル・ガリバーという船長が4つの空想の土地を訪れますが、それぞれの土地の違いによってガリバーはまったく違う見方をされます。ガリバーの目を通して新しい世界を見ることによって、読者は人間を4つの視点から観察することができます。最初に、ガリバーは住人の背の高さが15センチほどというリリパットという土地を訪ねます。海岸に打ち上げられたガリバーの身体の上に登った住人達の目には、ガリバーは巨人と写りました。ガリバーが目を覚まし、彼のことを理解するにつれて今度はガリバーを超人と見るようになります。ガリバーがブロブディングナグという地へ旅をすると、住人は背丈が20メートルほどもあり、ガリバーは無能で劣った人間に見えました。3番目の土地では、住人は非現実的な科学者で、ガリバーは道理のわからない人間と見なされ、4番目は馬が国を治めている土地で、ガリバーは汚い動物として扱われます。
これらの鋭いコントラストによってガリバーが、そしておそらく人間一般が見られているのと同じように、カナダの障害者やその家族、資金提供者、そしてサービス提供者のそれぞれの見方には大きなひらきがあるのです。今日ここでお話ししたいのは、できるだけバランスのとれた見方で捉えた現状であり、個人や家族が現存する支援やサービスをどのように見ているかについてお話します。最後には、今日、カナダの障害の問題について議論が集中しているいくつかの課題についてコメントさせていただきます。そこには私個人の偏見が入ることも否めませんが、できるだけ忠実に障害をもつ個人とその家族の視点から話したいと思います。

■カナダの紹介

 まず、実際の数字を紹介します。カナダは世界で2番目に大きい国で、広さは日本の約25倍です。しかし、人口は約3千万人で、日本の4分の1にすぎません。気候は北方特有の気候ですので、ほとんどの人口は国の南側の米国との国境付近に集中しています。人口の4分の3以上は都市部に住んでいますが、日本と比べると都市の規模は大きくありません。最大の都市トロントの人口は440万人、その他の都市の人口は、モントリオールが340万人、バンクーバー約200万人、オタワ約100万人です。
カナダはここ数年、国連のHuman Development Indexで1位を示しており、GDPでは世界6位を占めています。
カナダは立憲君主制をとっている連邦国家で、民主議会を有しています。10州と3つの準州から成り、憲法によって意志決定は政府の二つのレベルに分けて行われています。
この政府の二つのレベルによって責任が2分され、障害者にとってはその割れ目に落ち込むように感じられることがあります。
カナダには英語とフランス語の2つの公用語がありますが、人口の18パーセントは他言語を母国語としてもっています。同じようにして、人口の28パーセントは民族的に英国系、フランス系、カナダ系以外の出身であるとされています。多様性はカナダの特色であり、ジェンダー、人種や民族的背景、宗教、性的傾向、家族構成などと並んで障害もまた多様性の中の一つの要素と見られることが多くなってきました。
カナダでは連邦政府が税収入のほとんどを生み出し、集めていますが、ほとんどの物やサービスを供給しているのは各州です。政府内の関係の基礎となる会計連邦主義に基づいて資金が連邦政府から各州に配分されます。会計連邦主義はつぎの4つの要素から成り立っています。

  • 均等化と、財政的に豊かな州から得た収入を財政的に苦しい州へと再分配させること、そして公的サービスのレベルの均一化
  • Canada Health and Social Transfer(CHST)という独立した資金による保健ケア、そして大学院レベルの教育や社会援助プログラムの支援
  • 準州の財政管理
  • 税の徴収

障害者に対する支援やサービスが提供できるかどうかは、これらすべての要素が大きく関わっています。均一化された予算配分によって全国どこでも同じようなサービスの基本が保障されますし、貧しい地域の障害者も基本的なサービスは受けられるということです。カナダ保健法の下では、前述のCHSTを通して得られる資金を管理調整し、基本的医療費がすべての人にとって無料になっています

■カナダの障害者に関する統計

障害者はカナダの人口の16パーセントを占めています。そのうち420万人が障害をもつカナダ人で、390万人は在宅、30万人が施設で暮らしています。年齢とともに障害発生率は上昇し、14歳以下では7パーセント、60歳以上では50パーセントに増えます。運動障害が最も多く、障害をもつ人の53パーセントを占めています。そのうち50パーセントが機敏性に問題があり、32パーセントが知的障害、25パーセントが聴覚障害、9パーセントが視覚障害、そして8パーセントが言語障害をもっています。
原住民アボリジニの成人が全国平均の2倍の30パーセントも障害をもっているということは注目に値すると思います。アボリジニの15歳から34歳の年齢層では、障害発生率は全国平均の3倍にも達します。
教育は州によって異なりますが、6ー8年の初等教育学校、4ー5年の中等教育学校、3ー4年の大学校から成り立っています。障害をもつ91パーセントの子供達は就学しており、62パーセントが普通クラスに入っています。ほとんどの管轄区域で障害をもつ子供にたいする公的教育は21歳になるまで受けられます。
障害をもつ人の雇用率ならびに労働力参入率はもたない人と比べると低い数字を示しています。軽度の障害をもつ人の労働力参入率は71パーセントで、重度の26パーセントと比べるとはるかに高いのですが、軽度の障害をもつ人の数はずっと多いのも確かです。
女子と男子の雇用率の差も大きく、男子の方が女子と比べると雇用されやすいといえます。障害をもつ男子と女子の所得は全国平均より低いようです。働く女性の障害者の平均年間所得は約1万3千ドルから1万8千ドルでした。障害をもたない男性が平均3万ドルの所得があるのに比べて、障害をもつ男性の平均所得は約2万2千ドルです。
15歳から64才の障害者の3分の1は障害に関連した収入があり、約半数の人は雇用による収入があります。他の収入源としては、社会扶助(障害者の19パーセントに対して健常者の4パーセントが社会扶助を受けています。)、年金(障害者の17パーセントに対して4パーセントの健常者)、労働災害保険、公的保険(障害者の8パーセントに対して、健常者の2パーセント)があります。

