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2012年度CBRセミナー CBR vs三方よし 報告書

◆講演
東近江市の地域作りと地域福祉の取り組み

小梶 猛
(学校法人司学館校長、NPOしみんふくしの家八日市、建築士)
山口 美知子
(東近江市緑の分権改革課主幹)
野々村 光子
(働き・暮らし応援センター“Tekito-”センター長)

司会 それでは午前中の次の講演に移りたいと思います。いよいよ三方よしについてお話をくださる東近江の三人の方をお迎えいたします。このセッションの進行は、杏林大学の准教授の河野 眞さんにお願いいたします。

河野 それではよろしくお願いいたします。「CBR vs三方よし」っていう、ものすごいテーマの片側の三方よしについてのお話が始まります。このテーマについて簡単に述べさせてもらうと、CBRと三方よしを「vs」で結んじゃってるんですけれども、二つとも結局同じ山を登っているのではないかと思っています。ピーターさんの発表の中で「CBIDとは建設的な相互支援関係のことである」ということが言われましたが、まさに三方よしが目指している状態も、そのような状態ではないかと思うのです。

CBRに携わっている者と、日本の地域づくりに携わっている東近江の皆さんのやっていることとは、並べてみると響きあうというか、呼応しあうものがあるのではないかということで、このような内容のセミナーを今回企画させていただきました。

さて、これから東近江のお三方、小梶さん、山口さん、野々村さんにご発表をいただきます。皆さん、とても緊張されているといいますか、場違いな感じを持たれているとのことで、そんなことはないということをずっとお伝えしているところです。まず小梶さんから、大きな東近江の地域づくりのお話をしていただいて、次に山口さんから行政からの関わりの話をしていただき、最後に野々村さんから、特に三方よしの取り組みの中でも障害分野に関わるところをお話しいただきます。

ピーターさんのお話にもありましたように、障害分野で、何か地域の中でやろうと思っても、必ず地域づくりとか地域開発について理解がないと、うまく進まないんだということがあります。そういう意味で、今、東近江で活発に地域の中で活動されているお三方の話は、必ず今回のテーマであるCBRにつながっているものと考えています。ですから、お三方には自信をもってお話をいただければと思います。すみません。長々失礼しました。お三人のプロフィールは資料の25ページ(本報告書65-66ページ)をご覧ください。では小梶さん、よろしくお願いします。

◆ 日本の千分の一スケールの東近江市における活動-小梶 猛
(学校法人司学館校長、NPOしみんふくしの家八日市、建築士)

小梶 皆さん、こんにちは。小梶です。よろしくお願いいたします。先程河野さんがおっしゃっていただきましたように、大変緊張しております。何か場違いなところにやってきたように思えます。ただ、先程の講演で三方よしという言葉が出てきましたので、少しその話をさせていただいて、僕のほうは終わりかなと思います。

近江商人

写真1
非戦の誓い
飛魚=飛(ひ)うお(ウォー=戦)

(写真1)

僕は、この(写真1)大凧祭りの実行委員長をやっていまして、県外に出る時にはいつも、必ずこの写真を遣ってPRしているんですが、今日はこの写真を持ってきて良かったなあと思っています。

私は滋賀県の東近江というところに住んでいまして、近江商人というのは滋賀県出身の商人が東京、大阪で成功されておられまして。そういう方々を指して、近江商人と申します。近江商人の気質としてよく言われるのが、三方よし即ち「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」というものです。

どんなことかと申しますと、先程ピーターさんの話がほとんど正解なんですけれども。少し付け加えさせていただくと、たとえば物品の運搬について、今ではトラックを走らせた時に、往復で荷物を積むというのは当たり前のことになっていますが、近江商人が考えたのは、こちらの大阪近辺の産物を東京へ送る。その帰りの便で東京の産物を大阪近辺に持ってくる。それによって経費が省けて利幅も出てくるし、消費者にも安く提供できるというそれが「売り手よし」「買い手よし」なんですね。そのことによって、大阪の近辺の産業が栄える、東京近辺の産業が栄える。これが「世間よし」ということです。

