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「国連・障害者の十年」最終年記念 北欧福祉セミナー

 

スウェーデンの障害者政策の発展(1950年代~現在)

ヤン・ヴィーベア(Jan Wiberg)(1950年スウェーデン生)
商業アドバイザーを経て現在クリスチャン・スタッツ県 障害者委員会事務局長(難聴者)

ヤン・ウィーベアさんの顔写真

はじめに
 私はスウェーデン南部のクリスチャン・スタッツから来ました。

 スウェーデンは24の県に分かれていて、クリスチャン・スタッツ県はその1つです。この国で私は県評議会に属する障害者コンサルタントとして働いています。県評議会は、医療、歯科医療、障害者のケア、そして教育、文化活動に関して責任を負っています。このような様々な領域は税金で賄われており、費用はこの図のような方法で配分されています。

 私は障害者コンサルタントとして、障害者に対する態度の変化や、障害者に関する情報の提供などの仕事を数多くしています。障害者の問題を中心とした様々な社会問題を討議する会議やセミナーの準備もしています。

 また、諮問機関である県の障害者協議会の書記も務めていますが、ここでは県評議会や自治体の政治家や障害者団体の代表が、県内の障害者住民が完全な社会参加と社会における平等を獲得する上で重要な、様々な社会問題を討議することができます。討議される問題は、医療、教育、社会保障問題などです。障害者団体の代表も政治家も、協議会を重要な情報を得る上で大切な場、県評議会の委員会や自治体の執行委員会において、正しい重要な決定を行うために政治家が情報を得る場、と見ています。また、これらの協議会は、障害者団体の討論の場でもあり、意志決定者から直接情報を入手する場所でもあります。

 県の障害者協議会はスウェーデンのすべての県に置かれています。全国レベルでは、全国障害者協議会と呼ばれる中央協議会があります。スウェーデンのすべての自治体にも障害者協議会があります。このような自治体の協議会は前述の県の障害者協議会と同じように構成され機能しています。

 50年代から現在までのスウェーデンにおける障害者政策の発達についてお話ししましょう。責任と財政の原則、行動計画、初期の障害者委員会と現在の障害者委員会などについて論じていきたいと思います。

初期の障害者委員会(1965~1976)
 1965~1976年の初期のスウェーデンの障害者委員会は、現在の障害者政策に大きな影響を与えてきました。委員会は、障害と障害者についての見解に急激な変化をもたらす基盤となりました。この出発点は、すべての人間の価値は平等であるとの原則と平等に対する要求でした。

 つまりそれは障害者と他の人々との生活状態の差をなくし、障害者に他の人々と同様な生活水準を保証すべきである、ということです。両者が一体となっての障害者運動は、同等の生活水準を達成するとの問題と熱心に取り組みました。

 障害者協議会中央委員会議長は、疎外されている人がいるとすればその社会は貧しい社会である、と力説しました。インテグレーションとノーマライゼーションは輝かしい言葉となりました。障害者は社会に統合されるべきてきあり、この一つは制度・慣行を打破することでした。

 1976年の最終公式報告書の中で、インテグレーションとノーマライゼーションの原則が強調されました。ノーマライゼーションの原則によれば、障害者は他の人々と同じ権利、責任、可能性をもって生活できなければなりません。障害者は他の誰とも同じ条件で社会すべてのサービスや事業・活動に参加できるべきです。また、インテグレーションの原則によると、障害者は様々な事業・活動に他のすべての人々と共に参加できなければなりません。

 この委員会は活動期間中に、障害者の社会支援強化に関して非常に多くの提言の入った報告書6冊を作成し、これが障害者の社会参加と社会における平等に大駄きな影響を与えました。

 重要な改革の例としては以下のものが挙げられるでしょう。
-総合大学、単科大学、国民高等学校における重度障害者を助けるための介護職の創設。
-障害者ホームの廃止。
-住宅改造補助金の導入。
-特別輸送サービスの導入。
 輸送サービスとは、障害者の移動のためにタクシーあるいは障害者用の特殊車両で障害者を送迎することです。
-スウェーデン社会における障害者協議会の創設。
-障害者が文化や情報を享受できるようにするための様々な方策の実現や展開。

公演中のヤン・ウィーベアさんの写真

責任と財政に関する原則
 障害者政策の出発点として重要なのは、いわゆる責任と財政の原則です。この原則の趣旨は、環境と事業・活動がすべての人に利用できるような方法で設計、運営されるようにすることです。

 ある事業・活動を機能障害者が利用しやすいものとするために何らかの調整が必要な場合は、この調整の費用は事業それ自体と同じ方法で賄われます。

 各管轄機関(自治体と政府機関、企業あるいは各種団体)は自らの事業・活動を計画、企画する段階でこの原則に留意しなければなりません。

 前述の障害者協議会は1976年の最終公式報告書の中で、この責任と財政の原則について明確に述べています。ここに、障害者を社会のあらゆるサービスと事業・活動に平等に参加させる、との原則が確立されました。障害者の二ーズは特別補助金によって財源が確保された場合にのみ満たされるのであってはなりません。むしろ、障害者の二ーズを満たすことは、社会においてサービスや事業・活動を主催する当局や個人の責務として明確に定めなければなりません。そして、そのための調整に必要な経費は、各サービス分野が負担すべきものであります。

 ここで申し上げたい例は、説明板つきの電話であるろう者や盲ろう者のためのテキストフォンで、これは加入者全員の負担によって賄われるべきです。弱視者向けの日刊新聞は、新聞代金を値上げにすることで賄われなければなりません。このことは、障害者団体とその他の双方によって歓迎されました。しかし、これらは徐々に進められていくべきですし、またこれについての指導もなされなければなりません。

 政府や議会は、責任と財源の原則の適用に関し、公式にはどのような一般的規定も出していませんが、この問題は障害者政策全体の重要な出発点として基本的に重要な公的事項として扱われてきました。

障害者問題に関する行動計画
 ご記憶のように、国連は1981年を国際障害者年と宣言しました。これによって障害者問題が非常に高い関心を集め、障害者のおかれた状況に対する認識が改善されました。

 国際障害者年との関連で、1982年の国連総会は80年代における障害者問題に関する国際的活動に指針を与えるものとして世界行動計画を採択しました。

 世界行動計画により、障害者問題に関する数多くの重要な原則が各国で大きく推進されました。この計画では、損傷(injury)、機能低下(reducation of functioning)および社会的不利(handicap)に関するWHOの定義を出発点として使用しています。

 国際障害者年との関連で、スウェーデンでは1982年に障害者問題のための特別国内行動計画が議会においてすべての政党によって承認されました。この行動計画が作られた理由の1つは、すべての加盟国は障害者問題に関する長期国内計画を採択するよう求めた1979年の国連決議でした。

 スウェーデンの計画は、すべての障害者が福祉社会において自らの分配をうけ、自由で独立した生活を安全に連帯感をもって営む権利をはっきりと確立しました。障害者にとって社会を開かれた、参加できるものとするために多くの措置がとられてきましたが、一般的には、障害者はいまだに取り残された状態にあることがわかりました。したがって、障害者政策は障害者とその他の市民との間のギャップを取り除くことに向けられるべきですし、同等な生活状態を作り出すという作業は、公的部門の経済の変化の影響を受けてはなりません。

 この計画の実施スケジュールに関しては、10年といった短期間に完全な参加と平等を実現する上でのすべての障害者を取り除くことは実際的にも財政的にも不可能なことが明らかになりました。

 1986年に計画の評価が行われ、この間は公的部門の財政が困難な状況にあったにもかかわらず、社会的支援を作り出すための方策は国内で高い優先順位が与えられてきたことが示されました。

