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2012年度CBRセミナー CBR vs三方よし 報告書

◆講演
伝統的価値体系と障害と生計に対する
地域に根ざした取り組み

ピーター・コールリッジ
(フリーリサーチャー)

司会 それでは早速、午前中のプログラムに入ります。お一人の方と、それから三人の方をグループでお招きしております。まずお一人目の講演者、ピーター・コールリッジさんの紹介と、このセッションの進行を琉球大学教授の高嶺 豊さんにお願いいたします。

高嶺 皆さん、おはようございます。高嶺と申します。ピーターさんの紹介が、皆さんのお持ちの冊子の25ページ(本報告書65ページ)にありますので、そちらをご覧いただければよろしいと思います。

障害と開発分野で著名な方であるということは、皆さんご存じであると思いますし、それから様々な出版物も出されております。

中東地域のヨルダン、パレスチナ、レバノン、それから南アジアのインドとか、そういう地域の開発、特に障害と開発問題を研究されて実践されてきている方です。

東アジアのほうは、あまり来られたことがないということですが、今回、日本に来ていただいて、大変うれしく思っております。それであまり長くなるとなんですので、早速ピーターさんに講演をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。


ピーター・コールリッジ氏講演

「開発とは、社会共通の利益のために関係が強化されていくなかで進んでいくものである。」1

はじめに

東京で開催されるこのセミナーに招待され講演する機会を与えられたことを光栄に思う。遠い地球の反対側から人を招くということはすなわち大きな期待を持たせることである。そのような招待を受けたことに恐縮するとともに大変名誉に思う。

障害分野における私の取り組みは、特に中近東、アフガニスタン、インド、及びアフリカ南部など、すべて途上国における経験である。十分に発達した福祉制度のある先進諸国の障害分野で仕事をした経験はない。しかし、私が話そうとしていることは、先進国、途上国の双方に関連していると思う。

私の経験は30年以上もさかのぼるが、その間、考え方、政策、実践において大きな変化があった。ここ10年前後、私は障害と生計に焦点を当てており、2010年発行のWHOの「CBRガイドライン」の「生計」の章の主執筆者であった。そこで、今回はインクルーシブ開発との関連で生計について話すことにする。

国連障害者権利条約

過去30年間、障害の状況を調査していると、国連障害者権利条約(権利条約)が障害に対する考え方と取り組みにおける基本的なパラダイム・シフトとして際立っている。障害者は慈善、医学的治療、及び社会的保護の「対象」としてではなく、むしろ、権利を有し、その権利を主張して自らの人生について決断をすることができる「主体」として見なされる。権利条約は、障害者を障害者自身に変化をもたらす主体であると見なし、インクルーシブな社会を構想しているのである。

権利条約について話したいことが二点ある。一点目、権利条約は重要な功績ではあるが、その存在だけで障害者の生活を変えることはない。人は権利と法律では生きていけない、つまり、人は議会が制定する法律によって発展していくのではない2。実施戦略と過程が必要である。権利条約は、政策及び実践を通して履行されなければならない一連の基準である。

二点目、インクルーシブな社会という概念は新しいものではない。今回の講演の主要な点は、日本を含む多くの国の伝統的価値体系に注意を向けることである。これらの国々では公正でインクルーシブな人道的社会が伝統的価値体系の最も重要な要素となっている。私は今日の講演で、伝統的価値体系と権利条約、地域に根ざしたリハビリテーション(CBR)とコミュニティにおけるインクルーシブ開発(CBID)、それぞれの間の関係を描写しようと思う。工業化の進んだ社会ではこれらの伝統的価値体系を大きく見失ってしまっている。そして、権利条約、CBR、CBIDという三つのツールが、私たちの人間性に欠くことのできない古来の深遠な理想を私たちの中に呼び起こしてくれる。

権利条約の主たる推進力となっているのは障害者自身の行動である。権利運動としての障害者の決意と粘り強さは世界各地で一般市民の意識に多大な影響を及ぼした。意識が極めて著しく変化したのは、特に非先進諸国のリハビリテーションの過程においてであり、これらの国ではCBRは障害者と活動する上で最も有力な戦略となった。

