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第3回アジア太平洋CBR会議

自助グループと障害当事者団体による障害のある人々に対する自己エンパワメント支援と地域参加支援

チベット自治区は中国でも最も遠隔地にある地域の一つであり、住む人もまばらである。2006年の全国障害抽出調査によれば、チベット自治区の人口は約300万人であり、その8割以上が遊牧民又は準遊牧民である。障害がある人々は19万4千人であり、総人口の7%にあたる。障害のある人々とその家族は、障害に関係する情報やサービスを手に入れたり利用したりすることがほとんどできない。障害に対するコミュニティの人々の知識は非常に低く、障害は前世の悪い行いの結果であり変えることはできない、と一般的に信じられている。障害のある人々と家族のほとんどは家にいて、自分たちの状況を恥ずかしく思っており、困っていることをほかの人たちに訴えるような習慣がない。彼らは困難に打ちひしがれており、収穫時など特別な時にふつうコミュニティの人々が負担を分かち合ったりお互いに助け合ったりする場合も、彼ら障害のある人々や家族はわきに追いやられている。

中国で障害に関係する問題に対応する準政府組織であるチベット障害者連合会(TDPF)のリーダーシップの下、自治区政府は、障害に関係するサービス(リハビリテーション、特別学校、特別職業訓練センター)の整備に多くの力を注いでいる。にもかかわらず、現在チベット自治区全体で、自治区レベルでよく整備されたリハビリセンターは一つだけであり、しかも障害のある人々はほとんど利用できていない(現在2か所が整備中である。)。障害者連合会のシステムはいまだに脆弱で、自治区のレベル及び県市のレベルに存在するに過ぎない。郷鎮のレベルでは、障害の問題は依然として民生部の所管事項であるが、民生部には十分な職員がおらず、しかも障害の問題に対応するための訓練は受けていないことが通常である。

チベットにおいてこの15年間に障害当事者団体と自助グループが組織されてきたことは、障害のある人々とその家族の状況の改善に大きな役割を果たしてきた。

ハンディキャップ・インターナショナルはチベット障害者連合会とともに、ほぼ15年間にわたり、障害のある人々とその家族の生活状況の改善のために活動してきた。我々は、この地域における障害運動の発展を支援してきた(自助グループと障害当事者団体の発展、運営や権利擁護のスキル、コミュニティの動員やコミュニケーション、当事者間の支援など)とともに、障害のある人々のエンパワメントと社会発展への完全な貢献を支援してきた。

障害運動の発展:障害当事者団体と自助グループの事例

障害当事者団体の活発な貢献はろう者団体の創設とともに始まった。この市民社会に基礎を置く障害当事者団体と政府主導の3つの組織が代表するのは、チベット自治区の主要都市ラサのみである。障害当事者団体はラサを取り巻く農村部にも活動を広げ、自助グループの発達を支援していた。

2007年から、ハンディキャップ・インターナショナルとチベット障害者連合会の共同プロジェクトは、自助グループの育成を行ってきた。自助グループは、障害のある人々と障害のある子どもを持つ親が障害に関して恥ずかしいと思う感覚を克服し、集まって彼らの経験を分かち合うことを支援するために結成された。自助グループの結成はプロジェクトの支援を受けて最初ラサで始まったが(障害のある子どもたちの親のグループ)、今日では25の小グループで280名の会員が集まり、そのうち140名が障害のある人々である。自助グループは障害者連合会がない農村部でその代替として活動している。自助グループは自分たちの活動を障害者連合会に報告する。ラサ障害者連合会は自助グループを7県市(農村部)に広げ、他の2地区にもいくつかあるが、それら自助グループは公的に位置づけられてはいない。自助グループと障害当事者団体は会員が障害に関する情報を得るとともに、仲間同士で経験や関心を共有するプラットフォームとして活用されており、似通ったニーズを持つ障害のある人々と会う機会としても活用されている。自助グループと障害当事者グループは、所得創出活動や起業、職業訓練や補助金の利用を促すことにより、個人及び集団の能力開発、家族の経済的な状況改善を支援している。

農村部では、全ての自助グループが農繁期(植えつけ及び収穫の時期)の助け合いを促進している。組織の活動を続ける資金として、支援資源を活用している自助グループもある。自助グループは、地域の障害のある人々から情報及びニーズを収集し、それを地元行政当局と障害当事者連合会と共有している。