■障害をもつ人々のための支援とサービス

 1982年に、カナダは権利と自由の憲章を含む新しい憲法を採択しました。憲章には次のように述べられています。

  • 15条 第1章 すべての人は法の前、そして法の下に平等であり、特に人種、国籍、あるいは民族、肌の色、宗教、性別、年齢、または知的あるいは身体的障害によって差別されることなく、法による保護と利益を平等に受ける権利を有する。
  • 15条 第2章  補足1は、不利な立場にある個人またはグループの置かれている状況を緩和するのを目的とする法律、プログラム、または活動を妨げるものではない。その場合の不利な状況とは、人種、国籍または民族的背景、肌の色、宗教、性別、年齢、または精神的・身体的障害を指す。

憲章の中で平等の権利条項が採択されて以来、カナダには、障害は市民権の問題であるという強い世論が存在しています。障害をもつ人々が自分自身のことをどう見るか、あるいは政府とサービス提供者が差別しないために法的責任をどうとっていくか、そして障害者をコミュニティがどう統合していくかということに対して大きな影響を与えてきました。
障害を市民権と人権の問題であるとする最近の世論はカナダ全土の州政府が発行する政策の文書に明確に述べられており、連邦政府の州の文書にも登場します。しかし、すでにある支援やサービスはほとんど以前の政策の枠組みの下で生み出されたものです。ですから、現存の法律や政策、資金提供の仕方、そしてプログラムなどには、新しい考え方にそぐわないものがあり、緊張関係にあるものもあります。事態をもっと複雑にしているのは、支援やサービスに資金を提供しているのが2つのレベルの政府であり、必ずしもいつも調和のとれた状態でなく、一つの州で違った部署のプログラムの間に一貫性が欠けているということも多々起こります。
障害者向け支援やサービスには所得援助プログラム、サービス、そして減税があります。障害者に特定するものでない包括的なものもあり、他は分類されたもので障害者だけ、あるいは一種類の障害のみを対象にしたものがあります。
そこでは、まず、子供について主にどのような支援があるのか概略を説明し、それから現存する制度が抱える問題点を説明します。

■子供とその家族のための支援

 障害をもつ子供の家族は、ある一定の範囲の支援やサービスを受けることができます。前にも述べたように、国民健康保険はカナダの社会的プログラムを語る上で重要な特徴です。これは障害をもつ子供の親にとっての利点ですが、医師の診断や病院での治療が無料ではあるものの、障害に関連して費用が上乗せされることがたびたびあります。たとえば薬、補装具、住宅の改造、おむつ、特別食、などが含まれます。税制度は保護者が医療出費の中から減税を受けることができ(Medical Expense Tax Credit)、また他の費用については障害者特別税制(Disability Tax Credit)から減税を受けることができます。
しかし、どちらも還付制度(refundable credit)ではないので、十分な収入がある者のみ援助して、減税制度の利益を受けられるように税金を納めるということになります。住む州によっては処方された薬を延長医療手当てで受けられる所があるものの、働きながらも貧しいといわれる家族や生活保護を受けている家族はこれらの恩恵を受けられません。
カナダには全ての子供のケアを対象にしたプログラムはないので、障害をもつ子供達も他の子供達と同じ選択肢の中から公的あるいは民間、任意団体の保育を選ぶことになります。一般の保育プログラムに障害をもつ子供達を統合すべきという強い運動が起こったことがありました。ケベック州ではここ10年間に10倍の数の障害者が統合保育を受けられるようになりました。
同じようにして、カナダ全土で普通教育への障害児の統合へとの動きがあります。統合教育は一般に、もし障害がなかったとしても行ったであろう学校の普通学級に、同じ年齢の子供たちと一緒に入ることを指します。カナダのほとんどの地域では、子供の住む近隣の学校が対象になります。
1992年に行われたカナダ全土の政策とプログラムに関する調査によると、必ずしもすべての子供達に選択の自由があるわけでないものの、すべての州の政策では統合に賛成しているという結果が示されました。ニューブランズウィック州だけが統合を義務づける規定を定めています。他のほとんどの州では可能あるいは許可するという段階です。下の表は州と準州の法律や政策をまとめたものです。(この調査は第3番目の準州ヌナヴァットが1999年に生まれる前に実施されました。)

カナダの教育行政における統合政策
行政単位(州・準州の規定内容)

 ノバスコシア(文書化、可能)
 ニューブランズウィック(法制化、義務)
 ニューファンドランド(文書化、可能)
 プリンス・エドワード島(政策、可能)
 ケベック(文書化、許可)
 オンタリオ(法制化、許可)
 マニトバ(非文書化、可能)
 サスカチワン(文書化、可能)
 アルバータ(政策、可能であれば賛成)
 ブリティッシュ・コロンビア(非文書化、賛成、可能)
 ユーコン(政策、賛成、可能)
 ノースウェスト・テリトリーズ(政策、賛成、可能)
*1 出典 Little、1992