CBRとCBID

考え方が変化するにつれて、CBR自体も自らの進化を経てきた。80年代初期の当初は主にリハビリテーションに焦点を当てていたが、今日でははるかに大きな枠組みのなかで考えられている。すなわちCBRは、障害者の幅広いニーズに対応する、多分野にわたる戦略であり、社会参加とインクルージョンを確実にし、障害者の生活の質を向上させるものである。現在、CBRはまず、権利、貧困削減、及びインクルージョンの実現化を目的としている。

リハビリテーションからインクルージョンへというこの根本的な変革が、コミュニティにおけるインクルーシブ開発(CBID)という概念を生み出した。コミュニティにおけるインクルーシブ開発とは、建設的な相互支援関係を表す言い方である。生計をよく見ていただけば、古来の伝統的価値体系の中心をなすところの建設的な相互支援関係によって私が何を意味しているのかよく説明されている。

「生計」とは何を意味するか。

貧しい国では経済活動からの排除はおそらく障害者差別の最大の理由であろう。障害者の雇用率は低く、そのため一般的に非障害者よりも貧しい。

就労・雇用は人としてのアイデンティティと自己イメージにとって極めて重要な部分を占める。私たちは誰もが貢献したい、変化をもたらしたいという本質的な願望を持っている。また、このようにして家族や社会から評価されるのである。

生計とは単に雇用または収入を意味するのではない。生計とは、どうにか生きていくためだけではなく、熱望と大志を持つ人間として活躍するために、自分自身の生活を組み立てる方法でもある。

貧困は経済的観点だけで測定できるのだろうか。貧困とは単に収入が欠如していることではない-すなわち貧困とは人間として成長していくための基本的な自由と機会を否定されていることである。貧困撲滅は、可能性を最大限に伸ばす機会が「すべての」市民に平等にある公正な社会を構築することにより可能である。

世界各地で実践されているCBRには、歴史的、文化的、経済的、地理的及びその他多くの要因によってさまざまな方法があるが3、共通している特徴は、CBRは平等な機会を創り出すための実際的戦略であるということである。中には、CBRが伝統的価値体系と強い結びつきを示している国もある。

ジンバブエのオファの例の考察

オファは車いすの利用者でジンバブエのブラワヨの市場で果物を売っている。夫は彼女の障害が原因で彼女のもとを去ったし、自分自身の子どもはいない。しかし、姪が学校に通うのを援助している。

彼女は卸売商から果物を購入し、一回に一箱ずつ車いすの膝に載せて運ぶ。月収は約50ドルである。

彼女は、地元の障害者団体、教会のグループ、貯蓄グループ、及び町内会など、地域の様々なグループに所属している。

オファのことでまず驚くのは、その幸せな様子である。いつも笑顔で、前向き、社交的である。不満は全くない。明るい、楽観的な精神で人生を送っている。

次に驚くのは、彼女のバナナの値段は市場の隣の売り手より二倍も高いことである。これはどういうことか。

答えは「ウブントゥ」である。「ウブントゥ」とは南アフリカで用いられている概念で、アフリカ南部のほかの国では同じ概念が別の呼び方で使われている。

著名な南アフリカの指導者であるデズモンド・ツツ氏は、「ウブントゥ」を次のように説明している。

「ウブントゥを持つ人は、寛大で他者の役に立ち、他者を肯定し、他者が有能で立派だからといって、脅威を感じることはない。すなわち、その人物には自分がより偉大な世界の一員であるという認識に由来する適切な自信がある。また、他者が恥をかいたり、傷つけられると、自分も傷つけられたように感じる。」

「もし他人が傷つけば、私も傷つく。」私たちはより大きな世界の一員である。私たちは単なる個人ではない。私たちは共通の人間性の一部である。私たちすべての間にはつながりがある。

私たちを人間たらしめるのは何か。私が人間であるのは、私が何かの一部になっているからである。参加しているからである。分かち合っているからである。つまり、「私があるのはあなたがいるからである」。私が意味するのは、私は私の周りの人との関係から、まさに私以外の人々との関係から生まれる人間である、ということである。

しかし、工業化が進むにつれて私たちはこの理想をますます見失い、自分自身を一人一人の個人と考えるようになってきた。

オファはバナナを隣人より高い価格で販売しているが、これはジンバブエでは今でもウブントゥの原則が機能しているからである。彼女には支援者のネットワークがあって、これらの人々は、単に彼女の支援ネットワークの一員であるという理由で、彼女の売るバナナに喜んでお金を多く支払っている。