なおかつ、近江商人の気質というのは「始末してきばる」といい、要するに無駄遣いをせずに一生懸命働くというのが近江商人の気質ですから、お金が残ります。そのお金を、派手な生活で無駄遣いすのではなく、地域社会に還元していく。そこのところが「世間よし」と言われている所以なんですね。

ただ、こんなふうに近江商人が良く言われるようになったのは、つい最近のことなのです。我々が子どもの頃、若い頃、30年、40年前というのは、差別的な言葉が入っているので許していただきたいのですが、近江商人とともに、お隣の三重県ですね、こちらも非常に多くの方が企業を興す方がいらっしゃいまして。昔は「近江盗人、伊勢乞食」なんて言われ方もしたのです。特に近江を江州と呼んでいたので、「江州人が通った後には、ペンペン草も生えない」とさえいわれてきました。最近になって、近江商人の生き方が研究され、三方よしの精神という形で見直され、彼らのやってきたことが本当に理解されて、世間に出てきたのかなと思ってます。

大凧まつり

この大凧(前頁写真1)、100畳敷きの大凧です。全国で1年に1回、100畳敷きが揚がる凧まつりが数か所あります。この大凧は伝統凧といわれていますが、全国の伝統凧というのは、だいたい凧師というプロの凧作りの方がいらっしゃいまして、その方が作ったものが基本的なものなのですが、東近江では市民が、だいたい延べ600人ぐらいかかって作るんですよね。

この大凧には特徴がありまして、凧の向こう側、透けてるんですね。あれは切り抜き工法といいまして、表面積で浮力は確保するけれども、力があまり綱にかからないように風が抜けるという技術であるとか。それからもう一つ、これは100畳のもので縦13メートル横12メートルありますが、縦の竹の骨を抜きますと、グルグルと巻いて筒状になります。昔はお宮さんとかお寺を使って作っていましたが、何日もかかる場合は雨が降ってきますよね。雨が降ってきたら、グルグルと巻いて収納しておけるという、そういった工夫がされています。

それからもう一つ大きな特徴は、判じ物と言いまして、凧に書かれた絵と言葉を組み合わせて情報を伝える。これ(前頁写真1)は「非戦の誓い」という凧なのですが、飛魚が描かれています。「飛ぶ」を「ヒ」と読みます、「魚」を「ウォー」、戦争と読んで、誓いという字をつけて「非戦の誓い」という判じ物にしています。

これが地域の中で作り続けられたということで、子どもから大人まで作るわけですが、地域ごとに絶えず大きさを競ったりしたことで技術の向上が繋がっていきました。作る過程の中で、子ども達が字を覚えたりとか、計算ができるようになったりとか。凧につなぐ細い吊り糸を凧元でまとめて太い綱につなぐのですが、吊り糸の長さの調整によって凧の揚がり方が違いますから、風の強さによって調整をします。そんなことをいろいろ研究した結果、だんだんと大きくすることができて、今まででは最大で240畳の凧が揚げられました。

この地域では、そういうようなことが行われていますが、東近江以外のあちこち、いろんな行事や祭りがあり子どもたちはそんな中で育っていきます。たとえば近江商人の初めは丁稚奉公をします。先程の職業訓練校の話の中で、フォーマルな技術だけじゃなしに生活面や様々なことが一緒に教えられていると聞きましたが、丁稚奉公しても、読み書きそろばんだけじゃなしに、その仕事の段取りであったり、進め方みたいなものが、様々な行事や祭りの中で身についていたのではないかと推察しています。そこで頭角を表して、こういうふうな近江商人が生まれてきたのではないかなと、輩出したのじゃないかなというふうなことを考えています。