 前進のための幾つかの措置が取られたものの、完全参加と平等という目標を実現するためには、まだ取り除かなければならない多くの欠点が残っています。

1989年のハンディキャップ委員会
 自身が視覚障害者で、DPI(障害者インターナショナル)議長を務めたことのあるベングト・リンドクビスト前社会大臣は、議会での決定を受けて「1989年ハンディキャップ委員会」と称する委員会を任命しました。

 この背景の1つは、障害者政策プログラムの効果を調査することでしたが、知的障害者という障害者の1集団のみのための特別立法を回避しようということと共に、障害者の社会における参加、影響、相談を受ける権利および独立の不十分な点について検討することにもありました。

 この講演の残りの部分では、あらゆる市民のために作られた社会においてスウェーデンの障害者が完全参加と平等を実現する上で、長期にわたって極めて大きな意味をもつ作業である、この委員会とその仕事についてお話ししていきます。ハンディキャップ委員会の任務は、重度機能低下者(great functional reductions)への社会的支援に関するいくつかの問題を調査することです。主たる任務はソーシャル・サービス制度および障害者の教育訓練・リハビリテーションの分野でとられている措置を指摘、分析することにあります。これらの分野においては欠陥がある場合は、委員会は重度機能低下者に対する機能面での支援を保証し改善するために提言を行う必要があります。
任務には、職業へのアクセス、レジャーやレクリエーションの機会へのアクセスおよび場所や活動へのクセスといった一般的な機会の提供も含まれます。さらに、これは責任と財政の原則、ろう者、盲ろう者等のための通訳、補助具の問題や差別に対する法律の必要性、および障害者のためのオンブズマンの創設についても検討していくことになっています。

 この作業には2つの大きな方向性が見られます。1つは個人に向けられた方策で、もう1つはアクセス可能な社会に機能低下者を参加させる上で必要な一般的措置と条件整備です。委員会は個人を中心に据えており、また法律は個人のニーズに従って採択されてきました。この委員会の最初の任務は、分権化と目標設定の傾向をもつスウェーデン社会の発展と国際的統合が進む中で、自らの市民権を主張し、支援とサービスに影響を与えることについて重度機能低下者にはどのような可能性があるかを探ることです。

 委員会は以下に関する問題を特に強調してきました。
-権利に関する法律の必要性と制定
-権利援助制度を通じての個人に対する支援拡大の必要性
-管轄当局が法律を遵守しなかった場合の罰金による処罰
-公約財源と規制を伴う様々な活動実施者を通じての選択の自由
-個人的援助などに関しての自己決定権と影響を強化するための措置
-個人の権利と社会の責任との関係。これは、一方では中央で制定された厳格な規則によって個人の立場を強化し、地方では個人の二一ズを満たすために地方での事業・活動を企画する場合には管轄当局に自由を与えることを意味します。

 ハンディキャップ委員会は、1985年以来の旧法に代わる新しい法律を提案しています。特定の機能低下者を対象とした施設とサービスに関するこの新しい法律は、機能に重大な障害があるため日常生活がかなり困難で、多くの支援を必要とする人々に適用されます。

 委員会はおよそ10万人の子供と大人にこの新法が適用されるとみていますが、これは全人口のほぼ1.2%にあたります。現在はおよそ3万人が現行の施設とサービスに関する法を適用されています。

 新しい法律は以下のような特別措置を受ける権利を保証するものとなります。
-言語専門医、心理学者、医療体操教師などによる相談、個人的支援
-個人的援助
-予約制のホームヘルプ・サービス
-訪問員
-日常活動
-12歳以上の若年者の短期監督
-ショートステイおよび息抜きサービス
-児童や若者のための里親家庭および学生用ホステル
-成人用の特別サービス付き宿泊施設

 これらの措置は、整合性のある形で、また個人の生活状況全体を考慮してなされなければなりません。

 すべての人々のための社会を実現するには、社会の抜本的変革が必要です。社会のそれぞれの部門に対し、機能低下のある人のためにその部門のサービスを提供し、アクセスしやすいようにすることに責任をもたせる強制的な措置がとられなければならないとの意見があります。アクセスを創り出すための措置についての責任と財源を明確にするために、委員会は機能低下者の日常生活と、社会参加の可能性にとって最も重要な8つの領域について優先順位を設定しました。

講演に聴き入る参加者の写真

8つの優先領域

(1)社会に関する基本的情報を得る権利
行政当局などからの情報は、個人が必要とする形で与えられなければなりません(視覚障害者にはテープ、ろう者、盲ろう者、難聴者には通訳の援助、精神障害者には個人的支援など)
 
(2)自治体の責任:すべての人々のための自治体
自治体と県評議会には、その事業・活動についてと同等な条件を機能低下者に対して保証させます。
 
(3)住宅と環境の設計
設計建設法の変更の提案。これは住宅、街路、ターミナル等へのアクセスのしやすさに関する抜本的改善にっながるはずである。
 
(4)文化・メディア・教育に関する資料
情報を得る上で必要なこのような資料にアクセスできるようにするために、物理的アクセス、個人的援助等に関して委員会は多くの提言を行いました。さらに、アクセス創設のための様々な特別投資が提案されています。この例としては、毎日のニュース情報の50%、およびテレビから抜粋した資料の10%を即時に字幕や手話で提供することなどがあります。新聞や本の朗読テープに対する補助金は維持、拡大されるべきです。
 
(5)旅行の機会
機能低下者が公共交通機関を利用し易くするための多くの方策が提案されました。交通機関を障害者用に改造するとともに、改札や案内についても障害者向けに修正する必要があります。
 
(6)基本的な電話でのコミュニケーションの権利の保証
機能低下者が電話を利用する際に、他の人により高い出費を強いられるような状況は改められなければなりません。特別の基金を設定し、電話機の購入の際に余分な費用がかかる場合はその費用を、またテキストフォンを使っての通話にかかる追加費用をこれで賄うべきです。テキストフォンでの通話は普通の通話に比べて3~10倍の時間がかかります。
 
(7)労働市場への参加の機会
新しい法律はこの領域において現行法を補足するものとなるでしょう。この法律は、雇用主が採用や昇進計画を行う際に、機能低下を理由に従業員や応募者を不公平に扱ってはならないことなどを示唆しています。これが守られなかった場合、裁判所は雇用主の決定を無効とし、補償を要求することができます。
 
(8)事業活動における差別
これは、否定的態度、妨害行為、自動販売機や行列などの場所や機械へのアクセスを不十分なものとするなど、様々な方法で行われています。委員会は、障害を理由に雇用主が差別を行った場合は告訴できるとの可能性を導入して、この種の差別に対する保護を提案しています。

 機能低下者が社会で公平に扱われていることを監視するために、障害者のためのオンブズマンの創設が提案されています。このオンブズマンは、特定の条件のもとにおいては裁判に訴える権限を与えられる特別法に基づいてその任を果たすことになります。これらの提案は15年間に徐々に実現され、年間平均およそ10億スウェーデン・クローネの費用がかかることになるでしょう。当初は多額の費用が必要となりますが、時間の経過に従って横ばい状態となるでしょう。

 結論としては、国の内外における経済的危機はハンディキャップ委員会のすべての提案に影響を与え、前述の15年という期間はおそらく延長を余儀なくされるものと思われます。

終わりに
 講演を終えるあたり、私の日本訪問と私にとって最も大事なこの問題について講演する機会を与えて下さった皆様に、心から感謝の意を表したいと思います。また、過去、現在、将来のスウェーデンにおける障害者の状況に関して皆様に少しでもご理解いただけたならば幸いに存じます。