ウブントゥはまた市場の業者の間でも機能している。オファが自分の露店を離れて果物を買いに卸売商のところへ行っても、隣の店主がそのあとの面倒を見てくれる。市場の業者は皆お互いに助け合っている。これは、市場を主に競争的であると見る現代の経済学者とは、全く異なる「市場原理」の見方である。

オファは言う。「私は神をおそれます。粗末なお金の使い方はしません。細かいことに気が付きます。お客さんとは友達になります。もし私が成功したと見られているなら、このようなことのおかげです。」

しかし、オファの成功の本当の鍵は、じっと家にいて「自分の権利を要求」するというのではなかった。彼女は積極的であり、前向きで楽観的な考え方で人生に取り組んでいる。人々に手を差し伸べ、友達になり、自分自身、自分の時間、自分のわずかなお金を惜しみなく差し出している。オファは一連の大きな相互支援関係の一部である。

オファの収入は月50ドル。しかし、彼女は貧しいだろうか。

権利条約とCBRの原則

権利条約の原則について思い起こしてみよう。

  1. 固有の尊厳、個人の自律(自ら選択する自由を含む。)及び個人の自立を尊重すること。
  2. 差別されないこと。
  3. 社会に完全かつ効果的に参加し、及び社会に受け入れられること。
  4. 人間の多様性及び人間性の一部として、障害者の差異を尊重し、及び障害者を受け入れること。
  5. 機会の均等。
  6. 施設及びサービスの利用を可能にすること。
  7. 男女の平等。
  8. 障害のある児童の発達しつつある能力を尊重し、及び障害のある児童がその同一性を保持する権利を尊重すること。

(事務局注:1~8 日本政府仮訳による)

8項目の原則は覚えにくいかもしれない。しかし次の二つの言葉に要約できる-「インクルージョン」及び「エンパワメント」。そしてCBRは、これらすべての権利条約の原則を導入すると同時に、「持続性」を付け加えている。

図 権利条約とCBRの原則(図の内容)

これらの原則はさらに一つの言葉-ウブントゥ-に要約できる。最良のCBRとは、障害者のみならず関係者すべての生活に目的と価値を提供する支援関係のネットワークである。最良のCBRプログラムは次のようなものである。

  • 学際的なチーム、及び(もしくは)障害とリハビリテーションのあらゆる側面で訓練を受けたスタッフを関わらせる。
  • 自らの限界を承知しており、専門家に照会すべき時を知っているスタッフがいる。
  • 対象グループが表明するニーズに基づいたプログラムを作成する。
  • 地域社会開発、及び技術的スキルの訓練をスタッフに行う。
  • CBRは孤立して存在できないことを認識している。つまり、CBRはメインストリームのサービス、及びさまざまなリハビリテーション専門家が提供する、より専門化されたサービスを補完するものである4

ここ日本には、今回のセミナーのテーマである、「三方よし」という考え方がある。あとでほかのスピーカーの方から詳しい説明があるが、基本的に意味するところは、商人も職人も、いい商品を作れば人はそれを買いたいと思う、ということを知っている、ということである。人が商品を買えば、商人は儲かり、お客さんは満足し、地域社会のためになる。これは、質の高い技量、及び顧客との透明な取引に基づいている。三方すべてにメリットがあるのである。

インドの例を挙げて「三方よし」を説明しよう。

インドのハンセン病ミッション職業訓練校

ハンセン病ミッションは、インドにおいて、若いハンセン病者、もしくは親がハンセン病者である若者のために多くの職業訓練校を運営している。今日ではハンセン病は薬で完全に治癒することができるが、依然として偏見が非常に根強く残っている。

これらの職業訓練校は、世界各地で職業訓練校が教えている自動車修理、大工仕事、電気部品取り付け作業、裁縫などの職業技術を若者に訓練している。世界各地にある多くの職業訓練校の卒業生の就職率はあまりよくない。しかし、インドのハンセン病ミッションの運営する職業訓練校の卒業生の90%は卒業後一年以内に就職している。

何故か。理由は三つある。

一番目、これらの職業訓練校は、技術的熟練だけでなく、生活技術にも焦点を当てている。

自動車修理を学ぶだけでは十分ではない。就職で成功するには次のようなことも必要である。

  • 決意
  • 意気込み
  • 社会的責任
  • 進んでリスクを取る意志
  • 楽観主義
  • 親しみやすさ
  • 失敗に直面した時の粘り強さ
  • 創造性
  • 他人の考え方を受け入れること
  • 批判的に考えること
  • 高い個人的基準