子供の統合教育を望む多くの家族は、権利と自由の憲章によって普通学級への編入を拒否されることが差別とみなされるようになると期待しましたが、カナダの最高裁判所はそのように判断しませんでした。1997年の判決で最高裁は、ブラント郡教育委員会が知的障害をもつエミリー・イートンを特殊学級に編入させたことを15項に違反していないと判定しました。エミリーは3年間普通学級で過ごし、親もそのまま普通学級に残すことを希望していましたが、教育委員会は分離した教育の方が彼女にとってふさわしいと判断したのです。最高裁は、一般に、統合教育は進めるべきであるが、知的障害をもつ子供を受け入れる一つの方法として分離する方法もあると判断したのです。
1980年代までは、目立った障害をもつ子供が家族から離れ、養護施設などに入ることは珍しくありませんでした。この10年の間にそのような施設の多くは閉鎖され、子供が自然な形で家族と共に暮らすのを支援するしくみが生まれました。たとえば、オンタリオ州では、Specialised Services at Home と Assistance for Children with Severe Disabilitiesという、在宅の障害をもつ子供達をサポートする二つのプログラムが生まれました。どちらも身体に障害をもつ子供や知的障害をもつ子供と大人にかかる巨額の費用の面で、親を援助するために生み出されました。

Special Services at Home は次のような子供のいる家族をサポートします。

  • 18歳以下で身体に障害をもつ者
  • 障害をもつ子供、または大人

Special Services at Home は広い意味で個人の発達と成長および/または家族の救済と援助というようなニーズを満たすことに焦点をあてています。
このプログラムは人を雇う資金を提供し、親が子供に食事を与えたり風呂に入れたりするのを助けること、あるいは親が休養を必要としている場合に子供の面倒をみること、またはコミュニティの中に子供がもっと積極的に参加できるように補助することができます。Special Services at Homeは家族の所得に関係なく受けることが可能です。
Assistance for Children with Severe Disabilities は病院への交通や特殊な靴、衣類、親の救済、車椅子の修繕、補聴器のバッテリーのように子供の状態に関わる費用を負担します。このプログラムは所得が一定基準を下回る家庭のみが対象となります。

■大人を対象にしたサービスとプログラム

 一般に、障害をもつ者が18歳に達した場合、支援プログラムやサービスを受ける資格が大きく変ってきます。ほとんどの場合、家族の所得が資格を左右することはなくなり、本人の権利を基に判定されます。
オンタリオ州を再び例にとって、1998年6月に実行に移されたthe Ontario Disability Support Program(ODSP)を見てみましょう。このプログラムは経済的なニードがある障害者に対する所得保障や働きたい障害者に対する雇用サポートが含まれます。ODSP所得保障はもし障害が結果的に個人のケアやコミュニティでの機能、あるいは職場での機能を果たすのに根本的な制限が加えられる時に受けられます。
所得保障を受けるには、個人財産や所得が考慮されます。独身の場合、最高で5千ドル、既婚の場合は7千500ドル、そして扶養義務のある子供1人につき500ドルの追加があります。他に財産として認められるものには、主な住居と主な自家用車が含まれます。
個人のODSPは家族の人数、あるいは保護にかかる費用、そして他に収入があるかどうかなどによって決まります。個人はもしカナダ年金計画や労働災害保険委員会、雇用保険または他から目立った額の収入がある場合は資格をなくします。
ODSPの受給資格をもった個人はまた、処方された薬や歯科治療、眼鏡、補聴器、特別食に必要な特殊品(たとえば糖尿病関連支給品、外科用品と衣類、交通費、車椅子の修繕、そしてバッテリー)や就労のサポートを受けることができます。
ODSPの就労サポートは仕事をみつけたり仕事を失わないように、障害にとってバリアになるものを減らした、あるいは取り払うようになっています。ODSPの所得保障を受ける資格がなくても就労サポートは受けられます。就労サポートには次のことが含まれます。

  • 就労計画を作るのを手伝う
  • 就労準備と訓練
  • 職業指導
  • 職業配置
  • 補助具
  • 通訳、読み係、ノートとりと調整サービス

 障害をもつ人に対するこのような個別のサポートに加え、オンタリオ政府はサービス提供機関に対して休養サポートやコミュニティ・リビング・サポート、コミュニティ参加サポート、そして特殊なコミュニティ・サポートを含むさまざまなサポートの資金を提供します。これらは幅広い種類のサービスやサポートをカバーしています。
レスパイト・サポートは中心になる介護者をサポートします。その中には訓練を受けた人が呼び出された時だけ訪問したり、定期的に訪問する在宅レスパイトや、日中や一泊、あるいは延長という形で通いのレスパイトを受けることができます。通いのレスパイトはサービス提供者が運営する家やホスト・ファミリーの家で受けることができます。
コミュニティ・リビング・サポートには、個人の生活のサポートやグループで生活する場合のサポート、そして仲間と生活するサポート等が含まれます。個人の生活サポートは自立生活をサポートします。一般に、サポートは2人以上の場合は提供されず、24時間サービスもありません。グループ生活サポートは3人から6人で暮らす人達全員がサポートを必要とする場合、そして共同生活サポートはホストファミリーと共に暮らす場合に受けられます。普通、2人以下の人がサポートを必要としている場合に一つのホストファミリーと暮らします。
コミュニティ参加サポートには就労サポートとコミュニティ・アクセス・サポートが含まれます。就労サポートには職場や作業所でのサポートが含まれます。コミュニティ・アクセス・サポートは人々がコミュニティに参加し、個人の能力を開発してコミュニティ・サービスやサポートにアクセスするために企画されています。これには障害をもつ人々がボランティアや生活技術を身につけるサポートをすることが含まれます。
特別なコミュニティ・サポートは個人の住む環境で介助する決まったサポートや、個人のコミュニティ・サービスに対するアクセスの能力を開発するために企画されました。その中には行動介入や幼児発達、そしてサービス調整と成人保護サービスが含まれます。
コミュニティ社会サービス省は、1998年に始まり、2年にわたり実施されてきた社会サービスの再編成を行う計画を発表しました。この再編成の一環として、政府は知的障害をもつ人々を対象にしたサービスの計画、Making Services Work for Peopleを発表しました。この計画にはゴールがいくつかあり、より簡単にアクセスできて容易に受けやすいさらに多くの個人向けサポートを提供していくことに焦点をあて、その他政府の重要課題である費用の削減、社会プログラムに頼りすぎないようにすることや信頼性を高めることがあります。