(参考)
「万人のための社会-A soceity for all」について

スウェーデンリンドクビスト社会大臣(視覚障害者)の講演(1992年3月於東京)より抜粋

 1972年に、スウェーデンの障害者運動の中で新しいプログラムが採択されました。この新しいプログラムは「ソサエティ・フォー・オール」、つまり万人のための社会というプログラムでした。このプログラムの中心となる考えというのは、人間はすべて平等だということです。もし人間がすべて重要なのであれば、一人ひとりのニーズはすべて重要だということです。一人ひとりの持つニーズの重要性が同じであれば、その国の人々すべてのニーズに基づいて社会を発展させていかなければならないということになります。

 私どもの国には非常に有名な首相がおりました。多分、皆様もご存じだと思いますが、オロフ・パルメ首相でした。私は政府の仕事をしていましたとき、数か月間パルメ首相の下で政府関係の仕事をしておりましたが、1986年2月に首相は暗殺されました。このことをご存じの方は少ないと思いますが。パルメ首相はシンガポールを訪れまして、1981年のDPIの設立に立ち会われました。パルメ首相は、国会会期中にスウェーデンの代表団を訪れました。生前最後の国会でのスピーチにおきまして、スウェーデンの障害者運動に関する、パルメ首相自身の考え方を述べております。私はこれから、いまは亡きパルメ首相の考え方の中のいちばん中心的な部分を皆さんにご紹介したいと思いますので、元首相の文章を少しここで引用させていただきたいと思います。

 「我々人間はすべて異なっています。我々人間のニーズはすべて違っていますし、また素質も違っています。私たちは長所も短所も違っています。したがって私たち全員が一緒に暮らしている社会というのは、少数の人々の要求によってのみ、作られるべきでは決してありません。したがって、社会は我々全員にふさわしいように作られなければなりません。このことこそが、まさに万人のための社会の中心概念となります。その社会の中では、私たちはともに生きます。そういった社会の中では、人々を大きな施設にとじこめてしまって、一生隔離してしまうということはしません。私たちは、すべての人々、子供たちも、大人も、高齢の方々も、違うニーズを持ったすべての人々に会うように社会を設計して作っていかなければなりません。皆さんご存じの「ソサエティ・フォー・オール」というのは、ノーマライゼーションのことを指していると思うのですが、これは国連の世界行動計画の中で非常に強い支持を得ました。」

 世界行動計画の中では、平等、完全参加ということが謳われております。障害を持っ人々は、ほかの人々と同じです。違ってはいません。ですから障害を持っ人々は、ほかの障害を持たない人々よりも多く求めることもしませんし、少なく求めることもしません。同じ権利と同じ義務を持っております。障害を持っ人々は、障害を持たない人々と一緒に暮らしたいと思っていますし、ほかの人々と同じように生活したいと思っています。これが世界行動計画の中のはっきりしたメッセージだと思います。世界各国の障害者の団体は、世界行動計画は、有効なプログラムだと判断しております。

 私はよくほかの方から、世界の国の中で、完全参加と平等が実現されている国がありますかと聞かれます。私の答は「ありません」ということです。完全参加と平等をすでに実現している国は一つもないということです。しかし世界の中には、特にリーダシップがいい方向にいっているという所もあります。ある国々では、政府と障害者の団体に非常によい緊密な協力関係が見られる所もあります。

 しかしどの国でも、こうした方向に進んできていると思います。ですから大事なことは、いままでにあった障壁を取り除くということだけではなくて、新しいプランが新しい問題を生み出さないようにする、ということも重要だと思います。

 私は「ソサエティ・フォー・オール」、万人のための社会を夢見ています。この万人のための社会という夢は、スウェーデンの障害者運動の中で形づくられてきました。もちろん万人のための社会というのは、障害という問題も含んでいますけれども、もっと一般的に、社会全般を扱っていると思います。といいますのは、この概念は、素晴らしい人生を送る権利はすべての個人にある、という考え方からです。またこの概念によりますと、義務もあります。日本ですとかスウェーデンのような民主主義的な社会の中における義務ということも、この概念の中に含まれています。その義務の中には、私たちの生活を改善していく義務というものも含まれています。ですから皆様、今日ご参加の方々、障害のある方も障害のない方も一緒に力を合わせてノーマライゼーションという目的、万人のための社会という目的のために進んでいきたいと思っています。

 

北欧のノーマライゼーションと統合

-デンマークにおけるノーマライゼーション-

ジョン・ミュラー(John Mφller) (1933年デンマーク生)
1963年以来障害者問題について活動。各種福祉員、法案起草委員会、大臣諮問委員等を経て、現職に到る。デンマーク障害者団体連合会(DSI)会長

ジョン・ミュラーさんの顔写真

 ノーマライゼーションの原則の基本は、人類すべての平等である。ノーマライゼーションというのは、すべての市民のためにできるだけノーマル(普通)な生活に近い生活を保証するという目標を述べているにすぎない。「ノーマル」にされるべきなのは生活の条件であって、障害をもつ人々を「ノーマル」にすべきだということではない。例えば、手術によって盲人の目を見えるようにしたり、失明を予防したりすることは、ノーマライゼーションとは何の関係もないことである。障害をもつ人の障害をなくす手助けをすることには何の哲学も特別な動機も全く必要ではないし、あらゆる種類の障害を未然に防ごうとするのは当然の義務である。

 ノーマライゼーションの原則は、障害のある人をも平等な人間として受け入れ、その生活条件をノーマルにしようと努めることである。ノーマルな生活条件とは、ある特定の国における市民一般にとって、その時点での文化的・宗教的・社会的状況において存在している、または社会が目標としている生活条件のことである。この概念は、1981年の国際障害者年のスローガンであった「完全参加と平等」の意味するところと同じである。1971年12月に採択された「国連・精神薄弱者の(一般的及び特別の)権利宣言」においては「できるだけノーマルな生活に近い」という表現がなされており、一言で言えば、この表現こそがノーマライゼーションの原則である。

「ノーマル」とは何か?
国家は、一人ひとりが実に広範にわたる違いをもつ人々によって構成されているのがノーマルであり、人々の中には障害のある人や時には精神に障害のある人がいるのがノーマルである。どの社会にも、障害をもつ市民はいる。ただし、障害者の数やさまざまな障害の状態の分布は、時代や社会によって異なることがある。

  ヒットラーの第三帝国におけるように、ノーマルでないと見なされた人々を排除しようとする実験もこれまでに何度か行われてきた。ナチスは、精神に障害のある人々を絶滅しようとした。民族の純潔と民族の改良についての信念につき動かされたこのような障害者根絶計画が全く非人間的なものであることは別としても、障害の原因はあまりにさまざまであるため、どのような社会からであるとしても、障害を作り出す条件の根絶が技術的に不可能なことは明白である。ある時期(1920年-1950年)、障害の問題を不妊化によって解決しようという試みを行った先進工業国も何カ国かあった。しかし、そのような努力にもかかわらず、精神障害者の数は変わらなかった。