そうした風土のある東近江で、私たちはいろいろな活動をやっていますが、先程のピーターさんの話を聞いて、なんか方向が見えてきたなという話を三人でしておりまして、本当に今日は呼んでいただいて、ありがたかったなと思っています。

もう1枚(写真2)。これは心身健やかという凧ですけれども、龍が書かれています。龍は「たつ」という字になりまして、これを「辰」といいます。「辰」が二つで「辰(しん)辰(しん)」、「心身健やか」という、こんな凧です。時間が足りませんで、ちょっと予定していた話よりも、この部分だけでも紹介したいなと思いましたので、入れさせてさせていただきました。

写真2
心身健やか
龍(辰)が2=辰(しん)辰(しん)

(写真2)

東近江市での活動

我々、何をやっているかというと、この話は後で山口さんのほうから、詳しいことは言われるかもしれませんけれど、東近江市は、人口、面積にしても、いろんなことで、日本の1000分の1のモデルがあると。ここでの成功モデルは、日本で展開しても成功するのではないかと、様々な活動を実験的にやっていくということが一つあります。

私は元々建築士でして、福祉の専門家ではないのですが、26年前に日本が高齢化社会になるということを初めて知ったんです。そこですぐに、何かやらんとあかんなということで、たぶん介護が課題になるだろうと。その中で市民がどう関わっていったらいいかなということを考えて、すぐにNPOを作って、まず介護の問題を考えました。ところが高齢化自体というのは介護だけじゃないんだと。少子化という課題にも同時に取り組まなければということで、そこの支援もNPOの事業として関わっています。

そんな中で、地域の人が地域の人達のことを互いに支援しあわなければならないということで、それぞれの地域にNPOをたくさん作ろうということで、NPO支援をやり始めました。自分達の生活の中で、暮らしの中で気づいた必要なサービスを、我々自身が始める活動です。

また、我々も近い将来、必ず死ぬのですが、医療体制がどうなってるのかと考えた時に、よく分からなかった。じゃあ皆で一緒に考えましょう、ということで、「市民が考える医療フォーラム」というのでやらせていただきました。ここで私達市民と、それから医療関係者、専門家そして行政ですね、その人たちが一緒になってやれば、かなりいろんなことに可能性が見いだせるなということを気付きました。こういうことから、私としては、後で出てくるいろんな活動の発端になったのかなと。今までやってきたものが、少し社会化してきたのかなという気がしています。

その中で出てきたのが、三方よし研究会。これが当初は脳卒中の地域連携クリティカルパスの運用をどう進めるかという研究会だったんですが、この研究会に多職種の方が集まってきまして、今ではだいたい150人ぐらいの医療関係者、福祉、介護関係者、市民、行政など、様々な業種の方が一緒に活動しています。ここで最大のテーマというのは、脳卒中の人たちもリハビリで回復したら必ず地域に帰るということで、その人たちを含め我々もどんな形で地域でのターミナルを迎えるのか、そのための暮らしをどうしていったらいいか、みたいなことが話題になっております。

三方よし研究会の進め方というのは、顔の見える関係。必ず自己紹介を始めてやるということで、一人一人のつながりを大切にしていくという、こういう活動ですね。

懇話会から生まれた活動

もう一つは、その関連で、地域から医療福祉を考える東近江懇話会というのができまして、ここでもいろんな業種の方々に集まっていただきました。その中で訪問看護関係者、介護事業者、医療関係者、宗教家、行政と市民が一緒になって研究会を進めているわけですけれども、地域に何が起こっているのか、そしてあるべき姿はどうなのかということを一緒に語り合って、やっています。

地域で何が起こっているのかを一緒に考え、これを解決するため必要と思われる資源を把握したうえで、誰かを悪者にして結論を出さない。そんなことを言いながら、それぞれの委員で、できることからやっていこうというふうにしています。委員の中に図書館長がおりまして、彼女は自分の図書館の中に医療情報コーナーを作りました。それで、今、約8000冊ぐらいの蔵書ができるということです。そこに委員さんの中で、小児科医とか病院の先生方が協力して、病院の図書館とつないだりとか、それから圏域内の介護施設やったりとか、医療施設の情報誌がここで全部集まるようになりました。