再編成されたサービス制度は次のような特色をもつことになります。

  • 個人を主体にした企画の立て方
  • 個人が力をつけ、選ぶ
  • 柔軟性
  • 対応の良さ
  • 責任感

実施の過程で、コミュニティ社会サービス省が資金提供している機関のサービスを受ける知的障害者は、Individual Support Agreementを提出しなければなりません。この同意書はサービス提供者の資金の分配と、個人が受けるサービスとサポートとの関係を設定します。つまり同意書は、今、どのサービスが提供されているか、そして費用はいくらかをおおよそ説明するものです。オンタリオ政府が1999年から2000年にかけてカナダドルで7億2千200万ドルを、発達障害をもつ人々のためのコミュニティ・サービスにかけるとしているのは注目に値することです。

Individual Support Agreementで受けられるサポート(オンタリオ州)

A.レスパイト・サポート

  • 在宅レスパイト
  • 自宅外レスパイト

B.コミュニティ・リビング・サポート

  • 個人的リビング・サポート
  • グループ・リビング・サポート
  • 仲間リビング・サポート

C.コミュニティ参加サポート

  • 就労サポート
  • オンタリオ障害サポオートプログラム (ODSP)雇用サポート
    ◇コミュニティ・アクセス・サポート

D.コミュニティ参加サポート

 オンタリオ州の知的障害をもつ人々に提供されるサポートはきちんと分類されるものの、他の障害をもつ人や他州の視点から見ると状況はより複雑です。たとえば人口100万人以下の小さな州ニューブランズウィック州の場合、障害をもつ人々のための雇用関係プログラムは主に次の局や機関の管轄下にあります。

 ○ ニューブランズウィック州人材資源開発局(HRD-NB)
 ・社会扶助
 a)中間扶助
 b)移行扶助
 c)延長給付金
 ・障害者の職業リハビリテーション(VRDP)
 ・訓練雇用サポート・サービス(TESS)
 ・保健サービス・プログラム(州政府の保健プログラムでは保障されない補助具等を必要とするHRD-NBの患者向け)

 ○ 上級教育労働省
 ・Visible Abilities program
 ・雇用開発プログラム
 ・ニュー・ブランズウィック・コミュニティ・カレッジ制度とプログラム
 ・学生支援プログラム(学生向け貸与と奨学金)
 ・読み書きプログラム(Literacy New Brunswick Inc.を通して)
 ・労働側支持者

 ○ 保健コミュニティ・サービス局
 ・訓練雇用支援プログラム(STEP)

 ○ 職場保健安全補償委員会
 ・事故傷害予防サービス
 ・雇用保険
 ・けがをした労働者に対する給与補償、医学的および職業リハビリテーションサービス

 ○ 財政局
 ・売り上げ税控除(自動車および自動車用部品購入)

 ○ 運輸局
・自動車改造助成金

同じようにして、全国で障害をもつ人に対する下記のような所得補償があります。

  • 基本的ニーズや障害補償としての一般福祉給付金
  • 福祉制度外の障害に係わるニーズに対する公的所得保障
  • 長期および短期障害者保険給付
  • カナダ年金計画とケベック年金計画による障害給付金
  • 労働者年金
  • 税制

障害の原因をプログラムの受給資格としている場合が多々あります。また、現在や過去の労働経験が受給資格となることもあります。したがって、同じようなニーズをもっている人達は障害の原因や以前働いた経験があるかないかによって違ったサポートやサービスを受けられるいうことになります。

■障害をもつ人々とその家族が現在の状況をどう見ているか

  政府や納税者が現在の社会プログラムにかかる費用に注目する一方で、障害をもつ人々は少ししか予算があてられていないこと、そして無駄な使い方がなされていることを批判します。The Roeher Instituteによる障害をもつ青少年とその家族に関する最近の研究によると、いくつか気になる点が指摘されます。次の章ではその研究結果の要約から直接説明したいと思います。

*人口の中で障害をもつ子供の割合が増えている。その理由としてあるのは、

  • 医療技術の発展によって、障害や複雑な医療ニーズをもつ子供達が生きられるようになった。
  • 脳挫傷や他の障害を残すような事故の発生数が増えている
  • 子供の精神病発症率が増加している
  • 喘息などの発症率の増加

*社会サポートに対する投資額が減少している。
連邦政府や州政府は社会プログラムに対する予算を削り、家庭でのサポートやレスパイト、あるいは治療サポートを削減しています。