 障害を排除することは不可能であり、どのような社会にも人口に対して一定の比率で障害をもつ市民はいるものであって、このような事実は市民サービスの立案の基本であると言ってもよい。障害者にも、他の市民と同じ機会が与えられるべきである。ノーマライゼーションは、どの国においても障害をもつ市民を他の人々と統合し、障害者にも他の人々と同じ機会や可能性を提供することを目指している。ある国におけるノーマライゼーションの原則が世界的に見て妥当なものであるかを決定するのは、他の市民との平等及び統合である。いま述べたノーマライゼーションという概念は、デンマークで行われている理解と同義である。しかし、この概念は多くの国で誤解されたり誤って解釈されたりしており、特に米国の文献ではそれが顕著である。ノーマライゼーションを理解し、受け入れ、実践することは容易なことである。しかし、高度に発達し、孤立し、保護的な社会福祉制度をもつ国においては、このような制度をノーマルな制度に変えていくには時間がかかる。結局のところ、大事なのは基本的な姿勢である。以下の節では、このような姿勢のいくつかについて述べてみたい。平等とは、人権と法律上の権利が平等なことである。基本的な人権と法律上の権利について簡単に述べたい。

生活をする場
 デンマークでは、子供は親と暮らすのがノーマルである。また、子供は成年に達すればできるだけ独立して暮らすことを好むために、親とは一緒に暮らさなくなるのがノーマルである。障害をもつ子供も、親と暮らすのが通例であるべきである。デンマークでは、ちえおくれ児の大部分は、親と暮らしている。親は必要であれば、福祉サービスや支援を家庭で受けることができる。幼稚園、保育園、もっと大きくなれば一般の学校などの昼間の施設が利用できる。必要であれば、家族に経済的援助を与えるべきである。ちえおくれの成人は、できるだけ独立して生活するべきである。

 居住施設に住む障害者の数はますます減少する傾向にある。デンマークにおいて(他の国でも同じ傾向が広がりつつある)は、以前から残っている居住施設が数多くあり、大規模なものもある。このような古くからの施設の大部分は、閉鎖されるか規模を縮小されることになっている。このプロセスは、「脱施設化」と呼ばれている。多くの先進諸国では、施設を必要とする人の数は、これまでにつくられた施設における収容可能数よりはるかに少ない。デンマークでは施設に代わるものとして家屋、アパート、貸し室など、他の人々が住んでいるのと同じような住環境を提供される精神障害者の数が増えている。このような人々に対して何らかの方法で監督が必要であれば、ホームガイダンスやソーシャルカウンセリングなどが行われる。一日中福祉サービスを必要とするような人々であれば、職員が1名ついた小規模なグループホームやホステルに住むこともできる。さらに、精神障害者は一般の労働市場または保護作業授産施設、訓練場などで仕事や職業を提供されている。

 障害者に対する福祉サービスの提供とは施設を建設することである、というのがこれまでのやり方であった。このような考え方は障害者に対する保護主義の時代のものである。今日では、このようなやり方は資源の誤った利用法であるとされている。まず第一に、このようなやり方は「できるだけノーマルな生活に近い」生活条件を作り出すことの妨げになり、第二に、費用がかかりすぎる。人々を隔離するためにつくられた施設では、問題の解決にはならない。施設がいっぱいになれば、すぐに次の施設をつくることが必要になってしまう。デンマークでは、古い大規模な施設を縮小し、最終的には廃止することが最大の問題となって、上に述べたような生活条件を作り出すことを妨げている。発展途上国(ちえおくれの分野に関しては、多くの国が「発展途上国」である)においては、問題は、大規模な施設の建設を避けることである。発展途上国は先進国が犯した誤りを繰り返してはならないのである!

活動する場
 人間は活動し、学び、働かなければならない。精神障害者についても、このことは同じである。子供には教育を与えることがノーマルであり、望ましいことでもある。国連宣言には、すべての子供は教育を受ける権利をもつことが記されている。この約束は世界のどの国においても、全面的には実現されていない。この目標にたいへんに近づいている国もあるが、目標を完全に達成した国は一つとしてない。その理由は何か?そのようなことは全く不可能であるとほとんどの人が信じたからである。目標達成のためのノウハウや必要な技術がないと言われ、人々は互いにこのような考えはユートピア的であると説得し合った。ある精神障害をもつ子供が、学ぶことができないと証明する最善の方法は、教育を与えずにおくことである。今日では、すべての子供に教育が可能なことは証明が可能である。

 働く権利とは、何らかの形の報酬を受けて毎日労働活動ができ、家庭から新しい環境に通い、同僚に会って、自分が役に立っていると感じられることである。この権利は生活のノーマルな部分と考えられているが、精神障害者にとっては、このことはかなり新しいことである。過去においては精神障害者は無用な人間として扱われ、施設に入れられて受動的な生活を送っていた。いまからおよそ25年前、オランダで、中程度から重度のちえおくれの人でも訓練を受けて工業生産に携われることが証明された。オランダの例から、ちえおくれの人でも他の人のために役立つようにできることが認識された。ちえおくれの人々も、一般工場というオープンな労働市場や保護作業場に配置することができる。経験によって、ちえおくれの人々のほとんどが有用な労働に携われることが明らかになった。問題はちえおくれの人々の能力ではなく、むしろ、作業現場責任者がちえおくれの人々を受け入れられるように労働条件を調整することなのである。しかし、このようなことが可能であり、労働に関してちえおくれの人々が他の市民と平等に扱われるべきことを理解できるように、まず第一に一般大衆を教育する必要がある。ちえおくれの人々にとっては活動的であること自体がリハビリテーション過程の一部であり、社会で受け入れられるための方法である。

 ちえおくれの人々が余暇やレクリエーションに関して他の人々と同じ権利をもつべきことは当然のことである。しかし、多くの国において、この目標の達成は困難なことであった。先ず第一に、この分野の問題は脱施設化を原因とするものであったし、現在もその状況は変わっていない。つまり、障害者は隔離され、施設に入れられ、毎日毎日、毎年毎年、その生涯を同じ施設で過ごさなければならないこともしばしばであった。労働(教育)と余暇が作り出すリズムもなかったし、生涯のすべてが受動的な余暇時間以外の何物でもない場合も多かった。

 障害者が社会で他の人々と同じように生活しており、教育を受けていて、労働することも認められているのであれば、もちろん、他の人と平等に余暇活動やレクリェーションの機会をもてて当然である。以上で述べてきたことは生活の3つの側面(他の人が生活しているのと同じような生活の場、教育を受け労働する権利、余暇をもち余暇活動を行う権利)についてである。

 ノーマライゼーションは投票権などの公民権、地域の暮らしに参加する権利、移動の権利、自由な市民であって強制的居住区域に隔離されない権利、異性と共に暮らして性生活をもち、結婚して子供をもつ権利、個々の必要に応じて社会福祉サービスを受ける権利など、他のすべての点においても平等な権利を受けることを意味する。最も重要なのは、人間として遇される権利である。

 ノーマライゼーションは特殊なイデオロギーでも新しいドグマでもなく、むしろ」種の「反ドグマ」である。人間を人間的に取り扱うのに理論は必要ではない。

サービスの組織化
 デンマークでは1959年以来、ノーマライゼーションがサービスの基本となっており、ノーマライゼーションは一歩すつ実施されてきた。デンマークでは15名の少年を対象とした寄宿学校という小規模な施設が初めてつくられた1855年以来、ちえおくれの人々のためのサービスが発展してきた。この施設は民間の発意で創設・運営されたものである。サービスが量的に増えるにつれ、国家が徐々にサービスの資金調達に参加するようになり、ついに1933年には、精神障害者だけでなく、すべての障害者のためのサービス全般について全面的な責任を引き受けるに至った。その時点においてはサービスの目標は保護主義的であったため、大規模な居住施設への入所、隔離、ほとんど教育は与えず、不妊化措置を実施することなどが行われた。デンマークにおける発展のパターンも、他の国の多くにおいて行われてきたことと類似していたのである。保護主義からノーマライゼーションヘの脱皮は、『ちえおくれの人々のための住居関連のサービスにおけるパターンの変化』、1976年改訂版の中の二ールス・エリック・バンクミケルセンが執筆した章に述べられている。