そしてこれらの資質は、実例により、ロールモデルにより、また、これらの価値観が実証され高く評価される訓練校に一つの文化を創造することにより、教えることができる。

二番目、これらの職業訓練校には就職担当官がおり、その仕事は、雇用主候補との関係を築いて卒業生に就職を紹介することである。一旦会社が、訓練校の卒業生が技術のほかに多くの貴重な個人的資質を備えているとわかれば、さらに多くを採用してほしいと説得する必要はなくなるのである。

三番目、学校には活発な同窓会があるので、すでに就職している卒業生は、若い卒業生が就職し、雇用を維持していく上で、支援することができる。

生活技術訓練、就職担当官、及び同窓会というこれら三つの要素は職業訓練校の成功の秘訣である。三方すべてにメリットがあるのである。卒業生は就職できて満足し、雇用主は技術面でも人間的な面でもよい仕事を任せられる人物を得たことで満足している。

これらの訓練校は、「三方よし」を基盤に運営されている。というのは、訓練とは単なる技術以上のものであること、自動車修理工場の経営を成功させるためには自動車修理の知識以上のものが必要であること、つまり顧客との関係及び労働者間の関係性も同様に重要である、ということを訓練校は知っているからである。正直で透明なビジネスのやり方をしているという評判は安定した持続的な固定客の基盤を確立する。このような評判は、自動車修理業者はハンセン病者を雇用しているとか、ハンセン病の抱える偏見を含む他のすべての検討事項より優先されるのである。

これらの訓練校はまた、「ウブントゥ」の原則に従って運営されている。すなわち、就職担当官及び同窓会を通して、学校は相互支援関係のネットワークを構築しているのである。

権利条約と新しいCBRガイドラインは、障害に対する私たちの見方にパラダイム・シフトをもたらした。というのは、これらは、「相互支援関係の文脈の中で」、障害者を、障害者自身に変化をもたらす主体であると見ているからである。これは、障害者は今や自力で独力ですべてを行うことが期待されているということではない。大切なことは「ウブントゥ」の考えの中にうたわれている-もしほかの人が傷つけば、私も傷つく。私たちは、互いに助けあうことは完全に私たちのためになるという共通の人間性の一部である。

この点は何世紀にもわたって草の根レベルの人たちに理解されてきた。しかし、私たちはいかにしてこの考えを政府の政策の中に確立させ、あたりまえのことにできるだろうか。

政府は本質的に敏感に反応する、すなわち、市民・国民からの圧力に反応する(少なくとも民主主義国家においては)。そこで、このような圧力をかけるのは国民の義務である。公正な社会の構築は政府と市民との合同責任である。市民からの圧力には様々な方法がある。英国では、ちょうどオリンピックとパラリンピックが開催されたばかりだ。英国(及び他の地域)で障害を目にするパラリンピックの影響は計り知れないものだった。競技場は満員だった。100メートル走の決勝を見るために400万人がチャンネルを合わせた。マスコミはメインのオリンピック競技大会と同じ位広く報道した。競技会場で起きたことは主要なニュース番組のトップを飾った。英国にいる多くの人にとって、パラリンピックはメインのオリンピックよりも刺激的で面白いものだった。私たちは突然、障害者が驚くべきレベルの身体適合性と運動能力を達成する光景を目にした。ある車いすテニスの選手が言うように、「障害者が出来ないことは何もない」のである。

しかし、1948年英国における第一回パラリンピック競技大会以前は、脊髄損傷者は数年の寿命しかないと見なされ、人生残りの日々をできるだけ安楽に過ごさせることとされていたことを、私たちは忘れてはいけない。私たちはこの60年の間にどれほど計り知れない距離を進んだことか。リハビリテーションという非常に限定的な概念に基づいた障害の捉え方から移行し、障害者は完全な参加者であり変化をもたらす積極的な主体として見られるようになったのだ。

パラリンピックは先進国における非常に劇的なピープル・パワーの一例だが、グローバル・サウス(事務局注:アジア、中南米、アフリカ、中東の途上国)の各国には、草の根レベルの障害者が社会開発政策や実践に大きな影響を及ぼしている例が多数ある。