*統合教育にはバリアーが存在する。
統合教育のサポートは多くの地域でカットされ、子供達の多くは近隣の学校の普通学級に入れなくなっています。1999年には、オンタリオ教育委員会が障害児の親に、新しい予算では教育委員会がかれらをサポートするのは無理なので子供達を家庭に置いておくように伝えました。

*子供の身体的および性的虐待が増えている。
障害をもつ若者は特に高い率で性的虐待を受けています。調査によると聴覚障害をもつ男女の50パーセントが性的虐待を受けていました。知的障害者の場合は、虐待を受けているのは男性が少し少なく、女性は多いことがわかりました。

*犯罪司法制度の中の法的権利にはバリアーが存在する。
虐待の発生率の高さにもかかわらず、障害をもつ子供達は障害をもたない子供達と比べて法廷での証言の信憑性やコミュニケーションの難しさから訴訟を起こすことが極めて少ないのです。

*障害をもつ子供達は社会やコミュニティの中で限られた機会しか与えられていない。
障害をもつ子供の約50パーセントは地域社会のレクリエーション・プログラムに参加しています。参加していない人の理由は物理的に参加できない、十分なスペースがない、または費用が高すぎる、近くに施設が不足しているなどです。

*新しい優生学的運動に対する関心が生まれつつある。
胎児の段階で障害をみつけるための遺伝子テストやスクリーニングが医療ケアの報告書の中で使用されることが増えつつあります。この動きは医療費の増加に対する懸念や障害児の面倒をみる家族の負担、あるいは将来の世代が受け継ぐの染色体の負担などという表現で表されます。増えつつある生態倫理に関する書物の中で、障害に関わる遺伝因子の違いに基づい選択中絶が正当化されています。

*障害を再医療化する傾向が生まれています。
カナダでは1970年代と1980年代に、障害関係の企画の責任所在が保健省から社会サービス省に移されました。これは、障害が医療の問題というよりも社会の問題であるとの認識からでした。しかし、多くの州が社会的な面の予算を減らしているので、サポートやサービスを受ける資格が厳しくなり、条件を満たすためには重度の障害と医療的に診断されることが必要となることが多くなりました。

*障害をもつ子供達はますます弱い立場に置かれている。
性的あるいは身体的虐待を受ける率が高いというだけでなく、児童福祉施設の中にいる障害児の割合も高くなっています(アルバータ州だけで約60パーセントを超えています。)。児童福祉施設に受入れられる障害児の数が増えるというだけでなく、長期間留まることが多く、養子縁組みがなされることも少なく、施設から施設に移されることが多いのです。もっと深刻なのは、親による障害児の殺害とこれらの親に対する一般の人々の同情なのです。

*障害をもつ子供達の親を受け入れる労働市場は限られています。
障害をもつ子供達の親にとって働く場は一般の人々と比べて非常に限られています。出世を断り、割り当て作業を断り、時間外勤務を断り、会議や他の場面に参加できないので、シフトのあるような仕事は難しいと言います。職場で融通がきかないと、さまざまな予約や病気、あるいは緊急事態に対応するのが難しくなります。仕事や子供の世話に必要とされることによって、多くの親は孤立し、負担が大きくなって、疲労感とストレスばかりが残ります。

 障害をもつ大人の場合、心配ごととしては雇用や収入、障害に関連したサポートや市民権などが中心にあります。つまり、障害をもつ人々は働くことに対する動機に欠け、多くの場合経済的に貧しく、そして一般的なサポートや障害に関連したサポートやサービスを受けるのが難しく、市民として自分の権利を主張したり責任を果たすのに無理があると感じています。所得と障害に関連したサポートやサービスから生まれるクモの巣は、罠のようにさえ感じられます。
障害をもつ人々の社会給付金は障害者の市民権が認められる前、そして労働市場への参加が想像もできない前に計画されたものです。ですから、給付金は福祉の枠組みの中で生まれました。障害をもつということは、働くことができないのでいくらかの給付金を受ける資格が与えられるということなのです。
このような状況は障害をもつ人々を難しい立場に立たせます。彼らは給付金を受けて働かないか、あるいは給付金をあきらめて働くかのどちらかなのです。福祉制度の前提は、一部分の人口は一時的に職がなく、基本的な食料と住宅を必要とするものの、必ず仕事に戻るよう奨励されるべきであるとしています。福祉は長期の給付金の支払いを前提としてはいないのです。
しかし、障害をもつ人々の特別なニーズを認め、福祉プログラムは追加収入として、あるいは同様にサービスという形で給付金を増やすということをやることが多くあります。もし障害者が職についた場合、収入は福祉の給付金に代わりますが、多くの場合障害に関連したサポートやサービスは受けられなくなります。したがって、、介護ケアや延長保健のように必要であるけれども自分では費用を負担できないサポートやサービスを受けるために労働市場から身を引くのです。
新しいオンタリオ障害サポート・プログラムはこれらの働かない理由をなくそうとするものですが、障害をもつ人々やその家族の経験からいうと、働けるということが他のサポートの資格を失うことを意味することが多いということを証明しています。多くの人は仕事を結局は失うのではないか、あるいは将来給付金を受ける資格をなくすのではないかという不安から働こうとしません。雇用機会が限られていることと、多くのプログラムの受給資格に資産の制限があるので、障害をもった人達は障害に関連したサポートを受けるということは、常に貧しい状態になるという判決を受けるようなものなのです。
障害をもつ人々によって明らかにされた2つ目の問題は、受けるサポートやサービスをコントロールする力を彼らはもたないということです。多くの州で選択肢を増やしたり個人がサービスを「買う」ことができるように資金援助をしてきましたが、資金の大部分は誰を対象に行うかどのようなサービスを行うかを決める機関に流れてしまします。
3番目の問題は、障害を市民権ととらえる意味が明確に理解されていないということです。権利と自由の憲章は明らかに障害に基づく差別を禁止し、障害をもつ人々を含め、カナダ国民のすべてに平等を保障しています。しかし、カナダ国内で市民の積極的な参加による民主主義を推進するためにはどうしたらよいかという議論が活発になってきたのはここ数年のことです。カナダ政府は、民主的過程を強めるため、戦略としての政策を作成できるように市民社会の明確な役割を作っていくための委員会なのです。しかし、障害者を含む最も弱い立場に立たされている人たちがどのように保護され、その声が活かされるようにするにはどうすればよいかは、まだはっきりとわかっていません。
その間も、障害者にとっては差別的としか受け取れないような政策やプログラムが生まれていきます。たとえば、カナダ政府はつい最近、州と準州政府と協力して、主要なNational Children's Agendaを打ち出しました。障害児をかかえる家庭では、この案の枠組みが排他的であることを不安に思っています。この中では「健康な子供の発達」をモデルとしていますが、それはつまり子供に学ぶ準備ができるためには、6歳までにここまで達していないといけないというような基準が設定されるということになります。運動、認知、知覚の発達の面で、これらの基準に達しない子供はその制度の「落ちこぼれ」とみなされてしまいます。当然のこととして、障害児の親はすべての子供達の発達を認められるようにagenda の変更に奔走しました。