 ちえおくれの人々のためにサービスに関する特別法が制定されてから、政府の後援のもとで福祉事業の内容の変化が起こった。障害者のために政府が別個の運営を行うサービス制度と障害者グループのための特別法や条例が、ノーマライゼーションに向けて福祉事業を発展させるための効果的な手段となった。しかし、特別サービスや特別立法はもちろん「ノーマル」ではない。つまり、障害者は一般と同じ政府当局の事業の対象とはなっておらず、一般の法律適用の対象にもなっていないということである。ノーマライゼーションを完全なものにするためには、1980年1月1日に施行された法的・行政的な改正が必要であった。この改正によって、障害者に対する国によるサービスの責任はすべて、275の地方自治体と14の郡に移管された。現在、住民全般に対するサービスの責任をとっているのは、これらの地方当局である。

 障害者という特別なグループについての特別法はすべて廃止された。現在は包括的な社会援助法が特別なニーズのある人々に関する条項をすべて定めているので、障害者にも非障害者にも同じ規則が適用されているが、特別なニーズをもつ人々に対しては特別な権利が与えられている。盲、ろうあ、精神障害などのような分類方法はもはや使われておらず、「かなりの身体的もしくは精神的障害をもつ人々」という語句が使われている。同様に学校法も、「長期にわたる特別教育を必要とする生徒」という言い方をし、特別教育が必要となる原因については触れていない。障害、非障害にかかわらず、すべての児童が同じ期間の義務教育を受ける。児童教育に関する規定はすべて、包括的な一般教育法に定められている。

 ある人が一般法の対象となっているということは、異常者という刻印を押されたり、異常者として分類されていないということである。それどころか、その人は社会に属し、社会の発展全般から恩恵を受けることができ、既に社会主流にいるのであるから、メインストリーミング(主流に入ること)が与えられるのではない。人は他の市民と平等であり、そのことは、その人の独自のニーズに応じてサービスを受けられることを意味する。

 精神障害者のためのサービスに関する特別法の廃止から生じた重要な成果は、精神障害を理由として、人を施設に拘束できなくなったことである。サービスはすべて完全に自発的意志によって受けるものである。施設に拘束できるのは、犯罪を犯してそのために裁判所による有害宣告の受けた者だけである。以下に述べるように、精神障害老で施設収容を宣告されている者の数はごく少ない。

 地方が福祉事業の責任をもつような制度になってから、5年以上たったが、地方自治体や郡は1980年以前のサービスの水準を維持しているだけでなく、欧州諸国やデンマークが近年になって直面している不景気にかかわらず、水準を高めてさえいるというのが大方の人々による印象である。生活の問題を考える際には、ノーマライゼーション時代が始まった当初、デンマークではちえおくれの人々のための居住用施設に収容されている人の数が人口比で他のどの国よりも多かったことを忘れてはならない。このような施設を縮小・閉鎖してちえおくれの人々のためにこれに代わる住まいを提供することは、過去20年間における最も重要な課題であった。

 この脱施設化の過程や障害者の一般生活への参加というアプローチは、経済的に見ても好ましいものであった。大規模施設や居住施設は、個別に住環境を整えることやグループホームやグループホステルなどの地域ケアよりも建設・運営に多くの経費がかかる。最近、大規模施設と地域ケアの経費を比較した調査が行われたが、大規模施設では障害者は1人当たりの運営費が年間で最低45万デンマーククローネ(約7万5,000ドル)かかるのに対して、地域での住まいを作り上げるのにかかる費用は1人当たりおよそ9,500ドルである。この額にはガイダンス、カウンセリング、大規模施設から出るに備えての集中訓練、家を買ったりアパートを借りたりしてそこに家具を備え付ける経費が含まれている。障害者が地域に住むことで必要となる年間の経費は障害年金、ホームヘルパーなどの職員、ホームガイダンス、保護作業場またはデイセンターなどに通う費用を含めて約56,100ドルである。初年度の経費はUS$9,500+US$56,100=US$65,600となり、大規模施設における経費より9,700ドル少なくなる。2年目以降は年間経費は約5万6,100ドルで、大規模施設における経費よりも、1万8,900ドル(約25%)少ない。

 このように、デンマークは最良のサービスが最も安いという好運な条件にある。なぜこのようにユニークな状況が大規模施設の完全な廃止につながらなかったのであろうか?何よりもまず、古い施設のほとんどは20年前の約半分に収容者数を縮小しており、そのスピードも早さを増している。レかし、縮小には、克服すべき障壁と変化すべき態度が数多くあったのである。

 以前、大規模施設に住み込んでいた人々は何ら問題を起こさなかった。このような人々に独立して暮らすのに必要な準備ができていて、そのための訓練もされていたとしたら、彼らはほとんど例外なしに、喜んで社会に出ていったであろう。ただ、特に高齢の親たちの中にはこのような動きに反対する者がいて、子供が18歳になったら子供に代わって決定をくだす法的な権利は親にはないにもかかわらず、子供が社会に出ていくことを阻止した人たちもいる。しかし幸いなことに、親の会は常に、地域での生活に賛成してきた。デンマークの親の会は、サービスシステムをノーマライゼーションに向けて変えていく運動の先頭に立ってきた。この運動は親の会の発意で始まり、以来、強力にこれを支えている。

 国営の制度の指導者も、また1980年以降は郡や地方自治体の運営する制度の指導者も、政治家も、大筋ではノーマライゼーションの原則に合意しているが、大規模施設の職員や職員組織の態度はより消極的である。もはや大規模施設が必要ではないことをこれらの専門家に説得するにはかなりの時間がかかった。もちろん、職を失うことに対する恐れが反対の理由であった。加えて、施設で働く人々の多くは、被収容者に対して保護的な態度をとっていた。このような態度は徐々に、少なくとも年の若い職員の問では変化していった。1980年までは、その大部分が精神科医であった医療スタッフがサービス提供の管理に重要な役割を果たしていたが、彼らは施設化に賛成する傾向があった。現在では、医療スタッフはコンサルタントとして働いており、運営には参加していない。この制度変更に伴い、脱施設化のプロセスが容易になった。

 この脱施設化のプロセスにおける深刻な問題は、空いた施設をどうすべきかということであった。地方においては、脱施設化職員の失業を意味した。大規模施設は社会から遠く離れた遠隔地に置かれることが多く、そのような小さな町においては施設が唯一の大規模な働き口である場合もあった。地方ではこのような施設を維持しようとする闘争があったし、現在でもいまだに闘争が行われている例もあるが、現在では施設に収容されている精神障害者の数はたいへん少なく、現在施設に収容されている高齢者は徐々にはなくなるわけなので、地方行政機関は最後には負けることになるはずです。つまり、施設の収容者数は必ず減るということである。このことによる経済的影響は大きい。というのは、一人当たりの経費が大幅に増加するからである。家庭で福祉サービスを提供することの方がより良い結果をもたらし、経費も少なくてすむのに、隔離型の施設化のための経費を喜んで支払う自治体はない。何度も改造を行ったにもかかわらず、古くからの大規模施設の大部分には、維持していく価値はない。より近代的な施設は町の近くに設置されていて質も高いので、他の多くの目的に利用することが可能である。