ほとんどは都市部で活動しているが、障害当事者団体も、よりサービスを増やすために上位の行政当局(チベット障害者連合会、職業訓練校、雇用行政当局)と協力している。また、障害のある人々のために非公式な識字クラスを定期的に開催している。

都市部でも農村部でも、障害に対する地域社会の意識・態度を変えることを目指し、自助グループと障害当事者団体によって意識啓発とインクルーシブな活動が行われている。自助グループと障害当事者団体は、コミュニティと障害のある人々及びその家族との懸け橋であり、それによって障害のある人々及びその家族はより自信を持つようになり、ニーズが満たされるようになり、最終的にはコミュニティの発展に貢献するようになる。したがって、自助グループと障害当事者団体は、障害に関する情報を入手し、障害のある人々の日常生活を支援する、コミュニティに基礎を置く支援資源であると考えられている。障害当事者団体と自助グループは、自治区レベルで活動を広げる機会を探っている。

都市部でも農村部でも、障害に対する地域社会の意識・態度を変えることを目指し、自助グループと障害当事者団体によって意識啓発とインクルーシブな活動が行われている。自助グループと障害当事者団体は、コミュニティと障害のある人々及びその家族との懸け橋であり、それによって障害のある人々及びその家族はより自信を持つようになり、ニーズが満たされるようになり、最終的にはコミュニティの発展に貢献するようになる。したがって、自助グループと障害当事者団体は、障害に関する情報を入手し、障害のある人々の日常生活を支援する、コミュニティに基礎を置く支援資源であると考えられている。障害当事者団体と自助グループは、自治区レベルで活動を広げる機会を探っている。

図(図の内容)

障害当事者団体と自助グループを頼りにすることの良い点:成功した事例

ラクパ・ツェリンはラサ市チュシュル県セプ村の出身である。彼は生まれたときから視覚障害がある。現在45歳であり、妻及び2人の子どもがいる。彼の妻はてんかんの持病がある。自助グループに加入する前、彼は村の委員会から借りた小さな暗い家に住んでいた。彼らの唯一の収入は非常に小さな食料品店からのものであり、これも村の委員会の支援を受けていた。2011年、ラクパ・ツェリンは自助グループに加入し、グループで関心事を話し合うようになった。CBRプロジェクトと地元の民生部から5000元の無利子融資を受け、彼の食料品店の品目を増やした。商売は現在うまくいっており、ラクパ・ツェリンは借りた金を2年のうちに民生部に返済した。会員の支援を受け、村の委員会から250平米の土地を手に入れ、危険な家を建て直す政府の計画の中に含めてもらった。現在では彼は自分の持家に住んでいる。彼はまた収入を増やすため、村の委員会からツァンパ(大麦の加工食品)を挽く機械を受け取った。自助グループの会員であることにより、彼は自立した生活への道を見つけることができ、障害のある村人のモデルになった。

メルドグンカル県ゴンカ郷生まれのソナム・ダカは、2008年からラルン村の自助グループに入っている。彼女の夫は精神疾患があり、娘は脳性まひであり、ソナム・ダカが家族の生活の支えとなっている。このグループに入ってから、彼女の生活の質はがらっと変わり、夫とともに彼女も幸福感を得た。以前村人は彼女をからかい、彼女の夫の名前を呼んでは夫を見ると逃げて行った。したがって、彼女が畑で働くときには、ほとんどの場合夫は家の中に閉じ込められていた。しかし、村のグループが障害啓発の集会を頻繁に開催するようになったことは、村人の悪い行動をストップさせるのに役立った。人々はもはや彼女の夫をこわがるようなことは無くなり、彼は村を歩けるようになった。自助グループはまた村の委員会に対して、ソナム・ダカの家を建て直してもらうよう申請を出した。グループの会員は農繁期には彼女の畑仕事を手伝った。ソナム・ダカと夫は現在きれいな新しい家を持ち、生活環境も向上して人々は彼らを気遣うようになった。ソナム・ダカは一人ぼっちと感じるようなことはなくなり、自助グループの支援に深く感謝している。