■まとめ

  ここまで、カナダ国内に地域社会が障害者の参加を支援するためにどのようなプログラムやサービスがあるかみてきました。そして障害者自身とその家族がそれらをどう見ているかも説明してきました。現在の状況を理解するために、ガリバーならどのくらいまでその概要を説明しきれたと言うでしょうか?
まだ、少しだけ重要な部分が欠けています。
まず、それぞれのレベルの政府間の力関係を変えることで、障害をもつ人々の生活を大きく変えることができます。カナダは財政的な連邦主義をとっており、連邦政府が税収のほとんどを集め、州がほとんどの物品やサービスを提供しています。憲法によって権限も分割され、保健、教育、社会サービスの権限が州に委ねられます。しかし、連邦政府はこれらの分野での財政面をにぎっており、それによってサービスの提供のしかたに口出しができるようになっています。
1960年代後半、連邦政府は社会プログラムの費用を州と共同負担できるしくみを作りました。州がいくつかのガイドラインにそって進める代わりに、各州は1ドルの出費に対して必ず50セントが返してもらえることになったのです。結果として、連邦政府の規則を尊重することによって、州はプログラムにかかる費用の半分を埋め合わせてもらえることになったのです。もし同じレベルの予算が保たれれば、実際に実施される社会プログラムは内容が2倍にもなるのです。この新しい連邦のしくみはCanada Assistance Plan(CAP)と呼ばれ、1970年代にカナダ全国にわたって社会プログラムを急速に発展させました。
障害者にとってその影響は特に大きかったといえます。CAPは社会プログラムなので、州の社会プログラムだけ財政面の裏付けを得られました。また同時に、州の保健局は障害者を対象としたプログラムを実施していました。知的障害者の場合、精神科医が運営する施設の制度がサービス制度の柱となっていました。連邦政府からの予算に引き寄せられ、州政府は知的障害者のためのサービスの責任の所在を社会サービス局に移すようになりました。そして、あらたに使えることになった資金は障害を医療の問題でなく社会の問題とするさまざまなコミュニティ・プログラムを生み出すきっかけとなったのです。
その後、数年の間に州政府は管轄区内での権限を高めていきました。1994年、財政的緊迫状況に陥った時、連邦政府は州政府と取り引きをしました。連邦政府は保健、教育、そして社会プログラムへの予算の削減と引き換えに、州政府への分権を図ったのです。CAPはなくなり、州政府がCAPの下でプログラムの適正などの詳しい調査をする代わりに、まとまった形で予算を分配できるようになりました。
1999年2月、連邦および州、準州政府はFramework to Improve the Social Union for Canadiansに署名し、政府の各レベルの間の協力への新しい過程を表明しました。社会連合の公文書には、州の権限と連邦政府の社会的プログラムに対する影響力や予算の割り振りに係わる権限を保ちたいという希望の間にある微妙なバランスが表れています。
社会連合の話し合いを通して、障害の問題は二つの政府レベル間の協力を必要とする分野であると認めました。州にはサービスを提供する責務があり、連邦政府は予算を握って、障害者雇用支援プログラムと呼ばれるブログラムを通して、州の雇用プログラムの資金援助をしています。連邦政府はまた、税制のように完全に自分達の管轄下にある道具をもっと活用する途を探っています。したがって、連邦政府は過去数年にわたって障害者とその家族を支援するための税対策や他の対策を打ち出してきました。
カナダの障害者に対するサポートやサービスの二つ目の重要な特徴は、地方レベルでの実施のしくみです。公的、第3セクター、民間、任意団体などが入り交じった形で実施されています。もっと狭い地域では、一つの特定のサービスを提供するのは一つの機関であり得ますが、より広い地域ではいくつかの機関が関わっています。何よりも過去の経緯がそれぞれのコミュニティにおける機関の種類を決めてきたといえます。サポートを必要とする人々にとって、その顔ぶれはまとまりがなく、進めていくには難しいといえます。
最近、カナダでは地方分権への強い動きが生まれてきました。州政府は保健サービスや児童サービス、そして障害者向けサービスの財源分配の責務と権限を地方の団体に移してきました。この方法だとニーズのある所に近いところで決断が下せるという利点がありますが、地方間の差が生まれる可能性もあります。
最後に、もう一つだけ説明を加えさせていただきます。今のところ障害者に対するサポートやサービスは、連邦政府の影響を多少受けながら地方レベルでさまざまな機関が交じって提供されていますが、州や準州政府の政策、資金の問題だと言いました。その説明の中には、今一つとても大切な要素が抜け落ちています。つまりそれが障害者団体であり障害者自身です。