 脱施設化は、実に時間のかかる過程である。解決すべき障壁や問題のいくつかについてはすでに述べた。地域に出ていこうとする人々はこれまでに問題を起こしていないことが観察されている。十分な訓練を受けていて、より独立した生活ができる準備ができており、住居や、労働や余暇活動という日常活動について施設に代わる適切な環境を提供される限りにおいて、彼らは施設以外に住む場所があることを喜んでいる。このような手続きのすべてを完了するには時間がかかる。直ちに施設を閉鎖することは不可能である。施設収容者の準備の問題や彼らが必要とする環境についての問題があるため、施設を閉鎖するには5年から10年はかかるかと思われる。

 施設を出ること自体が目標なのではない。より重要な目標は、施設に代わって提供されるものである。施設の閉鎖を企画するのにも時間がかかる。どうすれば、またいつ施設の一部分を空けることができるかについても、綿密な計画を行わなければならない。収容者数を半分にまで減らしてきた病棟が再びいっぱいになることを避けるには、収容者がいなくなった時にはどの施設も永久に閉鎖されるような計画を作らなければならない。この過程の途中のある時点において、当局は経済的な理由によって閉鎖を加速することを余儀なくさせられるだろう。施設は収容者数が当初の予定収容者の半分になれば、運営費が極端に割高になるものである。職員の将来の利用法についても、綿密に計画する必要がある。大規模施設が閉鎖されれば、全職員の数は常に削減される。職員の削減は、通常の定年と自然減に従って行うことができる。今後の職の保証について職員を納得させられるような計画を立てることが必要である。つまり、職員とその組織が計画委員会のメンバーになるべきだということである。施設の閉鎖に関連する問題を考えれば、綿密な計画の重要性と、閉鎖は時間のかかるプロセスであることがよく判る。

 上に述べたように、ちえおくれの分野ではサービスはすべて、完全に合意を受けて提供されるものである。ちえおくれの人々に対する一般の態度の変化、より良いサービス、より良い生活条件、教育を受けた職員の数と質の改善、ちえおくれの人すべてに対する教育などによって、1959年から1980年までに、本人の意志を無視した介入はますます少なくなってきた。1980年制定の新法では、行政による合法的な介入に関する法律はすべて廃止された。しかし、精神病の分野においては、デンマークは合法的な拘留に関する法律を続けている。このため、ある人が精神障害をもち精神病でもあると危険人物と見なされるなどすれば、その人は精神病者の病院収容に関する法律に従って拘留される可能性がある。デンマーク国会は最近、精神病者に対するより良い法的保護のために、精神病者の拘留に関する法律について調査を行うことを決定した。

 本人の意志を無視した行政による介入は過去のこととなったが、現在でも、ちえおくれの人が居住施設での拘留を宣告された刑事事件の被告である場合には、その人は居住施設に拘束されることがあり得る。ただし、この件については、たいへんに興味深い展開があった。過去10年から15年で、居住施設への収容を宣告される人の数は、それまでのおよそ5分の1に減った。この驚くべき事実の背景こは数々の理由があるが、精神障害に対する態度の変化が何よりも重要な役割を果たしている。現在ではもはや、診断を根拠として宣告が行われることはない。裁判所は被告の人格のその他の面もすべて考慮の対象とする。この分野においてさえ、一種のノーマライゼーションが進行しているのである。今では、精神障害をもつ人の多くが通常の刑法上の制裁を受けるようになっている。

 残念なことに、デンマークの刑法には、居住施設における無期滞在を宣告する法的権限がある。障害者の親の会に加えて、この分野における数多くの権威者や専門家が無期拘留権限の廃止に賛成する論陣を張ったが、法務省をはじめとする法務当局は、今にいたるまで説得を受け入れていない。行政による介入に関する法律が廃止された時、法務省と国家保健委員会はこれに異議を唱えたが、成果は得られなかった。国会はこの「差別廃止制度」を採択したのである。おそらく、無期拘留法についても、同じことが起こるだろう。幸いなことに、精神障害者で居住施設の閉鎖病棟への収監を宣告されている者の数は国全体(デンマークの人口は約500万人)でわずか20名ほどである。

 サービスが任意を受けて提供されるものであるという性質について、閉鎖病棟のほとんどは廃止された。現在の問題は、犯罪者として分類され、なおかついまだにサービスが責任をとるこの20名程の人々をどのように配置し、処遇するかである。このグループの特別のニーズに対処するために、それぞれに10名程度収容できる小さなホームを2軒立てるという提案がなされているが、まだ実現にはいたっていない。

 要するに、施設以外で暮らすちえおくれの人の数はますます増えており、このような人の中で犯罪を犯す老の数はますます減っているのである。万が一犯罪を犯したとしても、居住ケア施設での無期拘留を宣告される者の数は極めて少ない。このことは驚くべき事実であって、調査研究の対象とすべきことがらである。

 ちえおくれの人のためにサービス分野における発展は、楽観的な展望をもたらしてくれる。これらの人々のためにノーマルな生活条件を作り出すことは可能であり、いつの日か、国際障害者年のスローガンにあった「完全参加と平等」という国連の目標が完全に実現できるだろう。

ニールス・エリック・バンクミケルセン
 デンマークに生まれたN・E・バンクミケルセンはコペンハーゲン大学で法律の学位を取得している。氏はデンマーク変革期の初期において、全国社会福祉局の障害者介護/リハビリテーション部の部長を勤めたが、この権能において、ちえおくれの人に対する介護の全面的な見直しの企画立案を支援し、他に大きく先駆けてノーマライゼーションの原則の確立を主唱した。氏はノーマライゼーションという言葉に、ちえおくれを含めて、障害をもつすべての人々のためのノーマルな生活条件という意味を込めていた。氏の具体的な関心には、結婚する権利や本人の意志に反した行政による拘束に関する規則の解消も含まれていた。氏は数多くの専門誌や書籍に論文を寄稿しており、さまざまな表彰を受けているが、その中にはジョン・F・ケネディ国際賞も含まれている。
 N・E・バンクミケルセンを記念するように、デンマークの障害者政策は氏の思想を基本として発展してきた。筆者は20年以上にわたって氏の近しい友人であったことを栄誉としている。

参考-1

デンマーク障害者団体協議会(DSI)のロゴマークデンマーク障害者団体協議会

事務局の職員構成
・事務局長
・事務長
・保健政策に関するコンサルタント
・社会問題
・雇用問題に関するコンサルタント
・広報担当者・秘書2名・事務員2名・発達援助に関するコンサルタント
 (雇用期間限定Danidaによる支援)

国際委員会
1992年度の課題事項:
・すべての障害者団体のための、北欧共通のアクセス基準の策定
・北欧障害者団体協議会(HNR)内部における協力態勢の強化
・欧州におけるすべての全国的障害者組織によって構成され、
 一本化された欧州全体にまたがる統括組織の設立に対する協力
・「北欧の障害者政策と欧州共同体」に関する1992年9月の全欧会議開催要請を含めて、
 ECにおける障害者問題に対する影響力の行使
・Danida(デンマーク発達局)の永続的な協カパートナーとしての、第三世界のすべての
 開発計画における障害者問題の統合のための努力
・国連活動において、障害者問題についての論議の振興と影響力の行使

技術委員会
1992年度課題事項の一部:
・技術的援助の管理及び提供の実践
・デンマークにおける技術的援助の分配に関するDSIとしての要求
・障害者のための緊急警戒体制
・公的権限をもつ機関が事務作業の自動化のために購入するOA機器は障害者にも
 使用できるものであるべきだとする要求
・遠距離通信の分野における努力の継続
・障害者にとっての建築物へのアクセスと建設行為に関する「欧州用マニュアル」の作成作業の継統