一例を挙げると、ウガンダのデイビッド・ルヨンボは、私がこれまであった誰よりも「ウブントゥ」、「三方よし」、及び権利条約の原則、並びにCBRガイドラインを実証している人物である。

デイビッド・ルヨンボの話

デイビッドはカンパラから車で西に三時間ほどのマサカにある農業研修センターを運営している。ここでは革新的かつ持続可能な技術を活用して畜産及び作物生産の短期コースを実施している。事の発端は注目すべき話である。

デイビッドは幼い時小児まひになった。そもそも母親が主張したことから教育を受けるようになった。小さい時は母親が抱えて学校に連れて行き、成長してからは母は彼が自分で登校することを主張した。彼は頑丈な棒を松葉づえ代わりに使ってかろうじて歩くことができる。(父親は障害が原因で彼を拒否した。)

中等学校終了後、デスクワークだからという理由で、カンパラで会計士としての訓練を受けた。しかし彼は会計士にはなりたくなかった。自宅のあるマサカの農村地域で障害者の発展のために働きたかった。

彼は農村地域で障害者が必要とするのは、他のみなと同じように農業技術であると考えた。障害者に手工芸を教えても自給自足は出来ない。そこで、地元のNGOの支援の下、マケレ大学で動物看護士の訓練を受けた。

1990年、独力で障害者の動員に着手した、しかも自転車で(小児まひのために自転車に乗るのが困難であるにもかかわらず)。彼は自宅地区の農村地域を自転車で回り、障害者のいる家族を特定しようとした。単に個人ではなく家族に焦点を当てたのには二つ理由があった。まず、場合によっては障害者が子どもで収入を得る準備が出来ていない、もしくは障害が重すぎてできない人がいたため。次に、家族全員を巻き込むことで、障害者は負担ではなく役に立つ人と家族が考えられるようになるためである。

デイビッドは良質の乳牛、山羊、豚、七面鳥、そして鶏を飼い、障害者とその家族に優れた畜産の方法を訓練し始めた。彼はこれらの家族に、最初に生まれた子を彼に引き渡すという条件で動物を与えた。別の家族にあげることができるからである。

デイビッドは、優れた畜産の訓練をするためにはモデル農場、及び、数日間続く訓練課程に参加できる宿泊設備付きの研修センターが必要であるということを早い段階で実感していた。農場では乳牛、交雑種の山羊と豚、良質の七面鳥と鶏が、良く作られた囲いの中で飼われていた。その結果、研修センターは今では障害者、非障害者双方にとってウガンダ全体の農村開発のための資源となったのである。

デイビッドから学ぶべき教訓

  • デイビッドは農村地域の農家にとって最も収入源になることを特定した。つまり、手工芸ではなく家畜である。
  • 彼は個人とではなく家族と活動している。
  • 彼は障害者のロールモデルとして行動している。
  • 彼は大きなビジョンを持っているが、最初は小さなことからスタートした。
  • 彼は実技指導をしている。
  • 彼は障害を他の開発問題に結びつけた。
  • 彼は自分たちの仕事を障害者と関連づけたことがないメインストリームの開発に携わっている人の注目を引いた。

デイビッドの持つエンパワメントの感覚は、自分自身だけというよりも他の人を助けたいという熱望に反映されている。彼が人生で成功しているのは、発展-すなわち人の、障害者の、自分の地域の発展-に対する強い願望があるからである。そのため彼は、創造的・肯定的に考え、計画し、仕事の改善方法を絶え間なく模索している。当初は周りの人は彼に対して懐疑的だったが、今では彼を信じており、彼はより広い農村コミュニティの発展のための原動力の一つとなった。

デイビッドの障害は今となってはほぼ無関係である。むしろ、彼自身の、そして彼のコミュニティの変革のきっかけになっている。

最後に-CBRとCBIDは支援的関係性のネットワークを構築する戦略である。「開発とは、社会共通の利益のために関係が強化されていくなかで進んでいくものである。」ジンバブエのオファ、インドの職業訓練校、そしてウガンダのデイビッド-これらすべてが、「ウブントゥ」や「三方よし」のような伝統的価値観がまだ残っていて、CBRやCBIDの中心部をなしているということを思い出させてくれる。