私の名前はテジン・チュエドロン、22歳です。インフルエンザにかかって注射を打った時注射液の量が多すぎたために7歳の時にろう者になりました。家族は農業をしており、きょうだいは4人です。両親はろう者である私を学校に行かせることには意味がないと考えたために、私は学校に行ったことがありません。そのため読み書きを習うことがありませんでした。小さいころ私はほかの子どもたちと遊ぶのがとても好きでしたが、子どもたちは私のことをからかい、私は遊びに入れてもらえませんでした。その結果、家族は私を守ろうとし、私は一人で外に出してもらえませんでした。5年前母が重い病気にかかりましたが、母が死んだとき誰も私にそのことを教えてくれようとはしませんでした。私は母が治療のためにいないのだと思っており、後になってもう戻ってこないということがやっとわかったのです。コミュニティで私はとても孤独で、とても差別されていると感じていました。私の父は村の書記から障害のある若者向けの職業訓練所のことを教えてもらいました。私は絨毯織りのようななにか技能を習得したいとずっと思っていたので、この知らせにとてもわくわくしました。家では私はただ家のことをしているだけで、だれも私と話をしようとはしてくれませんでした。職業訓練所に入ってすぐ、私はチベットろう連合会の会員になりました。私はチベット手話を習い、たくさんのろう者の友人ができました。私は同じ困難や悩みを共有するコミュニティの一員になったと感じています。私の村には私のほかにもう一人ろう者の少年がいますが、恥ずかしくて彼とは連絡を取ったことがありませんでした。私は職業訓練所で一年間縫製を習い、現在ラサにあるホテルが運営する手工芸工房で見習いをしています。国際障害者デーの準備のためにインド舞踊を習いました。このことは恥ずかしさを克服するのに役立つと思っています。私を雇ってくれたホテルの人は私の技能を信頼してくれています。私は時々観光客のグループの前でインド舞踊を披露します。ホテルのマネージャーは私を無言のヨガのインストラクターとして養成しようと考えています。

チベットろう連合会に入ったことは私がコミュニケーションを向上させるのにとても役立ちました。さらに中国語の書き方も少し習いました。私としては、読み書きと計算の力がまだ弱いと思うので、もっと勉強したいと思います。ラサに来て1年近くたった頃私は村に帰りました。コミュニティの私に対する態度にはほとんど前向きな変化は感じられませんでした。さらに悪いことには、村の若者の何人かは私が技能訓練の機会を得たことを快く思っていませんでした。しかし、私は大きな自信をつけたので、人々ともっと意思疎通するようにしました。人々が私のことを悪い名前で呼ぶようなときも、私はもう傷つきません。今年の村の祭りでは、私は自分で稼いだお金で食べ物を用意しきょうだいやいとこをもてなしましたが、そのことを私は非常に誇らしく感じています。

チベット自治区における障害運動:数字と今後

障害当事者団体と自助グループは障害のある人々やその家族、コミュニティに大きなインパクトを与えている。プロジェクトでは2013年に自助グループに関する簡単な調査を47名の会員に対して行ったが、自助グループは自分の生活を大きく変えたと答えた者が93.6%、グループに入ってより幸福を感じるようになったと回答した者が89.3%、より孤独感を感じなくなったと回答した者が80.8%、自助グループを続けたいと答えた者が93.6%という結果であった。村長たちは、自助グループは自分にとっての資源であり、負担の軽減に役立つと答えている。

特定の配分資金はないが、政府はCBRにおける自助グループと障害当事者団体の育成に気を配っている。チベットとラサの障害者連合会は新しい自助グループを育成する取り組みを行っている。チベット障害者連合会は障害当事者団体のスタッフの給料を負担し、障害当事者団体が計画に基づき活動を行う際には、申請に応じチベット障害者連合会の財政的な支援を得ることができる。いくつかの自助グループは地域で資金集めをしたり、村や郷の当局から支援を受けたりしている。職業訓練と就労活動に焦点を当てている自助グループは、障害のある人々の就労を支援する割り当て制度の資金から財政支援を得ている(政府の取り組み)。

障害当事者団体の持続性と認知度はまだ十分に確保されていない。この問題に対応する方法ははっきりしている。すなわち、政府の5か年計画に位置付けられることにより、活動資金を得たり、いろいろな県市に存在する自助グループ間で公式に経験を交換したり、障害者連合会に定期的に監督してもらったりフォローアップ活動をしてもらったり、能力向上のために自己管理や権利擁護や支援資源動員の研修に参加したりすることができるようになるのである。村と村の距離が離れていることから会員が頻繁に集まることは難しく、一緒に活動するモチベーションが下がってしまっている。これらの困難を吸収するためにはより多くの自助グループが必要であろう。

他方、政府はあまりにもたくさんの自助グループや障害当事者団体ができて彼らが声を上げることを心配している。

バランスを見つけることは難しい。


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