保健政策委員会
近年における主要な事業の実例:
・公衆衛生と郡境に関する諸問題についての新法の成立
・臓器移植とドナーの不足に関する諸問題
・理学療法の無料化要求
・精神療法
・医療患者と障害者の保険
・医療に関する国立の苦情処理局
・公衆衛生事業における優先順位
・政府当局から公式にDSIに通達された声明:医療機器、薬剤、薬品、てんかんに対する外科的処置、
 労災、遺伝子治療などに関するもの

教育政策委員会
昨年度の主要事業:
・余暇時間(夜学)教育に関して、地方議会におけるDSI代表に対する支援
・大規模な特殊教育、§19.1&2
・技術学校及び商業学校における特殊教育を含めた職業教育
下記におけるDSI代表者に対する支援:
・公立教育発展協議会
・政府による特殊教育を地方自治体に分権化するための委員会
・成人教育センターに関する作業グループ
・郡における特殊教育の分権化に関するレファレンスグループ
・教職員大学に関する諸問題

デンマークにおける
政治と実践に対する影響力
・老齢年金と障害年金に関する委員会
・全国発達協議会
・地域発達評議会
・全国的施設と地域施設の今後に関する論議
・リソースセンター
・公衆衛生事業
・技術援助に関する標準規則
・労働市場
・公共輸送機関:障害者用公共輸送機関、個別の輸送協約と
           エスコートサービスについての実験

DSIの郡支部は、下記の団体に
代表を送っています
・リハビリテーションと年金についての審議委員会
・さまざまな福祉サービスのユーザーによって構成される郡の協議会
・老齢者と障害者のための福祉サービスのユーザーによって構成される自治体の社会福祉協議会
・公共輸送機関に関する実験の監視グループ
・その他の公的な協議会及び委員会

DSIの全国委員会は、下記の団体に
代表を送っています
・デンマーク全国障害協議会
・社会問題に関する国立の苦情処理局
・医療に関する国立の苦情処理局
・政府省庁、全国委員会、都議会連合などの設立によるその他の協議会、理事会、委員会


DSIの沿革
 
1934
        
聾唖者、盲人、難聴者、移動障害者による4種の協会によってDSIが設立される
1940
 
1958:老齢年金対象者協会と障害者年金対象者協会の連絡委員会の設立。
(交渉権は1968年から)
1950
 
1960
 
DSIの加盟組織が8団体に。
1970
 
DSIが疾病と闘う団体に開放され、加盟団体は16に拡大。
1980
 
15カ所の郡支部が設立される。DSIが事務局を開局。
加盟団体は24に。
1990
 
DSIの事務局が拡大される。1993年1月1目:加盟団体は27。


郡支部
車いすに乗っている人のイメージ デンマークの障害者団体に参加すれば、
あなたは同時に支部会員になります。
障害者団体地方グループのイメージ 障害者団体の地方グループは各郡において、
DSIの郡支部に加入しています。
デンマーク障害者団体協議会(DSI)のロゴマーク このように、DSIの郡支部は、地域活動に携わって
いるすべての障害者とその保護者によって構成されて
います。郡支部はその会員の中から、さまざまの公的な
協議会、理事会、委員会に代表者を送っています。
27の障害者団体   →   15ヶ所の郡支部
↓                    ↓
全国理事会
↓                    ↓
執行委員会            会長職
教育政策委員会
技術委員会
保健政策委員会
国際委員会
社会問題と雇用市場問題に関する委員会


移動障害者団体:
 
・デンマークリウマチ患者協会
・デンマーク多発性硬化症患者の会
・全国ポリオと事故の犠牲者の会
・デンマーク全国障害者協会
・デンマーク脳性麻痺患者の会
・デンマークパーキンソン氏病患者の会
・デンマーク筋ジストロフィー協会
・デンマーク脳卒中患者協会
コミュニケーション障害者団体:
 
・難聴者連盟
・デンマーク盲人協会
・デンマーク聾唖者協会
・デンマーク喉頭切除患者協会
・デンマーク吃音者協会
・デンマーク聾唖盲人協会
・デンマーク失語症患者協会
精神障害者団体:
 
・デンマーク精神障害者の会
・デンマークてんかん者協会
・デンマーク精神衛生協会
・デンマーク全国自閉症患者の会
・デンマーク突発性脳障害者支援の会
その他の障害者団体:
  
・デンマーク乾癬患者協会
・デンマーク肺病協会
・COPAデンマーク-人工肛門患者協会
・デンマーク肝臓病患者協会
・デンマーク嚢胞性繊維症患者の会
・デンマーク血友病患者の会
・デンマーク青年障害者団体協議会

§3加盟資格:

 DSIの正会員として認められるのは、§2に述べられている共通目的に合致する目標をもつ組織のみとする。さらに、会員数が最低で500名以上、設立以来最低5年間を経ていることを加盟資格とする(...)。
 定款または経済的事情によってすでにDSIの加盟組織に付属している組織は、加盟を認められない。

 第2条.趣旨が明確で小規模な障害者グルーブによって構成されているが、会員数が現在及び将来的に加盟資格に達する可能性のない組織は、他の加盟資格をすべて満たしていることを条件として、グルーブ会員としてDSIに加盟することを認められる場合がある。

参考-2

北欧諸国及びEECにおける社会サービスのモデル

 各国で行われている社会サービスで、国による相違が最も顕著に現れるのは次の点においてである:

-民間によるサービスと公共によるサービスとの関係
-補助の原則と個性尊重の原則の対立
-サービスの財源が保険か税金か

 以上が、北欧と南欧を隔てる違いである。南欧においては、公的な機関に責任が生ずるまでに、数多くの人間関係(親戚、友人、家族、地域社会)が入り込んでさまざまな私的な解決方法を実行する。その中でも教会が重要な役割を果たしているが、北欧においては公的な解決方法が行われる度合がより大きく、個性尊重の原則に基づいて、サービスは主に税金によってまかなわれている。

統合か主権尊重か
 欧州統合に対する関心の深まりと共に、当然ながら次の問題にも関心が向く。つまり:

 サービス水準の国ごとの差異によって市民一人一人の移動性が妨げられることなく、ある国から別の国に移ってもサービス水準が決定的に変わらなくなるような未来の協力形態においては、どのようにすれば、特に存在を脅かされている人々に対Lて、自分の土地において、地理的・文化的な伝統に根ざすような社会サービスを維持でき、それと同時に平等化、適応、同化を受け入れていげるのだろうか?

 この問題こそが、数多くの神話の核になっているのである。

歴史的に見た協力態勢
 デンマークに関する限り、歴史的に見て、協力は北欧とEECという2つの大きな「同盟」を通じてもたらされた。

 北欧同盟は、Nordisk Ministerrad(北欧閣僚協議会)によって設立された同盟であるが、古代の言語・文化コミュニティーを基盤としている。Nordisk Ministerradの管理下にあるさまざまな機関を通じた協力の土台としてのこの同盟には、限られた財源しかないが、数多くの善意がある。さらに、北欧における協力態勢は民間の率先による運動が多いことを大きな特色としており、協力の手続きやプロジェクト作業はマン・ツー・マン方式で、国境を超えて、公的機関からの干渉を受けずに行われている。

 このようにして生まれてきた北欧の開発プロジェクトの多くは、比較的容易に実現されてきた。言語による障壁がほとんどなく、文化的・社会的に共通の要素や伝統の積み重ねが多くあるために、共同活動のための土台ができている。Nordisk Ministerradのもとでの活動の多くは、たいへんに明確な方向性を打ち出している。

 もう一つの同盟は比較的新しい、EEC内部での協力であるが、EECはもともとは「鉄鋼」と「石炭」の共同体から発したもので、当初は国家の文化的・社会的特質を伝えるものである文化、教育、社会福祉その他の「ソフト」な現象は眼中になかった。