◆ 質疑応答とバズセッション

高嶺 コールリッジさん、貴重な講演、ありがとうございました。次は質疑応答の時間を取らせていただいております。最初に質問をお受けする前に、ピーターさんのお話を聞いて、隣の方、前、それから後ろの方を含めて3、4人の方とバズセッション(振り返り)をしたいと思います。どういうことで感銘を受けたかということを含めて、4、5分、自己紹介も兼ねてお話をしてもらって、その中で、その後にグループからでもよろしいし、個人の方のご質問をお受けしたいと思います。その後、ご質問について、まとめて、ピーターさんのほうにお答えいただきたいと思っています。これを11時25分までに完結したいと思います。それではお隣同士、少し今日のお話を聞いて、感想も含めて、よろしくお願いします。

(バズセッション)

高嶺 時間がまいりましたので、バズセッションのほうを終了したいと思います。このセッションの中で、ピーターさんにこの点をもう少し説明してもらいたいということも含めて皆さんの質問をお受けしたいと思いますけれども、今、質問を言ってもらって、後でピーターさんのほうにはまとめてお答えしてもらいたいと思いますけれども、いかがでしょうか。ご質問がある方、手を挙げてください。グループでお話されたことでもいいし、なんでも質問していただきたいと思いますが、いかがでしょうか。はい、どうぞ。

会場 お話をどうもありがとうございました。今日のお話を聞いて、大変新しい視点というものがあることに気がついて、とてもうれしかったです。

ピーターさんは、伝統的価値ということを非常に大切に話されました。そしてその中で伝統的価値のいい部分、助け合いとか、そういういい部分について、ポイントを置かれて話しておられましたけれども、伝統的な価値の中には、たとえば障害は神様の罰であるというようなスティグマにつながるようなネガティブなものもあると思います。伝統的価値とだけ言ってしまうと、ポジティブな面とネガティブな面と両方を交錯してしまうような気がするんですが、そのへんはどういうふうに考えておられるか、お聞きしたいと思います。ありがとうございました。

高嶺 はい、ありがとうございました。他にいかがでしょうか。はい、どうぞ。

会場 個人的な質問というよりは、4人で今、どんな話をしたかということを話したいと思います。まず全員が思いましたのが、今日のお話を聞いて、障害のある方というのはパワーがあると。そして最後のウガンダの例の方も、障害があることが変革のきっかけになったというのが大変印象深かったことと、それが今後日本でも、さらに鍵となるような形でコミュニティが動いていくといいんだが、ということです。むしろ、障害者の方が中心になって案を出していただいたりするということがあればいいのかなと思いました。そしてまた、生計を立てるということに主眼をおいてやっていかれるというのは、大変参考になりました。今日グループの中でディスカッションがあるそうですが、問題は国を超えても同じであると思うと、こういう障害者の問題が埋もれてしまわないようにするために、どうしたらいいのかというのは非常に難しいと思っています。

もう一人の方は、三方よしとか、ウブントゥは、非常にすばらしいけれども、これを持つ時、狭い地域ではなく、広いレベルで広げていくということはなかなか難しいというご意見でした。

高嶺 ありがとうございました。それではもうひと方、いかがですか。

会場 今日はお話をありがとうございました。僕達4人で話し合ったのは、日本のように、伝統、いわゆる人と人との結び付きが希薄になったような場所に、もう一度パワーを戻すということを、どうやっていったらいいのかというところをお聞かせいただきたいということです。

もう一つ、一番最初に質問された方に関連しているんですけれども、非常に偏見の多いと思われる知的障害や精神障害の方達に「生計」を探すということに関して、事例をご存じでしたら教えていただければと思います。

高嶺 はい、ありがとうございました。それでは今のお三方に対して、ピーターさんからお話をお願いします。

コールリッジ それでは、今日の午後に、またさらに議論する時間があるかと思いますので、ここでは短くお答えしたいと思います。

まず1点目。この伝統的価値のネガティブなポイントについて。それはどういうものであるかということは、皆さん、よくわかっていると思います。けれどもウブントゥというのは、とてもポジティブないい面です。そしてこれが今でも活発に活用されているというのは、それが持続可能だからです。

私達がこれに焦点を当て、強調するのは、文化を忘れてはならないという理由からです。CBRプログラム多くは、コミュニティの外からやってきます。つまりよそ者が自分達の考えをもって入ってくるということです。けれども開発というのは、そういうものではありません。開発というのは、人々が自分達の問題を解決するための強み、そして知恵を見つけることです。そのよそ者、アウトサイダーというのは、ファシリテイターなどとして、何かをきっかけに促進する立場にはなるかと思います。