それから子どもを持つお母さんの委員さんは、仲間達と勉強を始めました。ここにはメンバーである消防士が出ていって、講師として救急にかかわる話をしたり、また小児科医が出ていって、季節的に起こりやすい疾病などの知識を講義するといったこともなされています。お母さん達が力を合わせて、子どもの様子がおかしかったらというような、こんな冊子(図1)を作ったんです。発熱とケガと頭を打った時に集約して、若いお母さん方が考えられたので、中の文章もちょうど携帯電話で打つメールの文章の長さの文にしていて、我々の歳では考えられないことを、ちゃんとやっておられます。

図1図1の内容
(図1)

もう一つは、福祉モール構想ということで、地域の中で安心して暮らしていけるようなシステムができないかなということを、今ある施設の機能を集めて何かできないかということで、こんなマンガ(図2)を、皆で2年ほどかかって話し合ってきました。それが今、今年度中に3つの建物を新築して実現することとなりました。

図2 福祉モールの構想図2の内容
(図2)

もう一つは、東近江の2030年の将来像を探るということで、環境で2030年にCO2を2000年比で50%減らすというような計画をしたのですが、ここにも医療とか教育とか、いろんなことを集め、環境だけじゃなしに、様々な分野で絵を描きました。我々はこれを、フォーマルに作る市の総合計画に対して、これは市民が作った市民版総合計画やというふうな自己宣伝しています。これに携わった人たちを中心に、インフォーマルな活動をされている人たちを集めて、今、皆さん方のお手元にあるような(折り込み図)、魅知普請の創寄りの、こういうネットワークができています。何をやっているかというと、宴会をやってるわけですけれども、フォーマルな活動はもちろんですが、その人たちがやっているインフォーマルなことをつないでいくことによって、地域がなんとかつながっていかないかなということを進めていくというのが、我々のやり方です。

先程の福祉モール、少し詳しくふれていきますと、今、障害者の働きの実践と、高齢者の働きと、それから地域で安心して暮らせるような、こういう複合的な施設を作ろうということで、愛東という小さな集落に限って、誰もが安心して生活しながら、農業後継者もちゃんと育てられる、そういうふうなシステムづくりを、先程のマンガの中から、これ(図3)が生まれてきまして、今年の3月には、たぶん完成するであろうということで、もう既にこういう形で工事が進んできております。高齢者のデイサービスを中心とした施設、それから障害を持つ人達の働きの場、それから地域の高齢者と互いを結ぶ農家レストラン、そんなものが完成をしています。

図3図3の内容
(図3)

その施設にはソーラーを入れたりとか、薪ストーブを入れたりとか…。ソーラー発電で得た利益は、ソーラーに出資していただいた人たちに還元しますが、8割をだけを返していこうと。2割は地域のために使わせてくださいとお願いしています。また還元する8割も地域の商品券を利用して、東近江市内の商業が活性化するような。そんな活動を今始めて、そんなつながりがでてきております。

私は、今、東近江全体で起こっていることのお話をさせていただきました。どうもありがとうございました。

河野 小梶さん、ありがとうございました。私の説明が足りなかったのですが、資料の中にA3の横位置の東近江魅知普請曼陀羅(折り込み図)という紙があります。これが今、東近江市の中で展開されている様々なNPOの活動や、プロセスの回っている状態を示しています。ものすごい量の活動があるのが、よくわかると思います。その説明を今のわずか15分ぐらいの間でしてもらおうと思ったのですが、ものすごい情報満載で、いろいろ、あれ、これはなんなんだろう? と思われたこともいっぱいあると思いますが、また午後にもゆっくり質問していただければと思います。

では山口さん、お願いします。