 しかし、EEC内部における協力はやがてもう一つの性格を帯びるようになり、行動計画の変更を可能にして国境を超えた協力を生み出すために、行動計画に財源の伴った、文化を創造する強力な要素になったのである。

 このようにして、EEC諸国間の協力は、人々が予想した以上に強力な要素になっていった。北欧の協力がしばしば善意と言葉のみに終わっていたのに対して、EECにおける協力態勢は、目標に向かってまっしぐらに進む行動計画と、それを実行するための大規模な補助金が特徴となっている。

競争
 社会への障害者の統合に関する問題についても、2つの「同盟」はライバルになった。「Nordisk Ministerrad」はすでに1980年において、北欧の小学校は「すべての者のための学校」に発展すべきであるという趣旨の決議文を採択していた。障害をもつ児童は家庭や友達にできるだけ近い学校に通って、他のすべての児童と平等に、学級における普通の生活の一部となるべきであり、学校はすべての者に対して教育を行えるように発展するべきである。すなわち、学校は共同体、独立、連帯などの特質を備えた民主主義形成の最前線にならなければならない、というのがその決議文の内容であった。

 社会面においてもこれに対応する発展があり、精神障害者のための大規模収容施設が廃止されるようになった。行われるサービスもノーマライズされ、障害者が家庭の特質をもつ施設に住めるようにするという欲求が生まれた。何びとも、収容施設に住むような目に合わされてはならない。

 北欧諸国の国境を超えてプロジェクトや発展作業が散発的に始まったが、「Nordisk Ministerrad」の採択した決議文は大きな効果は生み出さなかった。企図を実行に移せるだけの財源ができなかったことがその理由である。

理念の普及
 口火を切ったのは、北欧の障害者支援団体だった。このような団体は、1970年代、1980年代を通じて北欧の学校制度に決定的な影響を与え、その結果、学校における障害児の統合が強化されたのだった。

 住宅、雇用、’余暇などの分野においても、北欧の経験を創造・応用することが可能であった。つまり:

 北欧諸国では、権限の地方分散とサービスの実施権限を地方自治体に移管することが並行して、しかも同時に行われた。このため、責任当局は、北欧式協力態勢によって知識を得られることを知った。障害者団体は1980年代における協力や経験の交換を通じて、北欧各国における社会への障害者の統合を支援する諸活動について幅広い知識を得るようになった。諸団体の経験や方針が会議やシンポジウムで発表され、それに伴って世論にもいくらかの変化が生じていった。

EECとその行動計画
 EECにおいては、社会面においても文化面においても上記のようなことは起こらなかった。EEC設立の動機が牛乳、ワイン、鉄鋼、石炭の価格の問題であったことは明らかだとしても、EECの政策は社会・文化問題についての論議を行うことを特徴としていた。EECでは大型でインパクトが強く、財政的にも大規模な行動計画が実施され、それが長期的に影響力を及ぼす結果になることもしぱしぱであった。大型の行動計画は三期に分けて実行された。中でも最もよく知られているのが、1980年代初頭に一つのアイデアとして構想されたヘリオス計画である。この計画のもとで、1988-91年にかけてさまざまな活動が始められた。計画の第二期は1992年中にスタートして、5年をかけて実施される予定である。

 ヘリオス計画は、各国において教育制度、労働市場、そして社会生活全般への障害者の統合の促進を図ることを目的としている。この計画は、障害をもつ人々のための公的サービスの水準を高め、民間及び半官半民の権限に基づいて行われているサービスの最良の要素を公的サービスに組み込むことを促すものである。

思想や理念の継承
 現在のEECは、「すべての人のための学校」という北欧の政策理念を受け継いでいる。ヘリオスネットの結論の一つである「学校における統合」は、基礎教育において統合理念を実現することの必要性を指摘している。現在は上記の行動計画において、この統合理念実現のための財源を確保する段階にある。

 北欧でいうノーマライゼーションとは、制度がそれを用いる者に対して「ノーマルに」機能するということである。特定のグループや個人のための特別規則や特別立法が制定されないということである。障害者にとっての教育環境は、教育担当当局の扱う問題だということである。障害者にとっての様々なものへのアクセスの条件は、地方の技術担当当局が取り扱う問題だということである。障害者の住宅や雇用の問題は、一般市民のためにこの問題を扱う当局が取り扱うべきだということである。一般市民について取り扱う当局から一般市民と同じサービスを障害者が受けられるようになって初めて、一連の規則やサービスについてのノーマライゼーションが行われたと言えるのである。

取り組みの姿勢や伝統の相違
 しかし、EECにおいては学校、訓練、余暇や文化活動面などでの障害者の統合に関する問題は、EEC委員会の仕事の中でも社会部門にかかわる問題と見なされることがたいへんに多いので、北欧と南欧では取り組みの姿勢や伝統に違いがあることがわかる。

 このように、デンマークでは障害者の教育や訓練の問題は教育省に属する問題であるのに対して、EECにおいては障害者の教育や訓練の問題は社会問題省が扱うことになるため、デンマークは特殊な立場に置かれることになる。しかし、このことが問題になるのはデンマークだけではない。アイルランド、イギリス、オランダ、ベルギーのオランダ語圏、ドイツの一部などについても同じことが言える。障害者の社会生活への参加に関するEECの公式の方針は社会による保護という南欧の伝統に影響されているが、同時にノーマリゼーションというアングロ・サクソンや北欧の伝統にも関心をもっていて、常にそのやり方を注視していると言ってもよい。建物へのアクセス、技術設備の開発やコミュニケーションに関するEECの数多くのプログラムは、文化や障害に関する運動などと共にすべて、欧州共同体が意志決定への参加権をもつ市民としての個人の位置づけを重要なものと考える同盟であることを表現する上で大いに役立っている。

 EECの諸プログラムは、国家を超えた協力のモデルを開発することができたが、これらのモデルは活力や媒介力、調整力をもっていることが明らかになっている。デンマークに関する限り、新たな欧州のフロンティアが開かれ、人、財、サービスの自由な移動が現実となる1993年までの期間は、冷静で実際的な総合的見解に好かれるような状態が特徴となっている。この期間はある意味では、社会福祉事業のための最適な解決方法が捨て去られてしまうような大きな「心の中のベルリンの壁」がその特赦となる可能性がある。このことは全く好ましからぬことである。

最後に
 EECがこれから直面しようとしている多くの課題は、その答えをすでに一世代前の北欧の協力態勢において見いだしている。1958年の北欧旅券同盟、北欧諸国の市民が他の北欧諸国で労働することを認めた1954年の共通労働市場などがそれである。およそ50万人の人々がこの制度を利用している。1955年以降、北欧各国の社会保障制度は拡大されて、他の北欧諸国の市民にも適用されるようになっている。また、教育、文化、研究などの分野においても協力態勢ができている。北欧の協力態勢の成果は数多いのだが、我々はそれに慣れきっているために、それが見えないだげなのである。

 以上のことから、北欧諸国の協力態勢とEECの協力態勢には大きな相違があることが見てとれるであろう。何よりも大きな相違は、北欧諸国のやり方の伝統と考え方にある。北欧諸国の協力態勢は「Nordisk Ministerrad」の管理下にある諸機関からの最低限の財政援助と、民間の発意に基づいた最大限の善意と、北欧内の国境を超えた経験の交換に対する期待を特色としている。


主題(副題):国連・障害者の十年最終年記念 北欧福祉セミナー 報告書 (重度な障害をもつ人々の地域生活の実現のために)