けれども一番の役割というのは、聞くこと、耳を傾けることです。そのコミュニティで、何がポジティブなのかということを見きわめ、その上に物事を積み上げることです。そのプロセスを実行することで、このネガティブなものを脇に追いやり、ポジティブなものをそのまま存在させることができます。

けれども地元に元々ある文化を否定した場合、私達が持ち込んだものもポジティブなものにはなりません。つまり持続可能ということは、まずそこにいる人々がその考えを信じて、そしてそれをやり続けたいと思うことが大事なのです。それが1点目のお答えです。

これに関しまして、また午後にお話があるかと思います。これはとても重要かつ興味深い点です。

2点目の感想ですが、幾つかの面があります。まず1番は、どのように政府の政策を変えるかです。そしていい考えをどのように拡大するか。これに関しては、先程言いましたようにポジティブなプレッシャーというのは、ネガティブなプレッシャーよりも効果的です。

私はパラリンピックがエリートの活動だということはわかっております。けれども、パラリンピックは、障害に関してとてもポジティブな見方を提供しています。そしてそれぞれのコミュニティにおいて、障害者がどれだけ活躍できるかということを、オファや、デイビッド、インド職業訓練校などのように、こういうことができるのだということを、デモンストレーションしていかなければいけないと思います。

インドの自助グループですが、1980年代に最初に立ち上がった時は、なんの政治的な力もありませんでした。けれども今では何百、何千とありますので、それぞれの地域や州単位で、連盟のような組織を築くことができるまでの力になりました。

そこで政府、政治家も彼らに関心の目を向けるようになったのです。つまり、聞かなければならない声を、彼らが上げるからです。そこで彼らは今では政治的な力を持つようになりました。彼らは自分達ができることを小さいところから始め、それが各地に広がり大きな連盟などの協力体制を作ることになり、全体として大きくなったのです。

3点目の質問は、日本においては伝統的な価値が薄れてきて、どうしたらそれを強められるかということでした。これはイギリスや他のヨーロッパの国でも同じ状況です。それに関しては、障害についてだけではなく、環境とか財政面、そうしたことについてもルーツを探していかなければなりません。政府は自分達だけでは問題を解決することはできません。

先程プレゼンテーションの中でも言いましたけれども、人々が自分達の権利を獲得し、社会をより良くしていくというのは、市民と政府との共同作業です。ですので、障害、環境、金融関係、金融システムとか、そうした全ての分野において、まずは自分達のもとでやっていくということが大事です。

そして人々がそれぞれの分野において何かやっている、動員されているというのを見れば、政府も注目するようになります。これはとても大きなトピックですので、また午後に、さらに話を深める必要があるかと思います。

もう一つのご質問というのは、知的障害の人達の状況はどうしたらいいかということでした。それは本当にその通りです。そしてまた、それも大変難しいものですので、できればそれに対する答えは、今日の午後に持ち越させていただきたいと思います。けれども、これに関しまして、がっかりすることはないと思います。というのは、知的障害のある人達が仕事を得たり、成功している例は世界各地に数多くあるからです。

最後にまとめとして言いたいのは、私達は、「インディペンデンス」、自立ということを話しているのではなく、「インターディペンデンス」、つまり相互に依存する、お互いがお互いに依存するということ、それについて話し合っているのです。つまり私達は、お互いに支え合っているのです。

以上です。

高嶺 ピーターさん、明解なご回答ありがとうございました。今日の午後のディスカッションのネタがたくさん出てきました。それでは最後にピーターさんを拍手で感謝をして、それから休憩を取りたいと思います。ピーターさん、ありがとうございました。


1 Malcom MacLachlan, Stuart Carr, Eilish McAuliffe (2010): The Aid Triangle. Recognizing the Human Dynamics of Dominance, justice and identity. Zed Books.

2 Cornielje, H & Bogopane-Zulu, H. The Implementation of Policies in Community Based Rehabilitation (CBR) in Hartley et al. CBR Policy Development and Implementation UEA, (no date, but post 2006)

3 Cornielje, H & Bogopane-Zulu, H. The Implementation of Policies in Community Based Rehabilitation (CBR) in Hartley et al. CBR Policy Development and Implementation UEA, (no date, but post 2006)

4 Adapted from Cornielje & Bogopone-Zulu.