障害者団体は、カナダという国の全体像からいうと重要な部分を占めています。たとえば、Canadian National Institute for the Blind(CNIB)は、1928年から視覚障害を持つ人々のためのサポートやサービスを提供してきました。CACLは1940年代後半に一般的なコミュニティサービスを受けられない知的障害をもつ子供達にサービスを提供するために設立され始めました。1980年代始めから障害者団体の数が増加しはじめ、それ以前はどちらかというと温情主義的あるいは慈善事業的な団体が障害をもつ人自身の権利や自分達の人生について自分で決断するということに敏感になりました。
1980年代の初めまでには、障害者に係わる国民全体の一致した意見を生み出そうとする努力や政府と市民を総合的な協力的な過程に巻き込む努力はほとんどなされませんでした。国際障害者年を記念して、カナダ議会は特別議会委員会を設立しました。委員会に属する議会のメンバーは広く障害者や障害者団体と話し合い、1980年にObstacles Reportを発行しました。このリポートがリハビリテーションの視点からではなく、権利に基づく視点から障害を捕らえるきっかけを作りました。そしてまた、連邦政府と障害者を代表するコミュニティ団体の間の協力がはじまるきっかけにもなりました。
委員会の意見聴取会で、コミュニティのグループと政府の代表との間に生まれた関係は、権利と自由の憲章の中に障害をもつ人々の平等の権利の条項を盛り込むのに役立ちました。その結果、政府とコミュニティの間の互いに影響し合う過程が少しずつ洗練されてゆきました。障害に焦点をあてることを委任されている委員会がコミュニティと話し合っただけでなく、コミュニティの代表は財政、保健、人材開発、児童、法律、交通、そして外交を担当する委員会に定期的に出席するようになりました。
連邦政府は障害者の全国組織のいくつかに運営資金を提供し、これらの団体や障害者団体によるプロジェクトや研究の資金を提供します。 連邦政府はまた、時事問題や現在実施されているプログラムについて定期的にコミュニティのグループの意見を聞くことになりました。
このような協力が生まれたのはただ単に連邦政府が心が広く優しいからというわけではありません。障害者団体は一般政策作成過程で重要なカギを握る存在としてロビー活動を続けてきました。グループと連邦政府の関係がどちらかというと協力的である一方、コミュニティ・グループはその独立性を守り、必要な時には敵対側に立つこともありました。
たとえば、1994年のCanada Health and Social Transferを生み出し、予算のカットが行われた後、障害者グループは連邦政府が障害分野で強い立場を保つために浮き足だっているのではないかと思いました。障害者グループは連邦政府の役割を財政面で重要とみるだけでなく、憲章の中の障害者対策の条項の中心性を保つ上でも、そして全国の質とアクセスの基準を保つためにも重要であるとしています。したがって、グループは一般の圧力を増大させ、特別の政府Task Force on Disability Issuesが生まれました。そのレポートは障害の問題を連邦政策課題とするのに役立ちました。
コミュニティ・グループがいくつか重要な点で政策の方向を決めるのに影響を与えることができたことは注目に値するといえます。たとえば、自立生活運動の基本的な考え方は政策の企画立案者に、障害者が自分自身の生活や受けるサポートとサービスを選択できるようにすることが必要だと気付かせました。
コミュニティ・リビング運動は教育制度にも大きな影響を与えました。まず、運動は知的障害児のための特殊学校をつくる役目を担いました。これらの学校は少しずつ教育委員会の管理下に移されました。同じ運動はそれからカナダに統合教育の考え方を紹介し、教育当局は統合教育へと変って行かざるを得なくなりました。
同じようにして、コミュニティ・リビング運動は1980年代後半に知的障害者のための施設の閉鎖を声高に支持しました。そのような施設には今だに何千もの人々が生活している一方で、その数は激減し、法的ににも施設へ頼ることを減らしていくことが正式な政策として決まっています。
脱施設化に大きく貢献したのは連邦政府とカナダ・コミュニティ・リビング協会であったということは注目に値します。5年以上、連邦政府は6つの州のプロジェクトに対して資金援助し、施設を離れてコミュニティで生活するのを援助するための費用に充てました。
プロジェクトは連邦と州政府、そして全国レベルのコミュニティ・リビング協会の4つの協力関係で成り立っていました。プロジェクトは施設を出るのを支援することができたばかりでなく、2つのレベルの政府、そして政府とコミュニティ間の共同企画と政策開発を生み出せたと言えます。

■楽観視できる理由

 カナダの障害者のためにある現存プログラムの限界について批判することは簡単かもしれませんが、良い面を指摘することも十分できるといえます。1992年に連邦、州、そして準州政府を通して、障害者を代表するコミュニティ・グループの位置づけに関する統一した見解が生まれました。ケベック州以外が同意している最近の州政府合同文書は「平等、統合、そして自立」に基づいています。慈善に基づいたものから権利に基づいた形の障害者対策へと徐々に移り変ってきました。各政府はそれぞれの政策とプログラムの間に一貫性を見出し、より効率良く、障害者が経験する分裂を排除しながら、調和へと真剣に取り組んできました。
施設で生活する障害者の数は少なくなり、多くの場合、資金面を独立させることによってサポートやサービスを受ける人自身がそれについて決められるようになりました。コミュニティはさまざまな方法で地域生活でのあらゆる側面で障害者を受け入れる社会的責任を認めるようになりました。それは障害をもつ人を雇うビジネスや障害者を受け入れる住宅協同組合、障害をもつ学生を受け入れるコミュニティ・カレッジ、そしてカナダの多様性を表す代表として障害者を含む広告などに表れています。
もっとはっきりした例は、今障害をもっている大人と、障害をもつ幼い子供の家族がもっている期待を比べた時に表れます。若い世代の家族は子供の人生にレッテルが貼られることを望まず、診断の結果や障害の分類によって子供の可能性に限界が生まれることがないように一生懸命闘います。自分の子供達にサポートやサービスを提供する主要な責任を担っているのがそうした機関であるという考え方を拒否するのです。むしろ、個別の資金援助を求め、コミュニティの中で自分の息子や娘が普通の生活ができるように彼らの欲するサポートやサービスを買い求めようとするのです。

■求められていること

  カナダにおいて、障害をもつ人々がどんな状況にあるか、受けるサポートやサービスという面からも、あるいは自分達の生活をどうとらえているかという面からも、いくらかお分かりいただけたと思います。お話を終わる前に、ここで少し時間をとって将来のこと、そしてどのようなところを変えていけばコミュニティが障害をもつ人とその家族の希望をかなえることに近づけるかを考えてみたいと思います。その点について行動に移すべき3つの点を提案します。
最初に、権利と自由の憲章の平等と権利の条項がもっと実際的に影響を与えていかなければなりません。それは障害に基づいた差別を取り除くと同時に、障害者がコミュニティ・ライフの中のすべての場面に参加できるように特別のサポートを改善していくことを意味しています。これは障害が連邦と州、そして準州レベルで政府の政策の全ての面に影響する全般的な問題であると捉えられなければ可能ではありません。そうすれば、子供達のための新しい協議事項であれ、雇用に関する政府間の合意であれ、障害者の市民権は高まるのです。
2番目に、障害関連のサポートとサービスを受けることと、所得保障プログラムの受給資格とを分けて考える必要があります。そうすることによって雇用されることを望まなかったり、障害をもつ人々が貧しいままでいなければならないということから自由になって必要なサポートを受けられるようになるでしょう。現存のすべての公的、あるいは民間の、収入やサービスの両方を計算に入れたサポートを提供できる全国規模の制度が必要です。
最後に、コミュニティが障害者の完全な統合を支援できるように、コミュニティの力をつけるためにも我々の能力を高める必要があります。障害がカナダのコミュニティの多様性を表す要素の一つであるとみなさればみなされるほど、われわれはより大きな成果を手に入れることになります。挑戦すべきは、コミュニティのすべてのメンバーが障害を受け入れるという責任を分かち合う、その時に向かって歩み始めることです。今、障害はほとんど個人的な問題と見られたり、あるいは政府の介入が必要と見られたりします。よくあるのは、コミュニティが統合できるように支援する代わりに、障害をもつ人が参加するのを支援、サポートすることに焦点をあてた戦略が立てられることが多いのです。教育制度は私たちにある積極的な例を示してくれています。
ニューブランズウィックのウッドストックはおそらくカナダの中で最も優れた統合教育制度をもっていると思われます。統合への勢いは2つの方向からやってきました。まず、分離プログラムを止め、障害児を普通クラスに受け入れることを望んだこと、そして2番目に、すべての子供達に最高の教育を与えたいと望んだことでした。人材を再編成し、専門性の開発を広げ、成功へと全力投球で努力することによって、教育委員会は基準化テストの点をのばすような制度を生み出しました。また、同時に完全な統合教育を実現したのです。最近、この改革の責任者であった元行政官が私に伝えてくれたことがあります。彼は特定の障害についてほとんど何も知らないこと、そしてそれが統合教育を実現するための必要条件だと思ったことがないということでした。彼はその代わりすべての子供達がどのように学ぶかということ、あるいは多種多様な知性、そして問題解決のために教師のもつ自然の力を引き出すことにかけては専門家だったのです。さまざまな障害に関係あるとされる特徴に注意を払うことなく、彼はすべての子供たちを統合できたのです。もっと注目すべきは、この制度が統合されてから10年以上もたちますが、学校の児童に変化が見え始めているのです。分離教育を経験したことのない子供達が障害に関連して示すことがよくあるような特徴の多くを示していないのです。
この話はまた、レミュエル・ガリバーのことを思い起こさせます。もし彼がニューブランズウィックの学校を訪れたら、彼はカナダの障害をもつ人々について、おそらく現在の姿というより将来の姿を象徴するような特別な見方をするのではないかと思います。1700年代にガリバー旅行記を書いている中で、ジョナサン・スウィフトはコンピューターや月への旅行、延命治療による倫理的なジレンマについてすでに予測していました。彼が予言していた未来は現実になりました。私は、私が描いている未来が同じくらい正確であることを願っています。